NPO法人日本サーバント・リーダーシップ協会

過去の活動


【活動報告】大阪府看護学校協議会様、ならびに看護部長会様合同研修会に登壇しました。

2018年11月22日(金) 大阪のホテルアゴーラ守口にて大阪府看護学校協議会様と看護部長会様合同の研修会にて、協会理事長の真田が「看護組織でのサーバントリーダーシップを考える。~聖隷クリストファー大学樫原氏と考える実践的サーバントリーダーシップ~」というテーマで、登壇をいたしました。





登壇者:聖隷クリストファー大学 准教授 樫原 理恵先生
    日本サーバント・リーダーシップ協会 理事長 真田 茂人


看護組織でのサーバントリーダーシップについては樫原先生が講演を行い、サーバントリーダーシップの概念については、協会理事長の真田が講師を担当いたしました。
当日は約200名の看護学校の関係者や、病院関係者の方にご参加いただきました。





研修後、今回の研修会のご担当者様よりメッセージをいただきましたのでご紹介いたします。
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大変貴重なご講演をいただきましてありがとうございます。
また、樫原理恵先生の経験豊富な看護活動の中でのお話も大変学びが多くあり、まだまだ沢山の内容をお聞きしたいと思いました。
参加された方々のご意見でも「もっとお話が聞きたい」「ぜひ講演に来て頂きたい」という声がありました。
今回の研修会での学びは、それぞれの病院、学校で人材育成や組織の活性化に役立つものと思っております。誠にありがとうございました。
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サーバントリーダーシップの普及を推進している当協会としては、引き続き、今後も医療に携わる方々を応援していきたいと考えております。

【活動報告】社会福祉法人 千葉県福祉援護会 「職場で活かすサーバントリーダーシップ」講演(11月25日)

2018年11月25日(日)社会福祉法人 千葉県福祉援護会にて「職場で活かすサーバントリーダーシップ」をテーマに、協会理事長の真田が講演をさせていただきました。





社会福祉法人 千葉県福祉援護会様より、「サーバントリーダーシップを学び、今後の職場でのチームづくりにつなげて行きたい」というご依頼を頂き、今回
障害者支援施設・特別養護老人ホーム・保育園勤務の管理職を対象に「職場で活かすサーバントリーダーシップ」というテーマで講演をさせていただきました。


講演後、教育事業部 部長 岡本 弘子様に施設の教育方針についてお話をお伺いしました。


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社会福祉法人 千葉県福祉援護会の教育方針は、研修をして資格を取る→利用者様へのサービスが向上する、だけではなく5年前より「ひとりの人間としてどうあるべきか?」という事を大事にしています。
直接利用者様と関わりを持つので、「人として豊かな人生を送ってほしい」、「人として大きく成長して欲しい」という事も教育方針に取り入れ、そのひとつとして男性社員だけが参加できる「男塾」や、女性職員への「女子力UP講座」などの研修会を実施し、人間教育に力を入れています。

また、基本方針のひとつに『お互いに相手を慈しみ、相手のために尽くす「利他の心」を持って全員参加型の経営をめざします。』とありますが、「利他の心」が、まさにサーバントハートそのものだと思います。
福祉=利他の心。
利他の心がなければできないのが、福祉だと思っていますので引き続き人間教育も大切にしていきたいと思います。
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今回受講された、千葉県福祉援護会の皆様が、現場に戻りサーバントリーダーシップを少しでも意識し、実践していただけたら、こんなにうれしいことはありません。これからも当協会は、社会に貢献できる組織創り、そして活力のある社会創りに少しでもお役に立てるよう、活動を続けてまいります。



サーバントであれ 奉仕して導く、リーダーの生き方_第一期第5回(通算第93回)東京読書会開催報告

日時:2018年11月16日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー(麹町)

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントであれ 奉仕して導く、リーダーの生き方」(野津智子訳、英治出版、2016 年)の東京読書会では、今回、第3章「リーダーシップの危機」を会読しました。1976年にグリーンリーフが書いた小論です。その当時、米国では若者の大学進学率が約50%に及んでいました。20世紀の初頭、ごく少数の人間だけが大学に進学していた時代には、およそ想像できない状況に、わずか数十年で到達したのです。そうした時代、若者の間には、「リーダーになるのは割に合わない」という空気が蔓延しました。グリーンリーフは、このことをアンチ・リーダーシップワクチンが投与されたような状態と表現しています。この論文はそうした時代への警鐘で、執筆の8年後の1986年に著書にまとめられるのを機に、グリーンリーフ自身による振り返りの一文が論文冒頭に添えられる彼にとっても思い入れの深い論文です。1986年の追記を含めて論文全体を会読し、参加者による活発な討論が行われました。(今回の会読範囲 p.143~p.167、12行目、この章の最後まで)



【会読内容】
《はじめに -グリーンリーフによる1986年の追記-》
・この小論はもともと1978年に書かれたものでした。グリーンリーフはその8年後の1986年に、著作集にまとめられるのを機に序文ともいうべきコメントを付しています。原著で2ページ強、邦訳で5ページ弱の分量ですが、グリーンリーフの晩年の8年間での彼の思索の深まりを垣間見ることができます。


・グリーンリーフは、前述の8年間の間に大学生活の質のあり方を左右する要素が、他の組織、たとえば政府機関や企業などと大きくは変わらないという確信を深めました。そこから導き出されるのは、企業についてのリーダーシップの原則が大学にも当てはまるというものです。


・その前提で、グリーンリーフはリーダーの説得力が効果を発揮するのは、組織が大きな夢を実現しようとしていること、夢が全面に出てリーダーがその考えのサーバントであることだと断言しました。組織を変え人々を団結させるのは、人ではなく、夢や未来展望であるビジョンであるという考え方です。


・そして、ビジョンの下で人々が団結するには目標を高く持って人々のつながる力を上げていくエネルギーを増やすことが重要だとしたのです。逆に現代はそのエネルギーが不足していることがリーダーシップが危機の本質だと考えていました。8年間の思索の中で、ピーター・センゲの「共有ビジョン」すなわち「地位を問わず、個人がこの夢を自分のものと主張すること」という考え方に触れたグリーンリーフは、共通の夢の実現に多くの人が参加し、多くの議論と修正を重ねて、総意をもって目標に進むことの重要性を強く認識したのです。


・その結果、現代の大学の危機について「至る所にある自由―大学の場合なら学問の自由―の代償が責任であることを教授陣が受け入れなかった」ことにあると述べました。この責任とは「夢を形にするときの自分の役割を意義深いものにする機会に、絶えず敏感であり続ける責任」ですあり、「夢に参加しようという賢明さを持っている限り存続する義務」でもあるのです。


・リーダーシップの重要な側面として、グリーンリーフは最高の成果を上げるために「強力な共通ビジョン」があるかどうかを挙げました。そして、リーダーの要件とは、「強力な共有ビジョンを生み出し維持する責任を、重要な義務として広く受け容れてもらうだけの説得力を、(中略)持ちうること」と宣言したのです。


・グリーンリーフは共有ビジョンが出現することを賞賛し、これが出現する社会ではすべての個人心からの経緯が示され、主要リーダーとその配下のリーダーが「われわれは今、何をしようとしているのか」と投げかけると説きました。


《元の小論(1978年)》


・グリーンリーフは、1978年のオリジナルの原稿で、「現代のリーダーシップの危機には、前例がない」と過激なことばで問題提起を開始しています。


・この小論が書かれた20世紀後半は、それ以前のわずか100年足らずの間に、社会と社会を構成する組織が極めて大きくなり、リーダーシップが危機を迎えていると訴えたのです。共同生活の質の深刻な低下がリーダーシップの失敗に端を発していることを指摘しつつ、この危機の原因について彼自身の考えを述べていきます。


リーダーシップの準備に対する怠慢


・20世紀初頭の米国では大学が独自の地位を築いていました。大学入学者が増えて、従来の学問の府という役割に公務、すなわち社会的役割が追加されだした頃のことです。しかしそこから半世紀と少しを経た1970年代には米国の進学率は50%となり


(注)、リーダーシップの危機が蔓延しているというのがグリーンリーフの見立てです。
(注)日本の男女合計の4年制大学進学率は、1962年/10%、1976年/27.3%で、2009年に50%に達した。


・激動の1960年代、大学は若者に「反(アンチ)リーダーシップワクチン」を投与していると非難されました。学生数の減少から財政難に陥った1970年代も、引き続き大学における「リーダーシップの準備」に問題があることについて、これは社会全体に起きている問題が大学でも起きていることを示すものだと指摘しました。


・なお、グリーンリーフは、ここの記述で、リーダーシップのトレーニング(training for leadership)ではなく、よりきめ細かいプロセスである準備(preparation)ということばを使っていることに、読者の注意を求めています。


影響力についての新しい認識


・第二次大戦以来、影響力の乱用という側面から批判が増え、影響力がもつ問題点は複雑化しているとグリーンリーフは指摘しました。彼が大学を実施に調査して、教授陣が次のように考えているのではないかと推測しました。すなわち、企業や学校などの「組織」には価値があり、社会に不可欠ながら、いずれもが社会に対する奉仕が不足している。それは責任がシステムという抽象的なもので捉えられ、最高指導者の能力が欠けているためであり、その結果、リーダー、フォロワーともに傷ついている、というものです。


・リーダーの準備という明らかな義務を大学が妨げているのは、グリーンリーフが考える影響力への懸念ではないかと仮説を立てたグリーンリーフは、その影響力について洞察を進めました。


三種類の影響力


グリーンリーフは、影響力をリーダーの行動の分類の一つとして、影響力を挙げ、それについて深く洞察を進めます。


①強制力
・「”強制力“は、自分の意志を他人に押し付ける許可を与えられている(あるいは当然だと思っている)人がいるために存在する」 グリーンリーフは、かなりきつい言い回しの一句で意見を開陳しました。「自分の関心の対象がどこにあるのかを見定めるのがますます難しくなっている人生」において、強制力の概念も複雑化しました。またその複雑さの陰で「理想的な側面の下に隠された強制力が、高い教養を持ち、崇高な目的のために意欲的に活動する人たち」による強制力の行使が問題を一層見えづらくしています。高い教養を誇る人たちの崇高な目的での強制力の行使が、条件次第では市民社会の破壊的な暴力を大規模に生じさせる危険性がある、と指摘しています。


②操る力
・グリーンリーフは「人々が操られるのは、もっともらしい理屈によって、十分には理解できていない考えや行動へと導かれるとき」ではないかと人を操ることについての彼の意見を述べました。未来の道筋を決めていく際に力のあるリーダーは、いろいろな選択を直観で進めることがありますが、現代ではそこにきちんとした説明がもとめられるようになりました。


・多くの人が「意識的な論理には必要以上に高い正当性があると見せかける世界」を知っており、リーダーとフォロワーの相互不信のもとにもなっています。グリーンリーフは、この相互の不信の暗雲を払いのけることがリーダーの重要な責務と訴えます。


③影響力としての説得
・グリーンリーフは、彼の辞書において「望まれる行動や状態を無理に引き起こすこと」と書かれた「説得」を、強制や操作と異なるプロセスとして使いたいと訴えます。それは、「人というのは、ある考えや行動が正しいことを自ら直観した瞬間に説得される」という彼の考えに基づきます。


・説得が成立するには説得される人が直観力で理解するというステップを踏むために時間がかかります。またリーダーとフォロワーの相互の信頼と理解が土台にないと成立しません。


新たな夢が必要である
・「組織を素晴らしいものに変えていくのは、“私(頂点に立つリーダー)”ではなく、“夢(ビジョン)”である。“私”は夢より下位にある。“私”は、その取り組みに関わる他のすべての人と同様、考えのサーバントなのだ」とグリーリーフは訴えました。


・「リーダーシップの技術としての説得は、夢そのものに説得力があってこそ、可能となるのである」というのが彼の信念です。


大学にとっての大きな夢
・グリーンリーフは、現代(1970年代)の大学が夢(ビジョン)を持っていないことに強い危機感を持ち懸念を表明しています。


・「一般教育を受けていれば、リーダーシップが育ち、フォロワーとしての判断力も身につく」といった言説は、むしろその逆である」とグリーンリーフは言います。そして大学の学位は、良い職業に就くためのパスポートと化していると批判しました。


・グリーンリーフは、マイノリティ教育への注力などの証拠を示しながら、大学組織が義務を果たしてきたことにも言及しています。その中で上記のような指摘をするのは、「大学は早急に大きな夢を持つ日宇町がある(中略)小さな夢では十分ではない」と考えるからであり、大学の根本的な変革に期待を寄せています。


希望への基盤
・グリーンリーフは、前に指摘したような事態について、大学が財政難に直面してさまざまな活動が思うに任せないことが原因の一つであると理解しています。しなしながら、そのような状況の中にあっても、大学が持つ強みである学問の自由と教授の終身在職権の存在は、課題解決の「救いをもたらすレムナント(残された者)」となると指摘しています。


・「救いをもたらすレムナント(残された者)」の役割を担う数人の教授が、それぞれの自由になる時間に自発的に活動を始める。最初は反対や敵対といった目に合うだろうが、志を同じくする者の意志がやがて大きな力を持ち社会を変革していく、というのがグリーンリーフの描く未来像です。


・グリーンリーフのこの予言は、彼自身が若いころに大学生として、指導教授から受けた助言によって自身の世界を切り開いた経験から打ち出されたものです。当時の米国での大学教員50万人の内、0.1%の500人がこの課題に取り組むだけで変革が起き、「リーダーシップの黄金期が埋まるだろう」と主張しています。グリーンリーフはその手引き書として「サーバントとしての教師」を書きました(注)
 (注)Teacher as Servant (The Greenleaf Center, 1987.邦訳なし)


・小さく始まった活動は、やがて世の中の理解を得て、米国の「人口の半分を占める人格形成期の若者たちに接する責任を認識」し、それに応じて大学の目標やカリキュラムが変わることで、社会全体のリーダーシップの危機が解消すると予想しています。それによって大学は、かつての人々への啓蒙的な影響力を取り戻し、私たちの暮らす組織社会の中心になるだろう、と述べてこの小論を終えました。


【参加者による討議】
・グリーンリーフは、彼のサーバントリーダーシップに関する活動の最盛期、すなわち1960年代の末から1970年代にかけて、その時代の特徴として「リーダーシップの危機」が迫っていると警告し、世の中が若者に「アンチ・リーダーシップワクチン」を投与していると非難している。今回の章には「リーダーシップの危機」ということば、「アンチ・リーダーシップワクチン」ということばが何度も出てくる。社会のどういった現象であるとか動きがアンチ・リーダーシップワクチンの投与となるのか、少し意見を交わしてみたい。


・時代背景が大きいのではないか、第二次世界大戦の勝利により1950年代を中心に繁栄を謳歌した米国も内部に多くの矛盾をはらみ、1960年代、70年代と徐々に陰りが見えてきた。ベトナム戦争が泥沼化し、最後は敗戦に終わり、大統領が選挙不正に直接関わったウォーターゲート事件などが典型だ。当時の若者にはフラワーチルドレンと呼ばれ、ある種、社会に背を向けるヒッピー文化も花咲いた。


・当時はすでに実力主義がうたわれ、政府機関や企業などのリーダーは知識や判断力で劣った人物ではない。1960年代後半の国防長官のロバート・マクナマラ(注)はOR(オペレーション・リサーチ)の生み の親としても知られており、米国、ある意味では世界で最も優秀な知性だった。そんな人物に指導されたにもかかわらず、アジアの小国に過ぎなかったベトナムとの戦争は簡単に終わらなかった。戦争は泥沼にはまり、旧ソ連による北ベトナム支援があったとはいっても、米国は物量で圧倒していたにもかかわらず、最後は敗戦による撤退に終わった。ここに生じていたギャップが何なのかを確認することは、リーダーシップの本質を究明する良い材料であり、重要なカギとなるように思う。
 (注)1916年9月26日~2009年7月6日。米国陸軍からフォード自動車に招聘されたが、直後にケネディ大統領に誘われて政府機関の要職についた。ケネディ、ジョンソン両大統領下で国務長官を務めた。


・この小論が書かれた1970年代後半は、1950年代のアメリカンドリームは喪失し、米国社会を形作っていたさまざまな価値観は確実に崩壊していたと思う。その迷走は現代に続いているのは間違いない。ピーター・センゲが「学習する組織」という概念を提唱してから四半世紀が経ったが、社会全体としてはそれを実現しているとはいいがたい。


・自分の勤務先を見ていても職場のリーダーがフォロワーである部下を牽引するというスタイルが変わってきている。自分の周囲を見ても力(ちから)で引っ張るという感じではなくなっている。ここで、従来型のリーダースタイルを強要すると、アンチ・リーダーシップワクチンが投与されたような反応になるのだろうと思う。翻って言えば、本格的にリーダーシップスタイルを変革するチャンスなのだろう。


・グリーンリーフはこの小論で、夢あるいはビジョンを描くことの重要性に何度も言及している。普段あまり意識しないが、ビジョンを描くことはリーダーにとってとても重要でありながら難しいことなのだろうか


・いささか卑近な例だが、この秋から池井戸潤原作の「下町ロケット」の新編(注)が放映されている。ドラマの主人公の中小メーカー社長の主人公が、部下に自らの夢とその実現のための方針を語り、そこに部下が一体化しているシーンが何度も登場する。ここで社長と部下を一体化させているのは、会社の利益や自分の給与ではなく、社長が描く未来、すなわち夢でありビジョンだと思う。テレビドラマ上のフィクションではあり誇張や現実にはないストーリー展開があるが、リーダーが描く夢のあり方を端的に表現しているように感じている。
(注)池井戸潤(1963年6月16日~)、大手メガバンク行員経験を生かした経済小説など。下町ロケット~ヤタガラス編」は2018年10月からTBSで放映。


・米国の経営は、組織もタテ、ヨコに機能を分けた分掌と職階をはっきり分けて、事象についても論理的な分析を行うことを好んだものになっている。日本型経営では、従業員の勘定を重んじて理屈で語れないような決断や家族的な調和をベースとしたものごとの進め方を採ることがある。1980年代後半からしばらく、この日本型経営に米国社会も注目していた。社員旅行や運動会などのイベントは、当時も多くの批判があったが夢やビジョンを含む意識の一体化にはとても有効だったと思う。


・文化人類学者でありKJ法という思考方法の開発で有名な川喜多二郎氏に「生きがいの組織論」という著作がある。欧米の組織が機能に視点を置いて大規模化していったことに比して、日本は近代になっても大規模な組織においても個人の感性と個人間のつながりを重視する小集団での活動を継続していたことを独特のものとして挙げている。
 (注)川喜多二郎(1920年5月11日~2009年。地理学、文化人類学者。フィールドワークの情報整理と 発想の拡張を目的として開発したKJ法で有名。「生きがいの組織論-組織の中の集団と個人」(日本経営出版、1968年)は、小林茂、野田一夫両氏との鼎談をベースとした共著。


・この小論の中で、グリーンリーフは「(リーダーが)自信をもって”これだ“と言える状態へは、直観に後押しされる(後略、本書p.157)」と書いている。日本型経営のエッセンスが感性にあるとすれば、日本型経営がみせるリーダーシップには普遍性があるのかもしれない。


・直観と理屈、あるいは論理を対比すると、ある思考や概念を広めていくには論理、つまり理屈で詰めていく方が勝っている。もちろん論理だけ、つまり理屈だけでは人を動かせない。一方で優れた直観には優れた論理構造が内在していると感じる。共感を広めるには、共感の対象を論理化、文章化していかないとうまくいかない。


・今、言われた共感の対象がビジョンであり、将来におけるビジョンが夢となるのではないか。これを周囲が正しく、わくわくした心で理解できるように導く力がリーダーシップということか。


・昨今の日本の家電メーカーについて、「デバイス(機器)はつくれるがものがつくれない」という言われ方をしている。この場合のものは機器と同義の機械製品ではなく、それを利用した生活のシーンを作れないということだ。ビジョンがないままに機械の性能を向上させることだけに力を注いだ結果であり、今日の凋落の大きな一因であると思う。


・かつての日本は、いまの発言にあるビジョンを描けていたと思う。家電製品ばかりではない。これもテレビドラマの話になるが、インスタントラーメンの開発などもその一例(注)。ビジョンを描くにはアートのセンスや発想が必要だろう。
 (注)NHKの朝の連続テレビ小説「まんぷく」。平成30年度下半期放映。福田靖脚本。インスタントラーメン発明者であり日清食品創業者の安藤百福とその妻、仁子(まさこ)の半生をモデルにしている。


・グリーンリーフは1960年代から70年代にかけて、そのことを提唱していた。彼の慧眼に驚かされる。彼こと、まさにビジョナリーだった。


ロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントであれ 奉仕して導くリーダーのあり方」(英治出版)の第6回東京読書会は、12月21日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミー(麹町)で開催予定です。(第三金曜日の開催です。ご注意ください)

サーバントであれ 奉仕して導く、リーダーの生き方 第一期第4回(通算第92回)東京読書会開催報告

日時:2018年10月26日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー(麹町)


ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントであれ 奉仕して導く、リーダーの生き方」(野津智子訳、英治出版、2016 年)の東京読書会は、第2章「教育と成熟」を会読しました。これは、グリーンリーフが1960年11月30日に、第5回隔年職業指導会議でバーナード大学の教授と学生を相手に行った講演の記録で、1962年に発表されたものです。
グリーンリーフが一般向けに発表したものとしては最初期のものであり、彼の思想がストレートに表明されています。「ほかの人に対する愛が満ちている中で自分自身を愛することが、健全な姿勢であり、人生の実現に必要なことです」と訴えるグリーンリーフの主張は、講演から60年近く経た現在も、広く通用するものであり、彼の思想のもつ普遍性が良く分かります。
(今回の会読範囲 p.113~p.141、11行目、この章の最後まで)





【会読内容】
・講演の冒頭、グリーンリーフは、人間の成熟とは最高の自分になるという言葉とのつながりがあり、それを促す大きな力としての教育、とりわけ一般教養教育が重要であること、人はさまざまな経験を通じて成熟すると考えていると述べて、「教育と成熟」について語り出しました。


・グリーンリーフ自身は、成熟について、最初からことばを重ねて定義することを避けて、“芸術とは何か”と問われた建築家のフランク・ロイド・ライトが、アンデルセンの童話を朗読し、その朗読を終えて、ひとこと「これが芸術です」と語った逸話を披露しました。
その上で、成熟へのプロセスが一人ひとり異なる中で、その共通の土台として意味を探りたいと、この講演の意図を付け加えています。



・彼が成熟に関して学んだ中で最も重要なこととして、「自分を独自の存在にするものが現れ、十分に育つことに、私たちは生涯にわたって最大の関心を傾けるべきだ」と訴えます。彼自身はこのことにたどり着くのにたくさんの遠回り、「やる気が削がれて前向きに対応できなくなる苛立ち」になんども直面しつつ、苦労して学んだと語っています。



・グリーンリーフは、すべての人の人生はエゴを強くする経験とエゴを壊す経験がミックスされているとして、「成熟とは、エゴを破壊する経験に耐えられること、そしてエゴを強くする経験をしているときにバランスを崩さないこと」と定義しました。
彼は非凡な経営手腕を発揮した組織を研究すると、常にそこに部下の隠れた才能を開花させ成長させる有能なマネージャーがおり、ミスによる不本意な事態にも動じずに、その経験から学んでいることを発見しました。



・グリーンリーフは、前記のようなミスからも学習することを可能とするために、自己肯定の意識、他者とは別個の「創造の担い手」であることを自覚することの重要性を説きました。
彼は聴衆に対して「自分という人間に対するこの基本的な見方を、決して忘れないでください」と訴えました。



・人間が、子供から大人に成長することに沿って、自己中心的だった世界が外に広がり、外部と相互に影響し合うようになります。
そうした経験を経て育成される、グリーンリーフが言うところの「自分専用の明かり」、つまり、多数の引き出しによって形作られるただ一人のものである自己についての認識をしっかりと持って、日常を創造的に生きることをグリーンリーフは聴衆に求めました。そして、多くの引き出しを作っていくことこそが一般教養教育の要諦(ようてい)であるというのがグリーンリーフの主張です。



・グリーンリーフは、人がそれぞれ暮らしている世界の文化に条件づけられ、その文化の相違がしばしば紛争を招くことに触れました。
そうした中で文化の差異があることを自覚しつつ、かつ人がそれぞれ独自の存在であるために、「引き出し」のプロセスを持つことの重要性を説きました。



・グリーンリーフは、「引き出す力が人生に関わる重要なものとして生じたら、しっかり取り組むべき大きな問題が四つあります」と述べています。それに加えて「一生の仕事を選ぶときには、第一の目的として、従事する仕事において自分を独自のものとするものを見つけること」と訴えました。それを目的としないと、うつろな存在になると、T.S.エリオットの「可能性と実在の間に/理想と堕落の間に/抜け殻は存在する」という詩の一節を引用して警告しました。
 (注)T.S.エリオット(1888年9月6日~1965年1月4日)英国の詩人、劇作家。



・前記のように訴える中で、四つの問題の第一番目として「重圧と責任によって引き起こされる結果」が挙げられています。グリーンリーフは、仕事には可能性を広げる場合と制限を設けてしまう場合があること、さらに大きな重圧に耐えることで引き受けられる責任が重くなるにつれて、現状に甘んじることなく更なる努力で視野を広げる必要が生じることを指摘しました。
そして聴衆に周囲を理解することと理解を追求する知的探求を行うことの重要性を説きました。
グリーンリーフは、自身の達成感についてウォルト・ホイットマンの「大道の歌」を引用しています。
「さあ、十分に理解しよう-ものごとの本質として,/何であれ、どのような素晴らしい成果を収めようと、/さらに苦しい努力を必要とすることが必ず出てくるだろう、と。」
 (注)ウォルト・ホイットマン(1819年5月31日~1892年3月26日)米国の詩人、随筆家。



・二つ目の問題点は「基準に従って行動することと、本質的な自己であることの葛藤」と述べています。



・私たちの日常は、周囲と協調することに反発すると物事が進まなくなることは言うまでもありません。
物事への組織的な取り組みには、多くの場面で関係者が「折り合い」をつけることを余儀なくされます。



・グリーンリーフは社会の中での協調の必要性は認めつつも、本質的な自分について理解しないままだったり、自分が外部と協調することの意味を理解しないまま、周囲と折り合うことによって、自分のアイデンティーを喪失したり、自分が大切に思っていることに周囲が気づかず敬意が払われないことがある危険性を説きました。



・三つ目の問題点として、「重要な物-地位、財産、成功という厄介なもの-を求めて必死になること」が挙げられています。
私たちは長い期間与えられる学校教育の中で、学校教育での成果を上げることが目的化してしまいがちです。そのことが影響して社会に出て企業などの組織に所属した時に問題が出てくることがあります。
現代は、すべての組織の仕事に、それに関わる人が個人的な意味を見つけるようになっています。
グリーンリーフは、それぞれのひとがそれぞれの仕事の意味を考える際に、その仕事を遂行することがその人の成熟につながるかどうかを「自分にとって意味のあるものを、たとえ何か強い力によって否定されるように思える状況であっても、見つけられるようになる」ことが必要であると主張しています。



・私たちが一人ひとり自分の内側に持つ種、これが発芽して成長する状況をもたらすものをグリーンリーフは「探究(Search)」と呼びました。
そして探究が不十分で、手に入れられる選択肢を受け入れられないために、むなしいものに終わった人生が歴史のあちこちに垣間見えると述べています。探究の一例としてナサニアル・ホーソーンの「人面の大岩」 (注)を読むように勧めました。
 (注)ナサニエル・ホーソーン(1804年7月4日~1864年5月19日)米国の小説家。代表作「緋文字」など
   善悪、罪などの宗教色のある作品が多い。「人面の大岩」(竹村和子訳、国書刊行会、1988年)



・ニューイングランドのある村には、人の顔のような大岩があり、いつかその顔に似た人が現れて、村に幸運をもたらしてくれると信じられていました。外から来た人にそのような期待が寄せられましたが、実現しませんでした。ついに現れた岩に似た顔の人は、その村に長く暮らしてきた人だったという寓話です。



・グリーンリーフは、この寓話について、町が人を象徴していると解釈しました。自分の中にありながらまだ表に現われていない性質を出現させるために外部の刺激を求めること、つまり能力や可能性の開花を外部に委ね、性質が現れないことを外部の責任にするという態度への批判を表明しました。
そして、「本当の探究者」であれば、外部にこだわらずに自分の人生をしっかり観察して、「気高く生きることを目の前で実践してくれている人に(中略)生き方を変えられるもっと若いうちに、気づくこともできたはずです」と訴えたのです。
併せて、昔からの考えにとらわれて、本心から求めているものではないものを追い求めてしまう虚しさにも言及し、「(そのような姿勢を見せる自分と同世代の)彼らが、具体的過ぎる(そのために)意味のない目標を捨てて、独自の個性を開花させられたらいいのですが」と述べました。
これはそのまま、この講演の聴衆に対する願いでもあったでしょう。



・「組織にも、人々の集合体にも意味はありません」とグリーンリーフは言い切りました。その一例として、次の話を挙げました、
1930年代の不況の真っただ中、ニューヨークで貧しい自動車に乗って教区の活動に従事していた牧師が信徒たちからもっと品位の増すような車に乗ってほしいといわれたときに、牧師が立ち上がって「みなさん、人間に品格をもたらす車などありません。人間が車に品格をもたらすのです」といって話を収めたという逸話です。



・四つ目については、「大きな問題」として「成長に欠かせないものと向き合うこと、すなわち個性を引き出すプロセスを受け入れること」を挙げました。



・この問題を分析していく中で、グリーンリーフは、現代の英米で使われなくなった entheos (エンテオス)ということばを「今一度、当たり前のように使われるようになったら良いのに」と感想を述べています。



・この単語はenthusiasm(熱意、熱狂)と語源が同じですが、enthusiasm が表面的な熱意のニュアンスがあることにくらべて、entheos は「内に神を持っている」という精神性の深い意味があります。グリーンリーフは、このentheos を「意欲をかき立てられた人を実際に行動させる力」という意味で使うとして、このことば中心に成長の概念を語っていきます。



・グリーンリーフは、成熟が最高の自分になるという意味において、それを望む人は、entheosを自分専用のあかりとして、複雑で重圧のある、一方で創造性を発揮でき希望に満ちた世界を進むことが重要と述べました。
彼は entheos について「人生を前向きにするもっとも重要なもの」と定義しました。グリーンリーフは、このことをウィリアム・ブレイクの詩の一節を引用して説明しています。
「もし知覚への扉が取り払われたら、あらゆるものが/ありのままに、無限のものとして、人々の前に現われるであろう」



・個人の内面に存在する entheos は外部の刺激では生まれません。人が意図して行えるものは探究のみであり探、探究もその人それぞれの方法で、自分だけの道を見つける必要があるというのがグリーンリーフの主張です。



・そして「意欲をかき立てられた人に実際に行動させる」場合において、entheos 以外に、人を行動に駆り立てる誤解を与える「標識」について言及しました。それらは、「物質的に成功している状態」「社会的に成功している(状態)」「求められることをすべてやる」「家族の成功」「相対的な平安」「忙しさ-取り憑かれたように忙しくすること」です。これらを成長の証(あかし)として誤解されやすい指標だと指摘したのです。



・その反対に、「entheosの本当の成長につながる標識だと」グリーンリーフが思っているものの一番目は、「現状に対して同時に生まれる満足と不満足」です。現状に耐えがたい不満足を覚えず、といって、ずっとこれで良いと思えるほどの満足でもない状態。これが重要な問題を深く考え、視野を広げ、目的意識を高める機会を提供します。そして人の関心はうつろうものであると、グリーンリーフが敬愛するロバート・フロストの詩の一節を引用しました。
「はるか遠い昔のこと、/森のなかで道が二つに分かれていた。そして私は-/私は、人があまり通らない方を選び、おかげでこんなにも豊かな人生を歩んでこられたのだった。」



・さらにentheosの力によって、人は自ら仮面をつけて自らを飾ることを避けて、ありのままの姿を見せるようになり、自らを偽ることでの無駄を排除し、平安な心を取戻すことができます。



・entheosの本当の成長につながる第二の鍵について、グリーンリーフは次のように述べました。「“仕事-どれほど単調な仕事であれ、あまり認められていない仕事であれ-を通して、基本的かつ個人的な目標を実現できたという達成感”が強まっているかどうかです」



・グリーンリーフによれば、社会的地位はあくまで社会的地位であり、その高低は個人的な目標の達成の要素ではありません。個人の目標達成のために地位を求めると、逆に達成のチャンスをふいにしてしまうと指摘しました。



・自らの居場所で達成を目指すことで、「“統合性(ユニティ)”-人生のあらゆる側面が一つになる感覚-が生まれ」、仕事や家族、地域などすべてがまとまって調和のとれた人生が送れるようになり、それぞれの活動について、別の活動に移るという感覚がなくなり、自分にとって重要な活動だけを選択するようになります。entheosは自分にとって不要な活動を、不要として受け入れない力を与えます。



・entehos成長の鍵は、「“人に対して豊かな見方をしている”かどうかです」とグリーンリーフは述べています。これによりあらゆる人への信用、信頼、愛情が生まれ、他人というものが自分にとって利用、競争、判断の対象ではなくなり、人間関係が利用から尊重へと変わります。「ほかの人に対する愛が満ちている中で自分自身を愛することが、健全な姿勢であり、人生の実現に必要なことです」とグリーンリーフは聴衆に訴えかけました。



・グリーンリーフは、「entheosが育っているかどうかを示す究極の判断基準は、一体性(ワンネス)と全体性(ホールネス)、そして正しさを直感的に感じられるかどうかで(中略)entheosが成長していることを保証する、確かな基準」と主張しています。



・大学生も聴講しているこの講演の最後にあたって、グリーンリーフは、適職と自分の独自性を引き出すための注意点を整理しました。
- 仕事を得ることを目的とする職探し、報酬を判断基準とする職探しはやめること。
- 自分の可能性を育てて開花させることが人生の目的であること。
- 自分のスキルや能力に合っていることを仕事の選択基準とせず、自らの可能性に挑戦していくこと。
- どのような仕事からでも自分を豊かにするものを生み出していくこと。



・そして目標は「何になる」という観点ではなく「どんなことを成し遂げるか」という観点で語るように呼びかけました。何になるかは自分にはもちろん誰にもわからないことであり、成し遂げるべきことに注力することで、何者かになることは「人生の最もワクワクすることの一つ」であり「実際に自分が何になったかがわかり、まだまだ成長すると気づいたときには、目を見はることでしょう」と訴えて、この講演を終えました。



【参加者による討議】
・全体を通してグリーンリーフが自分を探求することの重要さを指摘したことが強く印象に残っている。その前提として、「自分が個人として大切な存在であるという意識を持ちつづけること(邦訳p.117)や「自分には専用の明かりがあるのだ」(邦訳、p.118)というフレーズが印象深い。この二つのフレーズは、自己の探究という行為に直結すると思う。



・自分が何者であるかという認識は、同時に自分の特殊性の認識でもある。自己の形成は、それまでの経験や生きている社会の文化、あるいは当人が負ってきた責任といった要素に基づいている。一方で、自己の形成が外的刺激に過度に影響されるなど、自分の存在を形作るときに芯を失うようなことは避けたい。



・今、語られたことがしっかりとした自己の探究が必要ということにあたるだろうか。その基盤として自己肯定感を持つことの重要性があるように思う。



・ナサニエル・ホーソーンの「人面の大岩」が引用されているが、そこに関連して、グリーンリーフは「人間の外面的な特徴は、生き方によって生み出されるものである(ことに人々は気づいていませんでした)」と述べている。他者について外面的な特徴だけを見て、その内面までをひとりよがりに判断するのではなく、その外面的な特徴がどのような理由から現れているのかということに目を向けないといけない。それが自分を含めて人に対する探究となるのだろう。



・全般を通して読み進める中で、米国オハイオ州立ケント大学でキャリアカウンセリング論を研究、教育しているマーク・サビカス教授を思い出した。サビカス教授は変化の激しい時代にあった「キャリア構築理論」を提唱しているが、彼の理論を学習した中で、自分がこれまでの自分の何かを手放すことで、一歩前に進むことがあることに気づかされた。この小論の根底に同様のものを感じている。



・一般教養は、ともすれば、専門教育の前の簡単な学問範囲という印象がある。多くの大学で1、2年生の教育課程を示すこともあり、軽く見られがちだ。実際には専門的な学際を設けない総合的な学問であり、人、社会、自然といった対象物の真実を見極める学問で、広がりは大きく、奥行きも深い。



・現在、経済評論家として活躍している寺島実郎氏が若いころ、勤務先で中東情勢の分析と見通しの調査を指示されて中東の現場に赴いた。そこで調査を手掛けたが、単なる政治的な構造の解明では到底収まらず、社会、文化、宗教、民族といった多様な要素を深く冷静に分析し、再構築しないと何も解明できないことに気が付いたという。この経験を踏まえた彼の主張は、一般教養、リベラルアーツは趣味的な学問などではなく、死に物狂いで取り組んでやっと何かを得る学問だというものである。



・挑むということか。グリーンリーフも自分に合う、合わないという基準ではなく、挑んでくる仕事に取り組むべしと主張している。どんな仕事でも成功を目指すべきだが、多くの場合、成功の先の金銭的な報酬や出世といったものが最終目的化し、それが成功の測定の基準となっているが、そうでなく自分の内面の変化が目的であるという主張に強く印象付けられている。仕事の成功による外部からの評価を軽視せよということではないだろうが、そのバランスは本当に重要である。



・この小論は最後がとても印象深い。仕事を通した自己の実現のあり方について、深く考えされられる。また本書のp.130では、あくまで人が中心であって、組織、つまり会社などは意味がないとまで言い切っているが、そのことに衝撃を受けていた。



・勤め先では、公務員の管理職として、部下の知識、特質や性質が異なる部署を異動している。現在は、技術系の専門職が多い部署の責任者を務めている。技術者というと特定分野の専門性が強く、他に応用できないといった先入観があるが、個々の技術者の仕事の取り組み方によって、専門性の中に広がりを感じることがある。周囲の状況ではなく、その本人の姿勢次第ということが良く理解できる。



・現在、勤務先が高校生向けに新しいビジネスプランを提案してもらう活動を実施している。未来のイノベーション精神を育てるためだが、高校生をターゲットにすることで組織などのしがらみを考えない自由な発想を期待している。これを通じて高校生達が自己を探求して未来を開拓してくれることを期待している。



・自分が勤める大学ではスーパーグローバルユニバーシティを標榜して、学習をキャンパス内だけではなく、学校の外、海外を含めて学びの場とするように努めている。入学直後の学生には、本学の基盤となっているキリスト教の精神とともに学習を進めるためのスキルを教えて、以後の自己開拓に注力できるようにプログラム化した。学生には自己を深く掘り下げながら社会についても学ぶことを期待している。



・昨今の世の中の動きをみるにつけて、グリーンリーフが60年も前に、問題を認識し提言していたことに驚きと感慨を禁じ得ない。



ロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントであれ 奉仕して導くリーダーのあり方」(英治出版)の第3回東京読書会は、11月16日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミー(麹町)で開催予定です。(第三金曜日の開催です。ご注意ください)

「第4章 企業における サーバント・リーダーシップ」第18回大阪読書会 開催報告

10月25日(木)、第18回 大阪読書会を開催いたしました。





大阪読書会では、ロバート・K・グリーンリーフの書籍「サーバント・リーダーシップ」を、ご参加いただいた方々と会読しています。


ひとりでは読み進めづらかったり、理解することが難しかったりすることも、参加者同士が感想や意見を、自由に交換し、学びを深められるところは、読書会に参加するメリットのひとつです。


そして「サーバントリーダーシップ」に興味を持ち、もっと学びたい!と思う仲間との出逢いもあります。


今回の読書会では、「日頃のリーダーシップについての悩みや、ご自身が感じていること」を共有していただいた後、第4章の「企業における サーバントリーダーシップ」を読み進めていきました。


ご参加いただいた方からも「自分ひとりで読んでいたときには、気づかない点に気づくことができてよかった」、「内容が今の時代の問題や課題に近しい内容で驚かされた」などのご感想をいただいております。


次回は11月21日(水)19:00~です。
大阪のみなさまのご参加をお待ちしております。
※途中回からのご参加も大歓迎です!


お申込みはこちらから
http://www.servantleader.jp/seminer_app.html#id826

「サーバントであれ―奉仕して導く、リーダーの生き方」
第5回東京読書会(通算第93回)

開催日: 2018年11月16日(金)
時 間: 19:00~21:00

会 場: レアリゼアカデミー
     ※6/4(月)よりオフィスを移転致しました。
      会場は麻布十番(旧オフィス)ではありませんので
      ご注意下さい。

住 所: 東京都千代田区麹町5-7-2 MFPR麹町ビル 3F

 【アクセス】
 四ッ谷駅より徒歩約7分
 麹町駅より徒歩約5分
 赤坂見附駅より徒歩約7分
 永田町駅より徒歩約8分

★地図はこちらから

サーバントリーダーシップの提唱者であるグリーンリーフの2冊目の邦訳である
「サーバントであれ―奉仕して導く、リーダーの生き方」
(ロバート・K・グリーンリーフ著、野津智子訳、英治出版 2016年)を会読致します。

グリーンリーフが提唱するサーバントリーダーシップについて、いろいろな側面からグリーンリーフが著述した著作集です。
みなさんで会読と討論を重ねてグリーンリーフの思いにふれていきましょう。
途中からの参加も可能ですので、お気軽にご参加ください

【範囲】
p.143 1行目 「第3章 リーダーシップの危機」
p.167 12行目「~私たちが暮らす組織社会の中心になるだろう(この章の最後)」迄

参加される方は本書を入手して、上記範囲に目を通してきて下さい。

⇒アマゾンのサイトへ



⇒電子書籍はこちら


参加費用(税込)
◆一般   2,000円 
◆賛助会員 1,000円

「サーバントであれ 」第一期第3回(通算第91回)東京読書会開催報告

日時:2018年9月28日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー(麹町)


ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントであれ 奉仕して導く、リーダーの生き方」(野津智子訳、英治出版、2016 年)の第3回東京読書会は、その第1章「サーバント」の3回目でこの章の最終の会読です。この章は単独の著作として1980年に最初の刊行がなされていますが、1960年代後半から1970年代にかけて、サーバントリーダーシップと名付けたリーダーシップのあり方を考え抜いたグリーンリーフが、そのコンセプトをまとめたものと言えます。とはいえ学術論文や参考書のような記述ではなく、章全体があたかも手紙か随想のように書かれています。しかしながら、その内容の深さは何度も読み返す価値のあるものです。(今回の会読範囲 p.79、9行目~p.111、4行目、この章の最後まで)





【会読内容】
自己再生する組織 
・「人や組織や社会全体が存続するためには、絶えず再生しなければならない。また、人材を適切に使おうと思うならば、ずば抜けて有能な理事を集結させる必要がある」とグリーンリーフは言います。
・グリーンリーフは、さらに、「組織のピラミッドにおいてセミナリーや財団はそうした指導的役割を引き受けて然るべき位置に確かにいると納得できるなら、この二種類の組織が理事を持てるよう、一丸となって努力するべきである」と訴えました。理事たちはセミナリーや財団が教会や大学を支え、教会と財団の影響を受けた「活動」組織が高いレベルの思いやりと奉仕を持続するというのがグリーンリーフの考えです。


統括の「システム」
・グリーンリーフは、セミナリーや財団の理事会統括者がリーダーシップを発揮して、監督者としての理事会の質を高く保つように覚悟させることが重要だと主張します。それによって、大学や教会、教会の関連施設までことに統括の質が維持されるというものです。


説得によるサーバントリーダーシップ
・グリーンリーフは、よりよい社会を築くことへの最も効果的な方法は、献身的な個人すなわち「サーバント」が主導者となることを信条としています。彼は、サーバントや奉仕することの言葉の説明として、「奉仕という行為が、それを受ける人、あるいはそれによって何か変化をもたらされるかもしれない人に対して及ぼす影響」と表現しました。
・グリーンリーフがサーバントリーダーシップの概念を確立した著作「リーダーとしてのサーバント」(注)の中で、彼はサーバントや奉仕について、「奉仕を受ける人たちが、人として成長しているか。奉仕を受けている間に(中略)みずからもサーバントになるかの世が高まっているか(後略)」と定義しています。そして、ここでもう一点、「直接、間接を問わず、奉仕という行為によって、当たり前のように傷つく人が一人もいないこと」という定義を加えて、一部の人の深刻な痛み、犠牲の上に成り立つ正義を退けました。グリーンリーフはその考えによってマハトマ・ガンジー(注)に否定的であり、「リーダーとしてのサーバント」」にも取り上げたジョン・ウルマンを範とすると述べています。

(注)グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井弓子訳、英治出版、2009年)に第一章として本書が掲載されている。

(注)マハトマ・ガンジー(1869年10月2日~1948年1月30日)、インド独立の父として非暴力を訴えた。


・グリーンリーフは性急な変化ではなく、充分な理解納得に基づく変化が重要であるとして、他者に対する説得を重視しています。もちろん、それは強圧的なものや相手をだますという手段によるものではありません。
・他者を傷つけないことがサーバントリーダーシップの要素であるとなると、多くの人は自分にはサーバントの資格がないという自覚を持つでしょう。グリーンリーフもそのように述べ、さらに彼自身が過去に人を傷つけてきたことがあるとも述べています。そのような中で、グリーンリーフは、「問題なのは、今負っているリーダーとしての役目をだれかを傷つけることなく果たすこと、あるいは、誰かを苦しめることなく必要な釈迦変化を起こすことは可能である、と信じていない人がいることだ」と書き、リーダーとして人を導く限り、ある程度の数の傷つく人、苦しむ人が出るのは当然、としてそこを最初から看過することを強く批判しました。
・その批判の対象として、教会でのある事実を上げています。人々を導く重要な組織である教会で、教会の理事がスタッフに対して尊大な態度をとっていることに対して、営利企業ですら経済的な動機とはいえもっと従業員を大切にしていると批判したのです。


権力
・グリーンリーフは権力に関してまとまった意見はなく、断片的な考えをいくつか持っているに過ぎないと告白して、この節を開始しています。
・英国の首相となったウィリアム・ピット(大ピット)(注)1770年の庶民院での「無制限な権力はそれを持つ者の心を腐敗させる」という発言とアクトン卿(注)の19世紀末の「権力は得てして腐敗する。絶対権力は確実に腐敗する」ということばを引用しつつ、この二人が腐敗をどのようなものと考えていただろうかと思いを巡らせます。グリーンリーフの結論は、「私は(腐敗を)“尊大さ”と権力の腐敗とそれに続く“さまざまな弊害”のことだと思っています」というものでした。

(注)ウィリアム・ピット(大ピット)(1708年11月15日~1778年5月11日)英国の政治家で首相。小ピットと称される同名の次男は英国首相としてナポレオンとの戦いを指導した。


(注)アクトン卿(1834年1月10日~1902年6月19日)英国の思想家、歴史学者。祖父は英国首相経験者。


・グリーンリーフは、「サーバントとなる可能性のある若者はなんとかして、権力と、それが行使者と目的に及ぼす影響を意識できるようになる必要がある」と述べています。


競争
・グリーンリーフは、競争を願う人間の衝動が人間性来の性質なのか、あるいは後天的なものなのかはわからないとしつつも、競争が人間社会、文化において必ず存在するものになっていることを指摘して、この節を開始しました。
・その直後に、ある医大で行われた「製薬業界の倫理」というパネルディスカッションに呼ばれたときの話を開始しました。ディスカッションの前に20分間、成約会社がつくったコマーシャルフィルムをひたすら見せられた聴衆は、これに飽きて「これに何の意味があるのか」と怒り出します。グリーンリーフは、それらの人に、これが社会の現象の一つであり、現代(注、本章は1980年刊行)の社会が「“競争が無批判によいものとして受け容れられ、文化に深く根付いてしまっているのに、一体どうすれば人や組織から最上の奉仕を引き出すことができるのか”という疑問に対して、より適切な答えはない」という段階にあることを指摘しました。
・競争(compare)という言葉を現代人は戦う、論争するという意味で利用しているが、語源のラテン語である competere には「一緒に探求する・努力する」という協力関係を意味します。このことを指摘しつつ、今よりも思いやりがあり奉仕し合う社会では競争は鳴りをひそめるだろうとグリーンリーフは予想します。彼は競争と奉仕は正反対のものであるとして、このことについて19世紀後半から20世紀初頭にかけて、相互扶助の思想を唱えたピョートル・クロポトキン(注)を参照するようにと勧めています。

(注)ピョートル・アレクセイヴィッチ・クロポトキン(1842年12月9日~1921年2月8日。帝政ロシア生まれの政治思想家。地質学などの科学者でもある。相互扶助を基本とする無政府主義を唱えて、マルクス主義、科学的社会主義にも批判的姿勢を示した。


・「サーバントは、競争などしなくても強いのだ」というのがグリーンリーフの主張であり、この競争社会において、サーバントがどのようにその務めを果たすべきかに考えを巡らせます。


サーバントリーダーは強いのか、それとも弱いのか
・権力欲の強い人は、前記のような人を傷つけないことを信条とするサーバントリーダーに対して、弱いとか考えが甘いと否定的になりがちです。しかしながら、その人の背後にある奉仕の対象としての組織を考えみるようにとグリーンリーフは促します。そしてサーバントに奉仕された組織は自主性にあふれるようになります。
・「長期にわたって最も強く生産的であり続けている組織は、ほかの点では他と変わらないとしても、組織の目標を支持してなされる自発的な行動が抜群に多い」と述べるグリーンリーフは、その証左として、この小論の前半で述べた大きな成功を収めているX社の話を挙げています(注)。X社が徐々にライバルに差をつけていったのは、創業者が社員のことを最優先に考え、その結果として社員全員すなわち会社全体に自主性があったためだと指摘しています。

(注)私たちは何を知っているのか―それとも知りたくないのか? ①企業(本書p.53)


・グリーンリーフは、会社の最高幹部の方針が社員重視でないときでも、強い管理職は社員重視の姿勢ととることができるとも述べており、さらに管理職は「(社員を守るために)意志の固さや信念や粘り強さという意味で、真実強くなければならない」と激励しています。
・グリーンリーフがサーバントリーダーシップについて、論文や著作を書き出した1970年から、導く、奉仕するということばを使っていますが、それはグリーンリーフが理解する「導く」「奉仕する」という意味合いを通して、「産業の没個性化で失われた尊厳を回復できると思ったから(後略)」というのが彼の主張です。


サーバントという考え方の今後の展開 -いくつかの考察
・サーバントリーダーシップという考え方を打ち立て、リーダーシップと組織構築の問題を述べてきたグリーンリーフは、執筆やその執筆をめぐっての多くの権力者との意見交換を重ねる中で、この社会がもっと思いやりのある方向へ向かって導くのは、現在(1970年代)にリーダーの地位にある人たちではない、という確信を得ました。そのリーダーたちは「偏狭なものの見方」に凝り固まってしまっているからです。
・彼の願いは、若者ができるだけ多くの若者が「意識的な選択によって生き方を決められるようになり、大半の年配者が今日果たしている以上に“奉仕”という役割を担うこと」でした。そこに必要なのは、「ほんの一握りの、ただし覚悟と鋭い感性を持つ教授」、「本物のサーバントであり(中略)基本形というべき”導き方“で学生を導く教授」とグリーンリーフは主張しています。そうした教授は金銭的報酬を期待せずに、自ら前に出てサーバントとなる方法を示すようにと聖書のレムナント(残された者)ということばを使って激励しました。
・「サーバントという考え方がこの先、花開くかどうかは、私たちの中の一部の人―ビジョンを掲げて人々の意識を高めることに、エネルギーを傾け、果敢に挑む人々の肩に、ほぼ完全にかかっている」とグリーンリーフは訴えます。そしてビジョンについて、現代においては個人の予言ではなく大勢のビジョナリーの組織(注)が必要と説明を加えました

(注)原書では、the orchestration of many prophetic visionaries 訳となっており、propheticに「予言的=未来を言い当てる」ということばを使っているが、グリーンリーフには、時間の前後に関わらない「預言的=神のことばを代弁する」の表現意図が強いと思われる。


・これからの社会を築く若者たちに教える人たちに、グリーンリーフは、しっかりとしたビジョンを持って若者に希望を抱かせることを求めました。それにより若者は「貪欲で暴力的で不公平でありながら同時に美しく思いやりがあり支えあっている世界」で豊かに生きること、世界の一部をほんの少しだけ良いものにすることができると信じられるようになると述べています。
・そしてグリーンリーフは、希望の向こうの願望と言いながら、何人かのサーバントが、ビジョンを探し続ける求道者として、コミュニティをまとめ、進化する思いやりのある社会を目指す新たな文化を生み出していくという未来に思いを馳せました。


解放のビジョンについて
・「”心を解き放つビジョン“は人を欺くものである」とこの節の冒頭から刺激的なグリーンリーフの主張が現れます。

(注)人を欺くものであるの原文は、This is illusive term.


・グリーンリーフがサーバントリーダーシップという概念を生み出すきっかけとなったのは、1960年代の後半にヘルマン・ヘッセを読み通し、彼の「東方巡礼」(注)からインスピレーションを得たことでした。

(注)ヘルマン・ヘッセ(1877年7月2日~1962年8月9日。ドイツ生まれのスイスの作家。「車輪の下」や「シッダールタ」などが有名。1946年ノーベル文学賞受賞。


(注)東方巡礼の原書は1932年刊行。邦訳は高橋健二訳が新潮社より刊行(全集の一つとして1957年刊行)、三宅博子訳「東方への旅」が臨川書店によるヘルマン・ヘッセ全集第13巻に収められている(2006年刊行)


・この小説は、旅の一座の召使いのレーオが一座での一番の下役でありながら、一座を支える最も重要な人物であったことをこの物語の主人公は、レーオが一座を去ってから知ることになります。そして再会したレーオが旅の主催者である修道会の長であり、高潔で優れたリーダーであることを知るという内容です。グリーンリーフはこの小説を希望に満ちた作品と受け取り、この作品から彼の最初の著作である「リーダーとしてのサーバント」を書くヒントを得ました。


・グリーンリーフはこの作品との出会いに関して、あるカトリック教会のシスターとの会話をエピソードとして書き記しました。サーバントという考えについて言及した最古の書は聖書であり、旧約聖書にもすでに書かれているが、彼自身がリーダーとしてのサーバントというひらめきを得たのはヘッセを読んで心を揺さぶられたときであった。もしこの書を読んでいなければこのテーマについて書かなかったかもしれないと述べたのです。
・さらにこの小論「サーバント」について、解放のビジョンを受け取り、伝えて、対応することに関わることを記したとして、解放のビジョンに出会うための四つの重要な点を挙げています(以下①~④は著書の記述の一部を省略)
①この世界によってもたらされる経験に集中する。
②その経験に関わる人を受け入れ、彼らの心を動かすものを理解する。
③得もいわれぬ神秘を、おそれ敬い受け入れる。そうした神秘がビジョンにつながる。
④ひらめきによってもたらされるものを受け入れ、それに基づいて行動する。
・グリーンリーフはこの章の最後を彼が見た夢の話で終えています。晴れ渡った夏の日に心を浮き立たせて自転車に乗っていたところに突風が吹き、手にていた地図を飛ばされる。それを拾ってくれた老人が差し出したのは地図ではなく、生き生きとした苗の植わった小さな丸い土のトレイだった。そして、キング・ジェームス訳による旧約聖書箴言29章18節「ビジョンがなければ民は滅びる」、そしてウィリアム・ブレイクの「天国と地獄の結婚」(注)から「今ではすでに証明されていることも、かつては想像がめぐらされているだけだった」という二つのことばが示されて、この章を終えています。

(注)ウィリアム・ブレイク(1757年11月29日~1727年8月12日)は英国の詩人、画家。「天国と地獄の結婚」は彼の初期の詩集で魂の解放を賛美している。





・グリーンリーフは、この小論を書いているときに、教会関連の小規模な大学から、大学の新たな目標について意見を交わしたいという招待を受けたエピソードを追記として書き足しています。その大学がサーバントリーダーシップに対する準備を最優先事項とする、と述べたことに意を強くしたと述べています。
・そして大学に対して、この動きを成文化して、その後の新たな流れを阻害しない方に、とアドバイスしました。こうした事実が発生してきたこと、グリーンリーフは、こうした流れに時代が徐々に進歩していることを感じとりました。「意見が一致し、自発的に行動し、やがてしっかりと足並みをそろえて未来へ進めるよう、サーバントリーダーシップは手助けするのである」というのが、グリーンリーフの追記での結語です。


【参加者による討議】
・今日の会読範囲で、グリーンリーフはサーバントリーダーの要件として「直接、間接を問わず、奉仕という行為によって、当たり前のように傷つく人がいないこと(p.81 ~p.82)」をはじめ、人を傷つけないことについて何度も言及している。そして、「サーバントは、どんな立派な社会目標であっても、急いで達成しようとしない(p.82)」、「説得することをサーバントリーダーシップの重要なスキルとして捉える信念(p.83)」と続いている。実際の仕事を行う上で、実に難しいというか実現しきれない課題だと思う。
・他人を傷つけないことも説得が重要なことも、よく理解はしているが、時間がないときにはやむを得ず、ということが生じてしまう。時間をかければできることもあると思うが、仕事の時間制約が優先してできないこともかなりある。
・自分の場合は、部下が自律的に動いてくれないとき、これは自分の感覚なので、自律的に動いてくれていないと感じるときに、つい口を出してしまう。その対象が部下の仕事の結果に対してではなく、そのやり方や時間配分などのプロセスに口を出してしまうことがあり、これが傷つける要因となるのではないかと思っている。
・その点については、日常、普段のコミュニケーションが重要だと感じる。仕事が求める成果の詳細を共有して、任せられるようにするのだが、その前に相互の信頼関係が築けるように、組織のメンバーそれぞれの良好な人間関係を築くコミュニケーションが重要だ。


・IT企業としてのグーグルは、仕事の環境面の良さで世界一という評価を得たが、同社が掲げる「世界最高のマネージャーの8つの習慣」(注)の最初に、「マイクロマネジメントの排除」と「部下への権限移譲」が書かれている。よいマネジメントを心がけるあまり、部下の一挙手一投足に介入するマイクロマネジメントに陥りがちであるが、マイクロマネジメントというのは結局のところ、部下の頭脳ではなく手足だけを使おうという行為に他ならないと思う。


・ここまでの議論で、「自分のこうした言動が部下を傷つける」とか「こうした行動で傷つけないようにしよう」という感じで、自分の行動を基準にして、べき・べからず論の話が進んでいるが、まず注意すべきは、傷つけるということについて、ある行為で相手が傷ついたり苦しんだりしたか、という相手の状況を基準にして自分の行動に立ち返ることだ。その視点がないと、自分の行動の良否を表面的なところで判断して、自分の内面に立ち入らないことが起こり得る。「何々したからこれで十分」という自己満足の結果を招来しかねない。
・今の話を踏まえると相手の感覚を基準するとなると、結果を事後的に確認することに陥る。相手の感覚を先に見通す直観力を養い、これを信じて判断、行動することが重要になるのだろう。


・JICA(国際協力機構)の委嘱業務でアフガニスタンのカブールで一人駐在として働いた経験がある。危険地域ということで住居にアフガニスタンではないがある国の兵士が護衛に就いてくれた。最初は、日本型の合意形成のスタイルで接していたが、兵隊の方も困惑するなどうまくいかなかった。そのために、明確な命令を下す管理スタイルに変更せざるを得なかった。ときには高圧的な対応となったが、それでよかったのかという思いが残っている。
・サーバントリーダーシップは人を傷つけないという概念ではあるが、これは必ずしも人との接し方が優しいとか穏やかということだけを意味しない。
・過去に日本サーバントリーダーシップ協会で、「近代のリーダーに見るサーバントリーダー」の一人として取り上げた中村哲氏(注)は、長年にわたりアフガニスタンで用水路を築くという地道なかつ重要な仕事を推進している。彼は普段は大変に穏やかだが、規律を守ることについては厳しく、これを維持するためには、周囲にかなり強い態度で出ることもあるそうだ。

(注)中村哲氏(1946年9月15日生)は、医師としてパキスタン、ペシャワールへ赴任したことを契機に、パキスタン、さらにアフガニスタンでの医療と用水路開発に注力中。現在、ペシャワール会現地代表。日本サーバントリーダーシップ協会では、2013年1月28日に開催した「第1回近代の優れたリーダーに学ぶサーバントリーダーシップ研究会」で同氏を取り上げた。




・「心を解き放つビジョンは人を欺く」と述べているが、この「欺く(あざむく)」ということばに引っ掛かりを覚える。解放のビジョンということばは、「偏狭な物の見方」つまり固定観念に基づいてものごとを見ていたのを、その固定観念を取り外して見ることを意味するが、その中で欺くと書かれていることに対する違和感かとは思う。
・「欺く」ということばは、原著では であり、錯覚とか幻想といったニュアンスが出てくる。ここでの「欺く」という訳語には。相手をだますといった悪いニュアンスはないのではないか?
・ビジョン自体が実体ではない仮想としての目に映るものだ。真実の姿が幻影のように自分の映るというようなイメージだろうか。
・グリーンリーフは幼少のころから聖書に親しんでいた。神に選ばれた預言者が示す世界像の物語についても造詣(ぞうけい)と親しみをもっていただろう。


・グリーンリーフは奉仕と競争の関係性についてクロポトキンの「相互扶助論」(注)を読むことを推奨している。クロポトキンは日本では今一つ有名でないところがあるが、こんにちの協同組合の概念形成に重要な役割を果たした。
・協同組合の設立に関して、日本では賀川豊彦(注)が活躍した。冒頭で紹介した、中村哲氏と同じく、日本サーバントリーダーシップ協会の「近代の優れたリーダーにもるサーバントリーダーシップ研究会」で取り上げているのだが、彼は、大正時代、日本が第一次世界大戦とその後の経済成長の中で、資本主義の発達による格差問題、社会の矛盾が著しい状態になった。そうした状態ですべての人を救うための活動だった。
・サーバントリーダーシップの根底には、他者の尊厳を尊重するというものがある。クロポトキンにも賀川にもその視座があった。先ほどの討論ででてきた「誰も傷つかないこと」には、他者の尊厳という視点から考えると、違和感のない話である。

 

(注)ピョートル・アレクセイヴィチ・クロポトキン(1842年12月9日~1921年2月8日)帝政ロシアの政治思想家、革命家、科学者。「相互扶助論」は1902年に刊行され、邦訳は明治時代の幸徳秋水の部分訳を皮切りに、1917年に大杉栄によって訳された。現在、大杉訳が同時代社から刊行されている(2017年)


(注)賀川豊彦(1888年7月10日~1960年4月23日)大正、昭和期の社会運動家。キリスト教(プロテスタント)精神に基づく農民運動、労働運動、生活協同組合活動などで活躍。


・本書の中で、説得することをサーバントリーダーシップの重要なスキルと考える信念を持つリーダーは、勇気を出して前に出て道を示す危険を冒す、という趣旨のグリーンリーフのことばがある(本書p.83)。道を示すことをつい安易に考えがちだが、その責任と危険性を冷静に考えると前に出ることが怖くなる。それを乗り越える勇気を持つこと。リーダーに課せられたとても厳しい役割だと感じる。
・この章は、1980年に独立した著作、おそらく小冊子の形式で発行されたのだろう。1960年代からサーバントリーダーシップについて考え、いろいろと書いてきたグリーンリーフが、彼の思索を振り返ってまとめたもので、サーバントリーダーシップの本質を理解するのにとても良い。スピアーズによるサーバントリーダーシップの10の属性がすべてここに出ている(注)

(注)本書の前書きに当たる「はじめに」は、本書の編集者でもあるラリー・スピアーズによるサーバントリーダーシップの10の属性の解説になっている(日本語版 p.8~p.34)


・この章が著作として刊行された1980年から約40年を経た現代を考えると、企業に代表される社会の組織もいろいろと変化してきた。環境への配慮が企業評価の重要な要素となり、従業員満足度なども普通の指標となってきた。エンパワーメントに代表されるような組織とその構成員を活かす新しい手法も開発され、米国のみならず日本企業も変革してきている。まだまだ道半ばではあるが、グリーンリーフが望んだ社会に向かっている面があることは間違いないと言えるだろう。
・グリーンリーフは、解のない社会で望ましいと考える社会の実現を考えてきた。従業員満足度を重視するX社の事例も今日では、ごく普通のことであるが、40年前はかなり異質な提言だったかもしれない。企業社会が、その利益の意義が問われているという点で、社会としてのサーバントの必要性はますます高まっているように感じる。


ロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントであれ 奉仕して導くリーダーのあり方」(英治出版)の第4回東京読書会は、10月26日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミー(麹町)で開催予定です。

【満席!!!】 サーバントリーダーシップ 入門講座 @東京 開催レポート

10月18日(木)、サーバントリーダーシップ 入門講座を開催いたしました。


この講座は、“サーバントリーダーシップとはなにか?“をみなさんと一緒に学ぶ、初心者向けの講座です。





セミナールームは超満員! 外はひんやりと肌寒い日でしたが、学びへの意欲が高い方々にお集まりいただき、会場は熱気に包まれていました。


ご参加いただいた方からは、「サーバントリーダーについての理解をもっと深めたいと思うきっかけになった」、「次回の企画も参加したい」などの感想をいただきました。


みなさんグループディスカッションにも、積極的に参加されており、日頃感じていることや、講座での気づきを分かち合うことで、より深い学びを得る機会となったようです。





日本サーバント・リーダーシップ協会では、今後も様々なテーマでの勉強会を予定しております。 ぜひ奮ってご参加ください。


<今後の予定>
・10月25日(木) 第18回 大阪読書会
・10月26日(金) 第 4 回 東京読書会
・12月12日(水) 第12回 実践リーダー研究会
お申込みはこちらから ▶ http://www.servantleader.jp/seminer_app.html

【講演レポート】神奈川県茅ケ崎市立室田小学校 様(2018年8月23日)




8月23日(木)、神奈川県茅ケ崎市立室田小学校様にて、「サーバントリーダーシップと教育」というテーマで教員研修を行いました。


当協会は、愛媛大学社会共創学部様とのリーダーシップフォーラムの共催や、横浜女学院中学校高等学校様でのサーバント・リーダーシップの授業など、様々な教育機関の支援を行っています。


今回の講演のテーマは「サーバントリーダーシップと教育」。
教育の現場ではアクティブラーニングなど新しい教育手法が導入されていますが、表面的な手法以前に「先生と生徒」の関係をリーダーシップの観点で見直すという独創的な内容でした。
理事長の真田が2年前に出版した『講師養成講座』では企業教育の現場で講師はどういう存在であるべきか。そのためにどういうスキルが必要かを明らかにしました。
今回は、先生は生徒にとってどういう存在であるべきか。そのためにどういうスキルが必要かをじっくり考えるワークショップでした。


講演後、教員の方々から下記のような感想をいただきました。


リーダーシップの在り方、イメージを根源から見直し、考えさせられた講演でした。トップダウンの構造が決して良い結果を生み出さない現実はよく理解していたものの、自分の教育活動に当てはめて考えた事はありませんでした。慣れ親しんだ活動を継続する事の盲点に気づきました。時代に合った、一人ひとりの子供の思いを大切にする教育活動を心掛けなくてはと反省です。分かりやすく具体的事例を交えたご講演、ストンと胸に落ちました。



小さな世界で過ごしていますので、とてもいい機会になりました。セミナーの後、3冊の本を読ませていただきました。これまでに取り組んだことを振り返りながら、なぜうまくいったのか、なぜうまくいかなかったのかを考えることができました。私たちが相手をしているのは子どもたちですが、集団であることも人であることも同じです。読んで理解したことを、教室や職員室で実践し、まずは時々できるを目指していこうと考えています。世の中の変化に私たちも合わせて変化していけるように取り組んでいきます。






学校の中で、民間の一流の先生の講義はとても良かったです。公的な機関へはボランティア的に出向いてらっしゃるというお話でしたが、大変ありがたいことで、そのようなスタンスがよく伝わってきました。教育は、経済的な社会情勢とつながる部分が多いですが、新学習指導要領の実施、AIの発達、少子高齢化、グローバリズムの進む中でのサーバント・リーダーシップの意義はとても重要であると感じました。「ボトムアップ」は少し知っていましたが、「サーバント・リーダーシップ」は聞いたことがなかったので、内容のタイムリーさを感じるとともに、もっと深く学びたい、知りたいと感じました。現在、本校で実践している部分とつながる部分も多く、とても実のある内容でした。



私はサーバント・リーダーシップという言葉を知りませんでした。「この2時間で何を得たいですか?」の問いかけに…クラスの中でリーダーを育てるためのヒントがあれば…と思いお話を聴いておりましたが、私の想像を越えてとても興味深く勉強になりました。私も『リーダーシップ』と聞くとすぐに支配型リーダーを思い浮かべる方なので、お話を聴いてまず、私自身がサーバントリーダーになる努力をする必要があることに気づきました。集中しない子や感情的になる子の頭の中(心の中)の仕組みが分かって「目から鱗」的にスッキリしました。これからのクラスづくりに役立てたいです。本当にありがとうございました。



さらに校内研修をご担当の先生より、心温まるコメントを
頂戴いたしましたので、一部ご紹介したいと思います。




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本校では、初めて企業の方を招いての研修会となりました。
異業種から学ぶということで、私たちにとって大変充実した時間となりました。
初めは「サーバントリーダーシップって何だろう?」と私を含め、多くの職員が興味を抱いていたと思います。
そして、ご講演の言葉からこの移り行く現代社会において、一人の社会人として社会貢献をしていくためには受け身ではない自ら考える力が、今日求められているのではないかと考えさせられました。
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また、心理学、脳科学的な観点から、子どもたちとの関わりについても学ぶことができました。「理屈ではなく欲求充足の原理で人は行動する」とご講演であったように、強制や正論の押し付けではなく、理屈に気づかせ納得につなげることが大切だと思いました。
脳のメカニズムを理解した上で対策を立てることで、子どもたちの声を傾聴しながら、子どもたちが能力を発揮出来る環境づくりに努めて参りたいと思います。                         (一部抜粋)
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これからも日本サーバント・リーダーシップ協会は、「サーバントリーダーシップの概念の普及と、サーバントリーダーの育成」を目指し、ビジネス界のみならず、教育の分野におきましても貢献を続けてまいりたいと考えております。


活動に参加されたい方はこちら

3年連続で横浜女学院中学校にてサーバントリーダーシップの授業を実施いたしました




10月13日(土)、一昨年、昨年に引き続き、2018年度も横浜女学院中学校高等学校にて中学2年生にサーバントリーダーシップの授業を行いました。


文部科学省は、平成26年度より将来、国際的に活躍できるグローバル・リーダーの育成を図るために「スーパーグローバルハイスクール(SGH)」事業を行っており、横浜女学院様は「SGHアソシエイト校」の指定を受けております。


グローバル・リーダーになるには、語学力だけでなくリーダーシップを身につけることが重要です。しかし、子供たちの中には、「リーダー」と言うと、我田引水な自己主張をしたり、メンバーのことより自分のことばかりを考えたり、エゴ的で強引な人をイメージする傾向があるようです。
そこで、横浜女学院様では、目指すべきリーダー像としてサーバントリーダーを掲げておられ、「サーバントリーダーシップ」の授業をご依頼いただきました。


しかし、中学2年生にとっては「サーバントリーダーシップ」どころか、「リーダーシップ」についても興味もなければ、理解も難しいはずです。
そこでこの授業では、理論のレクチャーではなく、数多くのワークを盛りこみ、結果として「サーバントリーダーシップ」を実践したくなるカリキュラムにしています。


ワイワイと楽しく対話をしながら、授業が進むにつれて、だんだん真剣な眼差しに変化していく生徒の姿がとても印象的でした。


ワークショップ終盤の「身近な人にどんな親切をしてあげたいですか?」という問いかけには
・「笑顔で挨拶をする。」
・「筆箱を忘れた人に、筆記用具を貸してあげる。」
・「落ち込んだり、嫌な事があったりしたら話を聞き、お手伝いできることがあれば手伝う。」
等、様々な意見がでました。


毎年、この授業終了後に、小さな親切運動が自然発生します。
自らが、他人のために自発的に貢献することが「サーバントリーダーシップ」の第一歩です。彼女たちの成長が楽しみです。    


次回は、10月27日に実施いたします。

「第4章 企業における サーバント・リーダーシップ」第18回大阪読書会

開催日: 2018年10月25日(木)
時 間: 19:00~21:00
会 場: 株式会社i-plug会議室(新中島ビル共有会議室)
     大阪市淀川区西中島1-9-20 新中島ビル3階

最寄駅:
・阪急「南方」より徒歩2分
・地下鉄「西中島南方」より徒歩2分
★アクセスマップ(ページ中程に地図がございます)

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」
(金井壽宏監訳、金井由美子訳。2008年、英治出版)の読書会です。
毎回10ページから20ページを参加者で会読して、各自の感想や意見を自由に交換しています。
今回の読書会は、最初の20分を「日々の中でリーダーシップの悩みや自身の感している事」を共有する時間として、初参加の方もお久しぶりの方もお気軽にご参加できるようなプログラムになっています。


また、グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」をじっくり読んでみたい方、購入したけれど
「積ん読」のままになってしまっている方、リーダーシップの神髄を他の人と議論してみたい方もお気軽にご参加ください。
(多くの方が途中回からのご参加です)

【範囲】
P228「企業における サーバント・リーダーシップ」~
P238まで

参加される方は本書を入手して、上記範囲に目を通してきて下さい。
⇒アマゾンのサイトへ
⇒電子書籍はこちら

【参加費用】(税込)
◆一般   2,000円 
◆賛助会員 1,000円

「サーバントであれ―奉仕して導く、リーダーの生き方」
第4回東京読書会(通算第92回)

開催日: 2018年10月26日(金)
時 間: 19:00~21:00

会 場: レアリゼアカデミー
     ※6/4(月)よりオフィスを移転致しました。
      会場は麻布十番(旧オフィス)ではありませんので
      ご注意下さい。

住 所: 東京都千代田区麹町5-7-2 MFPR麹町ビル 3F

 【アクセス】
 四ッ谷駅より徒歩約7分
 麹町駅より徒歩約5分
 赤坂見附駅より徒歩約7分
 永田町駅より徒歩約8分

★地図はこちらから

サーバントリーダーシップの提唱者であるグリーンリーフの2冊目の邦訳である
「サーバントであれ―奉仕して導く、リーダーの生き方」
(ロバート・K・グリーンリーフ著、野津智子訳、英治出版 2016年)を会読致します。

グリーンリーフが提唱するサーバントリーダーシップについて、いろいろな側面からグリーンリーフが著述した著作集です。
みなさんで会読と討論を重ねてグリーンリーフの思いにふれていきましょう。
途中からの参加も可能ですので、お気軽にご参加ください

【範囲】
p.113 1行目 「第2章 教育と情熱」
p.141 11行目「~まだまだ成長すると気づいたときには、目を見はることでしょう。(この章の最後)」迄

参加される方は本書を入手して、上記範囲に目を通してきて下さい。

⇒アマゾンのサイトへ



⇒電子書籍はこちら


参加費用(税込)
◆一般   2,000円 
◆賛助会員 1,000円

サーバントであれ 第一期第2回(通算第89回) 東京読書会開催報告

日時:2018年8月24日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー(麹町)


ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントであれ 奉仕して導く、リーダーの生き方」(野津智子訳、英治出版、2016年)の東京読書会は、その2回目として、第1章「サーバント」の中間のあたりを会読しました。グリーンリーフは現代社会における組織の役割の重要性に着目して、そこにサーバントの性質を持つリーダーシップが必要であることを再三指摘しています。組織が個人の集まりでありながら、個人とはまた異なる論理にとらわれてしまうこと、グリーンリーフはこれを「偏狭なものの見方(mind-sets)」と呼び、そこを抜けるために「解放のビジョン(vision)」を示すことの必要性を強く指摘しました。その主張がかかれた箇所の会読です。(今回の会読範囲 p.51、9行目~p.78、8行目まで)





【会読内容】
私たちは何を知っているかーそれとも知りたくないのか?


・「(1)大人になってもサーバントになろうという気持ちを持ち続ける若者の割合を、どうやれば増やせるか。(中略)。(2)組織をどのように変えれば、もっとしっかり人々に奉仕し、人々の心を動かせるか」の二つの課題への回答を私たちは知っているはずだとグリーンリーフは言います。
・18世紀、国全体が貧しさに苦しんでいたデンマークの人々は、若者の志を高めるためには学校を作るべきだということを知りつつも行動できずにいました。このような状況の中で、グルントヴィがビジョンを示すことで、現代のデンマークにつながる変革が始まりました。グリーンリーフは前述の課題の解決にもビジョンを示すことが必要であるという思いから、現代の代表的な組織から4つの例を挙げています(注)



(注)4つの例の内、①企業と②大学に関する箇所は2018年7月27日の第1回読書会においても会読し、今回は再読となっている。



・例示の①、企業に関してグリーンリーフは次のような事例を挙げました。ある人がある業界トップの会社の経営者に、動きの激しいその業界内で安定的な経営が成り立っている会社(X社)について、X社から何を学んでいるか、という質問を受け付けることなく拒絶した。グリーンリーフは、X社にあるのは、常識にとわれない考え方であり夢である、と述べて、ここに学ぶべきだと言外で訴えています。
・例示の②は、「大学」です。そこでは、若者である学生の持つリーダーシップの潜在能力を高めるための大学の尽力も、資金次第で変わってしまうのが実情である、と述べています。


・例示の③では、この小論が書かれた1970年代のアメリカの医療団体の問題点を指摘しています。医療が人間の健康を維持、増進することを目的としながら、米国の医療団体が栄養学について関心を寄せず、医学の教育課程においても軽視されていることを指摘し、医学が栄養学に対してあらかじめ型にはまった「偏狭なものの見方」をしていることを指摘しました。


・この節の4つの例示で、最も長い記述となっているのは、④教会指導者についてです。19世紀の教会指導者が社会の変化をとらえて人々を導いていたならば、カール・マルクスの思想が20世紀の世界でここまで広がることはなかったであろう、とマルクス主義、共産主義を敵視することが多い米国社会やキリスト教会に対する皮肉を込めた記述で始まります。


・グリーンリーフは、教会指導者たちの対話を聞きながら、彼らが人々への働きかけを意味する動詞として、ラテン語の手(manus)を語源として、支配、管理のニュアンスの強いmanage と ラテン語の奉仕する(administrare)が語源で、大切にするというニュアンスを含み統轄することを意味する administer、前に出て道を示すの意味を表す lead が区別なく使われていることに気づいて、次のような指摘を行いました。


・すなわち、manage(管理) と administer(統轄)は、現在の仕事が「滞りなく行われる(maintenance)」ことを支え、現在の仕事が滞りなく行われることは組織にとって重要であるが、それだけは、「刻々と変わる社会に奉仕するという対応が確実にできるようになるわけではない。そうした対応は、“leading(導く)”-創造的に冒険することーによってはじめて確実になるのだ」というものです。そして、教会指導者が互いに語っている人々への働きかけは、leading(導く)ではなく maintenance (滞りなく行われる)ことの意味合いでしかないというものです。


・教会指導者たちから自分たちが人を導くために何ができるのか、という質問を受けがグリーンリーフは、この小論の冒頭に述べた、より良き社会のためにサーバント主導で人々が次のサーバントを生み出し、多くの組織がサーバントとして行動することであるという趣旨の考えを述べました。そして影響力のある教会指導者が現代版の「組織の神学」を生み出し、組織としての奉仕力を高めるようにともアドバイスしました。会合の席上では教会指導者からの反応がなかったため、グリーンリーフは後日、「“組織の神学”の必要性」と題する覚書を二度にわたって作成して送ったものの、指摘に対するめぼしい反応はありませんでした。


・この10年間の思索で、グリーンリーフは「ビジョン」の必要性と重要性をさらに深く認識しつつも、「解放のビジョン」がなかなか生み出せない稀有な存在となっていることに思いを巡らせます。


解放のビジョンはなぜ稀なものになってしまっているのか
・偏狭なものの見方にも役立つ点がある、とグリーンリーフはこの節の冒頭で言います。人はほとんどの場合、素早い行動のためにあらゆる対応をあらかじめ考えて行動する。それらは、偏狭なものの見方ではあるものの知恵や習慣として人々の間に受け継がれてきたものである。
・その意味で、解放のビジョンが稀なのは、社会が過去を受け継ぐものであるからだが、一方で社会は進化する。この二つの融合が「人間らしい苦悩の重要な側面」だとグリーンリーフは述べています。
・安定した社会では、人々は秩序と行動の慎重さを求め、改革者はますます「解放のビジョン」が打ち出しづらくなります。「秩序は文明社会の最初の状態であるため、最もありがちな“偏狭なものの見方”の一つ」であり、ビジネス、教育、医療、教会の各分野でこうした秩序と安定を志向する偏狭なものの見方によって、解放のビジョンが与えられてきませんでした。


ビジョンを呼び起こし、はっきり述べる
・解放のビジョンが稀なものとなっているもう一つの理由について、グリーンリーフは「ビジョンを具体的な形にする才能とそのビジョンをはっきり述べる力のある人のほとんどが、試してみる衝動も勇気も意志も持っていないから」と厳しいことばを、投げかけます。そして、現代(1970年代)のアメリカが成長の時代と抑制の時代の間で解放のビジョンが受け入れられず、明確なビジョンをもったビジョナリーのやる気がそがれる危険性がある、とも指摘しました。
・ビジョナリーのやる気がそがれかねない時代に思いやりのある奉仕し合う社会が築かれる必要条件として、グリーンリーフは、ビジョナリーのための場があることと彼らが解放のビジョンを生み出してくれる期待であると述べています。グリーンリーフは1970年に彼が書いた「リーダーとしてのサーバント」(注)において、次のように書いています。「きわめて明確、かつ、どの時代の洞察にも負けない質の高い洞察を持っている人―は常に、人々を説得できるくらい力強く話をする」、「(ビジョンが生まれるのは)関心、探究の度合いや、「ヒーラー(注)」の敏感さによる」「予言者は、そのメッセージに人々が反応すればするほど成長する(中略)そうした予言者を生み出すのは、求道者たちである(注)」


・グリーンリーフはこの考えを彼自身が信徒であった、キリスト友会(クエーカー)の歴史をひも解いてまとめていきました。17世紀イギリスでキリスト友会(クエーカー)を設立したジョージ・フォックス(注)の事績とその後、アメリカに波及したキリスト友会が南北戦争の100年前に奴隷制度を批判し自分たちが奴隷を解放したこと、その後は、秩序を求めて停滞し新しいビジョンを生み出さなくなった歴史です。


・サーバントリーダーはビジョンを受け入れたと思っている求道者にとってビジョナリーではなく、支援者であること、そして組織の maintenance(滞りなく行われること)機能に必要なのは求道者かもしれない、とグリーンリーフは述べて、複雑な組織のどこから解放のビジョンが生まれるのかに考えを進めます。


解放のビジョンを促進する組織構造


・グリーンリーフは解放のビジョンを促進する構造を考える中で、私たちの社会を構成する組織が三層ピラミッド構造となっているとの思いに至りました。その三階層について次のように説明しています。
・その最下層は活動組織と呼ばれるものであり、政府、企業、病院、学校などがこれに当たります。
・二番目の層には、大学や教会が含まれます。これら組織は価値観や文化の連続性に関心を持ち、サーバントとしての性質を個人としての組織としても高めることができます。
・三番目の層は教会のために人材を育てているセミナリー(神学、非神学とも)と大学のために同様の働きをし得る財団によって構成されます。この両組織はその運営のために社会全体の動きに過度に気を配る必要はなく、組織の変革や手掛ける活動の自由度が大きく、ビジョンを示そうとする人を励ます独特の機会がある、と述べています。セミナリーと財団は育成機関として、人々に奉仕する組織の育成を手掛けることができます。
・グリーンリーフは組織同士がピラミッド構造を作ることは、ある組織がその上位組織を指標をすることができるメリットがあるとしつつ、ピラミッドの最上位にあるセミナリーや財団には「理事会による深く質の高い思いやりが必要になる」と述べています。
・こうした理事会には未来の社会に建設的な奉仕をする絶好の機会があるとしながらも、グリーンリーフは、現代の最上位にいるこれらの組織が特定の行動パターンに制約されてしまい、レベル三の組織としての役割を引き受けようとしない傾向があることを指摘しています。


セミナリー


・グリーンリーフによれば、セミナリーはその発展の課程において価値観やものの見方が大学のそれと同じものになる傾向がありますが、彼の提案をすべて引き受ける場合は、大学とは似ても似つかない組織になります。それは、予言的な発言をしてビジョンや希望を与える人を大切にして育てることと教会を持続的に支援していくことである、というものです。
・グリーンリーフは次のように述べています。「理事会が、最高の奉仕をする組織を目指して本気でセミナリーを導き始めると、各組織の“進化するための神学”―セミナリーおよび教会の目的とプログラムについて、批判的かつ現代的な見解を与える神学―にセミナリーが貢献することに関心向く。この関心がゆるぎないものであれば、セミナリーの目標が明確になる。また、セミナリーは教会を支援するようにもなる―教会が、個人に対しても、影響を及ぼしうるあらゆる”活動“組織に対しても、奉仕できるように。目的は、そうした組織が、関わり合いを持つあらゆる個人にもっと奉仕できるようになることである」
・そして、グリーンリーフはこの節を以下のように結びました。「人々を敬虔(religious)な人として最高の状態に(religionの根源的な意味、すなわち”結ぶ“という意味において)なれる状態をもたらしたいと願っているのは、どのセミナリーも同様だ。この共通の目的を達成するために、新たなビジョンが必要なのである」


財団


・「財団は、法的に認められた目的のために与えるべき資金を持つ組織として、比較的最近になって、数多くある組織の仲間入りをした」とグリーンリーフは述べています。財団はその機能の明確化、自由裁量権の制限といった議論やさらに財団不要論もある組織ですが、グリーンリーフは、財団が法に従うことで存続することができ、市場や顧客などの直接的な外部の評価におもねる必要がないことをその特徴として挙げています。
・グリーンリーフは、この特徴に目をつけて、教会に対するセミナリーと同様に大学を支援する役割を財団が果たすことを考えました。そして、大学が大きく複雑な組織であることや財団に適切な人材が不足していることから、そのことの難しさについても冷静に分析しています。そして、最大の課題がセミナリー同様に理事会にあり、「その重要な目的のために資源を使う財団の理事会には、きわめて思いやりが深く献身的であることと、長期にわたり辛抱強く取り組むことが必要になる」と指摘しています。
・この時代(1970年代)の米国の一部大学での入学者数減少による財政逼迫について、大学が固定的な概念にとらわれて未来へのビジョンとそのビジョンに基づくアイデアを持たなかったこと、挙げています。優れた大企業が自らを賢く導き発展させる役割を担う人材を確保したことと米国の鉄道会社が日常業務に時間をとられてそうした動きがどれ図に衰退していったことを対比させています。
・財政難に苦しみそこから脱出できない大学は、優秀な人材に率いられ、他の組織への十分な支援を行えるだけの人的、物的資源のある財団などの「他の組織によるコンセプチュアル・リーダーシップ」を歓迎して受け入れる謙虚な姿勢を持つべきである、とグリーンリーフは述べます。「謙虚さは真のサーバントの顕著な特徴の一つだ。彼らは相手から奉仕を受けるときも、相手に奉仕するときと同じくらい、前向きな、しかし慎ましい姿勢を持っているのである」というグリーンリーフの指摘は、すべての組織に当てはまることです。


【参加者による討議】


・本書で「偏狭なものの見方」とあるのは、原書では「mind-sets」と書かれていることばをその意図も含めて翻訳したことばである。グリーンリーフはこの偏狭なものの見方が組織の改革を阻止する要因とのべている。ただし、それらは日常の習慣や社会的慣習の中での当然の思考として、個人の中でもあるいは組織の思考としても現れることがある。三木清(注)の「人生論ノート(新潮文庫(改版)、1978年ほか)」という論集に「習慣について」という題のついた小論があるが、この中で三木は、習慣が定める行動様式は、文化の一つの形であるという趣旨のことを述べている。偏狭なものの見方、すなわちある保守的な思考パターンへの評価は、常にマイナスではない。言い換えれば、ものの見方の表裏ということだ。ということになると、組織の改革を妨げる動きの中にも意味がありうるということ。だからこそ改革は簡単ではないのだろう。



  (注)三木清(1897年1月5日 - 1945年9月26日)は、京都帝国大学で西田幾太郎に学んだ京都学派の哲学者としてマルクス主義の哲学的再構築などの研究を行った。1945年に治安維持法違反の疑いで拘束され、終戦後1ヵ月を経た段階で獄死。人生論ノートは1941年刊行。



・自社製品の完成品検査の段階で法令違反が指摘されたある製造業で、その原因と対策を探るべく、その会社内部で多数の職員に聞き取り調査が行われた。このときの調査では、現場の担当者がいろいろな仕事の手順や上司の判断が変だと思ってもその指摘ができないままに時が経ち、やがて所定外の手順での仕事や重要な判断の見逃しが当然のこととなり、やがて従業員全員の中で、不自然とか当然とかといった形の意識にすら上らなくなったという声が多数あったそうだ。
・米国MITのダニエル・キム教授の成功循環モデルあるいは成功循環の輪と呼ばれる概念がある。これは、「関係性の質」が「思考の質」に影響し、さらに「行動の質」へ影響、それが「結果の質」に影響して
次なる「関係性の質」を作るという循環であり、「関係性」がとても重要となる。PDCAサイクル(注)の循環と対比されることが多いが、PDCAには「関係性」を問うプロセスがない。



  (注)Plan – Do – See – Actionの頭文字。計画 – 実行 – 評価 – 改善と訳される。第二次世界大戦後、品質管理の標準的手法を確立したウォルター・シューハートやエドワーズ・デミングが提唱した。



・人間は他者と対立するときにとる行動が fight or flight、つまり戦うか、逃避するかである。このどちらの行動も他者との関係性を損なうことになる。上司の無理強いをやがて当然のことと思うようになる行動は逃避であり、意識に上らなくなったのは、関係性が喪失されたということだろう。これは成功循環の輪がこわれたということでもある。
・製造業では、企業の成長につれて、本社や事務所では大学卒の社員が増えて主流になる一方で、製造現場は高校卒の社員ばかりといった構図が増えてきた。本社と製造現場とのコミュニケーションが喪失している、より正確に言えば、最初からないような状態になってしまうこともある。
・自動車産業ではホンダは、文系の大学卒、いわゆる事務屋と言われる職員もホンダ社内でキャリアを積む中で製造現場に配属されて、製造ラインの従業員と一体感ができるまで現場でもまれるという会社の方針、それを支える風土がある。
・企業をはじめとする社会の運営にITが欠かせなくなった現代では、情報システムの開発プロジェクトが大小取り混ぜ多数のものが着手されるようになった。失敗とされる事例も多く、それを回避するためのノウハウがいろいろと喧伝されているが、基本はプロジェクトマネージャーを中核とする開発要員とのコミュニケーション、発注元のユーザー組織との合意形成を前提としたコミュニケーションのよしあしが成功、失敗の要因である。つまり関係者同士の関係性の質ということだ。
・関係性の質を決めるコア要素は、respect each other に尽きると考える。組織上の肩書や指揮命令系統といった上下関係がある中でも相互の理解と尊重は絶対必要な要素だ。
・関係性の質が重要であることについては、完全に同意するが、実際の現場では思うようにいかないことが多い。ほとんどの組織では、組織のあちこちで関係性が傷ついたり、喪失したりしているのが実態ではないか。


・討議の冒頭で、mind-sets に偏狭なものの見方と、訳者がことばのもつ意図を含めた訳語を当てたとの説明があったが、もうひとつ vision ということばに「解放のビジョン」という訳語を当てている。子の意図について、議論してみたい。
・ビジョンということはば、テレビの正式な英語の televisionといった単語からなじみが出てきて、昨今は日本でも企業その他の組織で普通に使われている。ただし語感としては、あまりシリアスではなく、経営計画や予算を立てるときの、近未来のマーケットや顧客の状況の想像といったたぐいかと思う。
・英語のvision もともとはラテン語の「見る」からきたことばだが、単に目に映るということではなく、神が示す「ものごとの本質」という意味がある。同じグリーンリーフの「サーバントリーダーシップ(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)」や本書では、visionの訳語として予言が用いられ、未来を予想することの意図が強く出ている。そうした箇所も多数あるが、本質、真実という意図で預言という訳語を与える方がふさわしいと感じることもある。
・そのように示される本質を見抜く能力こそが、旧来からの mind-sets、すなわち「偏狭なものの見方」を打破する原動力であり、翻訳者は「解放のビジョン」という訳語を当てたのだろう。本質や真実を見抜く力は、本当のリーダーに必要な資質であり、そうしたリーダーがサーバントの気質と振る舞いをもって人々に接しているのだと思っている。


・先ほども言及した三木清は、第二次世界大戦という世界の多くの国が争った時代に対立から統合への道を進むことを提唱していた。現代は、われわれの周囲に戦争こそないが、複雑化した社会の中で、目に見えない対立があり本当の意味の統合は難しいと感じている。
・多くの仕事が特定分野の専門性を必要として、その中で仕事をしてきた人が、自分の職位があがると自身の知識や経験外のことも判断しなければならなくなる。この段階でどのような姿勢で仕事に取り組むかは重要な問題だ。
・自分の友人は、ある業界のトップかつ日本を代表する企業の管理職を務めている。その友人と話をしているとどの分野のことにもすぐに明確に回答を出してくるので、いつも驚いている。
・その友人の方がもともと優秀であったのだろうが、勤務先のカルチャ^-が思考のパターンを決めて、その型の中で、早期に結論を出すようにしていることも見逃せない。うまくいっている時はよいが、そうでないと「偏狭な物の見方」に陥るおそれがある。
・ワイガヤという自由な議論は、ときに単なるガス抜きとしての目的で利用されるが、そこに真実が潜んでいる可能性が高い。サーバントリーダーはそこにきちんと目を向けているのだろう。


ロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントであれ 奉仕して導くリーダーのあり方」(英治出版)の第3回東京読書会は、9月28日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミー(麹町)で開催予定です。


【開催報告】「リズムでサーバントリーダーシップ」体験セミナー

去る6月15日(金)、音楽・リズムを活用し、組織開発・人材育成に取り組む合同会社ビートオブサクセス、日本サーバント・リーダーシップ協会、組織改革と人材育成コンサルティングを提供する株式会社レアリゼの共同開催で「リズムでサーバントリーダーシップ」体験セミナーが開催されました。



開催にあたっては、当協会の顧問でもある神戸大学大学院 経営学研究科教授 金井壽宏先生からメッセージをいただいております。


金井先生からのメッセージはこちら▶ http://www.bos1.org/events/cat81/615.html


“ドラムサークル※1”は、チームビルディングやメンタルヘルスの改善などで効果を発揮するワークショップですが、今回はさらに“ドラムサークル”通じて、「サーバントリーダーシップ」を学ぼう!というもの。


実際にビートオブサクセス ヘッドトレーナーの橋田"ペッカー"正人さん※2のファシリテーションで“ドラムサークル”を体験しました。





ドラムサークルは、どんな音をだしてもよいのですが、他のひとが出す音をしっかり聞いていないと、リズムに調和が生まれません。他のひとがどんな音をだしているのか、どんなことをしているのか、ということにしっかりと意識を傾けることで、初めて調和が生まれるのです。





その体験を振り返ることで、チームビルディング、サーバントリーダーシップの観点で学びを深めていきました。










セッションの合間には、橋田"ペッカー"正人さんと、協会理事長の真田茂人との対談も行われました。


ペッカーさんと真田との対談の中で、ファシリテーターがサーバントリーダーであることの必要性、また逆に目立たないベースドラムが実はサーバントリーダーとしてチームに貢献しているからチームが機能していること、など様々な気づきが起きました。


これからも日本サーバント・リーダーシップ協会は、「サーバントリーダーシップの概念の普及と、サーバントリーダーの育成」を目指し、活動をしてまいります。


応援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。


・活動に参加されたい方はこちら ▶ http://www.servantleader.jp/seminer.html


・合同会社ビートオブサクセスHPはこちら ▶ http://www.bos1.org/




※1:ドラムサークルとは・・・・
参加者全員がサークル(輪)になってお互いの顔を見ながら、ジェンベやコンガなどのドラム(太鼓)を使ってリズムを楽しむプログラム。 リズムの共有による共感・一体感と言葉によらないノンバーバル(非言語)な コミュニケーションには人と人の距離を一気に縮める効果があり、 アメリカをはじめ多くの国の企業でコミュニケーションの活性化や チームビルディングのプログラムとして利用されている。 また、その楽しさとストレス修正の効果からヘルスケア対策としても数多く採用されている。




※2:ペッカーさんとは・・・・
橋田”ペッカー”正人 
日本パーカッション界の草分け的存在。1977年に渡米し、ブラック&ラテン系ミュージシャンとのセッションを重ね、帰国後に日本発のサルサ・バンド、オルケスタ・デル・ソルを結成。数多くの作品を発表。80年ソロアルバムをジャマイカで録音、ボブ・マーレー&ウェイラーズの全面協力を得て世界発売。
これまでにレコーディング楽曲は、25,000曲を越えている。 また、MISIA、坂本龍一、Coba、浜田省吾、尾崎豊、SMAPなどのレコーディングツアーに参加するなど、セッション・プレイヤーとしても活躍。
近年は音楽による 『メンタルヘルスケア』などにも力を注ぎ、話題のリズムムーブメント、『ドラムサークル』のファシリテーター育成に力を注いでいる。 2004年『ドラムサークルファシリテーター協会』を設立し初代理事長、合同会社ビートオブサクセス ヘッドトレーナー。



「サーバントリーダーシップ 入門講座 @大阪」 開催報告 (2018.9.13)

日時:2018年9月13日(木)19:00~21:00
場所:OBPアカデミア
ファシリテーター:真田 茂人(日本サーバント・リーダーシップ協会 理事長)

9月13日(木)、大阪・OBPアカデミアにて、「サーバントリーダーシップ 入門講座」を開催いたしました。
約1年ぶりとなった大阪での開催でしたが、定員20名のところ、たくさんの方々にお申込みをいただき、急遽増席させていただくなど、大変盛況な講座となりました。



「サーバントリーダーシップ 入門講座」は「サーバントリーダーシップとは何か?」を学ぶ、初心者の方向けの講座です。


ファシリテーターは、日本サーバント・リーダーシップ協会 理事長の真田が務めました。



参加された方々からは「これからのリーダーシップのあり方を学べてよかった」「とても気づきの多い内容だった」とのお声をいただきました。

講座終了後は、懇親会を開催いたしました。
こちらも多数の方にご出席いただき、さらに学びを深めあいました。

今後もさまざまな勉強会を開催する予定です。
再び大阪のみなさまにお会いできますことを、楽しみにしています。

●今後の勉強会の開催情報はこちら

●日本サーバント・リーダーシップ協会 オフィシャルSNSでも、最新の情報を発信しています。





幕末維新のリーダーに学ぶSL研究会 第2回 「 西郷隆盛」開催報告

第2回 西郷隆盛
日時:2018年8月30日(木)19:00~21:15
場所:レアリゼアカデミー
ファシリテーター:根本英明

8月30日(木)、幕末維新のリーダーに学ぶSL研究会の第2回目が、レアリゼアカデミーで開催されました。

ファシリテーターは、日本サーバント・リーダーシップ協会 理事の根本 英明氏が務めました。


今回取り上げたリーダーは、前回に引き続き「西郷なくして維新なし」と語り継がれる幕末のヒーローのひとり「西郷隆盛」。

ちょうど今年はNHKの大河ドラマも西郷隆盛が主人公の「西郷(せご)どん」がOAされており、とてもタイムリーなタイミングで開催することができました。




ファシリテーターの根本氏は「なぜ西郷隆盛がサーバントリーダーなのか?」について、西郷の生い立ちを踏まえ、当時の時代背景や人とひととの出逢いから育まれたであろう、西郷の「サーバントリーダーシップ的思想」をさまざまなエピソードを交えながら丁寧に解説いたしました。

終了後は参加者の方から「次回も参加したい!」とのお声をたくさんいただきました。

次の開催日程が決まりましたら、当Webサイトでお知らせいたします。
どうぞお楽しみに!

