ニュースリリース

開催レポート:「優れたサーバントリーダーの『生き方モデル』 ―SDGsの先駆者 賀川豊彦が歩んだ道から学ぶー」

2021年7月1日お知らせ

当協会では、先日6月17日に理事 広崎が
「優れたサーバントリーダーの『生き方モデル』
―SDGsの先駆者 賀川豊彦が歩んだ道から学ぶー」の講演会を開催致しました。

 

===当日の開催レポートです。===

 

賀川豊彦は現在では「忘れられた巨人」と呼ばれていますが、第二次世界大戦前は「20世紀の三大聖人」の一人に挙げられ、当時は賀川ほど有名な国際的な日本人はいませんでした。

また賀川は「21世紀のグランドデザイナー」とも称され、評論家の大宅壮一は「大衆の社会生活に即した 新しい政治運動、社会運動、農民運動、協同組合運動など、およそ運動と名のつくものの大部分は、賀川豊彦に源を発していると言っても過言ではない」と評しています。

このように多くの運動に携わってきた賀川ですが、これらは決して一人で成し遂げたものではなく、運動と名の付く以上 多くの同労者やフォロワーに恵まれ、彼らの協力を得ることができたからこそ その働きが広がり実現に至ったのです。

 

1909年12月24日、賀川は単身で神戸の貧民街(スラム)に身を投じ、貧しい人々に仕え始めました。その働きを続けていく中で、後に妻となる賀川ハルや武内勝というフォロワーが現れてきました。そして活動を「救貧」から「防貧」へとシフトする中で、関東大震災後は、活動の拠点を東京の墨田区本所に移しました。ここでは、木立義道等をリーダーとして、神戸での貧民街よりレベルの高いセツルメント活動を展開しつつ、江東消費組合や中ノ郷質庫信用組合を設立し拡大・発展させていきました。

フォロワー達(同労者)の人間的成長と共に、賀川の働きも最前線に立つ指導者というよりは、むしろそうした人々を支える裏方に徹することを、自らの役割と認識するように変化して行きました。賀川は後になって自らを「いと微(ちい)さき社会教育家」と表現しています。これこそサーバントリーダーの姿であります。

 

『リーダーシップの旅』(光文社新書)の中に以下のような文章があります。

「リーダーシップの旅は、『リード・ザ・セルフ(自らをリードする)』を起点とし、『リード・ザ・ピープル(人々をリードする)』、さらには『リード・ザ・ソサエティ(社会をリードする)』へと、段階を踏んで変化していく」と。

まさにこの階段を踏みながら、賀川という優れたサーバントリーダーの影響を受けつつ、価値あるビジョンを引き継ぐ、次世代のサーバントリーダーが生まれて参りました。

賀川は「贖罪愛」(キリストが十字架の身代わりの死で表した愛)と「下座奉仕」(サーバントリーダーシップの精神)で、他者に尽くし続けました。その「生き方」に感化されたフォロワー(同労者)達は、その後自らもサーバントリーダーとして立ち上がり、各人に与えられたミッションに生きるように変えられて行きました。

 

 

SDGsの先駆者でもあった賀川豊彦が発揮したリーダーシップからは、時代を超えた普遍的な真理を見出すことができます。現代における「不易流行」のヒントを与えてくれます。

賀川の臨終に立ち会った故日野原重明医師は「生き方のモデルを探し、モデルに学びましょう」と勧めています。

 

最後に“参加者アンケート”の中から、幾つかご紹介いたします。

 

・「聖なる怒り」がパッションを生む、「平和なコミュニティを築きたい」というビジョンからミッションが生まれる。その「リーダーの成長プロセス」に納得した。

・サーバントリーダーシップは、方向性が示され、皆がそれに賛同し、主体的に動いて進む、には最も効果的であると感じた。

・賀川豊彦について、新たな知識を得ることができたと同時に、この精神が今後 息づいていく社会を作らなければいけないと感じた。

・多くの方が現代社会のあり方に疑問を感じ、この先このままではいけない、自分の生き方を見直したり、組織変革を起こしたいという意志を持ち、行動されていることが分かり、勇気づけられる時間であった。

・SDGsになぞって賀川の功績が紹介されていたが、今、学ぶべき人物だと感じた。

・「救貧」ではなく「防貧」という考え方は、自立を目指すという意味で活用できる。

・愛することは「尻ぬぐい」をすることである、という言葉が心に響いた。

・自分が「ミニミニミニ賀川氏」に少しでも近づけるよう、自分を少しでも捨てる気持ちを育てることを考えていきたい。

・2030年に向けてより良い社会にしていくため、小さなサーバントリーダーを目指して行動しようと思う。