第一期第01回(通算第89回)東京読書会開催報告

「サーバントであれ 奉仕して導く、リーダーの生き方」 第一期第01回(通算第89回)東京読書会開催報告
日時:2018年7月27日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー(麹町)

サーバントリーダーシップ東京読書会は、今回からロバート・K・グリーンリーフの「サーバントであれ 奉仕して導く、リーダーの生き方」(野津智子訳、英治出版、2016年)のを会読を開始致しましたす。同書は、「The Power of Servant Leadership」(1998年にThe Greenleaf Center for Servant Leadership、1998年)(注)」の邦訳で、グリーンリーフの著作としては「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)に続くまとまった日本語での著書となります。グリーンリーフが書いたいくつかの小論をまとめて掲載した点は、前著「サーバントリーダーシップ」と同様です。今回から会読する本書は、小論のと取りまとめと前書の寄稿をグリーンリーフ・センターの責任者であったラリー・スピアーズが行いました。前書きにはスピアーズがまとめた「サーバントリーダーシップの10の属性」が説明されています。東京読書会では、グリーンリーフの小論から読み始めることとして、今回は、最初の掲載である「サーバント」(原著は1980年にグリーンリーフセンターから刊行)を冒頭から約1/3を会読しました。
(注)現在流通している原書(英文)は、Berrett-Koehler Publishers, Inc.から刊行されている。
(今回の会読範囲 p.35~p.56の5行目まで)



【会読内容】
はじめに
・「ひとを思いやり、何かにたけている人とそうでない人が奉仕し合うことが、よりよい社会をつくる、と私は思っている」という一文で始まるこの小論で、グリーンリーフはリーダーシップの視点から見た組織について語ります。
・公正で人を成長させる性質を持つ組織、言い換えればよりよい社会とは、サーバントとしての資質を持った人が主導し、その中で次のサーバントが生み出され、「できるだけ多くの人がサーバントとしてもっとしっかり行動できるようになることである」というのがグリーンリーフの主張です。
・そして、グリーンリーフはこの書を執筆した1970年代の組織について、「深刻なレベルでビジョンが欠如している」と指摘しています。教会、学校、そして企業や慈善団体などの組織の経営者からビジョンが発信されず、先々を見据えた歴史観を欠いているという批判です。
・そのような状況のもとで、グリーンリーフがビジョンを提示する人として期待を寄せたのは、経営を理解できる程度の関係と、それを客観視できる距離感を持っている理事(トラスティ)でした。グリーンリーフは、「有能で先見の明がある理事長が率い」る組織は質の高いリーダーショップを発揮できるとしつつ、その一方で理事長が必ずしも組織のトップ層である必要はない、とも述べています。肝心なことは、理事会のリーダーシップを高め、「高い価値に対する新たなビジョンを、一度に一組織ずつ、できるだけ多くの組織に浸透させ」ることであると訴えました。
・グリーンリーフは1970年代の初めにサーバントというテーマについて執筆を始めました。多くの人との交わりの中で思索を深め、「もっと奉仕しあう社会に必要なもの」や「賢明な、共に生きる社会、そんな世界へと確実に向上していくために、何が必要なのか」という問いに少しずつ回答を得ていったのです。この小論はグリーンリーフがサーバントというテーマで思索をめぐらし、書き溜めたものをまとめながら考えたことを語るという意図で書かれています。

組織-その仕事の仕方
・キリスト教系のカールトン大学(注1)を1926年に卒業したグリーンリーフは、大学時代に恩師から得た示唆に基づいて、当時、世界最大企業であった通信関連会社のAT&T(注2)に勤めました。彼は同社で研修や人材開発の仕事を進める傍ら、独自に有能な組織についての研究を実施します。
(注)米国ミネソタ州ノースフィールドにあるキリスト友会(クエーカー)系の大学。リベラルアーツで有名。この学校に学んだことは、後のグリーンリーフのサーバントリーダーシップの考え方に大きな影響を与えた。
(注)The American Telephone & Telegraph Company。アレクサンダー・グラハム・ベルによるベル電話会社を前身として、1885年にセオドア・ニュートン・ヴェイルによって設立された。米国の電信、電話から通信、放送分野の主力を占め、資産や従業員数で全米のみならず世界最大とも言われた。1984年から解体と再編が行われたが、インターネット事業を中心に再度規模を拡大している。
・グリーンリーフが関心をもったのは、「この会社(注、AT&T)の価値観、歴史と神話、とりわけ経営トップについて」でした。そして、「苦労した末に理解した」のは、「歴史と、目を見張るような歴史を持つ組織の神話とが、組織の価値観や目標やリーダーシップに、深遠な影響を及ぼすこと」であると語っています。経営トップは、自らが統率する組織の成り立ちや内在する性質、すなわち組織文化に留意を払うべき立場にあることを強調したのです。
・AT&Tでの38年の勤務とその後の様々な活動の中で得た数々の体験によって視野を広げたグリーンリーフは、1960年代に学生運動の混乱の中にあった大学と関わり合いを持つようになり、その中で、サーバントというテーマに取り組みだしました。そして、このテーマでの研究と著作に彼の生涯をかけることになります。

サーバントという考え方
・サーバントという考え方は、ユダヤ教やキリスト教に深く根差しています。グリーンリーフは、改訂標準訳聖書(注)の用語索引にサーバント、サーブ、サービスという言葉が1,300以上登場することを指摘しました。しかしながら聖書の時代から数千年を経た現代には、社会には思いやりのなさを示す証拠が多数あると指摘しています。
(注)20世紀半ばに刊行された聖書の英語訳。読みやすさと逐語的正確さを目指して編集された。
・そのような中でもグリーンリーフは、現代は希望のある時代であると述べています。それは、(1)サーバントとなる潜在的な資質がある若者が多数いて、私たちが彼らのサーバントとなろうとする意志を育む方法を知っていること。(2)組織による奉仕をさらに高めるための組織の変革方法を知っていること、にあると述べ、その障害要素として「偏狭なものの見方」があると指摘しています。

「偏狭なものの見方」という問題
・グリーンリーフは「偏狭なものの見方」を変えるのは一筋縄ではなく、サーバントの性質を持たない年配の「責任ある立場」の人が変わるには、宗教的あるいは圧倒的な至高体験が必要であると述べています。
・さらに、グリーンリーフは、(1)成人になってもサーバントとなる可能性を持った人の中からできるだけ多くのサーバントを生み出す方法、(2)組織における最適な奉仕の実現方法、は現代もそして未来においても重要な課題だろうと語りました。

私たちの時代のビジョン-それはどこにあるか
・「ビジョンがなければ民は滅びる」、これは旧約聖書の箴言(しんげん)第29章18節にある聖句(注)であり、グリーンリーフが引用したのは、17世紀の英国国王ジェームズ1世が16世紀以来の英国国教である聖公会のために編纂を命じた欽定訳とよばれる英訳です。この聖句はグリーンリーフの心をとらえ、19世紀デンマークにあって、その発展の基礎を地道に築き上げたグルントヴィが未来へのビジョンを持っていたことが地道な活動の継続と成功の要因であったと述べました。
 (注)箴言(しんげん、Proverbs)は、旧約聖書の中の一書として古代ユダヤのソロモン王などが述べた多数の教訓の聖句からなる。この箇所は、本著の原著(欽定訳 KJV)では、「Where there is no vision, the people perish.」と書かれ、現代の標準英訳(English Standard Version(ESV)では「Where there is no prophetic vision the people cast off restraint.」、本邦で一番普及している新共同訳では「幻がなければ民は堕落する」と訳されている。
・翻って、グリーンリーフは、現代(1970年代)の自分たちが「十分に与えられるはずのしっかりとした手助けを、全く若者たちに与えていない。それどころか、志ではなく知識こそが力になるという主義に基づいて行動してしまっている」と批判しています。彼の信念は「知識は道具に過ぎない。最も重要なのは志だ」というものです。そして「必要なのは、人々が志を高く持ち、前向きに行動するみずからの意志に気づき、開放できるようになるビジョン」をこの時代に求めました。
・グリーンリーフは、彼の晩年の親友であるユダヤ教宗教指導者、アブラハム・ヨシュア・ヘシェルが学生から本物の預言者を見分ける方法を尋ねられた時に、簡単に見分ける方法はなく、もし容易に見分ける方法があれば、人間らしい苦悩がなくなり人生が無意味なものとなる、と諭しつつ、「しかし違いが分かることは重要だ」と学生を諭した言葉が現代社会においても重要な意味を持つと述べました。

私たちは何を知っているかーそれとも知りたくないのか?
・「(1)大人になってもサーバントになろうという気持ちを持ち続ける若者の割合を、どうやれば増やせるか。(中略)。(2)組織をどのように変えれば、もっとしっかり人々に奉仕し、人々の心を動かせるか」の二つの課題への回答を私たちは知っているはずだとグリーンリーフは言います。
・18世紀、貧しさの底に居たデンマークの人々は、若者の志を高めるために学校を作るべきだということを知りつつも行動できずにおり、変革の着手にはグルントヴィがビジョンを示すことが必要でした。グリーンリーフは前述の課題の解決にもビジョンが必要であるという思いから、現代の代表的な組織から4つの例を挙げると述べています。(注)
 (注)2018年7月27日の第1回読書会では、この内、①企業と②大学に関する箇所を会読した。
・例示の①企業として、グリーンリーフは次のような事例を挙げました。ある人がある業界トップの会社の経営者に、動きの激しいその業界内で安定的な経営が成り立っている会社(X社)について、X社から何を学んでいるか、という質問を受け付けることなく拒絶した。グリーンリーフは、X社にあるのは常識にとわれない考え方であり夢である、と述べて、ここに学ぶべきだと言外で訴えています。
・例示の②として「大学」を挙げています。そこでは、若者である学生の持つリーダーシップの潜在能力を高めるためのグリーンリーフの尽力も、大学への資金次第というのが実情である、と述べています。

【参加者による討議】
・この小論の冒頭、「ひとを思いやり、何かに長けている人とそうでない人が奉仕し合うことが、良い社会をつくる、と私は思っている(日本語版、p.35)」の箇所は、原書では、‘I believe that caring for persons, the more able and the less abele serving each other, is what makes a good society.’ となっている。思いやりは caring の訳語である。日本語としての思いやりにせよ、外来語としてのケアにせよ、日本語の世界では、人間関係の中で、相対的に強い人や余裕がある人が弱い人や苦しんでいる人に対して示すものというニュアンスがある。そして、相手を思いやるにしても、そこに、与えてやるというある種の優位間、上下感覚がある。英語の care あるいは caringということばには、与える側も受ける側もお互いが対等の関係で、かつ内面的な連携を意味するニュアンスがある。日本語ではこの「対等の関係の中で与える」を的確に意味する適正なことば思いつかない。本書の翻訳は全体にかなり良いと思うが、翻訳の巧拙とは別に、ことばのレベルにおいて、日本語と英語の差異に注意するべき箇所もありそうだ。
・長けた人が the more able で劣った人が the less ableであり、お互いが協力し合ってという箇所に注目している。通常、現場では常に長けた人が指揮して、劣った人がフォローするという構図がほとんどだ。劣った人の行動はフォロワーのものとして発揮される。よきフォロワーシップの発揮は、それ自体がよきリーダーシップである。フォロワーの中にも高度なリーダーシップがあることを見抜いて相互に協力する必要があるだろう。
・何かに長けた人とそうでない人、ということばに関して。相互に協力しあうといことから、個人の持つスキルの比較ではなく、ある物事に取り組む経験の量的な差が、長けた人とそうでない人を分ける要素のように感じた。
・この1つのセンテンスに限りない深みと広がりを感じる。

・この小論に限らないが、グリーンリーフは常に組織に関心を寄せて、現代の組織という視点からリーダーシップということに言及している。ただし、そのリーダーシップ論は、上司が部下に対してどうふるまうと部下がその通り行動するようになる、といった表面的な行動論、ハウツーものとは一線を画している。
・レヴィンの法則、あるいはレヴィンの関数(注)と呼ばれる人間の行動様式に関する学説がある。これによれば、人間の行動様式は、その人のパーソナリティとその人を取り巻く環境を要因とする関数である、というものだ。パーソナリティには人間性や性格、価値観といったものからなる。人を取り巻く環境は、文化や慣習、規範といったものである。組織がどのように行動していくかといえば、組織構成員のパーソナリティであり、環境には社会の状況に加えて、その組織を統率する人たちの思想や行動も含まれる。
(注)ドイツ生まれのユダヤ系心理学者のクルト・レヴィン(1890年9月9日~1947年2月12日)が提唱。レヴィンはナチスの迫害により米国に移住、その活躍により「社会心理学の父」と呼ばれる。
・企業活動に投入される機械は、その利用成果や性能を数値化したデータで表現して、評価してメンテナンスや交換などさまざまな判断を行う。企業の中では人間の行動も数値化して評価しがちだ。だが、コミュニケーションの活発度の測定に会議の回数を利用するなど、本質をつかめていないものも多い。
・組織の中で、人間を単なる歯車のように使うこと、人から使われることになれてしまい、そのことに無批判になっている自分がいるように感じる。明らかにサーバントリーダーシップの考え方と真逆である。
・日本サーバントリーダーシップ協会の学習会である「近代の優れたリーダーに見るサーバントリーダシップ研究会」(注)で、宅急便を誕生させたヤマト運輸の小倉昌男氏(注)を取り上げたことがある。よく知られるように、当時郵政省が全ての荷物を握っていた個人同士の小荷物の輸送の世界に乗り込んでいった(注)。当時のヤマト運輸の業績はギリギリの厳しい状況で、同社自身が変革を迫られていた。その中でも小倉氏は「顧客へのサービスが先、利益が後」という信念を持ち、従業員全員で「ヤマトは我なり」という思いを共有化した。昨今は労務などで問題も出てきているが、未だ高く評価しうる企業と思う。
  (注)小倉昌男氏を取り上げた近代の優れたリーダーに見るサーバントリーダーシップ研究会は、2016年5月24日に実施された。
(注)1924年12月13日~2005年6月30日。1971年に父、康臣から大和運輸を引き継ぎ、1976年にわが国初の民間宅配便である「宅急便」を開始した。1995年に同社の役職を辞した後は、ヤマト福祉財団理事長として障碍者自立支援に尽力。なお、大和運輸は1982年にヤマト運輸に改称、2005年よりヤマトホールディングスを筆頭とする企業グループとなっている。
(注)サービス初日の1976年1月の初日の取り扱いは11個であった。現在は、ヤマト運輸の宅急便は1日当たり500万個を超える荷物を扱っている。
・哲学のある企業は、その組織運営の最初のところに人の尊重、人間としての尊厳がある。多くの組織が評価尺度の設定から入り、人間をモノ化するところから入るのと対照的である。

・今日の会読範囲で、グリーンリーフが「偏狭なものの見方」を戒めているが、具体的にはどのような態度を指すのだろうか。
・「偏狭なものの見方」と翻訳されている語句の原書での表現は、‘mind-sets’である。マインド、つまり心が固定化して、考えが習慣化してしまうことを意味している。
・Aについてなになに、Bについてなになに、それらが揃ってCについて…とただロジカルにだけ進めるだけでは、本来の目的を達成できないことも多い。定量評価がその計算方法を固定化してしまい、環境の変化や状況に応じた柔軟な対応を阻害してしまいがちになる。組織の判断や行動がミッションにふさわしいかどうかは、定性的に評価されるものである。
・組織の活動や行動がミッションに沿うものとなるためには、リーダーが俯瞰的(ふかんてき)にものごとを見ることができること、そして感性や感情が大切だ。
・「ビジョナリーカンパニー」の著者として知られる、ジェームズ・C・コリンズは成功を収めた企業のリーダーの共通の特質を調べて、それを「第5水準のリーダーシップ」と名付けた(注)。その本質は謙虚さと大胆さであり、数値経営の能力ではない。
 (注)ジェームズ・C・コリンズ(1958年1月25日~)は米国の経営学者、コンサルタント。著書「美女なりーカンパニー2」(山岡洋一訳、2001年、日経BP社)などで第5世代のリーダーについて言及している。
・たしかに、企業に限らず、何事かをなした人が持つ志(こころざし)は数字では語れないものがある。

・今回の読書会からもいろいろな示唆を得た。現在、勤務先で労使の懇談の従業員代表の一人として、働き方改革を中心としたいくつもの課題に取り組んでいる。顧客満足(Customer Satisfaction、CS)は賢伝されているが従業員満足(Employee Satisfaction、ES)がなく、若い従業員の離職率の高さが問題視されていることもあり、この活動を形式的なものから意味のあるものにしたいと思っている。これまでの活動では、会社、従業員ともに「思い」が伝わりきらないところがあると思っている。だが、そこはあと少しの働きかけで改善できると考えており、相互の理解を高めるように働きかけていくつもりである。
・公共的な組織で働いている。公務員を英語ではパブリックサーバント(public servant)と呼ぶが、サーバントとしての本質を実現していないところも多数ある。その理由も複雑で、現れる現象もさまざまであるが、例えば、きれいごとしか言わず、きれいごとしか書かないという点が挙げられる。職場も運営効率化を求めて、「報、連、相」中心の縦割りの世界。相互に「腹を割って話せるようにするためにもサーバントの本質を追求していきたいと思っている。

ロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントであれ 奉仕して導くリーダーのあり方」(英治出版)の第2回東京読書会は、8月24日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミー(麹町)で開催予定です。

第33回 東京読書会(第二期)

第二期第33回(通算第88回) 東京読書会開催報告
日時:2018年6月22日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー(麹町)

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の東京読書会は、会場のレアリゼアカデミーが麹町に移転して最初の読書会を行いました。新しい場所での初回と同時に、第二期の読書会の最終回ともなった今回の読書会では、2002年に本書の改訂版が米国で刊行される際に、「7つの習慣」で有名なスティーブン・コヴィー(注)が寄せた「前書きに代えて」を会読しました。コヴィーは、晩年、彼の代表作であり主張の核であった「7つの習慣」を土台に、「第8の習慣 “効果性”から”偉大“へ」を著しました。スティーブン・コヴィーは21世紀を迎えて、彼の7つの習慣の思想を集大成して、リーダーは自分自身とメンバーのボイス、つまり内発的な声に耳を傾けるようにと第8の習慣の考えに発展させてきました。この道程にグリーンリーフのサーバントリーダーシップの考え方がさまざまな影響を与えたのではないでしょうか。そのようなことを思い起こさせる寄稿です。(今回の会読範囲 p.521~p.549、「終わりに」の最後まで)

 (注)1932年10月24日~2012年7月16日。米国生まれ。生前は、作家、経営コンサルタントなどの多面的に活躍した。主著の「The 7 Habits of Highly Effective People」最新訳の日本語版は、「完訳 7つの習慣 人格主義の回復」として2013年に、また「第8の習慣“効果性”から”偉大“へ」が2017年にいずれもキングベアー出版から刊行されている。なお7つの習慣の邦訳初版は「7つの習慣 成功には法則があった!」(1996年、副題は本邦で付された)として、100万部超の販売数となっている。



【会読内容】
・この前書きが寄稿されたた21世紀開始直後の時代について、コヴィーは「市場とテクノロジーの劇的なグローバル化」を全世界にわたる巨大な動きの根源として挙げ、それが「時を超えた普遍の原理(中略)とりわけ、人間の精神に“気”や“生命力”、そして創造力を与えてくれる原理」というもう一つの時代を動かす根源に影響している、と述べています。
・コヴィーはそうした時代の中で「根本的で普遍的な原理のひとつが、サーバント・リーダーシップという考え方だ」と述べて、社会や経済がグローバル化する中で、組織の成員に権限を与えて能力を高める(エンパワーメント)ことが必要であり、それを実現するために上司がサーバントとなるようなプロセスを組織的に育てるための構造や体制が必要であり、ここに組織の存廃の原理があると主張しています。
・さらに、トップダウン・マネジメントが時代遅れとなり、これに代わって、「ストレンジ・アトラクター」、すなわちビジョンに引き寄せられて人々が一致団結し、共通目標に駆り立てられるようになると主張しています。その中で、「ただ機能するリーダーシップ」と「持続するリーダーシップ」を区別し、後者には心の中の道徳律すなわち良心が宿ると力説しました。
・コヴィーは良心に基づく道徳的権限について、それがサーバントリーダーシップの別名であり、「生まれつき持っている力と選択の自由を、節度を持って使うことで出てくるものだ」と説きます。人々は良心に従って生き、行動する人を信頼し、心を許す。これが道徳的権限の始まりだ、と主張しました。そして道徳的権限に関する彼の考えを展開していきます。「道徳的権限とはサーバントリーダーシップの別名と言っていい。というのも道徳的権限とはリーダーとフォロワー(リーダーに従って動く人)が相互に行う選択のあらわれだからだ」「リーダーもフォロワーも、ともにフォロワーだと言える。その理由は何か。両者とも真実に従って(フォローして)いるからだ。」「道徳的権限とは相互に高め合い、分かち合うものなのだ」と熱く訴えかけました。
・そして、コヴィーは、この道徳的権限の特徴を4つ挙げています。
1. 道徳的権限または良心の本質は、犠牲である。
自分自身や自分のエゴを犠牲にしてでも、より高い目的や大義、原理を目指すこと。犠牲は身体[body]、 良心[mind]、敬愛[heart]、精神[spirit]にいろいろな形で現れる。そして良心は心の内にある小さな声であり人々に力を与える(エンパワー)、一方、エゴは専制的で横暴、横柄であり人から力を奪う。
2. 良心によって、われわれは身を捧げるに足る大義の一部になろうという気にさせられる。
ナチスの強制収容所の中で、ヴィクトール・フランクル(注)は、「私に必要なものは何だろう」という問いかけを「私が必要とされるものは何だろう」に改めました。このことでフランクルの世界観は変わり、内なる道徳の声である良心に耳を傾け、この問いへの答えを見つけたのです。問いの方向を前記のように変えることで、人の良心の扉が開き、その影響を受けられるようになる、と心と精神が変化することを指摘しています。
(注)1905年3月26日~1997年9月2日。オーストリア生まれの精神科医、心理学者。ユダヤ系の出自のため、第二次大戦中にナチス強制収容所に収監される。ドイツ敗戦を機に奇跡的に生還した後に、その経験をもとに「夜と霧」(霜山徳爾訳、1956年。池田香代子訳、2002年。いずれもみすず書房)を執筆。戦後は多数の著作か講演の実績がある。
3. 目的と手段を切り離せないと言うことが、良心からわかる。
目的と手段の両方とも大事であり、分けて考えられないことをカコヴィーはカント(注)を引用して述べています。それはガンジー(注)が示す「良心なき快楽」「人格なき学識」「道徳なきビジネス」などわれわれを破滅させる7つの事例が、高い目的であってもその手段が誤りであれば、「結局は、手の内で塵と化す」ことからもわかると説明しています。そして、手段と目的の両方が重要であることは良心が教えてくれること、良心は「目的が手段を正当化する」というエゴを認めないことを強調しました。
(注)イマニエル・カント。1724年4月22日~1804年2月4日。ドイツ(プロイセン)のドイツ観念論哲学の祖とよばれ、純粋理性批判などの著書でも知られる。
(注)マハトマ・ガンジー。1869年10月2日~1947年1月2日。非暴力、不服従を旗印にインド独立の父としてインドの民衆を指導した。
4. 良心によって、人と人が結びつく世界へ導かれる。
「良心のおかげで、われわれは独立した状態から、お互いに頼り合う状態へと変化する」 これによりわれわれは、ビジョンや価値観を共有する構造や体制という制度かられた規律を受け入れます。良心は、情熱を互いへの情熱、すなわち思いやりに変えます。「思いやりとは情熱を相互依存的に表現したもの」であるとして、大学の清掃係の名前を知っているかというテスト問題が出され、それを出題した教官から「出会う人すべてに注意を払うように」と指導されたジョアン・C・ジョーンズの経験談を引き合いに、コヴィーは、「良心に従って生きることで誠実でいられ、心も平安であること」、そしてそこで作られる相互の関係が、リーダーとフォロワーの相互が頼るリーダーシップが形づくられる、と説きました。
・コヴィーは道徳的権限を「道徳的性質+原理+犠牲」と定義している、と言います。現実の生活の大半では、一定のやり方や慣習に従う方が良いとしつつ、重要な場面では、自らの犠牲をいとわないことで、慣習に流された不適切なものではない「普遍の原理と一致するやり方」で振る舞うことができるとコヴィーは力説しました。犠牲は道徳的権限の本質であり、謙虚さはその礎となる特性であるとコヴィーは主張しています。
・道徳的権限ということばは、命令や力をイメージする権限ということばと、道徳的ということばの合成で、「なんとも逆説的」とコヴィーは言います。彼は、この逆説的で難しい局面において、「道徳的支配はサーバントであること(中略)によって達成され」るとして、「彼らが自らの意志で応じるのは、サーバントであると証明され、信頼されていることを根拠に、リーダーとして選ばれた人に対してだけだろう」というグリーンリーフのことばを参照しました。そして、「真に優れた組織のまさにトップの人間はサーバント・リーダーだ」と断言しています。
・コヴィーはサーバントリーダーシップが現代アメリカ、そしてさらに世界中の心の傷を癒やせると期待を寄せています。それはサーバントリーダーシップの原理が普遍的なものであるからです。コヴィーはサーバントリーダーシップに満ちあふれた世界を夢見つつ、本書の再版を進めたグリーンリーフ・サーバントリーダーシップ・センターへの謝辞と祝辞をもって寄稿を終えました。

【参加者による討議】
・コヴィーはヴィクトール・フランクルがナチスの強制収容所で、問いかけを変えることで良心の扉が開かれた、と述べている話を引用している(日本語版、p.25)。この話の少し前には逆に、フランクル自身の良心に従って質問を変えていった(日本語版、p.24)とあり順番が逆だ。どちらかが正しいのだろうか。あるいは鶏と卵の関係のように、どちらが原因でどちらが結果と断言できないことなのだろうか。
・人の存在を考えるときに、その人のbeing、すなわち存在やあり方という側面と、doing、行動という二つの側面がある。われわれは、自分にせよ他人にせよ doing の世界を分析してしまうことが多く、原因と結果についても一方向で考えがちだ。だが、フランクルの良心の扉が開かれたというこの話は、彼のbeingの世界でのことだ。彼自身の心のありようの変化を時系列で考えるのは、そぐわないかもしれない。
・Beingという静的な状態で考えるよりも、今の状態である being とあるべき姿、ありたい姿の to be として考えることが自分には腑に落ちる。遠いところにある目標に到達するイメージだ。
・他の囚人への、この苦しみの中でなぜあなたは死を選ばないのかというフランクルの問いかけから、問いかけられた人が「(自分が死ねば)妻が苦しむから」と答えたことに感じるものがある。自分が周囲にこうした問いかけをできているのかという思いだ。
・ナチスの強制収容所という、人間の極限的世界での話であり、参考にならないと思う。
・われわれの日常には、今もこれからも存在しないような極限状況ではあるが、逆に極限の状況下でのことであるが故に、本質だけの問いと答えとなっている点もあるのではないだろうか。

・「経営者の役割は(中略)人々の内側から外側へと、その人の持つ最良かつ最高の性質を引き出して鼓舞し、さらに高めるものに変わった(日本語版、 p.18)」というコヴィーの記述に強い印象を受けた。内側から外側、つまり内面から外面に最高のものを引き出すというのは、人に限らず、組織においてもあり得る話だと思う。人の内面としての心が外面としての行動にどう反映されるかという点で、いろいろ考えさせられる。
・人の内面から出る行動は信頼される。飲食店の鳥貴族を一代で全国チェーンにした創業者の大倉社長は、今も会社は自分一人のものではなく全員のものと言って、身のまわりのことは全部自分で行うそうだ。子息が芸能人ということでも有名だが、そのことを隠しもせず驕りもしない自然体を貫いていて、そうしたことを含めて、周囲から高い信頼を得ている。

・勤め先で議決権行使に関する仕事をしている。そのために多数の企業を評価しているが、個人的な指標として従業員が内発的に行動している会社を評価したいと思っている。多店舗展開するような業種がわかりやすいが、カリスマのワンマン社長がすべてを指示するような会社では、店舗の規模が数百店を超えるとカリスマ社長の意図が末端につながらないことが散見され、1,000店を超えると明らかに浸透していないことがいやでも目に入ってくる。
・企業の経営理念の改訂を手伝っている。店舗の規模の成長、拡大の中で過渡期を迎えている。先ほどの話の通り、顧客優先のこれまでの経営理念が一部の店で店舗運営を後回しにするための言い訳となっている。ただし、経営全体を見渡すと店舗数の拡大局面ながら、むやみに人を増やせない状況にある。そのような中で客サービスを再定義して店舗運営の合理化、整理整頓と直結させたいと思っている。そのために経営の意図の浸透にはさらに工夫が必要と認識している。
・流通の川下といわれる小売りに近いところで、顧客重視ということばが改革の阻害要因になっているというのは意外な感じがする。具体的にはどのようなことが生じているのか。
・一部の店舗で販売スタイルを変えることへの反発がある。表面的には顧客重視の方針維持と言いながら、本音は現状に甘んじたいということのようだ。経営にも反省すべきところがあり、これまでも日々の仕事が、人すなわち従業員を成長させる方向になかったと思っている。
・類似の話であるが、社内で地位に関係なくお互いに言いたいことを言う社風を持った会社がある。風通しが良いといえば、そうなのだが、意見の言いっぱなしという状況が見られるようになった。そうなると発言がどんどん無責任なものとなり、実際の運営にせよそれを背景とした社風にせよ、いろいろと逆目に出ているように感じている。
・「人が良心に従って生きようと努力すれば、誠実でいられるし、心も平安である。ウィリアム・J・H・ベッチャーはそう言っている(日本語版、p.28~p.29)」という箇所に心を引きつけられた。最近、トップのビジョンをフォロワーが自分のものにすることの難しさを感じている。自分は公務員であるが、組織のトップは選挙で選ばれるために、選挙によるトップの交代にともなってビジョンが急に変わることがある。現在のトップは数年前に当選した民間出身の若い人。日常の指示を含めて斬新なものがあると感じているが、自分を含めて長年培ってきた職業観を持つ多くの職員に、まだ腑に落ちないところがある。また「相手を恐れることなく、自分の信念を表現できる勇敢さ(日本語版 p.29)」という言葉には痛みすら感じる。中間管理職の自分が下にいろいろなことを伝えるとき、腑に落ちていないことを見透かされているのではないか、という感覚、人間性を見られているという恐怖感がある。
・多数の従業員が所属するいわゆる大会社に勤務している。企業としてのビジョンがあり、それを下部の組織やメンバーに伝えるときは、その組織ユニットのリーダーは、上位者が示した経営のビジョンや思いをそれぞれの組織現場向けに咀嚼して再構成する必要があると思うが、そのようになっていない。会経営者、つまり自分たちの上位の組織や人がいったことをコピー&ペーストして伝えているケースが多いのが残念。面倒な仕事に従事している部下に、その仕事の意味と意義を自分のことばで示すことが役割だと思う。
・部下をエンフォース(=指示に従わせる)ためのことばを、部下の納得度を高めるように穏やかに語り掛けるように心がけている。しかしながらそうした行動が自分の部下への思いなのだとわかってもらいたいというエゴがあることを自覚している。自分が相手にどう受け止められるか、自分が受け入れられるかという感覚、恐怖心からくる行動で、それ自体がエゴだと感じている。
・いまの意見は自分も管理職として痛感するところがあり、かつとても難しい問題だと思う。また上位者に対する部下の立場からも難しく感じられる。自己犠牲をいとわぬ良心に裏打ちされたことばかどうか。本物の良心を見分けること、外側から一見するだけではわからない。

・議決権行使の仕事は、総会の多い6月に多忙を極める性質がある。正確な仕事を実施することは当然であるが、その中で効率的な仕事の仕方が強く求められてきた。さまざまな効率策が示され、具体的な会社としての指示も多数ある。そうした効率化対策を実施してきたが、なぜか逆に効率が下がり、組織内の不満が高まってきた。部下や周囲と対話を重ねてきたが、事態が改善しない。そこで、部下とミーティングでそれまで示してきた業務プロセスの効率策を全部撤回して、ミスなく期限通りに仕上げこと、その方法を各自に任せることにした。その結果、効率が上がり、当初の目的を達成することができた。善意で寄せられた効率策がマイナスに働き、各自の自由と責任という、少し突き放したような指示の下で効率が上がったことにいろいろ考えさせられている。
・自律性を信託することで効率が上がる。話を聞けばなるほどと思うが、実際にはとても難しい。こうしたリーダーシップが成功する要因を突き詰めたいと思う。

次回からロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントであれ 奉仕して導くリーダーのあり方」(英治出版)の会読を実施致します。同署の第1回読書会は、7月27日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミー(麹町)で開催予定です。

第32回 東京読書会(第二期)

第二期第32回(通算第87回) 東京読書会開催報告
日時:2018年5月23日(水)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会は、最終の第11章を終えてグリーンリーフの「追記」とピーター・M・センゲの寄稿「終わりに」を会読しました。「追記」はグリーンリーフの著作や論文をまとめた1997年の本書初版(注、米国で刊行、邦訳なし)に掲載されました。書籍化に際してグリーンリーフにより追加されたものですが、短い文章の中にサーバントリーダーシップの本質に迫る強いメッセージが込められています。「終わりに」は、米国で2002年に本書第2版が刊行されるに際してセンゲから寄稿されたものです。初版の刊行から四半世紀、グリーンリーフの死去から12年を経て、サーバントリーダーシップの重要性が世に知られつつある中で、21世紀を迎えた社会におけるサーバントリーダーシップの深い意義がセンゲによって説き起こされました。((今回の会読範囲 p.521「追記」~p.549、「終わりに」の最後まで)



【会読内容】
[追記]
・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」の著作は1977年に初版が出版されています。彼が書き綴った多くの小論をテーマごとにまとめた、いわば著作集でした。11の章に分けて過去の著述がまとめられましたが、その後にグリーンリーフ自身による「追記」が載せられています。「サーバントリーダーとは誰か」という副題で、日本語版でもわずか2ページのものですが、この本の最後を飾るにふさわしい内容です。
・「サーバント・リーダーは自分の信じた道を突き進むから、ほかの善人たちとは違う(日本語版、p.522)」として、サーバントリーダーは経験から学びつつ重要な場面に対処する確固たる精神が備わっている、と定義しています。
・グリーンリーフは現代の組織リーダーシップの問題を考える中で、「社会変革はどこからでも実行でき、把握できないほど広がっていく」としつつ、その根底で、サーバントリーダーが「彼らのリーダーシップは手本を示すことで信頼を保ち続ける(日本語版、p.523)」ことが社会変革の原動力となると説きました。
[終わりに]
・本書にはマサチューセッツ工科大学上級講師で、組織学習協会(Society for Organization Learning、– SoL)創設者で、「学習する組織」の理論で有名なピーター・M・センゲによる寄稿が、「終わりに」として掲載されています。センゲがグリーンリーフの著書に「終わりに」を寄稿したのは、グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」の米国での出版(1977年)の25年周年を記念した2002年の再版でのことです。センゲは、本書の初版をアメリカン・リーダーシップ・フォーラムの設立者で「シンクロニティ」などの著者であるジョセフ・ジャウォースキーから贈呈されたと記憶しています。本書を読んだセンゲは、これを単なる良書にとどまるものではなく、世界を変え得る書物である、高く称賛しています。
・センゲは、「(世界の)何かを変えることをやってのけるのが、本書“サーバントリーダーシップ”なのである。さらに言えば”サーバントリーダーシップ”の衝撃は、過去二十五年におけるよりも、今後の二十五年間のほうが大きいだろう」と書いています。2002年再刊の本への寄稿ですから、まさに現在をしめしていることになります。
・センゲは本書(サーバントリーダーシップ)が重要な理由として、現代が「”組織の失敗”という時代」であり、抜本的な組織改革の必要性が求められていることを上げています。この文章が寄稿された21世紀冒頭の社会で、Eメールやボイスメールなどの新技術が人々に深く関わってくるようになったと言及する一方で、「(これから)どのように変わっていくのを予想するのは至難の業(後略)」と書いて、未来を含めた時代を把握することが大変に困難であること、ただし、未来が見通せないという理由で変化の中で立ち止まることの危険を訴え、そうした難しい時代への指針としての本書の役割を訴えました。
・さらに、「先に変化するということは難しい」と、時代の方向を見定めることの困難さが21世紀を迎えても重大な課題であることを指摘しています。そのことについて、「私(=センゲ)は本書が将来、さらに重要な役割を果たすことを願っている。革新的な<組織>を立ち上げるときに、どこまでのコミットメントが要求されるかを解説した数少ない本だからだ」と述べています。
・センゲは、サーバントリーダーシップが経営管理のフィールドにおける必要不可欠なものであり、その実態は、「学習」であり「知識」であり「変革」である、と述べています。さらに「変革」と「学習」は異なる概念であり、後者の核には「新たな能力の発達」すなわち「ある確実な結果を得る能力が新たな段階に達することにある」と訴えます。そう主張しつつもセンゲは、組織全体の能力開発活動が、成果を得るまで時間を要するという制約を挙げるとともに、グリーンリーフのことばを引用しつつ、変革の領域が「ここ=組織内」にありながら、変革の結果は「外=組織外」にもたらされるという矛盾があると述べて、「この矛盾こそ、能力開発へのアプローチ」であると力説しました。
・センゲはさらに分析を進めて、能力開発のスタートが「強い願望」にあり、その動機を「目標」の設定により継続することである、とグリーンリーフを引用しながら主張しています。
・さらに仕事で求められる能力開発の第二の領域として「複雑性を理解する」ことを挙げ、その達成の道筋として、グリーンリーフが唱えた「概念的(コンセプチュアル)リーダーシップ」を挙げ、「グリーンリーフは概念化することを、“最も重要なリーダーシップ能力”と呼んでいる。概念化とは、たとえば複雑な状況をどのように把握するかということだ」と解説しています。センゲは、この概念化を、事象の理解のために安直に単純することではないと説いています。「複雑な状況を複雑なものとしてとらえつつ、その状況をしっかりと把握する能力だ」「(リーダーは)「手っ取り早い解決策を模索するだけではだめなのだ」と述べています(日本語版、p.533~p.535)
・こうして話を展開してきたセンゲは、グリーンリーフの独創的な考え方の一つだ、として以下の一文を挙げています。「サーバント・リーダーとは、第一に奉仕する人だ。それは自然な感情として湧き上がり、人々を奉仕したい、まず奉仕したいと思わせる。権力、影響力、名声、富を欲したりはしない」
・センゲはサーバントリーダーシップの核心部分に、あるタイプの「コミットメント」があると述べています。多くの人が「心の底からのコミットメント(日本語版、p.541)」とは疑念のない信念に基づくと考えますが、彼はこれに異を唱えて、「疑念という影に身を置いたときにしか、われわれは自分と意見の異なる人の声に真剣に耳を傾けたりしない。(中略)われわれは学ぶ機会がない。(日本語版、p.542)」と述べています。100パーセントの信念の価値を認めつつも、真実への道を見失わないように「不確実性を抱きながらも奉仕することがわれわれには求められている」と真のリーダーが直面する困難について解析しました。さらに、リーダーとフォロワーの関係において「真のコミットメントは、実際にほかのひとのための選択を生み出すのだ(日本語版、p.544)」として、フォロワーに選択の余地がある、すなわち上からの強制ではない共感のリーダーシップの考え方を導き出しています。
・そして、センゲは、「コミットメントの最後の特徴は脆弱性だ」と書いています。多くの人の通常の理解に反する内容ですが、「自ら進んで脆弱な人間にならないかぎり、リーダーシップを存分に発揮することはできません」と、シャル石油のフィリップ・キャロルの言葉を引きつつ、「脆弱性が人の効果的な力を引き上げる(日本語版、p.545)」とリーダーが常に自己を顧みる重要性を説きました。リーダーの役割とは人々を真実に導くためであり、そのために他者への奉仕と謙遜、すなわち自己への冷静な視線を必要とするという主張です。
・最後に日常で陥りがちな「権限」と「リーダーシップ」の混同を回避する必要性と、リーダーシップは、組織の階層とは独立したものとして考える必要があると注意喚起しています。情報や判断が上層部に限定され、それを当然のこととしがちな企業社会への警句とも言えます。またセンゲはリーダーシップを階層から独立したものと考え、これらを踏まえて彼が設立した組織学習協会(SoL)では、「リーダーシップとは“人間社会の未来を方向づける、人間社会の能力だ”」と定義しました。まさにグリーンリーフが長年にわたって研究したリーダーシップの本質を突いた定義です。そして重要な変革プロセスは、傑出した個人によってではなく、多くの人間の関わりによって成し遂げられることに言及ました。締めくくりに、センゲはサーバントリーダーが組織のトップに君臨するのではなく、その能力を持った人が広く組織全体に散らばり、社会の「いたるところ」にサーバントリーダーが出現することを望みつつ、「真のリーダーシップとは、きわめて個人的なものでありながら、本質的には集団的なものなのだ(日本語版、p.549)」との結論で寄稿を終えました。

【参加者による討議】
・グリーンリーフの追記、「サーバント・リーダーとは誰か」に、「サーバント・リーダーは自分の信じた道を突き進むから、ほかの善人たちとは違う」(日本語版、p.522)と書かれている。サーバントリーダーが奉仕するのは、単純に他の人のために行動する、ということではなく、自らの意志、信念に仕えることで、他者のために尽くすという意味であると理解している
・NPO法人の日本プロジェクトマネジメント協会の集まりで、サーバントリーダーシップの重要性を訴えている。チームで取り組むプロジェクトにはゴールがあり、そこに参加するメンバーがいる。リーダーは正しく設定されたゴールに向かってメンバーを導くために、メンバーを下から支えることになる。奉仕の対象が自分の意志という点は、その意志が正しく設定されたゴールを目指すという意味において、大いに同意する。

・ピーター・センゲが寄稿の中で、シェル石油のフィリップ・キャロル(フィル)の「脆弱性はリーダーシップの大変重要な要素です。自ら進んで脆弱な人間にならないかぎり、リーダーシップを存分に発揮することはできません」(日本語版、p.545)という発言を取り上げている。自らの弱みを見せまいとするストロング・リーダーシップスタイルでは、周囲が警戒して正しい方向を見出すための情報が入ってこないことがしばしは起きる。リーダーが孤立して、正しい答えが見いだせなくなる。
・センゲは、フィルの発言ではさらに、「リーダーシップの理想的なあり方として、(中略)謙遜(が重要)(日本語版、p.546)」を挙げて、「自分の欠点や短所、判断力の欠如を自覚していない人間は、人々を誤った道へ導いてしまいます」と述べている。この発言を裏付ける事例はたくさんある。組織の上に立つものでも、虚勢を張るのではなく、わからないものはわからないという姿勢、真実を語るという態度が重要なことがわかる。
・リーダーとメンバーのそれぞれが、自分の弱みをお互いに理解している組織は強い。お互いが理解しあうためには、語り合うことの重要性を理解し、実践していることが必要だ。
・相手を認めること、相手の考えが理解できるということには、高いレベルでの難しさがある。不確実性のある社会では、相手の考えを正しく認識しない場合に、拒否の反応を起こして排除したいという考えにとらわれる。その方がむしろ多いのではないか。強い信念と意志をもって行動している人と、単にある考えにとらわれてしまった狂信者も見た目では、ほんのわずかな違いでしかない。狂信者に他の意見に耳を傾けないという排除の論理が働く。
・センゲの寄稿の最後にリーダーシップについて、「人間社会の未来を方向づける人間社会の能力だ」と定義して、この定義に「“コミュニティー”というキーワードがある」と書かれている(日本語版、p.548)。自分は数年前に東京での職を辞して、自分の希望で、現在、地方の10万人規模の都市で団体公務員として働いているのだが、先日、市によるフリースクルーを手伝った。コミュニケーションに支障がある子供たちにプロの講師が体操や演劇を通して、コミュニケーション・スキルを身につけていくプログラムだ。それぞれの子供たちに自分のペースで進めることを許容し、課題ができなくても排除されない。安心して所属できるコミュニティーの存在が重要なことを理解した。個性の違う個人が集まり、互いに受け入れる。そのお互いの支え合いがリーダーシップの姿なのではないかと思っている。
・中学校で教員を務めているが、学級を作るとき、生徒それぞれの良いところを集めて、多様性のつながりを大切にしている。そして生徒同士がお互いの弱いところを認め合うことを理解してもらおうと努めている。
・職場の若手職員が転職したいと言ってきた。会社から示された仕事には熱心だったが、本人がやりたいことは、指示されたこととは異なるとのこと。上司である自分は、サーバントリーダーシップの属性に沿って、相手の話を聞くことには注意を払ってきたが、会社の仕事の枠の中での明確なビジョンを示せなかったのかと反省している。目の前の人だけに奉仕するのではなく、その人を含むチームとしてのミッションやビジョンに奉仕するという姿勢が必要だったと感じている。そこがあれば、部下もミッション、ビジョンの中で自己実現を図り、あるいはもっと率直にコミュニケーションが取れたのではないかと思う。
・チームで山に登るには、まず山頂を目指すこととそこの姿を示すことが重要なのだろう。自分たちはつい、そこへの山道と注意事項だけを示してしまいがちだ。

・組織のミッション、ビジョンの達成と個人の幸福が常に一緒に実現することが正解なのかという命題を考えてみたい。例えば企業組織において、売り上げや利益の業績目標といった表面的なことではなく、その組織の意義として設定したゴールに到達せずとも構成員の達成感や幸福が実現することはあり得るのではないか。その場合、そうした組織の参加者が何を感じたか、ゴールに導けなかったリーダーの意義はどうか、単にメンバーに奉仕することで価値を見出し得るのか、といったことを考えてみたい。
・目に見えることや耳に聞こえることなど、感覚でとらえた事象や知識として得た情報に対して、心の片隅に常に疑念をもって、これを健全な批判精神で分析していくことが肝要だ。とくに価値判断において、善悪や正否の二元論に陥ることは避けなければならない。自分の心の中に多様性を許容する広さを準備しておくことが大事だと思う。
・組織のビジョンとはどうなりたいかという未来の姿、ミッションはビジョンの実現に向かってどう行動するかをデザインすること。手近な手順の改善を考える機会はたくさんあるが、ビジョンに向かってどう行動するか、どうすれば一番良いかといったことを考える機会が少ない。われわれは、何をやれ、どう行動せよ、とお膳立てされることに慣れすぎているのかもしれない。意義や使命つまりミッションから考えていかないと本当の達成感は得られないし、意義や使命からスタートすれば、本当の自分の第一歩を踏み出せる。
・達成感を得られるステップでのワクワク、ドキドキ感に勝るものはないと思っている。

・いろいろな意見に、大人の世界で理解し、賛同することが多数あるが、社会的には未熟で成長途上の、さりとて子供とも言い切れない中学生についてはどうなのだろう。
・時代的なものもあるかもしれないが、頭ごなしの指導では生徒に受け入れてもらえない。教師の側も状況をよく理解して説得するという姿勢が必要だ。また、まださまざまな社会的なスキルが十分に身についてないところがあることも事実。最近も見たり聞いたりの行動が自分の友達に集中していて、目の前の自動車に気がつかず、あわや、などということもあった。そのような環境の中で、生徒の指導を含む学校や学年の運営にサーバントの精神が不可欠と感じている。学年主任という立場や肩書を得ても、その学年のすべてを仕切れるわけではなく、同僚の教員をはじめ学校関係者が陰に陽に支えていかないとうまくいかない。

・センゲが寄稿の中で「概念化」を挙げている。「仕事で求められる能力開発の第二の領域は、われわれが複雑性を理解することだ。“リーダーとしてのサーバント”に概念的(コンセプチュアル)リーダーシップに触れたセクションがあるが、読み流した人が多いのではないだろうか。グリーンリーフは概念化することを“もっとも重要なリーダーシップ能力”と呼んでいる(日本語版、p.533~p.534)」とある。グリーンリーフの弟子のラリー・スピアーズはサーバントリーダーシップの10の属性をまとめていて(日本語版、p.572~p.573参照)、概念化はその6番目となっている。ただ、1番目の属性である「傾聴」や2番目の「受容」と比べると、概念化について討論される機会は少ない。
・概念化という用語に「感覚を伝える」という意味を感じている。もう少し詳細に言えば、同じ感覚で共有していない、例えば、その物体を見ていない他者に、形や色、質感などを伝えるといったことだ。
・所属企業の中国進出を手掛けた経験がある。資源リサイクルに関わる業務だが、当時資源リサイクルという概念のなかった場所で、現地の人に、この仕事の意味と意義を伝えて理解してもらう方法と手順に腐心した。人の概念の形成は経験に基づく知識が起点となる。目に見えないものや経験をしたことがない概念を理解してもらうために、現地の人がすでに持っている概念とのつながりとなる別概念を用意して、それを土台に徐々に間隔をつめていった。
・進化のための変化は、まさに見えない世界に進んでいくことだ。つまり0から1を作り出すことであり、その連続。変化した先、つまり1の姿は、変化する前、つまり0の段階では想像上の概念としてしか理解できない。変化への拒否とか揺り戻しは、この概念化が上手にできていないことが起因しているケースが多数ある。
・ものごとには、表面的に見えていることとその本質が異なるどころか全くの逆方向ということが、時折起こりうる。自分の勤務先が過去に独立した会社を多数設立する企業分割を実施したが、内部的には機能統合が発生して、機能単位では企業合併となっている、ということがあった。
・人間の実際の感覚は動物学的にはかなり劣っていて、対象を正確に客観的にとらえられない。そこを知性で補っていて、概念化はその知性の活動といえるだろう。そこを正しく導くのがリーダーの役割ということに納得させられる。




次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダシップ」第二期第33回の読書会は、6月22日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

これまでとは会場が異なりますので、ご注意下さい。

第17回 大阪読書会 開催報告

5月14日(月)、第17回大阪読書会を開催いたしました。

本勉強会ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」を参加者で会読しています。 "一人では読み進められなかったりわからなかった事も、参加者同士の自由な感想・意見交換によって学びを深められる"といったお声を多く頂きます。



今回ご参加頂いた方からも 「今回も意味を考えることが多くて楽しかったです」「リーダーシップは直感からくる洞察が大切」「方向を示すことができるリーダーとなり、自らの行くべき道をいきたい」といったお声を頂きました。

大阪での次回読書会は6月6日(水) です。

ご都合の合う方は是非ご参加ください

次回開催情報はこちらから

第31回 東京読書会(第二期)

第二期第31回(通算第86回) 東京読書会開催報告
日時:2018年4月20日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

# 2018年3月23日に実施した第二期第30回東京読書会開催報告を併せてご参照下さい。
ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会は、最終の第11章「心の旅」の会読に入りました。この章は、これまでの章の会読と異なり、途中で切って、解読を進めるのではなく、第11章全部を会読して参加者討議する会を前回と今回の2回実施しています。続けて参加した方と本章会読初回の方を交えた議論は意義深いものになりました。この章は、グリーンリーフが米国の詩人、ロバート・フロスト(注)の「指示」(原題、Directive)という詩を引用して、グリーンリーフがサーバントリーダーシップの観点から解説を加えたものです。フロストは苦難に満ちた自身の人生を通じて感じた前進する人間の価値を詩に託し、グリーンリーフは、そこからフロストを通じた神の啓示を受けようとしました。グリーンリーフのこの解説文はフロストの死後に書かれたものですが、この詩を巡って二人が熱く語り合ったもののように読めます。(今回の会読範囲 p.493~p.519、この章の最後まで)
 (注)ロバート・リー・フロスト(1874.3.26~1963.1.29)。第二期第30回東京読書会開催報告参照。



【会読内容】
・グリーンリーフは、フロストの詩、「指示」に関する彼の読解、解説の小論を本書に再掲するに当たり、「私は晩年のロバート・フロストと知り合えたことを光栄に思う。彼の詩は人間を一人の個人としてとらえる感覚に優れ、私にとって特別な意味を持っている」と書き、フロストとのいくつかのエピソードを交えつつ、懐かしい思い出をつづっています。
・1963年、フロストの死後にグリーンリーフがこの詩「指示」についての読解を書いたことについて、「フロストに与えられた影響を確認する作業であり、私がサーバント・リーダーとして見るようになったものを模索している人々、遅かれ早かれ ―自分の力で― それを手にする人々と分かち合うための作業だった。われわれは何者なのか、われわれはどこへ向かって旅をしているのだろうか、というものだ」と説明しています。

・指示  (原題 Directive) (注)
もはや耐え難いものになった現状のすべてを離れて、/細部が忘れ去られ 単純化した時を遡ってゆくと、/日焼けしたり分解したり、風雨に晒された/墓地の大理石彫刻のように 崩壊した/もう家ではない家が そこにある、/もう町とは言えない町のなかの/もう農場とは言えなくなった農場に。/内心道に迷わしてやろうとしか 思っていないようなある案内人に/指示させるなら、そこを通る路は かつて/
石切り場ででも あったかのように思えようが-/そこの路は、昔の町が覆い隠すようなふりなど とっくに/無くしてしまった 巨大な一枚岩の膝の部分なんだ。/そうしてある書物には その話が載っているが、/鉄の車輪が磨り減らしたあとだけではなく、/岩棚は巨大な氷河という鑿<さく>の造作で/南東から北西に走る栓を露わにして、/それが北極に向かって 足を踏ん張っているんだ。/パンサー山のこちらの斜面に今なお漂うと/いわれるある種の冷気なんぞ 気にしてはならない。/また君は 四十もの小桶から覗く目玉のような/四十もの地下室の中から凝視される/連続的試練をも気に掛けることはない。/ざわざわと葉ずれの音を立てさせる/君に対する森の苛立ちには,/成り上がりものの青臭さのせいだとしておくのだ。/わずか二十年も前には そんな木々はみな何処にあっただろうか。/それはキツツキに悩まされたリンゴの老木を/日陰にしてやったと、大げさに思いすぎている。/この路もかつては誰かの仕事から帰る家路だったわけで、/その男は 君のすぐ前のあたりを歩いていたとか、馬車一杯の穀物を積んで きしむ音を立てながら/通っていくという、威勢のいい唄でも作ったらいい。/この冒険の極まるところは、かつて二村の文化が/混じりあった土地の高まるところだ。/それらの文化はいずれも今は消滅した。/今までに 君が迷ったあげく やっと自分の路を見つけたなら、/自分の後ろに梯子路を引っ張り込んで/私以外には、すべての人に「通行止め」の札を出すことだ。/そうやればもう安心だ、残った一枚の畑など/鞍ずれの傷ほどの大きさもない。/まず ままごと遊びのこどもの家があるんだ。/マツの根元に割れた皿が散らばるが、/それは こどもたちのあそび家のあそび道具。/なんとちっぽけな物が彼らを喜ばせたか、見て涙したまえ。/それからもう家ではなく、そばにライラックの生えた/地下の穴蔵、こね粉のへっこみ穴がしんなり閉じていくようなものにもだ。/こちらはあそび家ではなく 本当の家だったのだ。/君の到達点で、君の運命であるものは/この家の飲み水の小川なんだ。/まだ水源にも近く、泉のような冷たさ。/激流するには ここは高過ぎて、根源的過ぎとる。/(私たちは知っているが、谷川も一たび激流すれば/刺や茨にぼろ屑がひっかかる。)/水べのシーダーの老木の アーチ状の根元の陰に、/私は欠けたゴブレットを 聖杯<グレイル>みたいに隠しておいた。/聖マルコが禁じたとおり、それに相応しくない者が/見つけて救われたりしないように、と呪文をかけて。/(ゴブレットはこどもたちのあそび家から/私がひそかに頂いてきたのだ。)/ここにあるのは君の飲み水で、君の水汲み場、/飲んで混迷を超えて 健全になりたまえ。
(注)この詩の引用については、第二期第30回東京読書会開催報告の注記参照

・この詩の意味について、フロストはグリーンリーフに「何度でも繰り返し読んでみてください。詩の方から訴えかけてきますよ」と語り、フロスト自身によるこの詩の朗読からグリーンリーフは、「(前略)何が重要なことなのか、彼がどんなことを感じているのかがよくわかった」と述べています。
・さらに、グリーンリーフは「この詩を繰り返し読んで、どんなことを思い浮かべるかは人それぞれだ。自分が準備段階にある何かや、受け入れ態勢が整っている何かを思い浮かべたりするのだろう」と書き記し、そこから「気づきは、何か重要で心をかき乱されるようなものが自分とその象徴との間で発達するままに任せ、求めることによってではなく、じっと待つことによって現れてくる」「象徴の力は、意義深い新たな意味の流れをいかに継続できるかによって測られる」「象徴は対峙を生み出す。その対峙の中で象徴に意味を見出すのは、それを見る人なのだ」と彼の考えを展開していきました。
・詩の冒頭、「もはや耐え難いものになった現状のすべてを離れて、」について、グリーンリーフは「現代社会に生き、あるがままに社会と折り合いをつけていくだけでは、自分の成長を妨げる方向へ深入りしていくだろう」と警告しています。この警告はグリーンリーフがリーダーシップの本質を考えるきっかけとなった危機感そのものです
・フロストの詩で「内心道に迷わしてやろうとしか 思っていないようなある案内人にさせるなら」という部分について、グリーンリーフは「われわれはすでに喪失感を味わっている(後略)」として、それが世界的な宗教の伝統が常に立たされてきた立場であり、グリーンリーフが育ってきたキリスト教の世界においても新約聖書に記されたナザレのイエス(イエス・キリスト)の教えに、「われわれが道に迷わねばならないという手がかり(後略)」があると、福音書から数か所を引用して指摘しています。(本書日本語版、p.512~p.516)
・詩の半ばで、「今までに 君が迷ったあげく やっと自分の路を見つけたなら、/自分の後ろに梯子路を引っ張り込んで/私以外には、すべての人に「通行止め」の札を出すことだ。/そうやればもう安心だ、」という箇所があります。この詩における場面転換の場に当たります。グリーンリーフは、「充分に道に迷わなければ、自分自身をみつけることはできない」と述べ、「あなたはこれまでに築いてきた関係を断つ。しかし、その訣別を受け入れる。孤独のはずだが、心が落ち着いていて孤独を感じることはない。しかし、旅はまだ続く」と、人が道を求める課程での重要な心構えを説きました。
・さらに、詩の終盤「水べのシーダーの老木の アーチ状の根元の陰に、/私は欠けたゴブレットを 聖杯<グレイル>みたいに隠しておいた。/聖マルコが禁じたとおり、それに相応しくない者が/見つけて救われたりしないように、と呪文をかけて。」の箇所で、グリーンリーフは、フロストがこの詩に込めたであろう新約聖書の福音書(注)記されたイエスの教えやたとえ話に秘められた意味をくみ取りつつ、人間性が試される試練と精神の成長を述べています。
・この詩を通じて、グリーンリーフは「人間の完全性という尺度では、確信は得られないし、心の平安を得ることもない(中略)不安を超えたところに約束がある」と述べ、「現代人にとって、これはおそらく到達できそうにない道だろう。しかし完全には到達できなくとも、目指すことならともかくできる」と訴えました。
・グリーンリーフは「象徴によって促される喪失が、新たな創造的な行為へ、かけがえのない才能の授与へと通じ(後略)」「喪失と迷いへ向かうこの姿勢の根源にあるものは“信念”だ」として、「心の旅」を望む人々がこの「指示」という詩を伴侶として、旅に出て、旅を続けることを、「希望が見えない時代に、希望に満ちた仮説としてこれをお薦めする」と訴えます。グリーンリーフが生涯をかけて追及したリーダーシップの本質を「私は自分の人生をこの仮説に賭けてみたい」と記してこの小論を終えています。

【参加者による討議】
・やはり、詩の中間にある「今までに 君が迷ったあげく やっと自分の路を見つけたなら、/自分の後ろに梯子路を引っ張り込んで/私以外には、すべての人に「通行止め」の札を出すことだ。」(日本語版、p.497およびp.508~p.509)に強い印象を受ける。退路を断つ、という意味合いと想像すると、今度は、それは何のために、という疑問がわいてくる。梯子路を外すことで、後から人が安易についてこないように、本人も戻れないように、孤高の道を進むことになるのだろう。それがリーダーの道なのかもしれない。日本語版p.508に書かれている「自分の道」だ。
・普通の人は、人生の目的を安逸な幸福をつかむことに置きがちだが、この詩では違うと感じる。真の幸福に向けて、何かに挑戦しようとする強い意志が感じられる。
・そして、なぜ詩なのか。この詩全体に屹立とした美しさを感じる。美こそが人を惹きつける。
・「心の旅」というタイトルが強く心に残っている。自分自身の中に多くの悩みがあり、そのことを日々考えている。そのような思索の中で、なにかのことばに出会うことがある。そのことばを素直に受け入れられるときと受け止められず、不安に陥るときがある。そうした不安もそれを繰り返しながら、やがて自分が納得するときがくる。ことばの面白い力だ。
・自分が勤め先で営業に配属されたとき、どうしようかと困惑したことがある。人との付き合いが重要だが、そこにはハウツーのマニュアルがない世界だった。そんなときに、オグ・マンディーノの「史上最強の商人」(注)という本に出合って、迷いが吹っ切れた。この詩を読みながらその時のことを思い出していた。
 (注)オグ・マンディーノ(1923年~1996年)、米国の文筆家、自己啓発書作家。生命保険会社勤務などを経てから文筆業に転じ、セールス支援などの自己啓発書を多数書いた。「史上最強の商人」は、1968年に著した彼の代表作。日本語訳は、現在、角川文庫で入手可能(山川紘矢,山川亜希子訳、2014年)
・詩はことばを文字でつづったものだが、この詩は、決して風景をそのまま描写したものではない。しかしながら、この詩を音読していく中で、まるで映画のように、ことばが伝えようとする情景が浮かんでくる。現世の雑踏や周囲の人々から自分が離れて旅に出る。自分の心が望み、求めるままに進む旅だ。自分が進む道の先にどんな危険と苦労があるかわからず、進む道の途中で孤独を避けて道を戻る誘惑にかられる。戻るか進むかの岐路での決断、それを確固とするために梯子路を外すのだろう。
・大学時代にコーラスをやっていて、多くの合唱曲を歌っていたが、詩に意識を向けることは少なかった。当時は、まだ、人生について深く考えずに歌っていたと思う。その中で谷川俊太郎の詩は学生の心情を表していたと思っている。そのときに様な感じたことを思い出しつつ、フロストの詩を読んで、グリーンリーフの理解と異なるものを受け取った。とても多角的な詩のように思う。

・この詩の美しいフレーズに感銘している。5次元空間(注)からの声という感じがする。自分はJ.S.バッハが作ったマタイ受難曲(注)をカール・リヒターが指揮した録音(注)を愛聴しているが、その演奏で感じるものと同様の勧興を覚える。
 (注)1次元=線、2次元=面、3次元=空間、4次元=時空(時間と空間)、5次元は時間軸が無数にあり人間の基本的な身体機能では認知できない世界とされる。並行世界やパラレルワールドとも呼ばれる。
 (注)ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685.3.31~1750.07.28):ドイツパロック音楽の巨頭。音楽一家の家系に生まれ、ザクセン(旧東独)で演奏家として活躍するとともに、現代に継がれる多数の教会音楽、宮廷音楽を作曲した。音楽の父ともよばれている。
   マタイ受難曲:新約聖書マタイ福音書におけるキリストの受難の物語をもとにした独唱、合唱、管弦楽による音楽。J.S.バッハの最高作品ともいわれるが、彼の死後演奏されることなく、100年後にメンデルスゾーンによる再演で復活した。
 (注)カール・リヒター(1926.10.15~1981.02.15)。ドイツのオルガン奏者、チェンバロ奏者、指揮者として活躍。自身が設立したミュンヘン・バッハ・管弦楽団を指揮して1958年に録音したマタイ受難曲は、当時全盛期の世界一流歌手による歌唱を含めて、同曲の最高録音との呼び声が高い。

・多くの詩はその音韻を楽しむことも大切だと思っている。漱石の草枕は詩ではなく小説だが、その冒頭、「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」のたたみかけるリズムと音韻は、読む者にことば以上のものを訴えかけてくる。この詩の翻訳からも多くのメッセージが受け取れるが、音韻で訴えてくることを受け止めるために、原文で読むことが大切だ。
・人間の脳の神秘的な世界に思いを寄せる。現在、AI(注、Artificial Intelligence=人口知能)が世間の話題をさらっているが、AIは人間の脳をとらえきれていない。人間の神経回路は、AIと異なり Stop to Think、止まって考えるということができる。止まって考えることで世界を広げられる。心の余白である。人が詩から多くのことを感じ、学べるのは、心に余白があればこそ、だ。



次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダシップ」第二期第32回(通算第87回)の読書会は、5月23日(水) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。(通常の第4金曜日とは別の日程となっています。ご注意下さい)

第16回 大阪読書会 開催報告

3月23日(金)、第16回大阪読書会を開催いたしました。

本勉強会ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」を参加者で会読しています。 "一人では読み進められなかったりわからなかった事も、参加者同士の自由な感想・意見交換によって学びを深められる"といったお声を多く頂きます。



今回ご参加頂いた方からも 「奉仕するとはどういうことかを考えていきたい」「思いやり・若者から学ぶ謙虚さを明日から意識していきたい」といったお声を頂きました。

大阪での次回読書会は4月20日(金) です。

ご都合の合う方は是非ご参加ください

次回開催情報はこちらから

第30回 東京読書会(第二期)

第二期第30回(通算第85回) 読書会開催報告
日時:2018年3月23日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会は、今回から、いよいよ最終の第11章「心の旅」の会読に入ります。この章で、グリーンリーフは米国の詩人、ロバート・フロスト(注)の「指示」(原題、Directive)という詩を引用して、グリーンリーフが考えるサーバントリーダーシップの本質に迫ろうとしています。この詩は、1874年に生まれ1963年に没したフロストが1946年、70歳を過ぎて完成させた作品です。グリーンリーフは晩年のフロストと知り合う機会を得て、彼から多くの示唆を受けました。この詩はフロストの他の作品同様、米北部ニューイングランドの自然に培われつつ、自らの魂の昇華のあり方を顧みる詩です。(今回の会読範囲 p.493~p.519、この章の最後まで。なお、次回の読書会では同範囲を再度、会読する予定です)
 (注)ロバート・リー・フロスト(1874.3.26~1963.1.29)は、米国の詩人。作品はニューイングランド地方の農村風物を背景としながら、内容的には哲学的なものや社会問題に言及したものが多い。1916年刊行の詩集「山の間(Mountain Interval)」に収められた「選ばれざる道(The road not taken)」は、アメリカンドリームの象徴として、米国の多くの小中学校の教材として利用されている。



【会読内容】
・指示  (原題 Directive) (注)
もはや耐え難いものになった現状のすべてを離れて、/細部が忘れ去られ 単純化した時を遡ってゆくと、/日焼けしたり分解したり、風雨に晒された/墓地の大理石彫刻のように 崩壊した/もう家ではない家が そこにある、/もう町とは言えない町のなかの/もう農場とは言えなくなった農場に。/内心道に迷わしてやろうとしか 思っていないようなある案内人に/指示させるなら、そこを通る路は かつて/
石切り場ででも あったかのように思えようが-/そこの路は、昔の町が覆い隠すようなふりなど とっくに/無くしてしまった 巨大な一枚岩の膝の部分なんだ。/そうしてある書物には その話が載っているが、/鉄の車輪が磨り減らしたあとだけではなく、/岩棚は巨大な氷河という鑿<さく>の造作で/南東から北西に走る栓を露わにして、/それが北極に向かって 足を踏ん張っているんだ。/パンサー山のこちらの斜面に今なお漂うと/いわれるある種の冷気なんぞ 気にしてはならない。/また君は 四十もの小桶から覗く目玉のような/四十もの地下室の中から凝視される/連続的試練をも気に掛けることはない。/ざわざわと葉ずれの音を立てさせる/君に対する森の苛立ちには,/成り上がりものの青臭さのせいだとしておくのだ。/わずか二十年も前には そんな木々はみな何処にあっただろうか。/それはキツツキに悩まされたリンゴの老木を/日陰にしてやったと、大げさに思いすぎている。/この路もかつては誰かの仕事から帰る家路だったわけで、/その男は 君のすぐ前のあたりを歩いていたとか、馬車一杯の穀物を積んで きしむ音を立てながら/通っていくという、威勢のいい唄でも作ったらいい。/この冒険の極まるところは、かつて二村の文化が/混じりあった土地の高まるところだ。/それらの文化はいずれも今は消滅した。/今までに 君が迷ったあげく やっと自分の路を見つけたなら、/自分の後ろに梯子路を引っ張り込んで/私以外には、すべての人に「通行止め」の札を出すことだ。/そうやればもう安心だ、残った一枚の畑など/鞍ずれの傷ほどの大きさもない。/まず ままごと遊びのこどもの家があるんだ。/マツの根元に割れた皿が散らばるが、/それは こどもたちのあそび家のあそび道具。/なんとちっぽけな物が彼らを喜ばせたか、見て涙したまえ。/それからもう家ではなく、そばにライラックの生えた/地下の穴蔵、こね粉のへっこみ穴がしんなり閉じていくようなものにもだ。/こちらはあそび家ではなく 本当の家だったのだ。/君の到達点で、君の運命であるものは/この家の飲み水の小川なんだ。/まだ水源にも近く、泉のような冷たさ。/激流するには ここは高過ぎて、根源的過ぎる。/(私たちは知っているが、谷川も一たび激流すれば/刺や茨にぼろ屑がひっかかる。)/水べのシーダーの老木の アーチ状の根元の陰に、/私は欠けたゴブレットを 聖杯<グレイル>みたいに隠しておいた。/聖マルコが禁じたとおり、それに相応しくない者が/見つけて救われたりしないように、と呪文をかけて。/(ゴブレットはこどもたちのあそび家から/私がひそかに頂いてきたのだ。)/ここにあるのは君の飲み水で、君の水汲み場、/飲んで混迷を超えて 健全になりたまえ。

(注)フロストのこの詩は「サーバントリーダーシップ」の日本語版 p.497~499に掲載されている。サーバントリーダー日本語版での詩は、ロバート・フロスト著、飯田正志編訳「フロストの仮面劇」(近代文芸社、2002年)に基づく。なお、上記の転用の中で、/マークは、サーバントリーダー日本語版およびフロストの仮面劇での詩の改行箇所。< >で囲った箇所はふりながとなっている。
  原文は、https://genius.com/Robert-frost-directive-annotated で読むことができる。

・グリーンリーフがフロスト本人に「指示」という詩のもつ意味を問いかけたところ、フロストから「何度でも繰り返し読んでみてください。詩の方から訴えかけてきますよ」との答えを得るとともに、フロスト自身によってこの詩を朗読してくれました。グリーンリーフは、その時の経験を「(前略)とても印象に残る読み方で、何が重要なことなのか、彼がどんなことを感じているのかがよくわかった」と感動的に思い出しています。
・さらに、グリーンリーフは次のように述べます。
- この詩を繰り返し読んで、どんなことを思い浮かべるかは人それぞれだ。自分が準備段階にある何かや、受け入れ態勢が整っている何かを思い浮かべたりするのだろう。
- 気づきは、何か重要で心をかき乱されるようなものが自分とその象徴との間で発達するままに任せ、求めることによってではなく、じっと待つことによって現れてくる。
- 象徴の力は、意義深い新たな意味の流れをいかに継続できるかによって測られる。
・そして、「人はみな障害にぶつかりながら成長していく。新しく開かれた道は、仲間の探訪者が残してくれた記述の中に見つかるかもしれない。こうした共有の精神から、「指示」を読んで私が考えたことを述べてみたい」とグリーンリーフはフロストの詩に込められた意味を読み解いていきました。

【参加者による討議】
・第11章のクラフトの詩とグリーンリーフの解説の通読を終えて、討議に入る前に、会読参加者にとって詩とは何か、詩をどのようにとらえているか、過去に詩をめぐる体験などがあれば、それを共有したい。
・いろいろな詩にその詩独自の鼓動を感じる。詩は本来的に文字で読むものではなく、口にして語るものであり音韻も重要な要素だ。ことばがイメージとなって人の心に直接入り込んでくる。
・字数や音韻などいろいろな制約の中で語られ、つづられる詩もあるが、それらを含めて詩が織りなす世界には、常にある意図があると感じている。自分は友人とバンドを組んで音楽活動を実施していて自分たちの曲をつくることもある。友人が作った曲に詩をつけることが多いが、曲が先にある制約の中での作詞では、ことばのパズルを解くような漢学を覚えることもある。
・詩を通して多くのものが自分に降りかかってくる。過去においてきたものへの後悔や過ぎ去ったものへの思いなど。同じ詩がそれぞれの人に語りかけてくることで、異なる多くの意味を持つ。
・学生時代に武者小路実篤の詩に入れあげた経験がある。彼の躍動感のあることばづかいに、ネガティブになりがちな自分の心に力を与えてもらっていた。ことばに力づけられていた。
・自分たちが生きている世界が四次元の世界だとすれば、詩の世界は五次元、インスピレーションの世界であり、時空を超えている。200年前のゲーテの詩、さらには2500年近く昔のプラトンやアリストテレスの言説が21世紀の自分たちに直接的に響いてくる。人間の理性の究極でもあるように思う。
・詩というものに型があるように思いがちだが、散文の型をもつもののある。先日亡くなった石牟礼道子の「苦海浄土」を読んだ。水俣病、公害の怖さと被害者の苦悩を世に伝えたノンフィクションのルポルタージュのように言われがちだが、これを読むと水俣の地、海に生きる人たちのいのちのことば、ときに叫び、ときに静かに語ることばが紡がれた詩であると感じる。
・詩はその表現が抽象化され、ことばの内に、さまざまの意味や意図、思いが込められることが多い。ことばを字義解釈して頭で理解するのではなく、体で受け止めることが詩と対峙する姿勢として求められる。
・正岡子規の活動を高く評価している。万葉集、古今和歌集と日本人としての心象を形成してきた日本独自の詩の世界に、俳句という新しい形で、過去を継承しつつ新しい世界を築こうとした点。「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は子規代表的な句であるが、これは「」と対をなす。こうした世界の面白さもある。

・では、クラフトの詩 「指示」とそれに対するグリーンリーフによる解説で構成されている第11章「心の旅」についての討議に入ることにしたい。
・「充分に道に迷わなければ、自分自身をみつけることはできない。確認のためにこんな言い方もできるだろう。自分自身を見つけられない人は、充分といえるほど迷っていない(日本語版、p.508)は、クラフトの詩の「今までに 君が迷ったあげく やっと自分の道をみつかたなら、/自分の後ろに梯子路を引っ張り込んで/私以外には、すべての人に“通行止め”の札を出すことだ。/そうやればもう安心だ。(日本語版、p.497。再引用と解説はp.508)」という箇所の解説であるが、日々さまざまなことに迷っていて、自分自身を見失っていると自覚する身には、強い訴えかけだ。自分自身の道を見つけるのに、とても長い道のりを歩んできていると思っているが、その道に到達したときの風景、心象の風景がどんなものなのかと思う。
・他人がやってきたことを単になぞるのではなく、各自が自分で何かを生み出し、各自の道を歩いていく。正解が見えない世界での真理の探究者であることを求めているように思う。
・クラフトの詩を読みながら、自分も同じところに心を引かれた。詩の中の「通行止めの札を出す」とい句があるが、自分の後ろをついてくる人がいると無条件に安心し、緊張感を喪失してしまうために、そのような安逸な心と決別せよと訴えているのだろう。
・群れから離れて、孤独を受け入れよということだろうか。
・さまざまな評価軸や判断の基準を自分の外に設けてしまうと、他人の評価に振り回されることになる。そうではなく、自分自身の内側に基準を設けていくことが肝要だ。
・そうした自分の到達点について、クラフトは、「君の到達点で、君の運命であるものは/この家の飲み水の小川なんだ。/まだ水源にも近く、泉のような冷たさ。(日本語版、p.498、再引用と解説は、p.510~p.511)」と詠んでいる。到達点が水源で泉のような冷たさ、という表現に純粋さ、混じり気のなさが現れている。
・自分自身の到達点でもあり、出発点でもあるように思う。

・グリーンリーフは、この詩を取り上げることで、彼のどのようなリーダーシップ観を読者に伝えようとしたのだろうか。
・本書の第8章「サーバントリーダー」にグリーンリーフの師であるドナルド・ジョン・カウリングの評伝が掲載されている(日本語版、p.409~458)。ここで描かれているカウリングは、敬虔なクリスチャンとして、周囲の話に丁寧に耳を傾ける特質を備えつつ、他人におもねることなく、自らが信じた道を進んでいる。自分の心に降りてきた神が指示する道を行くというイメージが強い。
・本物のリーダーは、いついかなる状況においてもリーダーである。私たちの生活でも春は入学、卒業、就職、異動そして転職など周囲の環境が大きく変化することが多い。その中で新しい世界に入ってもリーダーシップを発揮する。旅の途上、行く先々で周囲を導くイメージだ。
・「今までに 君が迷ったあげく やっと自分の路を見つけたなら、/自分の後ろに梯子路を引っ張り込んで/私以外には、すべての人に「通行止め」の札を出すことだ。」という箇所で、詩の主張内容が変化したように感じる。この部分より前で描かれた、残してきたといえるものごとが、このフレーズによって、虚構であると描かれている。
・梯子路を引っ込めて、通行止めの札を出す、のフレーズを境に、詩の雰囲気が変わる。ある瞬間に曇りが去って視界が一気に開ける感覚だ。
・その意味では、この梯子路のフレーズ以前の詩の前半は、過去を捨てる苦しさを表現しているように感じられる。・その少し前に「それはキツツキに悩まされたリンゴの老木を」という箇所がある。リンゴの老木というのは、古くなった過去の権威を示すのかもしれない。
・梯子路のあと、詩の最後の方になるが、水が湧き出て激流となるという表現があるが、これが時間の流れ、歴史を象徴しているように感じた。
・「自分の後ろに梯子路を引っ張り込んで」と表現される梯子路には、退路を断つ、過去を振り返る行為をやめることを象徴しているように感じる。
・詩の前半部分からは、突き放されたような虚無的な感じを受けていたが、「通行止め」のフレーズの後を読んでいくと、全編を通じて人生の応援のような印象を受ける。リーダーとして挑戦する人の孤独に寄り添おうという感じを受ける。
・今回、他の方と一緒に詩を読み、討議することで、この詩に関する視界が徐々に開けてきた。フロストの神髄に近づくためには、フロスト自身が言っていたように、何度も繰り返し読んでみる必要がある。そうすることによって、グリーンリーフが受けた啓示を読み取れるように思う。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダシップ」第二期第31回(通算第86回)の読書会は、4月20日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。(第3金曜日の開催となります。ご注意ください)


第11回実践リーダー研究会 開催報告

3月28日(水)、ゲストに聖隷クリストファー大学 准教授の樫原理恵氏を迎え「第11回実践リーダー研究会~中規模病院の看護師長がサーバントリーダーシップを獲得したら・・・」を開催いたしました。



当日は、樫原氏が取り組まれている研究の結果やご自身のご経験についてお話し頂きました。

また、ダイアログを通じて参加者の皆様と活発に意見交換をして頂くと共に会の終了後には、樫原氏を囲んで懇親会を行いました。



勉強会にご参加頂いた皆様からは「実践に役立つディスカッションでグループの方のポジティブな様子に刺激されました」「定着率を高める仕組みとしてキャリアアンカーの把握ということが印象に残っています」「師長さんに限らず組織がどこに向かって何を目指していくのかを全体で共有し、日々対話していくことの大切さを再確認しました」といったお声を頂きました。

今後も様々なテーマの勉強会を開催予定です。詳細が決まりましたら、順次ご案内いたします。

※現在、開催が決まっている勉強会はこちら から

第29回 東京読書会(第二期)

第二期第29回(通算第84回) 読書会開催報告
日時:2018年2月23日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、今回、第10章「アメリカと世界のリーダーシップ」全編を会読しました。これは、1976年1月にリーダーシップ開発に関する国際シンポジウムに出席したグリーンリーフが、アメリカ人の傲慢さを指摘されたことに対する回答として行った講演の記録です。グリーンリーフがサーバントリーダーという考え方を打ち立ててから一定の時間がたっていること、そして批判に対する回答という位置づけの講演であることから、彼の分析や主張が端的に述べられている箇所が目立ちます。(今回の会読範囲 p.483からp.491 章の最後まで)



【会読範囲の紹介】
・この小論は、1976年1月に、リーダーシップ開発に関する国際シンポジウムに出席したグリーンリーフがアメリカ人の傲慢さを指摘されたことに対する回答として行った講演の記録です。
・グリーンリーフは、友人からアメリカ人の傲慢さを指摘され、そのことに傷つきつつもそれを認めざるを得ないとしました。彼は、その原因はアメリカが絶大な権力を持っていること、かつては英国が傲慢と思われていたように、歴史上世界に権力を行使した国がそのように批判されてきたことに言及しつつ、アメリカがそれを克服する謙虚な姿勢を失わない状態にはまだ達していないと指摘しました。
・このシンポジウムで「強者が持つ謙虚さ」について学んだグリーンリーフは、謙虚さについて「弱者に学び、弱者のもつ才能を喜んで受け入れる能力によって確かめられる」と定義します。
・この講演の12年前(1964年)にビジネスの世界から身を引いたグリーンリーフは、インドの経営大学に新たな教育課程を設け、インドにとって必要な発展を支援できるようにという要請を受けました。この仕事を引き受けたグリーンリーフは、4年間で4回、インドを訪れましたが、インド社会のトップから受けた高い待遇に、そのような待遇が米国では得られないことから、「これは有頂天にさせられるようなことで、傲慢さが増長する温床」であり、その頃にインドの支援に関わった多数の人物が傲慢な考えに陥る危険があったと述べています。
・グリーンリーフは、インドでの自身の仕事について、今(1976年)に続く教育課程を設置し自身もいろいろと学んだことから、一応の及第点を与えつつ1970年の最後のインド訪問で、インドは独立の父ガンジーが夢見た”村からつくる国家“でも、初代首相のネルーが目指した”理想的な計画による国家”でもない、「世界情勢や今自分たちが置かれている社会状況に合わせた前進」を目指していることを感じました。
・このことにグリーンリーフは、「新しい状況下にあるインドで物事を成し遂げるための新たなコンセプト」「インドの人々にとって有益な新たな組織」「彼らがアドバイザーとして選ぶ人間を育成する(こと)」の必要性を痛感しましたが、それが極めて困難であり、「(インドを支援する)財団はそうしたサービスを提供する機会を、とうの昔に失っていた(後略)」と嘆きました。
・グリーンリーフは、1971年にこの財団を去るに当たり、その報告で「人を指導する立場にある人間が、どうすれば適切に人を指導できるのか、またその手のことに熱心に取り組むアメリカ人が、世界中の人々の目に傲慢に映る理由」を書き残すことを望みました。
・グリーンリーフがこの仕事で初めてインドに赴いた時は、初代首相ジャワハルラール・ネルーがまだ現役でした。グリーンリーフはオクスフォード大学で教育を受けたネルーが「見た目はヨーロッパ人」であり「インドの宗教や文化を嫌い、技術支援を受け入れ(中略)、インドがいち早く先進(西欧化)国家の仲間入りが果たせるように」している人物であったと評しています。ネルーは自分がガンジーと思想を異にしており、「(ガンジー)の見据えるものが私には今ひとつわからない」と述べていますが、グリーンリーフは、「多くの民衆に自分たちの善良な社会という夢を提示したガンジーと、独立後の最初の政府を率いてまったく異なる方向へ民衆を導いたネルー」の「将来への見通しの決定的な衝突」がグリーンリーフの困惑の原因であると感じていました。
・この状況を踏まえて、前述の適切な指導のありかたについて、グリーンリーフは「(前略)長い期間、ある国家が支援の提供者で、その相手国が支援の受け手であり続けるという関係には、信頼に足る根拠があるように思えない」「これに加え、インドの人々から学ぶことはいくらでもある。われわれが彼らに教えたことと変わらない」「一方的に支援を提供していればそれでいい、などと考えるのは思い上がりにもほどがある。インドの人々のためになる存在であり続けたいのなら、彼らの学習に貢献したように、われわれの人材をもっと有効活用して、インドの人々からも学ぶべきだ」と報告書に記しました。
・またグリーンリーフは、援助主体者の財団職員の仕事の難しさに言及します。多くの申請を受理しつつ、それが補助金支給にふさわしいかどうかの判断の難しさ、多数の申請を却下しなければならないつらさが重圧となります。さらに補助金を申請する人が、かなりの地位や名声がある人でも財団に「すり寄って」くることで、財団職員が自分を全知全能と誤認してしまう危険にさらされていると、警告しました。
・さらに、このことについて、神学者でもあるダンフォース財団のメリモン・カニンガム博士の著書「民間資金と公的サービス」(注)を引用しつつ、彼の説明を裏付けていきます。カニンガム博士は、「提供という行為は、モラルに反する危険性を秘めている」と述べ、提供という行為を美徳と思い込むことにより不道徳な考えが付随する、(他者の)力になりたいと思うことと、支援者になりたいという欲望は異なる、と論じます。
 (注)ダンフォース財団、メリモン・カニンガム博士、民間資金と公的サービスについて、
    第6章「財団におけるサーバント・リーダーシップ」の中の「財団のトラスティ」に
    同じ個所の引用でグリーンリーフが自分の意見を述べている(日本語版、p.334~)
・カニンガム博士は「支援者として名を売りたい、あれこれと指図したい、指示したい、父親風を吹かせたい、人を巧みに操りたい」と支援者が持ちがちな不道徳を挙げて、財団に危機感の自覚を促していました。これを受けてグリーンリーフは、アメリカの対外支援においては、前記のことに対する自覚のみでは不十分であり、「心を開き、相手が何者であろうと、その人を受け入れる準備ができていないかぎり、安全に何かを提供できない」と「傲慢さと謙虚さの間にある、中道の道」を進むことの難しさを主張しました。
・グリーンリーフは、「(アメリカのような)絶大な影響力を持った国家におけるリーダーシップの重要な要素は、それが個人であれ、団体であれ、国家であれ、支援する側にいる者を動かす能力でしょう」とこの講演の最後に述べています。それは、「援助の手を差し伸べることや、与えられたものを喜んで受け入れること、そして、条件に恵まれないものの費用を負担するように」支援側を動かすことであり、そのことが「権力のある者にとっては、少なくともそれが救いの道です」と訴えました。
・この講演の結語は次の通りです。「支援することを通じて支援してもらうこと―――なかなか容易ではありません」 グリーンリーフの心の中には、彼が一貫して説く、他を導くものは、まず他に奉仕するべきであることの実行の難しさを痛感しながらのことばだったかと思われます。



【参加者による討議】
・さまざまな支援を提供する側が傲慢な姿勢となってしまうという指摘は本当に厳しい。純粋な奉仕の気持ちが上位から与えるという姿勢に変わる、その見極め方の問題でもあろう。自分の職場にコーチングを学んだ後輩がいるが、「コーチしてやる」という態度が裏に見えることがある。コーチングの世界ですらそのようになるのか、と残念な思いがする。
・奉仕や支援を受ける側は、奉仕してくれる側を「見上げる」ことになる。そうなれば対照的に奉仕する側は、上から見ることになる。その位置関係は変えられないが、その関係が固定化することを警戒するべきである。奉仕や支援をする側も、奉仕をお願いされることに気持ち悪さを保つ必要がある。
・関係の固定化にはさまざまな現れ方がある。たとえば、「上司が言っているから」といって指示を無批判に受け入れたり、周囲に説明や説得するのも関係の固定化の一つの現象。上役は部下が上司である自分のことばを無条件に受け入れるような様子が見えたら、自分の影響力を誇るのではなく、むしろ戒めとして認識する必要がある。部下も上司のことばなどを無批判に受け入れることは、「考えない」という楽さ、心地よさを享受する危険な状態だと思った方が良い。
・この章では、国際貢献の場でアメリカが傲慢だと批判されたことを題材にしているが、考えてみれば、与える側のアメリカ人は、本人が意識せずとも生まれたときアメリカ人であり、与えられる側の感情や思い、論理を実感としては感じにくいと思う。同じように企業の創業二世なども、創業二世でない自分を実感できないと思うが、そうした人たちは世の中がどう見えるのだろう。
・発展途上国の日本人補習校(注)で生徒を受け持った経験があるが、現地の企業や支援団体の日本人駐在者には、メイドと運転手がつく生活だった。最初は遠慮がちながらしばらく経つと、生まれた時からメイドと運転手がいたかのような感じになる。運転手のつかない自分には違和感があった。
 (注)海外で日本人子女の数が少ない地区や、現地校に通学する日本人子弟を対象として、
    週末などに国語などの教科を教える。
・米国スタンフォード大学が実施した監獄実験(注)のように、予め実験で、単にお芝居として割り当てられた役と理論的にはわかっていても、その役柄に自己投影してしまうことがある。芝居の俳優などにもあるようだ。
 (注)1971年にスタンフォード大学で実施された心理学実験。刑務所での看守と囚人の役割を
    与えられた被験者が役割に合わせた行動を取ることを証明することを目的に実施された。
    心理学者で実験者のジンバルドーも状況に飲み込まれるなど危険な状態になり、
    実験は6日間で中止された。
・最初から上下関係の上の位置にいて無自覚にそうなってしまう人、あるきっかけでできた上下関係が常態化して無意識に上から目線を続けてしまう人、それぞれに相手目線で考える自覚を促す対策や教育が必要だ。
・現在、個人経営者として法人の代表を務めている。代表となると組織の一員だったころと異なり、周囲から怒られるという経験が極端に減ってくる。そのことに甘んじないように、自分の趣味について、きちんとした先生について、時に厳しく指導してもらってバランスをとっている。
・新卒の若い社会人が何かをできないときに、自分ができるからといって能力がないと決めつけるのではなく、教わる機会がなかったのか、とかコツをつかんでいないのではないか、と視点を変えるようにしている。そうすると、それが自分も通ってきた道だとわかることが多い。その意味で、メンターに奉仕するという意識が絶対に必要だ。

・会社人生の中で、「人徳の貯金」は、周囲から「ありがとう」ということばをどれだけ言ってもらえるかによって残高が決まると思っている。世の中にはさまざまなことの不公平を嘆く声が多いが、人生のトータルでは、割り勘というか、だれもが同じような結果になると信じている。時間をかければそれぞれがバランスするという感覚は、国家という単位でも忘れてはいけない。
・先祖代々の裕福な家庭に育った友人がいるのだが、その友人が東京に出てきたときに、親が家を用意してくれたのだが、それ以外の金銭については大変に厳しく律していて、親からは子供に与えた家自体も「お前のものではない」と自覚を促されているそうだ。
・経験の幅が狭いと、今、目の前で起きていることや周辺の状況が当然のことになってしまう。親が金持ちで何でも買ってもらえるというのもその一例。その友人の親はそこを律しているのだろう。自己肯定感は生きていく上でとても重要な感覚であるが、それが強いと自分の生来の環境を当たり前と思ってしまいがちだ。
・アメリカが西側諸国の中で世界一強だった第二次世界大戦後の半世紀は、国をあげての自己肯定感があったと思われる。多くの国で自国に根差す価値観との対立でアメリカを傲慢と感じていただろうと推察する。
・自分が知らないことがあるということを自覚することは重要。若いころに「汝(なんじ)、無知の知を知れ」という言葉に出会って、強い影響を受けている。だが、自然に無知の知を知るのは極めて困難。教育が必要不可欠だ。

・コーチングの本質はコーチがコーチングを受ける相手に、視点を提供することにある。コーチングすること、コーチングすることで相手が救われたという快感を得ることを目的にすると、本書(日本語版)のp.490冒頭にあるように「(前略)支援者になりたいと思うことは、助けたいという気持ちをどのようにも歪曲しかねない(後略)」事態となってしまう。
・コーチングにはNLP(注)などの技法を取り入れて精緻化してきているが、コーチングを受ける人のゴールをコーチ自身が設定してしまう間違いを犯しやすい。支援される側の思いを丁寧に掘り起こしていくことが必要。アメリカもインドに寄り添って、インドの人々や国が本当に求めるものを見つけ出していけば、このような不幸な関係にはならなかっただろう。
 (注)Neuro-Linguistic Programming(神経言語プログラミング)。
    言語学者のジョン・グリンダーとリチャード・バンドラーによって、
    1970年代半ばごろから提唱された、コミュニケーションや能力開発、心理療法の技法。
・医師、看護士、職員、そして患者やその家族。病院の中では医師が圧倒的に強い立場にある。かつては医師が患者を含めて病院内のすべてを支配していたが、現代は医師に患者目線での物事を見ることが必要とされている。病気そのものに対処するのではなく、病気を抱えた患者の治癒への希望に向けて環境を整えることを求められているとも言える。
・支援のゴールは、支援が不要になること。そのゴールにたどり着く方法論に普遍性はなく、個々の状況や条件で変わってくるが、支援不要ということがゴールであることに変わりはない。

・自分の周囲、とくに若い人に、自分が指示したことや示したやり方での仕事に、外部の人から「それは違う」という意味のことを言われたら、すぐに相談してほしいと言っている。その意図は、外部の意見と対立するためではなく、ときに第三者から教わることが勉強になることがあるからだ。そこに注意していないと、部下や後進の状況を放置しがちになる。
・部下へ指示や意見を適正に伝える、ここでは相手がよく咀嚼(そしゃく)して理解できるようにという意味なのだが、そのように自己をトレーニングしていくことが必要だと思う。
・部下からの意見や質問に、上司はつい、「それで、お前はどうするのだ」とか「どうしたいのか」とカウンターしがちである。この「どう」を「何」に置き換えて、「この状況で君なら何ができるか」という問いかけにすることで、その後の展開が変わってくる。
・わが国では、日本電産などが代表的だが、大企業でも細かい仕事まで指示があるマイクロマネジメントを推進する会社がある。そうした企業でのリーダーシップ、とくにサーバントとしてのリーダーシップがどうなっているのか、関心がある。
・本書の序文を書いたスティーブン・コヴィーが晩年、代表著書「7つの習慣」をバージョンアップして「8つの習慣」を刊行している。その中で、上司の心得として部下を揶揄(やゆ)しないこと、かつ迎合しないこと、を挙げている。このポイントを押さえることがマネジメントの要諦(ようてい)ではないだろうか。上から目線でも下から目線でもない、ちょうどよい関係を保つこと。今日会読した章では、それが国という単位にも適用されることを知った。
・他人、ことに部下に上手に伝えることは難しい。機会を確実にとらえること、その機会を逃さないある種の「瞬発力」も必要だと感じた。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」第二期第30回(通算第85回)の読書会は、3月23日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

第28回 東京読書会(第二期)

第二期第28回(通算第83回) 読書会開催報告
日時:2018年1月26日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、今回、第9章「官僚主義社会におけるサーバントとしての責任」の全体を会読しました。これはグリーンリーフが1966年にカリフォルニア州のレッドランズ大学で行った講演録です。 1960年代、アメリカ社会に若者を中心に社会のリーダーに対する不信感の拡大という変化の兆しが見える中で、グリーンリーフには、アメリカ社会が誇っていたリーダーシップへの危機感と次の時代への期待があったのでしょうか。学生を相手に熱いメッセージが伝えらます。
(今回の会読範囲、p.459 から p.482 のこの章の最後まで)



【会読範囲の紹介】
・グリーンリーフは1966年のレッドランズ大学(注)での集会演説を、米国の漫画家であり作家であったジェイムズ・サーバー(注)の「現代の寓話」に収められた、彼の好きな物語から始めます。
  (注)レッドランズ大学、カリフォルニア州ロス・アンゼルス郊外レッドランズ市にある
     リベラルアーツ系の私立大学。米西部の上位校。
  (注)ジェイムズ・サーバー、1894年~1961年。執筆の他に
     雑誌「ニューヨーカー」の編集長としても有名。
・それは朝食をとりながら庭を見ると、そこに一角獣(注)が見えたという夫と、それを取り合わない妻の会話による、日本語版で2ページちょっとのショートストーリーです。
  (注)英語でユニコーン(unicorn)。馬に似た動物の額から一本の角が生えている
     伝説上の動物。獰猛でありながら人間の病を治す力があり、処女に抱かれると
     おとなしくなる、などの伝説がある。
・どんでん返しの結末は、サーバーらしい面白さにあふれ、グリーンリーフの家族の間で、最初に窓の外に目をやるときに「一角獣はいるかい?」と尋ねるのが習慣となっていたそうです。グリーンリーフはレッドランズ大学の演説で、「この寓話が伝える真意とイメージを交えながら、“官僚社会における責任”という非常に扱いにくいテーマについてお話をしたい」と話を進めます。
・そして、まず責任という概念が「論じるとなるととても厄介」として、この言葉の分析に入ります。責任について、「社会的慣習に則った期待や因習的道徳に従うこと」と一般的な定義を踏まえつつ、「それよりも、責任とは、自身が不安を抱えることから生まれるものだと思いたいのです。不安を抱えることで内面が成長し、精神に平穏がもたらされます。精神の平穏なくして、「私は自由だ」と心から言うことはだれにもできないと説き、「家族や仕事仲間、コミュニティ、社会の一員として」隣人に協力する姿勢をもつことで「外見と内面の成長は、一つの織物のよう(に)責任感のある人間はその両方を備えて」いると説きました。
・グリーンリーフは学生達に「居心地のいい、自分にぴったりの小さな落ち着き場所」ではなく、自らが動く有意義な世界に進むようにと訴えます。聴衆である1966年当時の学生について、グリーンリーフの世代が大学生であった1920年代半ばの学生よりも自覚をもっていると評価し、自ら動く機会に恵まれており、ニコス・カザンザキスの「グレコへの報告」の一節を引用して自分の人生を有意義にすることができる、と激励しています。それは「若者たちは幸せだ。美徳と正義、自分自身の信念に従って、社会を変革することを、よりよい社会にすることを、自分の責務だと心から信じている(後略)」というものです。
  (注)1883-1957年。ギリシャの小説家、詩人。
     イエス・キリストの人間としての苦悩を描いた小説などが有名。
・「官僚機構には(中略)杓子定規で形式主義的な体制で、前例と慣行を重んじ、自主性や臨機応変さに欠けます ―― 非常にまずい状態です。<組織>化されているすべてのものをダメにするという欠点があり(後略)」、多くの組織が官僚主義に陥るなかで「守るべき信念や目指すべき目標を疎かにして」いると批判し、若者への変革への参加を呼びかけます。
・グリーンリーフは、カトリック教会の大規模で根本的な刷新をもたらした第二バチカン公会議(注)が80歳を過ぎていた教皇ヨハネ23世の強い意志で始まったことを挙げて、グリーンリーフと同世代のベテランにも「美徳と正義、自分自身の信念に従って年配の人々が効果的に世界をより良くすることが可能」であり、むしろ年配者の方がさまざまなしがらみに精神的に縛られないために、官僚主義にうまく対処できるとも述べています。
  (注)1962年に教皇ヨハネ23世により招集され、ヨハネ23世死後に後を継いだ
     パウロ6世により1966年まで継続したカトリック最高峰の会議。
     この公会議を通じて教派を超えたキリスト教の一致。
     他宗教との対話を目指すこととなり、現代世界憲章などが制定された。
・第二バチカン公会議は、教皇ヨハネ23世が異例の高年齢である80歳代で教皇に就任して、すぐに会議の開催を宣言したものですが、グリーンリーフはヨハネ23世が80歳代であったからこその成功であり、彼の就任が50歳代だったならば、多くのしがらみがヨハネ23世による会議開催の決断を阻んだだろうと述べています。しかしながら同会議を成功させたヨハネ23世の成功要因を経験と年齢のみに求めるのではなく、ヨハネ23世が若い時から「感性や精神力、人としての成熟さ」を養ってきたこと、「彼が長い人生を通して偉大な人物であり得たのは、若いときにいくつかの重要な選択をしてきたから」であると分析しています。
・グリーンリーフは、その一方で、「年数を重ね、規模を増し、社会貢献の責務を負うすべての組織の行き着く先が、官僚主義なのは、(中略)誤った方法で成長し(中略)積極的な生き方を築こうとしない」からであると述べています。こうした分析をふまえて、グリーンリーフは聴衆の大学生に「周囲の同僚や知り合いの若者たちに交じって、自分自身を見つめ直して」いくように勧めました。そして、グリーンリーフたちの世代が、「現状に甘んじ、状況判断を誤(り)」、現状に甘んじることが自らの生き方だと受け入れた結果として「規制に左右されない自由な人間の数が急激に減少」したと認め、「万人に官僚主義の負担が重くのしかかる、完全な管理社会」が近づいていると警鐘をならします。
・グリーンリーフは、自分と同世代の有能な人たちが官僚主義を強化する方向にあることに憤りを覚え、かつ聴衆である若者に「蔓延しつつある官僚主義的な風潮に対処しようという皆さんの覚悟が見えてこない」と批判し、「庭先にいる一角獣の姿に目を留めて一日を迎えられるものがいるでしょうか」と疑問を投げかけました。
・グリーンリーフは、ジェームズ・サーバーの寓話(fable)を演説の冒頭に採用したことについて、「庭先に一角獣の姿を認めることが、なぜ、官僚主義社会に現実的に対応するための準備になるんだ」という聴衆の疑問に対して、「寓話とは超自然的な領域を扱うもので、人間のように言葉を操ったりふるまったりする動物が登場し、役に立つ真実や教訓を強く訴える効果があるからです。それに寓話は驚嘆の念を起こさせる」のです、と説明して、聴衆に、「みなさんはどう思ったでしょうか。どんな真実や教訓が心に浮かんだでしょうか」と投げかけます。
・グリーンリーフは、さきほどの「年数を重ね、規模を増し、社会貢献の責務を負うすべての組織の行き着く先が、官僚主義なのはいったいどうしてでしょうか」という質問に立ち返り、それは、「積極的な生き方(life style)を築こうとしない(から)」であるという回答を示し、さらにニコス・カザンザキスの思想を意識しながら、「(聴衆のみなさんは)社会を変革すること、美徳と正義、自分自身の信念に従って、より良い世界へ導いていくことを自分の責務だと心から信じるなら、今からでも自身の生き方を開拓する準備に入らなければなりません」と強く訴えました。そして、その姿勢に向かう原動力を霊(spirit)ではなく、生き方(life style)を表現したことにも注意するように述べています。
・さらにグリーンリーフは学生に「若いうちに、生き方を確立してください。最適な結果をもたらす前兆となる生き方を。若いうちでなければ、手に入れることは難しいでしょう。もちろん、若くなければ無理だというつもりはないですが、容易なことではありません」と訴えかけました。そして理想的な生き方に欠かせない要素について、各自が見出さねばならないと前提を置きつつ、「生き方について考える一つの指針」として、以下の五つの言葉を紹介しています。
・「美(beauty)」、グリーンリーフは「詩人の想像力をかきたてる」この言葉について、シェークスピアや英国の詩人、ロバート・ブリッジスを引きつつ、数学者の言う美が彼のイメージに一番近いと述べます。「数学的な解法で未知なることを理解し、新しい洞察がひらめいて人間の知識が向上するとき、それは美しい」として、未来への発展を内包する整合性ともいうべきものを美であると説きました。さらに、人としての生き方を確立し、美を磨くことを目指して「‘計り知れぬ、謎に満ちた自然の意図’に触れることができる」とベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番(嬰ハ短調、作品131)を聴くことを進めています。この曲は、ベートーヴェンの作品でも独特の曲想を持ち、時代を超越した作品と言われています。
・「即時性(momentaneity)」、これについて、グリーンリーフは旧約聖書の詩篇やエマソン(注)を引用しつつ、「社会を変革し、美徳と正義、自分自身の信念に従って世界をより良くする義務があると感じている人間は、もっぱら、‘今日こそ!’という姿勢をとっています。」と聴衆である大学生、すなわち若者にチャンスをつかむ少数の人の心得を伝えています。「どんな瞬間も永遠性が内包されています。(中略)(時間の区切りではなく、物事の鮮明さの意味としての)明暗度の中心として‘今’という瞬間に目を向けるべき」と、人生において「今を生きることの重要性」を訴えました。
  (注)ラルフ・ワルド・エマソン。1803~1882年。米国の思想家、作家、詩人。
     プロテスタントの牧師としてリベラルな思想を持ち、欧州での多数の知識人との
     交流をもとに、個人の尊重を至高とする思想を確立した。
・「開放性(openness)」、ここでは「聞けば知恵、話せば後悔」というイタリアの諺を引きつつ、「聞くというのは姿勢、他人が話すことや伝えようとしていることに対する姿勢のこと」であり、「(他人に)心から関心を寄せる」ことの重要性を説いています。多くの管理職が部下の、医師が患者の話を聞いていない事実を示して、上司や医師の視点で相手の話を聞くのではなく、肝心なことは部下や患者にとっての意味や重要性を知ることであると訴えます。アシジの聖フランシスコの祈りのことばを用いて、自分を相手に認めさせようとしがちな振る舞いから、自分が相手を理解することに努めるようにと説いています。
・「ユーモア(humor)」、グリーンリーフはトマス・カーライルのユーモアの本質は愛であるという格言を引きつつ、「どうやったらわれわれは、この世の中を作り変える機会に対応できるようになるでしょうか」という自問に対して、「自分自身が愚かで中途半端な生き物だと思った時に、ユーモアと呼ぶ、穏やかな内なる微笑みがあれば可能でしょう」と回答し、「自分に対して愛情のこもった寛大で内なる微笑をもつこと」と、これが自己受容、自己愛と関係しており、聖書に記載された通り、隣人を自分のように愛するためにこそ自己愛を育てるようにと若者たちに訴えました。
・「忍耐(tolerance)」、この言葉には「心に平静さを持ちながら、苦しみに耐える能力」というオーソドックスな意味を付与し、グリーンリーフが自身にとって重要と述べるアメリカの代表的詩人ロバート・フロスト(注)の詩を引用しつつ説明を加えています。そして「究極の悩みは、他人の苦しみを通じて苦しむことです」と、共感の重要性を訴えています。
  (注)1874~1963年。米国の詩人。自然に満ちた農村生活を賛美する思想性の高い詩を
     多数作った。本書第11章参照。



【参加者による討議】
・この章を細かく読んでいく内にグリーンリーフの言う官僚主義社会(bureaucratic society)が何かということを再度確認する必要性を感じた。従来は官僚的という言葉にネガティブな印象を持っていたが、ある時期からその合理的側面にも注目している。
・合理的で均質な統治を目指す官僚機構と、この講演で言っている官僚主義は、きちんと区別しないといけないのではないか。グリーンリーフ自身も官僚機構を否定しているわけではない。
・本書に官僚機構の限界を述べた箇所があるが(日本語版 p.464)、良い意味でも悪い意味でも官僚機構はさまざまな仕事や成果から個人の名前を消し去り、組織としての活動にしてしまう。これを悪用して、個人の責任に帰すべきことを組織に転嫁し、組織を隠れ蓑にして非合理的なものや、ときには不正なものを強制してくることがある。このことに強い怒りを覚える。
・前の意見に同意。そのことでは、グリーンリーフも責任感ある人の振る舞いについて、「責任感ある人間とは、自分が生き、自分が働く社会に広く行き渡った官僚主義体質をはっきりと認識しています(日本語版、p.479)」と指摘している。
・自分の勤務先は、歴史があるが古い体質の会社で、内外から官僚的といわれる。経験の少ない若手の意見や発言が顧みられることは殆んどなく、年長者の経験と勘で動くことが多い。自分や周囲を見ていても、若手の発意とリードで、いろいろなことをもっと進められるように思う。そのような状態なので、何をするかよりも、上司や経験者をいかに味方につけるか、が重要なことになっている。
・「上司は最大の資源」。組織の肥大化の中で組織を動かすには、権限のある人を通じて自分の意見を具現化、具体化していくことが大切だと思う。
・自分も官僚主義的といわれる金融業界で働いている。組織の中で大小さまざまな判断の連続だが、その判断を合理的かつ正しく行えるように、ルールと命令伝達の経路が詳細に定められている。官僚機構の精緻な姿でもある。その中で生きていくわれわれに、グリーンフィールが、「美」という形が目に見えない、あいまいなものを大切にするように訴えることに、少し驚きつつ、そこを読み解こうと思っている。
・自分も官僚ということばに必ずしも悪い印象をもっていない。多くの会社も官僚機構に基づく意思の伝達の合理性を活かそうと、その会社組織の設立から運営をルールと簡潔な経路の命令で進めていく。最初はよく機能するが、企業活動が安定稼働へと進むにつれて閉塞感が出て来る。成長と変化が止まることがその要因だと思う。企業が掲げる理念は、その企業の存在意義そのものであるから、安易に変化させるものではないが、官僚機構の機能による組織運営が企業の変革と成長の機会を摘む理由になってはならない。
・官僚主義ということばから、一例としてトヨタの経営のやり方を外側から見てみたい。トヨタの経営は人質(じんしつ)経営と呼ばれている。従業員に対して一定のかつ均質の人的品質を求め、巨大な組織を統一的にしっかりと統制していくスタイルだ。官僚機構そのものだが、その企業業績は目覚ましいことはご存知の通り。
・グリーンリーフは、若い人に官僚主義と戦うことを勧めている(日本語版、p.480など)。大学生向けの講演であることが理由ではあるが、大学での講演ということを差し引いても組織の停滞の防止と成長の持続に若い力は必要だ。
・美、即時性、開放性、ユーモア、忍耐・・・、リーダーにはサーバントとして他者に奉仕することが求められるが、同時に人としてのあたたかさが求められる。コーチングを教えている団体からの参考情報として、人が惹きつけられる人物像について書かれていたが、その内容はグリーンリーフの言ったことと重なる。

・このレッドランズ大学の講演は、1966年に実施されている。ベトナム戦争の戦線が拡大し、アメリカの繁栄に影が差したころである。グリーンリーフの講演は、そこで用いている言葉だけでもかなり熱い。講演自体も相当の熱気があったと思う。組織の腐敗とそこへの立ち回りという意味で普遍性のある内容ではあるが、同時にこの講演時代背景をよく認識して読まないとその熱気から誤読の危険もあると思う。
・1960年代半ばの米国は、東西冷戦の代理戦争の様子を呈してきたベトナム戦争が本格化した時代だ。米国は資本主義、西側諸国の代表としてベトナムへの介入を拡大した。米国本国の直接的な脅威はない中で、若者が戦争に駆り出されるなど、グリーンリーフの直接的問題意識である「リーダーシップの消滅」の意識も若者の間に芽生え始めた。
・当時の若者の意識は、このころからムーブメントになったヒッピーの出現、カウンターカルチャーの流行といった形で表面化してきた。これらの動きを若者の跳ね返りといった表面的な解釈では、時代の流れを十分に理解できなくなる。
・グリーンリーフは、この講演のみではなく、本書に載せられた多くの記事や講演録の中で第二バチカン公会議に言及し、それを指導した教皇ヨハネ23世とともに称賛している。自らの教義の真実性を争い、他を異端として退けることが普通だった宗教の世界で、相互理解のための枠組みを作り、対話の道を開いたことは、宗教史の範囲にとどまらず20世紀の大きな出来事だった。ヨハネ23世が1962年のキューバ危機に際して、ケネディ米大統領とフルシチョフ・ソ連書記長の両者に働きかけて、この危機の解決に大きく影響したことも見逃せない。

・今回の読書で、グリーンリーフが5つの価値を人生の指針として示していることに興味を持った。未来への展望も見える主張だと思う。
・人間の中に論理的、ロジカルなものとともに情感、エモーショナルな要素が必要であることを強く感じた。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダシップ」第二期第29回(通算第84回)の読書会は、2月23日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

サーバントリーダーシップ国際カンファレンス報告会・新年会(東京)開催報告


2月7日(水)、
東京にてサーバントリーダーシップ国際カンファレンス報告会・新年会を開催いたしました。

前半では11月にダラスで開催されたサーバントリーダーシップ国際カンファレンスの
ご報告を致しました。





後半では、ご参加頂いた皆様と一緒に新年会を行い、リーダーシップについて
活発な意見交換をしました。





今後も様々な勉強会を開催予定です。ご興味のある方は是非お申込み下さい。

現在、受付中の勉強会情報はこちらから

第15回 大阪読書会 開催報告
(同時開催:サーバントリーダーシップ国際カンファレンス・新年会)


1月18日(木)、第15回大阪読書会を開催いたしました。

読書会ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」を参加者で会読しています。
"一人では読み進められなかったりわからなかった事も、参加者同士の自由な感想・意見交換によって学びを深められる"といったお声を多く頂きます。

今回ご参加頂いた方からは「自分がまずできることを誠心誠意(明日から実践してみたいこと)」「今後、サーバントとトラスティが結び付きそうな予感がしています。」といった感想を頂きました。



また、今回はサーバントリーダーシップ国際カンファレンス報告会と新年会を同時開催いたしました。
ご参加いただいた皆様ありがとうございます。



大阪での次回読書会は2月23日(金) です。
初参加・お久しぶりの方もお気軽にご参加ください。(多くの方が途中回からのご参加です)

次回開催情報はこちらから

第27回 東京読書会(第二期)

第二期第27回(通算第82回) 東京読書会開催報告
日時:2017年12月22日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、今回、第8章「サーバント・リーダー」の最後の部分を会読しました。
具体的にはこの章に収められたカールトン大学の学長ドナルド・ジョン・カウリングの評伝の4回目となります。この評伝はグリーンリーフが師事したカールトン大学の学長であったカウリングの人生を語るものですが、カウリングを高く評価し、その生き方に共感していたグリーンリーフ自身の思想形成の履歴書という性格も併せもつものといえるでしょう。今回の会読範囲では、グリーンリーフのカウリングへの思いが彼の講演録の形で赤裸々に語られます。その部分をはじめとして、この評伝全体からグリーンリーフによるサーバントリーダーシップという思想の形成へ、カウリングのことばや生き方がさまざまに影響したことがとてもよく解ります。 (今回の会読範囲、p.447 10行目からp.458 5行目。この章の最後まで)



【会読範囲の紹介】
・カールトン大学の学長の座を退いた後のカウリングには、カンザス州のメニンガー研究所やミネソタ州での薬学部の設立などの他、いくつもの組織に彼の才能を捧げていました。そこにおいて、「カウリングの努力と収益拡大の効果は、建造物や事業といった目に見える形」になった一方で、カウリング自身はすでに「引退していたため、そのどれにも経営責任を負うこと」はありませんでした。
・プリマス会衆派教会の牧師であるハワード・コン博士は、同教会の信徒であり教会会議の初回議長も務めたカウリングについて、後のカウリングの告別式で次のように述べています。「(定期的に日曜礼拝に通っていたカウリングにとって)形式的な儀礼や教会儀式は彼の心に全く響きませんでした。祈りこそがすべてだったのです。祈りこそが、人生のすばらしさと神秘さへの感謝の気持ちを捧げる機会をもたらしてくれます(後略)」とカウリングの聖職者精神を称えます。形式主義を排するカウリングは、同僚であり友人であった、聖オフラ大学ラーズ・ボウ博士が病に倒れると、毎週日曜日の朝にボウ博士に聖書を読み聞かせました。そのようなカウリングを先ほどのコン博士は、「キリスト教的な同胞として愛する隣人へのカウリング博士の優しさは、それ自体彼にとって父なる神への礼拝行為でした」と礼賛しています。
・グリーンリーフは、「私が見たところ、学長の身のまわりには不思議と問題が集中した」と述べています。転がり込んでくる問題もカウリングが首を突っ込むことで問題を作ることもありましたが、そのような中で、カウリングは「(ものごとの成功の秘訣は)問題の渦中にいつも身を置いておくことだよ!」とさまざまな問題に真っ向から取り組んでいました。そのようなカウリングをグリーンリーフは「問題に取り組む中で、学長の信念と行動は見事に調和していた。これは彼の生き方を語る上で揺らぐことのない重要な要素だ」と評します。
・グリーンリーフは、彼のカールトン大学時代に、学生団体の問題解決のためにグリーンリーフを訪ねて、こじれた問題の解決策を提案したことがありました。グリーンリーフの話を辛抱強く聞いたカウリング学長は、関係する教員を少なからず傷つけること避けられないというグリーンリーフに、「自信に満ちた笑顔で私の方を向いて、こう言った。“今回のようなケースもあるんだよ。(中略)(何かを実行することも傍観者でいることにも批判が出てくることを防げない)それなら、大学にとって最善のことをやろうじゃないか”」と明言します。
・また、グリーンリーフは、1930年代に有能なフットボール選手でありながら学業不振で落第を余儀なくされた学生のことで、カウリングと話し合ったことを述懐しています。学業が立ち行かなくなることは入学直後から判っていて、そのことに大学が手をこまねいていたことから、グリーンリーフは「これが人材の有効活用と言えますか」と詰め寄りました。グリーンリーフの詰問に顔をひきつらせつつ、カウリングは大学運営の現実を語りました。
・心の内をさらけ出したカウリングの話はグリーンリーフにとって初めて耳にするものが多くありました。「人間の作った組織など脆弱で、間違うことも多い。人間そのものが脆弱で、間違いが多いからだ」「(大学やその他の組織で)起こっていることを考えるとぞっとする(中略)しかし、強い意志を持ち、能力があって、誠実な人ならいったいどうするだろう(中略)世間とのかかわりを絶ち、他人の犯した失敗で被害を受けないようにするのか。それとも、どこかの組織で責任ある役職を務め、自分にできるかぎりの貢献をして、ときには譲歩することも、努力が報われないこともあるが、何もしないよりはましだと、覚悟を決めるべきなのか(後略)」というカウリングのことばにグリーンリーフは強い感銘を受けています。
・この時の経験をグリーンリーフは、「家路に着く頃、私はいくらか賢い人間になって気がしたのだった。(中略)英知のかけらが転がり込んできた」と表現しています。この評伝は前述のグリーンリーフとカウリングのやり取りから30年以上の時を経て書かれています。グリーンリーフは前記のやりとりがあった30年前とこの評伝を書いた時期(注)比較して、「(社会の)出発点に立とうとしている若者にとって有益なことを、われわれは何かしているだろうか(中略)学長なら(中略)こう言うだろう。“いや、われわれはこの重要な問題に貢献してはいない。その努力のために、もっと誠実で意志の強い人々が自分たちの人生を捧げる必要がある。誠実で意志の強い者に求められているのは、自分が正真正銘の忠誠を誓えるものに貢献することだ”」とカウリングに仮託して警鐘を鳴らしました。
  (注)カウリングは1880年生まれで1964年11月27日に死去。
     カールトン大学の学長であったのは、1909年から1945年。
     グリーンリーフのこの評伝が書かれたのは1970年前後と思われる。
・グリーンリーフが大学生だった時期に学長のカウリングは学校の経営で多忙で、彼と学生が接する機会がとても少なくなっていました。それを気にしたカウリングがある日曜の夕方に男子寮を予告なしに訪れました。寮の中では学生たちが賭け事に興じていました。偶然それを見たカウリングは、穏やかに「これは失礼」と一言述べて部屋を去り、またそのことをとがめだてたり、学部長などの生活指導責任者に伝えることもしませんでした。カウリングは自身が学長であって学部長ではないこと、男子寮の訪問も友人の立場で訪れたこと、などの理由から自身の立場をわきまえた行動をとったのです。
・グリーンリーフとカウリングの再会は1951年、グリーンリーフの卒業25周年を祝う記念会場でした。その数年後、カウリングも参加したメニンガー研究所のパネルディスカッションでパネラーの一人として呼ばれたグリーンリーフは、短い割り当て時間に、カウリングへの謝意を込めたスピーチを行いました。
・パネルディスカッションのスピーチで、グリーンリーフは、「(前略、グリーンリーフがカウリングに)感謝したい理由はおもにふたつあります。ひとつはご自身の天職への模範的な貢献の姿勢に対して(後略)二つ目は、(中略)私が非常に手のかかる学生(中略)(でありながらも)私がいくつかの出来事に遭遇した時、私のそばには先生がいらっしゃった(中略)。窮地に立たされた若者の気持ちを理解してくださった(後略)」と述べました。
・続けて、カウリングと頻繁に会えるようになったグリーンリーフは、カウリングの新しい面を次々と発見したと話を展開します。そしてカウリングが社会から高く評価されるのは、外に現れた功績ではなく、心の奥底の内面性によってのものだと述べています。「深い意味で、本質的な人間性を察知する、鋭敏な認識力がない」若者である大学生から教育者への感謝の気持ちを伝えることが少ないこと、学生時代のグリーンリーフも同様であり、大学を卒業して数十年を経るまでに「(カウリングに対して)本当の意味で感謝の気持ちを私は述べたことがなかったのだ」と告白した上で、「私は学長との思い出を大事にしたい、カールトン大学を設立した彼を称賛したいと思う」と述べつつ、さらに「(偉大さを表すのに)実績は欠かせないものだが(中略)もっとも重要なのはその人の人間性である」と唱えます。
・その観点で、グリーンリーフはカウリングについて、「学長は“真に偉大な”人物として歴史に名を連ねるべき」として、英国の桂冠詩人であるスティーブン・スペンダー(注)の代表的な詩である「真に偉大であった人達」を引用します。グリーンリーフは、カウリングはこの詩の内容そのものであると称賛し、グリーンリーフはカウリングの「偉大さの前にひれ伏し」、そしてカウリングが情熱を注いだ人材育成が「いつの日かカールトン大学のため、そして社会のために彼が残した財産となることを願っている」とメニンガー研究所でのスピーチを締め、またカウリングの評伝の最後としました。
  (注)英国の詩人であり評論家。1909年2月28日~1995年7月16日。
     細川護熙元首相が日本新党を立ち上げたときに、この詩を掲げて自らを
     鼓舞したというエピソードがある。



【会読参加者による討議】
・グリーンリーフはなぜカウリングをサーバントリーダーと認識したのか。グリーンリーフはカウリングに対する謝意と称賛の表明で、「ご自身の天職への模範的な姿勢に対して(称賛する)」と述べている(日本語版、p.454)。カウリングにとっての天職とはサーバントリーダーそのものであり、その責務としての仕事に奉仕する姿勢が評価されているのだろうと思う。
・カウリングについて、グリーンリーフはさらに「彼が本来の強みを発揮するのは、問題に直面した時であり、問題の渦中にある人に向き合うとき・・・(日本語版、p.449)」と評価している。問題の渦中に身を置けるというのは、サーバントリーダーシップの10の属性(注)の中で、6番目の「概念化」や7番目の「先見力」が他の属性とともに長けていることが感じられる。
 (注)ラリー・スピアーズによるサーバントリーダーの10の属性。
    日本語版p.572~p.573参照。
・この部分を読みながら、会社にとっての最善とは何か、ということを考えていた。自分たちは会社の中での細かい利害関係のもつれが、日常的な摩擦を生んでしまう世界に慣れすぎてしまっている、と反省していたところだ。
・自身がやりたいことのビジョン、そしてそこに進むために必要な個人の能力や属性など、ここに描かれたリーダーから熱さを感じている。クエーカーの教会でのカウリングによる聴聞会が失敗に終わった(日本語版、p.448)のような失敗に挫折せず、前に進む姿に共感を覚える。
・カウリングには信念と行動に調和がある。目的、軸、行動に迷いがなく、その一貫性が共感を生む。われわれの経験でも自分がぶれると他者の共感を得られなくなることが多い。
・自分や周りを見ても管理職となってリーダーシップを学習しようという人が多い。20歳代の若さで大学の学長に就任したカウリングを見ていると、リーダーシップというものは若い内、下積みの内に学習し、体得していく必要があることわかる。そのことに気がつく人とそうでない人の差は大きい。
・自分の経験からリーダーシップは知識ではなく意志だと思う。若いころに、社内でも怖いことで有名だった上長に自分の意思を表明したことがある。組織の方向性を明確にするために絶対に必要だと思って、勇気を奮って発言した。説明はつたなく、欠点だらけだったが、組織を第一に考えた意見であることを理解してもらえ、つたない説明の中からその意図を汲んでもらえた。
・サーバントリーダーシップのサーブ、つまり奉仕だが、サーバントリーダーの奉仕の対象は人ではなく、ミッションつまり仕事だと考える。正しい方向を見出して自分と周囲を導く、その誠実さと忠実さに人は魅かれるのだと思う。
・さらに、やりきって結果を出すことが重要だと思う。人は他人による見た目の結果ではなく、やりきる力ややりきる姿勢についていく。

・数年前にキャリアカウンセラーの資格を取得した。キャリアカウンセラーはカウンセリング相手から傾聴することが基本であり、それぞれの人が何を目指すか、何をやりたいのかを聞き出すことが任務である。企業内でキャリアカウンセリングを実施するときに重要なのが、その企業が目指すものを企業、すなわち組織のトップが示すことである。それが浸透する中で、その組織に属す人が人生をどう作り上げていくのかをカウンセリング相手の話と組織が目指す姿を合せながらカウンセリング相手と一緒にデザインする。この活動を振り返り、リーダーが組織のあり方を示すことが、その組織へのサーバントとなり得ることだと思っている。
・企業に属す職員である以上は、その企業に貢献することは、当然求められる条件となる。企業以外の組織でも同様だ。組織への貢献とは、その組織が目指す方向に進むことを一緒に推進することである。ところが案外多くの組織で、トップが方向を示さないことが多い。もちろん一方で組織に所属メンバーが自分の狭い視野でしか周囲を見ておらず、示された方向が見えていないということも多い。こうした事態が見過ごせないレベルで存在することから、カウリングが示した傾聴や共感の姿勢が多くの組織で必要とされていると感じている。端的に言えば、上司と部下の関係での傾聴と共感だ。各職場単位でこうした動きがあれば、組織は大きく変わることができる。
・カウリングに関して言えば、組織や組織の中の人への共感はもとより、宗教的な面で敬虔な姿勢が見受けられる。リーダーが己の力を過信せず、人智を超えた偉大なものに謙虚な姿勢をもつことが他者に対する共感となり傾聴をもたらすのだと思う。この点についてはグリーンリーフも同様の考えであり、この点はサーバントリーダーシップを理解する上での重要な要素だと思っている。

・カウリングの人生の中で、組織を統べる者としての短期の目標と、組織の将来を見据えた長期目標の整合ということに関心を抱いた。彼が長年にわたり学長の任にあったカールトン大学は、彼の後継者たちが大学の質を高めることを地道に継続したことによって、やっと成果がでてきている。カウリング自身は、その長い生涯にもかかわらず、結果を見届けられていない。
・勤務先で人事関連の仕事に携わっているが、人事のことに制度に関する仕事は短期の成果がだせない。最近は女性の管理職登用比率などさまざまな統計データが整備され、過去や同業他社と比較されることが多いが、ときに表面を取り繕うものとなっていることがある。そのような中で自分自身のポリシーを確立していくことが必要だと考える。自分のポリシーを立てることについては、よく「エッジを立てる」といわれるものだ。さまざまな検討と判断、選択が行われるが、いずれにしても長い年月をかけないと結果が判明しない。
・同様の仕事に関わっているが、人事施策などの目的は全員に伝えるようにしている。いくつかの制度は、同じ会社の職員でも職種や就労形態によって、メリットを享受できない人がでてくる。それらの人にもきちんと理解を求めないと施策が成功しない。

・われわれは、会社とか組織ということばをしばしば口にして、それこそ会社や組織を一人で背負ったような発言をすることがよくある。そのような人が定年すなわち組織を卒業するときに、一個人として何が残るのか。男女雇用機会均等法など就労、勤労に対する環境は変化してきているが、個人の自己実現という観点で見たときに本質的によくなってきているのだろうか。失敗を恐れて周囲の模倣をしているだけということも見受けられる。
・会社だけを軸にした人生は、会社の定年が近づくにつれて、個人の熱意が下がってくる。生涯を貫く軸が欲しい。
・自分は1949年に生まれて、高度成長からバブル崩壊といった時代を企業人として過ごしてきた。会社を引退した後に、ライフキャリアレインボー(注)に気が付いた。会社や家庭、地域社会とのバランスを考えた個人のキャリアだ。いうまでもなく所属する会社がステータスだった時代は終わっている。一方でダイバーシティについては、その意味は表面的な平等ということではなくもっと根が深い。少子高齢化が激しく進むわが国では、いろいろな人が多くの役割を担わないと、国が立ち行かなくなるという危機が迫っている。
(注)職業、技能や生活、人生経験などの広義のキャリアとライフは、年齢や役割、
   場面に応じて一生発展し続けるという考え。
・働く人に自律性、つまり自らが考えて仕事に取り組むという姿勢が必要であり、その積み重ねが定年後の余生を新鮮でいきいきとしたものにしている。若年から中高年までの常にその人ならではのパフォーマンスを発揮すること、これがやがて異なる場での活躍の源泉となる。

・今日の会読を通じて、リーダーシップのための行動様式、つまり how to だけではなく、リーダーたる者の人間性が重要だという当然のことを改めて痛感させられた。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダシップ」第二期第28回(通算第83回)の読書会は、2018年1月26日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

第14回 大阪読書会 開催報告

11月14日(火)、第14回大阪読書会を開催いたしました。

本勉強会ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」を参加者で会読しています。 "一人では読み進められなかったりわからなかった事も、参加者同士の自由な感想・意見交換によって学びを深められる"といったお声を多く頂きます。



今回ご参加頂いた方からも 「現代日本企業の問題がグリーンリーフの時代の問題とピッタリはまるのはビックリする。経営の課題は昔も今も変わらない」「自らのコンサルタントの立場がトラスティの立場と似ている。クライアントに対しては批判的であるべきであり、それを実践していきたい」といったお声を頂きました。

大阪での次回読書会は1月18日(木) です。

次回の読書会ではアメリカで開催されたサーバントリーダーシップ国際カンファレンスの報告会と新年会を併せて開催致します。

これを機会に初参加・お久しぶりの方もお気軽にご参加ください。(多くの方が途中回からのご参加です)

次回開催情報はこちら から

第26回 東京読書会(第二期)

第二期第26回(通算第81回) 東京読書会開催報告
日時:2017年11月24日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、現在、第8章「サーバント・リーダー」を会読中です。この章に収められたカールトン大学の学長ドナルド・ジョン・カウリングの評伝の3回目の会読になります。グリーンリーフもカールトン大学でカウリング学長から直接学びましたが、今回は、カウリングが経営者あるいは教育者として学外において表明した意見、世の中から嘱望されて大学以外の場で担った役割、そして37年間の学長の座を退いた後に、なお衰えぬ意欲に基づいて取った行動などついて書かれた範囲を会読しました。 (今回の会読範囲 p.434、5行目からp.447、9行目まで)



【会読範囲の紹介】
・仕事と出張に忙殺されるカウリングにとって、カールトン大学のあるノースフィールドは、街や住民とのつながりがあって心安らぐ場所であり、ときには外部から作業の支援に来た学生のグループを相手に特別講義を実施したりしていました。
・世界的な大恐慌の下、カールトン大学の財政は深刻でしたが、カウリングは見事な運用を見せて教授陣への不払いなどの事態を回避、さらにその中で、別法人を立てて学生寮を建てるという離れ業も演じました。更にその学生寮を満員にするように注力するなど、すべての投資が機能するように図っています。学校や研究機関が収益を見込んで資金を運用することは、現在でこそ広く行われる施策ですが、当時の学校や研究の分野の常識に照らすと、かなり特殊なことだったようで、一般教育理事会から寄付金の正規の運用と認められなかったほどでした。
・大学の設立に貢献したカウリングは、1919年の米国教育協議会会長はじめ、多くの要職に就きました。1920年代、アメリカの教育者の指導的役割に会ったカウリングをグリーンリーフは、「教育者であり、ビルダーであったが、教育のあり方を革新的に変えたわけではない」と評して言います。キリスト教の影響の強い環境に優秀な教員と理想的な設備を配することで、教育に必要なものは全てあふれ出て来ると考えたカウリングは、カールトン大学に礼拝堂を建設することに注力します。毎日の礼拝と日曜の晩課礼拝への出席が義務付けられていたことについて、グリーンリーフは、自らを敬虔なクリスチャンではなく、今日では推奨しないことだとしながらも、「四十年前の学生にとってはいいものだった(注)」と回想しています。
 (注)カウリングは1926年度にカールトン大学を卒業している。
・このようにカウリングの中で、キリスト教に対する敬虔な姿勢は、彼の重要な骨格でした。1909年のカールトン大学への学長就任においてもそのことを強調し、学長就任から40年後のニューヨークでは、労働問題や国際関係といった問題に対して、「本質的なキリスト教の教えに従うことで解決されるでしょう。理由は簡単です。世界はそのように造られたのですから」と訴えています。そうしたカウリングの姿勢に、グリーンリーフは、カウリングの思想が自分の信念に基づく徳と正義による社会変革を若者に説くニコス・カザンザキス(注)のそれと通じるだろうと評価し、さらに、カウリングにとって重要なのは「自分の信念に基づく」という点にあることを訴えています。
 (注)1883-1957、ギリシャの詩人、小説家であり政治家でもあった。
    主要作品に「最後の誘惑」など。
・キリスト教精神に根ざすカウリングの信念の強さは、周囲との安易な妥協を許さぬ頑固なものでしたが、彼は周囲を怒ったり、妨害することはなかったとグリーンリーフは述べます。純粋なキリスト教の教えが社会に浸透することを願うカウリングは、複雑に組織化された現代社会で人の心を動かすのは、強い信念に基づく行動であると心得ていました。彼の教育理念は:-
 - 従来のリベラルアートを基礎とするカリキュラム設定。
 - キリスト教の雰囲気の中での教育の実施。
 - 教員は前2項に従事し、さらに自身が心に抱く真実を支持し、知識を最大限生かす自由を
   有す。
 - 魅力ある環境において教員と学生が相互に切磋琢磨する。
というものです。カールトン大学は、カウリングを継いだ、ローレンス・M・グールド博士、ネイソン博士がこれを継承し、同大学は今日の隆盛につながる変革を遂げました。
・カウリングの思想は伝統を重んじるという点での保守的なものであり、その中での国際情勢への関心は、決して進歩的なものではありませんでした。しかし、責任者として会合の進行を取り仕切った1926年のシカゴでの平和執行連盟の集まりでは、カウリングを筆頭に戦争の非合法性を唱え、大学での軍事教育への反対や、米国の国際司法裁判所や国際連盟加盟への要請が宣言されました。さらにカウリングは、第二次世界大戦後、国際連合の最善の役割に関心を寄せて、国際連合がもたらすものについて、「“議論を交わす社会”以上のはるかに良い成果を期待している。」と述べています。
・カウリングにとっては、「それぞれの個性や特徴に満ちた個人」が現実であり、そこに思いやりと強い関心を寄せていました。その意識は、ニューディール政策を進める政府の権力拡大とそこから発生する社会風潮に対して、カウリングの中に警戒心を呼び起こします。特に年齢を重ねて以後は、カウリングの保守的な傾向は理想主義的になり、現実の問題に対処しきれなくなっていました。カウリングの理想主義は、本人自身をして上院議員への立候補を考えるに至らせましたが、彼の妻は、「政治家としては理想主義的すぎる」と立候補を断念させています。
・カウリングのこうした姿勢と立場は、「理想として掲げた世界に存在する限界を明らかにする」ことには役立ったものの、彼自身は、その名声と実績にもかかわらず、その晩年にアメリカの教育問題の主流を指導できる立場にはなれませんでした。グリーンリーフは、そのようなカウリングを「学長は革新者ではなかった。伝統的な制度を受け継ぐタイプのビルダーだった」と評していますが、その一方で、カウリングが多くの大学の経営者から広く助言を求められていたことにも言及しています。彼はカールトン大学を名のある組織とするために、建設的な保守主義者となり、その一方で彼のもとで学ぶ学生ら生身の個人の問題には、情熱的に自由を主張する立場をとったのです。
・このような一見矛盾するカウリングの理想主義について、グリーンリーフは、父親の影響が原因であると述べています。1939年に行った演説で、カウリングは「“この国”によって生み出されたもの、つまりその根底にある考えや原則や理想・・・」を個人の問題に当てはめてきたと述べていますが、それを踏まえてグリーンリーフはカウリングが個人の問題に関わるときは、人道的な意味で「状況主義者(situationist)」であり、社会や大学の教育理念においては「伝統主義者(traditionalist)」であったと整理しています。
・カウリングのこの対極的な姿勢については、カウリング自身も興味と責任感を持ち、1936年に行った演説では、自分自身は社会主義者ではなく、その対極の思想を持ち、個人が特権や利得を持つことを認める、としつつも、それが正当化されるのはその利得が社会的信用と公益に貢献する機会と責任を生み出すものと考えられる場合にのみ正当化される、と述べています。グリーンリーフは、個人のあり方が社会と調和すること、そこに一貫性があり生きる目的が与えられることの重要性を感じ、カウリングとの交流の中で「生き方の選択がうまくいけば、どんな人であれ、個人の能力を生かすことが可能となる。このように生き方の選択が、意義深い生涯を送れるか否かを左右する」ことを実感したと述べています。
・カウリングはカールトン大学学長の引き際も見事でした。36年の学長の座を後任に譲ると、大学とのつながりを断ち、ミネアポリスに移住して、以後4年間、強い要請により名誉学位を受け取りにくるまで、大学に足を踏み入れませんでした。
・学長を引いた後のカウリングは、カンザス州トピカのメニンガー研究所の資金調達、とくに小児科病院の経営支援に注力しました。またミネソタ州の教育機関の果たす役割に確固たる信念のあったカウリングは、同州での私立大学の開拓に注力する一方で、当時州立大学にしか学部のなかった薬学について、ミネソタ大学にメイヨー記念校舎の建設に注力しました。この活動の結果、ミネソタ大学薬学部の設備、人材、教育課程の質は格段に向上ました。この功績にミネソタ大学はカウリングに「ビルダー・オブ・ザ・ネーム・アワード」や名誉学位、評議員賞の授与でその功績を称えたのです。



【会読参加者による討議】
・今回の読書範囲で、一番、印象に残ったのは、カウリングの1936年の演説での「個人の利得が、公益に貢献する機会と責任を生み出すものと考えられる場合にのみ正当化されるものです(日本語訳、p.445)」だった。グリーンリーフは、カウリングがなによりも個人の自由を尊重していることに、たびたび言及している。その中で、個人の財産権に干渉しかねない発言を受けて、少し混乱しているというのが正直なところだ。
・同じ演説で、カウリングは「持つ者が持たざる者と利得を共有する必要性が、これから先求められ続けるのでしょう(日本語訳、p.445)」とも述べている。キリスト教的世界観に基づくものだと感じている。
・カウリング自身は、この演説で自分は社会主義者ではないと言っているが(日本語訳、p.444)、主張全体から、私有財産を制限し富の再分配を行う社会主義的な印象を受ける部分もあるのではないか。
・カウリングの演説した1936年当時は、全体主義的や社会主義が台頭した時代であり、戦後の東西冷戦自体とは性質の異なる警戒心が米国社会全体にあったのは事実だ。だが、ここで書かれていることは、個人のあり方が社会と調和する必要性と重要性だと思っている。むしろ、個人主義と貴族主義な要素を感じた。貴族主義というのは、日常は社会的にも経済的にも上位の環境で生活しつつも、有事の際は、人々の先頭で犠牲となることを厭わない、ヨーロッパ貴族の社会的な権利と義務の表現である。結果の平等ではなく機会の均等が必要という意味につながっている。
・グリーンリーフは、「生き方の選択がうまくいけば、どんな人であれ、個人の能力をうまく生かすことが可能になる(日本語訳、p.445)」 と述べている。能力といっても個人のスキルから、それを生かす環境の選択、周囲との関係など、さまざまな局面がある。この広義の才能の社会にとっての正しい生かし方、個人の貢献が社会の向上になることに一致することが重要。機会の平等は、そのための前提条件だ。
・マックス・ウエーバーは、彼の著書「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」(注)で、人が死後に神から救済されるかどうかは、すでに定まっていて、現世ではそれがわからない。しかしながら、救済される人は神の意向に沿った行動を行う、すなわちその人の全ての能力を使って倹約と信仰、労働に集中するはずだ、と述べた。カルバン派のキリスト教プロテスタントの精神である。この精神が近世以降の経済発展や産業革命の原動力となったと言われている。
 (注)マックス・ウエーバー(1864年~1920年)、ドイツの政治、社会、経済学者。
    同書は1904年刊行。近代資本主義精神の代表作ともいう名声を得ているが、
    現在は、その主張を巡り多数の議論が行われている。
・カウリングがカールトン大学の学長に就任してから40年後に、「今日、社会をひどく悩ませている問題 ―- 経営と労働の問題、人種問題、社会的地位と特権も問題、愛国主義と国際関係の問題 ―― こうした問題は、他の諸問題も含め、本質的なキリストの教えに従うことで解決されるでしょう。理由は簡単です。世界はそのように作られたのですから(日本語版、p.437)」とニューヨークの教会で説教している。学長就任が1909年なので、1950年頃の話だろうか。教会での説教ということで信仰を同じくする人々の間での話とはいえ、自信に満ちた強烈な話だ。
・カウリングが挙げた社会問題の数々は、社会正義や利得の正当性ということにまとめられるかと思う。グリーンリーフによるこの本(注、サーバントリーダーシップ)には、スティーブン・コヴィーが前書きに代えてという序文を寄せているが、その中で、コヴィーはサーバントリーダーシップの「道徳的権限(良心)の四つの特徴」という説明で、カンジーのことばを引用して、これらのことに言及している(日本語訳、p.22~p.29. ガンジーのことばは、p.26に書かれている)
・クエーカー(キリスト友会)が設立したカールトン大学の学長で、クエーカーの牧師でもあるカウリングがキリスト教に根差した考えを披露することは当然としても、グリーンリーフのサーバントリーダーシップの考え方には、宗教に対する畏敬と敬虔さが根底に強くある。自分にはキリスト教をはじめとする特定の宗教の教義や哲学についての知識はほとんどないのだが、このことで思い出すのは、ある評論家が日本のサッカーと南米のサッカーを比較して、南米の選手は神の恩恵に信頼を寄せてプレーすることで、自らが信じるプレーを通して創造的なサッカーを作り出すことができると語った話だ。
・自分も家族もキリスト教徒ではなかったのだが、縁があって娘をカトリックのミッション系中学、高校に進ませた。家庭はもちろん、学校でもことさら宗教教育を受けたわけではないのだが、シスター(カトリック修道女)の先生方の影響なのか、いつしか娘が「神様の恵み」ということばを自然に口にするようになった。
・まっとうな宗教に対する敬虔な姿勢は、世の中のすべてを受け入れるという姿勢につながるのだろう。不正義を看過するという意味ではなく、自分の尊大さを排すという意味である。
・グリーンリーフは、サーバントの真性をもつ別格の人をさがし、能力が発揮できるように育成することを彼のリーダーシップ論の中核に据えている。だが、リーダーだけが活動する社会を前提とはしてはいない。前述のマックス・ウェーバーの「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」では、神の最後の審判の結果はわからないが、わからない故に神の恩恵を受ける人たるべく努力する義務がある、と説いている。
・自分は、リーダーシップとは人がお互いに支え合って進む関係性と定義している。「サーバントリーダーシップ入門」(金井壽宏、池田守男著、かんき出版、2007年)で、資生堂の元社長である故・池田守男さんが示した逆三角形の組織図から、組織のそれぞれの立ち位置の人に、それぞれのリーダーシップがあると感じている。


・それぞれの立場の人に、それぞれ期待されるリーダーシップがあるということには同意する。その中で、自己の利益に走るか、サーバントたるか、これは、カウリングの言う生き方の選択でもあろう。自分の能力に従うことが重要であり、その個々の能力自体に価値の上下はないと思う。
・カウリングについて「理想的に過ぎる」とも評価している。おそらく世間でのカウリングに対する一般的評価をグリーンリーフが受け止めて、そこから彼の持論に展開する修辞なのだろう。グリーンリーフが説いたのは、カウリングは単に理想を夢見たのではなく、本質に突き進んでいたのだ。言い換えれば、彼が奉仕したものは本質そのものだ、ということではないか。本質は、正しいものと言い換えてもよいと思う。あることが正しいかどうかという認識は、多くの歴史的事例が示すように、後世において正反対に変わることがある。本質というのは、その中での普遍的な正しさのことだ。

・今回の読書範囲で、もう一つ目についたのは、カウリングの引き際の潔さ、見事さの箇所だ。カールトン大学の学長の座を退いた後、住いの場所も移し、4年間大学に行くことはなかった。
・今回の読書範囲を読む限り、カウリングはカールトン大学学長を引退後も多方面で活躍している。前職に連綿としている時間もなかったというのが正直なところではないか。
・ただ、カールトン大学の学長の座を退いた後のカウリングについては、いろいろな評価、おそらく毀誉褒貶(きよほうへん)といえるような、様々な意見があったようだ。かつての安定していた地位に懐かしさを覚えたり、自分の自信回復のために、古巣である大学に顔を出したいところだろうが、そこをわきまえて踏みとどまっている。
・人の評価に当たっては、その人が何の分野で特別な人だったのかが肝心だと思う。カウリングは、本書にあるような、新たな薬学部を作るような(日本語版p.445~p.446)具体的な分野での企画や運営の実務には強いが、教育の在り方など抽象的、評論の分野では苦手と見受けた。
・カールトン大学学長としてのカウリングのミッションは、直接的な組織運営から、徐々に大学を任せられる次のサーバントを見つけられるかということに変化してきたと思われる。その点で、十分な資質を持った人を得ることができた(注)。さらに後任に任せた後は、4年間大学に足を踏み入れず、5年目の来訪も大学から学位を授与するためという理由だ。後任の仕事に干渉しないというのは立派な姿勢だろう。
 (注)後任のローレンス・M・グールド博士は、カウリングが掲げた教育理念を次々と
    実現していった(日本語版、p.438~p.439)
・リーダーたる者は、その役割を自覚し、任務に集中することが求められる。凡人は、自分の任務ではなく能力に集中し、ときに有能さに自己陶酔して、肝心の任務を忘れてしまう。

・生き方の選択という話に戻るが、自分自身の持ち味を生かした生き方が肝心だと思う。
・持ち味を生かす、といえば、京セラでは技術者を東大などの国立大系と私大系に分けるのだそうだ。新商品の検証をさせると、国立大系は、細かくチェックして欠点、欠陥を見つけてくる。私大系は目標の実現へのアイデアを出す。両者を往復させることでよい商品が作れる。本田宗一郎の「得手に帆をあげて」(注)という考え方も同じだろう。
  (注)「得手に帆上げて」は本田宗一郎の著作名にもなっている。
     本田宗一郎著、三笠書房、2010年。
・リーダーは、それぞれの人が持つ特性を合わせていくことが責務、部分で任せること。それに対して支配型リーダーは、とかく全てを自分のものとしたがる。
・サーバント型と支配型の行動の一番大きい際は、他社の話を聴くことにある。コーチングの世界でも聴くことの究極の目的は、相手が自分でも気が付かなかったことを引き出すところにある。

・今回の読書範囲では、キリスト教精神を共有する人々のつながりの中に、望ましいリーダーシップが生まれることを感じた。具体的な宗教名を挙げると、とかくその教義や哲学の内容が重要と思って、かえって避けてしまいがちだ。そのような細かい教えのことではなく、自分自身の謙虚な心の持ちようを共有するという意味だ。
・組織ヒエラルキーの頂点にいるリーダー、その組織のあちらこちらの、いわば部分のリーダー。それぞれに任務と役割があり、存在価値がある。どうしてもリーダーは引っ張る人という意識があるが、組織を下から支え、後ろから押すところもあるのだろう。
・リーダーは全人格的に聖人君主であるべしとの思いがあったが、いろいろな役割においてリーダーたりうると思うようになった。人がサーバントの心がけを持つことで、その置かれた場所でリーダーとなれるのだと感じている。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダシップ」第二期第27回(通算第82回)の東京読書会は、12月22日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

第25回東京読書会 開催報告

第二期第25回(通算第80回) 東京読書会開催報告
日時:2017年10月27日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、現在、第8章「サーバント・リーダー」を会読中です。前回より、この章に収められたグリーンリーフの師であるカールトン大学の学長ドナルド・ジョン・カウリングの評伝を読み始めました。20世紀の前半の37年間、今日に至る大学の発展の礎を築いた学長の経営者としての姿勢を表した前回の範囲に続き、今回は、彼の学問に対する姿勢を浮き彫りにしながら、カウリングという人物を分析していきます。そして、カウリングの激務を支え、心のよりどころとなった妻と4人の娘のことが、微笑ましいエピソードを含めて鮮やかに書き上げられています(今回の会読範囲、p.421 10行目からp.434、4行目まで)



【会読範囲の紹介】
・カウリングは大学学長として教職員に対して、敬意をもって接していました。リベラルな思想(注)を持つ神学者のアルバート・パーカー・フィッチに対するバプテスト派(注)のキリスト教原理主義者の聖職者による大学からの排外運動に対して、カウリングは忍耐強く対処しつつも、排外の要求は退けています。
 (注)宗教、特にキリスト教プロテスタントにおいては、歴史的、伝統的な教義解釈から
    離れて、個人の自由な知的思索に基づいて教えを再構築する思想を意味する。
 (注)17世紀英国で始まったプロテスタントの一つの宗派を源流とする。
    バプテスト(Baptism)は洗礼の意味。米国キリスト教の大きな勢力となっている。
    聖書の記述に忠実に従うことを特徴としている。
・フィッチ博士は後年、ニューヨークのパーク・アベニュー・プレビステリアン教会(注)の牧師になる決意をしたときに、カウリングへの手紙に次のように書いています。「(前略)とてもつらい状況にあったときも、私があくまで自由に講義ができるようにと、あなたは十分に配慮してくださいました。この数年間、決して横道にそれることのない中世と心のこもった支援をあなたは注いでくださったのです。」
 (注)プレスビテリアン(Presbyterian)とは長老の意味で、カルヴァンの宗教改革の流れを
    受けて、スコットランドで生成、発展したプロテスタントの流派(長老派)。
    経験豊かな信徒が長老指導する。
・1928年10月26日、カールトン大学の教授会は、カウリングが守ろうとした学問の自由を擁護する決議案を掲げ承認されました。決議案では、「(前略)われわれは、人間が目的に向かって邁進する基本的な姿勢として、自由の国に生きる国民の権利として、キリスト教プロテスタントのあり方の基礎となり定義となる信条として、大学の自由という信念をここに掲げる(後略)」と宣言されています。さらに、科学における仮説や宗教における教義について、異なる見解が衝突することが、それらを発展させる動機となり、カールトン大学教授会がそれを尊重するという意思が表明されました。
・1920年代、宗教リベラリズムの論争が激しさを増す中、カウリングは宗教原理主義への批判を公表しました。この時代、米国のキリスト教では、カトリックもプロテスタントも自らを正統と名乗る原理主義の力が強く、リベラルな考えはしばしば無条件に排除されました。キリスト教の大学の学長の座にありながら、カウリングは勇気をもって宗教哲学におけるリベラルな考え方を排除しようとする動きを批判し、カウリングの姿勢を支持した教授陣により、決議案が作り上げられたのです。
・「(カウリング)学長は教授会を一つの法人として重視し、教授会の進行を後押し」するのみならず、自ら行動も起こしています。大学における権限のあり方を見直すために、大学の根幹である、いわば憲法ともいえる大学憲章の見直しを二度にわたって理事会に諮りました。最高決定機関としての理事会を尊重しつつ、特定の問題については専門の教員との頻繁な連絡を前提に、学長をはじめとする大学現場の権限の拡大すること。また、教員がその専門分野において、自身の権利で教育に対する責任を負う中で教員の自由を確保すること、が改訂の骨子です。高い理想を掲げた改訂案でしたが、大学理事会はこれを採択せずに、カウリングの時代を通じて現状維持が継続されました。
・グリーンリーフはカウリングが28歳の若さで学長をまかされたことから、誰に対しても攻撃的に接するという姿勢を選び、その姿勢の継続に活路を見出したと分析する一方で、それがカウリングの自然な姿であり、そのことを「決然としたビルダー」として評価しています。カウリングは学長就任演説で、次のように高らかに宣言しました。「わが国のどの組織も、未来への確信を持っているわけではありません・・・・。(中略)時代の要求にうまく対応できない組織の全てを、歴史は無慈悲になぎ倒していきます。(中略)この大学が、出資者や健全な経営判断をともに行う人々の心に常に訴えかけられるならば、将来は大学の存在理由と、確固とした社会的立場を提示できるに違いありません。(中略)カールトン大学の見据えるものは教育力です。人生の備えとなる訓練を大学が引き受け、アメリカの他の組織には真似できない教育を施すのです。これこそがカールトン大学の夢であり、展望であります。」
・カウリングは宣言の通り大学の運営を進め、彼の語る理想を実現していったが、ただ一つ「カールトン大学区は、現状の収益を少なくとも倍にする必要があります。収益の拡大は近い将来の課題です」と述べた大学経営の財政問題は、この宣言通り進まず、影としてカウリングの生涯につきまとった。
・この問題について、グリーンリーフは、友人から聞いたミネソタ大学学長就任祝賀会で、金集めに奔走するカウリングをからかったできごとへの、カウリングの冷静かつ皮肉にとんだ反論のスピーチを紹介しています。
・このことをきっかけに、グリーンリーフはカウリングのスピーチ能力に話題を振り(注)、カウリングが「その場にぴったりの話を紹介する能力に、実に長けていた。あるときは深刻な状況を軽いタッチの話に変え、ある時は自分に向けられた視線をさらりとかわす」と評価します。そして、1966年1月のメリル・E・ジャーコウ司祭による演説を引用し、カウリングの人となりを鮮やかに描きました。「カウリング博士は、人にやる気を起こさせる人でした。カールトン大学をどのような大学にするか、彼が抱く夢はどこまでも膨らんでいきました。夢のように思える話でも、彼は実現するのです。カウリング博士の目には、どんな雲も銀色に輝いて見えました。彼の徹底した楽観主義は学長としての自分の励みとなり、同僚たちの気分もこうようさせる(後略)」
 (注)グリーンリーフはカウリングを「寄付金の希望ばかりしている」とからかった
    ミネソタ州知事の演説に、ある笑い話を用いて見事に反撃したエピソード
    (日本語版、p.428-p.430)などに触れている
・グリーンリーフは、カウリングの日常生活と家族について言及します。仕事一筋の彼は毎朝早く仕事を始め午後10時ごろに終えます。その後、夫人の話に暫く耳を傾けてから床に就くというのがかれのリズムでした。グリーンリーフは、彼の健康が毎日8時間の快適な睡眠の他、食べ過ぎない、水をたくさん飲む、午睡を取る、毎日の3~4マイル(5~6キロメートル)の散歩の他、仕事の合間を見ての散歩を中心とした適度な運動によってもたらされたと述べています。
・カウリングは文字通り仕事人間でした。クリスマスイブの午後に重要な仕事がはいるなど、ときに家族から責められることもあったようだが、家族もカウリングの仕事への真摯な姿勢には理解を示していました。そのようなカウリングのことをグリーンリーフは、「多くの人が退屈な重労働だと感じる運営業務を心から楽しんでいた。肉体的にも精神的にも健康に恵まれた彼の本質は、こうした生き方にあったのだろう」と書いています。
・建設的で優しく愛すべき性格の妻(注)は、カウリングの励みとなりました。彼女は仕事一筋のカウリングを支えつつ、4人の娘を育てました。4人の娘はいずれもカールトン大学を卒業し、この評伝が書かれた当時も存命です。ただ、彼女たちは多忙な父に普通の父親像を思い描く音ができませんでした。グリーンリーフは、ある日、自宅にいる父を見た娘の一人が「どうしてパパがいるの」と尋ねたり、二番目の娘は小学校2年生のときに、「お父さんの職業は何ですか」という質問に答えられず、隣の席の女の子に尋ねて、「カールトン大学の校長先生でしょ」と教えられたというエピソードを紹介しています。
 (注)1907年6月にエリザベス・L・ステーマンと結婚した(日本語版、p.419)
・そうしたエピソードの中で、グリーンリーフが自分自身の思い出とともに書いているのが、暖炉を背に立ったカウリングの前に、上の3人の娘たちが横一列に並んで立ち、講義を受けるように宇宙の真理を語る父の話を聞いているというものです。グリーンリーフは、大学でカウリング学長が暖炉を背にしてグリーンリーフらの学生に講義を行った思い出と重ね合わせて、このエピソードを微笑ましく記憶したようです。



【会読参加者による討議】
・今回の会読範囲は、カウリングが大学学長として学問の自由を守るためにどのように行動したかという点、大学経営者としての仕事を苦としない性格、そして家庭人として人物像といったことが描かれている。最初の学問の自由を守る、という点だが、相手が原理主義とはいえキリスト教の主流派というのは、キリスト教の宗派を母体としている団体としては大変に厳しい状況である。
・学問の自由を訴えたカールトン大学のカール・シュミット教授原案の教授会決議に「真実への疑問を解決する理性にこそ根源的な正統性があるという信念をここに掲げる(日本語版、p.423)」とある。この決議はキリスト教プロテスタントのリベラル派に対して、原理派が自らの正統を主張したことに端を発しており、そこに対する厳しい批判にもなっている。
・宗教論争に限らず、自らが正統と名乗る組織や人は、議論を受け付けないことが多い。ほとんどの場合、思考停止に陥って、自分を客観視できない状態にあると思って間違いない。カウリングはダムをつくるという表現をしているが、思考というものは、水の流れのように周囲からは一見同じようにみえてもその内側で変化があるべきもの。それをせきとめることは、流れを止めることであり、思考を止めることになる。外観が同じでも意味が全く異なる。
・すでに読み終えた章からの指摘になるが、第5章の教育におけるサーバント・リーダーシップに掲載されたディキシンソン・カレッジでの講演「一般教養と、社会に出ること」の中で「(前略)基本的なライフスタイルは、不確かで曖昧な世の中に足を踏み出し、答えの出ない問いとともに未知の世界に飛び込むことです(日本語版、p.315)」という箇所と、第7章 教会におけるサーバント・リーダーシップの「二十世紀後半に、求道者となることについて」の中の「キリスト教は、人間の共同体が持つ理想を、社会的なプログラムに組みこむ手だてを持つ必要がある(日本語版、p.357。アメリカの社会哲学者リチャード・B・グレッグにより1920-30年代に書かれたもの)」という箇所を再度確認したい。宗教者としての今日的役割を明確に述べている。その中での守旧的な原理主義のかたくなさは残念である。
・伝統に価値を見出す保守の真髄は寛容であることにある。原理を唱える人や組織が排他的なのは、それこそ原理に違反する。
・原理派のかたくなな姿に、自分の勤務先でのベテラン社員とのあつれきを思い出す。これまでにかなりの実績を誇る人で、そのために自分のやり方に絶対的自信があって、こちらの意見を聞き入れようとしない。自分などからの他の意見や提案と彼のやり方のどちらが良いか、他の意見が通らず実証できないこともあって、周囲もそれを暗黙に認めてしまっている。いろいろな提案や討議の方法を試みるが、なかなかうまくいかない。経験という事実を前に、観念と事実が対立している構図になっている。
・議論の仕方ということであれば、自分は仲間と方向性を決めるための討議で、ブレーンストーミング(注)の手法を採用して、良い結果を得られた。
 (注)集団でアイデアを出し合うことによって、発想の誘発を期待する技法。
    自由な発想を行うことと他人の意見を否定しないことが重要なルール。
・ブレーンストーミング自体は、アイデア出しの段階で有効であり、二者択一のような場では最適とはいいがたい。ただし、ブレーンストーミングの約束事である「他人の意見を否定しない」という点は、心構えとして、どんな討議にも必要な原則だと思う。
・議論のルールと進め方に不慣れだと、他の人に反対意見を言うことが人格否定の如く理解されてしまうことが多い。組織の中では、まず相手の話を聞くという議論、討議のリテラシーを所属するすべての構成員が高めるように促し、指導することが必要だ。
・衝突があればこそ、議論は次の段階でより高次の方法や解決案を見出すことができる。この実現に向けて肝心なことは、自分の意見や立場を主張する前に、相手の意見や立場を理解すること。自分の意見が絶対に正しいという思い込みを排除すること。これらの前提がなければ、より良い答えはみつけられない。
・議論に入る前に、そもそも議題にこめられたミッションが一致していないことや、ゴールを共有していないことも多い。雑談での話だが、先日、友人と自衛隊について話をしたときに、防衛や安全保障の必要性の問題と自衛隊の合憲性の話がごちゃごちゃになって議論が壊れたことがある。重要な決定の議論においては、会議、討議の土台を固めることは絶対条件。
・議論や討議の場と環境を整え、建設劇な議論を促すのがリーダーシップだと思う。

・今回の会読部分の後半、カウリングの家族の話は、古き良きアメリカを思い起こさせる。時代は少し違うが、大草原の小さな家の話のような感覚を受けた。
・「どうしてパパがいるの(日本語版、p.433)」という言葉は、昔、自分も子供に言われたことがあったことを思い出した。今回の会読範囲の最後に、カウリングが暖炉の前で、子供たちに宇宙について語るという情景描写があるが(日本語版、p.433~p.434)、カウリングにとって、家庭が安心安全の場であることが良くわかる。こうした場があることから、外で議論の衝突も厭わないパワフルな仕事ができるのだろうし、その衝突が事故にならないのだろ。
・この範囲では、グリーンリーフが軽やかに流れるように記述している。カウリングが家族に対して、「大学に来てからやたらに働くようになった。しかたないんだよ(日本語版、p.432)」と釈明している場所があるが、彼は28歳で学長に就任している。職位や仕事の姓ではなくて、結局はカウリングの生来の性格なのだろう、と半畳を入れたくなる。
・そういえば、先年亡くなった渡辺和子さん(注)も30代で岡山のノートルダム清心女子大学(注)の学長になっている。事績や宗教者であるという点で、カウリングと似ている部分が多い。
 (注)渡辺和子(1927-2016)。カトリック修道女。
    1963年、36歳でノートルダム清心女子大学の学長となり1990年までその職にあった。
    著書に「置かれた場所で咲きなさい」(2012年、幻冬舎)など。
・経営者とは、24時間365日をそこに捧げるという自らに課せられた重い任務とそこから発生する仕事を楽しめるということが良くわかる。本人の性格に加えて自分が必要とされ、活躍できる場が明確だからだろうか。
・実際の経営には部下への権限移譲と責任の分担が必要。この任せるということが案外難しい。責任も最終的には自分が背負う覚悟がいる。
・個々の職場では、中間管理職は部下への指示が多い方が上長から仕事熱心という評価を受けることが多い。組織のヒエラルキーの中でかなりの部分がそうではないだろうか。
・アンジェラ・ダックワースの「グリット」という本(注)では、物事を達成する外部からの支援、指示、命令と併せて内的モチベーションの創出が重要とある。経営者は、部下が自分で自分をモチベートすることを可能と思わせる環境や雰囲気づくりが大切だ、とある。
 (注)やり抜く力GRIT(グリット)―人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける
    (神崎朗子訳、2016年、ダイヤモンド社)

・今回の範囲で感じたが、相手と話が噛み合わないときにカウリングはなぜ強く出るのか、という点をいろいろと考えた。カウリング自身が軸を持って本質に向いていたということかと思う。自分の軸を持つことの重要性を改めて痛感させられた。
・この範囲では、重い内容の事案もある意味軽妙に対処するカウリングの話を読んで、ユーモアが他者にやる気を起こさせる、やはり笑顔が重要だ、と痛感した。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダシップ」第二期第26回(通算第81回)の読書会は、11月24日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

青山学院大学様にて講演を行いました

2017年10月20日、青山学院大学様にて当協会理事の広崎が講演を行いました。

青山学院大学様は創立150周年に向けて「すべての人と社会のために未来を拓くサーバント・リーダーを育成する」という「AOYAMA VISION」を掲げておられます。



当日は約400名の方々にお集まり頂き、「委ねられたミッションに生きる」というテーマでサーバントリーダーシップについてお話しすると共に、広崎自身のこれまでの歩みと「サーバント・リーダーとしての生き方」についてお話をさせて頂きました。

第13回 大阪読書会 開催報告

10月19日(木)第13回大阪読書会を開催いたしました。
本勉強会ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」を参加者で会読しています。
"一人では読み進められなかったりわからなかった事も、参加者同士の自由な感想・意見交換によって学びを深められる"といったお声を多く頂きます。



今回ご参加頂いた方からも
『権力を持つが故のサーバントという感じで、
 トラスティとサーバントがつながってきた感じがします』
『私の人生の目的を明確にすることが「トラスティ」を見出すことになるので、
 それに取り組みたい』
といったお声を頂きました。

大阪での次回読書会は11月14日(火)です。
初参加・お久しぶりの方もお気軽にご参加ください。(多くの方が途中回からのご参加です)
次回開催情報はこちらから

『1分間マネジャー』著者 無料オンラインサミット情報

『1分間マネジャー』で有名なケン・ブランチャード氏は、
サーバントリーダーシップの普及に熱心に取り組んでいます。
この度彼が新著「Self Leadership & The One Minute Manager Revised Edition※」の
発売にあたり、そのキャンペーンを含めサーバントリーダーシップの
オンライントレーニングサミットを無料で公開するとのことです。

※2005年発売タイトルの改訂版

英文のページにはなりますが、ご興味のある方はご覧ください。
詳細はこちら

第24回東京読書会 開催報告

第二期第24回(通算第79回) 東京読書会開催報告
日時:2017年9月22日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、前回から第8章「サーバント・リーダー」に入っています。前回は、グリーンリーフが壮年期に出会い、その知識と行動とそれを裏付ける人間性に強く魅かれた同世代のユダヤ教神学者、アブラハム・ヨシュア・ヘシェルの評伝を会読しました。今回から、若いグリーンリーフが通ったカールトン大学の学長ドナルド・ジョン・カウリングの評伝を会読します。20世紀の前半、37年の長きにわたって学長としてカールトン大学の発展を支えたカウリングに、グリーンリーフは在学中のみならず卒業後も関係を保ち、多くの影響を受けています。学長の座にある間、自らが理想とする大学を目指して注力し続けたカウリングの人となり、そしてその前半生と学内でのエピソードをグリーンリーフは鮮やかに描いていきます(今回の会読範囲、p.409 10行目からp.421、9行目まで)



【会読範囲の紹介】
[ドナルド・ジョン・カウリング - 偉人の生き方](第1回)
・グリーンリーフはこの評伝を、若い彼が偉大な生涯を送りたいと望んでいた時に出会い心を揺さぶられたダニエル・バーナムの次の格言で始めました。「小さな計画など立ててはならない。そんな計画に人の血を騒がすような魔力はなく、その計画自体おそらく実現しない」。そのグリーンリーフがカールトン大学で出会ったのが大学の学長でその人生の全盛期にあったドナルド・ジョン・カウリングでした。グリーンリーフは1926年度のカールトン大学卒業生ですから、カウリングとの最初の出会いは1920年代の前半と思われます。
・グリーンリーフのカウリングの印象は、「自分の個性にふさわしい生き方をしっかり選択(中略)直面している状況を打破できる強烈な個性を、存分に発揮(中略)彼はその生き方を維持したまま、驚くほど建設的な長い人生を歩んだ。」というものでした。
・カウリングは、1909年から1945年にかけて、ミネソタ州ノースフィールドのカールトン大学学長の座にありました。36年の学長の任期の間、カウリングは1866年に設立された同大学の立て直しに腐心し、そして21世紀の現在、同大学は米国アイビー・リーグ校に匹敵するスコアを記録する上位校としてその名を世界にとどろかせています。
・本書では少し戻った個所の記述ですが、カウリングは、あまり人好きの性格ではなかったのか、周囲の評判は必ずしも高くはなかったようです。グリーンリーフは、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの「(前略)想像力をたくましくし、直接的な経験と関連付けなければ、言葉の意味は理解できない」という格言を引用しつつ、グリーンリーフが見たカウリング像を伝える、とわざわざ断りを入れています。
・カウリングの表面的な印象は、前述の通り「お高く留まった無口な男で、愛想も悪く、とはいえ節度はあったが、ファースト・ネームで呼び合える友人は少なかった」というものです。グリーンリーフは、学内のいろいろなことに関与することで、カウリングとの関係が深まり、その中で、周囲に知られていない彼の本質である「深い洞察力を備えた、話の分かる優しい人で、開花すべき人間の精神の自由について確固とした信念を持っていた」ことに気がつきます。グリーンリーフは、表面的な付き合いでは彼のことはわからず、それどころか「人は善と悪の両方を備えて生きてこそ、人生を心から楽しみ、その意味を理解できる。そのことを私はカールトン大学で学長(注、カウリング)から学んだ」とまで述べています。
・学生時代からカウリングと交友のあったグリーンリーフですが、その関係は、彼の卒業後に深まります。お互いの議論は時に白熱し、グリーンリーフは、自らの若気の至りの発言で、カウリングとの関係が壊れたと覚悟したことや、逆に保守的なカウリングに愛想をつかしかけたことなどもあるなど、遠慮なく本音を戦わせる関係がグリーンリーフにカウリングをサーバントリーダーと認識させる根拠となったと思われます。
・「カウリングは保守的な人だったが、どんなに考えが合わない相手であっても、人の才能は高く評価した」。人間の性質がしばしば「合理的に可能だと判断できるとき、どの分野の大人たちも非常に独断的になる(p.412-p.413)」と考えるグリーンリーフが、カウリングを高く評価する根拠となっています。カールトン大学でも多くの教授が社会の風潮や表面的な評価といったことを乗り越えて、カウリングによって採用されました。
・ミネソタ州のキリスト教の大学のひとつに過ぎなかったカールトン大学は、カウリングの36年におよぶ尽力により、リベラルアーツの牙城としての地位を築いていきます。グリーンリーフは、カウリングをビルダー(組織の創設者)と認め、「今日ほど教育の質が問題視されていない時代に、彼は良質な組織を築こうとしていた。当時の基準に合わせて教育の質を追求しただけでなく(彼は「西のダートマス大学」を作りたいと言っていた)、その基準をはるかに超えるものを作ろうとしていたのだ」「カウリングは責任感の強い人物の典型だった。最善を尽くさねばならないという義務感を持っていた」と高く評価しています。
・カウリングは1880年8月21日、英国のコーンウォール州トレヴァルガに靴職人の父、ジョン・P・カウリングと裕福な農家の生まれの母メアリー・K・(スティーブン)・カウリングの間に生まれました。夫婦の身分差などが原因の一つとなって、一家は1882年ごろに米国ペンシルヴァニアに移住、カナダへの移転などを経験して、同地に落ちつきました。
・使徒伝道者でもあった父の影響でカウリングは敬虔な信仰心を持っていました。また自由への情熱と不屈の精神も父親から受け継ぎ、貧しい家庭の中で自ら働いて学費を稼ぎつつ、猛烈に勉強しました。学業の傍らでコネティカット州の教会の祭司を務めるなど、その生活ぶりをグリーンリーフは過酷と評しています。しかしながらカウリングはその境遇にあってもユーモアのセンスを持ち続けたそうです。
・幼いころからキリスト教の教えに親しんだカウリングにとって、宗教は彼の人格の中核を形成しています。それだけではなくイェール大学で神学を学んだ経験から、彼は宗教に対して教条主義的ではないリベラルな姿勢を持っていました。グリーンリーフは、「人間は敬虔から学ぶ生き物だ - 必ずしも、経験のしもべになる必要もなければ、経験に拘束される必要もない。終始一貫した生き方が形作られるとき、ドナルド・カウリングがそうであったように、あらゆる貴重な経験が、その生き方に組みこまれる」と述べています。
・1906年にカンザス州のベーカー大学の哲学と聖書学の助教授として招聘されたカウリングは、イェール大学時代の学友でありカールトン大学の卒業生であるマリオン・リロイ・バートン博士の提案で、カールトン大学に学長として招かれ、1909年にその座に就きます。若くして学長となったカウリングは、緊張の中で、自分がカールトン大学のすべての責任者であると自覚し、その心構えで仕事に臨みました。校舎は設備の建設と整備、教職員の雇用と人事、学生の問題など。その几帳面な性格は学内の農場の搾乳小屋のデザインを設計士とやり取りする中で、搾乳小屋の特徴を綿密に調べ尽くすといった行動に現れました。グリーンリーフもカールトン大学の礼拝堂の美しいステンドグラスや床のイタリア製のタイルがカウリングの配慮と愛情の成果であることに、改めて感銘し、学生たちに、これらを注意深く見てほしいと訴えています。
・グリーンリーフは、カウリングが「徹底的なまでに‘責任感をもって’自分の仕事にのぞむ姿勢」について、二つのエピソードを挙げています。一つは、学内で作業員が理事の指示で植木を切ろうとしていたところに遭遇したカウリングが、今後は植木の伐採に至るまで自分の意思に基づくように学内に命じたこと。もう一つは植物学の教員が作る展示用ケースの寸法を自ら測り、その良否を確認したことでした。



【会読参加者による討議】
・この評伝の中で、グリーンリーフは19世紀の米国の哲学者、ラルフ・ウォルド・エマソンの「一つの制度(an institution)は一人の人間の長く伸びた影だ」という言葉を引用しつつ、グリーンリーフが卒業したカールトン大学をカウリング学長の影と表現している(日本語版、p.411) 直接的にはエマソンの言葉だが、制度を人の影と定義していることに興味を覚えた。ここで人というのは、リーダーに位置にある人と思うが。
・影という限りは、会社などの組織のさまざまな現象のどこを取り上げるか、どの方向から見るか、といったことが影自体と同じく重要だろう。この点があいまいだと複数の制度、過度に複雑化した制度など目的を見失ったものが作られがちである。
・言葉の定義となるが、制度(institution)の意味は、仕組みやシステムといったものから事業と広くとらえることができる。人間の影という定義に沿えば、iPhoneはスティーブ・ジョブズの影ともいえる。影自体は現象であり、実態があるのは光の方かもしれない。
・はたして制度というものが社会における前提条件なのかを考えたい。制度がなくとも人間社会は形成できるのではないか。言い換えれば、制度ありきで人間社会が形成されるのか。人々のつながりの中で、さまざまな必要が生じて合意を形成した結果が制度なのではないか。その視点に立つと、人々のつながりや関係性の方がより重要であり、制度は結果に過ぎないように感じる。
・前の章の「教会におけるサーバント・リーダーシップ」にあるクエーカー教徒向けの雑誌投稿「二十世紀後半に求道者となること」の中に興味深い記述がある。一つは米国社会哲学者リチャード・B・グレッグの投引用で、「キリスト教は人間の共同体が持つ理想を、社会的なプログラムに組みこむ手だてを持つ必要がある」というもの(日本語版、p.357)、もう一つはこの投稿の最後に記された芭蕉の「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」だ(日本語版、p.359)。社会を変えるには理念や理想を語るだけではなく、それを制度という形にしなければならない。またその制度に依拠する人たちも制度の表面的なことをなぞるだけではなく、その制度が求めている理念を認識して、自身の行動と対照して確認していく必要があると考える。
・リーダーの思い、つまり思い描くビジョンとそこへ導こうというミッション。それが具現化したということだろう。
・制度はとかく硬直化しやすい。現場が自主性を持つことができる緩さが必要だ。制度によって組織を外部から守るとともに、中の自主性や一定の自由を維持することで、その組織の中に力を与えることができる。
・制度の典型が文章化された規定とかルールだが、これが他社との比較の結果、追随する形で変わったり、あるルールが上役の交代で全部やり直しとなったり、と理念なき制度が横行することも多い。
・福岡県春日市の教育委員会は、10年以上前に、当時すでにブラック化していた教員の勤労実態の改善を図った。春日市の教育係長となった工藤一徳氏は、教育委員会の形式的な業務や些末なことまで上位の決裁を要する仕事をスリム化し、権限移譲を促進させて、教員が教育に集中できる時間を増やすように努力した。工藤氏の働きかけは制度として定着し、彼が定年で退職した後も10年以上にわたって成果が維持されている。無意味な権威主義を振りかざした何人もの校長の意識を変革したことが大きい。工藤氏が現場を去ってもその精神、文化が制度として残っていると言える。
・昨今の企業社会でESG投資が注目されている。環境(environment)、社会(social)に配慮し、統治(governance)がしっかりしている企業を評価するという考え方であり、指標である。ESG投資の指標では経営者とステークホルダーである投資家との対話がどのようになされているかが重要視される。ESGの視点から企業を見ると、制度と理念の関係には多種あることに気づかされる。理念の裏付けなく制度が制定されているケース、あるいはあるワンマン経営者の企業では、制度の整備が企業規模に見合わないレベルにありながら、経営者の理念は会社の末端まで浸透しているといったケースもあり興味深い。

・今日の会読範囲の最後の方で、学長のカウリングが礼拝堂の床のタイルにこだわったり、用務員に自分の許可なく学内の木を切らないように命じたエピソードが書かれている(日本語版、p.420-421)。細部に注意を払うことの重要性は理解しつつも、大学のトップがここまで介入するべきかという疑問がある。
・自分の話になるが、勤務先の中国進出の先頭を務めることになった。事務所の設営では内装、什器、備品、すべてを手掛けなければならなかった。自分たちがやらねばならないことを理解し、部下として成果を出してくれる人がまだいなかったからである。自分が思い描く形をつくるために、すべてを引き受けなければならない段階というものがあることは否定できない。
・礼拝堂のタイルや学内の木の話は、大学経営のいわば外堀。カウリングは大学の教員や職員がその本来の目的にできるように外堀の仕事を自ら引き受けたとも考えられる。外堀がしっかりすることで、中の人たちは、安心して任務に邁進(まいしん)することができ、その中で広がりをもつことができる。
・カウリングは礼拝堂のステンドグラスに細心の思いを注いだカウリングを回顧しつつ、学生たちにそのことに気づいてほしい、と言っている(日本語版、p.420)ことが印象深い。
・本田宗一郎は、製造現場の整理整頓に厳しく、作業員に汚れが目立つ白い作業服を支給した。ゲバが汚れていなければ、作業服は汚れないという考え方によるものだ。さらに現場に頻繁に足を運び、整理整頓を注意し続けた。ただし、一方的な性格ではなく、部下の進言にもきちんと耳を傾けたという。ビジョンにこだわるが故に細部にこだわりつつも、その姿勢は柔軟という典型だ。
・組織に貢献するということはサーバントとしての行動である。サーバントというと、とかく人、つまり他者に対する貢献という軸で評価されがちな、サーバントリーダーシップの要素なのだろう。
・外資系の企業に勤務中である。消費者に近い業界で、ビジネスモデルへの批判を耳にすることもあるが、日本法人の社員はほぼ全員が設立者の‘You can do it.’の精神、理念に共感して勤務している。そのため、外資系ながら平均勤続年数も長い。
・武士道は忠義、忠誠のために命を捨てることをいとわないが、それは無意味に自己犠牲を求めるのではなく理念に共感し、これに殉じる(じゅんじる)ことが求められているのだと理解している。
・日本語版の解説で金井壽宏先生が「喜んでついてくるフォロワーがいなければ、その場にリーダーシップは存在しない(日本語版、p.563)と述べている。リーダーが周囲を強制的に従わせるのではなく、組織への忠誠を示すことで周囲がそれに共感することが必要。先刻討議した「制度」という仕組みも、部下の無批判と盲信を求める強制力がその本質というものでは、不具合である。その制度を利用する人がきちんと考えて理念や内容の良否を判断できることが大切だ。

・定年になって、それまでの営業や品質保証の仕事から、教育やカウンセリングに携わっている。カウンセリングの経験から、多くの人がもっと自分の価値観を表明してよいように思っている。カールトン大学が誇るリベラルアーツは、そのような個々人の価値観を明確にするものであり、この学長の思想や生涯に興味がかきたてられる。
・カウリングの37年間の長い学長生活を考えると、どうしたら情熱を維持できるかという思いに至る。生涯終始一貫して信念に沿った行動を行う、というのは実に厳しいことである。引き続きしっかり学んでいきたい。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダシップ」第二期第25回(通算第80回)の読書会は、10月27日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

「サーバントリーダーシップ 入門講座 大阪」開催のご報告

2017年9月25日(月)、大阪で「サーバントリーダーシップ 入門講座」を開催いたしました。
本講座はサーバントリーダーシップとは何かを理事長の真田と共に学ぶ初心者の方向けの講座です。



ご参加頂いた方からは「サーバントリーダーシップの入口がわかった様に思います。会社の中での実践を考えていきたいです」「もっと自分のあり方、ホンマに目指したい姿を考え、決める、ということを今日から実践したい」
といったお声を頂きました。

終了後は有志による懇親会を行い、さらに学びを深め合いました。

今後も様々なテーマの勉強会を開催予定です。ご興味のある方は、ご参加下さい。
※今後の開催情報はこちらから

第10回実践リーダー研究会 開催報告

2017年9月27日(水)、グリーフケアによるコミュニティ支援を行う上智大学グリーフケア研究所の入江杏氏をゲストに迎え「第10回実践リーダー研究会」を開催いたしました。



グリーフケアとは、さまざまな「喪失」を体験した方々に、心を寄せて、寄り添い、ありのままに受け入れて、その方々が立ち直り、自立し、成長し、そして希望を持つことができるように支援することです。入江氏はご自身も世田谷一家殺人事件により実の妹家族を失うというご経験をされました。



当日は入江氏にグリーフケアやご自身の経験についてお話し頂きました。また、参加者の皆様とも活発に意見交換をして頂くと共に会の終了後には、入江氏を囲んで懇親会を行いました。

勉強会にご参加頂いた皆様からは「グリーフケアはとても身近で必要なことだと感じました。入江さんのしなやかな語りにとても癒されました。悲しみや苦しみと共に生きること、その悲しみや苦しみを生きる力に変えることは大切なことだと思いました」「会社の部下やメンバーにグリーフケアの考えを持って接したい」といったお声を頂きました。



本勉強会は今後も定期的に開催予定です。
次回開催予定が決まりましたら、順次ご案内いたします。


※現在開催が決まっている勉強会はこちら から

第23回東京読書会 開催報告

第二期第23回(通算第78回) 東京読書会開催報告
日時:2017年8月25日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、今回から、第8章「サーバント・リーダー」に入りました。グリーンリーフが自身の人生を通じて出会った二人のサーバントリーダーの評伝で構成される章です。今回は、この章の序論とグリーンリーフと同世代のユダヤ教神学者、アブラハム・ヨシュア・ヘシェルの評伝を会読しました。この章で取り上げられるヘシェルとドナルド・ジョン・カウリング(次回以降会読)の二人は無論のこと、グリーンリーフ自身も宗教に対する敬虔な姿勢をもっています。科学万能の思想の下、人間の認知と判断を至高とする現代の思想に対し、グリーンリーフは彼のリーダーシップ論において、そうした視点を転換することを説きました。前章「教会におけるサーバント・リーダーシップ」に続き、参加者は、普段、あまり接点のない宗教の視点での世界観に接しつつ、熱心な討議と意見交換が行われました。
(今回の会読箇所:p.399~p.409、9行目。ヘシェルの評伝の最後「敬虔な人に、死の恩恵を」まで)



【会読範囲の紹介】
[序論]
・この章は、グリーンリーフが親しい関係を築き、かつ「サーバント・リーダーの模範のような人々」と認めた人々の中で、「私の思うところを書いた」二人の人物の評伝です。「ひとりは、ドナルド・ジョン・カウリング。私の父と同世代で、私の母校の学長を務めた人だ。政治や経済についての考え方がきわめて保守的な人だった。もう一人は、ラビのアブラハム・ヨシュア・へシェル。私の同世代で、リベラルな活動家だ」と紹介されています。カウリングは若いグリーンリーフに強い影響を与え、へシェルとはお互いに60歳前後に知り合ったようですが、その人物像に強い印象を与えたようです。
・グリーンリーフは、「この二人は全く異なるタイプの人物だが、顔を合わせていればお互いに親近感を覚えただろうと思う」と二人の共通点として、「偉大な誠実さと神秘主義的な思想(注)。二人とも心のおもむくままに行動した」という点を挙げています。
 (注)神などの絶対者をその絶対性を維持しつつ人間がその内面で直接に体験しようとする宗教
    上の思想、哲学。キリスト教をはじめとする西洋のみならず、世界各地の宗教に反映され
    ている。
・グリーンリーフはカウリング学長の評伝で彼を独裁者的に表現した。そのことへの友人からの批判に対して、グリーンリーフは、多くの人が満足し、その良さを満喫しているカールトン大学の組織環境が1909年に学長に就任したカウリングの精力的な献身によって、不振を極めた状況から現在(注)の良い組織に作り上げられてきたと、認識することを求めています。
 (注)サーバントリーダーシップの初版は1977年に米国で出版された。そのころの評価と思
    われる。
・この序論で、グリーンリーフは20世紀の偉大なユダヤ教神学者(注)の一人と称されるヘシェルと同世代人として、「近年非常に親しくさせてもらっている」と書いていますが、彼がサーバントリーダーシップの概念を固める中で、サーバントリーダーと認識した人物に出会ったことになります。
 (注)ヘシェルの他、ヘシェルの評伝にも登場する「対話の哲学」のマルティン・ブーバー
    (1878年~1965年)や宗教の倫理学的側面の深い研究者であるエマニュエル・レヴィ
    ナス(1906年~1995年)等が著名である。
・グリーンリーフはこの二人から多くを学び、そして「今でもそばにいるかのように、良く響く彼らの声がはっきりと聞こえてくる」、とこの解説に続く評伝への読者の期待感を高めます。

[アブラハム・ヨシュア・へシェル - 華麗な人生を築く]
・グリーンリーフは、ヘシェルの評伝を彼の言葉から始めます。「不条理を超えたところに意味がある、ということを覚えておいて欲しい。どんな些細な行いも大事です。どんな言葉にも力があります。すべての不条理を、すべての不満を、すべての失望をなくすために、社会を変革する役割がわれわれにはあるのです。これだけは心にとめておいてほしい。人生の意味とは、芸術作品のような人生を築くことだ、と」 この発言は、1972年12月23日に逝去したヘシェルがその死の直前に出演したテレビ番組で、司会者から若者へのメッセージを依頼されてのものです(注)
 (注)日本語版では1972年12月23日が放映日と認識する記述となっているが、12月23日はヘ
    シェルの逝去日であり、その少し前(Shortly before)に放映されたものと想像する。
・ヘシェルの人柄について、グリーンリーフは、彼がユダヤ教神学院で倫理学と神秘学を担当するのに最適な高い倫理観と深遠な宗教感覚を持つ人と評します。
・あるときグリーンリーフは、若手管理職向けに実施した研修でヘシェルに講演を依頼しました。夜の部で2時間におよぶヘシェルの講演は、若く頭脳明晰な管理職たちにも深い感動を与え、参加者の一人が翌朝、グリーンリーフに「あのあと五分ほど、みんな押し黙って席を立てずにいたんですよ」と、旧約聖書に登場する預言者アモス(注)の再来だと話し合ったエピソードを紹介しています。
 (注)紀元前750年ごろの牧者であり預言者。イスラエルはソロモン王の栄華のあと、堕落して
    北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂したが、その時代にあってアモスは王国の滅亡
    を警告し、また神の呼びかけに答えるように王と人々に述べ伝えた。
・グリーンリーフは、ヘシェルや彼の家族との他愛ないできごとにも、彼への深い思いを語りつつ、ヘシェルの経歴を語ります。ユダヤ教敬虔主義派(ハシディーム)(注)指導者の流れをくむ彼は1907年にワルシャワに生まれました。敬虔なユダヤ教に満ち溢れた環境の中、彼は幼い時から抜きんでた才能を発揮します。そして “すべての事象に人智を超えたものが暗示されていると確信する。つまり神の存在を日々経験し、生命の浄化を日々の業とする”人々との生活の積み重ねが彼の思想と宗教的精神を培っていきます。
 (注)18世紀ポーランドでバアル・シェム・トブにより始められたユダヤ教の正統を目指す
    運動。敬虔な信仰と活動を重視する。ヘシェルの祖先はこの創始者と親しい間柄で
    あった。
・グリーンリーフは20歳のときにドイツ最高峰のベルリン大学に入学、1936年までに博士号取得、新進のユダヤ学者、作家として世に売れ、ユダヤ教学者のはるか先輩で、世界的名声を博していたマルティン・ブーバーから彼の自由ユダヤ学園の後継者に任命されます。
・順風満帆な彼の人生をナチスドイツの台頭が阻みました。1938年にナチスによりポーランドに追放され、その後、家族とともにアメリカに移ることを企図して(注)、1939年に一旦英国に渡り、その間にユダヤ研究所を設立しました。1940年に米国、シンシナティのヘブライ・ユニオン・カレッジの教員となり、その後、ニューヨークに移り住んでいます(注)。
 (注)ヘシェルは、自宅に踏み込んできたゲシュタポにより身の回りのものと原稿を詰めた
    カバン2つのみ保持して国境線に放置される形で追放され、奇跡的に生還した。
 (注)故郷のポーランドに残ったヘシェルの母親と3人の姉は、ヘシェルの米国移住前にナチス
    により強制収容所で虐殺された。
・グリーンリーフは、ヘシェルが4か国語で研究書を記述し、他にも2か国語を操ることができることに感嘆し、そして彼の代表的著作「イスラエル預言者(注)」に関するヘシェルの発言を引用しています。ヘシェルは今日(1970年ごろ)の教育について「(前略)このままでいい、気持ちにゆとりを持とう、などと・・・・そんなはずはありません!問題に立ち向かうこと、何台と向き合うことが大事なのです」と語っています。
・ヘシェルは、「イスラエル預言者」を出版した50歳代の後半から、机に向かっての研究活動のみならず、社会問題へのさまざまな活動への積極的関与が目立つようになります。アラバマ州セルマでの公民権運動のデモではマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)とともにその先頭に立ち、ベトナム反戦運動にも関わりました。その一方でのユダヤ神学の研究はさらに磨きがかかり、また非ユダヤ教徒との交流にも時間を割いています。グリーンリーフは、ヘシェルのそのような時期に知り合い、その知識と人柄に強い魅力を感じたことを率直に述べています。
・ヘシェルが第二バチカン公会議におけるカトリックとユダヤ教の融和に大きな足跡を残したことであり、それは教皇パウロ6世も高く評価した(注)ことをグリーンリーフは、ヘシェルの晩年の功績の一つと高く評価します。
 (注)第262代ローマ教皇(法王)。本名、ジョバンニ・バティスタ・モンティーニ
    (1897年~年、在位1963年~1978年。前教皇ヨハネ23世が開始した第二バチカ
    ン公会議を引き継ぎ、これを全うした。
・ヘシェルの宗教観が独特であり、また強い吸引力を持っていることを取り上げたグリーンリーフは、ヘシェルの信条を「ただ存在することが祈りであり、ただ生きることが神聖である」と述べて、その敬虔でありまた強い信念を持つ姿に強い敬意を表しています。そして自分とヘシェルの絆の源泉が「究極の宗教体験というものは、神秘に満ちた一体感を意識すること」という信念が共通していたことだ、と分析します。
それは、二人のそれぞれの考え方や言葉、習慣やヘシェルが政治活動に、グリーンリーフが組織論にとそれぞれの関心領域といったものではない高次のものでした。また当時の宗教をめぐる社会の状況は、二人が尊重する神秘主義的な感覚を世の中が支持していないことへの問題意識の共有も二人の一体感を強めました。
・ナチス政権の弾圧を生き抜いてきたヘシェルは、その後も続く社会問題の闇の深さに苦しみ、解決を望んでいました。ヘシェルはグリーンリーフに尋ねます。「神秘性の中に起源を持つこれほど多くの宗教が、なぜ、社会奉仕の媒体として機能しないのだろうか。宗教的な生活を送る人々は、なぜ、形式にばかりこだわって、中味よりも外見に心を奪われるのか」。グリーンリーフは「(前略)そんな状況に対峙した場合、人はただ生き方を改めて出直すだけだ。われわれは預言者の声に耳を傾けよと求められる(後略)」と預言者の言葉に従えばよい、と答え、ヘシェルが「今を乗り切るための新たな預言の声」を聴いてくれたと確信しています。
・ヘシェルは、生涯最後の著作「真理への情熱」の原稿を出版社に渡した足で、雨まじりの雪が舞うコネチカット州ダンベリーで友人を迎え、すぐに老躯に鞭打って引き返すという無理を重ねた。1972年12月23日、ユダヤ教の安息日の未明、ヘシェルは眠るように逝きました。この親友の死に、グリーンリーフはヘシェルの生前の口癖を思い出し、そして贈る言葉としています。「敬虔な人に、死の恩恵を」



【参加者による討議】
・グリーンリーフがヘシェルとの絆について、「神秘に満ちた一体感を意識する(日本語版 p.408)」という認識が共通していたことを挙げている。フランクフルトのユダヤ神学院でのヘシェルの前任者であり、ともに20世紀を代表するユダヤ神秘主義神学者のマルティン・ブーバーの代表的著作に「我と汝(われとなんじ)(注)」がある。ブーバーは自分と相手の関係性、つまり人間としての関係が壊れたときは、その関係は「我と汝」から「我とそれ(=モノ)」に変換してしまうと説く。現代は人と人との関係が、一種軽くなっていて、当初からモノとの対峙となっている。他者を軽視し、軽視の延長で差別すること、そこから生じる対立と憎悪は一体感と対極にある。
 (注)1923年刊行。邦訳は植田重雄訳、岩波新書(1979年)、その他
・勤め先の会社の組織のことを考えた。部署単位ではある種の一体感があるが、部署同士ではいろいろな利害がある。自部署の都合が優先して、他部署の内部のことには関心を抱かず、会社全体での一体感が作れないことが多い。
・ある程度の規模の組織であれば、共通の目的、ゴールがあることで一体感や達成感の醍醐味を味わえるが、外部との関係では温度差がある。コミュニケーションを外に広げることを考えて、熱意を伝える方法を工夫していかないといけない。
・自分は一体感というものは、ある種の「生もの」と思っている。時間が経つことで、一体感のもとになる考え方や組織、制度にしがみつく人が出てきて組織が守旧的になり、一体感それ自体が変質するということを経験したことがあった。それが行きつくと組織が崩壊する。ただし、元となる考え方に普遍性があって、それが世の中で有効なものであれば、壊れた組織も何等かのきっかけで復活することがある。

・日本のIT業界は若い人の参入が多く、世代交代が進む一方で、過去の成功体験に基づく昔からのやり方に固執するロックインと呼ばれる状態が多く残っている。昨今の日本のIT業の隆盛の中での停滞は、成功に復讐されているように映る。未来に向けて正しく変われるかが問われることになるだろう。
・変革の原点には、現状に満足しないことがある。しかしながら、これは単に不満、不満足だということでもない。不満が先に立つ改革は物事を壊すだけで、そこに「積み重ね」による成長がない。
・変革を重ねるだけの「変革の一本槍」ではいけないのだろう。本流の中から亜流が生まれる中で、次の本流が誕生する。その中で新たな気づきを知覚できるかどうか。新たな気づきを得られないと成果がでてこない。
・ネットワーク機器で世界を席巻しているシスコシステムズは、ふた昔前は弱小企業の一つに過ぎなかった。いろいろな人に助けを求めながら、「何かを得ては、何かを捨て」を繰り返して大きくなってきた。その中で、本流を見極めることに徹したことが成功の要因だろう。
・正しく変わり続けるという行為に、日本の武道や芸事における師弟関係を表す守破離(しゅ・は・り)という考え方がある。まず師匠の型を学んで模倣し、それを体得したところで師匠の型から離れて自分の型を作り、さらにそこからも離れて自在になるというものだ。変革の仕組みが組織の中に存在するか。日産自動車でのゴーン革命と呼ばれるものは、この変革の仕組みを企業内にビルトインし、かつ定着させることだったと考えている。
・一方でホンダの本田宗一郎は「得手に帆挙げて」という言い方で、いろいろな人の得意分野を組み合わせることの重要性を訴え、それを経営者の責務と心得ていた。
・堀江貴文氏が「多動力」という著書(注)で、これまでのように特定の専門能力に特化するのではなく、個人の中で多くの能力をもち、これらを掛け算することによって、大きな変革を生み出すと述べている。またリンダ・グラットンは著書「ライフ・シフト」(注)の中で、人生100年時代において人間関係、パートナーシップの重要性が増してくると主張している。それぞれ、今、目前にそうした時代が到来していると訴えているが、正しい決断を行うという意味では、この人的ネットワークによる才能の掛け合わせがキーになるように思う
 (注)堀江貴文著 「多動力」(幻冬舎、2017年)
 (注)リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著、池村 千秋訳
   「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)-100年時代の人生戦略」(東洋経済新報社、2016年)
・宮大工の宮本常一は、南向きに生えている木は建物の南面に、北向き生えている木は北面に適していると述べている。陰陽の組み合わせの妙が、宮本の他に真似できない絶妙な建築を生み出した。適材適所ということを深く考えされられるはどこにでもあることだと考える材料となる。

・適材適所という点で、組織の上の役割と下の役割が噛み合っていないことが多い。どちらかの責任というよりもそれぞれの立場に役割があり、それを支える仕組みが必要だ。上役はある時点で権限をきっぱりと手放すことが必要だが、こうしたことを組織の仕組みに組みこむ。個人の善意や活動にばかり依存するとうまくいかないことが多い。
・職場の中で、管理職の地位にありながら、いろいろな場面で決断ができない、ものごとを先送りしてしまう人がいる。部下はフォロワーとして支える覚悟と意識があるのだが。フォロワーをうまく使えない人は良いリーダーになれないと痛感している。
・フォロワーが情報や意見を発信して、組織を動かしていく意気込みを持つことも重要。それができる信頼関係が築かれていることが必要条件だ。

・正しく変わる、という点は、リーダーの最も重要な責務を表していると考える。組織に変革をもたらすのはリーダーの決断に基づくが、その際に正しい方向を見極めることについて、盤石の法則などないことは論を俟たない。コモンズ投信の代表の渋澤健さんが、彼の先祖であり日本資本主義の父である渋澤栄一の思想を語る中で、「経営者の責務は決断であり、決断とは未来を現在につなげること」と語っていた。グリーンリーフは、人間、ひいては自分が宇宙の中心で究極の存在であることを前提とする近現代の思考の中での正しい決断を導く方法に疑問を呈し、正しい決断の責務を負うリーダーの在り方を考え抜いた。その果てしない思考の中で、世界の究極を探求し、正義を希求し続けたヘシェルと心の中で強くつながっていたのだろう。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダシップ」第二期第24回(通算第79回)の読書会は、9月22日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

第11回 大阪読書会 開催報告

8月25日(金)第11回大阪読書会を開催いたしました。
本勉強会ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」を参加者で会読しています。
"一人では読み進められなかったりわからなかった事も、参加者同士の自由な感想・意見交換によって学びを深められる"といったお声を多く頂きます。

今回ご参加頂いた方からも『今回の範囲は、先に読んだ時にはどうしようと思うくらいよくわかりませんでしたが、読書会では、本当に楽しいひとときになりました。本当に、不思議な「会」です。』といったお声を頂きました。



大阪での次回読書会は9月26日(火)です。初参加・お久しぶりの方もお気軽にご参加ください。(多くの方が途中回からのご参加です)
次回開催情報はこちら

第22回東京読書会 開催報告

第二期第22回(通算第77回) 東京読書会開催報告
日時:2017年7月28日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、第7章「教会におけるサーバント・リーダーシップ」の2回目でこの章の最後の会読を行いました。
今回の範囲は、グリーンリーフがカトリック修道院で行った講演の記録が中心となります。1974年の講演の12年前に始まった第二バチカン公会議の意義を踏まえて、グリーンリーフは教会に、リーダーとして、そしてリーダー養成機関としての役割を期待し、強い激励を行いました。そして、もう一つ、この章のまとめとして、グリーンリーフが考える教会の現代的意義とについて、書下ろしの小論が付されています。ここにも彼の現代の教会への強い期待が読み取れます。(今回の会読箇所:p.373~p.398、4行目。この章の最後まで)



【奉仕のための組織編成】
・この小論は1974年8月12日にウィスコンシン州ミルウォーキーのアルヴェルノ大学にある聖フランシス教育修道女会での講演の記録です。13世紀の聖人アッシジのフランシスコの流れをくむ女子修道会の経営する大学は100年以上の歴史を持っています(注)。
 (注)13世紀イタリアの聖人であるアシジの聖フランチェスコ(フランシスコ)を祖とする
    修道会。アルヴェルノは聖フランチェスコが祈りのために籠った山の名称であり学校
    名として利用している。アルヴェルノ大学は価値観教育などの取り組みにも注力して
    いる。
・「みなさんがこの修道会の過去を振り返り、その将来の計画を立てるとき、切迫感が修道院中に広がりそうな気がします」と、グリーンリーフは冒頭から問題の核心に触れていきます。組織というものに対する不信感、伝統的な価値観の転換とそれに基づく奉仕への疑問。こうした不確実な時代にいることを聴衆、その中心は聖フランシス教育修道女会の修道女(シスター)ですが、彼女らと共有して議論を展開していきます。
・グリーンリーフは聴衆が所属するカトリック教会のトップから「(自分の場の修道会と管区(注)はうまくいっているが、米国のカトリックの)教会はどこもかしこも混乱している」と聞き出します。この言葉に、グリーンリーフは、「困難は非常に重要な要素であり、組織を活気づけるもの」と、むしろチャンスであると述べます。有能なリーダーは、組織が直面する混乱が新しい息吹を吹き込み、混乱からの回復を図る力が組織の存続に欠かせないと訴えます。
 (注)宗教団体が運営や信仰の浸透のために地域を区切る、その地域範囲。カトリック教会
    では司教が管理する司教区の下に主任司祭が管理する教区、さらに小教区と階層構造
    となっている。
・単に組織に利用されているだけで自分の才能を伸ばすことに組織が何も貢献していない、と気づいた同時代の多くの人の反発に、グリーンリーフが「誰よりもこの問題に関わっている」と評価したのは、1958年から1962年までのわずかな在位期間に、第二バチカン公会議(注)を招集し、カトリック教会を他の宗派、宗教との対話に導いたローマ教皇ヨハネス23世(注)です。
 (注)ローマカトリック教会による最高会議。過去1600年間20回の公会議はカトリックの教
    義に関する検討と定義が主目的であったが、本会議では、カトリックの現代化やプロ
    テスタントや他宗教との融和などが協議された。教皇ヨハネス(ヨハネ)23世と後を
    継いだパウロ6世によって1962年から1965年に開催。
 (注)本名アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカッリ(1881~1963) 1958年10月にピウス12世
    の後を継いで、当時歴代最高齢の76歳で第261代ローマ教皇(法王)に就任。1959年
    1月第二バチカン公会議を招集。
・グリーンリーフは、「彼(ヨハネス23世)のおかげで西欧での教養ある人々の多くが精神の高揚を感じて、さらに奥の深い人間となり、寄り集まって力をつけ、彼らを苦しめる勢力に対抗することになった(後略)」とその功績に最大級の評価を与えています。
・グリーンリーフは、アメリカでのカトリック教会に対して、「(米国ではカトリックは少数派ながら)永久的に最大の力を持つ可能性がある社会的勢力」と見ていると述べます。避妊、中絶、安楽死、離婚、共産主義といったカトリック教会の伝統的な協議に反する行為への反対表明を、社会に安易に迎合しない行為として評価しつつも、何も生み出さない否定ではなく、望ましい方向への肯定的な姿勢と言動を求めます。「特定の目的をしっかり狙い、肯定的な行動をとる以外に、組織や社会全体を導いていくのは不可能」であり、その観点で、「私は非カトリック信者として、ヨハネス23世の統治に気分が高揚するのを感じました。なぜなら、リーダーシップを築くという肯定的な気運が巻き起こり、新たな希望が世界にもたらされたからです」と米国カトリック教会を激励します。
・グリーンリーフは、人々の思想や行動を、肯定することよりも否定することが広がりやすいという世間一般の性質が、リーダー不在で組織への不信に満ちた社会を作りがちであると指摘します。そのような中でも組織が持つ可能性をもっと広げ、多くの若者が望む「個人的な充実感」を満たすことを実現する新しい組織は、「社会の建設的な勢力となる」と述べています。そして聴衆である修道者(主に修道女=シスターと思われます)に、「個人的な自己実現を達成するのに最適な場」としての「傑出した存在として現れる、修道会と教会の両組織を作ること」を求めました。教会と学校は「(すべての人の)個人的な自己実現を達成するのに最適な場を見つけられる、特別な組織」であり、その中で「質の高い人生」を送ることができることようにと期待を寄せています。
・そうした期待を込めて、グリーンリーフは「モデルとなる組織を築くため」に、以下の4つの提言をおこないます。
 - 「並はずれた奉仕をする組織には目的とコンセプトが必要不可欠」であり、
  そこには「‘すべての’人々」が参画し、失敗からも学ぶ。
 - リーダーシップとフォロワーシップを理解する。生来のサーバントの素質を持つ人々が、
  一層努力することで組織の型が作られる。
 - 組織構造のあり方を考えること。ピラミッド構造の頂点の一人ではなく、
  「対等なメンバーの中の第一人者」として奉仕する真のサーバントがリーダーとなり
  メンバー全員が平等であること(本書第2章参照)
 - トラスティ(受託者)による組織の監視と指導の必要性。最高の信託を担う人で、
  実際の経営に関わらず、内部の人よりも衡平で客観的であること(本書第3章参照)
・組織自体が信頼を失っている現代(1974年)において、グリーンリーフは「真実と、血の通う人間性を心から求めることによって、考え抜いた組織再編」を求めます。そして聴衆である聖フランシス教育修道女会のシスターに「導くことがふさわしいときは導いでください、従うことがふさわしいときは従うのです」と述べます。そして「‘リーダーシップ’とは、ひとりの人として現在やるべき以上のことを想定して、リスクを冒して‘今すぐこれをやりましょう’と言えること」「‘フォロワーシップ’もリーダーシップ同様、責任のある役割です」と説き、「組織を良き存在とするのは、実際に信念を実行すること」と訴えました。
・「何千年もかけて、どういう人間がサーバントとして優秀な人物になるかを学んできた」私たちは、「長い間、個人で達成していたことを複数の人間が協力して達成すること」について学びを深める必要がある、というのがグリーンリーフの主張で、彼は、「二十世紀後半に堂々とサーバントとして君臨する存在に築き上げ(中略)みなさんの教会、ひいては世界をも動かすようにさせる」ことを聴衆である、修道会の女性修道者に働きかけました。
・この講演の最後で、かれは20世紀のクエーカーのリーダーであった、ルーファス・ジョーンズ(注)の次の言葉、「現在、私たちは危機に瀕しています。ですが、私たちは松明の担い手にもなれますし、小さな炎を大切に守り、少しでも長く持たせることもできるのです」を引用して、グリーンリーフからの「松明」を受け取ってほしい、という希望をこめて、講演を終えました。
 (注)1933年~1993年。20世紀クエーカー教の卓越した指導者。
    本書第5章、日本語版p.283-p.284参照。

【育成の最前線にいる教会】
・この論文には、出典が記されていませんが、内容から第6章にまとめられたクエーカー向けの2つの記事とカトリック修道会向けの講演録を踏まえて、本書がまとめられるときに書き下ろされたものと思われます。
・グリーンリーフは、この章に掲載した3つの論文、講演録と本書第2章「サーバントとしての組織」で述べた教会への言及(日本語訳 p.150~p.154)を基に、現代における「新たな預言の兆候」を教会が受け止めることへの期待を高めます。新たな預言とは、「これまでは語られていても誰にも聞こえなかった預言が、人の耳に届き始める」ものというのがグリーンリーフの説明です。
・グリーンリーフは、個人が自己啓発に過度に注力することを現代の問題として、挙げています。「自分に欠けたものを埋め合わせることだけに携わっている人々は、その欠落感を埋められないだろう。自分のためだけに探究しても、満足感を味わえることはめったにない」と語り、「こうした新しい気づきを得た求道者」が自らを癒すことに夢中になることから脱却し、教会にも「新しい教師を庇護し、新しい教えを活
用する組織」として「育成の最前線」という役割を期待しています。
・凡庸さとは「与えられた人材や物的資源で、合理的に見て可能なレベルに到達できないこと」と定義するグリーンリーフは、西洋社会の多くが凡庸さに甘んじる欠点を「伝統的な道徳律の本質部分に欠陥があるせいだと思う」と大胆に述べています。西洋社会の道徳律の基礎となるモーゼが神の啓示による十戒を「経験と英知を合理的に成文化したものとして、個人の行いの道標となる実際的な規則をまとめたものとして、そして良き社会の根本原理となるものとして与えてくれたなら、人類にとってどれほどよかったことだろう」と述べています。そうであればこの道徳律が単なる禁止事項にとどまらず、現代に至るまで発展し、合理的に正当化されていくことで社会の中心となっただろうという見解です。
・「‘サーバント’とは、各個人や各組織の持つ、奉仕する能力に合ったものを義務とする高度の道徳律をクリアする人間だ」というグリーンリーフの仮説のもとで、彼はサーバントの資質がなかった人がサーバントになることへの喜ぶ以上に、生来のサーバントの資質を持った人が「奉仕する組織」を築いていくことを強く望んでいます。「ビルダー(組織の創設者)となるだけの能力をもつサーバントにとって、この世の一番の喜びとは何かを築くことである」というグリーンリーフは、将来のサーバントリーダーや組織のビルダーを養成する組織としての教会への強い期待を表明して、本論を終えています。



【参加者による討議】
・会読範囲には、「リーダーは奉仕に努めよ」というグリーンリーフの意見が明確に出ているが、通読して「それがなぜ教会や修道会、学校なのか」という疑問がある。「個人的な自己実現を達成するのに最適な場を見つけられる、特別な組織になっていかねばなりません(本書(日本語版)p.382)」という点は、企業でも同様ではないだろうか。
・教会や学校と企業を比較すると、前者には社会における公共性があり、後者の企業には営利追求という看過できない目的がある。一方で学校や教会がもつ公共性は、それが原因となって停滞を生みがちな面は否定できない。グリーンリーフは、現代の教会や学校に時代に即した変化を求めている。もちろん変化することそれ自体が目的ではない。意義ある変化に向けて重要なことは組織に注意を払うということだと考えている。
・この講演が行われた1974年当時、企業の社会的責任の概念や社会的存在を意識することは、まだあまり高くはなかっただろう。現代は従業員をはじめ企業の利害関係者の巻き込みも多くなっている。
・この講演(1974年8月14日)のわずか前に、米国ではウォーターゲート事件で当時のニクソン大統領が辞任した。米国民の自国に対する不安とリーダーへの不信がピークになった時期だが、教会への強い言葉の背景に、こうした社会の混乱もあったのではいか。
・企業と学校、教会を比べると、その組織の構成員に差異がある。教会はその地域に根ざして、人の誕生からの一生涯の付き合いとなる。米国勤務で暮らした経験では、教会はその地域の源泉だということを実感した。また、外部から来た自分などにも開放的で、信徒ではないにもかかわらず、集まりに呼ばれて歓待されたことがある。
・教会が地域の身近なコミュニティであり、学校としての教育の機能も持っていたことは理解できる。
・本書(日本語版) p.375に名門校の校長が「優れた学校なんてありえませんよ」と発言したという話がでている。どんな組織にも制約が多く存在し、その制約が組織の成長を阻害することがある。教会や学校のように、そこに集う人のための組織にも制約があって組織が成長する限界があることがわかる。
・視点を変えてみると、シスターが集まる女子修道会がグリーンリーフを招いて講演してもらうのに、何を期待していたのだろうか、という点に興味がある。グリーンリーフもカトリック教会の実際の運営を担う司祭(男性)やブラザーと呼ばれる男子修道者ではない、シスター、つまり女子修道者に、あたかも組織の中核者のように熱く語りかけていることに着目している。
・宗教団体は、基本的に縦型組織であり、ことにカトリック教会はローマ教皇を頂点とする数億人規模の全世界で一枚岩の組織だ。その巨大組織をもって2000年間、自らの教義を精緻化することに努め他宗派、他宗教を否定してきた。そのカトリック教会がヨハネ23世教皇のリーダーシップで第二バチカン公会議を開催し、他宗派、他宗教との対話、融和を主眼とする方向に、数億人の組織の舵を大きく切っている。グリーンリーフはカトリック信徒ではなく、神学理論にも関心は低いようだが、巨大組織の中で組織の方向を変えた偉業に、極めて熱い思いを抱いているように思う。
・グリーンリーフは、教会、大学、企業を念頭に置いて巨大組織のサーバントリーダーシップを説いている。本書第2章などでそれを明確に述べている(注)。現代社会は、巨大組織の下で動く構造になっているが、そのことを受け入れた上で、巨大組織こそが社会の変革のイネーブラーであるとして、サーバントであることを求めている。
 (注)日本語版、p.108-109

・講演の導入部分で、グリーンリーフがカトリック教会の長老に教会の運営状況を聞いたところ、その長老が、自分が管轄する教会や教区はうまくいっているが、カトリック教会全体は厳しいと回答した。その答えにギクリとしたという話がある。これを踏まえて、組織に一定の危機があることはむしろチャンスだと話していることが興味深い。視点を変えることで見えてくるものもある。
・組織の構成員がある程度の危機感を持つことはむしろ望ましい。組織の中で意識的にそのような状況を作ることも十分にあり得る。
・自分の勤務先では、経営者が頻繁に危機感をあおってくることに、少し疲弊している(笑)

・グリーンリーフは、否定的な姿勢では組織や社会を導けない、特定の目的に向けて肯定的な行動をとることで組織や社会を導ける、と主張している(本書(日本語版)p.379)ことに強い印象を抱いた。
・講演の最後の方でも「戒律のほとんどは‘~しないこと’という形式(中略)禁止事項に従うだけで徳のある人とされる」(本書(日本語版)p.397)とある。キリスト教に限らず、多くの宗教が教義の精緻化と徹底のために、その言説がとかく拒絶型、否定型となる。これは教会以外の組織でもよくあること。そこを踏まえてグリーンリーフが否定ではなく肯定を、と訴えていると感じる。
・この講演の最後にグリーンリーフはビルダー(組織の創設者)の重要性を説いているが、そこを読んでビルダーこそがリーダーであるというグリーンリーフの意図と感じた。ビルドという行動は、物事を肯定する姿勢でないとできない。リーダーの思考と行動の原理なのだと思う。
・職場に中途採用の人が着任してきた。即戦力ということで仕事をしてもらっているが、そのやり方が職場で続けてきたものと微妙に異なるために、自分がどうしても否定的な物言いになってしまうことを反省している。
・肯定の重要性はその通りと理解する。ただし、これは相手にむやみに同意することを勧めているのではない。相手の思考と行動を問答無用に停止させる否定ではなく、より良いものを生み出すための議論のきっかけとなるように、異なる意見を出すことも重要だ。ただ、日常の中で、公平で公正な議論ができない人や状況が多いことも事実。
・意見を言いやすい場、安心、安全の場があるかどうかが重要。上に立つ人はそうした環境づくりに腐心していく必要があるだろう。
・場があることに加えて、最後は自分がすべてを引き受けるという覚悟がないと、異なる意見は出しづらい。場を与えられたフォロワーの役割と行動も重要。ものごとを前に進めるにはリーダーとフォロワーの調和と協力が不可欠だ。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダシップ」第二期第23回(通算第78回)の東京読書会は、8月25日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

横浜市消防局様で講演を行いました

2017年8月7日(月)、横浜市消防局様よりご依頼を頂き講演を行いました。



当日は消防司令長、消防学校教官、人材育成トレーナーを対象に
サーバントリーダーシップについてお話し致しました。



第10回 大阪読書会 開催報告

7月14日(金)大阪で第10回「サーバントリーダーシップ」読書会を開催いたしました。

本勉強会ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」から毎回10ページ~20ページを参加者で会読し、各自の感想や意見を自由に交換しています。

今回の範囲は主に"組織編成"について記述されています。
中でも「運営管理者」「コンセプト策定者」に対したくさんのご感想をいただきました。
当日のご参加者のお声をいくつかご紹介させて頂きます。

【今回の読書会で「気づいたこと」「学んだこと」】
・運営管理者とコンセプト策定者の両立の困難さ。
・サーバントリーダーが奉仕する相手は様々で価値観も様々だろうから、これにどう向き合うのか、これから学びたい。
【今回学んだことで明日から実践しようと思うこと】
・大きな仕事、成果を最大にするためには一人で、ではなく他者と協働していく事が必要と感じた。他者の支援をする、求めることをしたい。



大阪での次回読書会は8月25日(金) です。初参加・お久しぶりの方もお気軽にご参加ください。(多くの方が途中回からのご参加です)
※次回開催情報はこちらから

第21回東京読書会 開催報告

第二期第21回(通算第76回) 東京読書会開催報告
日時:2017年6月23日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、今回から第7章「教会におけるサーバント・リーダーシップ」に入ります。
グリーンリーフが活躍した米国では、キリスト教を中心とする宗教が今もなお、人々の生活から社会運営に至るまで強い影響力を与えていることはよく知られています。グリーンリーフは20世紀後半の米国において中核となる宗教団体のキリスト教会が社会のサーバントたるリーダーに対する役割の重要性を認識し、いろいろな提言を行っています。今回はこの章をまとめる小論と彼自身が信徒であったクエーカー(注)の雑誌に投稿した二つの小論を会読しました。(今回の会読箇所:p.351~p.372、9行目。小論の最後まで)
 (注)17世紀イングランドでジョージ・フォックスにより創設された宗派。
    正式名はキリスト友会



【会読範囲の紹介】
[序論]
「宗教的な関心を伴ってなされる物事は、人類を宇宙へと縛り直して、社会に広がる孤独を癒すものだ。」 グリーンリーフは教会のリーダーシップに関する小論を編集したこの章の解説の最初を、このように書き出しています。彼は自身の宗教観について、神学を基盤とするものではなく、「言いようのない神秘の前に、畏敬と驚嘆の念を抱いて立ち尽くすだけで満足なのだ」と表明する一方で、神学を究めて神秘主義の領域にある人々とも「共通の背景を感じる」と述べています。
グリーンリーフは、「教会に求められているのは、孤独が癒されれば人生は完全なものとなるから、その仲介役をしてほしいという数多くの人間への奉仕である。だが、残念ながらほとんどの部分で教会の奉仕は失敗に終わっているようだ。教会がもっとよく奉仕するための方法はある。また、サーバント・リーダーになるための方法も―ほかの組織のための手本となれば良いのだ」と現代米国の教会への批判とそれを超える大きな期待を寄せています。
われわれ読者、ことに日本人の多くが社会生活の背景に宗教が明示的に存在しないことから、「サーバント・リーダーシップ」が「教会におけるサーバント・リーダーシップ」と章を一つ割り当てていることに違和感を抱くこともありますが、宗教への敬虔な姿勢はグリーンリーフの思想の深層を形作るものであり、この章も注意して読み解いていくことが求められます。

[二十世紀後半に、求道者となることについて]
・この小論は、プロテスタントの一宗派であるクエーカー(キリスト友会)教徒向けの月刊誌「フレンズ・ジャーナル」に寄稿されたものです。神の言葉を人々に伝える預言者について、「過去の偉人にも引けを取らないほど徳の高い人々は男女を問わずにわれわれとともにあり、現代の問題を見抜き、より良き道を教え、この時代を存分に、しかも心穏やかに生きていくための手本を示している」と説明しています。そして「人々が預言に耳を傾けてくれたとき、預言者は名声を得る(中略)つまり、‘求道者’こそが、預言者を生み出すのだ」と主張します。真実はそれを明らかにすることを求めることで、ようやく解明の途につく、という内容です。またキリスト教における求道者とは、本来、キリスト教の教義や倫理を習得、実践する人を意味しますが、グリーンリーフは、この小論において、現代社会での混乱からの脱出を導くリーダーを目指す人をイメージしています。「だから(求道者は)現代の預言者の声を探し求め、それを受け入れようとして一歩を踏み出せば、われわれの誰もが成長し、奉仕する人となり得るかもしれない」というのが彼の意見です。
・この意見への反論として、現代の預言者には過去の偉大な預言者に匹敵する預言はできない、というものがありますが、グリーンリーフはその正否よりも「どんな人も預言において重要な役割を果たす」という点を強調します。
・グリーンリーフは、クエーカー(キリスト友会)の創始者であるジョージ・フォックスが活躍した17世紀には多くの「新しいリーダーシップを伴う、新たなビジョンの到来を待ち受ける求道者」がいたと述べます。そして、この小論が書かれた1970年代は、「探求している人は多いが、探求への情熱を満足させようとする人々がさまざまな情報をひっきりなしに伝えて、混乱をもたらしている」と、このころにも多数あった心の安定や精神を目的とした自己啓発の手法を教会が従来から提供するプログラムと並列して挙げています。そして「現代の求道者」が自己啓発の多様さと魅力に驚きつつも、かなりの人が「すべてを追求することに人生を費やし、探求の結果得られる成果」事態を拒否し、「倫理的なジレンマに生涯陥ることになる」と問題指摘しています。
・彼はこの小論の読者のほとんどがクエーカー教徒であることを意識して、創始者ジョージ・フォックスの功績を「自らをフレンド(注)とよぶ多くの人々が、全ての創造物にもっと愛をもって接し、自分たちの社会と組織への強い責任感を担うようになったことだ」と表明し、クエーカーの組織特に商業組織の質が向上したことに言及しました。それを踏まえて、巨大化した組織社会の現代におけるサーバントの意義に目を向けるようにと述べています。
 (注)クエーカー=キリスト友会においては、同じ宗派の人々をフレンドと呼んでいる。
・グリーンリーフは、現代社会のサーバントでありリーダーを目指す求道者に「(現代の個人的、全体的な)混乱からの脱出方法を見つける手助けをしてくれる現代の預言者を、責任をもって探し、預言者の声に耳を傾ける」ことで「求道者はより社会に役に立つサーバントになれる」と促しています。
・「力やビジョンを持ち、高潔で、能力や若々しい活気に満ちた人々(中略)は、まさに今、彼らのリーダーシップに対するわれわれの反応(中略)を試している」、そして「われわれを取り巻く文字通り泡のような情報の中から定位される予言」に「本当に耳を傾けて反応する準備があるのだろうか」と厳しく問いかけてきます。
・「自らを無名の求道者の一人と思っている人」が周りの動きに耳を傾けていくことで、その人は「奉仕することによってのみ達成できる完全さ」を発見し、その発見を支援してくれる現代の預言者を見つけ出すことができます。そして、「この完全さの中から一つの目標が現れ、現代の根源的な不安や、多くの組織が奉仕しようとして失敗した経験から生じる苦しみに耐えるだけの力も求められるだろう」と小論を締めくくります。グリーンリーフは、他者に奉仕するサーバントリーダーシップの発揮は、多くの苦しみを伴うことであり、リーダーはその苦しみも甘受するべき立場である、と求めています。

[知る技術]
・この小論も1974年10月5日にクエーカー教徒向けの雑誌「フレンズ・ジャーナル」に「現代のクエーカー教徒の思想と暮らし」という題で掲載されたもので、17世紀のイングランドでのクエーカーの創始者であるジョージ・フォックス(注)のリーダーシップを語ったものです。グリーンリーフは「この記事は‘クエーカーの伝統から問題解決の糸口を探ろうとする人々’向けにかかれているが、‘こうして私は身をもって知ったのだ’という言葉に力を感じるすべての人々に役立つかもしれない」とこの小論の意義を述べています。
 (注)1624~1691年。多くの弾圧を受けながらも
    純粋な信仰を基盤とするキリスト友会を設立。
・「こうして私は身をもって知ったのだ」とは、ジョージ・フォックスが聖職者として活動する中でしばしば使った言葉です。これは、「誰よりも優れた洞察力を持っている」というグリーンリーフがひたすら聖書を読むことでその洞察力を得て、社会的権威の影響力ではなく、自らが受ける啓示を受け入れることで、多くの判断を下していったことの表明です。
・グリーンリーフはこの判断を下すというプロセス、つまり「物事はどのようになされていくのか」を組織学者の立場から説明していくと宣言しています。彼は「身をもって知る」という才能を受けたフォックスにより、クエーカー信徒が「初期のキリスト教の精神と本質にすばやく立ち返えることができ」、「意味のある新しい動きを見つけて人々を導き、新たな道徳規範をあの時代に立ち上げ」た、としています。フォックスはキリスト教とユダヤ教の共通かつ確固とした倫理観を持っていたと言われ、それが彼の良き影響力の源泉です。その倫理観は、彼に力ではなく、「目指すべき方向性(を知ること)」を与えました。
・グリーンリーフは若き日の自らを振り返り、「身をもって知る」ことの重要性に気がつかなかったことを悔いるとともに、多くの人がそのことを知る助けとなるべき教育がその機能を発揮していないことを指摘しました。そして「現在、最も必要とされており、クエーカー教の伝統から見出せるものは、方法はともかくとして、敏感な若者たちに身をもって知るという可能性に気付かせる助け」ではないかと主張します。現代は、「有能で道徳的な人によるリーダーシップが、世界中で至急求められている」時代であり、現代が「フォックスの時代から受け継がれてきた伝統」とつながる必要性に言及しています。
・グリーンリーフは、読者であるクエーカー信徒に訴えます。「サーバント・リーダーの成長は、クエーカー教の伝統で働く人々や、教育に特別な関心を持つ人たちの最大の関心事として、盛んに求められている。われわれが望むのは、物事をうまくやる方法でもなければ、(アメリカにおいては)仕事に必要な物資でもない。心から必要としているのは、先に立って進むべき道を示してくれる、有能で道徳的なリーダーなのだ。そうしたリーダーがいれば、道徳規範も多くの人々の考え方も向上し、人は今持っている力と知識を使って、より奉仕するようになるだろう。」 そして、その当時(1974年)は、リーダーシップ軽視、リーダー不在の社会を提唱する人も出てくる中、リーダーとなることを望む人を導くサーバントの不在につながると警鐘を鳴らしています。
・社会の変化と変革の中で、あたかも自滅を望んでいるかのように変化を拒否する旧来型組織への対処を問われたグリーンリーフは、「能力がないなら身につけるべきだ」と断言します。それは何かの分野の具体的技法ではなく、「身をもって知る」ということである。それは安易に定義できるものではなく、ジョージ・フォックスの日記を繰り返し読むことで、ある日見えてくる、とグリーンリーフは説いています。そしてフォックスを学ぶとは、彼の行動をまねるのではなく、「いかに学んだか」ということである、と喝破しました。「‘いかに学んだか’は時代を問わない」が故に、「この時代に適した、優れた英知の学び方を学ぼう」と提言して、さらに、「新しい洞察力が現れるのを、驚きと期待を胸にじっと待つこと」を説いています。
・「人の内面の指導に関われば、この上ない達成感を味わえるが、関与(コミットメント)と狂信的行為の線引きは曖昧」という難しさをグリーンリーフはよく理解しつつも、奉仕の重要性がフォックスの時代も現代も変わらないことを伝え、私たち一人ひとりに限界はあるが才能もある、と励ましつつ「ささやかなものであろうと、身をもって知り、人を導き、他者に教え」ることで、「(社会のリーダーを目指す)若者たちに手を貸そうではないか!」と読み手に訴えて、この小論を終えています。



【参加者による討議】
・一番目の小論「二十世紀後半に求道者となることについて」では、預言者がキーワードになっている。ユダヤ教やキリスト教では、啓示によって神様の言葉を知り、それを人々に伝える人のこと。預言の中には「将来、こうなる」という予想を踏まえた内容のものもあるが、ノストラダムスの大予言のような将来を予測するだけの「予言」とは異なる。旧約聖書の特に後半は、預言の書といわれる。
・旧約聖書の時代にも、だれが正しい預言者かということを同時代の人が分からなかったことが多い。複雑、混沌な現代社会での、正しい道を示してくれる人がだれかということは、一層難しくなっている。
・その一番目の小論の最後が「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」という松尾芭蕉の一文と、フランスの社会主義者であるジャン・ジョレスの「過去の祭壇から灰を盗まず火を盗め!」という格言が引用され結語となっている。奉仕する人、すなわち現代の預言者につながる重要な行動について示唆していると思うが、ここに引用した意図や文の意味が十分に理解できないでいる。
・二番目の小論「知る技術」につながるが、たとえば人の上に立つ人が「何を言ったか」ではなく、その発言に至る経緯、どのような問題意識があったのか、自身の思想をもつためにどのように学んできたのか、課題についてどう調べてきたのかといったことがより重要ということではないだろうか。
・上位者の発言が「邪念のない利他的なものかどうか」はとても重要だと思う。
・その点では「知る技術」のp.365からp.366にかけて、サーバントリーダーについて、「生まれつきサーバントになりたいと願う人であり(中略)他者が建設的な方向に進むのを手助けできる人」と書かれていることに注目したい。
・他人の発言をうのみにするのではなく、自分自身で深く考えること。このことの重要性は、普遍的で時代を問わない。
・キリスト教徒の中でクエーカー信徒の倫理意識は、一般的にとても高い。宗教に基づく倫理だ。日本人の倫理意識の源泉は何に基づくのだろうか。
・日本人の場合は古くから儒教を受け入れた後、これを実語教など、幼少期から習い親しむ形に展開している。最初の小論「二十世紀後半に、求道者となることについて」の最後に松尾芭蕉が引用されていることに、何らかの縁を感じる。

・これらの小論を読んで改めてラリー・スピアーズがまとめたサーバントリーダーシップの10の属性(本書、p.572-573)を確認してみた。グリーンリーフの他の論文などでの意見に比べて、今回のクエーカー信徒に向けた提言には、第3の属性である「癒し(Healing)」と9番目の属性「人の成長に関わる(Commitment to the growth of people)」の要素を強く感じる。
・そのことについては、苦しんでいる人が救いを求めて集まる場が教会の原点であるからではないか。原点に立ち返ることの重要性が示されている。
・勤務先でマネジネントに関わっているが、部下に組織の目的を念頭において、ここの目標を設定するようにと常に伝えるように心がけている。目標とそこに向かう方法を細かく考えている中で、目的、つまり組織本来のミッション、存在意義を見失うことがありがちなので注意しないといけない。

・先日、青山学院大学陸上部の原 晋(はらすすむ)監督の講演を拝聴した。原監督が監督就任当時の青学大陸上部は駅伝の予選も通過できなかった。原監督はそのような状況の中でサーバントマネジメントと呼ぶ方法での指導を進めている。大学監督になる前のサラリーマン経営で、組織力を高めることにおいて人を育てることの重要性を認識していたそうだ。
・何よりも成果を挙げていることが素晴らしい。監督と選手の間にWin-Winの関係がある。
・成果は重要だ。ただし、いろいろな組織で求められている本当の成果は何かということをしっかり検討して明確にすることは重要だ、案外難しい。

・キリスト教会というと、多くの人は聖書や神を想像し、それらの記述やことばを詳しく正確に引用したりすることに価値を見出そうとする。本当に大切なのは、そのような表面的なことではなく、崇高なビジョンを示して、社会全体の光となる役割を担うことだ。グリーンリーフもそのように訴えていて、そのことの意義を改めて痛感した。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダシップ」第二期第22回(通算第77回)東京読書会は、7月28日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

第9回 大阪読書会 開催報告

6月21日(水)大阪で第9回「サーバントリーダーシップ」読書会を開催いたしました。

本勉強会ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」から毎回10ページ~20ページを参加者で会読し、各自の感想や意見を自由に交換しています。

今回はトラスティ(受託者)というテーマに対したくさんのご感想をいただきました。
少しずつイメージができてきた方、まだぴんと来ない方などがいらっしゃり、様々な意見交換がなされました。
当日のご参加者のお声をいくつかご紹介させて頂きます。

【今回の読書会で「気づいたこと」「学んだこと」】
・思いやり等わかっていると思ってたけどわからないことがある
・トラスティ(信託する)の意味付けや、組織のかかわりについて理解が深まった

【今回学んだことで明日から実践しようと思うこと】
・仕事をおろそかにしない。さぼらないという意味でなくより崇高なものへと
・”組織の質の低下・危機が「良い人」が仕事をおろそかにしたことからおきた危機”
 という言葉から、仕事をおろそかにせず最高を目指したい



大阪での次回読書会は7月14日(金) です。途中からの参加でも全く問題ありません(多くの方が途中からの参加です)。ご興味がありましたら、是非ご参加下さい。

※次回開催情報はこちらから

第20回東京読書会 開催報告

第二期第20回(通算第75回) 東京読書会開催報告
日時:2017年5月26日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、今回、第6章「財団におけるサーバント・リーダーシップ」を会読しました。
この章で取り上げる財団は原著ではfoundationと書かれています。これは、わが国の財団法人とは性格が異なる組織です。米国では20世紀に入り、アンドリュー・カーネギーやジョン・D・ロックフェラーを皮切りに多数の企業経営者が利益を社会還元することを目的に、法人形態の基金である財団を設立しました。米国の財団は、社会福祉的な側面を有することから税制面でも優遇されたのですが、時代が下る中で、企業の隠れた蓄財装置としての役割を持つようになり、やがて米国内で批判の声が高まります。
財団と企業側の政治工作なども散見される中、法令や規制が徐々に整備され1969年の米国税制改革に至り、ようやく財団の形、役割、行動規範が整いました。この章を構成する二つの小論が慈善団体発行の雑誌「ファウンデーション・ニュース」誌に投稿された1973年と1974年は、米国内には財団に対する厳しい意見や見方が残っており、財団自身が信頼を取り戻すために具体的な活動が求められた時代でもありました。(今回の会読箇所:p.329~p.350、16行目。この章の最後まで)



【会読範囲の紹介】
[序論]
・グリーンリーフは、本章の序論で次のように述べます。「奉仕するにあたって一番難しいのは、金銭を与えることだろう(中略)たまに、金星を受け取った人が文句を言ってくる場合があり、金銭を与えた人が気分を害してしまうことが多い」「苦情の裏にある問題の本質が明かされ」ない。
・「財団が道を誤るのは、自らを、特権を与えられた存在ではなく、正義の味方とみなしているから」というグリーンリーフは、「真に奉仕する組織は、特権を与えられた存在であると自らみなしている」と財団に自覚を求めます。そして「この複合的な社会で、財団が十二分に奉仕できる可能性を私は強く信じる」というグリーンリーフの思想を反映した二つの小論がこの序論に続きます。

[財団のトラスティ]
・グリーンリーフは、財団の法務、財務、運営といったよく知られた部分ではない、未調査分野、すなわち財団の人々や組織に対する影響力や財団が尊厳ある組織に変わる機会、について関心がある、と小論の冒頭で述べ、その背景にこの当時(1973年)の米国で影響力を強めてきたボランティア組織への関心の高まりがあると説明しています。それは「アメリカ社会全体の質を上げるには、現在、各組織のトラスティや管理者が持っている権限を活用するしか方法がない」という考えに基づくものです。
・グリーンリーフは、さまざまな規模の財団の貢献を認めつつ、財団は一層社会に貢献できるのではないか、と投げかけます。この時代の米国では、財団組織は存続しうるか、と問われていました。
・「財団の権力は補助金交付の決定にほとんどが集約されており、それは理事だけに与えられる特権である」としつつ、財団が企業は大学、医療現場のように厳しい競争や社会的評価にさらされる組織でないこと、古い慣習に囚われない立場であること、また一般社会から距離があることから批判にさらされることが少ないという特徴を危険な要素として挙げています。「どんな組織は人も、幅広い批判から学んで初めて成功する」からです。
・財団は多くの補助金の申請を受けますが、これに携わる理事や職員は、「自分を全知全能の神と錯覚する」危険性を孕(はら)んでおり、グリーンリーフはこれを発病率の高い職業病とすら呼んでいます。このことについて、グリーンリーフはダンフォース財団前会長のメリモン・カニンガム博士の「民間資金と公的サービス」から引用しています。「提供という行為の危険性は(中略)その仕事が美徳だと思い込むことにあり、これには不道徳な考え方もいくつか付随する(中略)提供という行為はモラルに反する危険性がともなうことを、財団は自覚しなければならないのだ。」
・こうした事情を困難な課題を持つ財団は、組織の性質上、そのトラスティ(注)に最も過酷な責務を押し付けているということを踏まえて、グリーンリーフは財団が本当の意味で奉仕するための提案を行います。すなわち、財団のトラスティが役員や職員の監視役となって直接的、個人的に組織の信頼性を育て、守る人間になること、そのために監視役に徹すること、です。
・グリーンリーフは財団の未来は組織の高潔さやその高潔さの影響力を維持できるかどうかにかかる、として、モラルや高潔さを「対処すべき状況を予期し、行動の自由がある内に行動するという先見の明を指す」と説きます。この高潔さをトラスティが発揮することを求め、「内部に高潔さを築く責務」があるとしています。多くの組織では、官僚的な惰性が蔓延したり、「与える者の奢り病」が発症した時に、管理者の交代、刷新を行いますが、グリーンリーフはこのように、組織を普段は放置しておいて、問題が発生したらトップを交代させることで済ませるような手法を評価しません。
・「トラスティが信託に応える人物として十分に機能し、トラスティという特権的な立場でこそ可能な社会を築く」、グリーンリーフは財団の理事にトラスティとなること、そしてトラスティの役割を全うすることを求めます。この小論当時(1973年)の財団の主たる出資先である大学が無批判に補助金を受け入れることで主体性を失い、資金提供者が大学教育プログラムの決定に介入する事態に懸念を表明しています。
・「財団は公共のものでも民間のものでもない。トラスト(信託)が、財団を言い表すのに一番ふさわしい(中略)理事達が自分たちの役割を民間のものと考えるのを止めてすべてをトラストという言葉に置き換え」ることで組織の質が変化すると述べ、その組織の質が「どれだけ社会に奉仕したか」で評価される時代を予見しています。グリーンリーフは、「財団の大半が一流かつ誠実で、献身的で、人間性を兼ね備えた組織のモデルとして、他の組織の上に君臨」すること、それにより財団のトラスティの新たな役割が定義されることに言及してこの講演を終えました。

[慎重さと創造性 - トラスティの責務]
・小論の冒頭、グリーンリーフは、財団と他の組織の3つの差異を指摘し、この特徴の故に財団のトラスティの機能と運営方法が他の組織と異なると指摘しています。
 - 財団は識者が「撤廃すべき」と断じた唯一の組織カテゴリーである。
 - 財団に所属していない人、つまり外野が「自分の方がうまく財団を運営できる」
   という批判を寄せてくる。
 - 市場によるテストや利害者との調整を要しない責任者による
   自由裁量の幅が大きい組織である。
・財団が長く社会に奉仕する役割を担うためには、「慎重さ」と「創造性」の二面が備わっていることを確認(テスト)する必要があると述べます。
・グリーンリーフは「慎重さ」のテストとは、「隠れた問題やリスクを察知し、それらを油断なく回避できるか否か」であるとしています。財団には市場がないために、他の組織が市場での評価という警告がなく、思慮を欠く行動が財団を政治的にあるいは社会的に糾弾し、長くその汚点を残すことがあるとしています。財団の財産が社会的不正蓄積と見なされる中で、各種の改革案が財団の資金提供により政治的に闇に葬られた、と多くの米国民に思われたことがその一例です(注)
 (注)本書でも言及されている通り、1969年の米国税制改革により
    米国の財団の財産管理については抜本的に改訂された。
・そして「創造性」については、「社会的に役立つアイデアや仕組みをもたらせるか(中略)失敗も顧みずにリスクを冒し、試行し、ねばり強く行動」することを挙げています。そして、アジアでの緑の革命を成功に導いた財団を引き合いに、市場評価が急激な他の組織以上に財団には創造性を働かせる機会が豊かとしつつも、その実績は低調と批判しています。
・これらを踏まえてグリーンリーフは、「有用な組織として財団が生き残れるかどうかは、影響力を持つ一般市民の大多数から、慎重さと創造性を兼ね備えているとみなされているかどうかにかかっている」と断言します。この「慎重さ」と「創造性」という二律背反しがちなテーマに挟まれながら、財団の運営をバランスよくするために、グリーンリーフは財団のトラスティたる財団理事長は、財団を運営する職員と職員から独立した第三者の顧問の意見を聴取することを勧めます。多くの慈善団体が手練手管で助成金を求めてくることで、財団職員は多大なプレッシャーを受けます。その中で冷静で慎重さと創造性のバランスを保つ判断を下し、それを続けるための方法として、たとえコストがかかろうとも財団のトラスティ(理事)に直接進言する外部顧問を起用することを勧めているのです。
・グリーンリーフはこの小論の締めくくりに、次のように述べます。本論冒頭に上げた財団の3つの特性が財団の奉仕の機会を縮小させていること。財団がもっと創造的であれば、第三の特徴にある市場のテストがない組織として、財産は社会に多大な利益を与えることができる。しかしながら財団が十分に創造的ではない故に、社会の批判が絶えず、財団のトラスティが社会の信頼を失ったり、トラスティ自身の人生を貧しいものにしかねない。このような強い警告で本論を終えています。



【参加者による討論】
・本書とは別の研究論文によれば、米国の財団は、現在に至るまで1969年の米国税制改革で形作られたものが続いているという。1970年代のグリーンリーフの2つの小論は、ともに財団が市場の評価を受けないことが組織のもつ弱点だと書いている。
・市場は多数の参加者による売買の場で、売り手や買い手が多数いることが納得のいく価格を形成する条件になる。売り手と買い手は価格の評価者でもある。多数の第三者の視点での評価が多くの場合、正しい方向を示している。
・「与える者の奢り病(本書、p.338)」とは手厳しい言葉だ。自分は良いことをしているという思いの裏返しなのだろう。
・日本企業で外部助成金の基金を管理している人に話を聞いた。助成案件の選択には社外の判断を入れて公正を保つようにしているが、助成申請が大量の上、申請書がきちんと書けていないことが多く多大な時間を申請の支援に当てているという。申請者が申請書作成能力にも事欠く状態だから助成を希望するともいえるのだが、長時間勤務の中で、受付側の支援が指導的態度に変わっていくこともあるのではないかと想像する。
・奢りを防ぐために、自分自身のミッション(使命)を定義して、それと実態に差がないかを監査的に確認することが必要だ。財団のような組織では、監査によってガバナンスが機能しているかどうかをチェックすることが必須である。
・財団が自らの存在意義を認識し、組織目的を浸透させて存立と運営の哲学をもつことは重要。一方で、財団や助成基金の事務方が自分を見失うほど多忙であることは深刻な問題だ。
・組織の中で何らかの役割を担う人に、組織全体が過重に依存してしまうことがある。さまざまな原因があるが、いずれにしても組織の仕組みに改善すべきところがある。

・助成金のことであるが、支援を与えすぎると与えられた側が行動しなくなるという欠点がある。何に、どのように助成の資金を使っていくのか。
・資金を授与する助成事業はたしかに批判されやすい。その割に財団などの支援組織の中にいる人たちが自らのそうした性質を自覚していないことがある。与える側が自己満足に陥り、自分たちを客観的に評価する視線を失いがちだ。「一般市民の大多数から、慎重さと創造性を兼ね備えているとみなされているかどうか(本書、p.345)」という視点で客観的な評価を受けることが大切だ。
・今、言及された「一般市民の大多数から、慎重さと創造性を兼ね備えているとみなされているかどうか(本書、p.345)」というこころで、判断する人を市民と定義、記述している点に注目している。財団の助成のみならず行政サービスなども同じように評価していくことが求められる。透明性が必要という点は共通している。
・財団の資金の使途は、財団に資金を積んだ人、有体(ありてい)に言えば金主の意向による。その資金がどのように使われていったか、その調査と是正も財団の任務だろう。
・1960年代に世界の食料を大幅に増産させた「緑の革命(注)」は、資金を受けた側に自由があり、それが農業生産でイノベーションを引き起こしたことが成功要因の一つである。本書にも「状況を打開したのは新しい発明だった(p.344)」とある通りだ。資金の使途を既知の範囲で判断して制限すると、イノベーションを阻害することになりかねない。
 (注)ロックフェラー財団が1940年代から60年代にかけて、
    国際トウモロコシ・小麦改良センター、国際稲改良センターに資金供給して、
    東南アジアを中心に食糧増産に成功したプロジェクト。
・指摘の点はあると思うが、財団の意識、知識を上げていくことで対応して、資金提供は財団の価値意識と認識の範囲でもいいのではないかと思う。

・財団の本当の姿が周囲に見えずに、評価されないことが多いことが問題ではある。
・単なる広報活動ではなく、まず組織のミッショョン(使命)が仕事につなげる、そこで仕事をする人たちを鼓舞する施策が肝要だ。
・高潔、純粋、見返を期待しないといった高い倫理観に基づいて信念を貫けるかどうか、自らを高潔に保ち信念と貫くことが財団のような倫理的に脆弱になりがちな組織を維持する源泉となる。高潔さという役割を担うトラスティの行動が問われる。
・サーバントが高い理想のビジョンを持つことの必要性と重要性、言うは易く行うは難い課題だ。自分をどれだけ律することができるか。大変に重要な課題である。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」第二期第21回(通算第76回)の東京読書会は、6月23日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

第8回 大阪読書会 開催報告

5月25日(木)大阪で第8回「サーバントリーダーシップ」読書会を開催いたしました。

本勉強会ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」から毎回10ページ~20ページを参加者で会読し、各自の感想や意見を自由に交換しています。



当日ご参加された方から頂いた感想をいくつかご紹介させて頂きます。

【今回の読書会で「気づいたこと」「学んだこと」】
・「導ける能力があるのに導かないのは悪である」自分にこの能力があるのか・・でも使命感を感じることがあります。
・“組織とは「人間が第一」という強固とした背景のもとに打ち立てられたリーダーシップ”

【今回学んだことで明日から実践しようと思うこと】
・人にしてもらった親切でいちばんうれしかったことを他人にする
・まやかしの薬を使い過ぎない



その他にも「いろいろな本の紹介が参加者の皆様からあり有用でした」といったお声も頂きました。

大阪での次回読書会は6月21日(水) です。途中からの参加でも全く問題ありません(多くの方が途中からの参加です)。ご興味がありましたら、是非ご参加下さい。

※次回開催情報はこちらから

アデコ株式会社様より当協会理事長真田宛に取材がありました

アデコ株式会社様より当協会理事長真田宛に取材がありました。



今回の取材はアデコ様が発行している企業向け情報誌「Power of Work」の特集『世界最先端のマネジメント』に関するものです。
当日は、サーバントリーダーシップに関するインタビューが実施されました。
6月上旬頃より冊子・Webにて掲載予定です。詳細は追ってご案内致します。

昨年に続き横浜女学院中学校にてサーバントリーダーシップの授業を行いました


昨年に引き続き、5月16日、23日に
横浜女学院中学校にてサーバントリーダーシップの授業を行いました。



文部科学省は、平成26年度より将来、国際的に活躍できるグローバル・リーダーの育成を図るために「スーパーグローバルハイスクール(SGH)」事業を開始し、横浜女学院様は文部科学省より、「SGHアソシエイト校」として指定を受けました。(詳細はこちら
その一環として横浜女学院様から当協会へ昨年よりご依頼を頂いております。

第19回東京読書会 開催報告

第二期第19回(通算第74回) 東京読書会開催報告
日時:2017年4月28日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、第5章「教育におけるサーバント・リーダーシップ」の最後の小論を会読しました。この章には4つの小論が掲載されていますが、その最後は、ウッドロー・ウィルソン財団が米国の75の大学とともに行うシニア・フェロー・プログラムのレビューに先立って行われた講演録です。この講演は1974年に行われ、大学におけるリーダーの選抜と育成について語っています。(今回の会読箇所:p.316 10行目からp.328の 3行目、この章の最後まで)



【会読範囲の紹介】
・ウッドロー・ウィルソン財団は、リリー基金の補助金を基に約75の一般教養課程大学(カレッジ)の参加によるシニア・フェロー・プログラムを実施しました。一年経った1974年の秋、このプログラムへの参加者によるレビュー会が開催されました。その席上でのグリーンリーフの講演記録です。このプログラムには企業、政府からの参加者や教職員が1~3週間をウッドロー・ウイルソン・センターに滞在して行われます。そのプログラムの第一の目標は学生への奉仕がプログラムの提供です。
・「最も生徒のためになる教育を目指すフェローといった大学のリソースを最大限に活用する機会を提供」し、それは「学生への奉仕がプログラムの第一目標」とするものです。
・グリーンリーフはこの制度がうまくスタートしたと評価しつつも、「シニア・フェローがこのプログラムを最大限活用しているとは言い難い」と批判しています。その批判の対象は財団ではなくカレッジであり、「カレッジは何をなすべきか」を問いかけていきます。
・彼は、一般的なシニア・フェローと位置付けられるビジター(大学を訪問して学生向けの何等かの活動を行う大学の部外者)を、大学生への貢献の観点で3つに分類します。
 - いわゆる「大物」。学生の集客力があり、集まった学生が注目度の高い問題に触れている
   という気分を体験させることができる。
 - 大学の文化を豊かにする人々。コンサートや講演会を実施する。
 - 特定分野の専門家、科学者。同じ専門分野の教職員や学生の興味をかきたてる。
・グリーンリーフは、ウッドロー・ウィルソン財団のプログラム参加者に、上記3つ以外の、「企業、産業界、専門的職業、政府で実経験を積んだ人間」が「学生たちのために役立てられる」 ような第4のシニア・フェローのカテゴリーを示しました。
・「どの大学にもしっかりした学生のグループ(おそらく多数派ではないが、実力はある)がいて(中略)、すでにサーバントとしての倫理に専念し」ており、大学には「そうした可能性がある学生を発掘し、指導していく(後略)」ことを求め、「シニア・フェローが奉仕する対象として最適なのは、こうした学生たち(後略)」であると指摘しています。さらに、シニア・フェロー制度の成否、すなわち「教育上の利益」は大学のプログラムの継続性であると強調しています。
・素質ある学生には「才能を成熟させる特別な手助け」が必要である一方、「責任感のある人間になる可能性を持つ学生(を)選抜するのは困難」であり、素質について教職員が学生に正しく伝えることで、一部の学生は自分の素質や才能に気づき、何らかの反応も期待できるとも述べています。
・グリーンリーフは、こうした話をしながら、「なぜ大学は、並はずれて責任感のある人物となりそうな学生を発掘し、指導しないのでしょうか。こうしたことが明らかに拒絶されていると、私は断言できます」と経験に基づく強い批判を述べます。彼自身が資金や時間を費やして大学によるリーダーシップ教育を支援してきたものの、そうした支援活動が途切れた時に、大学はその教育を止めてしまったのです。「これには驚いたものです。大学とは、学生の教育にとって大事だと信じていることを実施するために活動し、豊富と言えない資金もすべてその活動に費やすものでしょう。しかし、私が述べたことを、その大学は単なる義務としてか見なしていなかったのです」というグリーンリーフのことばが聴衆に注がれました。
・20世紀初頭に大学生だったグリーンリーフは、彼の恩師(注)による「文化全体の底上げをするような影響力」を感じ、それこそが大学教育の在り方であるという信念を持っていて、その点からの現代(1970年代)の大学教育への批判にもつながったのです。
 (注)カールトン大学におけるドナルド・ジョン・カウリングを指すと思われる。
    本書第8章(邦訳 p.409~458を参照)
・グリーンリーフは、この講演が行われた1970年代になっても、大学が自分たちは世間から隔絶された世界を作り上げていると自己認識していることに疑問を呈します。彼は、「責任感のある人間になる可能性を持つ学生が、大学時代を、この先経験するものと同様に現実だとみなさねばならない(中略)学生たちは大学の環境で、その才能を目一杯伸ばしていくように行動しなければなりません」と学生に自覚を促しつつ、「しかし彼らには助けが必要なのです」と改めて大学の役割の重要性を述べます。
・19世紀後半に人口の 1%だった米国の大学進学率は、この時代(1970年代)には、50%に及んでいます。グリーンリーフは、もはや大学が「非現実的で、実際的ではない場」ではいられない、つまり特定分野の学究にのみに専念してはいられない社会的影響力の強い組織であるとの自覚を持つことを促します。その中で、シニア・フェローは学生とともに「実務」を行い、大きな刺激を与えることが重要な役割であると説きました。
・大学が「(リーダーの素質がある)学生を発掘」することは比較的簡単であるが、「奉仕しようという意志と明確な目的、決断が必要」であるというのがグリーンリーフの主張であり、また大学への期待です。そして、大学の中に「学究的な分野とそうでない分野とのコミュニケーションを活発に行うべきだという認識が、育ってきたことを感じています」とも認識するグリーンリーフは、ウッドロー・ウィルソン財団の、そしておそらくすべてのシニア・フェロー制度への応援を、「現在、私は学んでいる最中ですが、これまでに学んだものをみなさんと分かち合える機会を嬉しく思います」という言葉とともに述べ伝えました。



【参加者による討議】
・グリーンリーフがシニア・フェローとして訪れた大学から「現実の」世界の代表者として紹介されたことを批判している(日本語版、p.325)が、大学の言い分を受け入れるとすると大学は非現実の世界ということになる。何が現実で何が非現実なのだろうか。
・現実はビジネスの世界、大学は学術の世界にありビジネス界から隔離された世界と自己規定しているのだろう。グリーンリーフは、ことばに対して誠実であり、学術の世界であっても存在の価値と社会の役割があると考えて、自虐的に自己規定していることを批判していると考える。
・前回の会読範囲である「一般教養と、社会に出ること」(邦訳、p.300~p.316)で、大学においても社会の中にある不確かなことを学習すべきだ、と課外活動のプログラムを提案していた(p.313~p.315)。学術のもつ断定的な世界観は、一般社会では使えないことが多い。
・経営戦略論で日本の第一人者である大学教授も大学の経営学では経営ができない、と述べている。大学や大学院においてビジネス社会との接点がもっとあってしかるべきではないだろうか。
・自分は最近の大学の動向や卒業したての若い人を見ていると、大学と社会は完全に切り離されたというよりも、いろいろなつながりが出てきたように感じる。社会人による大学と大学生、大学院生へのフェローシップの浸透のためのメンター制度を準備、整備していくことを強化したらよいと思う。
・社会人であるフェローの役割は大学生をインスパイアすることだろう。学生もフェローの指導によって潜在能力に気がつくことが多いのではないか。学生側にもより強い関心と準備が求められる。

・この小論の最後の方で、グリーンリーフは「さまざまな分野で研究員が就いている地位を獲得する見込みのある学生を選び・・・(邦訳 p.326)」と述べているが、このことの意味や大学やシニア・フェローの役割は何だろうか。
・グリーンリーフの論では見込みのある学生を選ぶのは大学の役割となっている。その少し前では「大学は、自身の素質に気づくように学生を促す役割をシニア・フェローに頼ってはなりません(邦訳 p.323)」と明言している。シニア・フェロー自体は、教育行為自体を生業とする狭義の教育者ではないという意味だろう。
・シニア・フェロー制度も制度自体のオーナーが誰か、その職務の役割と目標といったことを慎重に読み取っていく必要がある。
・教育の平等、という視点で、スポーツ選手などと同じように当初から素質のある人を選抜することについて、違和感はないだろうか。
・間接的に聞いた話であるが、米国の高等教育は知識の伝達が目的であるのに対して、英国では高等教育にエリートを養成するための選抜の要素があるという。英国貴族に代表されるように社会の特権を得ながらも、国家危急の折は国民に先立って犠牲となるようなエリート、リーダーを選抜し教育している。
・経営戦略論で日本の第一人者である大学教授も大学の経営学では経営ができないと述べている。大学や大学院において、ビジネス社会との接点がもっとあってしかるべきではないだろうか。
・自分は最近の大学の動向や卒業したての若い人を見ていると、大学と社会は完全に切り離されたというよりも、いろいろなつながりが出てきたように感じる。社会人による大学と大学生、大学院生へのフェローシップの浸透のためのメンター制度を準備、整備していくことを強化したらよいと思う。
・社会人であるフェローの役割は大学生をインスパイアすることだろう。学生もフェローの指導によって潜在能力に気がつくことが多いのではないか。学生側にもより強い関心と準備が求められる。

・今の議論を踏まえると、重要なのは資質であると感じる。グリーンリーフの弟子のラリー・スピアーズはサーバントリーダーシップの属性を10にまとめているが(邦訳 p.572-573参照)、教職員がリーダーシップとして教えることができるのは、こうした属性や特性だろう。リーダーとなる人材選抜自体が目的ではなく、学生がリーダーシップ属性の説明を受けて、それをもとに自分の内なるリーダーシップの存在に気が付くかどうかが重要ではないか。大学の役割は気づきを促すことにある。
・「気づきを促す」というのは具体的にどうするのか。説明することで気がつくのだろうか。
・気づくこと自体も素質であり、本人の責任ということになる。
・気づきへのプロセスを多面的に準備しておくことが必要条件になると思う。
・前回会読した小論「一般教養と、社会に出ること」(邦訳 p.300~p.316)でグリーンリーフ自身が気づきに向けたプログラムを5つに整理して提案している箇所がある(邦訳 p.313~p.314)。ここで書かれていることも大学は気づきの場を提供する役割を担うことを意味している。

・こうした教育が本当に大学でできるのだろうか。また、本当に大学がそうした教育を準備する必要があるのだろうか。
・日本の大学では、学生が大学・大学院、あるいは文部科学省が用意した社会に出るためのプログラムに参加せず、自らの意志でポスドク(注)に留まってしまうケースが多い。どうやってプログラムに参加させるかが課題になっているという。  
 (注)ポスト・ドクターの略。博士号(ドクター)を取得しながら大学などでの正規研究員と
    ならずに、非正規研究員として研究活動を続ける人。
・自らの意志でポスドクを選んでいる以上、放置しておいて良い問題だと考える。高等教育を受けながら社会での居場所を求めない学生、戦前は高等遊民と呼んでいたが、そうした人物は昔からいた。
・個人が自らの確固たる意志をもって選択しているのであれば、放置しておいてもよいという意見に賛成するが、惰性の中で自らの意志を明確にしないのは、社会問題としての側面もあるのでは。日本の大学進学率が5割近くになっている中で、単に教育のすそ野を広げた結果という話とは異なる課題だと思う。
・日本では少子化という問題も無視できない。少子化自体は、学生個人の責任に帰す問題ではないが、この状況のもとで、活動の度合い、すなわち active rateのアップが社会要件となっている。そのような人物は昔からいた、では済まない状況になっていると考える。

・とかく非難されがちなゆとり教育だが、たしか藤原和博氏だったと思うが、その良さを説いている。ゆとりがあることで学ぶ側に選択の自由が生じるということだ。
・強制的に学ばねばならないという状況から解放されると、自由な発想と行動でとてつもない成果を生み出す天才が誕生することがあるが、その一方で、多くの学生が怠惰な世界に埋もれる。
・知識の詰め込みでも社会全体の能力はそれなりに向上する。日本ではきちんとした整理のない中で「ゆとり」という概念が行動規範になってしまった。その結果、本来、日本人が持って勤勉という特性も失われたと思う。
・青山学院大学陸上部の原監督は、入部を希望する学生について陸上の名門高校などで上からの指示のみで猛練習を積んだ選手上がりの学生ではなく、自分自身で好きな道を見つけられる学生を評価して選抜している。今の就活生を見ていると資格、語学学習、留学といろいろな活動実績を誇っているが、それらの下支えとなる自己の意思がどこまで存在するのか、疑問を禁じ得ない。

・大学でのリーダー選抜やリーダーの育成、教育を考える場合、日本の大学の学費負担の問題を無視できなくなった。大学の学費の無償化についても検討すべき時代だ。
・大学の無償化となると国の財政が耐えられないだろう。意欲のない人への無駄金も発生する。貧困家庭への支援といったメリハリが必要。貧困問題は、学費のみに限らず、子供や若者の食生活を悲惨なものにしているケースすら増えてきている。
・奨学金の返済に追われ、ときに自己破産する人も出てきている。深刻な課題である。
・デンマークでは大学院まで無償であり、社会人、つまり就職した後で、新たな学びや学び直しといった目的で大学や大学院に再入学や進学することも珍しくない。ご存知の通り、社会保障が厚い分だけ税金も高い。
・税と社会保障は自分たちの社会をどう構成するかという考え方、すなわち国民の選択の問題だ。
・いずれにしても社会の衰退が問題化している中で、大学などの高等教育を通じたサーバントリーダーの育成は必要であり急務だ。その教育システムを的確に享受できる仕組みが経済的な面から脅かされていることへもっと注意を払っていく必要がある。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」第二期第20回(通算第75回)東京読書会は、5月26日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

第7回 大阪読書会 開催のご報告

4月19日(水)大阪で第7回「サーバントリーダーシップ」読書会を開催いたしました。
本勉強会ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」から
毎回10ページ~20ページを参加者で会読し、各自の感想や意見を自由に交換しています。



ご参加頂いた方からは
「コミュニティの定義について 愛とビジョンと相手を信じる力はコミュニティで活かされるということ。サーバントリーダーシップを看護に共通点が多いこと。」(医療業界関係者)
「今日の範囲は、一人で読んでいても何が語られているのかさっぱりわかりませんでしたが、一緒に読むと意味が見えたり疑問がわいたりしました。」
といったお声を頂きました。



大阪での次回読書会は5月25日(木)です。
途中からの参加でも全く問題ありません(多くの方が途中からの参加です)。
ご興味がありましたら、是非ご参加下さい。

※最新の開催情報はこちらから

第18回東京読書会 開催報告

第二期第18回(通算第73回) 読書会開催報告
日時:2017年3月24日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、第5章「教育におけるサーバント・リーダーシップ」の会読を続けています。

読書会のようす

今回は、この章の4つの小論の内、3番目のものを取り上げています。ペンシルバニア州カーライルにあるディキシンソンカレッジで1974年に行った、「一般教養と、社会に出ること」というテーマでの講演録です。未来を担い、社会のリーダーとなることを期待される大学生へ、大学で学ぶ一般教養(リベラルアーツ)の意義を説きました。大学教育の見直しが進む現在の日本にとっても重要な意味を持つ内容と思われます。(今回の会読箇所:p.300 5行目からp.316の 9行目まで)

【会読範囲の紹介】
・グリーンリーフは、ディキシンソンカレッジ(注)で過ごした数日間で、「多くの学生が職業やキャリアの見通しに並々ならぬ不安」を抱き、そのことで多くの質問、特に大学での経験が社会人の準備期間として適切か、という質問を受けたと話し出します。彼はその質問にはすぐに回答できないと言います。彼自身の若いころと比べて社会の変化が激しく、自分の経験が直接には役立たないということもありますが、大方の質問に対して、その回答を見つけるには「自分で学ぶ以外にない」というのが彼の本音だからです。
 (注)1783年創立、1884年より共学化したペンシルバニア州立大学。リベラルアーツが中心。
    現在は学生数約2,400人。海外40大学と留学協定を持つ国際色のある大学としても有名。
・そしてこの講演が「一般教養と、社会に出ること」という講演タイトルであることを踏まえて、一般教養科目で教える内容が実社会での「生活費を稼ぐ」ことや、将来の親となるときのその役割、あるいは市民としての役割と乖離(かいり)していることを認めつつ、一般教養を学ぶことの意義を説明すると述べています。
・「よい社会では、教育を受けられる人はすべて、まず一般教養を学ぶべきだ」というのがグリーンリーフの考えです。それは「特定の職業に直接役立てるのではなく、どの職業にも共通して役立つように」との思いが根底にあります。その一方で、どの職業にも役立つ一般教養とは何か、という難しい問題を生み出します。
・グリーンリーフは「自分の為の知識の追求のみに留まらず、社会の善と個人の尊厳をもたらすための、現実の仕事への社会的な参加を導くもの」というディキンソンカレッジによる一般教養の定義をもとに、「社会に奉仕し、奉仕を受ける」という彼の一般教養の学習に対する独自の目標を示しました。そしてこのことは、大学の役割が社会に奉仕することでその恩恵を受ける(現代社会に奉仕し、奉仕を受ける)、リーダーたる学生の養成にあり、それを具現化するための教育プログラムとして一般教養の意味が重要になると指摘しています。
・グリーンリーフは、現代を農業社会から「(政府、企業、大学、慈善団体などの)都市を基盤とした大組織に支配される世界」に変貌した社会だと定義して、人々がそうした社会の価値認識と諸問題への対処法を学びきれていない、と説明します。こうした現代社会をG.K.チェスタトンの初期の著作、「正統とは何か」(注)から、次のように引用して説明しています。「(前略)この世界がほとんど完全に合理的でありながら、しかも完全に合理的ではない(中略)人生は非論理の塊ではない。しかし論理化の足許をさらう程度には非論理的で(中略)見た目には確かに正確に見えるのだが、その下に不正確なところが隠れている(後略)」
 (注)Gilbert Keith Chesterton (1874-1936)。原題はOrthodoxy、
    グリーンリーフの論文では1924年の執筆とあるが、刊行は1908年。
    邦訳「正統とは何か」(安西徹雄訳、新装版2009年、春秋社)
・そうしたあいまいさが私たちの世界の避けられない特徴である、とグリーンリーフ自身の目に映る実社会のあいまいな実態を列挙します。
 - (現代の米国では)タバコやアルコールが規制されないにもかかわらず、同程度の毒性であ
   るマリファナは犯罪となる。
 - 受刑者への刑務所での教育が功を奏さず再犯率が高い。
 - 社会に貢献する発想力と創造性に富んだ人が後に残すのは、「自由」ではなく「教育を混乱
   させる熱狂」である。
 - 遊び人で名をはせた大学理事が学生の要望に基づく規則の緩和に消極的。
 - スポーツハンティング(自然保護との対立、矛盾)
 - 問題の詳細な調査ではなく、短絡的な解決方法を求めて感情を高ぶらせる巨大組織のトップ
   の存在
 - 問題から目をそらし、なかったことにしたがる巨大組織のトップの姿勢
 - 大学が混乱する時代(注、1970年代はじめ)に、学生たちが陥っている不安を直視しない大
   学学長の存在
これらの例を挙げながら、グリーンリーフは、「仕事の世界とは非常に曖昧」であることに改めて言及しつつ、そうした中で学生が学ぶべきことは、「‘正しい質問をする’という高度な技術」である、と説きます。そして、「学生にその答えを与えられる人間がいることを期待するのも現実的ではありません(中略)、(社会に出ると)直面する問題に対して実際の場で対応方法を学ぶだけ」というのが彼の持論です。
・こうしたことを背景に、グリーンリーフは、「必要に迫られたらすぐに洞察や発想を受け取れるように、認識する力を鍛え」た上で、社会に飛び込むことを推奨し、さらに「信頼に足る根拠とは、自信の中にあります」と、未知なるものに飛び込む自信、必要な時に洞察ができるという自信、実際現場で見出した回答が正しいと信じる自信を体得するように勧めています。
・グリーンリーフは一般教養は実際に直面する複雑な問題への対処の素養を磨くためのものであるとして、現在(1970年代の米国の)大学での教養課程には、そうした要素があることは認めつつも、社会への準備のためのものという意味合いがまだまだ不足していると指摘しています。
・自らを組織理論家として理想主義者(注)であり、コンサルタントとして漸進主義者、あいまいなものを扱う仕事が好きである、と分析するグリーンリーフは、ディキシンソンカレッジへの助言を述べています。
 (注)グリーンリーフは、このことについて、
    本書第1章~第3章に収められた論文を読んでほしいと記述している。
・第一は学期ごとに目標を示すこと。大学の支援者である社会は、それ自体が「限られた資源」であること認識されるようになりました。その結果、支援者たる社会は有限な資源の使い方を検証すべく、大学の目標と成果を精査するようになります。このために大学は、常に「未来への流れに沿った」目標を示す必要がある、というものです。
・第二は、「現代社会に奉仕し、奉仕を受けるための準備」を当面は限定された大学教育プログラムの目標として掲げるというものです。スタート時点では不人気でしょうが、これを求める大学教職員、学生が現実に存在することを指摘しています。この教育プログラムに関わる教職員の条件を次のように述べています。
 - 少数の学生を訓練するのに手を貸す目標に専念できること。
 - このプログラムの目標を完全に理解していること。
 - 学部手続きなどを含むプログラムの推進を担う実行力があること。
・当初は単位の対象とならないこのプログラムの実行には、新入生の有志を集めて団結力の高いチームを作るように提言しています。その際の勧誘の例示を次のように行っています。
 - 自分たちの目標は、積極的で団結力のある学生グループを作ることである。
 - 大学という共同体を現実の典型的な共同体として理解すること。
 - 教職員のリーダーシップのもと、大学生活を通じて人間としての成長の測定と卒業後も成長
   しつづけるための計画、管理する方法を学ぶ。
 - 将来経験するさまざまな組織とのかかわり方を学び、メンバーと教職員に相談できる。
 - グループの団結のもと、他者に奉仕する使命を達成する。
 - メンバーはこのグループでの活動を最優先することが求められる。
・グリーンリーフは大学を現実社会とは隔絶された、社会の練習場と考えることを拒みます。

読書会のようす

【会読参加者による討議】
・本書(日本語版)のp.303に「社会に奉仕し、社会から奉仕される」という表現が出てくる。この小論の中で何度も出てくる表現であり、この小論以外でも散見する。この表現の意味するところは何だろうか。キーワードは「奉仕」だと思う
・ここの表現は、原書を忠実に訳したものだろうが、普段使うことばであれば「社会に貢献し、社会から恩恵を受ける」といった意味だろうか。
・奉仕する/奉仕されると書かれている点は、社会貢献が結局のところ他者に対する支援や貢献であり、それはインタラクディブ、相互に関わり合いのあるものだからではないか。他者への貢献の姿勢については、よく言われるが、同時に恩恵を受けるときの心構えも問われると考えている。
・他者に働きかけるときは、相手が何をしたいと思っているのか、しっかり洞察して見極めること、さらに他者との共感が成り立つことが必要条件だ。

・大学教育における一般教養(リベラルアーツ、Liberal Arts)の役割を整理したい。
・本書(日本語版) p.305からグリーンリーフが「私の色眼鏡と通して、(社会の)曖昧な」実態や決まり事を並べている(本報告前半の要約参照)。実際の問題として、現時点では、世の中とはそのようなものだ、と言いながら、敢えて割り切って受け入れるべきもの、改善を必要とするもの、といろいろある。一般教養の学習は、そうした割り切れなさを正しく割り切るための、いわば一人前の社会人になるための職業訓練の一種と思っている。
・中国の奥地での4年間の赴任経験がある。新たに作った海外合弁事業の初代責任者として赴任したが、本社からの具体的な指示や忠告もない手探り状態だった。そのような中での自分の味方は古典だった。王陽明などを読んだ。そこで培った経験が現地の人たちとのコミュニケーションや関係を活発にする要素だったと思っている。
・自分も最近は寺に通って、親鸞の正信偈や教行信証(注)などを読んでいる。こうした書物から大きな世界をとらえることができると考えている。
 (注)教行信証は浄土真宗宗祖、親鸞(1173-1263)による真宗の根本聖典、
    正信偈は真宗の仏徳や原理を韻文化したもの、教行信証の末尾に収められている。
・本書(日本語版)のp.309からp.310にかけて、3つの自信を示している(本報告前半の要約参照)が、自分はこの「自信」を「経験」と読み替えることができると思う。「奉仕すること」と「奉仕されること」はどちらが先行するのだろうか。自分は前者の「奉仕すること」ではないかと思う。働きながら年齢を経るにつれて「社会に役立ちたい」という思いが強まっている。
・自分は逆に「奉仕される=恩恵を受ける」という経験が先行するように考える。その経験が「ほかの人に与える」という動機を作るという流れになるのでは。
・社会がどうあるべきか、ということが前提ではないだろうか。その中で奉仕する、奉仕されるという社会活動が生じる。両者は順を織りなすことでもあり、視点を個人から社会に動かせば、順序の問題はなくなる。

・陽明学に「知行合一」という有名な言葉がある。直接的には知識と行動の一致のことであるが、その知識とは世の中を良くするためのものである。世の中の土台としての学問、それが一般教養なのではないか。
・サーバントリーダーシップフォーラムなどで、協会は「サーバントリーダーシップとはいわばOS(注)である」という説明をしている。パソコンでもスマートフォンでもさまざまなアプリケーションがきちんと動くようにOSが管理しているのだが、それにならえば、組織や人を動かすさまざまな技法である会計や契約実務などの実学がカバーする分野がアプリケーションで、その通底にある原理が一般教養ということかもしれない。
 (注)Operating System。コンピューターを動かす基本ソフトウェア。
    データ、アプリケーション、ハードウエアなどのコンピューター資源、
    システム全体が正常に稼働するように管理するソフトウェア。
・いまの日本の大学の一般教養科目は、単に大学1、2年向けの礎課程の教科という位置づけになっており、本質的な意味でのリベラルアーツとは異なっている。おそらく米国の大学も同様だろう。
・ヨーロッパ中世の大学、つまりユニバーシティでは、神の世界を上に置いた中で、人間が扱う世界の原理を学ぶことをリベラルアーツとして学んでいた。自然科学万能の現代からは、中世は頑迷で遅れた時代にしか見えないが、人智が及ばない世界があることを認識して、謙虚な姿勢で人間の世界の原理を追求する姿勢にあふれている。アイザック・ニュートンは力学分野での近代物理学や微積分の祖として自然科学者としての印象が強いが、彼は神の存在、神の世界を前提に置いて、その中での原理を追求し、現代に続く偉業を達成した。
・実学をほんとうに実学たらしめるために一般教養があるのだと思う。社会は不完全であり、不合理な面も多数ありながら成り立っている。
・「正しい問いをすること」というグリーンリーフの教えも深い意味がある。社会に不合理が存在することを避けることができない以上、「正しい問い」を行う姿勢の教育は重要だ。
・その意味で古典に学ぶことが多い。歴史の中に現代につながる教訓がある。
・長距離ランニングのトレーニングに「初心者あえてゆっくり走る」というものがある。それによって、足、脚の毛細血管が鍛えられ、長距離をしっかり走る土台が作られる。古典を学ぶことはその話に通じるものがあるように思った。
・サーバントリーダーシップの本質は、謙虚な姿勢で真理を追究することにある。グリーンリーフはリーダーが真理への道を見出すために、サーバントとしての心構えと、本物の一般教養の学習を求めていたのだろう。

・今回の会読範囲、すなわちグリーンリーフの講演では、「保守」に関する歴史的名著であるチェスタトンの「正統とは何か」(注)を引用し、これが重要なモチーフになっている。正当(justness)は、正統(orthodoxy)に宿るということだろうか。真理を追究するという点で、リーダーシップの役割について、いろいろと考えさせられる討議だった。
 (注)Gilbert Keith Chesterton (1874-1936)著Orthodoxy。
    邦訳「正統とは何か」(安西徹雄訳、新装版2009年、春秋社)

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」第二期第19回(通算第74回)の読書会は、4月28日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

第6回 大阪読書会 開催のご報告

3月22日(水)大阪で第6回「サーバントリーダーシップ」読書会を開催いたしました。
本勉強会ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」から毎回10ページ~20ページを参加者で会読し、各自の感想や意見を自由に交換しています。



当日ご参加された方から頂いた感想をいくつかご紹介させて頂きます。

【今回の読書会で「気づいたこと」「学んだこと」】
・一番驚いたのが「気づきは安堵を与えるものではない・・・」です。著書『サーバントリーダーシップ』は本当に奥が深いなとつくづく実感しました
・一歩下がる勇気について

【今回学んだことで明日から実践しようと思うこと】
・気づきを与える質問をメンバーにしていく
・自分がありのままの状態で人に接すること
・明日から相手の話をそのまま聞く様に努力します



その他にも「色々な方の感じたことが知れて勉強になりました。今後も参加していきたいです」「スピード的にもじっくりと意見交換ができました」といったお声も頂きました。

大阪での次回読書会は4月19日(水) です。途中からの参加でも全く問題ありません(多くの方が途中からの参加です)。ご興味がありましたら、是非ご参加下さい。

※次回開催情報はこちらから

3月7日「サーバントリーダーシップ 入門講座(東京)」開催報告

3月7日(火)、「サーバントリーダーシップ 入門講座(東京)」を開催いたしました。

本講座はサーバントリーダーシップとは何かを皆さんと共に学ぶ初心者の方向けの講座です。



ご参加頂いた方からは「サーバント・リーダーシップの基礎的な知識を得られた」「時代に沿ったリーダーシップのあり方の大切さに気づけました」「サーバントリーダーシップを実践できるようになるための自らの課題が明確になった」といったお声を頂きました。



今後も様々なテーマの勉強会を開催予定です。ご興味のある方は、ご参加下さい。

※今後の開催情報はこちらから

第17回東京読書会 開催報告

第二期第17回(通算第72回) 東京読書会開催報告
日時:2017年2月24日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、前回から第5章「教育におけるサーバント・リーダーシップ」の会読に入りました。



この章は彼の4つの小論が掲載されており、今回は、2番目のものを取り上げています。この小論の内容は、いろいろな大学の理事に特定の大学の理事役になってもらい、グリーンリーフが新しい教育プログラム(講座)設立の寄付を行うという想定で、模擬討議を行うというものです。大学の理事にこれからの大学教育の在り方を「自分事」として考えてもらうためのものですが、グリーンリーフの巧みなリードもあって真剣なやり取りが展開されています。(今回の会読箇所:p.288 からp.300の4行目まで)

【事例を考慮する理事たち】
この章の第2の小論は、グリーンリーフがいくつかの大学の理事25人と模擬討論を行ない、その議事録からの抜粋です。集まった理事たちはチェスウィック大学の理事という役割を担い、ここにグリーンリーフが「かなり厳しい異例の条件」を付した1,000万ドルの寄付を申し出て、そのことで理事と議論するという状況設定を行っています。
[理事への事例問題]
・グリーンリーフは、チェスウィック大学の理事(の役割を演じる多くの大学の理事)に、この1,000万ドルの寄付に関する「条件」をつけます。
1.基金への投資の禁止(1,000万ドルを貯め込まずにすべて使うこと)
2.現在実行中の教育プログラムへの追加投入の禁止
3.200万ドルを「現代社会に奉仕し、また奉仕を受け、与えられた機会を使って成長できるよう学生を訓練する」プログラム作成の調査費として使う(すなわち、社会と学生の両方が満足を得られる教育プログラムを作成する)
4.上記3.のプログラムの有効性が認めれば、残り800万ドルを支払う。
5.上記3.のプログラム開発においてチェスウィック大学の現在の学長、教職員、学生に助言を求める場合、この資金から報酬をだしてはいけない(理事が責任をもって作成し、チェスウィック大学に仕事を任せることはしない)
6.決定はすべて理事が行う。関係者や第三者への丸投げを禁止し、理事の責任において行う。
7.資金提供から実行までの期限は5年、その間の行動がないときは寄付金を没収する。
・以上の条件がついた 1,000万ドルの寄付金について、寄付者を装ったグリーンリーフと寄付を受けるチェスウィック大学の理事を演じる多数の大学の理事が議論を始めます。
[討論]
・寄付者を演じるグリーンリーフは、チェスウィック大学理事を演じる大学理事から、チェスウィック大学は、すでに現代の社会のために尽くし役立つ人材を輩出し、大学としての成果を上げていると自負する。あなた(グリーンリーフ)が探しているのは、その点で自らの役割や実績を理解してないような、怠惰な理事会ではないのか、という質問を受けました。
・これに対し、寄付者を演じるグリーンリーフは、現在は一流の大学においてもリーダーシップ教育が欠如していると指摘し、実力のあるチェスウィック大学を起点に、リーダーシップ教育に積極的に取り組むことを求めて、この寄付を行うと宣言しています。
・次に、提供される寄付金について、理事への報酬として使うことを認めるが、教職員や学校経営者への給与および学生への奨学金としては使えない理由を問われ、グリーンリーフ(寄付者)は、この問題を理事に自分も問題として受け止めることを求めているためである、と説明しました。
・理事からこの寄付で大学を自分(グリーンリーフ)の意のままにしようとしているのではないか、とこの寄付金の意味と意義を尋ねられたグリーンリーフは、一つは社会への奉仕と社会からの恩恵を両立させ、「与えられた機会を利かして成長するための心構えを学生に持たせる」ために必要な資金であること。二つ目に、この資金の有効、有意義な活用を理事たちにみつけてもらいたい、という願望があることを回答しています。
・グリーンリーフは、この資金を寄付する理由について、現代に合った大学におけるリーダーシップ育成教育の在り方を理事が自ら考えること、財政を理由にその思考を止めないこと、という趣旨の説明を行います。あくまで想定によるやりとりですが、現役の大学理事からは消極的な、ときには猜疑心に満ちた質問が重ねられます。
・すでに実績のある大学の教育プログラムについて「すべてを投げ出せ」ということか、と問われたグリーンリーフは、理事たちの判断で、残すものは残しても良い、と答えます。その上で、学生と社会が相互に貢献(奉仕)し、互いに高め合うプログラムが形作られれば、それが既存のプログラムに取って代わるだろうと予言します。グリーンリーフは、自分(たち)は、高等教育の現状を心得ていて、「今の状況自体も新しい方法で検討されるべき課題として認識している」と指摘して、「教員たちの行動の怠慢さや、経営者のリーダーシップ不足」を批判しています。
・グリーンリーフのこの発言に、現在の教員は不要なのかという反論を受け、彼は、そうではなく、理事たちはその提案の感想のみ教員に尋ねることを許容していて、最終的な決定とその責任は理事にあることを再度強調しました。さらに態度の煮え切らない理事に奮起を促しつつ、このことを通して、「貴重なことをふたつ、成し遂げる」と説いています。一つは「後任者の注意の喚起」であり、二つめは教職員らとのコミュニケーションを通じて、「理事の決断に役立つ情報の入手」の可能性が高まることです。
・グリーンリーフは、この対話当時の米国の大学の問題点として、以下の3つを挙げています。
  - 現在の大学のプログラムが社会に尽くし、
   社会から恩恵を受けることで成長できるという実感を学生に抱かせていない。
  - 大学の管理機能が教育プログラムの迅速で効果的な修正機能をもっていない。
  - 理事の強いリーダーシップがなければ、大学は安定した軌道に乗らない。
さらにその課題の原因として、組織の中で学部が強すぎ、教職員が自分の専門分野の研究や社会的名声や内部の人間関係に注を払い、大学や学生に注意を向けていないことや大学の経営者が学部をリードできないことを挙げています。
・そして、グリーンリーフは、理事との対話のやりとり、その前提としての資金提供を「優秀な大学(優秀な教職員がいるという意味)の理事に、社会からの信頼を大学に築くための新しいリーダーシップを確立する方法を与えること」であるとして、理事による大学教育の改革を目指すように、と彼の思いを強く述べています。



【会読参加者による討議】
・グリーンリーフと大学理事のやりとりからなるこの提言を通読して、本書の第3章で詳述されたトラスティについて、きちんと把握しておく必要があると認識している。本書日本語版のp.169からp.174にトラスティの定義があるが(注)、そこをもう一度読み直している。
   (注)2016年8月26日第2期第11回読書会(東京)において同範囲を会読した。
・「ルーティンは創造性を駆逐する」、ハーバード・サイモンによる「計画のグレシャムの法則」がそのまま当てはまりそうなやり取りだ。200万ドルの予算がつく調査局面で、他国での事例を調べるといったアイデアも出なかったのかと残念に思う。会社経営でも日常に埋没すると、新規開発に手が付けられなくなることが散見される。
・やりとりの中で、教職員に意見を聞くという部分がある(日本語版p.299-300)。ここで大学の組織の有体(ありてい)が示される。理事が教職員と異なる視点を打ち出せるか、というところだろう。
・グリーンリーフは、理事の強いリーダーシップがなければ、大学は安定した軌道に乗らない、と述べている。これは、グリーンリーフが提唱する理事の考えに基づく教育プログラムを企画、開発する段階のみならず、実際に実行に移したあとも同じだろう。理事の理念を明確にして、運営に当たらせることが必要。そのあたりのビジョンがあるかどうかが問われている。
・理念をしっかりと確立した上で、環境変化に応じて実行の内容を変えるべき、という考えからすると、このやり取りの中では、理事の対応が澱(よど)んでいる、という印象がぬぐえない。理事の内発的動機による発言や行動が見えてこない。
・名目だけの理事による教職員の教育現場の追認では、何も変わらない。
・企業でも、現場を守りたい、自分たちを守りたいという感情が先走り、組織が変革の役割を担わないことがあるが、大学の理事にはそれを超える役割が期待されているはずだ。
・大学が掲げる理念が学生まで下りていないこともありそうだ。自分が卒業した大阪市立大学は、創立者である関一元大阪市長(注)により実業に奉仕する人間に高等教育をという理念をもつが、在学中にそれを感じられる機会は限られていた。
  (注)関一(せきはじめ)、1873-1935年。大蔵省、東京高等商業学校(現、一橋大学)
   教授などを経て、1923年より大阪市長を務める。大学設置の他、道路・公園整備、
   地下鉄建設、大阪城天守閣再建など多方面の活動は都市計画の模範ともいわれた。
・支援者、応援者からの資金集めについては、その組織が信頼されれば、無理なく資金が集まるだろうと思う。企業活動でも同様だ。
・教育プログラム(講座)の資金となると、実態は寄付。その講座の内容や意義を関係者に理解してもらうことが重要。その役割を担ってこその理事だろうと思う。
・何よりも大学の存在意義を再定義し、理事の役割を討議していくことが肝心ではないだろうか。大学の経営を担う理事には、率先して大学本来の意義を考えていってもらいたい。

・この提言は、架空の仮説ではあるが、リーダーシップのための新しい教育プログラム(講座)のために、1,000万ドル、現在の為替で11億円の資金を提供するという話になっている。小論当時の水準だったら今の50億円以上と思われる。現代であれば、この資金を使って、どういうリーダーシップ研究の講座が設置されるだろうか。
・大学の講座ではないが、優秀な大学に直結する付属校の設置を一案と考える。青少年時代を含むある程度の期間、一貫した理念に基づいて教育を受けることに効果があると思う。その昔、大学の付属高校の生徒だった自分は、担任の教師から「小中学校の教員は教え諭すと書く教諭。大学の教員は教えを授けると書く教授。高校では教師と呼ぶが、その意味で自分は生徒の師たらんとしている」といわれて感銘を受けた。その教師の下で大学受験に惑わされずに過ごせたことは貴重な経験だった。
・大学受験には知識の丸暗記で臨んだ記憶が強い。そのことに後悔はない。大学では暗記以外の学習のプロセスがある。トータルとして学習における暗記と思索のバランスをうまくとることができるかが大切なのだろう。
・暗記というか知識の量は、その人の能力の一面でしかない。社会に貢献できる人材を育成、その社会貢献のスキルを体得すること。スキルというと表面的な作業能力のイメージが強いが、たとえば海外で自国のことを正確に説明できることなども含まれる。
・自分の子供が通学している高校は、生徒に知識を暗記することを強制せずに、強化の中の学習対象に興味をもたせるような指導をしている。自分の子供は、その分野の本を自ら購入するなど、高校までとは異なった、自主的な学習の姿勢を見せている。
・社会の構造は、上位2割が意欲的な牽引者、中間6割は単についていくだけ、下2割が落ちこぼれ、という2-6-2の法則があると言われるが、下の2割が意欲的になるような働きかけ方を考慮してみると良いと思う。
・バーチャルな街づくりを題材とした「シムシティ」というゲームがある(注)。大学などの高等教育とこのゲームの共通性を感じていた。まず大きな構想、ビジョンをもって、その上で地道に構築を続けていかないといけない。いうまでもなく実際の教育現場はゲームよりもはるかに難しい。
  (注)マクシス社(現、エレクトロニック・アーツ)社)による
   都市経営シミュレーションゲーム。米国で1989年、日本では1990年に発売された。
・わが国では、企業による研修が社会人教育の重要な役割を担ってきた。その中で、2020年問題と呼ばれる事態、つまり1971年から1974年前後に生まれた団塊ジュニア世代が40歳台後半から50歳となる中で、それに見合う十分なポジションや管理職としての仕事がないという状況に直面しつつある。さらに、そのころには、1,000におよぶ地方自治体が破たんするとの予測もある。そんな状況を迎える中で、若い人たちの社会参加、社会貢献とその成果、この小論の中でいう「社会に奉仕し、社会から奉仕される」、つまり社会に貢献し、その社会の恩恵を受ける世界をどのように実現していくのか。現代の日本においても真剣に討議されるべきテーマが示されたやり取り、論文であったと思う。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」第二期第18回(通算第73回)東京読書会は、3月24日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

2月24日「サーバントリーダーシップ 入門講座 大阪」開催のご報告

2月24日(金)、大阪にて「サーバントリーダーシップ 入門講座」を開催いたしました。
本講座はサーバントリーダーシップとは何かを
皆さんと共に学ぶ初心者の方向けの講座です。



ご参加頂いた方からは
「『スキルではなく哲学』という解釈により、
 より深くサーバントリーダーシップについて理解できました」
「サーバントリーダーを目指して日々鍛錬していこうと思いました
 (エンドレスジャーニーだと思いますが。それぐらい奥が深い)」
「サーバントリーダーシップを実践している企業の話を聞けてよかったです」
といったお声を頂きました。



今後も様々なテーマの勉強会を開催予定です。ご興味のある方は、ご参加下さい。

※今後の開催情報はこちらから

第5回 大阪読書会 開催のご報告

2月23日(木)大阪で第5回「サーバントリーダーシップ」読書会を開催いたしました。
本勉強会ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」から
毎回10ページ~20ページを参加者で会読し、各自の感想や意見を自由に交換しています。



ご参加頂いた方からは
「皆さんの自由な意見が非常にためになります。
 仕事からも家庭からも一歩離れたこの読書会への参加を楽しんでいます」
「少しずつですが、私の物事の見方、見え方が変わっているのを感じてます」
「異業種の方のお話、体験が聞ける場として楽しませて頂いています」
といったお声を頂きました。



大阪での次回読書会は3月22日(水)です。
途中からの参加でも全く問題ありません(多くの方が途中からの参加です)。
ご興味がありましたら、是非ご参加下さい。

※最新の開催情報はこちらから

社会医療法人大雄会様で講演を行いました

理事長の真田が、昨年に引き続き1月7日(土)、2月25日(土)に
社会医療法人大雄会 様で講演を行いました。



当日は、役職者の皆様にサーバントリーダーシップについて学んで頂きました。


当協会と愛媛大学との共催フォーラム「社会から求められるリーダーシップ教育を考える」が行われました。


2月14日、当協会と愛媛大学との共催フォーラム
「社会から求められるリーダーシップ教育を考える」が行われました。



本フォーラムは、
愛媛大学社会共創学部様より理事長真田へご依頼頂き実現した企画です。




当日は、教育改革実践家で奈良市立一条高等学校校長(元杉並区立和田中学校長)藤原和博氏や四国建販株式会社 代表取締役社長の永野能弘氏、愛媛大学 社会共創学部からは西村勝志学部長、若林良和副学部長、松村暢彦教授、山中亮准教授、学生支援機構学生支援センターの平尾智隆准教授などにご登壇頂きました。

※フォーラム概要はこちらから

第二期第16回 東京読書会(通算第71回) 開催報告

第二期第16回(通算第71回) 東京読書会開催報告
日時:2017年1月27日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期読書会は、今回から第5章「教育におけるサーバント・リーダーシップ」に入ります。この章は4つの小論と章全体のまとめである前文で構成されています。今回は前文と最初の小論を会読しました。敬虔なクエーカー教徒(注)でもあるグリーンリーフが1973年の初めに開催されたクエーカー教徒教育審議会での、「理事に向けてのセミナー」における提言です。教育熱心なことでも有名なクエーカーの教職理事セミナーには、高等教育のみならず初・中等教育の理事も大勢集まっていたことが想像されます。(今回の会読箇所:p.269 からp.287の最後まで)

(注)17世紀、イングランドでジョージ・フォックスによって創設された宗派であるキリスト友会とその信徒への呼称。平和、誠実、平等、質素を貴ぶ。現在の信徒数は全世界で60万人(北米12万人)、わが国では新渡戸稲造らが同会信徒である。



【前文】
グリーンリーフは、この章の前文を建築家のフランク・ロイド・ライトが若き日に、「芸術とは何か」というタイトルの講演で、アンデルセンの童話「人魚姫」の一部を朗読して、「みなさん、これが芸術です」という一言を発したというエピソードから始めています。彼はこのエピソードを「経験から学ぶことを第一とし、抽象概念を扱うことが苦手な」アメリカの教育問題の象徴として挙げました。
「われわれが必要とする教育と、現在の教育との間にはギャップがあり、そのギャップについて社会的不安が高まる」と述べるグリーンリーフは、アメリカの教育プログラムの問題を次の3つにまとめています。
・リーダーとなる素質がある人材にリーダーシップを教え込んでいない。
・リーダーの社会的地位に対する教育者の偏った姿勢。
・価値観の指導に関する現場の混乱。
グリーンリーフは、これらの問題意識をもって「教育におけるサーバント・リーダーシップ」について研究し、セミナーや投稿を通じて彼の見解を表明しています。

【フレンズ・スクールと「権力と権限」】
この章の最初の論文は、1973年の1月にクエーカー教徒教育審議会主催のセミナーでおこなわれたグリーンリーフの「理事に向けてのセミナー」の原稿です。
このセミナーでのグリーンリーフの提言は、「教育全体のプロセスは、今後数年のうちに徹底的な大改革に向かう」という彼の予想で開始されます。教育の効果を認めて投資を増やしてきた米国社会には、その投資効果に対する疑問が生じ、不満に高まってきつつある状況を察知しつつも、「学校」に代わる仕組みがないのが実情です。その中で、グリーンリーフは、「今こそ新しく築き上げるときである」と高らかに唱え、彼の教育におけるリーダーシップ論を展開していきます。
[権力と権限]
権力と権限の言葉の使い方はさまざまですが、グリーンリーフは権力という言葉を「強制する力」という意味で使用し、そこには「公然と強要する」「陰で操る」を含むと定義しています。そして権限については「権力の使用を正当化する認可」という意味で使用するとしています。
グリーンリーフはこの二つの言葉から最優先の問題を導き出しました。
問題1 - ある人たちは何を学ぶべきか知っているので、そういう人に権限を持たせるのが当然だという判断 - これは支持を得ているのだが。 
教育者は、教えることについて学生や生徒よりも自分たちの方が多く知っているという考えから、学習の内容は教える側が定めるものとすることは常識だと考えています。グリーンリーフはこの常識に対して、「判断する際には間違いが起きる(間違いどころか悪かもしれないが)可能性があることをきちんと知らせるならば、その理解によって、学生の成熟度は増し、組織化された教育に対する彼らの尊敬の念が高まるかもしれません」と訴えます。彼は、教師、医師、看護師、ソーシャルワーカーなどの職業人が「受け手が最も必要とするものを、受け手以上に自分たちは知っている」と思いがちであることについて、ダンフォース財団のカニンガム元会長の著作にある「与えることは倫理的に見れば危険」という記述を踏まえつつ、「思い」が本来の目的を逸脱して、悪の発生源となる危険性を指摘しています。その指摘は、「強制すること」、さらには「与えること」から悪が発生する可能性に拡張され、ボランティア組織で「非営利という姿勢を美徳と考えること」がモラルを危険に晒す可能性がある、という例示もなされました。「自分たちは理想を体現していると自覚するとき、モラルは危険性にさらされているのかもしれません」という警句は、友人の社会学者の「職員の個人的な人間関係の質は、組織が提唱する理想的な姿に反するものとなる」という言葉を引用しながら繰り返され、とくに企業においてより強い危険があると述べられています。善意の持つ危険性について強い思いが見られます。この危険に対する彼の考えは、「本当の意味で試金石になるのはどんな組織に思いやりを求められるかということです」という意見を表明し、その舞台は「大企業」であるというのが彼の意見です。
「すべての権力は滅び、絶対的な権力は必ず滅びる」というアクトン卿の格言を正しいと思うグリーンリーフは、組織における権力の利用についての注意点を以下のように述べています。
・自分たちの活動がどんなものであれ、そこから悪が発生する可能性がある、と自覚する。併せて権力を使う教員をはじめとするすべての人々にそのことを自覚させる。
・組織内の権力バランスがきちんととれているかを確認する。教職員の権力について、生徒や保護者、理事、教員以外の職員にも何らかの権力を持たせる。
グリーンリーフはこれらの発言を強制で進めるのではなく、ここから対話が生じ、それをもとに全員がさらに賢くなることを望んでいます。権力の持つ危険性への対処を自ら率先していると思われます。
問題2 ? 教育システムは、すべて強制のもとに成り立っているという事実。まず、十六~十八歳に達するまでは学校に通わせること、という法的義務がある。次に、学位証明書を餌にして、学究的な教育を続けさせるという強制力が存在する。学歴は高校卒業資格から始まり、博士、ときにはそれよりも上まで続く。
グリーンリーフは、この問題について義務教育や教育による資格認定がなくなったら、生徒にはどのような影響があるかと課題設定することから始めます。新しいテクノロジーによって失業した人の職能育成のためにグリーンリーフが代数を教え、その人が高校レベルの代数を迅速に習得したという成功体験は、代数に興味のない生徒に教えなければならない義務教育では通用しない話、というある校長先生の意見に失望します。彼はモチベーションを持ち合わせない生徒への教育者の努力の浪費を指摘し、その解決方法を問いかけます。
[未来への希望?]
前章での権力についてのグリーンリーフの二つの問題提起、「よき行いという考えに潜むモラルの危険性」、「教育プログラム全体に敷かれている強制力の拡大」、この二つの問題に、グリーンリーフは次のような提言をしています。すなわち、生徒に対処法を学ぶように促す以上にできることを当面の最善としつつ、「長くて暗いトンネルの果てに光はある」と信じる者に光が存在する、とデンマークでの国民高等学校の例(注)を引用して、「若者にふたたびやる気を起こさせる」という課題解決において、デンマークの例は現代のアメリカにも適用できるという主張です。

(注)本書第1章(日本語版 p.81-p.84)参照。19世紀、貧しかったデンマークに、グルントヴィの長年の努力で国民高等学校が多数設立され、20世紀のデンマーク反映の基礎となった。

さらに、19世紀のデンマークと20世紀後半の米国は、ともに社会的抑圧の下にあり、その改善には若者の意欲が不可欠である、中等教育に期待されるのは、その意欲を育てることだ、と展開します。この実現に向けてなしうることは、「何かボランティア的なこと、人間としての精神を高めることに挑戦」するように、その中でさらなる前進への衝動を感じるかどうかが重要だ、と促しています。
この主張を裏付けるために、グリーンリーフは、彼同様に敬虔なクエーカー教徒であったエリザベス・バイニングによる、やはりクエーカーの聖職者であったルーファス・ジョーンズの評伝「人生の友」(注)を引きつつ話を展開します。

(注)エリザベス・バイニングは戦後の占領時代の日本で、皇太子殿下(現、天皇陛下)の家庭教師を務めた。本書日本語版の注記に「人生の友」の邦訳なしと書かれているが、2011年に「友愛の絆に生きて ‐ ルーファス・ジョーンズの生涯」(山田由香里訳,教文館)として刊行されている。

「ジョーンズなら‘変化’について何かしら助言してくれるだろうと、私は確信しています」とグリーンリーフは、バイニングが描くルーファス・ジョーンズを読みながら思索を続けます。変化が急進的で痛みを伴うとしても更なる変化が必要であり、変化の中で生き残れた場合の生き方、変化それ自体を目標とする生き方への反省などです。
彼の変化に対する考え方は、中国の古典の「易経」(えききょう)(注)に至り、第二次世界大戦時の中国学者ヘルムート・ヴィルヘルムによる易経の研究に言及していきます。「(前略)事実を考えてみれば、常に変化していることにたちまち傷つくでしょう。修練の足りない人は、特別な事象しか変化と認めません(後略)」。変化は自然の流れであり、停滞は死のみならず堕落をもたらす。変化とは無意識下の自発的発展傾向である。安全とは正しい場所にいることを自覚することであり、安心感とはものごとが正しい方向に進む確信である、など三千年近く前に表わされた易経にからヴィルヘルムの著述を引用してグリーンリーフは教育問題の本質に切り込みます。グリーンリーフは責任感を持って変化に対処することの厳しさに理解を示しつつ、「冷静に考えて自分の道が正しいと思うなら、ただ前進あるのみ」というメッセージでこの提言を結んでいます。

(注)中国古代、周の時代の書物。「卜(占い)」の文書にさまざまな天文、地理、物象などを陰陽変化の原理、解釈が追記されている。孔子により集大成されたとして四書五経の五経のひとつとされる。



【会読参加者による討議】
・この章全体を説明した「前文」にある、学校の奉仕、つまり使命は生徒を上流階級に送り込むことではない(p.272)、という点に注目した。学校、ことに大学などの高等教育で何を教えるべきか、この後に書かれているリーダーシップや価値観の指導については、米国のみならず、わが国でももっと注意が払われるべきだろう。
・サルマン・カーンが主宰するカーンアカデミー(注)は、学習教材を大量にYouTubeに載せるプロジェクトを展開している。やりがいを求めて、多くの人がこの教材を利用して勉強している。教師が一方的に与える教育から、教わる側が求めているものを明確にして自主的に学ぶことにシフトしている。

(注)サルマン・カーン(1976~)。米国生まれ(バングラデシュ系)の教育者。2006年よりカーンアカデミーを主宰。

・前文の後に読んだ、職を得るために代数の知識が必要な成人が高校一年で教わる課程をすぐに体得したという話(p.281)は、学ぶ側の意欲が鍵であり、カーンアカデミーはそこを踏まえていることが成功につながっているのだろう。
・親族が日本に来る外国人労働者に、夜間、日本語を教えるボランティアをやっている。日中の激務の影響もあって、生徒の外国人労働者の意欲が低かった。あるとき学習教材となる日本語の書籍を自分で選ぶようにさせたところ、学習意欲が劇的に改善した。生徒は、それぞれがもっている課題に基づいて教材を選んでいるので、自然に意欲的になる。
・教育は生徒を上流階級に送り込む手段ではない、というグリーンリーフの主張は、翻っていえば、当時の米国の教育が均質化していることを指摘しているのではないだろうか。40年以上昔の米国でグリーンリーフが感じた危機感は、まだ解決されていない。トランプ大統領を選出した昨年の選挙、さらに先日の大統領就任後の動き、そのバックボーンとなる米国民の考え方などに思いを巡らせると、そう感じざるを得ない。

・クエーカー教徒教育審議会の講演の中で、グリーンリーフが「まず、自分たちが行う活動がどんなものであれ、そこから悪が発生する可能性があると認識しましょう」と教育者の善意に対して強く警告している(p.279)。わが身を振り返ると、自分の下に配属されてきた新卒新入社員に、最初はすべてを指図しながらも、徐々にその人間のもっている適性に合わせた教育をしなければならないと自覚しつつ、現実の仕事を前に、達成できないでいる。これが「悪の発生」の根源かもしれない。
・箱根駅伝で青山学院大学を3連覇に導いた原監督は、大学生選手など若い人にものごとを教えるときに、「これは、あなたのためのもの」と伝えるようにしているとのこと。教育において不可避の「型にはめる」という段階で、このことをきちんと伝える必要がある。
・古来、芸事の習得に「守・破・離(しゅ・は・り)」という段階があると言われている。師匠の教えに従う時期、その殻を破る時期、師匠から離れて自分の型を持つ時期の意味だ。教える相手がどの段階にいるのか、教える側は教わる側が守から破に移行するところをきちんと把握して教え方を変えないといけない。
・「守」の時期は重要で不可欠。落語の立川談志師匠(注)は、弟子にまず古典落語をマスターさせた。彼自身もそうだ。その上で彼も多くの弟子も破天荒な落語を披露しているが、基本を踏まえたものは「型破り」、基本を体得せずに無軌道にやっているのを「形無し」と呼んで区別していた。

(注)7代目(自称5代目)立川談志、1936年~2011年。「型破り」な落語で高い評価と人気を博す。現在も落語会に大きな影響を持つ立川流を創設。参議院議員、沖縄開発庁長官も務めた。

・趣味でサックスを習い始めたのだが、先日、尾崎豊の「I Love You」を思うままに気持ちよく吹いていたら、先生から「それは音楽の型を知らない演奏」と怒られてしまった。
・教える側が自己陶酔に陥って、本当に教えるべきことと教わるべきこととがずれてしまうことが多い。奉仕の精神がいつしか押し付けになることもある。
・コンビニエンスストアチェーンのセブンイレブンでは、「相手のための仕事」と「相手の立場に立った仕事」の違いを強く意識するように言われる。「セブンの商売では、商品の売れ筋は買い手が決める、売り手にできることはない」ということを理解し、買い手の立場に立つことが重要ということで、教育にも適用できる話だ。

・この章の冒頭のフランク・ロイド・ライトによるエピソード、芸術について語る、としてアンデルセンの人魚姫の一説を朗読したこと、について感じることが多い。「芸術作品」を読み上げることで、聴衆に何かを感じさせる。「気づかせる、感じさせる」ことの重要さを示している。
・一方で、現実の教育の持つ難しさも認識しないといけない。わが国では四半世紀前から「ゆとり教育」が、失敗と評価されて撤回された。ゆとり教育への移行と揺り戻しを見ていると、ゆとり教育を導入した時に、グリーンリーフが指摘した3つの課題(本書p.271-272、本報告冒頭)の認識が共有されていなかったのだろうと思われる。日本の学校教育がもつ欠点だろう
・慶応大学の安藤寿康教授が著書(注)の中で、諸外国の学校教育と比較して、日本の学校が、特に初中等教育において、生徒に多様な経験を積ませていることを評価している。著書では多様選択肢のある部活動や修学旅行が挙げられているが、その他にも小学校から実施している社会見学、掃除当番や給食当番の体験も含まれるだろう。多くの国で、所得格差 → 成人前の社会経験量の格差 → 才能伸長・発揮の機会格差 → 所得格差・・・と連鎖するケースが見受けられるが、わが国では初中等教育で、生徒に多様な経験させることがこのスパイラル防止につながっている面がある。

(注)安藤寿康著「日本人の9割が知らない遺伝の真実」(SBクリエイティブ(SB新書),2016年)

・教育を受ける側が教育の中身、つまり対象に興味を持つことが肝心。仕事上の後輩であれ、家庭での子女であれ、教える側は教わる側をそこに導くことが任務だ。
・子供食堂などの支援活動を行っているが、今日の討論を通じて教育に関する自分なりの「答え」を出すことが求められていると感じた。自分の考えを自分のことばで評価して、しっかりと熟成させていくことが必要だと痛感する。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」第二期第17回(通算第72回)の読書会は、2月24日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

第4回 大阪読書会 開催のご報告

1月6日(金)大阪で第4回「サーバントリーダーシップ」読書会を開催いたしました。



本勉強会ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」から毎回10ページ~20ページを参加者で会読し、各自の感想や意見を自由に交換しています。

ご参加頂いた方からは
「いつもここにくると癒されます。勇気をもらったり落ち込んだりするのですが最終的にほっとします。ありがとうございます。」
「参加者のいろんな意見や体験を交えて読書すると“サーバントリーダーシップ”というむつかしい本でも楽しく読めて嬉しかったです。」
といったお声を頂きました。

次回の大阪読書会は2月23日(木)です。途中からの参加でも全く問題ありません(多くの方が途中からの参加です)。

※お申込フォーム・最新の開催情報はこちら から

第二期第15回 東京読書会(通算第70回) 開催報告

第二期第15回(通算第70回) 東京読書会開催報告
日時:2016年12月22日(木)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期読書会は、今回は第4章「企業におけるサーバント・リーダーシップ」の2回目であり、この章の最終回です。この章は彼の3つの提言から構成されていますが、今回は残りふたつを会読しました。中小企業への提言と大企業向けの提言です。長年の企業勤務の経験も踏まえてのものでしょう、グリーンリーフの提言は、具体的で強い確信に満ちたものとなっています。(今回の会読箇所:p.250 からp.267の最後まで)



【会読範囲の紹介】
[中小企業から大企業への成長に関する覚書]
第2の提言は、グリーンリーフがある優秀な中小企業のCEOと主要株主に向けた提言です。彼はこの提言により優秀な中小企業がその質を維持しながら成長を続け大企業となる方法を示しています。
グリーンリーフは大企業と中小企業の境界を「一個人のみの単純な予測だけで、企業が効果的に機能するか、否か」の点であると指摘し、中小企業がその分岐点に到達したかどうかの見極めの難しさをはじめ、大企業となったときの後継者問題やリーダーシップへの要求が面倒なものになるといったリスクを説明しました。グリーンリーフは、中小企業が拡大していく中で、トップが「日常業務管理者を脱して、仕事を達成するための進行管理責任者となること」を推奨しています。中小企業のトップたちに「自律的に動く組織」への脱皮を促したのです。
グリーンリーフは、中小企業のトップが経営を部下に委ねることを躊躇することは、よくある話としつつ、「みなさんは現在の運営方法を維持したまま、初めの一歩を今踏み出す」ことを勧めました。そしてビルダー(注)としての役割に向かって進む中で、次々と現れる「慎重さを要する次の一歩基盤」をクリアしていく道筋を示しています。
    (注)組織の創設者
中小企業の経営者は自らの課題解決にコンサルタントを雇うことが多くありますが、グリーンリーフは企業経営上の問題に対する「答えを得るには、最も有能な部下に、自分たち社員の問題として解決させるべき」と次のような意見を述べています。
・最も有能な部下に任務を任せることで、疑問点は適切に絞られる。疑問点を明確にしておくことで、その部下が疑問点の的確性を判断してくれるだろう。
・疑問点に対して、コンサルタントは有益な答えを示してくれない。疑問点はその企業の社員、すなわち社長の部下が解決すべきである。
・社員に解決させるのは、正しい答えを社内で実践する方がよほど難しい場合が多いからである。社外コンサルタントの解答が正しいとしても導入は叶わない。
・重大な問題に対して優れた解決策を見つけて導入することに創造的なやりがいを強く感じる有能な人材を育てよ、それが中小企業のワンマン経営者から大企業の会長(チェアマン)になる最良の練習である。
・こうしたことを経て、中小企業の経営者であるみなさんの役割は答えを見つけて導入することからプロセス管理者へ、さらに専門的な管理者となりやがて会長になることも可能である。
グリーンリーフの意見は自信に満ちた明確なものです。その一方で、彼は、本書第2章「サーバントとしての組織」、第3章「サーバントとしてのトラスティ」で分析した大企業の運営管理と取締役会双方の構造への考察について、モデルとなる組織は現在一つもないと述べています。
さらに考察を「トップの構造」のみの分析から「作業グループにも注目し、それを時代に適したものに変えていく必要があります。(中略)適切な職業観はまだ確立されていない」と経営者が今後、視野を広げる必要性に言及しています。本提言から半世紀、現代にも通じる課題です。
ハーバード経営大学院教授の故・フリッツ・レスリスバーガーも指摘した職場の中間管理職の問題、すなわち、計画は上位者がたててしまい、これを遂行、完了させる責任が中間管理職に課せられているという矛盾があることに同感するグリーンリーフは、これに対する解決策として、労働組合を認めることを挙げています。労働組合を万全の解決策ではないと認めつつ、作業グループを建設的な集団とする過程での組合の必要性を主張しています。「重要なコンセプトは、仕事は社員のもの」との観点で、企業の中の作業グループを理解していくことを説きます。作業グループを組織全体の礎石と位置づけ、労働組合を労働者の守護者、経営者を企業所有者の代理人と位置付けることは今日では当然のことですが、その中で、管理面でのリーダーシップの新しい構造を作り中間管理を不要とすることを主張しました。そして、中小企業の経営者に対し、「ワンマン経営の企業から、自主性を備え、多くの有能な人材が集まった、創造的な活力あふれる企業へ変革すること」へのチャレンジを、そしてチャレンジ精神を持つことを強く推奨して提言を終えています。

[社会的方針を生み出すビジネス・リーダー]
第4章の最後の提言は1974年に書かれたものです。米国の主だった組織に「社会のサーバントになれ」と訴え続けた彼に、グリーンリーフの「サーバントとしての組織(注、本書第2章として収録)」を読んだ企業の取締役から「積極的に社会に奉仕する組織とはどういうものか」という照会を受け、その問いに答えたものです。
この提言は、前記事情により監査のためのアウトラインは省いているとしつつ、企業の取締役を対象者と想定して書かれています。
グリーンリーフは、企業が目指すものは、経済的な成功、すなわち収益をあげることで評価され、役職員、株主、取引先などの利害関係者(ステークホルダー)から社会的評価を受けること、という一般的な定義を掲げます。しかし、その中で明確な定量的指標が確立された経済的成功に対して社会的取り組みの判断基準が確立されていないことを指摘しています。以下のような活動を推奨し、また質問してきた企業のために、具体的な行動指針の例示も行っています。
1.法的要件を充足するのみならず、独自の指標に基づく社会貢献で「法律の先を行く」ことを求める。
2.当該企業の利害関係者からの意見、見解を集積する仕組みを作り、本社(米国)と各国の支社は、情報を収集する。
3.5人ずつの社員と管理者で構成する調査特別委員会を設置し、社員の参加プログラムを検討し、報告する。
4.10人の管理者による調査チームを設置し、社内のすべての職位における権力と権限の調査と報告。
5.必要に応じて前2項の作業を支援するスタッフを配置。
6.他企業の動向調査、同様の問題を扱う競技館への参加、年次の活動の報告
この提言は、1974年にリリースされたものですが、グリーンリーフは前記の活動の納期について、1975年から76年にかけての具体的な日付を記入する力の入れようです。
前項の6つの提案における報告は「方針を決定する取締役と、運営上の決定を下す管理者」がそれぞれの立場で利用します。グリーンリーフは、取締役から管理者への「助言を与えるための独立した情報源」を作成し、方針と運営の一致と安定をめざすことを推奨しています。
「自社がより大きな社会的責任を負うべきだと取締役の皆さんが考えるなら(中略)まずは自分たちが始めなければなりません(中略)生じた問題を課題と受け止めて対処することも必要です。その結果、企業の質は高くなり、すべての人に利益がもたらされます。」 グリーンリーフは変革のリーダーであることを強く期待して提言をまとめています。リーダーシップについて照会を行った取締役への回答をすべての企業人、すべての人に向けて行いました。



【会読参加者による討議】
・グリーンリーフの最初の提言「中小企業から大企業への成長に関する覚書」の中で、大企業への拡大を望む中小企業が労働組合を設置することを推奨していることに注目した。1970年代、まだまだ東西の対立、つまり社会主義や共産主義諸国との冷戦状態が厳しい中、社会主義的な思想に対するアレルギーの強い米国で、こうした意見を表明したことに驚いている。
・自分の父親が製造業で技術職として働いており、父親の労働組合員としての活動も間近に見ていた。そのときの組合の印象は、企業内での従業員の横のつながりのために重要な組織というものだった。長じて、自分が就職した金融機関では、組合は従業員の処遇についての会社と合意するための組織。名前も従業員組合。法律があるから設置している、という位置づけだ。
・やはり組合というと、労働争議まで行かずとも、赤い腕章を巻いた姿などを思い出す。グリーンリーフが労働組合を取り上げた真の意図に関心がある。
・経営者が労働組合を警戒することは、一面で理解できる。自分の勤務先は過去に組合が強くなりすぎて、経営に容喙(ようかい。口をはさむこと)し、経営の屋台骨が揺らいだこともある。なぜ、組合が権力を志向し、実際にこれを持ってしまうことがあるのか。
・勤務先の労働組合は、55年ほど前に若手社員が従業員菅の給与や福利厚生などの処遇の不公平があるとの抗議行動がきっかけとなって自主的に結成された。結成から約10年間、上部団体に加盟するかどうかが内部での最大の論点だった。結局、上部団体に加盟せず単組、つまり単独の組合活動を行っている。上部団体に加盟することによる組合の運営上、財政上のメリットと、加盟による特定の政党を背景とした政治活動への参加を求められることとの比較を重ねた結果だ。
・勤務先に組合組織はないが、陰の組合ともいえる不満分子の集団がいる。さまざまな事柄について根回しが必要になっている。
・根回しは組織について回ることがらだが、いつも非効率だと思う。形ある組織との交渉や連絡のメリットは大きい。グリーンリーフが労働組合を忌避したであろう半世紀近く前の米国で、その活かし方を示した慧眼(けいがん)に敬服する。

・今の議論で、個人の価値観と仕事そのものが持つ価値観の調和という課題を改めて認識している。

・サーバントリーダーシップの説明に使われる逆ピラミッド型の組織図(注)を思い出す。その組織図では顧客との接点を持つ従業員が最上位にあるが、自分自身が小規模な企業の経営者として、この意識を常に持っている必要性を感じる。現在の規模であれば、自分一人で従業員ひとりひとりと接点を持てるが、今後、規模が大きくなる機会があったとき、自分一人では限界が来る。組合の必要性について理解できる。
(注)池田守男、金井壽宏「サーバント・リーダーシップ入門」(かんき出版、2007年)の「Ⅱ.サーバント・リーダーの経営改革」に、著者の一人、資生堂元相談役の池田守男氏(故人、元・日本サーバント・リーダーシップ協会顧問)が考えた逆ピラミッド型組織についての説明がある。
・逆ピラミッド型の組織図には、経営者たる者は腰を低くせよという道徳的なことだけではなく、未来に向けた道筋を見出している人は現場におり、経営者はその英知をきちんと受け取るべし、という主張が込められていると思っている。
・どうしても経営者などの組織の上位者ほど、自分だけが意識や周囲への目線が高く、正しいことを知っているとの錯覚に陥りがちである。ことに中小企業の経営者に顕著だ。


・本日の二つ目の提言「社会的方針を生み出すビジネス・リーダー」で、企業の社会的取り組みに対する評価指標の確立を強く推奨している。この点では昨今のCSR(Corporate Social Responsibility。企業の社会的責任)という概念を先取りしていると思う。
・昨今はCSRからESG(Environment、Social、Governance。環境、社会、企業統治)へと概念が拡張している。1980年代に欧州で社会的に悪影響を及ぼす企業の排除する動きがあったが、それが発展し、現在は持続的社会の形成や社会課題の解決に貢献した企業を評価して、そうした企業に対する投資を促進する形になっている。ESGは企業の本業活動や業績と社会貢献の連動やエンゲージメントと呼ばれる投資家と企業の対話が重視される。
・日本ではGPIF(年金積立管理運用独立行政法人)もESG投資に関心を寄せ、独自の指数開発にも着手しているとのこと。ファーストリテイリング(ユニクロ)や味の素などの主要企業の動きも目立ってきた。企業ブランドイメージと内部統制強化の両面から企業価値を高めることにつながる。
・こうした昨今の動きとグリーンリーフの提言を比較すると、現在のCSRプロセスが求める要素を40年も前の1970年代に見事に指摘していることに驚きを禁じ得ない。企業内でこれを先任者や兼務者の委員会を通じさせることにより、企業の本業を通じた社会貢献がトップダウンではなく、従業員間での情報収集や冷静な評価を経る情報収集や評価をいう点で正しい方法だと思う。

・装置産業型の製造業では、とかく設備投資の稼働率が注目されがちである。製品や企業活動の社会的価値を測る動きを取り入れていく必要がある。
・組立産業の自動車産業も事故や公害などのマイナスの要素が多くある。社会貢献の軸を打ち出しづらい。
・前記は「社会的費用」と呼ばれるものだが、たとえば製造過程における水の使用量の減少や燃費の向上といったことも企業のプラス要素として評価される。
・資源の節約は理解できるが、それが別の産業や事業体の衰退や失業を招くことにはならないか。産業構造の変化に伴って人的資源のシフトが生じるとの説明だが、シフト期間に問題や、人によっては多くの回数のシフトを余儀なくされこと、これらが社会的幸福といえるのかどうか。継続的に考えていきたい。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」第二期第16回(通算第68回)の読書会は、第5章「教育におけるサーバント・リーダーシップ」に入ります。2017年1月27日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

第3回 大阪読書会 開催のご報告

12月13日(火)大阪で第3回「サーバントリーダーシップ」読書会を開催いたしました。



本勉強会ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」から毎回10ページ~20ページを参加者で会読し、各自の感想や意見を自由に交換しています。
ご参加頂いた方からは「毎回ですが、色々な立場の人の意見、考え方に触れる事ができて楽しく、新しい気づきを得させて頂いています」「やっぱり1人では理解が足りないところがいっぱいできるので色んなお話が聞けて深まります」といったお声を頂きました。

次回の大阪読書会は1月6日(金)です。途中からの参加でも全く問題ありません(多くの方が途中からの参加です)。
近日、お申し込みページをオープン致しますので、ご興味がありましたら、是非ご参加下さい。

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第二期第14回東京読書会(通算第69回) 開催報告

第二期第14回(通算第69回) 東京読書会 開催報告
日時:2016年11月25日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期読書会は、今回から第4章「企業におけるサーバント・リーダーシップ」の会読に入りました。この章はグリーンリーフが企業活動におけるリーダーシップについての3つの提言をまとめたものです。グリーンリーフは真のリーダーシップ実現のための組織として「企業」「大学」「教会」をその代表としていますが、とりわけ企業については、現代社会での影響力を考えて強い期待を寄せています。(今回の会読箇所:p.227 からp.249 の最後まで)



【会読範囲の紹介】
「サーバント・リーダーシップが社会で多大な影響を及ぼすのは、まずビジネスの分野ではないか」
1958年から1974年の間に書かれた3つの提言(小論)を収めたこの章で、グリーンリーフは冒頭の章全体の簡単な説明文を、このように書き出しました。
民間企業は営利の追求と奉仕の両方を求めることを法で求められているが、これは営利企業の奉仕は法で縛るしかない、という状況について、グリーンリーフは「良心を律しようとする個人の意欲を減退させないため、どんな行動も法律によって制限するべきではない」と訴えます。「法律という道を通ることで、(中略)倫理観の多くはかなり失われて」きている、何よりも「自発劇な倫理観と、法的な規制は両立しない」からだ、と彼の持論を展開していきます。
「ときには(中略)愛しがたい企業であっても、愛さなければさらなる奉仕は望めない」と説くグリーンリーフは、この解説を「人こそが組織なのだ!」という力強い言葉で締めています。そして3つの提言がこの後に続きます。(今回の読書会では、章冒頭の説明と1つ目の提言を会読しました)

倫理と、人を使うこと
・最初の提言は、1970年2月26日にスイスのチューリヒで開催された「人を使うこと」と題する会議に、グリーンリーフが寄せたものです。
・彼は、提言の最初でmanipulate(操る)とmanagement(マネジメント)のいずれもがmanus’つまり手を意味するラテン語を語源としていることを指摘しつつ、1970年ごろの米国社会がリーダーシップやマネジメントということに対し、人々がその限界を感じ冷ややかな視線を送っているという時代の雰囲気を説明しました。
・その中で「人に操られない社会が実現可能」という「リーダー不在の社会」という考えが出てきていることに、現実問題としての危うさを感じて、「ある程度は人を操っても理にかなうと考え」る基準のために、この提言で「新しい企業倫理を推察」していく、と述べています。
・「リーダーが頼りになり、信頼できると感じさせるものは、彼らが持つ直感的な洞察力だ」とグリーンリーフがリーダーに求める役割が示されます。彼は「直感的な判断」をリーダーの最重要な機能と定めつつも、「私が日々探しているのは、迷路を通り抜ける道である」と、その定義の正しさの検証に真摯に取り組んでいます。
・グリーンリーフは「この、迷路の中を通り抜ける道を進んでいくと、産業界には職業規範というものがまるでないように思われる」と指摘し、職業倫理による規制が少なく、企業ごとの倫理観の差異が大きいことを批判しています。彼は「成果とは、どんな分野や職種だろうと、社会の中で引き受けた義務によって判断されるべき」と考えています。
・さらに「大企業の社員がどうすれば向上するか」「どうすれば組織が社員にもっと奉仕するようになるか」という問題を提起しました。彼は企業社会を語る中で、しばしば大企業を前提とした意見を述べますが、その当時の米国の企業社会のあり方、大企業の社会への影響力を考えて、大企業から率先すべきとの考えを持つことによります。
・その観点で、「危機的な状況に置かれたときに、非凡な経営手段をもった経営者(オーナー)に導かれた」 3つの企業とその経営者を例示しています。ゼネラル・モーターズのアルフレッド・スローン、シアーズ・ローバックのジュリアス・ローゼンワールド、そしてグリーンリーフが長年勤務したAT&T(アメリカ電話電信会社)のセオドア・N・ヴェールです。彼は、セオドア・N・ヴェールの死後半世紀(注、1921年没)経った1970年のAT&Tがまだヴェールの改革の意識、価値観を有していることを指摘しています。もちろん、この3社については例示として挙げたものであり、全ての模範ではないことは、グリーリーフ自身も注記しています。
・グリーンリーフは、時代(注、この提言は1970年)を見据えて「大企業におけるトップ・リーダーシップの役割は、独断的な意思決定者から、情報システムのマネージャーへの移行しつつある。リーダーシップはこれまで以上に、最優先の目的を引き出し、それに加えて、多くの意思決定者の能力を伸ばし、自主性を支えてやれるかどうかにかかっている」と、現代の企業さらには組織のリーダーの役割の変化を表明しました。
・さらに情報化の中で企業社会には、「いささか混乱は起きるだろうが、やがて新しい企業倫理が現れると、私は自信を持って言える」と唱え、その倫理観の下で、「仕事のために人間が存在し、また人間のために仕事が存在する(中略)企業は奉仕する組織になる」と力強く説いています。
・そしてビルダー(組織の創設者)には、「生産に重点を置く現在の姿から人材育成に重きを置く、あるべき姿へと変える能力」を求め、企業の中で、「倫理観の転換(中略)にはいくらか勇気が求められるが、最初に変化を起こす人間はひとりだけだ」と述べました。
・「さまざまなスタイルを持つ有能な人材がのびのびと活用できるためには、多様な環境を生み出す必要がある」「次のステップは(中略)自分の力を過小評価している社員、成長したいと思っている社員全員の成長を強く促すことだ」「後押ししてくれる環境があると人は成長する。大半の大企業は社員の強みを生かすために仕事を再編できるだけの人材を備えている」、半世紀近く前の提言は、実行の面では今も未達成の課題となっています。また、有能な職務能力を持つ人がリーダーとなって利益を上げることが最優先かつ最善と思われている企業社会において、「新しい倫理観では、職務を遂行する人々の成長が企業の第一目的だ」というグリーンリーフのこの提言が当時の読者にどのように受け止めらえたのかも気になります。
・前記の新しい倫理観は企業社会に容易に受け入れられないだろうとの意見に対して、グリーンリーフは、「アメリカの大企業の大半はこのような新しい倫理観を受け入れ、それに適う行動をとるだけの機能と資源を持っている」と述べます。彼は「若いころに戻れるならば、アメリカの大企業というくじをもう一度引く(後略)」とも語っています。アメリカが大企業により強い影響を受けていること、言い換えれば大企業の活動が人々の思考、行動様式に強い影響を与えることができることからの期待です。
・そして、グリーンリーフはこの提言の最後に入るところで「人生が終わるとき、あなたにとって一番大切な価値は何か」と問いかけます。影響力を持つ地位にある人が自己の利益のみを追求することを「凡庸」と批判しつつも、凡庸な人を排除するのみでは問題が解決しないと指摘しています。彼は「有能かつ誠実な奉仕する人々が人を導く覚悟をして、その機会が訪れたら迷わずに実施する」ことを求めます。そうした「社会の善の部分を備えた人々や組織が自らの努力をもっと明確に点検し、即座に方向転換を促すことにのみ集中」することで一流が凡庸さにとって代わることができる、という主張でこの提言は結ばれます。



【会読参加者による討議】
・会読範囲の中でAT&T(アメリカ電話電信会社)の20世紀初頭のトップだったセオドア・N・ヴェールが経営者として残した改革の精神がヴェールの死後、半世紀を経てもAT&Tの中に残っているという箇所がある。ここを読んで思い出したのが、組立てブロック玩具で有名なデンマークのレゴ社のことだ。厳しい競争環境の中で、レゴ社は1990年代から2000年代初頭にかけて多角経営を志向したが、逆に経営不振に陥ってしまった。そこで創業家3代目が社長を交代させ、創業の頃の原点に回帰する新方針の下で製品も事業内容も元に戻す形で整理して経営を立て直した。この動きの中でレゴ社の経営理念が強く意識されるようになり、例えば採用においても fan と care という理念への共感度が重要視され、また組織図は上下関係を排した円形になっている。

・本田宗一郎の「人に仕えるな、会社に仕えるな、仕事に仕えよ」という格言を思い出した。正しい理念と目標に向かう仕事は裏切らない。そこを外れた仕事、例えば利益だけを目標にしたような多角化や事業拡大は、同じように一生懸命仕事をしていてもいつか裏切られ足元をすくわれる。
・本田宗一郎の言葉の中で強く印象づけられているのが、「得手に帆(を)あげて」というものだ。得手と不得手を組み合わせて、思った以上の実力を発揮する。この組合せこそが経営だと思う。組織のすみずみまで気持ちの上で独立して責任感をもちつつ、全体として一つになれるように方向づけられるかどうかが経営手腕だと思う。
・同じ自動車メーカーでもトヨタは「人質(じんしつ)経営」を標榜し、従業員に組織への忠誠と均質で一定のクオリティを求めている。それに立脚して地縁や就職前の学校のつながりも相応に考慮されるとのこと。一見、将来性のない話のように聞こえるが、その考えを忠実に守り、従業員に保証することで、抜群の安定性が生まれ、企業業績を見ればわかるように高い組織力を誇っている。
・地縁や学歴などの一見理不尽な条件を含めて、企業の考え方や理念に納得している人が集まっているので、停滞が生じないのだろう。ある企業がトヨタ系列の会社と合併した際、相手側会社に元から勤めている人は、そのカルチャーの変化に本当に戸惑ったそうだ。
・合併などの個別事情の問題はあるが、企業側も時流に流されず、考え方を変えずに守っていることは一つの見識だと思う。

・医療の分野では、患者に合っていない医者の存在という根本的な課題がある。さらに難しいのは医療従事者個々の自発的な倫理観に基づく理念と法的な規制が両立しないとき、また医療従事者が所属する医療機関の経営状況に左右される。医師は一人ずつが独立したプロとはいえ、経営がしっかりしている病院の方が良い医療ができる。
・創業から半世紀近い会社に勤務している。顧客第一を標榜しているが、経営が従業員に向き合っていないと感じる。顧客の評価は高いのだが、従業員の離職率が高く定着しない。若い人の多くが自社と転職検討先の待遇などを比較している。顧客の評価が高いとはいっても、何かが足りないように感じてしまう。
・外資系企業の金融子会社が日本企業に買収された。外資系の時代は社内研修などの教育投資は盛んだった。教育の体系はトップとなる人物を早々に見極めたエリート重視型であった。選ばれた人は実際に能力、見識ともに優れた人が多かったと思う。日系企業になってからも教育には熱心だが、スタイルは変わってきている。仕事のスタイルを含めて全員が戦力となることを求めている。

・大切なのは、組織の中で変わるものと、変わらないものをきちんと見分けることだろう。
・本質の中の本質、つまり理念を変えないために、変えるところを変える、とも言えるのではないか。
・会読と協議を通じて、倫理観、徳の高さについていろいろと感じた。徳の高い人や、それを目指した組織が輩出される、わが国では渋澤栄一の一連の活動がその代表例のように思うが、それを可能とする社会背景は何だろうか。翻って最近は道徳を学ぶという機会が著しく減少してしまったと感じる。短期的な利益ばかり追う現代社会に危うさを感じている。


次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」第二期第15回(通算第70回)の東京読書会は、12月22日(木) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

「第2回 大阪読書会」開催のご報告

11月9日(水)大阪で第2回「サーバントリーダーシップ」読書会を開催いたしました。



本勉強会ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」から毎回10ページ~20ページを参加者で会読し、各自の感想や意見を自由に交換しています。

ご参加頂いた方からは「『犠牲』など翻訳上の問題か、民族背景の認知に依るものか真に言わんとすることが一人で読んでいては分かり難い点が、読書会で意見を交わすことで理解し易くなる感を抱きました」といったお声を頂きました。

大阪での次回読書会は12月13日(火)です。途中からの参加でも全く問題ありません(多くの方が途中からの参加です)。ご興味がありましたら、是非ご参加下さい。

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第二期第13回(通算第68回) 東京読書会開催報告

第二期第13回(通算第68回) 読書会開催報告
日時:2016年10月28日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期読書会、今回は第3章「サーバントとしてのトラスティ」の最後の1/3を会読しました。トラスティ(受託者)は組織におけるリーダーシップの実現の要(かなめ)として、グリーンリーフのサーバントリーダーシップ論で重要な位置にいます。そのトラスティの役割と機能について、参加者で議論しました。(今回の会読箇所:p.203 10行目からp.226 第3章の最後まで。グリーンリーフの付した小見出しを参照しています)








【会読範囲の紹介】
Ⅴ.情報 - トラスティの役割を再構築するための鍵
グリーンリーフは、「(近代組織で)トラスティが適切な役割を持たずに来た理由として、彼らにきちんとした情報が与えられなかったことが挙げ」られるとして、トラスティが経営者と同じ内部情報を得たり、運営の決断にも参加したりできないことを説明しています。しかしながら彼はそのことを受け入れつつ、「客観性と傍観者の立場によってトラスティの役割は強くなる」と述べています。そしてトラスティが得るべき情報は、以下の4つのトラスティの役割を果たすために必要なものと定めています。
1. 目標を定め、責務を決める。
2. 経営陣を任命し、トップの経営構造を考案する。
3. 組織全体としてのパフォーマンスを評価する。
4. その評価でわかったことを基にして、適切な処置を講じる
さらに「一般的には、組織内の規則の中にトラスティの行為が定められている。」と述べ、これらの情報の収集、整理、利用について考察していきました。
・トラスティは独自の評価のために「必要とする情報の量と質を、決断する分野ごとに決める」
・会長(chairman)、または会長専属スタッフがトラスティの情報量を監督する
・トラスティの判断を迅速にするためにも「視覚的情報」を多くして、トラスティ全体に提示する。
など「トラスティにどんな情報が必要かとし新たな分析と、トラスティが下す判断や決断を助けるために注意深く調整された提示方法」を検討しています。
こうした有効な情報は、その素質がある人に「トラスティがやりがいのある仕事だと思わせる」などの副次的効果をもたらすとも説き、「トラスティの下す判断が、組織によってなされた、または組織に関するすべての判断と同等になるように、トラスティに行動して欲しいと望むことが必要になる」とトラスティの行動への考察を深めていきます。

Ⅵ. トラスティの判断
「(特定の組織に関する専門的知識がないとしても)トラスティの判断は独特のもので、組織内部のどの判断とも同じくらい重要だ」とグリーンリーフは主張します。これは多くの組織において受け入れ難いものです。グリーンリーフは医療や学校などを例に専門知識を有する人による経営が通常となる中で、トラスティの意見や判断に経営者の判断と同等の価値を見出さなかったが故に生じた組織の危機に言及しています。グリーンリーフはトラスティの判断における以下のような特徴を述べています。それは、そのままトラスティの特性の特徴とも言えるものです。
・内部の人間が持ち得ない客観的な観点
・独自の情報源
・些事にとらわれずに将来の計画を立てられる
・職業的利害関係がない
・信頼の象徴となり、組織の正当性を擁護できる
・内部関係者が解決できない課題ごグループで創造的に解決
・歴史摘感覚を持って組織のビジョンを立てる
・最終目標への集中
グリーンリーフは、現代の多くの組織が「好機をつかもうという気持ちが欠け」、トラスティの重要性を潜在的にのみ意識しているが故に、「サーバントとしての若者を育成していない」という失敗を犯していると批判しています。組織の経営者と専門家は組織を管理できているという誤解があり、「途方もなく大きな判断ミス」の可能性がある中、トラスティの判断が「最後の砦」となると説いています。有能なトラスティの優れた判断、組織関係者に尊重される判断には、以下の「三つの判定」が必要であり、この三つの要素の良い点の融合がしてものが優れた判断である、と主張しています。
・優れたアイディア
・ひたむきな実行
・彼らを自由に使える資源がそろっていること

Ⅶ. トラスティシップの教育
グリーンリーフは、トラスティに対して「どんな存在であるべきか」というトラスティシップの概念化を促します。成果の維持を確実とするために、善良な動機から始まる信頼に「高い能力とその能力を維持する方法」を加える必要があり、優れたトラスティの役割を「集団のプロセスの一環として効果的に果たす」ための一つの方法として、コーチングを受けることを勧めています。「完璧さを目指して常に努力することが、信頼を得るための義務だ」とトラスティの厳しい務めを訴えるとともに、トラスティがコーチを育成していくことの重要性についても言及しました。21世紀の今日、コーチングという概念やコーチという「職業」は一般にもしられていますが、それらが確立していなかった本章を書いた1970年ごろにはとても斬新であったと思われます。コーチの役割は「心を一つにするという境地に達すること」。複数のトラスティからなる場合の判断が多数決などではなく、高いレベルのコンセンサスであるが故の提言です。

Ⅷ.「信頼された」社会 ? ひとつの可能性
グリーンリーフはこの説の冒頭で、「自らの立場に特有の信頼に応えるトラスティが多く現れる可能性を予測し、望んでいる」と述べています。さらに「権力は人を傷つけるためではなく、人に奉仕するためにあると主張する唯一の集団がトラスティなのだ」「信頼が必要とされるとき、まず頼られるのはトラスティだ」とその崇高な任務を掲げています。
「重要な問題が起き(たときに、われわれは)地位のある人に頼るのが普通だ」としつつ、そうした人たちが信頼を欠くことが多いことを指摘しています。地位のある人の多くが権力の運用に長け、信頼の対象となるように努めてこなかったことによります。
国家のレベルでも「進むべき道に関するビジョン」を示さねばならないこの時代において、「全てのボランティア組織でトラスティという役割がもっと意識的に利用されるべきだ」とグリーンリーフは主張します。

Ⅸ. 権力を備え、アイディアを持ち、人を従え、思いやること
グリーンリーフは、米国でモルガン財閥を興し、1913年に死去したジョン・ピアモント・モルガン(J.P.モルガン)をその冷酷さや独裁的な姿勢を差し置いて、「現代的な最初に意味での本格的なトラスティだったかもしれない」と再説しています(本章のⅠ.トラスティの役割 ― 現在、なぜ、充分ではないのか、今後は何が必要なのか (日本語版p.174-175)を参照)。グリーンリーフは、J.P.モルガンが「自分が望む組織を築くために、強力な人材が必要だと知って」おり、それは「彼が巨大組織に深い愛情を持っていた」ことによる、と観察しています。
グリーンリーフ自身はJ.P.モルガンの支援により設立、運営された企業(注1)に勤めています。その中で「自分が勤めていた組織の素晴らしさ」について、その企業にいるときは「偉大なビルダー(注2)」によるものと考えていたが、企業を辞めサーバントリーダーシップの研究を深める中で、「モフ間悪阻が第一の要因で、彼は先に述べたトラスティの四つの資質を備えていた(日本語版p.204、本報告の冒頭部分)と述べています。
(注1)米国最大の通信会社 AT&T、アメリカ電信電話会社。1980年代以降、多数に分割された。
(注2)セオドア・ニュートン・ヴェイル
グリーンリーフは組織を統べるために多少の権力の必要性を認めつつ「何よりも重要なのは、思いやりである。(中略)大半のトラスティには思いやりが足りない」と指摘しています。原著で「care」と書かれた「思いやり」がトラスティの重要な行動であるとの説明です。この「思いやり(care)」の重要性が認められないときは、辞任という強硬手段の行使についても有効な方法と述べているほどです。

Ⅹ. トラスティ固有のモチベーション
この章の最後で、グリーンリーフは、それまでの自説を振り返り「そんな行動をとる人はどこにいるのか」と自問しています。その疑問の真意は、教会、学校、財団など「社会を育てる組織」がトラスティの育成の重要性を認識していない、つまりトラスティが育成されていないことにあります。それに加えて、グリーンリーフはトラスティの資質を持った人材は十分にいると認識しており、そうした人材の主体的な行動に強い期待を寄せています。そしてグリーンリーフ自身、この時代の中での価値観の変化を感じ取り、「われわれは、優れた文化としての個人主義の終焉を目の当たりにしているのかもしれない」と予言しています。「時代遅れ」の烙印を押されたくない年配者は、その前にサーバントの資質を持つ若者に学ぶべきであるとの推奨もしています。そのことがトラスティの資質を持つサーバントを生み出す力となると考えていたのでしょう。グリーンリーフは、この章を彼の親しい友人であり、優れたユダヤの思想家、神学者であるアブラハム・ヨシュア・ヘシェルのつぎのことばで締めくくっています。「(前略)世界中が何かを高めたいとながっている。(中略)そしてそのクライマックスをゆっくりと、だが断固としてもたらすために、人間が求められるのである」

【会読参加者による討議】
・今日の会読範囲で、組織のトラスティの教育に「コーチ」を雇うと良い、という趣旨の話(p.213)があることに関心を抱いた。
・現代はコーチングも職業化して、さまざまなコーチが活動している。大組織の経営者に相応しいコーチともなると料金もそれなりである。趣旨をよく理解できる主張だが、実際問題として多くの組織でコーチを雇うことがコスト的に出来るのか、と疑問に思った。
・あくまで定義の問題だが、この章でグリーンリーフが主張している「コーチング」は今日的なコーチングとは、コンセプトが少し異なる。今日的なコーチングでは、これを受ける人の内面にあるものを引き出すだけで、コーチはアドバイスをしないことになっている。グリーンリーフは、コーチがトラスティに適切に働きかけることを想定している。

・組織のトップである一人のリーダーが決断する、という伝統的な、というか当然と思っていることも現代の企業経営で少し変化を見せている。
・10年ほど前に施行された「会社法」という法律に「指名委員会制度」という規定がある。簡単に言えば、次の社長に相応しい人物を委員会で討議して決めるという制度で、前社長や会長、オーナーが独断専行で社長を決めていた方法を改めるものだ。日本では食品業のカルビーや小売り流通のJ.フロント リテイリング(注)が代表例である。J・フロントでは、社長も委員会には参加しているが、そこで企業理念の確認、理念に相応しい人物の選定が行われる。具体的な経営計画、執行の経営は後日、執行を委ねられた人によって行われる。
  (注)大丸と松坂屋ホールディングスの経営統合合意に基づき2007年に設立された株式会社。
・企業経営の執行責任者である社長も実績や人柄などの要素で客観的に評価され、不成績の場合には強制的に交代させられる。
・社外取締役制度は米国が先行しているが、米国では「プロ社外取締役」とでもいうべきか、複数企業の「社外取締役」を兼ねて、社外取締役であることを生業(なりわい)にしているケースも出てきている。
・ここでの話を踏まえて、改めて、トラスティは短絡的な自己利益を求める人には務まらない、ということを痛感する。利己的な動機は組織の本当にあるべき姿を見通す阻害要因だと思う。

・日本には「百年企業」と呼ばれる長寿の企業組織が多い。それらの企業は短期の経済的利益よりもその組織の存立理由である理念を重視し、自らがそこに立っているかどうかを常に注意することで長期間存続している。
・その点では、昨今の米国では企業理念そのものが、安易に変換されることも多い。最近日米の食品メーカーが合弁を解消したことが報道されたが、これには米側企業の理念や考え方が変化して、日本側企業の考えと合わなくなり、合弁の継続を断念したという経緯がある。
・昨今の日本の大企業の不祥事を見ていると、決算の粉飾、製品検査データの改ざんなど、経営の根本的姿勢を疑わせるものが多い。外部から見ると明らかに不具合なことが多数の役員や職員の前でまかり通っている。トラスティの立場にある人の正しい導きは日本企業でも絶対に必要。
・企業会計や決算は、計算の基準が示されているだけなので、企業側がしっかりと考えて「これで良い」という信念を持つ必要がある。米国のエンロン事件では企業に不正の自覚があり、同時代の日本企業では、経営者など特定の人の企業内での生存のための「先送り」という事態もあった。

・この章の中で、なんども「思いやり」ということばが出てくる点に興味をひかれる。
・原書では「care」や「caring」と書かれているところを「思いやり」と訳語を当てている。
・「ケア」には「思いやり」とか「気にかける」といった日本語、あるいは医療や介護の分野で日本語化したケア以上に広い意味、いろいろな要素が盛り込まれたことばだ。千葉大学から京都大学こころの未来研究センターに移籍された広井義典先生が「ケア」と「コミュニティー」をテーマとして研究を進めておられて、それを手伝っているが、一言でいえばコミュニティーの形成にはボランティアな精神に富んだケアが不可欠だ。
・日本人の本質として「ケア」の精神が備わっているのではないか。
・欧米、ことに北欧での「ケア」には、日本人の「気遣い」とか「察し」といったことばで表されるものとは異なる積極性や行動性の意味合いが含まれる。ケアの精神やそれに基づく行動は北欧の人々の精神的豊かさの源泉となっている。
・サーバントリーダーシップの10の属性(本書 p.572-573)と「ケア」はつながるものがある。7月のサーバントリーダーシップ・フォーラムで「サーバントリーダーシップはOS(Operation System=コンピュータの基本システム)である」という説明があったが、サーバントリーダーシップがコンピュータのOSならば、ケアはコンピュータの回路に当たるのではないか。
・グリーンリーフの考えの中には、トラスティによる「ケア」に満たされたコミュニティーのイメージがあったのだろう。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」第二期第14回(通算第69回)の読書会は、11月25日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

第二期第12回(通算第67回) 読書会開催報告

第二期第12回(通算第67回) 読書会開催報告
日時:2016年9月23日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期読書会は、第3章「サーバントとしてのトラスティ」に入り、今回はその中ほどを会読しました。グリーンリーフのサーバントリーダーシップ論の中で重要な意味をもつトラスティ(受託者)について、組織論の視点で議論しています。(今回の会読箇所:p.181 9行目からp.203 9行目まで。グリーンリーフの付した小見出しを参照しています)



Ⅱ.組織社会のおける権力と多義性
■権力と権限 - 信頼の中心的課題
「トラスティ、経営者、スタッフ、そして外部の支援者。それぞれが権力を持っている」と書き出したグリーンリーフは、権力の様態として「説得力」と「強制力」を挙げつつ、「トラスティには(中略)組織内のすべてを管理できる法的権力がある」として、この法的権力がトラスティの役割の源泉としています。
グリーンリーフは「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」という英国の歴史家、思想家であるアクトン卿の格言を引きつつ、「トラスティには、権力の使用を監督する義務がある。(中略)これは大きな仕事だ」とトラスティの責任感を呼び起こしています。
「組織にとって本当に正当化されることはただひとつ、組織内の人々の資質が、組織に属していない場合よりも優れたものになることだ」という組織の意義と、トラスティによる権力の注意深い監督が必須であるという点を強く主張しました。
■組織の多義性 ? トラスティの理解という難問
「権力の行使に関するトラスティの懸念は、組織の中の社会が完全には論理的でない(それはどこの社会でも同じだが)せいで複雑なものになっている」として、グリーンリーフは「経営を実質的に麻痺させるような三種類の難問」を示しました。日常の中で組織の周囲に立つトラスティが体得、実現しづらいことがらです。
・「独断的でありながら、変化を受け入れられるという性質が運営には必要なこと」
組織運営の効率化のために行動がパターン化する。状況の変化を受け入れ、変革を起こすきっかけの役割をトラスティがもつ。
・「有能すぎてかえって無能に陥ること」
専門能力を高めていくと周囲の状況を客観的に見て目標を再設定する視野を失いがちである。トラスティは仮説の検証や容認の役割を持つ
・「信念と批判の間にある健全な緊張感の必要性」
トラスティは組織の健全性を維持するという観点で批判的であることが求められる。ともすればトラスティ自身の専門分野から「未検証の仮説」に基づく批判に止まり、組織を「仮説」で身動きがとれなくする。
グリーンリーフはトラスティによる批判に重要な意味を見出し、この後の節で思索を深めていきます。

Ⅲ.大きいとは - 大きさの意味するところ
グリーンリーフは前説を引き継いで思索を深める中で、大組織に焦点を当てました。小組織は大組織のコピーではなく、小組織対象の場合は別の展開があると述べています。
大企業に代表される大組織は現代社会の中核であり、ともすれば大きいこと自体で批判され、それに対応する行政機関は、組織を分割して競争原理を導入することが解決策だとしがちです。グリーンリーフは、「行政機関の持つ強制的な権力は、抑止には効果的」としつつも、彼が探求している組織の質を高めるという点では万全ではない、と主張しました。
「大規模であることの問題とチャンスは、非営利的な分野でも同じくらい大きい」として、グリーンリーフはその代表例である財団に言及しつつ、組織の役割の検討を進めます。
資金の不正利用を防止するために1969年に米国で施行された法律は、行政主導であったために財団の動きを束縛してしまいましたが、この動きにトラスティが的確な問題意識と対応をとっていれば、「アメリカの統治はもっと良くなり、組織自体はさらに強力で、より奉仕できるものになる」とグリーンリーフと訴えました。
彼は改めて「大規模な組織はチームの結びつきの中で結集し、小規模な組織には不可能な、専門性のある優れた才能を集めて、それを使うというチャンスがある。こうした才能の中で重要なものは、行政の木勢力をいつ導入するかを決め、効果的な法案に説得力をもたせて公表する立場になるための予見力だ」と新しいトラスティの役割の必要性と説いています。

Ⅳ.新しいトラスティの役割 ? どうすればより良くできるのか
■やり遂げることの問題
グリーンリーフはこの章を既存の組織の改良といったレベルではなく、「まったく新しい組織」、すなわち「より優れた奉仕が社会にでき、現在ある組織のどれと比べても、そして思い浮かべられるどんな組織よりも先を行く組織」を目標に書いています。グリーンリーフはそこに至る道に、社会の期待に応えるための努力の多くが行政や対抗権力(競争相手など)からの圧力により実施されること、リーダーは一人という思い込み、組織の運営が経営とスタッフにのみ委ねられる、という3つの障害を示し、これを克服するためにも真のトラスティの役割が重要であると主張します。

■トラスティの役割 ? 対応するのではなく主導する
事象の発生に対応する従来型のトラスティでは、望ましい組織の変革を実現できない、とグリーンリーフは唱えました。「人は誰しも完璧ではない(中略)完璧さというのは、対等なメンバーとして関わる人々と能力を補い合うことによってのみ見いだされる」として「運営の責任は個人にだけに委託するべきだという前提を覆」し、才能を補い合うチームの有効性と重要性を気づかせるように促します。そこには以下のような準備が必要と補足しています。
彼が挙げたのは、
・目標を定めること:組織がどこへ向かうのか、誰に奉仕するのか、奉仕を受ける人や組織が期待する利益
・パフォーマンスの再検討:トラスティが持つべき独自の情報源
・役員の育成と人選:大企業は自組織からリーダーシップを作り出すとともに外部からも受け入れていく。
・経営陣の編成:経営を客観視できるトラスティの立場からの編成。
・信頼の新しい概念(の形成):経営陣が自らの信頼を構築することを支援する。
といったことがらです。こうした任務の遂行により、トラスティは再生し、「組織のパフォーマンスについては、まったく新しい時代が到来し、大組織の経営者やスタッフの職業経験は豊かなものになるだろう。その結果、トラスティシップはさらにやりがいのある経験となるはずだ」と説いています。

■トラスティの会長
現在の対応型ではない新しい役割のトラスティには会長(chariman)に特別な人材を起用する必要がある、とグリーンリーフは説きます。さらにトラスティが経営幹部ではないこと、会長は同僚から選出されることがその条件です。優れた組織には会長のリーダーシップが優れていることが必要ですが、それに必要な資質を持った人材は多く存在するとグリーンリーフは予想します。そうした人材の学習には経験だけではなく、会長職の技術についての研究に裏づけられた研修が必要と述べています。

■新しいトラスティはスーパー経営者ではない
トラスティ(管理する人)と執行役員(経営する人)が別であるとのグリーンリーフの主張の中で、経営の領域を侵害しないようにトラスティが機能するために、「トラスティの会長が、会長として専門的な訓練を受ける」ことが必要、とグリーンリーフは説きます。会長を「ただその地位に据えられるだけの元経営者ではない」として、「正常に機能するトラスティがしっかり監督しなければ、絶対誰も、権力を運営に使えない」といった原則の遵守が必要要件としています。そして「大きな組織のトラスティや経営者になるべきではない人もいる」という事実を指摘しつつ、新しい仕組みではそうした不適切な人物も見抜ける、としています。

会読を終えて参加者による討議が始まりました。

・今回の会読を通じて、わが国で最近の企業再生の中核を人物のことを考えている。JAL(日本航空)に乗り込んで再生を果たした稲盛和夫氏、国鉄マンからりそな銀行の再生に携わった細谷英二氏(故人)、少し古いがIHI(石川島播磨重工)や東芝の社長、会長から行革のリーダーとなった土光敏夫氏(故人)。これらの人は直接の経営、運営の執行に携わるよりも、わずかに離れた場所から大所高所で方向を示していたように思う。
・今の話に関わるが、企業の再建人というと強烈な個性を持った個人を想像しがちだが、昨今は、産業再生機構という「組織」が企業再生をリードしている点が注目に値する。
・企業再生に限らず、大きな成果を挙げることをひとりで成し遂げたように語られることには疑問を抱いている。そうした人たちは周囲の助力を自然に引き出し、自然に取り入れている。

・これまでの日本企業には周知を集めるという性質がある。企業自体が短期利益の創出だけに血眼(ちまなこ)にならず、長期ビジョンを持とうとする組織の遺伝子のようなものがある。
・戦前、時に明治以前からの旧財閥では、三井家や住友家などによる財産の所有と番頭による店の経営の執行が上手に分離されていた、日常の経営は番頭が当たり、当主は大所高所から方向性を示す。両者を中心に絶妙の関係をもって組織の維持に当ってきた。

・昨今、いろいろな人の話を聞いていると会社の上司、さらには企業の経営者の立場にある人が部下や周囲からの直言を嫌がることが多いと聞いている。昔の方がその点でもっと自由闊達(じゆうかったつ)だったように思う。
・経済環境が低迷して利益が上がらないことが経営者の守りの姿勢につながっているのではないか。
・不況で豊かではないことが自由闊達なコミュニケーションの阻害要因だとなると、今よりはるかに貧しかった戦後しばらく、あるいは本当に貧しかった明治時代などに、社会的な気分として経営者が前向きな姿勢を持っていたことの説明がつかない。
・その点については、逆説的に「今あるものに縛られる」、言い換えれば失うものがあるために硬直してしまっているのではないか。
・自分の身近でも経営者自身が赤字で撤退が必要と認識している事業について、いざとなると撤退の指示が出せないということがある。
・組織運営の執行者である経営者は、環境によって将来のビジョンを描けず、必要な決断ができないという事態に陥るようだ。グリーンリーフの言うトラスティの必要性がよくわかる。

・グリーンリーフは、理想のリーダーやトラスティについて「対等な仲間によって構成される」という主張をしている。組織の中では、対等を標榜してもそれが不完全なことが多い。グリーンリーフは具体的にどのような組織体をイメージしていたのだろう。
・今回の解読範囲で、グリーンリーフが「信じることと批判すること」を両立して述べているのが印象に残っている。この信じることと批判することの両立が、普通はありえない対等を実現するための鍵になるような気がする。
・組織としての「目標を定める」ことで、組織の中に信頼関係が生まれると思っている。

・職場の新卒新人の若い人に、いろいろ手がけさせて小さな成功体験を積ませるように努めている。過去にも小さな成功をきっかけに、「全てにおいてだめ」との評価を受けていた人が一気に「できる人」になったことを目の当たりにしている。現場での正しい判断には知識とともに経験が必要不可欠だと思っている。
・ここまで会読して、討議しても「トラスティ」とは何か、正直まだわからない。自分の勤務先に、社長の他にオーナーの会長がいて、経営には入り込まないが相談には乗る。という方がいる。その方がトラスティに当たるのかな、と思っている
・今回の範囲を会読して「経営者との距離感」の取り方や「信頼の構築」について、改めていろいろと考えさせられた。

・グリーンリーフが唱える「組織にとって本当に正当化されることはただひとつ、組織内の人々の資質が、組織に属していない場合よりも優れたものになることだ」(本書 p.184)という組織の意義について強く同意する。複数の人が組織を形成して補完し合って成果を生み出すが、その「組織」の基本原則と言えよう。
・ホンダという会社は、本田宗一郎と藤沢武夫の二人が、両輪となって発展してきた。本田宗一郎が経営者、それを藤沢武夫が参謀として支えてきたと理解してきたが、今日の会読と討議を通じて企業経営者である藤沢に対して、本田がトラスティとして企業経営という枠の外から組織、会社の方向を示したのかもしれない、と思うようになった。
・人は完璧ではない。組織において個性を尊重して力を高める。そこでのトラスティの意義について、深く考えさせられる時間だった。



次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」第二期第13回(通算第68回)の読書会は、10月28日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

「第1回 大阪読書会」開催のご報告

9月23日(金)大阪で「第1回 大阪読書会」を開催いたしました。



本講座ではロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」から
毎回10ページ~20ページを参加者で会読し、各自の感想や意見を自由に交換しています。
ご参加頂いた方からは
「一人で読んでいれば深く考えないようなところも、皆さんの意見や思いを聞き、私自身も考えることでとても勉強になりました。」「他の人のいろいろな意見や見方を知ることができて、とても楽しかったです。ぜひ、続けて出席したいです。」
といったお声を頂きました。

今後も様々なテーマのセミナーを開催予定です。ご興味のある方は、ご参加下さい。
※今後のセミナー情報はこちらから

「第9回実践リーダー研究会」開催のご報告

9月21日(水)、ゲストに株式会社Join for Kaigo代表取締役の秋本可愛氏を迎え「第9回実践リーダー研究会」を開催いたしました。






秋本氏は「介護に関わる全ての人が、自己実現できる社会をつくる」をビジョンに掲げ、若者が介護に関心を持つきっかけや、若者が活躍できる環境づくりに注力されています。
当日は、日頃の活動やご自身のリーダーシップについてお話し頂くと共に参加者の皆様とも活発に意見交換をして頂き、大変活気ある会となりました。また、会の終了後には秋本氏を囲んで懇親会を行いました。
本勉強会は今後も開催予定です。次回開催内容が決まりましたら、順次ご案内いたします。

「サーバントリーダーシップ 入門講座 大阪」開催のご報告

9月9日(金)大阪で「サーバントリーダーシップ 入門講座」を開催いたしました。



本講座はサーバントリーダーシップとは何かを皆さんと共に学ぶ初心者の方向けの講座です。
ご参加頂いた方からは「『サーバントリーダーシップ入門』を読んで感動したが、一人ではなかなか深めることができなかった。今日は色んな方の話が聞けてとてもよかった」「サーバントリーダーになると強い決意を持ちたい」といったお声を頂きました。
今後も様々なテーマのセミナーを開催予定です。ご興味のある方は、ご参加下さい。

「サーバントリーダーシップ 入門講座」開催のご報告

9月6日(火)「サーバントリーダーシップ 入門講座」を開催いたしました。



本講座はサーバントリーダーシップとは何かを皆さんと共に学ぶ初心者の方向けの講座です。
ご参加頂いた方からは「自身を客観的に見ることができた」「想い、ミッションをもつことによりサーバントリーダーシップがはじめて発揮できることを認識しました」といったお声を頂きました。
今後も様々なテーマの勉強会を開催予定です。ご興味のある方は、ご参加下さい。

第二期第11回(通算第66回) 読書会開催報告

第二期第11回(通算第66回) 読書会開催報告
日時:2016年8月26日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期読書会は、第3章「サーバントとしてのトラスティ」に入り、今回は第3章の初め約三分の一を会読しました。トラスティ(受託者)は、グリーンリーフのサーバントリーダーシップ論の中核をなすものです。新しいリーダーシップのあり方を提唱したグリーンリーフは、自らの論説を「組織論」として、組織におけるトラスティの重要性を述べています。現代の組織では社外取締役や理事会がトラスティに近いものですが、本章を通してグリーンリーフの真意に近づきたいと思います(今回の会読箇所:p.165からp.181、8行目まで。またグリーンリーフは、この章にもたくさんの小見出しをつけて記述しています。)

グリーンリーフは「サーバントになることを選んだトラスティ(受託者)に対する支援について述べる」と本章を書き出しています。そして「どの組織でも(中略)パフォーマンスを最高の状態に近づけることができる。それには、決然たる態度で団結して業務にあたる(中略)組織のトラスティが、(人材や物的資源を)管理すればいいのだ」とこの章での主張につなげています。彼は多くの組織論が現状是認の上での組織の微調整の提言に過ぎないと批判し、トラスティに焦点を当てた新たな提案をしました。



■コンセプトの弱点
グリーンリーフは、現代(本論が書かれた1970年ごろ)の社会通念の欠陥として、組織におけるトラスティの適切な機能が定まっていないことを挙げています。その一方で、長い年月の中で「経営とは完璧なプロセス」が出来上がり、一人の責任者をトップに据えたピラミッド構造」という考え方が自明こととして人々に受け入れられていると指摘しました。「社会の質の低下を案じる人々は(中略)組織やその構造についてあまり配慮しない」という組織構造への関心の低さ、解決を行政機関に委ねたがると批判しています。確かに事件や事故の発生のたびに、これを「社会問題」として行政に委ねがちな姿勢も同じかもしれません。グリーンリーフは解決を委ねられた行政機関がその手法について「競争の導入」に固執しがちなことを指摘し、トラスティが有効に機能するべきとの主張を展開していきます。
■定義
グリーンリーフは、この箇所を「管理する(manage)」という用語の語源が、ラテン語の「manus=
手」、より詳しくは馬を導く手綱を持つ手を意味することを示し、トラスティの役割を「組織の計画的な活動の外に位置し、『管理する』こと」と説明しています。これをもとに、この章で重要な意味を持つ言葉の奥に潜む意味を解説していきます。(グリーンリーフは「定義する」と述べています)
・トラスティシッップ: 組織に対する公衆の信頼を一挙に預かっていること
・管理: トラスティの役割としては「目標を定めること」「トップの経営陣を任命すること」「組織の実績を評価すること」「(評価結果に基づき)適切な措置をとること」が挙げられる。そして会長(トラスティのトップ)は、トラスティがフルに機能するために必要なスキルを身につける。
・経営:トラスティによって構想され、トラスティが任命した常勤役員(ただしトラスティ自身ではないこと)が実行する。経営には「計画」「組織化」「統制」「支援」の仕事が含まれる
・リーダーシップ: 先に立ってやり方を示すこと。リーダーシップを取れる人がリーダーになることが重要である。
「『トラスティ』は導くが、経営はしない」「」『経営者』は経営し、導くこともある」「『スタッフ』は経営し(中略)導くこともある(中略)本来の役割は組織の任務をこなすことである。そしてトラスティは組織に対する大衆の信頼という特権を手にしており、最良の結果を生むことに関する責任がある。

Ⅰ トラスティの役割-現在、なぜ十分でないのか、今後は何が必要なのか
■トラスティの自発劇活動(イニシアティブ)-歴史的な前例
グリーンリーフは、1895年)から1915年までの20年での米国ビジネス界における重要ポイントとして、財務諸表監査が導入されたことを挙げ、その変化の中でのJ.P.モルガン(父)の対処を高く評価しています。「新しい標準」を受け入れたJ.P.モルガンをトラスティとして、以下の4つの基準、「組織への巨大な権力」「経営を超越した立場」「自らの影響力を組織の向上に利用」「組織のビルダー(創設者)を人選できる能力保持」を持つ人材と評価しています。
■従来のトラスティの役割の限界
グリーンリーフは「従来のトラスティの限界」として、トラスティに対するある種の通念を3つ挙げています。「彼らの共通認識」と呼ぶ3つの通念とは、
・組織内の幹部とスタッフが(中略)自分たちだけで構想を立て、組織の資源を利用(すること)
・自分たちのパフォーマンスの目標を定め、客観的に評価でき(ないこと)
・(組織の)幹部が出したデータを批判もせずに受け入れ(中略)、批評できる素養を身につけようとしないこと
であり、その通念が作用して「組織の経営が実際よりもはるかにうまく機能しているという錯覚」に陥りがちであると指摘しています。さらに、こうした名目的なトラスティの下ではリーダーの後継者に適切な人材が指名されないことが多いとも述べています。
ここから脱却するためには、
・従来のトラスティのあり方が不適切との考え方の確立とトラスティがそのことに気がつくこと
・組織の運営における権力の多義性について、トラスティが理解を深めること
・新しいトラスティの概念のもとでは、多数の組織のトラスティを兼務することが無理と気がつくこと
という「3つの条件」を満たすべきと指摘をしました。
■従来のトラスティは、信頼を築くような働きをしない
グリーンリーフは前項の「3つの条件」について、議論を深めていきます。
 (注)今回の読書範囲は前記の内、1番目の条件の展開のみとなっています)
グリーンリーフは名目だけのトラスティの役割は「法的要件を満たすこと」と「正当性を保つための隠れ蓑」に過ぎない批判しています。後者ではトラスティの中に黒人や女性、公人を一人だけといったような、世間体を気にした人材起用を例示しています。名目だけのトラスティ選定がトラスティ、経営陣、スタッフの誰もが自己責任の制限、縮小を目指す土壌を生み出し、「組織に奉仕され、組織に依存しているすべて人」に重大な損失をもたらす、と危機を提唱しています。ともすれば「トラスティがまったくいないほうが不信を招かないかもしれない」とまで批判される状態になります。

以上の範囲の会読を終えて、参加者の議論が始まりました。

・今回の会読範囲から企業経営における「所有」と「執行」の課題を意識せざるを得ない。「企業を所有すること」は普通にいえば、株主となることだが、その上位に企業が「公衆のために存在する」ということに難しさを感じる。
・企業が誰のためにあるのか、という問題では、昨年の大塚家具の一件を思い出す。既存顧客のために自社が開発した販売方法の経緯族を主張する全経営陣と新しい販売方法を主張する現経営陣。どちらが株主に信任されるか。新旧経営者が親子だったために面白おかしく書かれてしまったが、提起した問題の意味は大きい。
・昨今の事例では、セブン・アイ(7i)での実力会長による社長解任判断への社外取締役の無効判断や経営陣の合併判断に創業家として反対意見を表明した出光興産の件に興味がある。どちらも判断の良し悪しに最終結論が出ていないが、経営当事者以外の判断が鍵となるという点で、今後の動きに注目している。
・本書の170ページで、グリーンリーフはトラスティシッップについて「公衆の信頼を預かること」と述べている。先の出光興産の例で、創業家は社風の異なる会社との合併が従業員のためにならない、という理由を述べているが、これは従業員を公衆とみなしているといえそうだ。
・無論、公衆とは従業員に限らない。株主の場合や地域の住民といったケースもある。つきつめて言えば「自分以外」は、すべて公衆の範疇に入るように思う。
・その場合、公衆の利益とは利己/利他でいう利他に当たる。利他の一言でわかりやすいようではあるが、自由競争原則の下での企業活動としては、利他を実行することはかなり難しい。
・企業活動が最初から利益の全てを他人に譲るというのは非現実的。企業の業績つまり利益を上げることが安定的に実現できてきた中での「その企業の姿勢」が問われる。空海も「最初は小楽(自分の利益や楽しみ)求めることでも良いが、しかるのちに大楽(他者の利益や楽しみ)を求めるように」と説いている。
・公衆が求める利益にも二面性がありそうだ。上場企業の多数の株主は、株価や配当に関心があって数字上の業績を向上させることを経営に期待する。他方、周辺の地域住民はその企業の環境問題への取り組み姿勢と実績に関心を持つなど、経済合理性への評価も変わってくる。
・わが国では伝統的に、「三方よし」という経営の姿勢が高く評価されている。トラスティが自覚して守っていく必要がある。
・「三方よし」が「経営における視野を広くせよ」ということへの示唆か、具体的な利益配分についての基本方針か、とその意味によるが、一般的な意味での後者、利益配分のバランスという意味であれば、トラスティはこれに直接タッチしない。
・組織を導くトラスティ自身は「執行しない」というグリーンリーフの主張には目を見開かされたが、同時に実際の現場での適用の難しさを感じる。

・昨今、コーポレートガバナンスの観点で、企業組織や運営が変わりつつある。スナック菓子メーカーのカルビーは10年ほど前に同族経営から脱し、現在、社外取締役を交えた経営陣を形成している。取締役7人中、経営者である執行役員は2名で、5名は社外役員、外国人や女性を登用し、企業価値の最大化を目的として活動している。
・この1~2年の間に日本でも上場企業を対象に企業の説明責任など投資家に対する姿勢を定めたコーポレート・ガバナンスコードとともに、投資先企業の持続的成長に向けた経営に、保険会社などの金融機関、いわゆる機関投資家がより深くかかわるように、との趣旨で、機関投資家のあるべき姿勢を規定したステュアートシップコードが整備されてきた。
・企業価値とは株価と認識されているところがあるが、それに限らない。昨今、ESG投資という企業投資が注目を浴びている。その企業の環境(Environment)、社会(Social)、企業統治(Governance)への取り組み具合を評価して、高いスコアの企業に投資するという動きだ。企業統治のあり方では社外取締役の起用や女性の登用などが視点になっている。具体的に意識されているかどうかは別としてサーバントリーダーシップ的な要素が評価軸になってきている。トップ・マネジメント継承のルール、マネジメント就任期間や後任者の選任方法の透明化など課題は残っている。

・昨今はROE(自己資本利益率)経営が標榜され、短期利益を生まない新規投資を停滞させがちである。長期的な利益への関心の低さは企業の永続性に悪い影響を与えるのではないかと懸念する。
・自己資本利益の数値面の向上だけを目的とした自社株買いの流行など、指標に過ぎない数値が目的化している面はある。執行者だけが主導する組織運営ではそうした面への冷静な評価が困難になる。

・企業組織に限らず、学校現場にも変化がみられるようになった。学校運営に地域が参加するコミュニティー・スクール、学校運営協議会制度に基づく学校は、約15年の間に次々と増えて、現在は500校近くに増えている。学校の管理者である教育委員会が判断して地域社会が学校運営に参加する。この制度を含めて詳細の精査がこれからの課題である。
・地域社会の学校への関心は高い。地域が参加することで教育の質が向上し、生徒の募集にも影響している事例を見ている。自分の子供がたまたまそうした学校に通学していたが、学校生活には満足していた。
・学校教育の良否が評価されることの必要性は理解するが、評価指標が数値化され、その数値自体が目的化するとなると、教育に必要でありながら数値化されない部分が見捨てられるといった事態が生じないか、さらには生徒を選別し、それにもれた生徒を排除するようなことにならないか、懸念するところがある。
・その部分にこそトラスティとしてのリーダーの役割が期待される

これまでと異なり企業や学校などの組織という視点でのサーバントリーダーシップについて考える機会となりました。次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」第二期第12回(通算第67回)の読書会は、9月23日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

幕末維新のリーダーに学ぶSL研究会「第1回 西郷隆盛」 開催報告

第1回 西郷隆盛
日時:2016年8月25日(木)19:00~21:15
場所:レアリゼアカデミー
ファシリテーター:根本英明

いま、時代は大きな転換期を迎え、先が見通せない時代と言われています。
150年前の日本もまさに同じような過渡期を経て、幕末から明治へと大変革を成し遂げました。

司馬遼太郎は『明治という国家』の中でこう述べています。
「明治維新は、士族による革命でした。多くの武士が死にました。この歴史劇を進行するために支払われた莫大な経費―軍事費や、政略のための費用―はすべて諸大名が自腹を切ってのことでした。(中略)そのお返しが、領地とりあげ、武士はすべて失業、という廃藩置県になったのです。なんのための明治維新だったか、かれらは思ったでしょう。(中略)大名・士族といっても、倒幕をやった薩長はじめいくつかの藩、もしかれらだけが勝利者としての座に残り、他は平民におとすというのなら、まだわかりやすいのです。しかし事実は、勝利者も敗者も、ともに荒海にとびこむように平等に失業する、というのが、この明治四年の廃藩置県という革命でした。(中略)えらいことでした。」

歴史は今を写す鏡ともいいます。新たな時代を切り拓いた先人の考えや行動を学ぶことによって、私たちがこれからの時代を生き抜いていくうえで何か参考になることがあるのではと考え、この研究会を始めることとしました。



「西郷なくして維新なし」。初回は、維新の立役者である西郷隆盛がどのような学びや経験を経て、リーダーとして大きく成長していったのか、ここに焦点を当て、いま我々が西郷隆盛の思想や生き方から学ぶこと、さらにはサーバントリーダーとしてのあり方を探求していくことにしました。

私たちが西郷隆盛といってすぐに思い浮かぶ言葉は「敬天愛人」。西郷の言行録をまとめた『南洲翁遺訓』には「天」という言葉が頻繁に登場します。ここで有名な遺訓を2つ紹介します。
「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」
「道は天地自然の物にして、人は之を行うものなれば、天を敬ずるを目的とす。天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心をもって、人を愛する也」
内村鑑三は著書『代表的日本人』の中で「西郷は、その心の中に自己と全宇宙より、更に偉大なる『者』を見出し、彼と秘密の会話を交わしつつあった。彼は、すべてこれらのことを、直接『天』より聞いたのであると余は信ずる」
と語っています。

私が、西郷がサーバントリーダーであるとした理由は、私欲を捨てて「天」を基軸とした生き方にあります。

西郷は明治新政府の筆頭参議時代のわずか2年の間、実に数多くの政策を遂行しましたが、なかでも特筆すべきものとして、廃藩置県、廃刀令、徴兵制度、秩禄処分など一連の士族特権のはく奪があります。これらは、支配層がほぼ無抵抗のまま既得権を失ったという点で、世界史的にも稀な例だそうです。

こうしたことから、西郷隆盛はまさに日本の偉大なサーバントリーダーといえるのではないでしょうか。

我々は偉大なリーダーについて語るとき、往々にして話題になるのが、こうしたリーダーは天性の資質なのか、もしくは後天的に形成されるものか、というのがあります。
西郷の場合、おそらく天性の資質もあるかもしれませんが、彼の前半生を振り返ると、幼少期の環境や教育、壮絶な体験、社会に出てからは尊敬する上司の感化、引き立て、思わぬ挫折や逆境という体験を経て、大きく育っていったことがわかります。

研究会では、西郷が二度にわたる流島体験を経て、天下の桧舞台に登場するに至るまでの前半生について、さまざまなエピソードを交えつつ紹介させていただき、そこから参加者の方々が感じ取ったことを語り合いました。

本研究会は今後も定期的に開催予定です。ご興味のある方は是非ご参加下さい。

第二期第10回(通算第65回) 読書会開催報告

第二期第10回(通算第65回) 読書会開催報告
日時:2016年7月22日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期読書会は、現在、第2章を会読しています。
今回は第2章「サーバントとしての組織」の残り三分の一を会読しました。
この章はグリーンリーフの説くサーバントリーダーシップが組織の中でどのように発揮されるかを論じる論文で、グリーンリーフの社会論ともいえる内容です。
前回の会読範囲は現代の中心的な組織として大企業と大学に焦点を当てた個所でしたが、今回の対象は教会です。多くの日本人になじみが薄いばかりでなく、欧米においても人々の意識から徐々に遠ざかっているこの組織への新たな期待が語られています。
(今回の会読箇所:p.150行目からp.164、13行目の第2章の最後まで。またグリーンリーフは、この章はたくさんの小見出しをつけて記述しています)



■育成の最前線にいる教会
「教会は、他の現代の組織と同様に、革新的な変化を引き起こすかもしれない圧力や影響を受けている」と切り出したグリーンリーフは、若者が年長者に「社会としてうまく機能していない(中略)教会もほかの組織同様に不適切だ」と指摘しています。
自ら組織研究者と名乗る彼は、「教会とは、人間の宗教への関心を組織化したもの」と定義し、家庭が中心の時代の中で人間に影響を与える最大組織としての教会が成立していったと観察しています。
職場や学校の影響が強い現代において、教会の中には従来の役割を改めて「奉仕のための新しい機会を求める教会」「リーダーシップの士気を支える教会」も登場するだろう、とグリーンリーフは予想しています。

「育成の最前線にある教会の最初の仕事は、(中略)対等なメンバーによる社会のつくり方(後略)」による革新である、とグリーンリーフは主張しました。
強いリーダーシップを備えたトラスティの理事会、その第一人者である会長、そして教会の仕事をする大勢の第一人者とし働く司祭の存在。
さらに「将来は神学校が、育成の最前線にある教会 - ほかの組織を思いやるという仕事を引き受け、ほかの組織を導くことを自分たちの使命と考えている教会 - のコンセプトを打ち立てる強力な母体となると考えられる」と唱えました。
西欧キリスト教の歴史を知る人にとってはやや違和感があるかもしれません。
現代人、特に欧米や日本などの先進資本主義の地域において多くの人が心の問題を抱えながら、既存宗教から人々が迂遠になっている時代において、見逃すことのできない提言です。

■権限と強さ - 権力の問題
グリーンリーフは「次は、巨大組織の上部構造における、二つの基本的な変化について語ろう」と以下のふたつの点を指摘しています。
第一は時代とともに「サーバントとして優れた成果を上げる」ためのトラスティに託された‘組織を伸ばすための責務’は重くなること。
第二は「経営陣と組織のリーダーが対等なメンバーで構成されるグループ」となるように組織を構成し、仕事を割り振り、運営には立ち入らずにその働きを注意深く見守ることの必要性です。
グリーンリーフは、旧約聖書の出エジプト記に書かれたモーゼと義父のエテロの会話(出エジプト記 18章19節~23節)を引用しつつ、秩序を求める人間の本能的希求が権力の集中を生み出すこと、権力の濫用を防止するためにトラスティによる監視と牽制の重要性を主張しています。

■対抗権力の問題点
権力に対する重要側面としての対抗権力は、どの組織にもある程度存在し、権威ある者の権力の悪用に対する防御策であるとの指摘から始まるこの節で、グリーンリーフは「(対抗権力の存在は)人間が取り決めるすべての者にとって必要な条件だ、とトラスティは認識するべきだ」と述べています。

さらに、トラスティが従来からある支配型の組織編制にこだわり「自分たちにしかできないリーダーシップ」を採らず、経営陣やスタッフから反発をまねきがちであることを指摘しています。
「トラスティはまず新たな信頼関係の土台作り」を行い「もっと頭を働かせて組織及び組織に関わる全員に奉仕」というのがグリーンリーフの主張です。

■目標と目的
「トラスティが最高の影響力を及ぼすための第一歩は、組織の方向性を定めることである」とグリーンリーフは述べています。
さらに彼は「これはどんな組織で、どのような成果を上げることが望まれているのか。
奉仕を受けるはずの組織の関係者から、どんな基準で成果が評価されることをトラスティは望んでいるのか」とトラスティの組織への働きかけの役割に期待を寄せています。
トラスティは組織に最良のパフォーマンスを求めるためにも「組織の方向性を定め、目標と目的を明言すること」がトラスティの果たすべきもっとも重要な任務と定義しています。

■信頼と成長 - 理解するということの価値
グリーンリーフは経験や実証をもとにサーバントリーダーシップについて思索を深めてきました。
この節の冒頭、「本書で勧める内容に私が自信を持つのは、いままで書いてきたようなトラスティの役割に身を捧げる覚悟ができた人を、何人か知っているからだ」と彼の姿勢を示しています。
そして執筆当時(1970年頃)の米国で大企業、大きな協会、大きな大学が「優れたサーバントへと自分たちを効果的に押し上げてくれるトラスティの理事会を備えるとしたら」とその実行プランを想定しています。
そして、教会について、「すべての人々のために偉大な夢を描き、人々の視野を普通より高い位置に引き上げ、努力して向かうべき偉大な目標を与える」ことを期待し、今日の課題として「教会の役割は、トラスティを容認することだ」と述べています。
さらに彼は、人々に影響を与える組織全般について「どの分野においても、リーダーとして奉仕する人の数が増えなければ、組織への期待感を劇的に変えることはなしえない」「第一人者のいる対等なメンバーたちによって作られるトップのリーダーチームは、他のどんな方法よりも、リーダー育成に即戦力を発揮する。リーダーとは訓練で作られるものではない。リーダーは始めから有能な人間で、ビジョンや価値体系を付け加えられるだけなのだ」「リーダーに必要なのは成長するための機会と、後押しである。われわれの社会における大きな組織は、能力ある人間が育つ場所をもっとつくるべきだ」と厳しい提言を行っています。
「今のところは一人で十分だ - ひとりだけでいい」。
力による強制ではなく、共感と納得を重視したグリーンリーフらしいことばが最後に述べられています。

会読を終了して参加者の議論が始まりました。



・今回の読書範囲、あるいは本書第2章全般に限らないが、グリーンリーフは
 サーバントリーダーシップを発揮する上でのトラスティの重要さを何度も
 指摘している。
 「信託を受ける人」「受託者」という意味のトラスティについて、もっと
 イメージを広げていく必要を感じる。
・トラスティはわれわれの周囲ではさまざまな組織の理事会や企業の中の
 諮問委員会が実態として思い浮かぶ。
 だが、企業の諮問委員会などは会社組織の中で経営の下に組みこまれ、お手盛りの
 意見を表明する集団という感じしか受けない。
・自分は真のトラスティには「個人的野心を持たない」という資質が備わる必要が
 あると考えている。
 個人の短絡的な利益に対する欲求がないことから、ものごとを冷静に見て正しい
 判断ができる。
 そして、その正しい判断を組織にフィードバックする役割を担う能力も
 求められる。
・トラスティの立場にある人を正しく導くのもリーダーの重要な役割ということに
 なるだろう。
・本書第3章はトラスティに関する小論になる。
 引き続きしっかり読み込んでいきたい。

・今回の範囲のテーマにもなっている教会、すなわち宗教におけるリーダーシップを
 考えてみたい。
 近現代になって教義に変化はあるにしても、宗教は基本的に営利活動、もっと
 厳密には個人の独占的な欲求を満たす行為とは相容れないと考える。
・近代以前の生産活動は営利活動とはいえない。一方で宗教心、神仏を敬う心は
 人々の中にしっかり根付いていた。
・「襟を正す」という言葉がある。他の人に対する態度を表す言葉でもあるが、
 神に対する自らの心の姿勢でもある。
 この言葉をどれだけの人がきちんと聞くだろうか。
 襟を正さない、つまり手抜きの姿勢、これが周囲で意欲をもってものごとに
 取り組んでいる人のその意欲を削いでいるか。
・襟を正すということが神への姿勢であるということで、自分などは、
 「お天道さまは全てを見ている」ということを言われてきた。
 神が全てを見通しているというのも同じだろうが、他の人が見ていないと
 認識しているところでも、襟を正していくことの重要性の教えだった。
・お天道様の教えは、人的つながりの強い昔の社会、いまでも田舎などでは
 同じだが、お互いが全てを見ているのだよ、という面もある。
 自分の心のありさまは、隠しても結局は他人にわかってしまう、という意味も
 あるだろう。

・自ら希望して財務省から東北の震災都市に出向して副市長となった方の話を
 伺ったことがある。
 その方は、復興に向けた取り組み計画について人々が集まる集落ごとに筋道を
 立てて話をしていったそうだ。
 集落の責任者の理解を得てから、集落全員の同意が早い地区とそうでない地区が
 分かれていったので、観察してみると、集落に住む人たちとその集落のリーダー、
 かつて村長(むらおさ)と呼ばれた人との信頼関係が築かれているかどうかが
 大きな要素だと気がついたという。
 集落のリーダーが周囲から信頼されて、リーダーが行政、つまりよそ者の話を
 聞くことを容認されているかどうかが鍵だったとのこと。
・その集落で村長(むらおさ)がどのように村長になってきたか、そのプロセスに
 よって周囲の人たちとの関係が変わってくる、またなによりも普段から
 周囲の人と話をすること、つまりコミュニケーションをとっているかどうかが
 信頼度の大きな要素だと思う。



・キリスト教において人々は教会に集まりカトリックなどでは聖職者を介し、
 多くのプロテスタント宗派では牧師の支援によって、信徒一人一人が神と
 つながる。
 教会は信徒が集い、神と信徒のみならず信徒同志が心のつながりを持つ場である。
 グリーンリーフが教会さらには宗教に対してどういう期待を持っていたのか、
 考えていきたい。
・権力の悪用を防ぐという観点でのトラスティの役割についても深く追求していく
 必要がある。
 トラスティがその機能を発揮するためには信頼が大切だということも強く
 主張している。
 組織運営者すなわち権力者とトラスティが陽と陰の対の関係で補完する、
 もっと言えば権力の暴走を止めるために権力者をトラスティが取り囲むような
 姿が望ましかもしれない。
・グリーンリーフの小論から数十年を経て、現実の株式会社組織にも
 委員会設置会社のような制度ができてきた。
 その中味はどうか、となるとまだ期待に完全に応えたとは言い難いが、
 少しずつ変革が起きていることも事実。
・グリーンリーフが「リーダーは始めから有能な人間で、ビジョンや価値体系を
 付け加えられるだけなのだ」と書いてある箇所に注目している。
 リーダーの資質というものは、そのように先天的に決まってしまうのか。
・その点について、これまでリーダーとは部下やフォロワーを力や論理、
 あるいは人徳をもって一つにまとめて引率する人であり、リーダーシップは
 そのまとめる能力と思っていたが、最近は、「混沌とした世界の中で正しい道を
 見いだせること」がかなり類(たぐい)まれな能力であり、難しいことであると
 思うようになった。
 それがあるからこそ、グリーンリーフは方向性の決断から周囲を引率すること
 までの一人に集中させない、第一人者の合議が必要、ということを説いている
 ように思う。
 時代の大きな曲がり角にいて、この国と首都の将来を委ねる人物を、
 われわれ国民や都民がしっかりと選ばねばならないという状況に、
 真のリーダーを見出すことの重要性への思いを強くしている。

これで第2章の会読を終了しました。次から第3章「サーバントとしてのトラスティ」にはいります。
ロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」の次回、第二期第11回(通算第66回)の読書会は、8月26日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

幕末維新のリーダーに学ぶSL研究会

開催日: 2016年8月25日(木)
時 間: 19:00~21:15
会 場: レアリゼアカデミー(株式会社レアリゼ内)
住 所: 東京都港区三田1-2-22 東洋ビル6F
最寄駅: 東京メトロ南北線 「麻布十番駅」3番出口より 徒歩約5分
     都営大江戸線「麻布十番駅」6番出口より 徒歩約6分
     都営大江戸線「赤羽橋駅」赤羽橋口より 徒歩約6分
             ★地図を表示する

明治維新150年。この研究会では、近世から近代へと向けて日本の大変革を推進した先覚者たちのなかで、サーバントリーダーシップを発揮した人物に焦点を当て、共に学んでいきたいと思います。

■内容
【第1回目:西郷隆盛】
維新最大の功労者といえば西郷隆盛。海音寺潮五郎氏は「西郷を語ることは即ち幕末維新全体を語ること」と語っています。初回は、西郷隆盛がどのような人生経験を経て、リーダーとして大きく成長していったのか、様々なエピソードを交えてご紹介するとともに、いま我々が西郷隆盛の思想や生き方から学ぶこと、リーダーとしてのあり方などを探求したいと考えています。

最少催行人数: 5名
ファシリテーター:根本 英明(協会理事)
参加費用(税込)
◆一般  :2,000円
◆賛助会員:1,000円

第二期第9回(通算第64回) 読書会開催報告

第二期第9回(通算第64回) 読書会開催報告
日時:2016年6月24日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)は、前回から第2章「サーバントとしての組織」の会読に入りました。グリーンリーフは「対等なメンバーの中での第一人者」がリーダーとなる組織構造が現代社会に求められることを主張し、その中でのトラスティの役割に注目しています。
トラスティとは受託者の意味ですが、今回の会読範囲ではトラスティの任務と役割が組織から期待されていることについて考えが深まっていきます。
(今回の読書箇所:p.131、10行目から p.150、8行目まで。今回の会読範囲にもグリーンリーフは小見出しを付けており、これに沿って会読しました)



◆リーダーシップ - コンセプトと経営
「大組織において奉仕を通じて何かを達成するための主戦力となるのは、運営する人間とコンセプトを策定する人間が絶妙なバランスで混ざった経営陣だ。」グリーンリーフはこのように断定します。
そして、運営能力には「対人関係を丸く収めるスキル、周囲の状況を読み取る感覚、粘り強さ、豊富な経験、判断力、健全な倫理観、(中略)さまざまな特性や能力」を挙げ、コンセプト作成には「歴史の一部 - 過去と未来 - という観点から全体を見渡」たす能力が求められるとしています。
「このふたつの能力がバランスよく、うまく配置されていれば、大組織は高い水準のパフォーマンスを長く維持できる」と、組織のリーダーシップには「運営」と「コンセプト策定」の二種類の資質があり、それぞれにふさわしい人物を当てはめるように説いています。
グリーンリーフは、このことに関連して運営責任者がコンセプト策定者の重要性を認識しないケースが多いことを指摘し、この両者のバランスが取れない組織の将来性に警鐘を鳴らしています。
その二つの資質は、能力を持った人物でも切り替えることは難しく、またトップのリーダーシップに影響を与える有能なコンセプト策定者の数が少ないと述べています。
アメリカの鉄道会社など多くの企業が衰退したのは、コンセプト策定者の重要性を認識が不足し、「必要な組織編制の原則によって導かれ」なかったため、と述べ、「長期的な業績のためには、トップに立つリーダーの中に、有能なコンセプト策定者たちがきちんと組み込まれていることが不可欠だ」と主張しています。

◆リーダーとしてのトラスティ
グリーンリーフは組織が抱える問題として「組織が健全に機能するためには批評が重要だと認識できなくなってしまう」ことを挙げています。
そして、トラスティは課題に対処することが求められているとしています。
トラスティとは組織運営の執行には直接携わらないものの、組織の方向を定めることに責任をもつ人や組織を指し、一般に「理事会」や「諮問委員会」といった名称で設置される組織が該当します。
グリーンリーフは、現代の組織ではトラスティは信頼に基づく組織の正当性を明らかにしていくことが必要である、と説きます。
さらに「一人の責任者がヒエラルキー構造のトップに立つというモデルは時代遅れだ」として、トラスティによる組織運営の責任から離れた立場での役割と第一人者による経営陣の二つのチームが相互に連携していく組織が望まれると主張しています。
グリーンリーフは、この考えを基に、1970年前後の執筆当時のアメリカの代表的組織として「企業」「大学」「教会」を取り上げ、彼の考えを展開していきます。
(注)今回の会読範囲は、「企業」と「大学」についての論考の部分です

◆サーバントとしての大企業
グリーンリーフは「この四十年の間、大企業ほど社会の力に振り回された組織はない」と書き出しています。
この小論が書かれたのは1970年ごろであり、そこから半世紀近く経った現在も続く潮流です。
本論当時の大企業への社会圧力として、グリーンリーフは以下の3つを挙げています。

1、消費者(中心)の運動の圧力
2、環境の汚染と保護
3、若い人たちの変革への期待感を起点とする従業員への意義の付与

これらの3つの力が同時に作用していることで、「ふたつの重要な副作用が起きる可能性がある」として、ひとつめに「有益な仕事」の社会的意義を説きました。
グリーンリーフは「(前略)大多数の人は、報酬が得られる仕事をしたいと思うだけでなく、役に立つ存在になりたいと感じるようになるだろう」と述べています。
これが1970年前後の観察であることは注目に値します。
二つ目の副作用として「行政機関との新たな関係を築こうとする大企業が増えること」を挙げています。
企業のなすべきことの中に、社会利益の向上が挙げられるようになり、それを責務とする公(おおやけ)、すなわち行政機関との連携が重視されることを指摘しました。
グリーンリーフは、半世紀近く前にCSR(Corporate Social Responsibility)=企業の社会的責任の時代の到来を察知していたことになります。

◆組織としての大学
この小論が執筆された1970年ごろ、アメリカの大学進学率は50パーセントに達していました。
それまでの25年間で2倍以上に増えています。グリーンリーフは「従来の学術的環境に身を置く三分の二、もしくはそれ以上が違う形の教育を求めている」にもかかわらず、代案を出せない状況について「大学の信頼を預かる者たちの失敗のせいであって、経営者や教員のせいではない」として、大学の運営を任されたトラスティが役割と任務を持って大学の経営に対して以下のような行動をとるべきと説いています。
なお、大学のトラスティは、「理事会」や「評議会」がその任を負うことが多くあります。

1、大学の目標の明瞭でわかりやすい、行動に基づく言葉での表現することを主張(公共の利益を大学が常に追求すること)
2、現状の大学の目標達成度の確認と目標とのギャップを埋める方策の立案
3、前記方策の立案において必要に応じて大学経営に相談役を迎えることの提言、主張
4、目標達成が困難な場合の目標の再設定(率直、正直な点を尊重する)
5、前記の代案として、トラスティ自身が研究を積んで新たな目標を定め、変革を提案する
6、目標とそこに向けた綿密な計画が立てられた後の大学上層部の動きへの注視(必要に応じて、トラスティ自身の再編成)

こうした提言をしながら、大学という組織が学長一人のリーダーシップに率いられるのは、非現実的になっているとして、大学においても「強力な内部のリーダーシップと、これを援護する自発的活動」の両立が必要として「第一人者たちによる合議」や「コンセプト策定者」の設置が必要と定義し、そこへのトラスティの関与を主張しています。



グリーンリーフの小論を会読して、参加者による議論が始まりました。

・会読内容から組織のリーダーとしての「コンセプト策定者」が得難いということが読み取れる。
 なぜ、コンセプト策定者は生まれにくいのだろうか。
・スティーブ・ジョブズなどのように前例にとらわれずに新時代を開拓する能力を持った人が
 絶対的に少ないということではないか。
・企業内の多くの研究者も仮説を立て、実験と検証を繰り返しており、イノベーションの
 創出という点でコンセプト策定と同じことを目指している。
 人数が少ないのではなく、結果として成功する機会が少ないということが考えられる。
・コンセプト策定者には組織の枠にとらわれない思考が求められる。
 企業に勤める人はどうしても組織の論理に組みこまれてしまう。
 その企業の土壌の中で自己保身から組織に埋没してしまうことが多い。
 企業人が株主などのステークホルダーに萎縮しているのではないだろうか。
・企業では管理職が「管理している」という事実を求めてしまい、能力がある部下が
 能力を発揮できる環境を作ることから離れてしまうことが多い。
 少数であるが、企業によっては、そうした枠を超えて次世代のコンセプトづくりや
 イノベーション創出を促している。
 企業の中にDNAとして組み込まれて、それが長く続いているケースでは成功事例も多い。
・米国のシリコンバレーなどの新興企業を見ていると、そこに「失敗を許容する文化」が
 あるように見受けられる。
 今の日本の企業では失敗が許容されず、完ぺきを求められているケースが多いように感じる。
・企業によっては勤務経験の長い人に新しい提案を否定されて新参者が委縮してしまったり、
 逆に新しい意見ばかりが尊重されて古くからいる人がいづらくなるケースがある。
 本当のダイバーシティとは、異なる意見を受け入れるアサーティブな環境のことを
 指すのだと思う。
 こうした環境を作るにはリーダーに度量と自信が不可欠だ。
・東日本大震災からの東北復興支援で、若い人たちの復興事業に高齢者があえて口出しを
 しないと決めた自治体がある。
 その結果、いろいろなことの決定や実行が迅速になったそうだ。
 もちろん高齢者も生活拠点として、そこにいることができる。
 いろいろなことがうまく回転しているようだ。
・グリーンリーフは企業組織を牽引するリーダーとして、「運営者」と
 「コンセプト策定者」の二種類の人材を挙げているが、「運営者」としての仕事は
 若い人に向いているのではないか。
・自分はむしろ若い人の中に「コンセプト策定者」に向いている人がいるように思う。
・人間は年をとると思考が硬直化して、自分の価値観を絶対視しがちと思われがちだが、
 人によっては年齢を重ねても自己変革を実現する人がいる。年齢だけの要素では
 判断できない。
・ビジョンを持った人が自己変革を可能としているように思う。
・ビジョンや理想ととともに、クリティカルシンキングができるかどうかという
 スキル面も重要と考える。

・最近の米国の様子を見ていると、一流大学の優秀な成績の学生が就職先として
 高報酬の金融機関などを避け、自ら望んで社会貢献のためのNPOやNGOを選択しる
 ケースが見受けられる。
 リーマンショックを節目に、若い人の価値観が変わってきた。
 日本でも若い人が会社勤めでは疲弊しているが、復興支援のボランティア活動を
 いきいきとやっているようなケースが見受けられる。
・今、多くの職場で勤労から満足感が得られない。自己実現欲求、承認欲求を
 満たす場が企業の外にあるということだろう。
・大学の課題は、学生に対して学校がどのように「奉仕」すべきか、ということ
 でなはいか。
 残念なことに多くの大学が学生ではなく、学校行政に「奉仕」というか、
 おもねっているように感じられる。
・日本での少子化による経営難に直面する中で、地方大学の中にかなりの経営努力を
 重ねている学校もある。
 ある地方私立大学では、もともと地方公務員になる学生が多かったという実績を
 踏まえて、学生を就職させるための行政との連絡や連携の強化、留学生の受け入れと
 日本人学生の交流、スポーツ強化による知名度や好感度の向上など。
 自らが競争にさらされていることをよく自覚した経営をしている。
・大学の現場は直接見ていないが、勤務先に就職してくる新卒新入社員を見ていると、
 優秀で器用だが、自分で考えるのは苦手という人をよく見かける。
 文系、理系ともスキルの伝授だけではなく、リペラルアーツの強化、自分の頭で
 考えるという意識の養成にも注力してもらえればと願っている。
・自分の頭で考えるという点は幼少のときから習慣づけないとなかなか体得できない。
 欧米の学校では年少者にもディベートをやらせているということ。
 見習ってもいいかと思う。
・ボランティアで子育てセミナーを支援しているが、この問題は根本的には
 幼児教育にまで遡るという意見もある。
・日本の大学は、戦後復興、高度成長の中で、公共の利益に資する人を優秀な
 産業戦士と定めて、これの養成に注力してきた。
 公共の利益と何かを認識する点で、まだ改革ができていない。
 今の時代の「公共の利益」について真剣に検討し討議していくことが求められている。



・今日の会読範囲で、坂本龍馬が幕末のコンセプト策定者であったと感じた。
 彼は私利のための報酬を求めず、そして暗殺ではあるが彼の役割を終えるとともに
 世を去った。次の時代を切り開くコンセプト策定と社会への奉仕の姿を見た気がする。
・自己成長を目的とする自己の内側からのモチベーションと外部から与えられる報酬を
 目的とする外側からのモチベーションということを考えた。
 外側からのモチベーションによる努力は報酬が目的となることで自己成長欲求を
 失うことが多い。
 自己成長欲求に奉仕の精神が加わることで、成長欲求が自己のみの成長から
 他者の成長にまで拡大する。
 他者の成長はサーバントリーダーの属性の一つに挙げられている。
((注)ラリー・スピアーズによる「サーバントリーダー10の属性」(本書p.572-p.573)の9番目に「人々の成長に関わる」が挙げられている)
・運営者とコンセプト策定者のバランスが重要との論考だったが、運営者には
 「やり遂げる」という重要な任務がある。
 やり続ける限りは失敗ではない、成功の途上だという意識での継続が
 新しいコンセプトを実現すると確信している。

次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」第二期第10回(通算第65回)の読書会は、7月22日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

「サーバントリーダーシップ 入門講座」開催のご報告

6月22日(水)「サーバントリーダーシップ 入門講座」を開催いたしました。



本講座はサーバントリーダーシップとは何かを皆さんと共に学ぶ初心者の方向けの講座です。

ご参加頂いた方からは「社員の幸せ、会社の発展に必要な考え方(だと思った)」「今まで他の仕事をしていたスタッフを仲間に迎えてリーダーとなった今、良いタイミングでサーバントリーダーシップを活かしていこうと思っています」といったお声を頂きました。

今後も様々なテーマのセミナーを開催予定です。ご興味のある方は、ご参加下さい。

第二期第8回(通算第63回) 読書会開催報告

第二期第8回(通算第63回) 読書会開催報告
日時:2016年5月27日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)は、今回から第2章「サーバントとしての組織」の会読に入ります。グリーンリーフは、組織が機能や成果を高めることにおけるリーダーシップ役割について常に考えていました。それは集団の中での上位者の部下に対する対応、人間関係のあり方にとどまりません。
グリーンリーフは、第2章冒頭で「(前略)最近思いやりとは、おもに人と人との間のものだった。だが、今では組織を通じてやり取りされるものが多い」として、公正で創造的な社会を作るために、「既存の巨大な組織の奉仕する能力を高め、サーバントとしての成果を高めること」が最良の方法であると主張しています。そして本章でそれを検証していくので、米国の巨大組織である教会、大学、企業のトラスティ(受託者)に読んでもらいたいと述べています。トラスティ(受託者)とは、社外取締役など組織の最高機関に位置しつつ直接の執行に関わらない人々を指しています(このことは第3章で詳細に語られます)。
彼は社会の改良に向けた変革には、「巨大組織の意義深い前進のために貢献する」人の重要性を認めています。第2章の冒頭箇所からグリーンリーフのことばをいくつか引用してみます。
「組織の形態は、課された使命に最も適切なように(中略)選ばれるべきだ。」
「現代の新しい必要条件は、組織に対するより高レベルでの信頼だ。“信頼”が今の緊急課題であり、そのためにトラスティの役割を広げる必要があるのだ」
「(教会、大学、企業というアメリカ社会の代表的)組織は二十世紀の最初の五十年間で、平均的なものから並外れたものへと変化を遂げ、再び凡庸なものに落ちてしまった」
第2章の冒頭に引き続きグリーンリーフは小見出しを立てながら著述を続けています。これらを概観していきます。



■組織の質の危機
組織の質の低下は、「構造や仕事のやり方に注意を向ける前に、突然、”優良”というものの基準他変わった」という状況によってもたらされた。この問題は「比較的新しい」ものである、とグリーンリーフは述べ、また多くの人は組織を「利己的に利用される非人間的な存在だと思って」おり、人間に対するような思いやりを組織に注がないことを指摘しています。彼は批評家による組織の分類を引用・要約して「行政機関」「ビジネス慣行」「医療や社会福祉」「現代の大学」「教会」が見せる問題点を指摘しています。グリーンリーフは、その指摘について非難が目的ではなく「実質的な対策を講じる」ことが喫緊の課題であるとして、その対策に対するトラスティの役割に期待を寄せています。

■トラスティ ? 組織再生の第一歩を踏み出す者
「より奉仕できる組織を作るなら、奉仕したいと考える人は自力で、自分が所属するこの組織のビルダー(組織の創設者)となるべきだ。」グリーンリーフはこのように書き出しています。そこを起点に組織の奉仕能力向上における理事会、すなわちトラスティの役割の重要さに言及しています。そして「トラスティにとって最も重要な資質は、組織を思いやる気持ちがあるということ、つまり組織が関わるあらゆる人間に配慮するという点だ。」と組織におけるリーダーのあり方に独自の主張を展開しました。グリーンリーフはさらに、「トラスティが問いを発することで組織の目標が定められ」、また「トラスティと経営陣が組織の目標と計画を理解し、受け入れていることを確認するのは会長(chair)の責任」と述べ、会長についても「新しいタイプのリーダーシップと、会長自身が成長するための新たなキャリアのパターンが必要となる。」と述べています。

■組織編成 ? おろそかにされた要素
この節の初めにグリーンリーフは、「トラスティが問いを発したり、主張したり、物事を識別したりするために、持っていたほうがいい知識を論じていくつもりだ。」と述べています。「1.目標と戦略、2.組織編制、3.実行」の要素を列挙した上で「この三つを総括するのが‘リーダーシップ’である。」と整理しています。「リー大シップは全体のプロセスに一貫性を与えて動的な力をもたらす」。グリーンリーフは、この後、組織編制に焦点を当てて彼の理論展開を行っていきます。

■組織編成の構造 ? 公式な部分と非公式な部分
グリーンリーフは「巨大組織の構造を検証するとき」には、組織の「公式な部分」すなわち明確な計画や仕事の手順とリーダーシップに負うところが多いところと「非公式な部分」に分けることを推奨しています。そして、非公式な構造はリーダーシップに従う部分が多く、そのリーダーシップについて、「目標を立て、機会を逃さずに挑戦し、人々の意欲をうまく利用して、賢明な優先樹をつけ、最も重要なところに財源をつぎ込む」、「不評を覚悟で冒険しようとする人を励まし、避難所の役目を果たす。より良いことをしようとする人の倫理的な行為や創造的な方法を支える」と力強いことばを連ねて説明しています。規律とリーダーシップの組み合わせが組織の力を高めることも、削ぐこともあることを指摘しつつ、大組織にはこの両者の健全なレベル緊張感が必要というのが彼の思想です。

■組織編成 ? ふたつの伝統
グリーンリーフは組織編成にはふたつの伝統がある、その一つは「ヒエラルキーの原理」、すなわちピラミッド型の構造の頂点に一人の責任者が立つことであり、もう一つが古代ローマで primus inter pares (ラテン語)と呼ばれた「対等なメンバーの中の第一人者」であると説明しています。現代において組織の責任者が前者の構造で選ばれることを危惧しつつ、後者の構造へのリーダー選択について、「まずトラスティの態度と役割を適正なものに変えること」を提唱しています。

■組織編成 ? 一人の責任者という概念の欠点
「どんな人も自分一人では完璧でいられない」、グリーンリーフはピラミッド型組織のトップリーダーがもつ危険性をこのように表現し、その頂点にある人は部下とのコミュニケーションにフィルターがかかることを指摘しています。この状況から「(頂点のトップの)自己防衛的な全知全能イメージ」が醸成されがちで、「(トップは)真の孤独に耐えなければならない」ことに言及しています。「ひとりの人間の支配という考えが広く支持されるのは、必要なときに決断力が発揮されるからだ。」と説明しつつ、組織の巨大化の中でその構造が維持できないことを次のように指摘しています。「大きな組織のピラミッドの頂点にぎこちなく立つ典型的なせい人者は、きわめて重い荷を追っている。仕事が多すぎて潰れてしまう人が多すぎる」 さらに大組織において「結局、責任者は血のかよった人間ではなくパフォーマーになってしまい、最も大事な創造力が弱まる」という近代的な大組織の欠陥を指摘します。

指定範囲の会読を終えて参加者の意見交換が始まりました。

・今回の会読範囲から巨大組織の変革の難しさを痛感する。一方で企業を中心とした組織の巨大化はいわば社会の進歩の証拠という面がある。巨大組織は運営が悪い方向に流れると、これを止めることが難しいという固有の苦しさがある。
・組織というものを「指揮・命令系統」と同義で理解し、組織を「指揮・命令系統」の一軸で構成していってしまうことが多い。そうした組織では、仕事がタコツボ化して公式に横のつながりを求めていくのは結構困難だ。会社はその一方で、従業員同士の横のつながりや一体感を強調するなど、なにかしら折り合いをつけようとはしているが、その場しのぎ的な感じがする。
・最近の企業不祥事を詳細に検証していくと指揮命令系統の強化で組織運営の合理化を図ることの怖さが垣間見えてくる。
・日産自動車にカルロス・ゴーンが来たときのいわゆるゴーン革命は、組織横断的な能力を活用するクロス・ファンクショナル・チーム(CFT)と業務改善手法のV-upの二つが目玉だった。前者は組織に設定されたテーマごとに社内から能力のあるメンバーが招集され、テーマが設定された組織の課題解決に協力した。招集した組織の指揮命令系統が縦糸とすれば、CFTメンバーはリーダーシップをもつ横糸といった存在である。



ヒエラルキーに原理よるリーダー(図1)と対等な中の第一人者(図2)(本書125ページ)

・本書125ページに図版もあるが、ヒエラルキーの頂点にただひとりのリーダーが立つ伝統的な組織(図1)と対等な中での第一人者がリーダーとなる組織(図2)を見ながら、明治憲法、つまり大日本帝国憲法での内閣総理大臣についての解説を思い出す。明治憲法下では総理大臣は他の大臣と横並びで、内閣は天皇統治の下で各大臣が相互に助け合って国を支える形になっていた。これは明治維新に貢献があった元老が協力して明治の国づくりをしたことを継承したものである。ところが元老が引退するとともに、目に見えないヒエラルキー、権力の集中が発生したというものである。
・複数の人の合意による組織の形成は、ほとんどのケースで「対等な中での第一人者」をリーダーとする(図2)スタイルである。やがて組織運営の合理化のために組織の頂点にリーダーを置く(図1)スタイルが採用される。組織が大きくなり機能を整理、充実させていく過程で、組織の中に部や課のような下位の組織ができてヒエラルキーが重層的に構成される。そうした経過の中でも「対等な中での第一人者をリーダーとする」考えがきちんと担保されていることが良い組織の条件だ。
・組織がヒエラルキー化する中で、構成員がもつ情報に格差が生じることがある。ある情報をトップは知っているが、他のメンバーは知らないということだ。この情報格差が支配の能力の源泉になることもある。こうしたことが組織の性格、さらには文化になり、組織構成にも影響してくることを見聞している。

・組織運営の実態ということからすると「ヒエラルキーの頂点にトップを置く」(図1)スタイルの方がはるかに楽である。それゆえに多くの組織がトップを定めて、その人物に組織運営を委ねている。企業などの組織が一定期間を経ると、定年退職と新入社員の入社のような人の交代が発生するが、その人物の知見の差は、「対等な中での第一人者」(図2)を選択する方法に限界を生じる。
・一方で、対等な中での第一人者を選ぶ方法は組織の限界を突破するイノベーションの源泉にもなりうる。この長所をうまく生かしていくことが今の時代に求められている。
・「対等な中での第一人者をリーダーとする」(図2)という組織構成が運営効率性の面で問題があることは確かだ。だが組織にしっかりした戦略があれば、権限・分掌を明確にしない「第一人者」方式でも高い生産性を出すことはできる。
・米国の軍隊は規則で組織内の権限を詳細に定義するが、同時に上に立つ者が部下の信頼を得ていないと成り立たないようになっている。戦闘においてリーダーは先頭で率先して部下を率いねばならず、部下を前に出して見殺しにことは組織文化として許されていない。
・前述の日産自動車のクロス・ファンクショナル・チームのケースを含め「第一人者をリーダーとする」組織では、常に「非凡なるもの」を求めていかないと組織自体が陳腐化していくように思われる。
・製造業に勤務しているが、勤務先の中で営業組織は権限を明確に定めた組織構造になっているが、研究開発部門は研究者ひとりひとりの自主性を重んじたフラットな組織構造になっている。それぞれの部門がお互いの構造と思考・文化を理解しないと無駄な対立ばかり起きて、イノベーションの創出ができない。構造自体も重要だが、それを理解して受け入れるという姿勢も大切だと思う。

・組織の中で「対等な存在」が本当に存在するのだろうか。米国では組織内の人種の比率を規則で定めて遵守させるということも行っている。本当の横一線がいかに難しいかを感じる。
・組織とは本来、「人」に奉仕すべきもの。現代はこれが逆になっている。特に最近は自分が生き延びるために他人を不幸にしようとする動きも目立っている。組織がサーバントであり続けるためにどうすれば良いか、いろいろなことを感じる。

今回も熱い議論が展開されました。この論説が書かれてから数十年、先進国の企業組織は取締役会の独立性を確保する法整備など大きく変貌してきましたが、組織が人に奉仕するための構成という点での評価が期待されているようです。
次回のロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」第二期第9回(通算第64回)読書会は、6月24日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

第9回 近代の優れたリーダーに学ぶSL研究会 開催報告

第9回 近代の優れたリーダーに学ぶSL研究会 開催報告 広崎仁一
日時:2016年5月24日(火)19:00~21:15
場所:レアリゼアカデミー

サーバント・リーダーシップは経営活動における「リーダーシップ哲学」であるとともに、すべての人が目指すことのできる「生き方」そのものであり、その人の人格や価値観に深く根ざしています。
そしてサーバント・リーダーとは、自分の使命を見出し、進んで人と社会に仕え、その「生き方」を通して、人々に“良い感化”を与えている人のことです。

今回は「宅急便」の生みの親であり、また現役引退後は“ヤマト福祉財団”を設立し、障害者福祉に全力を注いだ ヤマト運輸元会長の小倉昌男氏の生涯を取り上げました。
小倉氏は物流革命を起こし、日本経済界のランドマークのような存在です。その小倉氏が残した業績や「生き方」から、サーバント・リーダーシップの本質やその要素について共に学ぶひと時を持ちました。



はじめにこれまでの小倉氏の歩みを振り返りながら、その功績や取り組みに関する感想や気づきについて話し合いました。その後 SL研究会担当者(拙者)より、「優れたサーバント・リーダーの人間力の要素」~サーバント・リーダーの「生き方・あり方・(能力)」を構成する要素~として、以下の10項目の提示(仮説)がありました。

1.謙遜さ(Humility)
2.大義を抱く(Visionary)
3.高潔さ・真摯さ(Integrity)
4.奉仕する・尽くす(Service)
5.犠牲を払う・献身的(Sacrifice)
6.任用する(Empower)
7.元気づける(Energize)
8.熱意・信念(Zeal)
9.胆力・決断力(Courage)
10.やり続ける挫けない心(Execute)

 この切り口で、小倉氏の「生き方・あり方」をまとめると以下のようになります。

1.謙遜さ(Humility)
・謙虚で旺盛な学習意欲を持っている。
・自らの手柄を語ろうともせず、つつしみ深さを持っている。
・飾らない人間性を持ち、自分を特別扱いしない。

2.大義を抱く(Visionary)
・「宅急便」という新業態をゼロから開発し事業化した。
・障害者の月給を1万円から10万円に引き上げた。
  →「夢のような話」の実現を目指した。

3.高潔さ・真摯さ(Integrity)
・高い倫理観を持つ。
  →企業が永続するためには、人間に人格があるように、
  企業には優れた“社格”がなければならない。
   人格者に人徳があるように、会社にも“社徳”が必要。
・三越百貨店との取引破棄
  →当時の岡田社長の倫理観の欠落がどうにも許せなかった。
  経営者に必要なことは倫理観、利用者に対する使命感。
・一旦退いた会長に復帰
  →営業所長など現場のトップが車両や荷物の事故を
  本社に報告せず隠すケースが増えていた。 
  →倫理や規律を取り戻すために会長に復帰し大掃除をした。

4.奉仕する・尽くす(Service)
5.犠牲を払う・献身的(Sacrifice)
・サービスが先、利益は後
→この順序を間違えたらいつまで経っても赤字で、お客様にアピールできない。
   良いサービスを徹底してやればお客様が喜んで下さって、荷物は増えていく。そしてそれが利益を出す源泉となる。
・私財46億円を投じ「ヤマト福祉財団」を設立
・経営セミナー開催への時間・エネルギー・資金投下
・スワンベーカリーの開店に尽力
  →恩着せがましさがない、「して上げた感」がない   
●ノブレス・オブリージュ(地位の高い人の義務)の生き方を実践している
     
6.任用する(Empower)
7.元気づける(Energize)
・サービスは第一線の社員がやる。彼らがやる気を起こすか、
 起こさないかでこのビジネスの勝負が決まる。
 命令や監督をしない労働を実現しなきゃいけないと思った。
 自発的、自律的な労働。 <逆ピラミッドの発想>
・「全員経営」という言葉を作り、
 第一線の社員がみんな社長と同じ気持ち、同じ考えで経営する。
・障害者の能力を引き出して任用する。
 ノーマライゼーションで障害者に笑顔が溢れる。
   
8.熱意・信念(Zeal)
9.胆力・決断力(Courage)
10.やり続ける挫けない心(Execute)
・これまで誰もやらなかったことに挑戦する。
 そして、絶対にやり遂げるという覚悟を固める。
 →「人がして欲しいと思うことをする」
・初めは四面楚歌。全員反対からスタート。
・官僚との闘い:運輸省、郵政省、厚生省との闘いに勝利する
・郵便以外の新しい物流インフラの構築
・福祉の現場で「経営改革」「意識改革」に取り組む

 また今年出版された「小倉昌夫 祈りと経営」を通して、外では「官」と闘いながら、家庭内でも大きな闘いがあったことを知りました。

最後に研究会に参加された方々の発表やアンケート結果からは以下のような意見が挙がってきました。
・まずは「サーバントファースト」をキーワードに行動したい。次にビジョン(大義)について自己形成していきたい。
・サーバント・リーダーシップは手法ではなく考え方(哲学)である。
・優れたサーバント・リーダーの要素に、Empower & Energize がある。
・小倉氏の生涯を通して、サーバント・リーダーシップをより身近に感じることができた。
・人を動かすには順番が重要である。まず「仕える」ことから。
・小倉氏の私生活が、人生後半のヤマト福祉財団設立に繋がっていることを知り、きわめて興味深かった。
・大義に基づいたビジョンを作り、周りに宣言していきたい。
・サーバント・リーダーシップは哲学であると同時に行動であることが腑に落ちた。
・リーダーシップはスキルではなく哲学であり徳である。
・やり続ける挫けない心を持って、実践コミュニティ作りを地域と企業で継続的に努力していきたい。
・小倉氏の志の高さ、視点が高くぶれない点、人々に多くの良い影響力を与えたことを学んだ。
・多くの情報に基づき、大変勉強になる内容でした。想い、信念の大切さを改めて感じました。
・高潔さ、信念の強さの重要性を学びました。これからは何が大事かを教え、人にサーブしていきたいと思います。
・小倉氏の生き方を通して、Integrity を貫く姿勢と、それがもたらす周囲への Empowerment や影響力、効果を学びました。
・サービスを先にして、仕事をすること。弱い立場の人のために仕えることを学びました。
・小倉氏を福祉に注力させたものが理解でき、深く感銘をうけました。またフォロワーを働きやすくする特性が整理して学べました。
・自分もより正しくリーダーシップを行えるようにしたいと思います。
・高潔さ、倫理観を持ち、成し遂げる熱意が、小倉氏の人生から伝わってきました。

第二期第7回(通算第62回) 読書会開催報告

第二期第7回(通算第62回) 読書会開催報告
日時:2016年4月22日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期読書会は、前々回から本編を会読しています。今回は第1章「リーダーとしてのサーバント」の残り三分の一を会読しました。この章はグリーンリーフのサーバントリーダーシップに関する初めての諸作(元は小冊子)を転載したものであり、サーバントリーダーシップに関する彼の思想の骨格が記述されています。(今回の会読箇所:p.84、11行目からp.106、15行目、第1章の最後まで。またグリーンリーフは、この章はたくさんの小見出しをつけて記述しています。)

■そして、今!
グリーンリーフは、ウールマン、ジェファーソン、グルントヴィ等の草分けのリーダーシップは、既存のモデルに結びついて考えられることはなく、その時の状況に応じた斬新で創造的なものである、と述べ、本書が執筆された1970年頃の混迷は今後も続くが、これからは有色人種、恵まれない者、疎外された者がその能力を主張する時代になるだろうと彼の見解を述べています。その時代、つまり半世紀前の米国の指導者層であった白人を指して「今日の特権階級にいる人々は(中略)、蓄積された知識もろとも波の下に潜り、向こう岸に浮上した時にその知識を使えるようにするべき」である(チリの元外交官で作家のミゲール・セラノのことば)とグリーンリーフは唱えます。

■ヒーリングと奉仕
聖職者、神学者、精神科医など「ヒーリング(癒し)」に携わる人々が参加するセミナーで、「私たちヒーラーのモチベーションは何か」という問いに、参加者の熱心な議論による結論は「自分自身のヒーリングのため」という結論が出された。このエピソードをもとに、グリーンリーフは「聖職者や医師と同様に、サーバント・リーダーも、自分自身の癒しこそがモチベーションと認めるだろう」と述べています。

■コミュニティ(共同体) ― 現代の失われた知識
近代以降の経済発展は、先進国でのコミュニティ喪失という事態を招いている。医師や家族の便宜のみが顧みられ患者の利益となっていない病院、生徒の社会的地位を向上させるための仕組みに過ぎなくなった学校、グリーンリーフはこれらの例を挙げて、コミュニティの意義を再考するように迫ります。さらに彼は現代のいろいろな組織において欠けている愛について、「愛とは定義できない言葉であり、それが表現しているものは微妙でありながら無限だ。(その始まりに必要な)絶対的な条件(は)限りない責任(である)」と述べています。株式会社組織に代表されるような責任が制限された成員で構成される近代の社会には、無限の愛、そして奉仕が無いという指摘です。
グリーンリーフは、その一方で、この章を執筆した1970年当時の一部の若者の中に、新時代のコミュニティが生まれつつあることに期待を寄せています。

■組織
私たちに必要なことは、コミュニティの基本知識の再発見し現代において不可欠となった「巨大なコミュニティ的組織の多くに磨きをかけ、思い切って改善する」ことであるとグリーンリーフは主張します。私たちはさまざまな文脈の中で、「組織」ということばに非人間的な印象を持つことがありますが、彼は「組織とは、人間が第一という強固とした背景のもとに打ち立てられたリーダーシップであり、人を育成する方向でスタートするものだ。」と定義し、組織の中で他人を利用するのではなく、奉仕することで導くべきとの思想を示しています。

■トラスティ ― 信託を受託するもの
グリーンリーフは組織のリーダーについて、組織内部で任務を遂行するリーダーと外部で密接にかかわるリーダーの「二種類のリーダーが必要だ」と主張し、「後者は“トラスティ(受託者)”と呼ばれる。」と説いています。組織運営における組織内部の衝突の仲裁、組織の資産の所有者であり、これの有効活用に関わる人に責任を持つこと、そして目標とその過程に興味を持つ、というトラスティの立場や特徴を示した上で、その役割について「奉仕し、導きたいと考える人たちに実行の機会を提供することだ」と述べています。

■権力と権限 ― 強さと弱さ
グリーンリーフは権力について、「サーバントの権力」と「人を支配し、操るための強制的な権力」の二種類があると述べ、人はその両方の権力について自分に行使される機会を体験することを勧めています。後者では時に理不尽な抑圧を受けることになりますが、そのことについて「人間らしくあるためには、人生の苦悩と喜びの両方に近づいて、確かめなければならない。」として「サーバント(奉仕する人)は(中略)人間的である。サーバント・リーダーは能力の点でより優れている、(中略)耳を傾け、しっかりと見て物事を知る。その直感的洞察力は群を抜いたものだ。そのため、彼らは頼れる存在だし、信用もおけるのである。」と主張しています。

■サーバントを見分けるにはどうすればいいか
「(前略)すべての人にとって、何よりも重大な問いは、われわれがリーダーと見なすべき道徳的な人物とは誰か、ということだ」と、グリーンリーフは、リーダーに足る人物を見分けて選ぶことが重要であることを説きます。フォロワーすなわち従う人も自分のリーダーを与えられたものと安易に受け入れること否定しています。しかしながら、同時に真のリーダーを簡便に見分ける方法はない、とも述べています。「これを知る確かな方法はないので、芸術家の啓蒙に求めるといい。そうした啓蒙は、ヘルマン・ヘッセが、サーバントのレーオを理想的に描写した中に見られる。レーオのサーバント精神は、彼のリーダーシップの中にはっきりと現れている」とグリーンリーフがサーバントリーダーシップの啓示を受けたヘルマン・ヘッセの小説(注)に再び言及しています。
(注)ヘッセの小説について、本書ではその訳書について「ヘッセ全集8 知と愛」に所収された高橋健二訳(新潮社、1982年)を挙げているが現在流通していない。日本語訳としては、日本ヘルマン・ヘッセ友の会編「ヘルマン・ヘッセ全集 13 荒野の狼、東方への旅」(臨川書店、2006年。三宅博子訳、里村和秋解説)が現在刊行されている。


■外にではなく、内にある
グリーンリーフは君主が無欲であれば人々は盗みなどしない、という論語の記述を引用して、すべての問題は自分自身の中にある、と述べています。このことが問題の核心は自分の外にあると考えがちな現代人への警鐘であることを意識しつつ、喜びについても「自分の内にあり、心の中で作られるものだ。」として、「世の中の良い部分も悪い部分もありのままに受け入れ、(中略)その良い部分と自分を一体化する人のものだ。」とリーダーが得られる真の利益についても言及しています。

■敵は誰か
「合理的で実現可能な、よりよい社会を、可能な手段で作ろうとする急激な動きを阻んでいる人」「多くの組織がたいした業績を上げられない(ことの責任者)」「よりよい社会とは何かを明確にしたり、よりよい社会に向かおうとしたりする多くの人を阻んでいる(人)」。グリーンリーフこうした人々を敵と見なして、これを定義していきます。彼は、敵とは「邪悪な人」「愚かな人」「無関心な人」ではなく、「敵とは導く能力があるのに導かない者、あるいは生まれながらの強靭なサーバントでありながらサーバント以外の人に従うことを選んだ者だ」と、サーバント、すなわち真のリーダーの資質を持つ人に課せられた責任を主張しています。

■暗示
未来の社会が良いものになるか、悪いものになるか。グリーンリーフはその鍵は人にあるとして「うまく人々を導ける人がいなければ(中略)よりよい社会を作り出すことはできない」と述べ、そのことの重要な点として「導く能力のあるサーバントは導かねばならず、それが適切なら、人々はサーバント・リーダーにだけ従わねばならない」と強調しています。彼は、歴史の転換点の中で、若い人を中心にサーバントの資質を持った人が増えているとことを踏まえて、「社会を変える(または、今のままにする)唯一の方法は、社会を変えてくれる(または、今のままにする)十分な数の人材を作ること」と提言しています。「(社会の改善を)やってのける人々の背後では、その努力に感動した人々がさらに成長し、より健全になり、より自律的になって、より奉仕の精神に富むようになるのだ」と改善に向けて自転する社会の出現を待ち望んでいます。そのためにはどうすれば良いか、「創造しようとしないかぎり、われわれは自分自身の考えを表現し、人に奉仕して導くことなどできないのだ。」そう主張するグリーンリーフは、「危険なほど創造力を働かせよ!」、同時代の小説家であり哲学者であるアルベール・カミュのことばに託して、「サーバントとしてのリーダー」(本書第1章)を結論づけています。



第1章を読み終えて、参加者による活発な討議が始まりました。

・グリーンリーフは本章の最後の方でビルダーとしての能力は、多くの場合、18歳から20歳に見極められ、彼らのリーダーシップ育成を最優先すべきだ、と述べている。自分の経験からしても18歳から20歳、つまり大学在学期間にリーダーシップを学ぶような機会はなかった。これからはこの年齢層にもっと体系的なリーダーシップ教育を実施してもよいのかもしれない。
・なぜ、18歳から20歳なのか。社会経験の観点で少し早いようにも思える。
・日本のかつての元服をはじめ、世界的に10歳代半ばで成人することが普通であることや、わが国で予定されている選挙権の引き下げなど考えると、18歳から20歳というのは必ずしも遅くはない。また、現在の学校・教育制度では十分なリーダーシップ教育を施せない。そうした学習をする場をどう作るかが課題である。
・リーダーシップの学習は、なによりも体験ありきだと思う。実践の場をどれだけ得られるか、その実践の場で自信を身につけることが肝要だと思う。
・この論文が書かれた 1970年当時は、それまでの強権的なリーダーシップの時代からサーバント型のリーダーシップに徐々に変化してきたところ。リーダーや組織のビルダー(創設者)が不足していた。リーダーにふさわしい人は20歳代~30歳ぐらいでも見極められる。グリーンリーフはリーダーの素養を持つ者が大勢、社会変革を実現するに足るだけの数で出現することを望んでいた。

・グリーンリーフが「生まれながらのサーバント」と表すように、サーバントの気質にはネイティブ、つまり生まれつきの要素がある。サーバントにとってサーバントらしくない振る舞いは、その本人にとって快適ではないだろう。
・今回の会読箇所でヒーリングに言及があるが、この要素は、自分を受容するという観点でも重要だ。自己受容、自己充足できない人は、結局、他人には本質的にやさしくできない。中村天風(注)が「人に施しをするには自分を大切に」と述べていることにも通じる。
 (注)1876-1968年、我が国の思想家、実業家。多くの後進に影響を与える。
・今の指摘は自分の余裕と言い替えられそうだ。スティーブン・コヴィーは、余裕について「刺激と反応の間のスペース」と表現したが、自己受容できる人は心に余裕がある。
・今回の会読範囲で、グリーンリーフは「喜びは自分の内にあり、心の中で作られるものだ」と述べ、ヒーリングについても「“完全な状態のする”という意味がある」と書いている。サーバントは自分の中で完結するものという論考が印象的だ。リーダーとかリーダーシップという言葉から、つい「(他者を)引っ張る」という動きをイメージしてしまうが、サーバントの場合にはそうした人間関係はない。サーバントの行動は周囲からはリーダーらしい行動と認知されないことが多いのではないか。
・有名大学への合格者数が多いことで有名なある中高一貫校では、大学受験もチームワークであり自分だけではなく周囲の仲間を高めて共に合格していくことに価値を置いているという。受験では「級友もライバル」と言われることが多いので、この教えには驚いた。柔道の開拓者である嘉納治五郎(注)が学校設立に際して顧問に就任し、「自他共栄」を校訓としていると聞き、嘉納のリーダーシップとそれが数十年連綿として続いていることに感服している。
(注)1860-1938年、近代柔道の創始者でありその普及に努めた。教育者としても多くの学校の教壇に立ち、設立に尽力した。わが国初のIOC(国際オリンピック委員会)委員

・最近、若い人を中心に所属する会社での仕事よりも震災復興などのボランティアにより強い生きがいを感じるという人が多い。他者や社会に貢献することで、人間的成長を感じられるという。大企業の中には、社員教育としてこうしたボランティアを行わせているところもある。
・人は特に若い内に、何かに飢えているという状態にあることが多い。かつての経済的に貧しい時代は生活の糧、さらには少しばかりの贅沢といった消費社会を渇望していた。最近は経済の停滞で貧困が社会問題化しているが、そのこと以上に「人とのつながり」に飢えているのではないか。「今どきの若い者は何だかんだ」というのは古代エジプトでもそういわれていたが、やはり若い人は感受性が高く、感性が鋭いので、彼らを通じて世の中を見通すことができる。そこを通じて、サーバントの素養にあふれたリーダーが求められることにも合点がいく。
・米国では、一流大学を卒業した若者が企業に就職せずにNPO、NGO活動に参加することが増えている。金儲けよりもソーシャルワークに従事することへの要求が高くなっている。
・自分の仕事の成果、つまりやったことを他の人に喜んでもらえることは、自分にとって高いモチベーションになる。
・企業に就職することが金儲けであり若者にとって魅力のないこと、という図式が出来上がっていることに問題を感じる。それがどの程度の事実かわからないが、何が大切かということがぶれた社会なのだろうと懸念する。
・若い人の可能性と自由な発想を賞賛する一方で、有名になるとか報酬を得るという表層的な成功が目的化しているケースも散見する。名声にせよ金銭にせよ、その人が努力して得る成果は何のためか、それを何に使っていくのかといいう視点が欠落しているケースがあり、少し懸念している。
・ある大学の銘板に「神なき知育は知恵ある悪魔をつくることなり」という創立者・小原國芳の言葉が書かれている。経済的な成功や科学技術の進歩がその先の目標を喪失した目的となってはいけない、という思いによるものであり、サーバントリーダーシップの本質を表しているように思う。
(注)1887-1987年。経験なクリスチャンであり成城学園などで教師を歴任。玉川学園を創立した。

・グリーンリーフがサーバントリーダーシップの啓示を受けたヘルマン・ヘッセの「東方巡礼」に登場するレーオには一種のあこがれを抱く。自らを主張せずに周囲を支えていくリーダーシップは貴重だと思う。実際の企業社会では、どんどん自己主張をしていかないとリーダーとして認められないことが多い。その中で私欲が公的利益を優先してしまうこともある。
・われわれは、ともすれば周囲に認められることに価値を置きすぎる。人生の価値を周りに認められることから他者に奉仕することに軸足を動かしていかないといけない。
・リーダーシップの本質はスキル、技術ではなく、哲学あるいは人生観であり、それに立脚した生き方であると痛感している。世の中をとらえることに、狭い枠組みを取り払うこと、自らの軸がぶれないこと、それらの時間軸を伸ばして実践していくことによって、リーダーシップを獲得するチャンスを得ると確信する。



今回も参加者による熱心な討議が続きました。ロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」の次回、第二期第8回(通算第60回)の読書会は、5月27日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

第二期第6回(通算第61回) 読書会開催報告

第二期第6回(通算第61回) 読書会開催報告
日時:2016年3月25日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期読書会は、前回から本編に入りました。今回の会読範囲は第1章「リーダーとしてのサーバント」の2回目、グリーリーフがサーバントリーダーの属性を説いてゆく展開部分です。この章はグリーンリーフのサーバントリーダーシップに関する初めての諸作(元は小冊子)を転載したものであり、サーバントリーダーシップに関する彼の思想の骨格が記述されています。グリーンリーフは、この著作では小見出しを振って記述していきました。(今回の会読箇所:p.66、6行目からp.84、10行目まで))



知ることができないものを知る -意識的な理論を超えて
グリーンリーフは「リーダーシップには、学術的なレベルで測れない複数の知的能力が求められる」と述べ、代表的なものとして「知ることができないものを感じ取り、予見できないものを予見する能力」を挙げています。その有無が本当のリーダーと分不相応にリーダーになった人の差であると指摘しています。本書が書かれた1970年前後には脳科学の分野でテレパシーや予知能力の研究が進んでいることを指摘しつつも、ここでの予見能力は無数の情報から必要なものを選択し、正しい道を選択する直感を意味するとしています。そして「リーダーの直感は、概念的なレベルで発揮されることによって、より価値があるものとなり、したがって一層の信頼を受ける(中略)包括的で概念的な洞察力は、リーダーにとっていっそう優れた才能である」とまとめています。

予見 -リーダーシップの核となる倫理
ここではグリーンリーフは「通常、‘今’という言葉にある前提は、この瞬間、時計が示す時間のことだ」と定義して、現在というものが意図と意味によって幅広く使われることがあること。その中心の現在が常に移動していることを指摘しています。そして「先見の明、あるいは予見とは、これから何が起こり、将来のいつ起こるかに関して平均的な推測より優れているもののことだ。」として、「将来の出来事がどんなものかは、現在のデータから割り出せる。だが(中略)現実的な決断を下すときは、(中略)直感を裏づける状況を作り出さねばならない。」とリーダーが持つべき能力に言及しています。「人がサーバントリーダーとして、他の人の重荷まで背負うなら ― 先頭に立って案内するのは激しく荒れ果てた道を進むことになるだろう」とその覚悟を迫ってきます。グリーンリーフは予見能力を得ることに「思いやりをもって、責任を負い、有能で価値を重視するという意識」下の行動の中で、「関わりを持たず超然としている(意識)」を同時に使い、思考や行動を検証していくことを勧めています。

気づきと知覚
グリーンリーフは前記の意識の元になるものが「気づき(アウエアネス)」である、と述べています。そして気づきにはリスクが伴うという面にも言及し、「リーダーシップを得る資格は、物事をより“ありのままに見る”ために、より広い範囲の気づきに耐えられることだ」と説いています。さらに「リーダーは、そのリーダーシップを受け入れる者たちよりも、未知のことに対峙する自信を強化しなければならない」と述べて、新約聖書のヨハネ福音書に記述されているエピソードを挙げています。キリスト(救世主)となったイエスの主張が当時のユダヤ教の教えに反しているという疑義を抱き、これを糾弾しようとする律法学者(注)らは姦通罪を犯した女性を律法(注)に基づいて石打ちにすべきだがどう考えるか、と迫られたキリストは、しばしの間、地面に字を書いて間を取ります。やがてその口から「あなたたちの中で罪を犯したことのないものが、まず、この女に石を投げなさい」と現代も語り継がれる言葉が発せられました。
(注)ユダヤ教の教典。キリスト教成立後、ユダヤ教の教典は、キリスト教徒に旧約聖書と呼ばれている。

説得 -ときには一度に一人ずつ
グリーンリーフは「リーダーたちは驚くべきやり方で仕事とこなす。組織として大きな負担を引き受ける人もいる。そうかと思えば、静かにひとりひとり対応する人もいる。」と真のリーダーの姿が外形的に定義できないことを示します。その上で、説得をリーダーの重要な役割だとしています。米国のクエーカー教徒だったジョン・ウールマンは18世紀半ば、奴隷制度が当然だったこの時代に、米国のクエーカーから奴隷制度をなくすよう30年もの長きにわたって、全米のクエーカー教徒を訪ねて奴隷解放を穏やかに根気強く説得していきました。そして南北戦争のおよそ100年前という時代において、米国には奴隷を所有するクエーカー教徒はいなくなりました。

一度にひとつの行動 -偉業を成し遂げる方法
米国三代目大統領にして米国独立宣言の起草者として有名なトマス・ジェファーソンは、若いころに後に独立宣言署名者として名を残すジョージ・ワイスから助言を得て、彼の影響で後世に名を残す偉業を成し遂げることができました。グリーンリーフは、まずワイスのようにサーバントリーダーの可能性を有する若者を見出し、能力を開拓することを年長者の責務として、その機会に恵まれたジェファーソンのサーバントとしての特徴を述べています。ジェファーソンは、米国独立当初の国づくりの基礎となる多くの法令草案を作り続けました。その一方で自らの地位や名声のみならず法令の草案が顧みられないことにも無頓着で、国づくり必要と考えることを淡々と準備していきました。後の時代、米国の憲法草案ができたときに、それに最も大きな影響を残したジェファーソンは米国にいませんでしたが、彼自身は自分の成果や能力を声高に主張することもなく、彼が書いた草案に米国の未来を託したのです。

概念化 -リーダーシップの重要な才能(タレント)
グリーンリーフは典型的なサーバントリーダーとしてニコライ・フレデリック・セベリン・グルントヴィ(注1)を挙げています。封建的な絶対君主国でまだ荘園・農奴制度からようやく自立農が出はじめた19世紀のデンマークに新しい教育概念を採り入れ、貧しい若者に教育を与える場として国民高等学校の制度を導入していきました。50年にわたる地道でねばり強い取り組みにより、デンマークの若者の意識は徐々に変わりました。デンマークは1864年のプロイセンとの戦争(注)とその後に起きた当時のデンマークの主要農産物の暴落という試練を受けますが、見事に立ち直ります。このことをグリーンリーフは「国民高等学校で培った精神的原動力あら芽生えた農民たちのイニシアティブは、こうしたショックから国家を回復させた。(中略)こうしたすべて、つまり、真に注目すべき、社会的・政治的・経済的変革が、一人の個人のリーダーシップという概念から生まれたのだ」と記述します。ここを記述するグリーンリーフの興奮が目に映るようです。
  (注1)1783年~1872年。デンマーク生まれの作家、詩人。また牧師で教育者、さらには有力な政治家としての側面を持っていた。
(注2)デンマークはこの敗戦によりシュレースヴィヒ=ホルスタイン公国の実質的支配圏を失い、1871年にドイツを統一したプロイセンとオーストリア帝国の支配下に入った。

この箇所までを会読して、参加者による意見交換が始まりました。

・「重要な決断をするとき、良い決断をするときに必要な情報を百パーセント手に入れることはまずない。」というグリーンリーフの説明に同感する。
・リスクを負える人が決断することがふさわしい。リスクを負えないのであれば決断者の交代が必要だ。組織の中で、一部の人、ことに上司が必要な情報を握ったままということある。時間と内容の両面で情報の非対称性が生じ、肝心の決断を遅らせたり、鈍らせたりすることが多い。
・決断するタイミングを決断すること、これが決断の質を高める技術だと思う。何を基軸に決断するのか、そして決断して行動してから結果が見えてくるまで間の「割り切り」を大切にしている。
・グリーンリーフは「今」という時間を「過去」と「未来」にはさまれた幅をもったもの、という意味の定義をしている。そして「先見の明、あるいは予見とは、これから何が起こり、将来のいつ起こるかに関して平均的な推測より優れているもののことだ。」と述べている。その定義から自分にとって「今の幅」を広げることの重要性を感じるとともに、どう広げるかが肝心だと思っている。

グリーンリーフが「(予見のもとになる)こうした意識の下になるのが“気づき(アウエアネス)”で“知覚”というドアを大きく開けている」と記述している。最初に読んだときは“気づき”と“知覚”の順序が逆ではないかと思った。
・知覚によって周囲を認識する際に、フィルターをかけずにありのまま見て、ありのままに受け入れることで全部がわかるようになってくる。
・仏教の「空(くう)」という用語で表す精神状態に持っていくことが重要だ。気づきとは「受け入れる場」のことで、その環境は偏見のない「空」であることが望ましい。一方で知覚とは「受け入れるもの」。フィルターのない空の状態でものごとを受け入れることで、見えてくるものが多数ある。
・文化人類学や心理学に「エスノグラフィー」という研究手法がある。対象物や対象者をあるがままに注視するものである。そういえば簡単そうだが、一枚の写真ですら虚心に10分間見続けることは苦痛である。ザルトマン教授は「人間の意識の95%は潜在化している」と主張しているが(注)、その潜在意識をアプローチするためには、先入観や偏見を捨てて対象者としっかり向き合わねばならない。
(注)ジェラルド・ザルトマン著、藤川佳則、阿久津聡訳「心脳マーケティング」(ダイヤモンド社、2005年)
・先入観や偏見を捨てて、つまり自分を捨てて対象者や対象物を見よということと思うが、これは結構厳しい。個人の認識はそれぞれの経験で積み上げてきたパターンに基づくもので、そのパターンに基づかない認識ということと思う。
・心に刺さる指摘だ。実生活で、たとえば自分の子供と向き合うときに、大人、つまり人生の経験者として、つい自分の価値観やパターンで接してしまう。

・最近、勤務先でさかんにイノベーションを起こせ、という訓示を受ける。自分はイノベーションの前提として受容ということが必要不可欠と考える。イノベーションは突然変異的に一つのものが生み出されるケースよりも、小さな変化がある大きな塊となって生成することが多いと感じている。その意味で、日常のあらゆることを冷静に受容する環境がないといけないと思う。
・今回の会読範囲でのサーバントリーダーの例として、デンマークの小作農の地位向上に貢献したグルントヴィ等が挙げられている。彼らの信じる力、もっと正確に信じることのできる力に驚いている。グルントヴィの場合、能力の劣った人たちと思われた小作農を信じ続けたことが彼のリーダーシップの源泉だと思う。
・グリーンリーフが挙げたサーバントリーダー達は、何を理想として目標を立てるか、その目標を立てる軸が理想の未来となっているか、という点で卓越している。
・仕事などで経験を含むスキルが足りない人を見放さないことが重要。そうした人たちが自分の能力向上と成果の達成にチャレンジしているときに、それ自体が貢献であると伝えられるか。そうしたことを通じて参加意識を持たせることができるかということを意識しないといけない。
・失敗を許容する文化が大切だ。DeNAの創業者である南場智子氏は「何度失敗しても良いから経験を積ませる」「(会社を)辞めたいという人を人事制度、退職制度で縛り付けることはしない」という趣旨のことを述べている。だからこそ有能な若者が同社を希望するのだと思う。
・その変革の中で、リーダーにはフォロワーの挑戦と失敗を許容する能力が求められてくる。
・リーンスタートアップ、小さなスタートから失敗を糧に改善を重ねて大きくしていく手法だ。今の米国ではIBMのような巨大企業がリーンスタートアップの牙城と言われている。過去の成功体験にあぐらをかいている日本企業はもっと危機感をもたないといけない。

・リーダーの決断力に関して、最近は組織の上に立つ、つまりリーダーであることを期待される人たちがものごとを決められないというケースをよく見る。組織の中で、誰かが決断したということではなく、全員で決めたような形を取りたがるトップが多い。トップの地位にある人こそリーダーとしての「本気」を求められている。リーダーの役割は組織風土を作り、変革していくこと。単に組織をマネジメントすることにとどまらない。
・組織のトップの姿勢や態度には国民性もあるのではないか。そうした研究もあるようだ。
・国民性ということで過度に一般化してしまうことは、個別の事例や課題に対面するときに妥当ではないことが多い。自分がファシリテータとなってワールドカフェ(注)を開催することが多いが、きっかけの与え方次第で、国籍や民族を超えた自律性が生まれてくる。
 (注)アニタ・ブラウン氏とデビット・アイザックス氏が開発した話し合い、組織作りの手法。カフェのようにリラックスした雰囲気の中で創造的な対話ができるように場の設定と運営を行う。

・組織の中の人をありのままに見ていくことが重要。会社組織ではよく「困った上司」に部下として不満を抱くことが多いが、その時もその上司の「事実としての役職」と「役割期待に対する能力」を見極められるかどうか、そもそも対等に人として相手を見ることができるか、ということが大切だと思う。
・自分自身が認める、あるいは周囲が評価する「よくできる人」を観察するのも良い。「よくできる人」と不評価される人たちには、周囲の信頼を得ているという共通点がある。

・これからの時代、本当のリーダーの下で多くの組織が変わっていかねばならない。どの方向に変わるか、そしてその変革のプロセスが重要となってくる。
・いま、まさにリーダーの器(うつわ)の大きさが問われている。相手を信じる力、周囲の人の中に絶対の信頼を築けるか。リーダーシップとは宗教や倫理が取り扱うような分野にも踏み込んでいく課題だ。

一見すると読みやすそうな記述ながら、その含意の奥深さに参加者がそれぞれの立場で格闘し、熱心な討議が行われました。


次回(第二期第7回 通算第62回)の読書会は、4月22日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

第二期第5回(通算第60回) 読書会開催報告

第二期第5回(通算第60回) 読書会開催報告
日時:2016年2月26日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

「サーバントリーダーシップ」の第二期読書会は第5回の今回から、いよいよ本編に入ります。
第1章「リーダーとしてのサーバント」は、グリーンリーフのサーバントリーダーシップ論の嚆矢(こうし)であるとともに、彼の理論の基礎となるものです。




グリーンリーフは「リーダーとしてのサーバント」すなわちサーバントリーダーシップの発想をヘルマン・ヘッセの「東方巡礼」を読んで得たものだ、と述べて、「サーバントとリーダー ? この二つの役割を、実在するひとりの人間が併せ持つことはできる」と述べています。

1932年に書かれたヘッセのこの作品は彼の複雑な内的思考が描かれ、その意図について多数の見解がありますが、グリーンリーフはこの小説から「優れたリーダーは、まずサーバントと見なされる」というインスピレーションを得ました。1960年代後半、米国が「リーダーシップの危機」を迎えていた頃です。グリーンリーフはそのような時代について、「現代は緊張状態が続き、抗争に満ちているが、私は今の時代に期待している」と述べつつ、「(フォロワーである)彼らが自らの意志で応ずるのは、サーバントであると証明され、信頼されていることを根拠に選ばれた人に対してだけ」であるとして、リーダー自身がフォロワーから選ばれる時代が到来したと説いています。グリーンリーフは、この章、即ち「リーダーとしてのサーバント」の途中から自身の著述整理と読者の理解のために小見出しをつけています。以下、これに沿って内容を概観していきます。

サーバント・リーダーとは誰か
グリーンリーフは「サーバント・リーダーとはそもそもサーバントである」として、「そうした人物は、そもそもリーダーである人、並々ならぬ権力への執着があり、物欲を満足させる必要がある人とはまったく異なっている」と述べています。
ここから彼の説くサーバントリーダーシップが組織の管理者やマネジメントに選ばれた人が部下に対してどのように振る舞えば良いか、といった表層的な人間関係論や処世術の類ではないことがわかります。

すべては個人のイニシアティブから始まる
グリーンリーフは「リーダーにはインスピレーション以上のものが要求される。(中略)先頭に立ってアイデアや構想を示し、成功するチャンスだけでなく、失敗するリスクを引き受ける」とリーダー自身の強い自立と自主性を求めています。

あなたは何をしようとしているのか
「リーダーは目標を把握し(中略)人に対して説明できる(中略)自分では目標達成が困難と思われている人たちにも確信を与える」ことができる、とリーダーの性質を説き起こしつつ、「目標を示す人は信頼を得なければならない(中略)というのも、従う側も、リーダーとともにリスクを負わねばならないからだ」とその責任の重さに言及しています。

耳をすまし、理解すること
グリーンリーフは「生まれながらの真のサーバントだけが、まず耳を傾けることによって問題に対処すると、私は考えている。ある人がリーダーであるとき、こうした性質があれば、その人はそもそもサーバントだと見なされる」と述べています。ここで注意して頂きたいのは、まず真のサーバントの傾聴力に言及し、これを持つリーダーはサーバントである、と定義していることです。他人に仕えるサーバントを最も価値ある人としています。サーバントとしての振る舞いのみをリーダーの処世術として訴えているのではないことをここでも表現しています。

言語と想像力
一転して、「リーダー(教師、コーチ、経営者も含めて)には、聞き手が想像力を働かせ、言語上の概念と聞き手自身の経験を結びつけられるようにする能力が必要だ」と、リーダーのスキルを説いています。そして自分たちだけの言語世界にとどまってしまう集団にカルト集団があるとした上で、「誰から見ても有能なリーダーが、こうした閉ざされた言語の世界に囚われ、導く能力を失ってしまうのは大きな悲劇である」とアンチ・リーダーシップ時代の様相を別の面から説明しています。

一歩下がる ? 自分に最適な条件を見つけること
「リーダーシップを取りたいと思う人(サーバントか、非サーバントかは別にして)」について、「プレッシャーを好むタイプ(中略)緊張する場面で最高の結果を出す」人と、これを嫌い「プレッシャーがあるとうまくやれないが、リーダーシップをとりたいので、その機会を得るためならプレッシャーにも堪えようとする人」がいる、と若干の皮肉を込めつつ、「一歩下がる」ことの重要性を説く。行動の優先順位をつけるため、そして「自分の才能を有効に使うため」に自身を客観視することを推奨しつている。だが、ここでグリーンリーフが説くのは、「サーバント・リーダーは常に自問すべきである。「どうしたら、最良の奉仕ができるだろうか」というものである。サーバントリーダーが自分を客観視するのは他者に奉仕する自分を見極めるためのものです。

受容と共感
「サーバントはどんなときでも受け入れ、共感し、決して拒絶しない」と、サーバントリーダーの条件が説明されます。グリーンリーフは、この性質を「リーダーの持っている、フォロワーへの興味や愛情 ? それを純粋に持っていることこそ、本当の意味で偉大だというしるしだが ? は、明らかにフォロワーには‘見合う値打ちがない’何かである。(中略)人を受け入れるためには、その欠点を寛容に受け入れなければならない。相手が完全な人間なら、誰にでも導ける(中略)しかし完璧な人間などいない」と主張を展開しています。そればかりか「能力がある人は、欠点だらけの人間たちとともに働くことも、彼らを使うこともできないため、リーダーの資格がないと言えるのだ」と有能な人がリーダーとなるのだ、という私たちの常識をばっさり切っています。「人間は、自分を導く人が共感してくれ、あるがままに受け入れてくれると一回り大きくなる。たとえ、能力の点からはやり方を批判されても。この考えに基づいて、自分と歩むものを全面的に受け入れるリーダーは必ず信頼されるだろう。」とグリーンリーフはサーバントリーダーシップ論を展開していきます。


ここまでを会読して、参加者による意見や感想の表明と討議が始まりました。



・グリーリーフの著述の最初の箇所に「ヘッセの言葉を現代の予言として(聴く)」という表現があり、また「‘求道者’こそが、預言者を生み出すのだ」とある。預言と求道、このことを正しく理解することが重要だと思うが、そこがとても難しい。

・かつて「ノストラダムスの大予言」という本がベストセラーになり、今でも予言がしばしばブームになる。預言は、もちろんこの予言とは異なり、神の啓示、神の言葉を伝えるという意味がある。
(注)預言者とは「元来、神に呼ばれて、その宣託を語るものを意味する。狭義には旧約の、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルの3大預言者と12人の預言者を差し、その預言書に当たる旧約聖書の第2区分(ネビーイーム)も「預言者」と呼ぶ。彼らの思想は、抽象的な哲学ではなく、具体的な歴史と結びついており、彼らの確信では神の意思の表現であった。(中略)キリスト教の預言者概念の特徴は、”メシア(救い主)であるイエス・キリストとの関係においてそれが位置づけられる(後略)(以上、「岩波キリスト教辞典、大貫隆他著、2002年」から報告者が抽出、編集)

・求道者とは容易に見つけられない答え、ときには正解のない課題に答えを見つけるために不断の努力を重ねる人。そういう姿勢によってのみ見つけられるものがある。仏教でいう悟りとか彼岸へ到達する可能性のある人だ。

・グリーリーフの主張で目を引くのは、求道、探求の前提として個人のイニシアティブを置いていることだ。リーダーの役割や特徴を語ると、通常は最初にその組織の総体としての特徴が見えてきて、その中での部下とのつながりに焦点を当てた人間関係のあり方が説明されることが多いが、そこまでである。部下がどう思うかということに焦点を当てた人間関係だけが語られることが多い。その中でサーバントリーダーシップが「自分」という要素を欠いていないことに注目している。

・グリーンリーフは、ヘルマン・ヘッセの「東方巡礼」(注)にインスピレーションを得ている。ヘッセの「東方巡礼」は、日本語翻訳版で50ページほどの短編だが、本書に引用された以上に内容が複雑だ。ヘッセを模している一人称の主人公のH・Hの独白録形式の小説である、本書では、旅の一座からサーバントのレーオがいなくなった、という説明になっているが、実際の小説では、その後、旅の一座は実はある教団であり、その教団の裁きの場で主人公が尋問される。主人公はやがて尋問しているのは実はレーオであり、一座すなわち教団から去ったのは主人公自身であったことを自覚する、といった倒錯した内容になっている。グリーンリーフはヘッセをある種の預言者と見立てて、東方巡礼を神の啓示と受け取ったのだろうが、どこをどのように感じ取ったのか、今後、本書を読む中でしっかりと確認していきたい。
(注)ヘッセの小説について、本書では、「ヘッセ全集8 知と愛」に所収された高橋健二訳(新潮社、1982年)を挙げているが現在流通していない。日本語訳としては、日本ヘルマン・ヘッセ友の会編「ヘルマン・ヘッセ全集 13 荒野の狼、東方への旅」(臨川書店、2006年。三宅博子訳、里村和秋解説)が現在刊行されている。

・サーバントリーダーシップの基本的属性として真っ先に「傾聴」が挙げられている。最近はサーバントリーダーシップに限らず、いろいろな場で「傾聴が重要」と言われるが、実はこの傾聴というものが何か、実はよくわからない。
・相手の発語だけではなく、そのことばの背後にあるものを受け止めるということかと思う。グリーンリーフとほぼ同時代を生きた米国の臨床心理学者のカール・ロジャース(注)がカウンセリングの基本的手法として傾聴を提唱した。ロジャースはカウンセリング対象の患者をクライエントと呼び、対等の関係の中で、相手を傾聴して自立を促すという近代的なカウンセリングを創設した
 (注)カール・ロジャース、心理療法を確立した1902~1987。ちなみにグリーンリーフの生没年は1904~1990。

・グリーンリーフの思想で面白いのは、自分自身も傾聴せよ、と主張しているところだ。さまざまな課題の解決策を自分自身の中に呼び出すことを求めている。

・昨今、傾聴の重要性を強調するあまり、傾聴至上主義ともいえる風潮があることに自分は批判的だ。傾聴はカウンセリングで患者に当たるクライアントの問題解決の手続きであり手段だと思うが、傾聴自体が目的化している、そのように取り扱っているケースが散見される。

・未熟なカウンセリングや浅薄な処世術に傾聴至上主義があるかもしれない。傾聴ということからカウンセリングとコーチングを比較すると、前者には「相手(クライエント)の既知の情報を整理して整える」という要素が強く、後者には「相手も気がついてない深層の思いを引き出す」という点がある。思いもよらぬ結果に至ることがあるという点で、コーチングには共創としての特徴がある。

・ハーバード・ビジネススクール名誉教授のジェラルド・ハルトマンが著書の「心脳マーケティング - 顧客の心を解き明かす」(藤川佳則、阿久津聡訳、ダイヤモンド社、2005年)などで、「消費者が自分の希望を声にするのは5%、残り95%は本人の深層心理下にあり、人の内面に入る「心のマーケティング」が必要と主張している。マーケティング以外にも当てはまる話であり、人の内面にはまだ95%が潜んでいるという思いを常に持つことが重要だと思う。

・サーバントリーダーシップの解説書などでサーバントについて召使いという訳語が割り当たるが、それはだとうだろうか。奉仕者といった用語の方がより正しいのではないか。

・日本語の語感の問題になるので訳語の是非を議論する意図はないが、米国のサーバントリーダーシップ協会本部でのフォーラムに当協会が参加した時に聞いた話では、「Servant」ということばが「Leader」や「Leadership」ということばと一緒に使われると、英語がネイティブの米国人もかなり刺激が強いということだった。この点について、本書p.560-562でも金井壽宏教授が撞着語法(オキシモロン)として説明している。

・勤務先でパートの女性を管理する仕事になり、彼女らの話を聞く機会があった。それまでは「主婦が隙間時間を使って、ちょっと小遣い稼ぎをしているのだ」と思い「パートさん」と一括りに呼んでいた。仕事で、これらパートさん一人ずつに話を聞く必要が出てきた。自分が一括りに考えている人たちから、一人ずつの話をただ聞き続けるのは苦痛だ、という感覚で臨んだが、少しずつ話を聞く中で、一人一人にそれぞれの生活があり、人生観があり、含蓄のある話が多く、たくさんの「気づき」を得た。彼女らと対等の立場で話を聞いたことで組織の一体感も一気に作り上げられていった。今は一緒に働くことに喜びを感じている。

冒頭の高度な内容に少しばかり悪戦苦闘しながらも議論は熱く展開されました。ロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」読書会は、第二期第6回(通算第61回)の読書会は、3月25日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

社会医療法人大雄会様で講演を行いました

理事長の真田が社会医療法人大雄会 様で講演を行いました。



当日は、役職者の皆様にサーバントリーダーシップについて学んで頂きました。




第二期第4回(通算第59回) 読書会開催報告

第二期第4回(通算第59回) 読書会開催報告
日時:2016年1月22日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」読書会は、監訳者である神戸大学の金井壽宏教授の解説を経て、今回、第二期第4回からグリーンリーフ自身の著作、著述部分に入ります。
今回は、「はじめに」と題された序論を会読しました。
グリーンリーフによるこの厚い本は、かれの著作の他、専門雑誌などへの寄稿や講演録などを集めて内容に応じて整理した構成になっています。本書の米国での初版はグリーンリーフの生前、1977年に発行されています。「はじめに」はグリーンリーフ自らによる本書の案内として書かれました。彼がサーバントリーダーシップの考えに至る経緯や時代認識、本書の構成と読者への期待などが簡潔にまとめられています。決して長い文章ではありませんが、サーバントリーダーシップの全貌を知るために重要な部分です。




【会読部分の概要】
・1904年に生まれたグリーンリーフは、1920年代の半ばにカールトン大学に
入学したが、「大学四年生になって半分が過ぎようとしていた頃、
私はまだ将来の道を明確に決めていなかった。」という状態でした、
そのようなある日、オスカー・ヘルミング教授の一言に強い影響を受けます。
「(中略)老教授はこんな主張を始めた。“わが国には新たな問題が生まれている。
アメリカは大きな組織に支配されつつある。教会、企業、行政機関、労働組合、
大学といった組織だ。こうした大規模な組織に人々はあまり奉仕していない。
(中略)公共の利益を求めて、より優れた行動がとれるように人々を導いていける、
または導きたいという人間が、組織の内部にいなければならないのだ(後略)”」
・オスカー・ヘルミングの一言をきっかけに、グリーリーフは当時世界最大の
企業であったAT&T(アメリカ電話電信会社)に就職しました。
入社初年度の終わりには、早くも12人の作業長を相手にする研修コースの
指導者を任されています。
23歳のグリーンリーフは彼らのファシリテータを務める一方で、多くの経験を
積んださまざまな年齢層の現場実務者からの多くのことを学んだと回想しています。
・その後もAT&Tでは経営調査部長など同社にとって新設の役職を多数歴任し、
1960年代になって退職した後はコンサルタントとして活躍しました。
・こうした多様で刺激的な仕事を通じて、また1960年代末期から70年代初期に
かけての米国での大学紛争を目の当たりにして、グリーンリーフは徐々に
サーバントリーダーシップの概念を固めていきます。
・本書の構成について彼は次のように書いています。
「本書の第一章“リーダーとしてのサーバント”は、一九六九年に書いたものだ。
大抵の学生たちが当時は―現れ方は違うが、今でも―、希望を
持っていないようだったことを危惧したためである。
希望とは、精神のバランスのためみも、人生全般のためにも欠かせない
ものだろう。
希望を得るための基本構造を求めて、さらに二つの論文が生まれた
―“サーバントとしての組織”と“サーバントとしてのトラスティ” ―
それが本書の第二章と第三章である。
残りの章は二十年以上にわたって、論文や講演のために書いてきたものだ。
それぞれ別の角度から私の願いを述べている(後略)」
・グリーンリーフは、「大勢の人が理事や役員の座に就いているが、
名目だけの地位である場合が多い」と指摘し「嘆かわしいことに、
われわれは反(アンチ)リーダーの時代に生きている」と現代への
警鐘を鳴らし、「巨大な教育構造の中では、リーダーを育てるとか、
フォロワーシップを理解させるという点にあまり注意が払われていない」と
訴えています。
・グリーンリーフはさらに以下のように述べています。
「リーダーはスキルや理解力や精神力を備えて、奉仕のために努力して
ほしいし、フォロワーたちには自分たちを導く有能なサーバントだけに
反応して欲しい(中略)識別能力と決断力を兼ね備えた、フォロワーとしての
サーバントは、サーバント・リーダーと同じくらい重要だし、誰もがその両方の役を
演じる場合があるかもしれない。」 
・こうして彼は複雑化した現代における真のリーダーとフォロワーの出現を
待ち望みながら、本書を構成する数々の著作、論文を書いていきました。
・グリーンリーフは「はじめに」の最後の箇所で、読者に以下のような注意を
与えています。
「問題の一部は、“奉仕する”と“導く”(注)という言葉が使い古されたもので、
否定的にとらえられていることだ。だが、このふたつは良い言葉だし、
私が伝えたい言葉は、ほかに見当たらない。たとえ古くてすり切れ、
破損したものだとしても、捨て去る必要なない。見直して、また使うべき言葉も
あるのだ。私にとっては、それが“奉仕する”と“導く”に当てはまる。」 
本書を読み進める中で常に念頭に置いておくべきことがらです。
 (注)原著では、奉仕する=serve、導く=lead という用語が使われています。以下の章においても、 おおむねこの用語とその派生語が使われています。
日本語版で8ページの文章でしたが、参加者はそれぞれ触発され、活発な議論が始まりました。



【読書会参加者による討論概要】
・2016年は株式をはじめとする内外の金融市場が激しい値下がりを起こして
いるが、金融の世界ではクオリティーの高い会社は市場以上の大幅な
値崩れはしないと言われている。
では、クオリティーの高い会社とはどんな会社か、ということだが、
この「はじめに」の中でオスカー・ヘルミングが「人々に奉仕しない組織」に
言及している。
それを読み解けば、人々に奉仕する会社がクオリティーの高い会社と
言えるのではないか。
・英語のempowerという単語は、権利、権限、力を与えるという訳語の
イメージが強いが、人に自信を持たせるという奉仕的な要素もある。
リーダーが作った環境で他の人が発揮する独自性や創造力が公共善や
社会価値に沿っているかということまでも問われる時代だと思う。

・グリーンリーフは本書を書いた背景として、「はじめに」の中で、二つの懸念を
示している。
一つ目は、現代社会の中での個人の埋没。
もう一つは、個人が自身を不完全な存在と見なして創造的な結果を出せないと
思い込んでいること。
1970年前後に彼がサーバントリーダーシップといいう概念を打ち出してから、
半世紀近くの年月が経っているが、他人任せの風潮や自分に自信を持てない
未熟感が払拭(ふっしょく)される気配がない。
・リーダーの役割は人が主体的に動いていける場を作ること。
人に指示してその通り動かすのではなく、独自性、創造力を生み出せる環境が
生み出されるための種をまくことにある。
・フリーエージェント社会(注)と呼ばれる現代は、組織ではらたくことの価値観が
全く変わってきていて、マネージャーが「自分の部屋のドアは開いている
(ので部下からアプローチしてこい)」と部下に表明するだけでは不十分。
常日頃、部下の話を傾聴して本当の意味で自由に考えさせることが必要だ。
またそうすることで、もっとたくさんのアイデアが生まれてくる。
 (注)「フリーエージェント社会の到来―「雇われない生き方」は何を変えるか」(ダニエル・ピンク著、玄  田有史解説、池村千秋訳。ダイヤモンド社、2002年)から広まったといわれる。
・平日の会社勤務には強いストレスがありながら、週末の、たとえば震災復興支援
ボランティアには生き生きと参加している、という人がかなりの人数で存在する。
平日勤務している会社での納得性の低い上意下達の指示命令とやって
当たり前という評価がこうした人たちの承認欲求を満たさない。
モチベーション3.0(注)、すなわち個人の内面ぁらの自発的なモチベーションを
どう引き出していくか、社会課題とも言える。
 (注)「モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか」(ダニエル・ピンク著、大前研一訳。講談社、2010年、2015年(文庫))で提唱されたモチベーションの発展段階




・サーバントリーダーシップの第一の属性は「傾聴」である(本書、p.572-573参照)。
これとスティーヴン・R・コヴィーが刺激と反応の間には選択の自由がある、
と述べていることを合わせて考えてみたが、傾聴もただ一方的に受け入れる
のではなく、聞き手の心に余裕があることが重要であり、その心の余裕を自在に
作り出していくことがリーダーの資質ではないかと考えた。
コヴィーは本書のまえがきとして寄稿しているが、彼はサーバントリーダーシップの
本質や意義を正しくとらえていたのだと思う。
・グリーンリーフは学生時代にオスカー・ヘルミングの教えに感化されたときのことを
「その日、私の理解の扉はいつもより少し広く開いており」(p.36)と書いている。
普段はグリーンリーフも重要視していなかった講義から人生のきっかけを
つかんだのは、まさに彼の心に余裕があればこそだと思う。
・心に余裕がないときは、どうしても感情が先に立ってしまい、判断力が鈍る。
どうやって自分の心の余裕を生み出すか、乱れたときに取り戻すかが大切だ。
・自分は勤務先で後輩の職員とペアで仕事をしている。
後輩本人が仕事の不出来を常に他人の責任にするような態度をとっていた
こともあって、自分としてはその人をどうしても好きになれなかった。
そのような状況でも、自分が相手を信頼しているかのように振舞ってきた。
明らかに演技である。ある日、当人の失敗のリカバリーを深夜までかかって手伝った。
自分は当人との関係を演じていたのだが、この日は途中から
「演技ではなく、真に当人のために」と思って行動した。空腹と睡魔に
耐えている中で、なんとか失敗を取り戻したところ、当人から自分のミスの
謝罪と協力も感謝の言葉が出てきた。心から相手に寄り添った成果だと思う。
また、逆説的だが、そこまで演技で表面的とはいえ良好な関係を築いて
いたからこそ、肝心なときに心を通わさせることができたのだと考えている。

・大学で現役学生を相手にする仕事も担当している。学生のグループ活動では
優秀でリーダーにふさわしいと評価した学生に支援を頼んでいる。
最近、そうした優秀と目をつけた学生が親しくしている別の学生が数年間で
よく成長しているケースが多いことに気がついた。
・会社の仕事でも入社した当初は最初目立たなかった社員がしばらくすると、
どんどん成長して最優秀社員になることがよくある。
・優秀な人、ロールモデルとなる人が近くにいると、「自分もああなりたい」
という思いがその人を成長させる。「自分がこうなりたい」という目標形成は、
自分が成長することにも他の人を成長させることにも重要な条件だ。
・自分を過大評価する人も過小評価する人も結局どこかで伸びなくなる。
心に余裕を持って自分のいろいろな面を客観的に評価することができると、
まず他人に対する評価が変わり、自分の成長のきっかけを見つけることができる。

組織の中でいかに個人を生かしていくか、その現代的意義や個人の成長に向けてのあり方について熱い議論が展開されました。グリーリーフがサーバントリーダーシップを提唱してから約45年、その意義はますます深まってきているようです。
第二期第5回(通算第60回)の読書会は、2月26日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。第1章「リーダーとしてのサーバント」を読み始めます。

第二期第3回(通算第58回) 読書会開催報告

第二期第3回(通算第58回) 読書会開催報告
日時:2015年12月25日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

サーバントリーダーシップ読書会は第二期に入り、今回がその3回目です。
ロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダーシップ」の邦訳(注)には、日本語版の監訳者である神戸大学の金井壽宏教授の簡潔でわかりやすい解説が付されています。
 (注)「サーバント・リーダーシップ」 金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年。本読書会のテキスト
第二期の読書会は、最初にこの解説を会読しています。

グリーンリーフの著作としての「サーバント・リーダーシップ」は、彼の執筆、雑誌原稿、講演録などを集めて米国で1977年に刊行、2002年に再刊されていました。
再刊にはフランクリン・R・コヴィーとピーター・センゲが寄稿し、その日本語版には、さらに金井先生の解説が寄せられました。
それらはグリーンリーフの思想を学ぶ良いガイダンスとなるとともに、斯界の世界的著名人がサーバントリーダーシップという概念に強い期待を抱いていることを感じさせるものです。

【監訳者解説(今回の読書範囲の抜粋)】
・ここで著者グリーンリーフの経歴を駆け足で見ていこう。
・ロバート・キーフナー・グリーンリーフは、一九〇四年七月十四日(中略)インディアナ州テレホートに生を受けた。
・一九二四年には、ミネソタ州のリベラルアーツ教育における名門カールトン大学に移った。(中略)社会学者のオスカー・C・ヘルミングに講義で出会った。
・ヘルミングは(中略)どのような組織もより大きな社会に対して役割を果たしており、一定の機能を持ち、そして誰のために、何のために、その組織が創られているかを問う必要があると教えた。ヘルミングの影響もあって、グリーンリーフは、AT&T(注)を就職先に選ぶ。
 (注)アメリカ電信電話会社。米国郵便配送の改善で名を挙げたセオドア・ニュートン・ヴェイルと電話を発明したアレキサンダー・グラハム・ベルが提携して設立した電話会社。19世紀から20世紀にかけて全米均一の高品質サービスを目標に、長距離交換と市内交換の通信サービスから製造、研究などを含む水平、垂直統合を果たし、アメリカ最大の企業として最大時のグループ従業員は100万人規模。1980年代から多数の地域通信会社や研究部門などが分割され長距離電話交換部門のみが残された。2005年には分割された会社の一つに買収され、その買収会社がAT&Tの名称を継承し(新AT&T)、旧AT&Tは長距離電話交換を行なう子会社として存続している。
・「(前略)この会社について深いレベルから学べて、アイデアを持ってこの会社に影響を与えられるような職位を得ようと思いました。・・・・私のビジョンは、社内では公言しませんでした。もしそんなことをしていたら、おそらく、そもそも採用されなかったでしょうし、この会社で長く生き残ることもできなかったでしょう。私はいつも、そのときどきの仕事でうまくいくように、能力のあらん限りを振り絞ろうとしました。それでも、入社のその日から、退社の日まで、自分自身のアジェンダ(目論見)をいつも持ち続けました」(『伝記』八三頁)(注)
 (注)Don M. Frick, Robert Greenleaf: A Life of Servant Leadership, San Francisco CA: Berrett-Kohler, 2004.
・一九六四年にAT&Tを早期退職し、応用倫理研究センター(Center for Applied Ethics)を創設した。(中略)一九六六年(中略)コンサルタントとして、リーダーシップというテーマについて、(中略)ファリシテーターを引き受けた。このプレスコット大学での教育経験と学生との接触が、一九七〇年の小冊子の魁けとなっている。
 (注)「一九七〇年の小冊子」が本書の第1章となっている。
・(前略)一九六八年には、(中略)やがて日本にも飛び火するが、米国における学生の反乱のピークの時期だった。自由を求める学生は、リーダーシップを取るような人は信じられないというアンチ・リーダーシップを謳っていた。(中略)このような状態を、ジョン・W・ガードナーやグリーンリーフは、残念ながら、若者は、アンチ・リーダーシップ・ワクチンを服用してしまったと嘆いた。
・グリーンリーフが、力づくで国を引っ張った人たちへのアンチ・テーゼともなるような代替的なリーダーシップ像を模索していたのは確かである。それこそ、みんなのために生きること、尽くすことのできるサーバント・リーダーというアイデアだった。(中略)言葉がフロー(自然の流れ)のように溢れ出て、小さなエッセイが誕生した。タイトルは「リーダーとしてのサーバント」。のちの一九七〇年のオレンジ色の冊子につながる。
そのころから、ついに、自覚的なサーバント・リーダーという哲学の語り部となり、このアイデアを提唱して広めるためのリーダーシップを自ら取り始めた。
・ギャロップ社の調査では、ミリタリー・リーダーを信頼できるという支持率が八十パーセントであるのに対して、ビジネス・リーダーの場合には二十八パーセントと低迷している。しかも驚くことに、この数字は三十年もの間、ほとんど変わっていない。
ビジネススクールは、(中略)コーポレート・エシックス(企業倫理)についても科目を持つことが求められる(中略)リーダーシップ育成そのものに倫理という次元が内包されrていくべきだろう。
・グリーンリーフ・センターの前所長を務めたラリー・スピアーズは、このグリーンリーフの考え方を次のように整理し、解説している。(中略)
読者のみなさんが、日々、サーバント・リーダーシップに親しみ、職場や家庭の中で実践し、よりよい社会をつくるためのきっかけとなれば、監修者としてこれにまさる喜びはない。

【スピアーズによるサーバントリーダーの属性】(解説略、本書p.532-533参照)
1) 傾聴(Listening)
2) 共感(Empathy)
3) 癒し(Healing)
4) 気づき(Awareness)
5) 説得(Persuation)
6) 概念化(Conceptualization)
7) 先見力・予見力(Foresight)
8) 幹事役(Stewardship)
9) 人々の成長にかかわる(Commitment to the growth of people)
10)コミュニティづくり(Bulding community)



金井教授の解説を会読して、参加者からそれぞれの意見や思いが表明されました。

・金井教授は、グリーンリーフの最初の著作について「言葉がフロー(自然な流れ)の
 ように溢れ出て、小さなエッセイが誕生した」と解説されている。
 フローということばは心が充実し高まった状態を示すもので、それ自体が
 サーバントリーダーシップの価値を高めているように思う。
・サーバントリーダーシップの10の属性の最初に「傾聴」という項目あり、
 その中で他者の声のみならず「同時に自分の内なる声に耳を傾け」と書かれている。
 ベトナム生まれの禅僧であるティク・ナット・ハン(注)が同様のことを述べていた。
 自身の内なる声を含めて傾聴をリーダーシップの第一要素としている点が卓越している。
 (注)1926年ベトナム生まれ。生誕地の古都フエで出家。ベトナム戦争中、政治的立場を離れた非戦活動を唱えて社会支援に従事。キング牧師とも親交があり、彼によりノーベル平和賞候補者にも推奨された。著書多数。

・「コーチング」の目的は「自分が発信したことに自分が気づくこと」である。
 これを達成することをオートクラインといって、自分自身の心が自然に発露する
 フロー状態を意味している。
・オートクラインとはもともと医学や生物学の世界では内分泌のことである。
 内分泌にもいくつかの分類があって、ホルモンなどと異なり、分泌した物質が
 分泌した細胞自身に影響するものをオートクラインと分類している。
 コーチングの世界での自分の発信に自分で気がつくことに適用したのは実に適切だ。
・グリーンリーフが当時の世界最大の会社であるAT&Tに勤務していたという
 経歴が面白い。
 Don M. Frickのグリーンリーフの伝記から金井教授の解説に引用されている
 箇所(本書p.566。本報告書上記参照)を読んでみても、大きな組織に
 勤務する中で「腹芸」が必要な状況も多数あっただろうと想像する。
 ほとんどの人はそうした中で組織に染まっていってしまうのだが、
 グリーンリーフの著書や発言からはそうした点は見当たらない。
 しっかりした芯のある人生観を持っているのだろう。
・引用された伝記にある「人生のアジェンダ(目論見)」ということばだが、
 アジェンダや目論見ということばが人生と結びつくと、胡散臭い感じを
 与えてしまう。
 今の時代、人生そのものを短絡的な損得勘定で測る風潮が強すぎるからだろうか。
・グリーンリーフがAT&Tを退職した1964年は、AT&Tはまだまだ上り調子だった。
 その時代背景に注意しながら彼のそのときの人生の目論見を推察していくことで、
 彼が説くサーバントリダーシップをより深く理解できるように思う。



・グリーンリーフの提唱で見逃せないのがリベラルアーツの重要性の指摘である。
 最近のわが国でもライフネット生命の会長・CEOで、昨年(2014年)の
 サーバントリダーシップ・フォーラムに登壇頂いた出口治明さんや
 研究者の麻生川静男さんがリベラルアーツの重要性を説いている。
 リベラルアーツでは、他から与えられる「結果としての情報」が知識なのではなく、
 事象を自分の頭でひとつひとつ噛み砕いて解明していったことが知である。
 言い換えれば頭脳の使い方のことであって、そのことによって人は根源的な
 「知」へアプローチしていくことになる。
・1960年代の米国も白黒を明確にすることが貴ばれる科学万能時代だったと
 思われるが、そこから半世紀経った今の日本では、教育行政が大学における
 実業学習を重視し人文科学を軽視しようとする傾向が如実になってきた。
 大学の世界ランクで日本の大学が軒並み順位を下げているが、この事実を
 「大学のランクの測定方法に問題がある」などと言って見過ごすと危険だと思う。
 安易な商業主義に乗った、いわば人間を報酬で釣ることを肯定した結果ではないだろうか。
・リベラルアーツの原点は、古典を原典で読むこと。容易なことではないが、
 原典の中にしか存在しない世界がある。
 ダライ・ラマ14世が物理学者ら自然科学者と対話をしたときのこと。
 科学者が最新の情報をもとに質問をしたり議論を持ちかけてもダライ・ラマは
 質問や討議の内容に臆せず、堂々と対等に話をしていた。
 仏教や哲学をはじめ多くの原典で学んだ人なればこその対応だろう。
・自然科学の知識は十分にないのだが、下手な学説の解説書よりも、
 その分野の始祖と言われる人の伝記や評伝を読むと学説の本質をつかむことが
 できる。
 最近ではポアンカレ予想を証明したペレルマンの伝記などでそのことを実感した。
 (注)アンリ・ポアンカレ:フランスの数学者(1854-1912年)、位相幾何学などの業績多数。ポアンカレ予想とは1904年に提示された仮説であり、証明者に100万ドルを進呈する「ミレニアム懸賞問題」のひとつとなった。
グレゴリー・ペレルマン(1966年-):ロシアの数学、物理学者。2002年から翌年にかけてポアンカレ予想を証明。この功績により数学のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞を受賞するが、ミレニアム懸賞とともに受賞を辞退し、現在は隠遁生活に入っていると言われる。マーシャ・ガッセン著、青木薫訳「完全なる証明」(2009年、文藝春秋 2014年、文春文庫)


・金井教授が10年前の米国の文献(注)から引用して、ミリタリー・リーダーの
 支持率が80%であるのに対して、ビジネス・リーダーのそれが28%、
 という事実を紹介しているが、企業にいる者としては残念であり、
 なぜそのような大きな差があるのか、ビジネス・リーダーへの信頼は
 かくも低いのか、と痛恨の思いを禁じ得ない。
 (注)Bruce J. Avolio and Fred Luthans The High Impact Leader: Moments Matter In Accelarating Authentic Leadership Development, McGraw-Hill, 2005. この数字はギャロップ社調査結果。
・組織の長の使命と決断の結果に対する責任の差がその理由ではないだろうか。
 悪い結果がおきたことに対して、最近は経営者がすぐに謝罪すれば誠実だと
 評価される風潮があるが、謝罪の事実だけでそのように評価することに
 違和感がある。
 その後の修正力の有無と修正の結果を含めて評価されるべきだと思う。
・経営者や司令官といった組織を率いる者には、誤りを起こさせないプロセスの
 構築と維持にも責任がある。
 誤りを発見したときの決断と対応の早さも重要だ。
 今年(2015年)も国内外で多数の企業不祥事があったが、なぜこんなに大事に
 なるまで放置したのかと思うことが多い。
 かつての公害企業なども自らの過ちを認めずに先送りさせたが故に、
 被害は意味もなく甚大化し、さらには自社を衰退の道に追い込んでしまった。
 向き合いたくない事実を前に、そのことにどう対峙(たいじ)し、迅速に
 どう行動していくのかがリーダーたる者は常に問われる。



・ハーバード大学のジョセフ・L・バラダッコ教授の「静かなリーダーシップ」(注)
 という著書は、10年以上前に日本語版が刊行されたが、最近新聞で
 紹介されて話題にもなっている。
 自らが正しいと信じることを周囲と自分の両方に配慮しつつ、リスクを
 取りながらも静かに実践していくことの重要さを説いている。
 (注)ジョセフ・L・バラダッコ著「静かなリーダーシップ」(高木晴夫監修、夏里直子、渡辺有貴訳。翔泳社、2002年)
・金井教授はサーバントリーダーシップは日本が大事にしてきた発想に合い、
 日本人がもっと取り入れたら良いと説いているが、静かなリーダーシップも
 同様だと思う。
・日本の文化に合ったリーダーシップが世界的にも注目されている。
 研究を続けていきたい。


2015年の年末の一夜、参加者から発言と意見交換が熱く交わされました。
次回からグリーンリーフによる本文に入ります。
第二期第4回(通算第59回)の読書会は、1月22日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

[注]上記本文の中で「サーバント」と「リーダー」あるいは「リーダーシップ」ということばを「・(中点)」で区切るケースと続けて記述するケースがあります。協会での検討の結果、サーバントリーダーなどと続けて記述することを基本としますが、本書の引用など、原典に中点があるものはそれに従います(ちなみに協会の名称も、当初、中点があるもので登録したため、これに基づきます)

第二期第2回(通算第57回) 読書会開催報告

第二期第2回(通算第57回) 読書会開催報告
日時:2015年11月27日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフが著した「サーバントリーダーシップ」(邦訳:金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会は、先月から第2期に入りました。

グリーンリーフの著作としての「サーバントリーダーシップ」は、彼の執筆、雑誌原稿、講演録などを集めて1977年に刊行されましたが、その後、2002年にフランクリン・R・コヴィーやピーター・センゲの寄稿などを追加して再刊されています。
本読書会で使っている日本語版(再刊時の邦訳)は、神戸大学経営学部の金井壽宏教授の監訳、金井真由美さん(注、お二人には親族、血縁などの関係はないそうです)の翻訳により2008年に英治出版より刊行されました。

日本語版には金井壽宏教授の解説が掲載されています。
第2期の学習会では、最初にこれを会読しています。
金井教授の丁寧ながら親切な解説で、サーバントリーダーシップの全容を知ることができるのみならず、そこに書かれた金井教授のサーバントリーダーシップへの熱い思い自体が500ページを超える日本語版を読み通して、サーバントリーダーシップの真髄に近づこうという勇気と希望をもたらしてくれるものだからです。

【監訳者解説(今回の読書範囲の抜粋)】
・サーバント・リーダーシップとの改めての出会いは、(中略)世界をリードする
 七十九名ものビジネス思想家の理論や持論を満載した『経営者革命大全』(注1)を
 監訳する機会を持ったときのことだった。
 この著者たちは、数あるリーダーシップ論の中で、グリーンリーフの
 サーバント・リーダーシップ論に特に注目していた。
 (注1)ジョセフ・ボイエット、ジミー・ボイエット著、金井壽宏、大川修二監訳、
 日経ビジネス人文庫、2002年。新装版2014年

・さて、私自身の著書では『組織を動かす最強マネジメント心理学』(注2)の中で、
 初めて本格的にグリーンリーフの思想を紹介した。
 (中略)その後、比較的大勢の方の目に触れたのは、日経ビジネスのコラムにおいて、
 本社部門の役割について特集があった際に、寄稿した時の文章だ。
 (注2)金井壽宏著、中経出版、2002年
・日経ビジネスの記事を目に留めてくださったのが、資生堂トップの座についたばかりの
 池田守男社長(当時)だった(注3)。
 それを読んで「人事部長だけの話ではない、資生堂では、社長自らが全社員を支える
 サーバント・リーダーでいくんだ」と決心してくださり、新聞にそういう思いを
 述べられたりした。
 (中略)そして大変ありがたいことに、池田氏と共著で
 『サーバントリーダーシップ入門』(注4)を世に問うこととなった。
 (注3)2013年5月20日逝去。生前、日本サーバント・リーダーシップ協会の顧問も務められた。
 (注4)金井壽宏、池田守男著、かんき出版、2007年
・(サーバント・リーダーという)字句が不思議なことに自家撞着するような二語を
 組み合わせていることだ。
 そのような用語法を撞着語法(オキシモロン oxymoronという語は、
 ギリシャ語でoxyは鋭敏さ、moronは愚鈍さ)と呼ばれてきた。
・ここに通常のリーダーシップ論が想定しがちな、カリスマや英雄のイメージはない。
 また並外れたオリジナリティや、絢爛で勇猛なリーダーシップ論の新機軸があるわけでもない。
 しかし、不思議にも、そこにこそ、穏やかながら、心から信じることができる
 リーダーシップ像がある。
・リーダーシップの権化のお湯な方にも、少し気持ちを鎮静させるために本書を読んでほしいし、
 逆説的だが、リーダーという柄ではないというコアたにも、こんなスタイルだったら自分も
 リーダーシップを発揮できるのではと思える可能性が大いにあるので、そんな希望を持って、
 本書をひもといてみてほしい。
・すべてのタイプの方々に本書をお薦めしたいと思う共通点は、サーバント・リーダーシップ
 という考え方と実践法が、これまでのリーダーシップ論に代わるオルタナティブである
 という点にありそうだ。




金井教授の解説を会読して、参加者からそれぞれの意見や思いが表明されました。

・ある素材メーカー企業で品質保証の仕事をしている。
 金井教授が本書の読み手として期待している本社(本部)要員だが、金井教授の
 主張通りで黒子として事業部の強みを生かすことが使命と思っている。
 事業部に対して高圧的に出ると彼らはついてこない。
 正しいこと高圧的にいうとさら動かなくなる。
・消費財メーカーで研究開発に従事しているが、最近、現場を知ることの大切さを
 痛感している。
 お互いを尊重し、しかし安易に依存するのではない関係を築く経営方針が浸透している。
 経営者は「現場」「現物」「現実」の三現主義に「現在」という現状に安住しない
 という意図の用語を加えているが、こうした考えが現場力を強めている。
・会社を経営している経験から、従業員満足が顧客満足を生み、それが利益を生み出して
 いくことを感じている。
 自らの経営品質を正していくことが企業力の源泉である。
・外資系企業の本部で働いていた時の経験だが、自分達の組織が現場に貢献するための
 標語として、「for them」「to them」「with them」「by them」を掲げた。
 自分達の存在を意識させないでしっかり貢献する「by them」を目標としていた。



・フォロワーが自然に行動する「状況」を作ることが肝要。
 上長の強要というか部下が「やらないと上司に怒られるから」という動機で働くと、
 その行動が企業理念やバリューなどの本質から離れていく。
 何よりも上長が正しい判断、正しい指示をしている内はまだしも、判断を誤った場合に
 深刻な問題を起こしかねない。
・日本において外資系企業はトップダウンがきつい、という感を持つがどうなのだろう。
・総論では決められないが、外資系の場合、code of conduct(行動規範)が明確で、
 その範囲内であれば自由というケースが多い。
 日本企業の場合は思考、判断、行動の自由に「きつさ」を感じることが多い。
 ただ、「ものづくり」における品質の良さ、均質性は総じて日本企業の方が高い
 レベルにある。

・勤務先でトップが示したビジョンには「(その企業が所属する)業界での最上位
 となるとともにその業界の発展」という意図が込められている。
 しかしながら現場ではそれが浸透せずに内向きの権力争いが絶えない。
 所属する組織で上長が不在となると組織メンバーが思い思いの方向に動き出し、
 若手から「優先順位がわからない」という訴えがあった。
 副長の役割がある自分としては、いろいろ考えて「迷ったら顧客第一でいこう」と周囲に
 伝えたことで、メンバーの迷いがなくなってきた。
 組織リーダーの仕事は職務の技術上の選択よりもビジョンの共有が重要だと感じている。
・勤務先の業界は10年ほど前まで絶好調だったが、7年ぐらい前から低落傾向にあり、
 現在、業績は好調時の3分の2程度になってしまった。
 組織内にも迷いや混乱が見られる。
 その中で自分も「顧客第一」という主張をしてきた。
 当初は反応が薄かったが、徐々に浸透してきている。
 メッセージはすぐには伝わらない、少しずつ時間をかけて伝わっていくものだと痛感した。
・職場で若い部下が多いことからお互いの尊厳を傷つけないように自分の意見を開示する
 「アサーティブ・コミュニケーション」を心掛けている。
 若い人の場合、いろいろなコミュニケーションに慣れていないという理由で、
 納得がいかないまま上長の言うことに従っているということが多数ある。
・大学の助手として学生を始動する役割を担っている。
 最初の頃は指導者然として頑張っても学生をリードできなかったが、学生が大学を
 通じての生活を充実させることが自分の任務と意識して行動するようにしたところ
 学生がついてきてくれるようになった。
 その経験の中で、さらに日頃から学生と対等に交流していくことが相互の理解と協力に
 不可欠であること、また考えているだけではなく、実際に行動することの重要性を学んだ。
・今、自分は哲学者のアリストテレスが著書「政治学」(注)で述べた
 「実際に奴隷である人、あるいは自由民である人のすべてが、生まれながらに奴隷
 または自由民であるとは限らない。自分の人生の舵を握り、主人となって文字通り、
 主体的に生きる人は、例え生まれた身分が奴隷であっても、彼は奴隷ではない。」
 という趣旨ことばに感化されている。
 この教えから自分のサーバントリーダーは自分自身である、と思っている。
 (注)邦訳は、山本光雄訳、岩波文庫、1961年。
 牛田徳子訳、京都大学学術出版会、2001年など




・組織の長の中に、部下から厳しい内容の情報が上がってくると、それが正しい
 内容であってもネガティブな評価を与える人も多い。
 自己肯定感が低く自分に自信がない、言い換えれば謙虚でないともいえる。
 サーバントリーダーシップの要素には「謙虚力」というものがあると思う。
・人、特に上の立場にある人が自らの間違いを認められることは「誠実」の証だと思う。
 さらにリーダーはそのときどきの状況に応じて、自信をもって自分の意見を主張したり、
 逆に一歩引いたりと行動様式を使い分けていくことが肝要だ。
・人は初歩的なことを親や先生、先輩から教わるという時期がある。
 そうした学びの時期を経て、自立していく。
 組織でも同様でリーダーはフォロワーやメンバーの成熟度に応じて行動を変えていく
 必要がある。
 人の話を聞いて状況を見極めて判断できることがリーダーに求められる能力だと思う。
・組織のポジションに関わらず、周囲と対等でアサーティブな関係を築けることが
 リーダーの資質と考える。
 反対意見は表面的には「対立」ではあるが、反対意見を述べる相手の意図を
 信じられるかどうか。
 これには、自分の信念に自己満足に堕さない高い美意識があるかどうかが鍵になる。
・現在のように混迷し重苦しい雰囲気が漂う時代であればこそ、真のリーダーが
 多数輩出されるようにしていきたい。

初めて参加された方を含めて、みなさんから多数の意見や見解が示され、熱い議論が続きました。
次回、第二期第3回(通算第58回)の読書会は、12月25日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

[注]上記本文の中で「サーバント」と「リーダー」あるいは「リーダーシップ」ということばを「・(中点)」で区切るケースと続けて記述するケースがあります。
協会での検討の結果、サーバントリーダーなどと続けて記述することを基本としますが、本書の引用など、原典に中点があるものはそれに従います(ちなみに協会の名称も、当初、中点があるもので登録したため、これに基づきます)

第二期第1回(通算第56回) 読書会開催報告

第二期第1回(通算第56回) 読書会開催報告
日時:2015年10月23日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

この読書会は、ロバート・K・グリーンリーフが著した「サーバントリーダーシップ」(邦訳:金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)を参加者で会読して、サーバントリーダーシップとは何か、その体得と発揮に求められるもの何か、といったことを自由に語り合う会です。特定非営利活動法人日本サーバント・リーダーシップ協会では、約5年前から読書会を開始して、先月、読み終えました。
多数の参加者から再度、読み直したいとの要望があり、また読書会に新しく参加を希望する方が多数おられることから、改めて最初から会読していくことを決定しました。

生涯を人材育成とリーダーシップの本質究明に尽くしたグリーンリーフは1904年に生まれ、1990年にこの世を去りました。
彼の研究は、当時、全米最大すなわち世界最大の人員規模を誇る企業であった通信会社AT&Tでの人事関連の仕事を通じて、そしてAT&Tを退職した後の各方面でのさまざまな活動に基づく実践的なものです。
グリーンリーフは多数の経験や見聞を彼の豊かな知識と教養に基づいて分析し、真のリーダーシップの姿やあり方を明らかにしていくことに努めてきました。
その生涯が20世紀という時代にほぼ重なるグリーンリーフの成果は、20世紀の象徴たる巨大で高度に組織化された企業社会の中におけるリーダーシップ論の一面を持ちます。

グリーンリーフの著作としての「サーバントリーダーシップ」は、彼の執筆、雑誌原稿、講演録などを集めて1977年に刊行されました。
その後、四半世紀たった2002年にフランクリン・R・コヴィーやピーター・センゲの寄稿などを追加して再刊されました。
再刊時に出版が期待された邦訳は、2008年に神戸大学経営学部の金井壽宏教授の監訳の下、金井真由美さん(注、お二人には親族、血縁などの関係はないそうです)の翻訳により2008年に英治出版より刊行され、本読書会はこの日本語版を利用して開催されています。

日本語版には金井壽宏教授の親切な解説が掲載されており、第2期の学習会では、最初にこれを会読することにしました。
初回は「監訳者序文」と「監訳者解説」の冒頭です。



【監訳者序文(抜粋)】
(本書は)大声を出して、ぐいぐい引っ張る、どちらかというと目立ちたがり屋向けのリーダーシップ・スタイルは、自分には向かないと思っておられる方には特にお薦めだ。
一見すると穏やかで地味だけれども、肝心なところでは静かに支えてくれる奉仕型のリーダーの薦めだ。
みんなを力強く引っ張るのがリーダーだと思っていた中、リーダーがフォロワーに尽くすのが一番自然だとさらりと述べた。
(中略)和歌のもつパワーについて紀貫之は、「力をも入れずして天地(あめつち)を動かし」と述べたが、そんな響きがサーバント・リーダーにはある。
本書は、提唱者自身による、最も信頼できる元祖サーバント・リーダーシップ論を提供するものである。
これまではリーダーシップなど柄ではないと言っていた人が、違うタイプのリーダーシップがあるのだと気づいてくれる。


【監訳者解説(抜粋)】
本書は、もともと一九七七年に出版されたが、その後も長く読み継がれてきた。
(グリーンリーフ)センターは、グリーンリーフの考えを実践的に広めるために活動をますます活発に(中略)。
グリーンリーフ・センターの十カ国目の支部がわが国に開設されている。本書の発刊を機に、日本支部でも活動が盛んになることを期待したい。

(注)特定非営利活動法人日本サーバント・リーダーシップ協会は、この日本支部をNPO法人化したもの。

グリーンリーフは、根っからの実践家でありつつ、深い思考のできる人だった。
サーバント・リーダーシップ論は、実践家グリーンリーフ自信の経験と内省と思索に基づく持論の見本である。また同時に、倫理的にぶれないインテグリティ(誠実な高潔さ)を保つことを望む経営層、また経営幹部候補にとっては、リーダーシップ持論の手本でもある。世の中には、経験を内省し、そこから教訓を引き出し、言語化している人がいる。暗黙のままにせずに、サーバント・リーダーシップという言語を作り、また、その条件を明示しようとする点が肝心だ。




金井氏の解説を会読して、参加者からサーバントリーダー、サーバントリーダーシップに関するそれぞれの意見や思いが表明されました。

・サーバントリーダーを目指すために、まず自分がこの人についていこうと
 思う人を定めて、その人の思考方法や行動を真似ていくという方法がある。
 自分がリーダーと見定めた人との出会い、機会を生かしていけるかが大切だ。
・軍隊組織では組織がまとまって合理的に行動する必要があるので、
 トップダウンで指示がなされてきた。
 最近はテロやゲリラなど予測のつかない敵行動への対応、つまり正確で迅速な
 判断が必要となっており、がわが国の自衛隊を含めて現場判断の重要性が
 強く認識されつつある。
・What(何)、When(いつ)、Where(どこ)は上官のもの、How(いかに)は
 現場のものということだろう。
・山本五十六元帥に「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、
 人は動かじ。」という名言があるが、これの続きは「話し合い、耳を傾け、
 承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、
 信頼せねば、人は実らず。」というものである。
 本当のリーダーシップを必要とする組織におけるリーダー育成の原則は
 時代を超えて普遍性がある。

・ラリー・スピアーズがまとめたサーバントリーダーシップの10の原則
 (本書 p.572-573)には同意するが、傾聴や癒しが集団の甘えを生むことに
 ならないかと懸念する。
 リーダーが聞き役に徹するということも、現実の世界では「自分の上司は
 決断力や指導力がない」といった評価になることが多いのではないだろうか。
 現場での振る舞いをどうしていくか、ということが重要そうだ。
・部下を受け入れ、しかしながら部下に媚びるのではない、という姿勢は、
 そのバランスのとり方が難しい。周囲が良質なフォロワーであることが
 必要条件だ。
 周囲をフォロワーとして一人前にしていくこともリーダーの重要な責務だと思う。
・女性が店長、店員を務める店舗を展開するビジネスに関わっている。
 店の中で店長が店員に迎合した運営を行うことを「おかあさんマネジメント」
 と呼んでいる。
 こういう状態を回避するために、店長に「どのような店にしたいか」
 というビジョンを明確にするように本部が指導している。
 リーダーがしっかりしたビジョンをもつことで、メンバーの意見も冷静に
 受け入られるようになる。

・自分の経験や内省を言語化する難しさに直面している。
 これらをうまく伝えられる「ことば」に悩んでいる。
 どのようにすれば自分のイメージを他人に正しく伝えられるのか、そのために
 実践すべきことは何か、ということを常に考えている。
・メンバーの認識の共通化や意識の統一を図るために、集団での討議や個別面談を
 繰り返し実施している。
 組織全体で熱く語れるようになるに従い、部下に対する細かい指示が不要に
 なってきた。
・メンバーの意識統一には組織の持つ本来の風土や気風といった要素も大きい。
 自分の前職は完全なトップダウンスタイルだったが、現在は、メンバーは
 本質的に対等という意識の企業に所属している。
 後者でも中の組織単位で上司となる人間の意識差があるが、その差はそのまま
 エンゲージメント・スコア(注)に結果として反映されている。
  (注)従業員の企業への所属意識の強さを定量化したもの
・ある会社の総務の仕事に携わっている。
 親会社から出向で来ている上司がいわゆる「手柄独り占め」タイプ。
 上司との人間関係に苦労してきたが、考え直して、その本人に尽くすように心がけてみた。
 その結果、その上司の態度が変わってきている。
 理屈で考えるよりも行動していくことが大切だと学んだ。
・比較的若い内に100人規模の組織を任された。
 その規模の組織となると下位に組織を作り階層化して、運営するのが当然のこととなるが、
 その中でもトップが末端まで直接につながるチャネルがあることが重要だと思う。
 わが国の政治を見ていても思うことだが、間接民主主義では、多数の末端の思いが施政者に
 伝わらないことが多すぎる。



・保育事業に関わり、園で責任者を補佐し、良い園を作ろうと園全体で努力
 している。
 この業界は資格をもった若い保母が不足していて、引き抜きが激しい。
 昨日まで一緒に良い園をつくろう、と語っていた若い保母が翌日に
 「よその給与の方が良いので、こちらを辞める」ということが時折発生する。
 その前日の熱い語りを思い出して、自分たちは何のために苦労しいている
 のか、と思い悩む。
・自分が所属する業界でも部下が育ってくると、さらなるステップアップを
 図って転職していくことが多い。
 内心とても残念なのだが、自分の意識を改めることで、本人のモチベーションを
 重視して新天地で活躍してくれれば自分のことのように嬉しい、と思える
 ようになってきた。
・外部で活躍できる人は、自分が最も輝く場で活躍すれば良い。
 人を育てるというよりも育つことを補助することを大切にしたい。
 美味しいごはんを炊くためには、やたらにかまどにまきをくべるのではなく、
 時に抑えつつ、じっくりと炊き上げ十分に蒸らして、米がその旨さを自ら
 発揮するようにしていく必要がある。
 米が自分で自分のうまさを発揮するような火加減ができるようになるのは
 難しい。
 良い人材の育成も似たようなことなのだろうと思う。
 そうやって人を育てられるようになることを自分の喜びとしたい。
・組織に新たに参加してくる人に、自分たちの理念を説明して、それに同意
 できるかどうか時間をかけて十分に確認している。
 そうでない人は技術があって有能でも、やがて目指す方向が異なることが
 お互いに認識した時点で関係が上手くいかなくなるので、あえて採用しない。
 また会社内で時間外に読書会も実施している。
 組織に所属する自分たちの思いが共通していることを確認することに
 役立っている。
 ちなみに、今は新渡戸稲造の「修養」を読んでいる。
・欧米や中国などの海外では職員がステップアップのために転職を繰り返す
 ことが当然のように思われるが、自分が所属する組織ではこれらの国でも
 定着率の高い。
 なぜ残っているのか、と質問すると、上司が好きだとか、仲間が良いといった
 人間関係を挙げるケースがほとんどだ。
 上司がいかに環境を作っていくかに鍵がある。

各自の理想とするリーダーシップを熱く語りながら、真のリーダーシップを探す旅が始まりました。
次回、第二期第2回(通算第57回)の読書会は、11月27日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。

[注]上記本文の中で「サーバント」と「リーダー」あるいは「リーダーシップ」ということばを「・(中点)」で区切るケースと続けて記述するケースがあります。
協会での検討の結果、サーバントリーダーなどと続けて記述することを基本としますが、本書の引用など、原典に中点があるものはそれに従います(ちなみに協会の名称も、当初、中点があるもので登録したため、これに基づきます)。

第55回 読書会開催報告

第55回 読書会開催報告
日時:2015年9月25日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の会読は、グリーンリーフが著述した本文と、ピーター・M・センゲの寄稿「終わりに」を読了し、前回はスティーブン・R・コヴィーの「前書きに代えて」の前半を読みました。
今回はその後半です。
この寄稿はグリーンリーフの死(1990年)から12年後の2002年に刊行された「サーバントリーダーシップ25周年記念版」に収録されたものです。
グリーンリーフの著述、寄稿、講演録などが「サーバントリーダーシップ」という本に最初にまとめられたのが1977年でした。
その後、20世紀の最後に向けてサーバントリーダーシップの必要性と重要性が広く認知されるようになり、21世紀にはその重みを一層増していく、という時代背景の中で大きな期待をもって米国で25周年記念版として再刊されたのです(邦訳は2008年)。



コヴィーは、サーバントリーダーシップとは時代を導く、まさに現代において求められる規範であると定義します。
道徳的権限をサーバントリーダーシップの別名であるとして、その特徴を4つ挙げています。

1.道徳的権限または良心の本質は、犠牲である。
自分自身や自分のエゴを犠牲にしてでも、より高い目的や大義、原理を目指すこと。
身体[body]、 良心[mind]、敬愛[heart]、精神[spirit]の四つの側面にいろいろな形で現れる。

2.良心によって、われわれは身を捧げるに足る大義の一部になろうという気にさせられる。
ヴィクトール・フランクル教授はナチスの収容所で、「私に必要なものは何だろう」という問いかけを「私が必要とされるものは何だろう」に改めたことで世界観が変わった。
このように良心の声から人生の答えを得ることができる。

3.目的と手段を切り離せないと言うことが、良心からわかる。
目的と手段の両方とも大事であり、分けて考えられないということを良心が教えてくれる。
良心は「目的が手段を正当化する」というエゴを認めない。

4.良心によって、人と人が結びつく世界へ導かれる。
良心のおかげで、われわれは独立した状態から、お互いに頼り合う状態へと変化する。
良心は、情熱を、互いへの情熱、すなわち思いやりにも変えてくれる。
良心に従って生きることで誠実でいられ、心も平安である。

コヴィーはさらに、道徳的権限を「道徳的性質+原理+犠牲」と定義して、犠牲こそが道徳的権限の本質であると主張します。
「道徳的=犠牲」と「権限」の相反することばを合わせて新しいことばを作ることを撞着(どうちゃく)語法と呼びます。
サーバントリーダーも撞着語法によることばの一つです。
コヴィーは「道徳的支配はサーバントであること(中略)によって達成され」るとして、グリーンリーフの「彼らが自らの意志で応じるのは、サーバントであると証明され、信頼されていることを根拠に、リーダーとして選ばれた人に対してだけだろう」ということばを引用しつつ、「真に優れた組織のまさにトップの人間はサーバント・リーダーだ。」と断言しています。
コヴィーはサーバントリーダーシップが現代アメリカ、そして世界中の心の傷を癒やせると期待を寄せ、サーバントリーダーシップに満ちあふれた世界を夢見つつ、本書の再版を進めたグリーンリーフ・サーバントリーダーシップ・センターへの謝辞と祝辞で寄稿を終えます。
コヴィーの「前書きに代えて」の後半を読み終えて、参加者の議論が始まりました。



・コヴィーは良心(道徳的権限)の本質は犠牲である、と言っている。
 日本語の語感の問題ではあるが、犠牲ということばに非主体的に被った被害、
 厄災という感じを抱く人も多いだろう。
 この点をどのように補足していけば良いだろうか。
・まさに主体性の有無が問題になるところだろう。
 物事に取り組むことに対する矜持(プライド)の有無と言い換えても良い。
・ある行為に対する周囲の評価と本人の評価の評価が分かれることがある。
 犠牲的行為においてはさらに顕著である。
 卑近な例であるが、チーム・スポーツの現場では「与えられたポジションを
 全うできて一流、そのポジションでチームのための犠牲的プレーを楽しめる
 のであれば超一流」と言わるが、一脈通じるものがある。
・キリスト教では自分の能力は神様から与えられたものと考える。
 犠牲や奉仕は「自分を削って他者に渡す」のではなく、「自分が神様に与えられた
 ものを神様に返す」のだと考える。
 人類の真の苦しみは全てイエスが背負い、人が奉仕や犠牲で苦しむことはない。
・行動を視座の高さや時間軸を含む尺度で評価することも重要だと思う。
 目的や目標に対する視座を上げて、長期的な視野に立って、全体最適となるような
 行動の選択を行う。
 その行動によって生じる犠牲については、自分の視座を上げて長期の視野に
 立つことで、自分に被害をもたらす厄災という感覚から自分が掲げる目的の
 達成過程で起きたできごとに過ぎない、という具合に変化してくる。
・信託業務に携わっているが、これには長期的視野が欠かせない。
 フィデューシャリー・デューティーと称して、目先のことにとらわれず長期的に
 最適な選択となることが求められている。
 企業である以上、短期の利益を無視できないのだが、その中でのバランス感覚に
 注意しながら、常時、市場と対峙していく。
・家族や職場があって忙しい中でも地域社会での活動を続けてきた。
 かなり犠牲を払っていると同情されたこともあるが、子供の希望があって
 始めたことであり、さまざまな苦労よりも実現した喜びが大きい。
 自分から削られてしまったものの上に、より大きなものが生まれている。
 全員が楽しい気持ちになってくれることが自分にとっても最も楽しい。
 一方で、自分の職場はかなり忙しく、被害者的な意識を抱いている人もいる。
 こうした人たちの気持ちを少しでも変えさせることができれば、と望んでいる。

・コヴィーはヴィクトール・フランクルを引用しているが、フランクルは
 その主著の「夜と霧」(注)の中で、自分が生きることの意味を強く意識する
 ことの重要性を説いている。
 未来を見通し、その中での自らの姿を想像することから自分が生きることの
 意味を見いだせる。
 (注)ヴィクトール・フランクルの原著名は日本語に訳すと「ある心理学者の
 強制収容所の体験記録」であり、1947年に刊行された。
 日本語版の「夜と霧」は霜山徳爾役が1954年に、原著改訂版に伴う改訂版が
 池田香代子訳で2002年に、みすず書房から発刊され、現在も刊行されている。
・人はどうしても目の前のことに心を奪われ、短絡的になりがちだ。
 未来の自分を想像して、生きる意味、社会における自分のミッションを自覚する
 ことは考える以上に難しい。
 コーチングの神髄は自分への問いかけを変化させることにある。
 すなわち自分が外から何を得て何を失うのか、という認識から自分の内面に
 あるものを整理して、自分が外部に対して何をしていくかと整理させることにある。



・前職で会社の利益と個人の成績を強く問われる企業に勤めた。
 会社が指定した商品を顧客に売らねばならないが、自分にはその商品が顧客に
 最適と思えないことが多く、自分の考えと会社方針の折り合いをどうつけるか
 悩んだ。
 企業の利益という目的とその手段の選択という問題だと思う。
 いろいろと考える中で、顧客利益を最優先にすることを自分の信条とすることで、
 悩むことがなくなってきた。
・目的と手段の正しさを両立させるという課題は、企業活動の中では確かに難しい。
 目的のために好ましくない手段をとることにやむを得ず妥協する、ということも
 数多くあるだろう。
 小さな妥協がやがて大規模な目的と手段の不一致に対する不感症になりかねない。
 それを回避するためにも日常活動、たとえば家族関係の中で、目的と手段を
 一致させるように誠実な言動に努めることが一つの方法かと思う。
・長い伝統を誇る日本企業は単に儲けようということではなく、その企業の公共性や
 公共性を意識した存立の理念を常に意識していた。
 その結果、数百年という歴史を持つ企業も生まれてきている。
 純粋な企業活動とは異なるかもしれないが、京都の老舗料亭では時代の流れ中で
 変えてよいものと変えてはいけないものをきちんと区分している。
 せわしない周囲の動きに対して旧套墨守(きゅうとうぼくしゅ)でも付和雷同でも
 なく、100年ぐらいの単位で変化というものを自分の中でとらえている。
・企業が利益を上げて黒字決算することは、その企業の存在価値の証明であり
 必須条件である。
 問題は、価値測定の尺度の一つでしかない利益とかお金が別の何か特別な意味を
 持つようになり、それを得る手段の正当性や倫理性を見失うこと。
 頻発する企業不祥事を見ても、周囲からは、なぜこんなことを、と思わざるを
 得ないことが多い。
・不正の発生原因は究極、品格と美意識の欠如に遡る。品格と美意識は個人に
 帰属するものであり、企業組織にはそれらが投影されるものと考えている。
 個人が品格や美意識の習得に励み、また組織が個人に対して適切な規律を
 課すことによって、組織が品格と美意識を持つように映り、正義が実現する。

・コヴィーが引用したジョアン・C・ジョーンズのエピソードが心にしみる。
 大学の試験で「学校を清掃してくれる女性のファースト・ネームは?」
 という設問があり、これを出題した教授から「これから先、仕事の上で君たちは
 たくさんの人に出会うだろう。その誰もが重要なんだ。その人たちに注意を払い、
 気を配ってほしい。にっこり笑いかけたり、やあ、と声をかけたりするだけでも
 いいんだ。」と教え諭されたというものだ(本書p.28)。
 自分の中でも志を高く、腰は低く、視野は広く、を心がけていきたい。

スティーブン・R・コヴィーは、今から3年前の2012年7月16日、80歳を目前にその人生を終えました。
グリーンリーフの死後22年、この寄稿から10年後になります。
リーダーシップ開発に生涯を捧げたグリーンリーフとコヴィー、二人は天国で何を語り合っているのでしょうか。

さて、約5年前に始まった「サーバントリーダーシップ」読書会は、今回をもって第一期を終了致します。
長年にわたる参加者の皆さんと関係者の数多くの協力によって、終着点に漕ぎつけました。
ここに厚く御礼申し上げます。
引き続き第二期の読書会を開催致します。
次回、第二期第1回の読書会は、10月23日(金) 19:00~21:00にレアリゼアカデミーで開催予定です。
再度の、そして新たな船出に、多くの方に同道いただけることを期待しています。

第8回 近代の優れたリーダーに学ぶSL研究会 開催報告

第8回 近代の優れたリーダーに学ぶSL研究会 開催報告 広崎仁一
日時:2015年9月8日(火)19:00~21:15
場所:レアリゼアカデミー

サーバントリーダーシップは経営活動における「リーダーシップ哲学」であるとともに、すべての人が目指すことのできる「生き方」そのものであり、その人の人格や価値観に深く根ざしています。
今回は28年間ブータン農業の発展に尽くし「ダショー」(最高に優れた人)の称号を授けられた西岡京治(けいじ)氏の生涯を取り上げました。

西岡は幼少の頃から植物に興味を持ち、1952年に大阪府立大学農学部に入学しました。
そこで彼の人生に決定的な影響を与えた中尾佐助氏に出会います。
1958年、中尾は日本人として初めてブータンに入国した折り、当時のドルジ首相から農業技術専門家の派遣依頼を受けます。
その中尾の目に留まった人物が「西北ネパール学術探検隊」のメンバーとして大活躍をした西岡でした。
ブータンで農業技術指導に当たるためには、まずブータンの生活にとけ込んで「あの人のいうことなら間違いない」と信頼される人でなければ務まりません。
西岡は性格が穏やかで思いやりがあり、謙虚で、誠実で、しかも努力家でした。
こうして1964年、西岡は(現JICA)コロンボプランの農業専門家として妻里子と一緒にブータンに派遣されることになりました。



ブータンでの一年目は農場試験場として、水はけの悪い60坪の土地しか与えられませんでした。
しかしそこでブータン人がこれまで見たことのない大きなダイコンを育て実績を残しました。
二年目は試験場を水はけの良い高台に移してもらい、面積も3倍になりました。
野菜の出来も順調でこれが大評判になり、農場には国会議員や知事を含め多くの見学者が訪れるようになりました。
その後当初の二年間の任期が大幅に延長され、国王(雷龍王3世)から一年目に提供された土地の約400倍となる広大な試験場用地を与えられました。
西岡は「ブータンに来て、これほど嬉しかったことはなかった」と語っています。
そしてこの時作られた「パロ農場」はブータン近代農場の聖地となります。

「パロ農場」で特に力を入れたのは、日本式の「並木植え」と呼ばれる稲作でした。
(ブータンではこれまで苗を乱雑に植えていましたが)このやり方ですと、風通しが良い上に、手押しの除草機が使えます。
しかしいくら日本のやり方を勧めても、耳を傾ける農民はいませんでした。
そのうちに日本式の田植えをしたいという農民が現われました。
西岡は祈るような気持ちで稲が成長するのを待ちました。
そしてその結果は40%の増収でした。
その後稲作のほとんどが並木植えに変わりました。



1972年7月、雷龍王3世は療養中のケニアで心臓発作のため45歳で崩御しました。
替わって皇太子のジグミ・シンゲ・ワンチュク殿下が16歳で第4代の国王に即位されました。
秋になり雷龍王4世は西岡を中央政府に呼び「西岡の農業技術で(極貧地域である)シェムガンの人々を救って欲しい」と懇願しました。
シェムガンは山と谷ばかりで平地がほとんどなく、昔ながらの焼き畑農業を行っていました。
収穫量が下がると人々は新しい土地に移住して、また森を焼き、畑を作りながら、何とか飢えをしのぐ生活を送っていました。

西岡は、焼き畑農業から棚田を作り稲作農業に切り替える計画を立てました。
しかしこの提案はあまりにも唐突すぎて人々の同意を得ることができませんでした。
西岡の粘り強い説得が続き、800回にも及ぶ話し合いを積み重ね、ようやく納得していただくことができました。
西岡は「身の丈に合った開発」を信念とし、パイプや竹を利用した水路や、ワイヤーロープ製の吊り橋、新しい道路等を作り開発にあたりました。
その結果わずか4年余りで、シェムガンには18万坪の水田が出来上がりました。
5万人を超える人々の生活も安定し、診療所や学校も出来ました。
西岡が村を離れる日、人々は涙を流してお礼を言いました。
「村はすっかり変わりました。西岡さんが初めに言った通りになりました」と。
このシェムガンでの成果は、日本の国際協力開発事業の最も成功した事例として伝説になっています。

1980年、西岡は長年の多大なるブータン農業への貢献が評価され、国王から「ダショー」の称号を授与されました。
外国人でこの爵位を受けたのは西岡が初めてでした。
1992年、ブータンでの滞在が28年を経過しようとしていました。
この間、60%であった食糧自給率は86%を超えるようになっていました。
将来のブータン農業を継ぐ人材も成長し、西岡は自分の役割が終わりつつあるのを感じ、還暦を前に日本に帰国する予定でいました。
ところが3月21日、突然「敗血症」のため、59歳で帰らぬ人になりました。
日本で訃報の連絡を受けた里子夫人は西岡の気持ちを図り、ブータンで葬式をすることにしました。
3月26日、葬儀は農業大臣が葬儀委員長を務める国葬となりました。
西岡を慕う人々が各地から弔問に訪れ、その数は5000人にも及びました。
ブータンを心から愛し、ブータンのために生きた「ダショー西岡」の最期に相応しい盛大で立派な葬儀となりました。

葬儀の後、里子夫人はパロ農場の西岡の事務所に行きました。
デスクのファイルに目をやると一通の電報がはさんでありました。
1月23日にシェムガンから打たれたものでした。
それには「私達はあなたが再び村を訪れてくれることを、心からお待ちしております。あなたが始めた開発の仕事は今実を結んでいます。ダショー西岡、私達は一生あなたを忘れません。あなたの献身的な働きがあったからこそ、今の私達があるのです」と書かれていました。



研究会に参加された方々の発表やアンケート結果からは以下のような意見が挙がってきました。
・西岡京冶の生き方には、サーバントリーダーシップの「5つのバリュー」と
 「10の特徴」の全てが含まれている。
・人間の可能性について改めて素晴らしいと感じた。一人の人間が多くの
 人々に影響を与え、社会を変えることができるということに静かに
 感動した。
・自分も行動しサーバントリーダーシップという哲学を行動で示して
 行きたいと感じた。
・無私の心を持ち社会の役に立つことに全力で取り組まれた西岡さんの
 姿から学ぶことが多かった。
・大義や正しいビジョンに向かってサーバントリーダーシップを発揮したい。
・西岡京冶の功績は、国と国の外交問題、安全保障にも及ぶことを
 理解できた。
・「人道的大義」が粘り強さを生むということ、そしてフォロワーが
 現われてくることが分かった。
・サーバントリーダーが増えれば、世の中に良い感化を与え、社会が
 良くなり、社会的な問題も解決していくのではないかと思う。
・「自分の夢がみんなの夢になる」と言うのがサーバントリーダーシップの
 特徴だと思う。
 そしてそれが自分の経験の中で実現していたことを確認した。

次回は2016年3月を予定しています。

第54回 読書会開催報告

第54回 読書会開催報告
日時:2015年8月28日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の会読は、グリーンリーフが著述した本文を終了して、その後、ピーター・M・センゲが寄稿した「終わりに」を会読しました。
さらにスティーブン・R・コヴィーの「前書きに代えて」の会読に入り、今回はその前半です。

グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」は、グリーンリーフの諸作、専門雑誌などへの寄稿や講演録をその内容に沿って10の章に分け、1977年に出版されました。
その後、サーバントリーダーシップの概念を知る人が増え、これこそ現代において求められるリーダーシップ像である、という声が高まりました。
これを踏まえて、25周年記念版として2002年に再版されたのが、現在、私たちの手に入る「サーバントリーダーシップ」のグリーンリーフの著書です(日本語訳は2008年)。
再版された2002年はグリーンリーフがこの世を去ってから12年後であり、まさに時代がグリーンリーフに追いついてきたといえます。
本書の再刊に際して、コヴィーとセンゲがそれぞれまえがきとあとがきを寄稿しました。



コヴィーは、21世紀に入ったばかりの時代について、「市場とテクノロジーの劇的なグローバル化」と「時を超えた普遍の原理の力」がこの時代の象徴する「影響力」であり、サーバントリーダーシップこそ、その普遍の原理の姿である、と喝破しています。
そして、社会・経済のグローバル化や急速な変化に組織が遅れを取らないために、その成員に権限を与えて能力を高める(エンパワーメント)ことが必要であり、それを実現しうる人材がサーバントリーダーであると述べています。
コヴィーは、トップダウン・マネジメントが時代遅れとなり、これに代わって、「ストレンジ・アトラクター」、すなわちビジョンに引き寄せられて人々が一致団結し、共通目標に駆り立てられるようになると主張しています。
その中で、「ただ機能するリーダーシップ」と「持続するリーダーシップ」を区別し、後者には心の中の道徳律すなわち良心が宿り、サーバントリーダーシップこそが良心の体現であると力説しました。
コヴィーの話は道徳的権限に発展していきます。
これは生まれつき持っている力と選択の自由を、節度を持って使うことで湧出する普遍の原理であり、そうした普遍の原理に呼応した生き方をする人が人々の信頼を得ることができるとしています。
そして、
「道徳的権限とはサーバントリーダーシップの別名と言って良い、というのも道徳的権限とはリーダーとフォロワー(リーダーに従って動く人)が相互に行う選択のあらわれだからだ。
(中略、リーダーもフォロワーも)真実に従って(フォローして)いるからだ。
(中略、リーダーもフォロワーも普遍的な良心が支配する統一された価値体系の領域で)互いの信頼を次第に深めていく。
道徳的権限とは相互に高め合い、分かち合うものなのだ」

とコヴィーは寄稿の中で熱く語ります。
コヴィーの寄稿の前半を会読して、参加者の発言が始まりました。



・コヴィーが「信頼関係の薄い社風は、管理が極端に厳しくて建前だけに頼る上に、
 守りの姿勢に入っており、冷笑的で、内部競争が激しいことが特徴だ」と危機を
 訴えていることが印象に残った。
 さらに「それでは人に権限を与えて能力を高めている<組織>に比べて、スピードや
 質、イノベーションのどれをとってもかなうまい」と続けている。
 信頼関係の薄さが建前だけに頼る人物を生み出す。
 建前に頼るとは、突き詰めると各自の主体性の欠如ということだ。
 組織内の信頼関係の構築や強化のためには組織内に主体性を持った人材を作ることが
 重要と考えている。
・勤務先の工場でちょっとした機械の整備不良があった。
 関係する複数の部署が自部署で整備費用を全部負担させられることを嫌ってか、
 相互に牽制しあって不具合を放置したために、整備費の10倍を超える損害を出して
 しまった。
 多くの人が自分の任務の責任逃れを図り、最前線で頑張る人達の立場に立って
 いなかった。
・「冷笑する」というコヴィーのことばが痛みを伴って心に刺さった。
 会社の中で他人の失敗に無意識の冷笑を浴びせかけることを散見する。
 一人一人の態度を変えていかないと、信頼関係の構築もその先の組織改革も
 実現しない。
・一人一人の改善のためには、たとえば相手の目を見て挨拶をするといった
 簡単なことを徹底させる。
 そんな簡単なことがなかなかできない人もいたが、地道に続けていった。
 そうした活動の継続があるとき一人一人に確実に作用して、意識変革が
 できたことを経験している。
・所属の組織で「館長ゼミ」と称する責任者による集まりが長く続いている。
 あるテーマで話をするのだが、メンバーの中には「またか」という雰囲気が
 出てくることがあるが、長く続けていくことで聞き手の意識が徐々に変化していく。
・カリスマ経営者が指揮する会社で小売店のオープンに関わったことがある。
 極めて高い目標を掲げて優秀なスーパーバイザから厳しいトレーニングを課された。
 トレーニング中に脱落する人も続出したが、残った人たちのきずなと
 チームワークを発揮しての集中力は素晴らしいものがあった。
 「異なる世界」に到達する道筋がどういうものであるかを経験した。
・従業員の離職率はその会社にとって重要な指標だと思う。
 表面的に厳しいかどうかということとは別に、本質的に従業員を大切にする構造が
 あるかどうか、が問われている。



・担当職員からの報告を組織内で公開している。
 facebookなどSNSの「いいね!」をまねて、良いと思った報告に周囲が
 good pointを与える仕組みを作った。
 周囲からのポジティブな評価を明示することで、担当者が自分から積極的に
 発信するようになってきた。
 報告を受ける側も変化してきている。
・企業活動の最前線から一歩引いたところに身を置く人が傍観者となり冷笑的な
 態度をとることが多い。
 担当者から上司への「報連相=ほうれんそう(報告、連絡、相談)を徹底する
 ことが重要」としばしばいわれているが、その裏に上司が部下を信頼しない
 という事実が隠れている。
 報連相を部下に強制するのではなく、部下が自然に喜んで報連相する、
 「報連相される上司」となることが大切だと思う。
・官と民の両方の職場経験がある。民では少数の管理者が多数の部下を率いていた。
 一人ずつの報告を待っていては情報の共有もままならない、管理者が部下全員に
 報告するという姿勢でコミュニケーションしていた。
 一方で官はまさに報連相に基づく行動が規定されていて、個々人の仕事自体に
 対するモチベーションは全くといって良いほど不要な世界だったことを覚えている。
・マネジメントとリーダーシップの違い、人になぞらえればマネージャーと
 リーダーの役割の違いを再度認識していく。
 リーダーは「変革を起こす人」であり、ものごとの本質に迫っていかないと
 いけない。
 本質を見極める能力が必要になる。
・組織のトップに立つ人、マネージャーは自分がリーダーとして本質を見極める
 任務、能力があると思いがちである。
 過去にも紹介した日産自動車の場合、カルロス・ゴーンは正しい方向を見つける
 力は現場の衆知の中にあるという考えで、これを引き出す仕組み作りと維持に
 注力した。
 己の能力を過信せず、サーバントとして尽くしてきたと言える。
・企業などの組織では、トップの交代に際して、その経営や運営の方法のみならず、
 その方法に込められた理念や精神が引き継がれるかどうかが重要なポイントに
 なると感じた。

次回もスティーブン・R・コヴィーの「前書きに代えて」の後半を会読します。
9月25日(金)の 19:00~21:00に レアリゼアカデミーで開催します。

第53回 読書会開催報告

第53回 読書会開催報告
日時:2015年7月24日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の会読は、グリーンリーフが著述した本文を終了して、前回からピーター・M・センゲが寄稿した「終わりに」の会読に入りました。
今回はその後半部分の会読です。

本書にはマサチューセッツ工科大学上級講師で、組織学習協会(Society for Organization Learning、? SoL)創設者で、「学習する組織」の理論で有名なピーター・M・センゲの寄稿が「終わりに」として掲載されています。
センゲは本書をアメリカン・リーダーシップ・フォーラムの設立者で「シンクロニティ」などの著者であるジョセフ・ジャウォースキーから贈呈され、そのジャスウォースキーは米国の保健福祉教育長官を務め、教育行政やリーダーシップ研究で名をはせたジョン・ガードナーから本書を推奨されたとのことです。
これらの権威ある人々がグリーンリーフを真のリーダーシップを追究している人として評価し、彼の著書を読むことを強く推奨したのです。

センゲは「奉仕するための学び」という小見出しのついた解説で、「サーバント・リーダーとは、第一に奉仕する人だ。それが自然な感情としてわき上がり、人に奉仕したい、まず奉仕したいと思わせる。権力、影響力、名声、富を欲したりしない」というグリーンリーフのことばをサーバントリーダーシップの精神の表現としています。
そして権力や影響力の取得によるモチベーションという面をグリーンリーフも無視はしていない点に読者の留意を向けつつ、奉仕することを最優先として、かつその純粋な気持ちとして持ちうるか、と問いかけます。

センゲはその課題を解く鍵として「コミットメント」を挙げています。多くの人が「心の底からのコミットメント」とは「疑念のない信念よるものであるべきだ」、と考えることに異を唱えて、「疑念という影に身を置いたときにしか、われわれは自分と意見の異なる人の声に真剣に耳を傾けたりしない。(中略)われわれは学ぶ機会がない。」と説いています。
100パーセントの信念の価値を認めつつも、真実への道を見失わないように「不確実性を抱きながらも奉仕することがわれわれには求められている。」と真のリーダーが直面する困難について解析しました。
さらに、リーダーとフォロワーの関係において「真のコミットメントは、実際にほかのひとのための選択を生み出すのだ。」と強制ではない共感のリーダーシップの考え方を導き出しています。

センゲは、一方で「コミットメントの最後の特徴は脆弱性だ。」と書いています。
多くの人の通常の理解に反する内容ですが、この逆説的な要素が人の効果的な力を引き上げる、という論理展開です。
リーダーの役割とは人々を真実に導くためであり、そのために他者への奉仕と謙遜、すなわち自己への冷静な視線を必要とするという主張と考えられます。



最後に日常で陥りがちな「権限」と「リーダーシップ」の混同を回避すべしとの注意は、情報や判断が上層部に限定され、それを当然のこととしがちな企業社会への警句とも言えます。
センゲはリーダーシップを階層から独立したものと考え、彼が設立した組織学習協会(SoL)では、「リーダーシップとは“人間社会の未来を方向づける、人間社会の能力だ”」と定義しました。
まさにグリーンリーフが長年にわたって研究したリーダーシップの本質を突いた定義です。
そして重要な変革プロセスは、傑出した個人によってではなく、多くの人間の関わりによって成し遂げられることに言及しつつ、その広範囲菜実現のために、社会の「いたるところ」にサーバントリーダーが出現することを望みつつ、「真のリーダーシップとは、きわめて個人的なものでありながら、本質的には集団的なものなのだ。」と彼のサーバントリーダーシップについての解説を締めくくります。
センゲの熱意にあおられるように、参加者による議論が始まりました。

・センゲの解説でコミットメントについて、詳細に書かれている。
 リーダーシップを形作る重要な概念であるが、原語をそのままカタカナ表記にした
 日本では、意味が単に「上から与えられる予算目標」だったり、かなり曲解されて
 使われることも多い。
・コミットメントには「自主性」が伴う。
 自主的に設定した目標であればこそ、コミットした人が一心不乱に取り組む。
 周囲が働きかけて、その人を一心不乱にさせるのは、とても難しい。
・企業などの組織に、ミッション、ビジョンが明確に存在することで、従業員は
 やる気になるのではないか。
・真のコミットメントの条件は、その中に脆弱性を内包すること、という意味の
 ことが書かれている。
 一心不乱に取り組むという姿勢の中に脆弱性が存在する、もっと直截に不確実性が
 存在する、といわれることを自分の中で十分に消化しきれていない。
・本書の中で、デビット・パッカードに「人を率いるリーダーシップとは何か」
 と質問して、デビット・パッカードから「秘訣はない、自分がやりたいことを
 やってきただけ」というエピソードが書かれている。
 まさにHPウェイと呼ばれる企業理念であり、従業員の尊厳を尊重する考え方である。
 企業としての方向がきちんと示され、従業員はそれぞれの目標の方向性を
 企業の向きに合せ、そして結果にコミットメントしていく。
・日本では、基幹産業である自動車メーカーでの動きが特徴的だ。
 日産自動車の経営が厳しい状況に陥ったときに社長に就任したカルロス・ゴーンは、
 彼の最初の経営方針である日産リバイバルプラン(NRP)を遂行するに当たり、
 現場に対して細かい指図はしななかった。
 従業員みんなのなかに答えがあるという考え方によるものだ。
 ホンダは本田宗一郎と藤沢武夫が両輪となって牽引してきた会社だが、当初、
 鼻っ柱の強い藤沢は、自分こそが経営者として最適、と会社の乗っ取りを
 考えていたという話がある。
 その藤沢が本田の偉大さや表面には見えない強さに触れて、生涯を黒子、すなわち
 サーバントの役割に徹することと決意した。
・エクセレントカンパニーの事例を交えたセンゲの解説の中に、スピアーズが
 まとめた「サーバントリーダーシップ10の原則」(注)がしっかりと
 埋め込まれている。
 まず「説得」。
 これはむしろ構成員による納得ということばの方がしっくりと来る。
 「人々の成長に関わる」ことで思わぬ力を引き出すことができる。
 「コミュニティづくり」も重要なことだ。
 こうしたすぐには目に見えない力を発揮できるかどうかが組織の成熟度度であると
 思う。
 
 (注)本書p.572-p.573



・米国の経営者はコーチングを受けることが多い。
 メンターやあるいはコンサルタントとしての役割を求めることもあるが、
 自らを鼓舞するために、自分の「鏡」としての役割をコーチに期待することが多い。
 スティーブ・ジョブズが率いたアップルは、各担当が割り当ての分野の
 成果に対して無限の責任を負う代わり、周囲の関わりの低い人による干渉も、
 中途半端な協力も排除した。
 その結果、世界を一変させる製品ができたのだが、同時にトップであるジョブズには
 強いプレッシャーがかかっていた筈だ。
・米国の事例に即すと日本企業の文化はあいまいで無責任な感があるが、
 野中郁次郎氏がとなえたミドルアップダウンの経営をマイケル・ポーターが
 「戦略がない」といったことに対してヘンリー・ミンツバーグが
 「あれは成熟の証」と反論(注)したように、スタイルの違いである。
 日本の場合は、江戸時代の和算の実力は当時の西洋の数学以上であり、
 識字率も高いという歴史の中で、トップがすべてを牽引することとは
 異なる文化が育まれてきた。

 (注)参考:M.ポーター「競争戦略論Ⅰ」(竹内弘高訳、1999年、ダイヤモンド社)、
 H.ミンツバーグ「戦略サファリ」(齋藤嘉則監訳、1999年、東洋経済新報社)


・第二次世界大戦後、米国は日本の財閥を解体したが、あとになって日本経済の
 基幹は財閥ではなく、自立的な中小企業群に存在していたと気がついた。
 小さな企業の集まりが力を大きな力を発揮した。
 目に見えないリーダーシップが働いていたのだろう。
・日本企業の中に「喫煙室の文化」と呼ばれるものがある。
 公式の会議では建前が討議され、決議されるが、実際のことつまり本音は
 会議室からも執務室からも離れた喫煙室で語られる、という意味だ。
・「喫煙室の文化」には、権限がない人や事案に直接関係のない人から良い意見が
 出てくることがあるなどのメリットもあるが、なぜ会議室で正面から真剣に
 語り合わないのかというもどかしさもある。
 トップの強権という意味では欧米やアジアでも他の国の方が強く、その意味では
 日本では、公式の場で多くの人がもっと語り、討議していけば良いのだが。
・その点では日本人は会議やコミュニケーションのスキルをもっと高めて行く
 必要がある。
 良質なリーダーシップが発揮される行動様式を組織として持たないといけないだろう。

センゲのメッセージに強く刺激され、会読者による活発な議論が続きました。センゲが寄稿した「終わりに」の会読を終え、次は「7つの習慣」でよく知られるスティーブン・R・コヴィーの「前書きに代えて」の前半を会読する予定です。
次回の読書会は、8月23日(金) 19:00~21:00 レアリゼアカデミーで開催予定です。

第52回 読書会開催報告

第52回 読書会開催報告
日時:2015年6月26日(金)19:00~21:00
場所:新レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会では、本書でのグリーンリーフによる最後の著述である「追記」と「学習する組織」などの著書で知られるピーター・M・センゲが寄稿した「終わりに」の前半を会読しました。

グリーンリーフの「追記」には「サーバント・リーダーとは誰か」という副題がついています。
冒頭で「実例から判断すれば、すべてのサーバントがリーダーとは限らないのだろうか。」という多くの読者が持つ疑問を投げかけ、サーバントリーダーの特性とサーバントリーダーによる社会改革の実現の要件を述べていきます。
社会を家族や職場などの第一階層、明確な価値観を与えられる大学や教会を第二階層、ビジョンと希望を育んでくれる神学校と財団を第三階層と定義付けて、サーバントリーダーが活躍する場の重要性が説かれます。
サーバントリーダーは、社会的な権力構造とは無縁に自らの確信に基づいて行動し、その行動によってリーダーシップの手本を示すからです。



わずか2ページの文章ですが、参加者の活発な議論が行われました。

・かなり難しい、というか解らないところが多い。
 「まず奉仕して、その後に導く」というサーバントリーダーシップの外観は
 理解していたつもりだが、この「追記」はすぐに理解できない。
・リーダーシップ発信の第三階層として神学校が挙げられているが、我々の感覚
 としてはこうした精神的な世界からリーダーシップが広がるということに理解が
 及ばない。
・真のリーダーは自分が信じた道を進むということが重要。
 単なる「善い人」とは違う。
 わずか2ページの文章だが、そのことは良く伝わってくる。
・「世間的に見れば、サーバントリーダーは無邪気な存在…」という箇所(p.522)
 が印象に残っている。
 原文では naive(ナイーブ)であり、グリーンリーフの意図は訳されているが(注)
 そのような人物にひとがついていくのだろうか。

 (注)naive(ナイーブ)は、そのままを記した外来語あるいはカタカナ英語では
 「繊細」「傷つきやすい」という意味があるが、原語では「世間知らず」
 「無邪気(若干肯定的ニュアンス)」などの意味で用いられることが多い。


・本書の第1章に「サーバントを見分けるにはどうすればいいか」という文がある。
 例示としてケン・キージーの「カッコーの巣の上で」の主人公、マクマーフィーが
 挙げられている(本書p.98-99)。
 やんちゃな彼の姿にグリーンリーフがリーダーとしての資質と行動力を見いだして
 いるのは興味深い。
・場を作ることの重要性とそれを可能とする人の重要性。
 そこに存在するだけで場を整え、周囲を豊かにし、周囲の今まで以上の力を
 引き出す人がいる。
 そうした人が登場する環境はおのおのであり、登場の方法もさまざまだ。
 発揮されるリーダーシップの形もいろいろなのだろう。
 陳腐なビジネス書などにあるようなステレオタイプの行動ではない、
 周囲にいかに気づかせるかという力である。
・グリーンリーフがそうしたことを実現する環境や実現の方法について
 期待を込めて書いている。
 短いながら濃い内容だった。



本書にはマサチューセッツ工科大学上級講師で、組織学習協会(Society for Organization Learning ? SOL)創設者、「学習する組織」の理論で有名なピーター・M・センゲの寄稿が「終わりに」として掲載されています。
センゲは本書をアメリカン・リーダーシップ・フォーラムの設立者で「シンクロニティ」などの著者であるジョセフ・ジャウォースキーから贈呈され、そのジャスウォースキーは米国の保健福祉教育長官を務め、教育行政やリーダーシップ研究で名をはせたジョン・ガードナーから本書を推奨されたのだろうと推測しています。
これらの権威ある人々がグリーンリーフを真のリーダーシップを追究している人物と評価し、彼の著書を読むことを強く推奨したのです。

センゲが本書の重要性を主張するのは、現代社会を「組織の失敗」の時代と定義した上で、本書がそのような社会を真に変革する価値を内包していること、さらに、現代社会を変革する革新的な組織が求められるコミットメントに言及していると読み取ったからです。

センゲは、彼が研究を重ねた組織学習が内包する問題点について、グリーンリーフは良く理解していたと見ています。
強い願望が真の学習意欲を呼び起こし、トレーニングの繰り返しの上で変化を得るという過程に関連して、センゲはグリーンリーフの「いかなる成功も、まず目標を立てることから始まるが、ただ目標を掲げればいいわけではない」という言葉に共感しています。
さらに、能力開発において不可欠な「複雑性の理解」について、グリーンリーフが概念化を「最も重要なリーダーシップ能力」と説いていることに、センゲが重きを置く「複雑な状況を複雑なものとしてとらえつつ、その状況をしっかりと把握する能力」との共通性を感じ取っています。
「誰かがわれわれを変えてくれる」という願望、「変革を拒む人々をどうにかできないものか」すなわち、自らが仕掛けた「変革への共感」を「他から与えられる」ことを排し、みずからが変革をコミットメントすることを迫るセンゲは、グリーンリーフがその道筋を見いだしているとしているのです。



センゲの熱い文章にあおられるように参加者の討議が活発に行われました。

・「組織の失敗」ということばから、名経営者といわれた人が引き際を誤って
 老害となっているケースが多いことを連想した。
 後進を育成することの意味、これは職人などの世界での技術伝達と同じことだ。
・現代社会は人間や組織の相互関係がアンバランスとの感じを強く持っている。
 組織や社会の環境側塁方向にあると認識しても、打ち手が対症療法的であり、
 結果的に事態は総合的にさらに悪化する。
 今の時代は、社会の根源的なコントロールが不可能な事態に陥っている。
・センゲが複雑性を理解することの重要性を説いている部分が興味深い(本書p.533)。
 複雑なものを単純化することは、自分たちもしばしば行っているが、
 「要は・・・」という言い方で要約しても本質を間違えていることが多い。
 平易に語ることと端折ることを混同してしまう。
・経緯を無視して、結論としての回答を求めることが多すぎるように思う。
・現代は「答えありき」という考え方が強い。
 正解が存在するという考え方が、物事の多面的な見方を阻害することがある。
 未来から現代を見るという姿勢がわれわれの進むべき方向を示してくれるが、
 正解を求める姿勢がそうした見方を阻害する。
・ゴーン革命とも呼ばれる日産自動車の改革の特徴は、業務改善の手法をV-upに
 集約して、各現場には、もっぱら課題形成にのみ注力させていることにある。
 業務改善では手法の優劣を競うことが多いものの、実際には大差がなく、
 時間と労力の無駄になりがちである。
 V-upに集約することで、この無駄を省く。
 また課題形成には自部署のみならず他の組織の要員が
 CFT(クロス・ファンクショナル・チーム)として参画する。
 これにより、その組織の過去の経緯などの「しがらみ」を離れて課題を客観的、
 多面的に形成できる。
 サーバントリーダーシップとはリーダーが一人とは限らない概念と理解するが、
 CFTなどは他人の課題において複数のサーバントリーダーがいるとも考えられる
 のではないか。
・センゲは、組織が意図的に危機を醸成して変革を促すことがあることに
 言及している。
 文脈から否定的な見方をしていると思うが、自分もこうした危機に追い立て
 られるような方法が良好とは思えない。
 そうでないとすれば、組織の成員の意識づけと正しい方向を見いだすことを
 どのように進めていくべきか。
 リーダーシップの本質の課題と認識する。

次回の読書会は、7月24日(金) 19:00~21:00 レアリゼアカデミーでの開催を予定しています。
ピーター・M・センゲが本書に寄稿した「終わりに」の後半を会読します。
次回もまたセンゲを通してグリーンリーフの思想に迫っていきたいと思います。

第51回 読書会開催報告

第51回 読書会開催報告
日時:2015年5月22日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会では、本書の最終章である第11章「心の旅」を前回と今回の2回ともに章全体を通して会読しました。

この章は、グリーンリーフが米国の詩人であるロバート・フロストの「指示」という詩に基づいて、サーバントリーダーシップの概念を語るという内容です。
この詩は、1874年に生まれ1963年に没したフロストが1946年に完成させた作品であり、彼の他の作品同様、米北部ニューイングランドの自然に培われつつ、自らの魂の昇華のあり方を顧みる詩です。

グリーンリーフがフロスト本人に詩の意味を問いかけたところ、フロストから「何度でも繰り返し読んでみてください。
詩の方から訴えかけてきますよ」との答を得るとともに、フロスト自身が詩を朗読してくれたそうです。
グリーンリーフにとって、それは「(前略)とても印象に残る読み方で、何が重要なことなのか、彼がどんなことを感じているのかがよくわかった」瞬間でした。
ヘルマン・ヘッセの「東方巡礼」(注)からサーバントリーダーシップのヒントを得たグリーンリーフにとって、この詩からも、リーダーシップの本質に関する多くの示唆を得たものと思われます。
(注)グリーンリーフはヘルマン・ヘッセの「東方巡礼」(高橋健二訳。日本ヘルマン・ヘッセ友の会研究会訳では「東方巡礼」(臨川書房))に触発されて、サーバントリーダーシップの概念を打ち立てた。本書第1章参照。
グリーンリーフはフロストの詩に込められた意味を読み解き、そしてリーダーシップの本質である硬質で純粋な世界を説いていきます。



フロストの詩、「指示」はつぎのように始まります。

もはや耐え難いものになった現状のすべてを離れて、
細部が忘れ去られ 単純化した時を遡ってゆくと、
日焼けしたり分解したり、風雨に晒された
墓地の大理石彫刻のように 崩壊した
もう家ではない家が そこにある、(後略)(飯田正志訳)


参加者による討議が手さぐりのように始まりました。

・多くの英雄の物語は旅に出て、自分が過去から保っていたものを失う一方で、
 新しいものを得るという構成になっている。
 その道は自らが発見して切り開いたものである。
 現代は、何かを得る How to ばかりが語られるが、他人の道は自分の道ではない。
 水の清らかさは、そこに行った人にしか得られない。
・旅ということばには、一度、日常の世界や価値観から離れるという意味を
 象徴しているように思う。
 離れる、失うことを経て新しいものを得られる。
・つい先日の実体験の話である。
 ある自分の友人は、昔は自分の感情をコントロールできなかった。
 その後、いろいろな経験を経て、今は大変厳しい状況にも冷静に対処して、
 その状況にある自分を客観視できていた。
 いろいろな経験の中で、何かを手放し、何かを得たのだろう。
 当時は想像もつかないことだったが、いろいろな経験を経ることで人は
 変われるということを実感した。



フロストの「指示」は、続きます。

(前略)内心道に迷わしてやろうとしか 思っていないようなある案内人に
指示させるなら、そこを通る路は かつて
石切り場でも あったように思えようが――
そこの路、昔の街が覆い隠すようなふりなど とっくに
なくしてしまった 巨大な一枚岩の膝の部分なんだ。(後略)


・「内心道に迷わせてやろうとしか思っていないようなある案内人」について、
 グリーンリーフがイエス・キリストをその代表例に挙げている。
 キリスト教批判のようにすら読める。
 この記述を欧米でもキリスト教批判と解釈する人がいるのではないだろうか。
・イエス・キリストの人々の話が、内側にいる人にはよくわかる話で、
 外側の人にはたとえ話として聞こえた、という説明に空海の密教にも
 通じるものを感じる。
 悟りは仏と自分が一致することで得られるが、密教では
 「身(しん)、口(く)、意(い)」と表される三密の修行によって得られる
 とされている。
 密教に対峙する概念である顕教では、言語を通じた理解を求める。
 いわばティーチングである。
 身口意は、相手、すなわち修行者から引き出す、いわばコーチングである。
・キャリア・カウンセリングでは、相談者から「思い」を引き出さないといけない。
 宗教も同様の役割を持っていると思う。
・日本では古来、剱岳の修験者などが多くいたが、言語を媒介にしない悟り
 というものが当然であった。
 経典なども部分的にサンスクリット語の音をそのまま当てはめて受け入れている。
 言葉による理解を超えた理解が得られる世界である。
・「宇宙との一体化」という考え方も「宇宙が自分と一体化する」のと
 「自分が宇宙と一体化する」のでは、ずいぶんと意味が異なるように思う。
 宇宙を主語として自分を空(くう)に、すなわち客体化して一致できるか
 どうか、だ。
・宮大工の西岡常一が作った寺社は、1000年保つといわれている。
 彼自身は、1000年の間、土と一緒にあったものは、切り離しても1000年保つ
 と説いている。
 これは彼自身が1000年前のことを、無意識の内に知覚することができるからだろう。



フロストの詩は、読み手ひとりひとりに、自立と確信の重要性を訴えかけてきます。

今までに 君が迷った挙句 やっと自分の路を見つけたなら、
自分の後ろに梯子路を引っ張り込んで
私以外には、全ての人に「通行止め」の札を出すことだ。(後略)


・禅は型に厳しいが、それは形を模倣することが目的ではなく、それぞれの所作を
 見つけることに本当の目的がある。
 ほんものの所作にはその人の確信が込められている。
 フロストの詩はこのことに通じるものがある。
・日本の企業社会は、ビジネスの名を借りて、働く人を自分の都合の良いように
 洗脳している面がある。
 一人一人が思想に確信を持ち自信を持って行動することとは真逆のものに
 なっている。
・現代は自分の利益確保に熱心で、ときに名声すらも「買う」ことで得よう
 とする動きがある。利益も自分の尺度で測っていない。
・宗教の本質は捨てることにあり、この行動がリーダーシップの源泉であると思う。
 サーバントは目前の利益を自分に向けることはない。
 より高次のレイヤーで人を導くことを考えている。
・サーバントリーダーシップは広い意味でのライフラインを守ることを誇りとする
 リーダーシップであるように思う。
・レジリエンスという言葉が一般化してきたが、変化できることの強さも
 リーダーシップの重要な要素である。
 その背後に確信があって、ここは不変であることが前提になる。

ロバート・フロストの「指示」という詩と、グリーンリーフがその詩から受けたインスピレーションとメッセージに迫ろうと参加者はそれぞれが何度も読み返し、自問した結果を参加者同士の議論に委ねていきました。

次回の読書会は、6月26日(金) 19:00~21:00 レアリゼアカデミーでの開催を予定しています。
グリーンリーフによる「追記」と「学習する組織」などの著書で知られるピーター・M・センゲが本書に寄稿した「終わりに」の前半を会読します。
センゲが読み解くグリーンリーフからいろいろな示唆を得られることを期待しています。

第50回 読書会開催報告

第50回 読書会開催報告
日時:2015年4月24日(金)19:00~21:00
場所:新レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会は、今回から、いよいよ最終、第11章「心の旅」の会読に入ります。

この章で、グリーンリーフは米国の詩人、ロバート・フロストの若干の思い出と、彼の「指示」という詩を引用して、グリーンリーフが考えるサーバントリーダーシップの本質を語っています。
この詩は、1874年に生まれ1963年に没したフロストが1946年、70歳を過ぎて完成させて作品です。
彼の他の作品同様、米北部ニューイングランドの自然に培われつつ、自らの魂の昇華のあり方を顧みる詩です。

グリーンリーフはフロスト本人に詩の意味を問いかけたところ、フロストから「何度でも繰り返し読んでみてください。
詩の方から訴えかけてきますよ」との答を得るとともに、フロスト自身によって詩を読んでくれたそうです。
グリーンリーフにとって、それは「(前略)とても印象に残る読み方で、何が重要なことなのか、彼がどんなことを感じているのかがよくわかった」瞬間でした。



グリーンリーフは次のように語ります。
「この詩を繰り返し読んで、どんなことを思い浮かべるかは人それぞれだ。自分が準備段階にある何かや、受け入れ態勢が整っている何かを思い浮かべたりするのだろう。」
「気づきは、何か重要で心をかき乱されるようなものが自分とその象徴との間で発達するままに任せ、求めることによってではなく、じっと待つことによって現れてくる。」
「象徴の力は、意義深い新たな意味の流れをいかに継続できるかによって測られる」
そして、
「人はみな障害にぶつかりながら成長していく。新しく開かれた道は、仲間の探訪者が残してくれた記述の中に見つかるかもしれない。こうした共有の精神から、「指示」を読んで私が考えたことを述べてみたい」とグリーンリーフはフロストの詩に込められた意味を読み解いていきました。

最初に読書会の参加者一同でこの章を通読したときは、参加者に疑問やとまどいの表情がありました。
詩も解説も難解なものですが、この険しい道に挑戦しつつ、解読後の意見交換に入ります。

・難解な詩である。何かを探すプロセスを描いたように思えるが、「指示」という
 タイトルをつけた意図がまだわからない。
 何等かの象徴であろうか。
・今、解読した結果で感じたことと、後日、読み返したところで異なる感想に
 なりそうだ。
 だからこそ、詩に「指示」という表題がついているのかもしれない。
 リーダーが持つ「つらさ」の一面なのか。
・グリーンリーフの主張も全体的にちょっと理解できない点がある。
 サーバントリーダーという役割、あるいは広くリーダーシップというのは
 集団の中での営みであり機能だと思うが、この論文では個人がその個人の中に
 入っていく精神活動を勧めている。
 どういうことだろうか。
・米国の神話学者であるジョセフ・キャンベル(注)は、多くの神話の中で、英雄は
 非日常の世界に旅立ち、その世界でのイニシエーション
 (成員として認められること)を経て、元の世界に戻るという構造を示しているが、
 この詩はそれと同じ型をもつようにも思われる。
(注)1904-1987年。著書に「千の顔を持つ英雄」(訳書、人文書院)、「神の仮面」(訳書、青土社)など。

フロストの「指示」という詩は、読み手を荒涼とした世界に誘い込むように始まります。

もはや耐え難いものになった現状のすべてを離れて、
細部が忘れ去られ
単純化した時を遡ってゆくと、
日焼けしたり分解したり、風雨に晒された
墓地の大理石彫刻のように 崩壊した
もう家ではない家が そこにある、(後略)
(飯田正志訳)


・詩の冒頭の「耐え難い現場」に、現実の世の中の本質が劣化していること、われわれが
 現在はフィクションの世界の上に立っていることを示しているように思われる。
 「内心迷わしてやろうと思っている案内人」が登場するのは、自分の中にある
 ダークな部分を明らかにしたということではないだろうか。
・「気づき(アウェアネス)」と「象徴」が合わせ鏡のように重要なことばとなっている。
 ラスコー壁画は、それを描いた先人が宇宙と結びつくという感覚に気づき、
 絵は原始的な宗教心の象徴としている。
 これらの意味は重そうだ。
・宇宙に結びつくということについて、単に、人と宇宙が接触するような合わせ方を
 意味していないだろう。
 接触面を合わせるという結合の概念を超えたところでの両者のリンクを意味している
 と思う。
 中村天風(注1)が「心身の統一」を提唱し、前述のジョセフ・キャンベルは
 生きづらい環境の中での変化が人を高みに到達させる道であると説いた。
 宮大工として有名な西岡常一(つねかず)氏(注2)の千年は保つといわれた
 奈良の寺院再建に注いだ超人的な技術の体得もそうした経験から得られたもので
 あろう。
 それらの偉大な先人には、あるがままを受け入れる「達観」がある。
(注1)思想家、日本初のヨガ行者。1876-1968年。著書に「運命を拓く」(講談社文庫)、「君に成功を贈る」(日本経営合理化協会出版局)など。
(注2)宮大工。法隆寺の修復や薬師寺金堂の再建を手がける。著書に「木に学べ」(新潮文庫)など。



フロストの「指示」は何者かを象徴するように続きます。

(前略)内心道に迷わしてやろうとしか 思っていないようなある案内人に
指示させるなら、そこを通る路は かつて
石切り場でも あったように思えようが――
そこの路、昔の街が覆い隠すようなふりなど とっくに/なくしてしまった
巨大な一枚岩の膝の部分なんだ。(中略)
今までに 君が迷った挙句 やっと自分の路を見つけたなら、
自分の後ろに梯子路を引っ張り込んで
私以外には、全ての人に「通行止め」の札を出すことだ。(後略)


・詩の中盤から後半にかけてであるが、家を儚い(はかない)ものの象徴として、一方で、
 永遠の象徴として水や小川を対比させている。
 小川には崇高なイメージがあり、一方で振り返るとくだらないものがあるが、その中に
 真実が隠されている。
・フロストの詩とこれを解説するグリーンリーフは、ともに周囲に安易に影響されない
 強い自立を求めている。
 4月に入り、会社には新卒を含む新人が多数入社した。
 会社は入社式の訓示で彼ら彼女らにそれぞれの自立を求めながら、職場では
 「空気を読め」という二重規範を押しつけている。
 自分等もそうだったかもしれない。
 彼らはこれからどうやって折り合いをつけていくのだろうか。
・巷には多くのビジネス書が氾濫している。
 かつてそこに書かれた多くのことを試してみたが、全然うまくいかなかった。
 安易な他人の物まねではだめだと理解した。
 今は古典に真髄を見出すように心がけている。
・多くのビジネス書ではリーダーシップについて人間関係のあり方に限定している。
 特に他人を承認すること、自分がいかに承認されることが説かれていることが多い。
 グリーンリーフにおけるリーダーシップは単にそこにとどまらず、「真実」の追求という
 意味が込められている。
 真のリーダーは、安易に周囲の承認を求めない、あるいは承認されることを目的としない
 ということを説いているように思う。
・他人が通った道は自分の道ではない。
 個人の経験をすべての他人に当てはめようとすることも間違い。
 過去の多くの偉大な経営者のように、肝の据わった自分自身の人生観、死生観を
 持ちたいと思う。
 自分は、西行の「願わくは花の下にて春死なむ、その如月(きさらぎ)の望月の
 ころ(注)」という歌に込められた彼の死生観にひかれている。
(注)西行の家集(王朝和歌における個人の歌集)である「山家集」に収録。西行の死の10年ほど前の作品と言われている。



ロバート・フロストの「指示」という詩と、グリーンリーフがその詩から受けたインスピレーションとメッセージに迫ろうと参加者はそれぞれが何度も読み返し、自問した結果を参加者同士の議論に委ねていきました。
次回の読書会は、再度、第11章「心の旅」の会読を行います。
新しい参加者の意見とともに、今回参加した方から深化した意見を頂けるように期待しています。
5月22日(金) 19:00~21:00 レアリゼアカデミーでの開催を予定しています。

第49回 読書会開催報告

第49回 読書会開催報告
日時:2015年3月27日(金)19:00~21:00
場所:新レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会は、今回、第10章「アメリカと世界のリーダーシップ」を会読しました。
1976年1月にグリーンリーフがリーダーシップ開発に関する国際シンポジウムの場で、参加者からアメリカ人の傲慢さを指摘されたことに対して、その回答として行った演説です。

「アフリカ人の友人に言われたことがあります。アメリカ人は傲慢だと。傷つく言葉です-しかし、そう非難されるのも分からなくはありません。」と聴衆にとって、おそらく相当に重いと思われる言葉で講演は、始まりました。
「私が思うに、アメリカ人の傲慢さはその絶大な権力という事実に起因するのでしょう」と話を続けて、「文明はまだ発展の途上」であるり「強力でありながら謙虚な姿勢を失わない状態には達していない(後略)」と問題提起していきます。
「今回の会合で、マルタ共和国のベンジャミン・トナ神父から、強者が持つ謙虚さ」を学んだグリーンリーフは、この強者が持つ謙虚さを「弱者に学び、弱者の持つ才能を喜んで受け入れる能力によって確かめられる」と説きました。



このことを踏まえて、グリーンリーフは、講演の10数年前のインドでの体験を語ります。
1947年のインド独立後に英国の学校をモデルにした経営大学の方針は、インド社会になじむことができず、そのことから米国のある財団は技術支援と多額の資金提供の要求を受けました。
グリーンリーフはその学校にインド発展のための新たな教育課程を設ける支援を求められたのです。
グリーンリーフは1960年代半ばに乞われてその財団のスタッフとなり、訪問したインドでは専門家として高い待遇を受けることで、自身が傲慢になる危うさを感じつつも、的確な仕事によって新しい教育課程の制定を行いました。

1970年、グリーンリーフは彼の最後のインド訪問で、同国が独自の価値観と方法で国を発展させようとすることを発見し、その方法に対するアドバーザーの必要を感じつつも、そのことに気がつくのが遅かった、と悟りました。
ガンジーとネルー、インドの独立と独立インドの初期に国を支えた二人も、それぞれが描いたインドの未来像は異なりました。
そのことも一因となって、インドへの支援のあり方について、正しい方向を見いだせなかったのです。
アメリカのインドへの長年にわたる支援に対して、グリーンリーフは「たまたま資金があるからといって、一方的に支援を提供していればそれでいい、などと考えるのは思い上がりにもほどがある。」「彼らの学習に貢献したように、われわれの人材をもっと有効活用して、インドの人々からも学ぶべきだ。」と自らの報告書に書きました。

彼はメリモン・カニンガム博士の「提供という行為は、モラルに反する危険性を秘めている」と彼の報告書に記載しています。
メリモン・カニンガム教授の「提供という行為は、モラルに反する危険性を占めている」という警句を引きつつ「提供という行為の危険性は、行為者がそれを美徳だと思い込むこと、つまりその仕事が美徳だと思い込むことにあり、これには不道徳な考え方も幾つか付随する。比較的単純な動機から力になりたいと思うことと、支援者になりたいという欲望は似て非なるものである。」「支援者として名を売りたい、あれこれと指図したい、支持したい、父親風を吹かせたい、人を巧みに操りたいと考えてしまう」と訴えます。
アメリカは大規模な支援を背景に影響力が強い国であることを自覚すべきとしながら、「心を開き、相手が何者であろうと、その人の資質を受け入れる準備ができていない限り、安全に何かを提供できない」として、支援を受ける者が謙虚な気持ちを抱くことの難しさと、支援するものが簡単に傲慢担ってしまうことの危険性を説きます。



「アメリカという(中略)、絶大な影響力を持った国家におけるリーダーシップの重要な要素は、(中略)、支援する側にいるものを動かす能力で(中略)援助の手を差し伸べることや、与えられたものを喜んで受け入れること、そして、条件に恵まれない者の費用を負担」することとして、この公園を次の言葉で締めくくっています。
「現代社会においては、とくに権力のある者にとっては、少なくともそれが救いの道です。支援することを通じて支援してもらうこと?なかなか容易な道ではありません」
講演録を一気に会読して、参加者の議論が始まりました。

・本文中に使徒言行録をはじめとして聖書の引用がある。その教えや
 「覆面のサンタクロース」と呼ばれたラリー・スチュアート(注)の
 行動などからも、「謙遜」が到達点なのだと実感した。
 本書(金井真弓訳)では「謙虚」となっているが、虚しいという言葉が使われる
 謙虚よりも、譲るという意味の遜という文字を使った謙遜がじっくりくる。
 全てのものは神様からの預かり物であり、これを神様に返すということ。
 私心をもたずに相手を敬う気持ちがあることが大切だ。
 (注)米国の慈善活動家(1948-2007)、生涯の匿名での寄付金が130万ドル
 (現在の為替で、約1.5億円)
・受け取る側の謙虚な気持ちも重要。提供者も受け手も中道の道が求められるが、
 なかなか実現しない。
 現代の中東やアフリカでの米国を中心とする西側諸国の支援は、
 逆に反感を買ってしまい、昨日の味方は今日の敵、今日の味方は明日の敵、
 となっている感がある。
 自らの誤りを認めることができない弊害があるように思う。
・自分は、現在、個人を支援する仕事に従事している。
 周囲を見渡すと、相談のテーブルを挟んで、支援する側は傲慢になりがち、
 支援を受ける側は支援慣れして自立のために与えられた資金を無駄遣いして
 スポイルされている、と感じている。
・「自立と共生」が求められる社会に、意図と異なり「甘えと依存」が
 充満してしまっている。
 「依存」から「自立」に向けて何が必要になってくるのか。支援を受ける側の
 姿勢も厳しく問われそうだ。
・寄付について、日本では「与える/与えられる」という一方的な関係に見られがち
 であるが、 欧米では、寄付を求める側が寄付する側に的確に働きかけて
 「ハートを射抜く」ことが必要、という双方向の関係の中で行われている。



・カトリック系児童介護施設で、園長が「入園している被虐待児に親の育児放棄や
 ネグレクトにより、乳幼児期に親に十分に甘えられず、依存できなかったことが
 心の傷となっている子供が多い。
 やみくもに自立を求めず、まず職員に甘えることを許容するように」と
 指示した話を聞いた。
 自立が最善と思っていた職員は、少なからず驚いたという。
・社会の中における個人には、自分に対する適度の「自信」と
 「安心、安全の場」が存在することが健全な活動の源泉になる。
 国家にもあてはまるのかもしれない。
・その意味では、支援者が支援することに満足してしまい、「支援を受ける側が
 どの段階にあるか」ということを支援者が考慮しないことに問題がありそうだ。

・本文中に第二次大戦後にインドに設立された経営大学院がうまく機能しない
 という話が出てきた。
 自立的運営に行き詰まるという話に、自分が関わる仕事でも後進に
 マニュアルは与えたが、後進が自分で考える習慣が身につける機会を
 与えていなかった、という反省がある。
 第二次大戦後のインドで、ネルーとガンジーの政治的対立をはじめとして
 多くの社会的な動きや要素がある中で、ただ漫然と支援を続けていたことに
 問題がありそうだ。
・自立のきっかけを与えるための短期間の支援であれば、良かったように思う。
・聖書を読むときも同様であるが、その時代の目で物事を見ることが重要だ。
 講演が行われたのは1976年、同時のアメリカの世界における影響力を
 念頭に置いて、この章のタイトルでもある「アメリカと世界のリーダーシップ」を
 考えていかないといけない。

・サーバントリーダーシップは、世間が一般に理解していることを倒立させた
 概念であると思う。
 従来の考え方であれば、リーダーシップとは支援される者を動かすこと、
 サーバントリーダーシップは支援するものを動かすもの。
・さらに周囲を「意識させずに自然に動かす」のも重要だ。
 「解答」は相手の中にありそれを引き出していく。
 ものごとを上下関係の立ち位置で見ていては、解答を引き出せない。

比較的短く、読みやすそうに思えましたが、その内容を読み解くのにそれぞれ悪戦苦闘し、議論も活発に行われた章でした。
次はいよいよ本書の最終章である第11章「心の旅」に入ります。
次回の読書会は4月24日(金) 19:00~21:00 レアリゼアカデミーで開催予定です。

第48回 読書会開催報告

第48回 読書会開催報告
日時:2015年2月27日(金)19:00~21:00
場所:新レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会は、前回から第9章「官僚主義社会におけるサーバントとしての責任」を会読しています。
1966年、レッズランド大学での集会演説でのグリーンリーフの講演です。今回は、その後半を会読しました。



グリーンリーフは学生に「若いうちに、生き方を確立してください。最適な結果をもたらす前兆となる生き方を。若いうちでなければ、手に入れることは難しいでしょう。もちろん、若くなければ無理だと言うつもりはないですが、容易なことではありません」と訴えかけ、「生き方について考える一つの指針」として、次の五つの言葉を紹介しています。

「美」、グリーンリーフはシェークスピアなどの美の定義を引用しつつ、ここでいう美にふさわしいものとして「数学的な解法で未知なることを理解し、新しい洞察がひらめいて人間の知識が向上するとき、それは美しいと言われます。」と述べます。
さらに、人としての生き方を確立することで「‘計り知れぬ、謎に満ちた自然の意図’に触れることができる」とベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番(嬰ハ短調、作品131)が持つ時代を超越した曲想と調性の展開を例として「美」の意味するところを訴えました。

「即時性」、これについては「社会を変革し、美徳と正義、自分自身の信念に従って世界をより良くする義務があると感じている人間はもっぱら、‘今日こそ!’という姿勢をとっています。」と聴衆である大学生、すなわち若者にチャンスをつかむ少数の人の心得を伝えています。
「どんな瞬間も永遠性が内包されています。(中略)‘今’という瞬間に目を向けるべき」と、人生において躊躇することを回避するように訴えました。

「開放性」、ここでは「聞けば知恵、話せば後悔」というイタリアの諺を引きつつ、「聞くというのは姿勢、他人が話すことや伝えようとしていることに対する姿勢のこと」であり、「(他者に)心から関心を寄せる」ことの重要性を説いています。

「ユーモア」、グリーンリーフは「どうやったらわれわれは、この世の中を作り変える機会に対応できるようになるでしょうか」という自問に対して、「自分自身が愚かで中途半端な生き物だと思った時に、ユーモアと呼ぶ、穏やかな内なる微笑みがあれば可能でしょう。」と回答し、若者たちに生きるヒントを与えました。

「忍耐」、この言葉には「心に平静さを持ちながら、苦しみに耐える能力」というオーソドックスな意味からロバート・フロストの詩を引用しつつ説明を加えています。
そして「究極の悩みは、他人の苦しみを通じて苦しむことです」と、共感の重要性を訴えています。

グリーンリーフが示す5つの言葉を読んで、参加者による議論が始まりました。

・他者の話に心から関心を寄せることはとても難しい。
 家族との会話でも、相手の意図が話の内容ではなく、文脈というか話の「行間」に
 本意があって、それを理解できずにコミュニケーションが成立しないことがある。
・メラビアンの法則(注)は、情報の受け手側の差異の比率のことであるが、情報を
 発信する側のいろいろなシグナルをバランス良く受け止めないといけない。
(注)米国心理学者メラビアンの調査。情報の受け手の認識は、視覚から55%、
   聴覚から38%、言語(内容)から7%という比率である、というもの。



・会話だけではなく、読むことにおいても同様の難しさがある。
 書き手の意図をきちんと受け止めていられるのかどうか、自信を持てないことも多い。
・医療の分野では、過去は医師の主観でカルテをとっていたが、現在は
 「患者が語ることをそのまま聴く」というスタイルに変わり、教育もそのように
 行われている。
 言うは易いが大変に難しいことである。
・オープンコミュニケーションで、相手の中に入っていくことが重要。
 自分からコミュニケーションをとるときは、相手の心への「ノック」の仕方が
 大切である。
・生徒や部下、後輩の指導においては、詳細に進む道を用意しすぎると逆効果に
 なることもある。
 教えすぎないことが肝要と思う。教えるということについて、教える側の自己満足が
 目的となったり、評価の基準になったりしているケースが多い。
・吉田松陰が牢の中で、収監された者同士で得意な分野について教え合ったという故事は、
 牢獄の中に適当な教材がなかったことも要因だろうが、教育と学習というものの本質を
 ついていると思う。
 一橋大学の野中郁次郎先生が「場」を作るということを提唱されている。
 この「場」という言葉に対応する外国語、例えば英語の単語ないということだが、
 それはともかくとして、場を作るということはサーバントリーダーの一つの
 要件であるように思う。

グリーンリーフは、前記の5つの言葉を「内なる優雅さに根を張った生き方」にとって不可欠であるとしています。
彼は学生に対して「人生で何かを得る以上に、何かに貢献」する人生が価値あるものであると定義しつつ、官僚主義的な社会において「規律を意識しつつ、成熟した人間らしい人生で反官僚主義的な影響力としててきせつに機能する生き方を築いていく」ように、と説いています。

さらに「建設的な活動の中心には必ず、責任感のある人物が存在し、(中略)現実の問題に取り組みます」としつつも「残念ながら、家庭生活から社会生活にいたるあらゆる場面でこうした人材が不足しています。
有能な人材は豊富ですが、批評しかできず、ただの専門家にすぎない」と彼が当時(1966年)の米国やそれを取り巻く世界に抱いていた危機感を表明しました。
この視点は現代米国の最高の知性と良心を代表すると言われるケネディ政権下の教育タスクフォースメンバーであるジョン・ガードナーと一緒です。
グリーンリーフはそうした社会の改革に向けて聴衆を鼓舞していきます。
若い聴衆がそれを実現できるように「美に対する感性」「ユーモア」「心の平静」の育成と習得を唱え、さらに加えて、ニコス・カザンザキスの言葉を引用して、自らの強い信念をもって美徳と正義に従って社会の変革に向かうように若者を促しました。
その道筋で達成する偉業こそ、庭先で目に留まる一角獣であるとして、「明日の朝、一日を迎えるとき、一角獣を探してみてはいかがでしょうか」と語って講演を結びました。



グリーンリーフの熱気の余韻さめやらぬ中、参加者の意見も熱く交わされます。

・ギリシャ神話に基づいた名称であるが、時間には「クロノス時間」と
 「カイロス時間」の2種類がある。
 前者は時計が刻む時間の流れを、後者はさまざまな営みの中で認識する時の流れを
 意味する。
 グリーンリーフが「今を積み重ねた移動平均」と言っているのは、カイロス時間の
 ことだと思う。
・グリーンリーフが大切にするようにと訴えている「今」は、「未来」との対峙した
 「現在」であると思う。
・学生たちへのメッセージだけで「ユーモアを持つ」ことを推奨しているのも面白い。
 人間は自己のことは正当化して高く自己評価しがちで、自分が劣っていることを
 認めるのが苦痛である。
 自己を評価するのにユーモアを持って、「劣っている自分」も許して受け入れる
 ことを勧めているように思われる。
・産業カウンセリングの基本は傾聴にあるが、米国のカウンセリングの大家である
 カール・ロジャースは「自らの内面に入らなければ、他人のことを傾聴できない」
 としている。
・官僚主義に抗うように学生に主張しているが、ある意味でとても壮大な提言である。
 古代中国以来の科挙制度の官僚制にせよ、近代欧米の官僚制度にせよ、批判精神が
 欠如して柔軟性と健全性を喪失することが多いことが官僚主義の欠点でもある。
・この講演は1960年代の米国で行われているが、同時代の米国では、たとえば
 国防長官のロバート・マクナマラの下で硬直した軍事・国防政策が展開され、
 世界一の大国である米国が東南アジアの小国であるベトナム(北ベトナム)に
 ついに一敗地にまみれる結果となった。
・ロバート・マクナマラは、当時の米国でもっとも優秀と言われた分析能力を持ち、
 彼の理論はオペレーションリサーチ(OR)として広まっている。
 そこまでの秀才をもってして、思考が硬直化していった。
 その過程には、自己の高い能力と強いリーダーシップを過信し、周囲には分析に
 必要なデータのみを求め、他者による分析の結果の意見は受け付けなかったそうだ。
 常に多忙で、周囲と対等に話をする時間もなかったらしい。
 効率を突き詰めた結果であるが、一つのリーダーシップだけで動くと方向の修正が
 効かないことがわかる。
・組織の上に立つ者の心得は、唐の時代の「貞観政要」(注)以来、傾聴と需要
 ということが訴えられているが、長い時間をかけても実現しないということらしい。
(注)7世紀半ばに「貞観の治」と呼ばれる善政を行った、唐の太宗の言行を呉兢が
   まとめたもの。帝王学の基礎と言われている。
・日本には日本の良さ、米国井は米国の良さがある。
 現実主義、実用主義の徹底ということでは米国に一日の長がある。
 人生の道、未来への方向を明確に示しているこの章、あるいは本書を通じて、
 そうした米国の良さを感じることが多い。

今回をもって、第9章「官僚主義社会におけるサーバントとしての責任」を終えました。
次回は第10章「アメリカと世界のリーダーシップ」の全文を会読します。
次回の読書会は3月27日(金) 19:00~21:00 新レアリゼアカデミーで開催予定です。

第7回 近代の優れたリーダーに学ぶSL研究会 開催報告

第7回 近代の優れたリーダーに学ぶSL研究会 開催報告
日時:2015年2月23日(月)19:00~21:15
場所:レアリゼアカデミー

今回は新渡戸稲造シリーズの第二弾として「新渡戸稲造に影響力を与えたリーダー達、新渡戸稲造から影響力を受けたリーダー達」計10名を取り上げました。
そしてその影響力・感化力の源泉の中に見られる、サーバントリーダーシップの要素を研究する機会を持ちました。



まず新渡戸に影響を与えた人物として札幌農学校初代教頭のウィリアム・クラーク博士が挙げられます。
わずか8ヶ月の滞在期間に聖書に基づく道徳教育・幅広いリベラルアーツ教育・日常生活を通して、クラーク博士が学生達に与えた感化は直接指導にあたった第一期生のみにとどまらず、新渡戸ら二期生にも計り知れない程大きな影響を与えました。
入学早々に第一期生から「イエスを信ずる者の誓約」に署名を求められ、翌年には洗礼を受けた新渡戸でしたが、その後煩悶の日々を送る中で、イギリスの思想家トーマス・カーライルの著書『衣服哲学』に出会い、心の安らぎを得ることができました。
この『衣服哲学』は彼の生涯に亘る愛読書となりましたが、この本の中でカーライルは、クエーカー(キリスト教の一派)の創始者ジョージ・フォックスを心から賞賛しています。
フォックスは、全ての人の心に「内なる光(神の種)」が宿っているという信仰に立っていますが、このフォックスとの出会いは新渡戸にとって決定的なものになりました。
1884年にアメリカに留学した新渡戸は、翌々年に日本人クエーカーの第一号となりました。

また影響力を与え合った二期生の親友に内村鑑三がいます。
彼も新渡戸と同時期に(クラーク博士が卒業した)アマースト大学で学びました。
1906年に旧制第一高等学校の校長に就任した新渡戸は倫理講義を行い、科外講義では「衣服哲学」や「リンカーン伝」などの講義を行い一高生は新渡戸に心酔していくようになりました。
また別途に「読書会」も開かれるようになり、メンバーたちはキリスト教にも関心を示すようになりました。
新渡戸は一高ではキリスト教の講義はせず、その代わり読書会のメンバーを、聖書の研究に専念していた内村鑑三のところを紹介しました。
内村の門を叩いた20数名の一高生は内村から計り知れない程の大きな感化を受け、後の日本の教育界に大きな影響を及ぼす人材を輩出することになりました。



その中に、戦後初の東大総長である南原繁、南原に続いて東大総長を務めた矢内原忠雄がいました。
南原は新渡戸先生から「Not to do, but to be」⇒「何をなす」の前に、「何であらねばならぬか」を考える、まずは今日の一番近い義務を果たすことの大切さ、を学んだと言いました。
また矢内原は新渡戸に「先生の信仰と内村先生の信仰とではどこが違うのでしょうか」と尋ねた時、新渡戸は「内村君の信仰は正門から入った信仰だ(オーソドックスな福音主義の信仰)。私の信仰は横の門から入った信仰だ。横の門というのは悲しみ(悲しむ者と共に悲しむ)ということだ」と答えました。
また矢内原は「内村先生から“神”を学び、新渡戸先生から“人”を学んだ」と言いました。

その他に、新渡戸が敬愛していたアブラハム・リンカーン、東京医療生活協同組合中野総合病院設立のために協働した賀川豊彦、元台湾総督で「武士道解題」の著者でもある李登輝を紹介しました。
そして新渡戸から影響を受けた最後の人物として、元資生堂社長の池田守男氏を紹介しました。
池田氏は資生堂入社後「生涯一秘書」として「サービス・アンド・サクリファイス」(奉仕と献身)を信条として歴代の社長に仕えてきました。
2001年に当時の会長と社長から「次の社長を君に任せたい」と指名を受けた時、「少し考えさせていただきたい」と答え、その場を外しました。
しばらくして「Be just and fear not」(正しくあれ、恐れるな)の新渡戸稲造の言葉が頭をよぎり、「これは天命なのだ。よし、引き受けようじゃないか」と腹が固まったと言います。
そう決心すると、社長という役割がこれまでとは違うイメージで捉えられるようになりました。
そして店頭基点の「逆ピラミッド型組織」の発想で一番下から社員たちを支えるサーバントとしての役割に徹しました。



参考図書として、クエーカー教徒であったロバート・K・グリーンリーフの著書「サーバント リーダーシップ」から「道徳的権限(Moral Authority)」についても学びました。
道徳的権限又は良心とはサーバントリーダーシップの別名でもあり、その本質は「犠牲」で、それは「自分自身や自分のエゴを犠牲にしてまでも、より高い目的や大義・原理を目指すこと」であることも理解できました。

この研究会を通して見えてきたのは、新渡戸は「サーバントリーダーの10の特徴」の一つである深い「共感」ができる人であり、悲しみを共に負い、泣くものと共に泣くことが出来る人であるということでした。
そして影響力・感化力はどこから生まれるのか、他者に対して喜んで犠牲を払える源泉は何なのか、についても話し合いの時が持たれ「犠牲を伴った愛に触れる体験」から来るのではないかという推察に及びました。

次回は8月3日を予定しています。

第7回実践リーダー研究会 開催報告

第7回実践リーダー研究会 開催報告
日時:2015年1月15日(木)19:00~21:30
場所:レアリゼアカデミー

「第7回実践リーダー研究会」を開催致しました。
ゲスト:株式会社ブロックスの西川敬一(にしかわ けいいち)氏

西川氏は日本全国の素晴らしい経営や取り組みをしている企業を取材したドキュメンタリー映像のDOIT!シリーズの編集長です。
今回、多くの素晴らしい企業や経営者を取材してきた西川氏に、どのような想いでDOIT!シリーズを作ってきたか、優れた経営者の共通点などを伺いました。



西川氏は96本の映像を撮ってきましたが、ご自身が顧客として感動しないと取材しないそうです。
その基準の一つは、CS(顧客満足)が高い会社です。
例えば、スーパーであれば、「○○という塩はありますか?」と珍しい商品があるかを尋ねます。
大体はそこで、「ありません」と答えます。
ときどき、一緒に探してくれるスーパーもあるそうです。
ただ、いい会社というのは、皆で大騒ぎして探してくれ、他社のスーパーにまで電話して聞いてくれるのだそうです。
そういう会社はお客さんをいつも見ているということなのですが、そんな会社は200社に1つあるかないかだそうです。
そして、経営者の出社前から張り込み、晩まで取材するそうです。「お客さんが選ぶ理由」を撮れるまで、対象を徹底的に取材するのです。

カメラは真実を映します。
見掛けはきれいでもバックヤードがぐちゃぐちゃだったり、後ろでおしゃべりしていたり、ということも分かってしまうのです。
成功について書かれた本は多いですが、未だに多くの人は成功について模索しています。
一方で、映像はインパクトが大きく、それを見て元気になったり、何かヒントになるとうれしいと西川氏は思っているそうです。



ところが、CSに取り組んでいるという会社でも、実はCSやらされ病の企業も多いと西川氏は言います。
会社がCSをやれと言うから、社員は嫌々「CSプログラム」をやっているというのです。
お客さんは、社員や店員のやる気や思いやりが見えるものです。
結局、いい会社はサービスがいいのではなく、スタッフのホスピタリティが溢れているのです。

また、いい会社はお客のためにとことんやるので激しく忙しいのですが、それでも社員はニコニコしているそうです。
なぜなら、その仕事が好きだからです。
多くの企業を見てきて、伸びていてもギラギラしている会社はいつかダメになり、働く人が幸せな会社、つまり働いている人の目がキラキラ輝いている会社こそ、伸び続けられるいい会社だと気づきました。

ここで、実際にDVD映像の抜粋を見ました。
「ヨリタ歯科クリニック」は、子どもが「行きたい」と思う歯医者で、様々な取り組みをしています。
ここでは、院長は口出しせず、現場に任せてくれるので、スタッフ皆がイキイキと働いていました。



「ネッツトヨタ南国」では、一度でも指示するとスタッフは上を見て働くようになるので、指示・命令をしないそうです。
皆が自分で考えて動き、多数決ではなく、徹底的に議論するのだそうです。

結局、従業員がイキイキと働くということは、ES(従業員満足)が高いからですが、そのESに影響を与えるのはCSだと西川氏はいいます。
つまり、お客様からの感謝(CS)があって初めて、従業員が金銭以外の報酬を受け取り、ESが高まるということなのです。

また、いい会社の中間管理職は存在感がない、ともおっしゃいます。
本人がサーバントであり、皆が嫌がることを率先してやるから、偉そうな雰囲気がないのだそうです。
しかも、いい会社のトップや管理職は、従業員に対して職場を「セーフティの場」(安心、安全な)にしているという特徴があるのです。

結局、いい会社は人間尊重の考えが徹底していると西川氏はくくりました。
西川氏ご自身も経営者として、社員がイキイキ働くことに真剣に取り組んでいらっしゃるそうです。
そこに伸び続けるいい会社の原点が見えた気がしました。

第47回読書会開催報告

第47回 読書会開催報告
日時:2015年1月23日(金)19:00~21:00
場所:新レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会は、新しい年を迎え、会場も新レアリゼアカデミーに変わったタイミングで、第9章「官僚主義社会におけるサーバントとしての責任」に入ります。
この章は、1966年、グリーンリーフがレッズランド大学での集会の演説です。
今回は、その前半を会読しました。



グリーンリーフは、米国の短編作家ジェームズ・サーバー(1894-1961)の「現代の寓話」(邦訳なし)から庭に一角獣を見たという夫婦の話を引用して、演説を始めました。
短編の寓話で聴衆を引きつけておいて、おもむろに「この寓話が伝える真意とイメージを交えながら「官僚社会における責任」という、非常に扱いにくいテーマについてお話ししたい〈後略〉」と本論に切り込んでいきます。
グリーンリーフは、責任という言葉を一旦は「社会的慣習に則った期待や因習的道徳に従うこと〈後略〉」と一般常識の定義を示しますが、すぐに、この演説における意味を聴衆に与えました。
「責任とは、自身が不安を抱えることから生まれるもの(である)〈後略〉」
そして、「不安を抱えることで内面が成長し、精神に平穏がもたらされ〈中略〉「私は自由だ」と心から言う(ことができる。) 外見と内面の成長は、〈中略〉責任感のある人間はその両方を備えてい(る)」と大学生が中心の聴衆に熱く語りました。
グリーンリーフは学生達に「居心地のいい、自分にぴったりの小さな落ち着き場所」ではなく、自らが動く有意義な世界に進むようにと訴え、聴衆である1966年当時の学生は自ら動く機会に恵まれており、グリーンリーフの世代が大学生であった1920年代半ばの学生よりも自覚をもっていることで、自分の人生を有意義にすることができる、と激励しています。
講演録を読みながらの参加者意見交換が始まりました。

・年を取ってくると自分にも若く必死になっていた時代があることを痛感する。
 身の回りで起きていることの大部分は、たいしたことではなかったが。
 一方で、最近、これからの日本を背負う若い人が元気を失っているように見える。
 この講演はそういう人たちへのエールとしても心に入ってきた。
・寓話は「つかみ」の話としても面白い。肉体の目に見えずとも心の目に見えたものに
 真実がある。
 肉体の目に見えるものは、個人のレベルで見えているに過ぎず、目に見える成功は
 個人レベルの成功に他ならない。
 見えないエネルギーに引かれて全体のエネルギーの源と繋がったときに心の目が
 開かれる。
・自分が関わったあるツアーに全盲の方が参加されたことがある。
 しかしながらその全盲の方が参加者の中で周囲の状況を一番よく把握されていた。
 なまじ肉体の目が見えることが、何かを邪魔するのではないだろうか。
・「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」を体験したことがある。
 参加者の視覚を使えない状態にして、いわば暗闇の中でさまざまな行動をする
 体験イベントであるが、これを経験してみて、見えることの安心感とその安心感に
 浸ったまま、多くのものを正視していないことを自覚した。
・マスコミやインターネットなどの玉石混交の雑多な情報は、それらがすべて見えて
 しまうために、かえって真実を掴めないことがある。心の目を開くということばに
 強く惹かれる。
・心の目とは自分の内側に神経を研ぎ澄まし思考を止めることで、心の鎖、肉体の鎖を
 断ち切ることで一体感覚で得られるものである。
・グリーンリーフが家族の中で「一角獣はいるかい」と問いかけているという
 エピソードは、まさに心の目で新しいものを見つけることができたか、という
 問いかけなのだろう。
・寓話の中で妻は夫の話を聞かず、かつ夫の嫌いな言葉を夫が起きたときに発して
 いる。
 自分が正しいと思い込み、その思い込みで行動しているという面がる。
 そこに「傾聴」が存在していない。
・お互いの話を聞いていないというのは家庭の中の家族関係でありがちな話。
 相手の話を聞かず、自分のことばに責任を取らない。
 家庭内での会話の状況で家族の関係を問うている寓話のように思う。



グリーンリーフの講演は、「(若い人たちが)自分の人生を見いだすために、「官僚主義的社会」と私が呼ぶことにした社会と、みなさんはどう関わっていくのでしょうか。どうすれば、官僚主義的社会で責任感を持って生きていけるのでしょうか。」という問いかけにつながります。
「官僚機構には〈中略〉杓子定規で形式主義的(で)、<組織>化されているすべてのものをダメにする〈後略〉。あらゆる組織が官僚主義になる〈中略〉。(わたしたちはその)弊害については見て見ぬ振りをしがち」と厳しく批判する中で、ひとつの解決事例として、第二バチカン公会議を挙げています。
第二バチカン公会議は、カトリックの最高権威である教皇ヨハネ23世が1962年に招集した公会議で、世界中から参加者を募り、東方教会(ギリシャ正教)を皮切りにキリスト教の他宗派、他の宗教との関係を対立から対話に変え、古い因習の要素が残っていたカトリックの典礼を刷新するなど、カトリックの近代化に貢献した会議です。
20世紀に入って何人かの教皇(ローマ法皇)が公会議の開催を検討していましたが、会議がまとまらないことを懸念した反対意見が多く、刷新の機会を逸したカトリック教会は、ただ古いだけの伝統の中に衰退の道を進むにと思われていました。
そこに単独で風穴を開けたのが、80歳を過ぎてから教皇となったヨハネ23世でした。
グリーンリーフは80歳を過ぎて積極的な活動を続けるヨハネ23世の若き日の蓄積に言及し、そのような精神の輝きを求めて「周囲の同僚や知り合いの若者たちに交じって、自分自身を見つめ直して下さい」と求めています。
そして社会が官僚主義化することは、ある程度必然との理解の上で「実際に行動に移す」ことの重要性を説きつつ、そこに向かう「みなさんの覚悟が見えてこない」、「今からでも自身の生き方を開拓する準備に取り掛からねばなりません」「四十歳になって権力と影響力のある地位に就いてから、意欲が買われ、実力が認められて、適切な生き方が確立するわけではないのです」と若者に檄を飛ばして激励しています。
そして「私は長年にわたり、実績のある、意欲にあふれた社会人を応援してきました。彼らは希望を与えてくれる自分たちの生き方を再構築したかったのです。最も必要とされるときに、それが手に入るように」と先達の志を受け継ぐことを求めました。
グリーンリーフの熱意に煽られるように、参加者の議論も熱を帯びます。



・まず、官僚制そのものがものごとの決定や推進を全てルールに則り、公平かつ迅速に
 処理する仕組みであるというプラス面を持つことを確認しておきたい。
 その上で「官僚的」「官僚主義」といったことが停滞的な意味と動議になって
 批判されることについて吟味していきたい。
 マックス・ウェーバー(1864-1920)は官僚制の良い面に目を向けており、社会学者の
 ロバート・キング・マートン(1910-2003)は否定的に捉えている。
・官僚主義ということばに、バランスを考慮したものごとの進め方、という意味を
 感じ、そこに居心地の良さや安全、安定を感じる人も多くいるだろう。
 若い人たちにもそうした世界に魅了されて安住し、その後、埋もれていってしまう
 ということも多い。
・行き過ぎた成果主義の結果として、また組織の行き着く先として、悪しき官僚主義が
 はびこることが多いように思う。
・組織が安定的になる一方で、時代が次々と変化することで、やがて組織が時代に
 不適合となってくる。
 実際にある官公庁で結論が予定調和する形式的な会議に参加したことがあり、
 人と意識しない運営に驚いたことがある。
 何をなすべきかを考えないといけない。
・京セラの稲盛和夫氏は「迷った時は人として正しいかどうかで判断せよ」と主張して
 いる。
 責任の重い話である、人としての正しい生き方の重要性を痛感させられる。
・組織の仕事はその割り当ての関係で「やらされるもの」であることが多いが、その
 仕事を自分の「文脈」で取り組むようにして、自分のやりたいことと重ね合わせる
 ようにしていくことが肝要だと思う。
・他人にルールを説くときは、その背景にまで触れるようにしたい。
・「導く」ということに焦点を当てた講演の方に思う。グリーンリーフが若者向けた
 発信力の強い講演であることを感じる。
・キリスト教の信徒の立場で、グリーンリーフの宗教観に興味を覚える。
 第二バチカン公会議での決定には他宗派として異見もある。
 なによりもカトリック教徒ではないクエーカーのグリーンリーフの独自の考えが
 興味を引く。
 さらに読み込んでいきたい。

グリーンリーフの熱い講演は、参加者に強いエネルギーを与えているようです。
続きでどのようなものを与えてくれるのでしょうか。
次回の読書会は2月27日(金) 19:00~21:00 新レアリゼアカデミーで開催予定です。

第46回 読書会開催報告

第46回 読書会開催報告
日時:2014年12月12日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会では、今年の7月から11月にかけて第8章「サーバント・リーダー」を会読してきました。
グリーンリーフが強い信頼を寄せたユダヤ教学者であり教育者のヨシュア・ヘシェルと、グリーンリーフがカールトン大学の学生として、そして長じてからも強い影響を受けた、同大学の学長ドナルド・ジョン・カウリングの評伝です。
今回の読書会は、多くの示唆を得た第8章について、全体を通しての意見交換を実施しました。

1907年にユダヤ教の学者の家系に生まれたヘシェルは、自身も敬虔なユダヤ教徒であり、また若くしてベルリン大学の優秀な学者、作家、教育者として名を上げました。
しかしながらヘシェルが活動の拠点としたドイツは、彼の活躍と軌を一にして台頭してきたナチスによりユダヤ人弾圧の場となります。
へシェルはワルシャワへの追放を経て、1939年、第二次世界大戦が始まる直前にロンドンを経てアメリカに渡りました。
アメリカでのヘシェルは、研究に打ち込むだけではなく、社会運動にも積極的に関わりました。
マルチン・ルーサー・キングJr.とともに公民権運動のデモ行進に参加し、病身を押して彼の正義感に沿った政治犯の釈放を出迎えに行くなど、精神と肉体は常に動いていました。
同世代のグリーンリーフ(1904年生まれ)とへシェルはかなり高齢になってから出会っていますが、すぐにお互いに認め合い、最高度の信頼と尊敬によって結ばれた関係になりました。
へシェルが死の直前にテレビのインタビューに応えて若者に向けたメッセージは次のようなものでした。
「不条理を超えたところに意味がある、ということを覚えていてほしい。どんな些細な行いも大事です。どんな言葉にも力があります。すべての不条理を、すべての不満を、すべての失望をなくすために、社会を変革する役割がわれわれにはあるのです。これだけは心に留めておいてほしい。人生の意味とは、芸術作品のような人生を築くことだ、と」



ロナルド・ジョン・カウリングは1880年にイギリスで貧しいながらも敬虔なクエーカー教徒の家庭に生まれ、幼い頃に一家で米国に渡り、苦学の末に、その類まれなる才能を開花させます。
彼は高い能力を認められ、30歳を前にして、カールトン大学の学長に任じられました。
財政状態が苦しい大学の運営に腐心しつつも、この大学を学生にとっても教師にとっても最高の教育の場とすべく、多くの困難に立ち向かいました。
孤高の姿勢を保つカウリングは周囲から敬遠されることもあったようですが、グリーンリーフは学生時代からいろいろな活動に携わったこともあり、24歳年長のカウリングとの接点を持つことができました。
そして卒業後、カウリングと再会したグリーンリーフはカウリングの偉大さに気がつきます。
グリーンリーフはカウリングとの多くの対話と討議、そして周囲の人たちからカウリングの事績や振る舞いから、彼に誠実で強い信念を見出していきました。
グリーンリーフがサーバントリーダーシップの概念を作り上げることにおいて、とても大きな影響があったものと思われます。
グリーンリーフはカウリングの評伝を次のように終えています。
「…自分の名誉を署名した、生き生きとした空気を彼は残したのだ。天職であるカールトン大学の創設にすべてを捧げた彼の献身、自由への情熱、精神解放への情熱、そして彼の魅力的な人間性は、偉大さの証であり、私はその偉大さの前に畏敬の念に打たれてひれ伏してしまう。こうした人材の育成がいつの日かカールトン大学のため、そして社会のために彼が残した財産となることを祈っている。」



第8章の会読を行った第41回(2014年7月25日)から第45回(2014年11月28日)の読書会開催報告をもとに第8章の概要を確認して、参加者による討議が始まりました。
(日本サーバント・リーダーシップ協会のサイトに掲載されている上記の開催報告をご参照下さい)

・へシェルの人生は「昇華」ということばに集約されるように思う。
 優秀な学者でありながら書物とともに研究室に籠るのではなく、政治的な活動にも
 関わっている。
 孟子の言葉で吉田松陰がさかんに唱えた「至誠而不動者未之有也=
 至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり(注)」ということばを思い出した。
 まさに「誠」の人であり、芸術的な人生だと思う。
  (注)「しせいにしてうごかざるものは、まだこれあらざるなり」
     誠意を尽くしてことに当たれば、どのようなものでも必ず動かすことができる、
     といった意味。
・へシェルも松陰も誠をもって行動することで、世の中を変えられるとの確信がある。
 それぞれの本人の活動の中で具体的な成果が出てこずとも、誠をもって行動することで、
 志が受け継がれ、やがて実現するという確信を持っている。
 混沌とした世の中を変えられるのは「誠」なのだと痛感する。
・カウリングについては、評伝の最初の方を読んだ時は、「本当にこの人はリーダーに
 ふさわしいのだろうか」という感想を抱いていた。
 最後まで読み終えたところで、彼がリーダーであることをよく理解した。
・カウリングは学生を主体として、教育においてリベラルアーツを重要視するという
 学校を作り、経営の基礎を築いたが、これは大変な苦行である。
 長い年月を見据えた活動であり、崇高な規範が存在することを感じさせる。
 カウリングの成果は彼の代ではなく次の代において実現している。
 理念が次に引き継いでいることがすばらしい。
 ここにカウリングが真の起業家であり企業家であることを感じる。
 真の経営者は公人として、自己実現を超えた自己超越が必要と思っているが、
 ここにその姿を見た。
・グリーンリーフはヘシェルの評伝に「華麗な人生を築く」、カウリングの評伝に
 「偉人の生き方」という副題を付している。読み終えて、改めてこの副題の意味の
 深さに感嘆する。
 へシェルもカウリングもさまざまな苦労の中で、つつましい生活を送ってきたが、
 その人間的な内面、精神の姿は華麗であり偉大であること、それが信念の崇高さと
 強さによって現わされていることに気がつく。



・サーバントリーダーについて、最初は「優しい人、自分を優しく包んでくれる人」
 というイメージを抱いていた。
 読書会などに参加する中で、目的を達成するための意志を持ち、本当に必要なことに
 向かって、苦しくとも正しい決断をできる人が真のリーダーと思うようになった。
・職場においてリーダーであることが求められているが、本当に周囲を納得させて
 自分の活動に参加させているのかどうか自信が持てない。
 単に職場での地位を利用して自分の考えを当てはめようとしているだけではないか。
 しかし組織として成果を出さないと、単なる仲良しクラブになってしまう。
 この点に悩んでいる。
・リーダーとは信念を持った意思決定者と定義している。
 その信念に多くの人を巻き込むことで、大きな力を作り出せる。
 フォロワーとの間で価値観の共有を行うことになる。
 価値観には価値基準、価値判断、公共性、公益性といった「大義」が必要である。
 リーダーの言動が一致することは自明かつ当然の条件である。
・衆議院選挙を明後日(2014年12月14日)に控えて、この国のリーダーについて
 思いを寄せている。
 本当のリーダーが存在しているのか、日本と日本人の美学を実現するための、
 塾(人の素質、素養)と学(知識)の両面での研鑚を積んだリーダーが望まれる。
・ここ100年は経済的な利益、つまり数字をもって成果とする時代だった。
 これからは仁や義、本当の幸福度といった視点でリードしていくことが望まれる。
 リーダーの信念とその信念の実現に向けて寄り添うフォロワーが重要になってきた。
・最近、ゴスペルを聴く機会があった。
 本当の信仰、信念を持つ人が実に穏やかに自分の経験や信仰を語ることに目を
 見開かされた。
 大義を抱いていたヘシェルとカウリングの二人にも共通するように思う。
・自分なりに、サーバントリーダーシップを ①ビジョンを描くこと
 ②相手の心からの納得を得ること ③尊敬と奉仕の精神に基づく人間関係、
 と整理している。本当のリーダーシップを体得する入り口を見つけたい。
・二人の評伝を読みながら、大義に尽くすことがリーダーのミッションであると感じた。
 大義の実現に向けて地道な活動をコツコツと続けることの重要性、そして行動する
 勇気が必要であることを痛感した。
・第8章の序文でグリーンリーフがヘシェルとカウリングの二人を
 「ふたりとも心のおもむくままに行動した。(日本語訳書 p.400 最終行)」
 と書いている。
 9月22日の第43回読書会で「?儻不覊(てきとうふき)(注)」ということば
 について、語り合ったが、グリーンリーフ自身がそのことを語っていたことに、
 驚くとともに、本書をさらに深く読まないといけないと痛感した。
   (注)徳川時代に使われた個人の気質を表す言葉。?(てき)は
      「すぐれていて、 拘束されないさま」
      儻(とう)は「志が大きくてぬきんでていること」、
      羈(き)は「馬を 制御する手綱」、不羈(ふき)は「拘束されない」こと。
・読書会に参加してみなさんの意見を聞いて、とても参考になった。
 2015年はさらに視野を広げて、みなさんから多くのことを学んでいきたい。

読書会は次回から第9章に入ります。
次回は2015年1月23日(金) 19:00~21:00、麻布十番に開設する新レアリゼアカデミーで開催予定です。

第45回 読書会開催報告

第45回 読書会開催報告
日時:2014年11月28日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会は、第8章「サーバント・リーダー」の中のドナルド・ジョン・カウリングの評伝を会読してきましたが、第4回目の今回で最終回となります。
今回はp.447の10行目から評伝の最後までを読みました。
カウリングはグリーンリーフが学んだカールトン大学の学長であり、グリーンリーフは在学中と卒業後の長きにわたる交流で強い影響を受けています。



カールトン大学の学長を辞した後もカウリングはメニンガー研究所やミネソタ大学の薬学部はじめ多くの組織に彼の才能を捧げていました。
いずれの組織でもトップの座(本書内では「責任を負う役割」)につかなかったことについて、グリーンリーフはプリマス会衆派教会牧師のハワード・コン博士のことばをきっかけにカウリングの真意を探り、そこからカウリングという人物の本質を解明しようと努めています。
コン博士がカウリングの告別式で、「(前略)カウリング博士は・・・祈りこそが人の感性を刺激し、天地万物に宿る神の創造的な自発性へと導いてくれ・・・人生のすばらしさと神秘さへ感謝の気持ちを捧げる機会をもたらしてくれ(る、と考えていた)。キリスト教的な同胞として愛する隣人へのカウリング博士の優しさは、それ自体彼にとって父なる神への礼拝行為でした。」と語りました。
この弔辞をもとに、グリーンリーフはカウリングについて、「(カウリングは常に問題の渦中にあるが、)問題に取り組む中で、学長の信念と行動は見事に調和していた。これは彼の生き方を語る上で揺らぐことのない重要な要素だ。」と述べています。
大学運営に注力中のカウリングは、議論を持ちかけたグリーンリーフに組織運営について語ります。
「問題の渦中にいつも身を置いておくことだよ!」、成功の秘訣を問われたカウリングの回答です。
カウリングはグリーンリーフからの厳しい質問に、「人間の作った組織など脆弱で、間違うことも多い。人間そのものが脆弱で間違いが多いからだ。・・・しかし、強い意志を持ち、能力があって、誠実な人ならいったいどうするだろう・・・自分にできる限りの貢献をして、ときには譲歩することも、報われないこともあるが、何もしないよりはいくらかましだ、と覚悟を決めるべきなのか(後略)」とものごとへ取り組む姿勢を説明しています。
カウリングの人となりを会読して、参加者からの発言が始まりました。



・「問題の渦中に身を置く」というカウリングの言葉に触発されている。
 ものごとを無難に片付けようとせず、正面から取り組む姿勢を示したものと思う。
 今の会社生活でも問題に真剣に取り組むことで、顧客との信頼関係の強化につながる
 といったことが何度もある。
・カウリングは自分とは関わりのない問題についても「この問題に対して、自分ならば、
 どう立ち向かうか」という課題で常日頃考えたいたのではないだろうか。
 それがあればこそ、本当のトラブルにおいて、冷静に適切に対処できたのだろうと
 思う。
・新たな問題に直面しても解決案が示されない、他者も解決策を持ち合わせない
 というときに頼れるのは自分の信念だけである。
 グリーンリーフは「自分が正真正銘の忠誠を誓えるものに献身することだ」と
 カウリングの思いを伝えているが、正真正銘の忠誠を誓う対象を得ることが難しい。
 全くの暗闇の中にいて、ここにもいつか光が当たるということを信じ通せるか
 という課題提起である。
・さまざまな問題や課題に正面から取り組みながら、カウリングが生涯心身のバランスを
 保っていたことすばらしい。
 レリジエンス、人間の心身で言えば回復力や耐久力といった意味であるが、高い
 レリジエンスを持ち合わせている。
・心身のバランスには言行を一致させることが重要。
 「組織の論理」が企業理念などの「ことば」と実際の「行動」をしばしば乖離させる
 ことがあるが、これはストレスを貯める大きな原因となる。
・自分は企業を経営していく中で、従業員個人の経験や価値観を尊重しつつ、組織共通の
 価値観を醸成するために行動規範を明確にすることを心がけている。
 組織のメンバーが相互に認め合いつつ、経営者である自分の理念や規範を知ってもらう
 ために、通り一遍の説明ではなく、常時ことばと行動で示すように努める。
 組織の行動規範に則っての失敗はとがめない。
 これを突きつめていくことで、今では指示命令系統を示す組織図も、
 そして指示命令自体も不要になっている。

学生との接触においても自らの立場をわきまえて清廉な姿勢を示すカウリングにグリーンリーフは大いに感化され、久々の再会となったメニンガー研究所のパネルディスカッションの席上、カウリングへの謝意を伝えます。
「(前略)ひとつは、ご自身の天職への模範的な姿勢に対して・・・ふたつ目は・・・私がいくつかの出来事に遭遇したとき、私のそばに先生がいらっしゃったこと・・・窮地に立たされた若者の気持ちを理解してくださった(後略)」
別の大学教授から「感謝の気持ちを伝えられるのは成熟したものの才能だ。そして若者は往往にしてそれを持ち合わせていない」という言葉を聞いたグリーンリーフは、カールトン大学を卒後業してからカウリングに感化され、感謝の念を持つようになった自分に気がついていったようです。
グリーンリーフはスティーブン・スペンダーの「真に偉大であった人達」という詩を引用しつつ、この評伝の最後を次のように結んでいます。
「(前略)自分の名誉を署名した、生き生きとした空気を彼は残したのだ。天職であるカールトン大学の創設にすべてを捧げた彼の献身、自由への情熱、精神解放への情熱、そして彼の魅力的な人間性は、偉大さの証であり、私はその偉大さの前に畏敬の念に打たれてひれ伏してしまう。こうした人材の育成がいつの日かカールトン大学のため、そして社会のために彼が残した財産となることを祈っている。」



・他人に教えるということは本質的に難しいことである。少なとも自分が理解している
 範囲でしか教えることはできないし、教えることから何かを教わるという姿勢を
 崩してはいけない。
 孔子の「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し(注)」という言葉に
 つながる。
  (注)読みは、「まなびておもわざれば、すなわちくらし。おもいてまなばざれば、
     すなわちあやうし。」論語の中の言葉で、「学んだ結果を自分の考えに変えて
     いかなければ身につかず、自分で考えるだけで他人から学ぼうとしなければ、
     考えが凝り固まって危険である」といった意味。
・感謝ということを重要視している。
 技術研修においても感謝を受容するように指導している。
 感謝というものが人間的に成熟してこそわかる感覚ということに同感する。
・組織の中での行動規範は、個人が成熟する方向を示すものであるべきであると思って
 いる。
 今できることを全力で突き詰めるなかで、「ありがとう」という感謝の言葉がまったく
 自然に出てくる。
 そうした組織が周囲から見られることで見えてくる姿が本当の意味でのブランドである。
・従業員には教えるのではなく、伝えるようにしている。教えるという行為はどうしても
 知識という量的な情報を扱うことになり、受け手のキャパシィティー、つまり理解力や
 記憶力に依存してしまう。
 伝えるという行為に注意することで、情報の量という性質をなくすことで相手の理解に
 限界が来ることがなくなる。
・カウリングは自らの行為に周囲からの見返りを求めていない、未熟な学生が
 カウリングの献身に感謝することがなくても、それを意に介さず、不満を持っていない。
 こうしたカウリングの内面性や信念が実に興味深かった。

これで4回にわたったグリーンリーフによるカウリングの評伝を読了しました。サーバントリーダーシップの概念を確立するグリーンリーフの原点に触れ、会読の中で、われわれも多くの示唆を得ることができました。次回の読書会は12月12日(金) 19:00~21:00 レアリゼアカデミーで開催予定です。

第44回 読書会開催報告

第44回 読書会開催報告
日時:2014年10月24日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会は、第8章「サーバント・リーダー」の中のドナルド・ジョン・カウリングの評伝を会読中です。
今回、カウリングの評伝会読の第3回目は、p.434の5行目からp.447の9行目までを読みました。
カウリングはグリーンリーフが学んだカールトン大学の学長であり、グリーンリーフは在学中と卒業後の長きにわたる交流で強い影響を受けています。

カウリングの学長としての仕事は多忙を極め、特に大恐慌時代の状況は深刻でしたが、彼にとって大学経営はむしろ心安らぐもので、大学のあるミネソタ州ノースフィールドでは礼拝には欠かさず参加し、親睦団体の活動にも積極的に関わってきました。
大学経営においても斬新な手腕を発揮して、別法人を作って新たに大学寮を建て、これを収益事業とするよう先駆的な行動により大恐慌を乗り切りました。
カウリングはその手腕を見込まれて米国やカナダのさまざまな機関の理事に推挙されましたが、彼の教育に対する取り組みは、きわめて原則的であり、教育の在り方を革新的に変えたわけではありません。
グリーンリーフはカウリングについて、「教育に必要なものは、優秀で献身的な学者は教師を教員陣に配置し、理想的な設備を揃えれば、すべてキリスト教環境の中からあふれ出してくると本気で考えていた」と評価し、カウリングの教育に対する信念を次のようにまとめています。

●従来のリベラル・アーツを基礎とするカリキュラム。
●キリスト教的な雰囲気で施される教育。
●優秀な学者でもある教員陣はこのふたつの理念に従事すること。
 彼らには、自身が心に抱く真実を支持する自由、自身の知識を最大限に生かして
 教育する自由が与えられる。
●魅力ある施設・環境の中で、教員と学生の両者が互いに切磋琢磨すること。



カウリングの教育への取組みに向けたグリーンリーフの評価を踏まえて、参加者の意見交換が始まりました。

・今回の読書範囲の前半では、信念、正義、徳といった言葉が盛んに出てくることが
 目についた。
・前回の読書会で?儻不覊(てきとうふき)(注)」という言葉とその気質を持った
 吉田松陰が話題になったが、松蔭の松下村塾も学問の自由、その意志があれば
 誰でも参加できるということに大いなる意義があった。
 学問に対する自由を尊重する姿勢は福沢諭吉の「学問のすすめ」の思想と
 共通する。
 (注)徳川時代に使われた個人の気質を表す言葉。?(てき)は「すぐれていて、
    拘束されないさま」
    儻(とう)は「志が大きくてぬきんでていること」、羈(き)は「馬を
    制御する手綱」、不羈(ふき)は「拘束されない」こと。
・キリスト教への畏敬と敬虔な姿勢も印象的だ。教会の理念を大切にしつつも、
 さまざまな教義に関する信仰に排他的にならず自由も認めている。
・リベラル・アーツ、概して一般教養科目のことだが、これを重要視するという点に
 注目している。
 さらにキリスト教的な雰囲気で施されるべき、としているところに、現代の課題が
 凝縮されているようにも思う。
・ここではキリスト教と定められているが、当時のアメリカの標準的な宗教だったが
 故のことではないか。
 真っ当な宗教の持つ尊厳を尊重することを求めることで、真理の追究に謙虚である
 ことを求めているように感じる。
・社会人入学した青山学院大学大学院の入学式で、「あなた方の学問は神様に
 守られている。なにも心配せずに研究に励むように」という訓示があった。
 社会人として大学院での学ぶ不安と不安からくる迷いを持っている中で、自分が
 神に守られているという言葉に勇気を与えられた。
 自分はクリスチャンではないが、宗教的雰囲気の中で学問に臨むことについての
 意味を体感した瞬間だった。



カウリングはさまざまな場で国際問題や政治問題にも言及しました。
キリスト教に基づく教育者であり大学学長という経営者でもあったカウリングの思想は保守的なものでしたが、決して教条的ではなく、たとえば、1928年にロシアの教育制度を視察したときには、同国(この当時はソ連)の教育にかける意欲を高く評価しています。
また、国際的な平和を希求するとともに政府などの権力による個人の自由への干渉を嫌っていました。
しなしながら父親の影響を受けて理想主義の気質を持っていた彼の主張は年齢とともに伝統主義的、理想主義の色が濃くなり、周囲に受け入れられないこともあったようです。
グリーンリーフはその辺りのことも冷静に評価しています。

・今回の読書範囲の後半には、個人、個性などの言葉が多く見られる。
 グリーンリーフがカウリングの内面に切り込んでいる。
・カウリングは信念が強いのみならず、説得力に富んだ才能を持っているように
 思う。
 語感のイメージにすぎないが、説得というよりも愚直なまでに続ける行動で、
 自分の思いを示して周囲の納得を得るという印象がある。
 この箇所を読みながら「信念」と「頑固」の差異について考えていた。
・「信念」と「頑固」の差は「先見力」があるかどうかが鍵になると思う。
 さらにその先見力のための「傾聴」が必要なのだろう。
・カウリングが大恐慌後のニューディール政策を快く思っていなかったのは、その
 政策の背景にある社会主義的要素が個人の自由を制限することを警戒したの
 だろうか。
 その一方でカウリングがロシアを視察した1928年はボルシェビキ革命でソヴィエト
 連邦が誕生して10年ほど経ってのこと。
 この時代の米国で共産主義ソ連の制度を高く評価したことも驚きだが、彼の
 観察眼が先入観に左右されないこと、つまり本当の意味で自由を尊重するという
 信念の強さに驚嘆する。

グリーンリーフはカウリングの生きざまから「…生き方の選択がうまくいけば、どんな人であれ、個人の能力をうまく活かす事が可能になる。
このように生き方の選択が意義深い生涯を送れるか否かを左右する…」と影響を受けたと述べています。
カウリングはその職務に懸命に取り組んだ学長の座を、まだ健康を維持していながらも後進に譲るべき、と潔く退き、かつ退職後は大学とのつながりを見事なまでに断ち切りました。
引退後もその体力と知力に見合った仕事に従事し、メニンガー研究所の小児科病棟の資金調達やミネソタ州立大学の薬学部の経営支援などを行いました。
彼の尽力によりミネソタ州立大学薬学部の設備、人材、教育課程の質は格段に向上した
とのことです。



・カウリングの引き際は実に見事。数十年にわたって心血を注いで尽力した大学学長
 の座を自ら限界を決めて引退し、以後はそこに未練を見せずに、次のミッションに
 向かっていった。
 普通はとてもできない。
・看板や肩書きが外れても、自分の居場所と自分が必要とされる世界を持っている。
 カウリングという生身の人間、個人がブランドになっている。
・大きな任務を終えても次の任務が見えている。年を取っても前に前にと進む姿勢が
 素晴らしい。
・組織に拘泥しないという点で、ソニーの元社長の大賀典雄さん(故人)を
 思い出した。
 音楽家の一面を持っていた大賀氏はソニーを世界的企業としたことに大きな功績が
 あったが、公私を区別し、一線を退いてからはソニーの経営に直接口を
 はさむことをしなかった。
・カウリングがカールトン大学の学長になった経緯とその後の努力、そして引退後の
 潔さに、金井壽宏先生の「キャリアドリフト理論」やスタンフォード大学の
 ジョン・D・クランボルツ教授の「計画された偶発性」を思い出す。
 自分に起きたことを素直に受け入れつつ、そのことから始まる仕事に真剣に
 取り組み、任務が終われば静かに去る。
 思い通りにならないといって、失望して手を抜いたりしない。
・自分に起きたことを受け入れて、天命として取り組む。
 その点は新渡戸稲造にも共通するものがある。
・今回の読書範囲から自分自身の軸や尺度を持ち、なんらかの形で社会貢献する
 必要性と継続することの重要性を感じた。
・信託業の分野で「フィデューシャリー」という言葉がある。
 信認を意味する法律用語だが、契約という二者間の合意を超えて、信託を受けた
 財産を正しく管理し長い期間で価値あるものとしていく社会的義務、欧米では
 神から与えられた義務を意味する法理である。
 天与の職務に全力を傾注し、そしてこれ以上ない鮮やかな引き際を見せた
 カウリングにフィデューシャリーの精神の何たるかを垣間見た。

グリーンリーフによるカウリングの評伝から参加者も多くの示唆を得ました。
カウリングの評伝の会読も次回が最後の予定です。
次回の読書会は11月28日(金) 19:00?21:00 レアリゼアカデミーで開催予定です。

第43回 読書会開催報告

第43回 読書会開催報告
日時:2014年9月26日(金)19:00~21:00
場所:レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会は、前回から第8章「サーバント・リーダー」の中の2番目、ドナルド・ジョン・カウリングの評伝の会読に入りました。
グリーンリーフが学んだカールトン大学の学長を長く務め、グリーンリーフの思想形成に大きな影響を与えた人物です。
第2回目の今回は、p.421の10行目からp.434の4行目までを読みました。

強い信念を持って大学経営に携わったカウリングは、同時に大学教員の強い庇護者でも
ありました。
バプテスト派(キリスト教プロテスタントの一つ)の人々がリベラル派神学者のアルバート・
パーカー・フィッチ教授を大学から排除しようとしたときは、バプテスト派を相手に丁寧にしかし毅然と対峙してフィッチ教授を擁護しています。
さらにキリスト教原理主義から大学を守るために大学の自由を重視する明確な方針を示し、教授会もこのカウリングの方針を支持しました。
20世紀前半、宗教をバックにした大学では大変に困難な問題であったと思われます。
さらに大学や教員の自治、自由とその環境を守るための学長の権限のあり方、それを表す大学憲章について、常に考えて苦心していました。
そのようなカウリングの大学学長としてのエピーソードを読みながら、参加者による語り合いが始まりました。



・最近はダイバーシティーという言葉に代表されるように、社会の中での多様性や自分と
 異なる価値観の受容が求められているが、実際にはなかなか受け入れられない。
 正統という思想が新しい考えを拒否や排除する根拠になることもある。
 とりわけ宗教にはその傾向が強い。
 その渦中で対立する宗派に粘り強く説得を行ったことは、100年近く前という時代を
 考えると 感銘を受ける。
・正論を「愛のないせっかち」と表現した人がいる。
 神学において正統を主張する人はとかく自身の信仰を絶対視しがち。
 カウリングは自身の信仰とは別にいろいろな主張を受け入れている。
 彼の中に「自分の神学」があって信念として確立されていたのだろうか。
・欧米企業が管理職に示すリーダーシップ原則に「決断力」が強く求められていることが
 多い。
 リーダーが直面する困難は、目の前の現象がリーダーの決断を迷わせることだろう。
 カウリングは彼自身のもつ原理原則を尊重しつつ、困難な決断を日常のものとしていた。
・カウリングのすごさは、決断の後に行動が伴うこと、そして視野狭窄に陥って
 頑固になるのではなく、さまざまなものを受容しつつも、本人の信念はぶれないことに
 ある。

28歳の若さで学長に就任したカウリングは、その就任演説で、決然と決意を語ります。
「歴史の流れは容赦を知らず(中略)無力な組織や、絶え間ない時代の変化と増大する時代の要求にうまく対応できない組織のすべてを、歴史の流れは無慈悲になぎ倒していきます」と危機を表明した上で、「教育力」を最も重要な価値として、「人生への備えとなる訓練を大学が
引き受け、アメリカの他の組織には真似できない教育を施し」、「大学の存在理由と、確固とした社会的立場を提示」することが彼の学長としての展望であると述べています。
一方で、組織経営の上で現実の重要な任務である財務、つまり収益の拡大は、彼の不断の努力をもってしても、長きにわたる学長時代を通じての悩みとなりました。
しかしながら、彼は常に前向きな姿勢と見事なスピーチ、諧謔精神に富んだ巧みな応対で、この問題にも明るく取り組んでいました。



・カウリングがなぜ28歳の若さでカールトン大学の学長に推されたのか。
 もちろん優秀だからだが、前述の通り決断力も重要な要素と思う。
 才能は付与されたもの、一方で決断はさまざまな選択肢から選ぶこと。
 この選択を不断にかつ的確に実施しうる人物であったことが重要なポイントだと思う。
・才能は他人のために使うべきもの、