過去の活動報告

第26回 東京読書会(第二期)

開催日時:
2017年11月24日(金)19:00~21:00
場:
レアリゼアカデミー

第二期第26回(通算第81回) 東京読書会開催報告

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、現在、第8章「サーバント・リーダー」を会読中です。この章に収められたカールトン大学の学長ドナルド・ジョン・カウリングの評伝の3回目の会読になります。グリーンリーフもカールトン大学でカウリング学長から直接学びましたが、今回は、カウリングが経営者あるいは教育者として学外において表明した意見、世の中から嘱望されて大学以外の場で担った役割、そして37年間の学長の座を退いた後に、なお衰えぬ意欲に基づいて取った行動などついて書かれた範囲を会読しました。 (今回の会読範囲 p.434、5行目からp.447、9行目まで)

【会読範囲の紹介】
・仕事と出張に忙殺されるカウリングにとって、カールトン大学のあるノースフィールドは、街や住民とのつながりがあって心安らぐ場所であり、ときには外部から作業の支援に来た学生のグループを相手に特別講義を実施したりしていました。
・世界的な大恐慌の下、カールトン大学の財政は深刻でしたが、カウリングは見事な運用を見せて教授陣への不払いなどの事態を回避、さらにその中で、別法人を立てて学生寮を建てるという離れ業も演じました。更にその学生寮を満員にするように注力するなど、すべての投資が機能するように図っています。学校や研究機関が収益を見込んで資金を運用することは、現在でこそ広く行われる施策ですが、当時の学校や研究の分野の常識に照らすと、かなり特殊なことだったようで、一般教育理事会から寄付金の正規の運用と認められなかったほどでした。
・大学の設立に貢献したカウリングは、1919年の米国教育協議会会長はじめ、多くの要職に就きました。1920年代、アメリカの教育者の指導的役割に会ったカウリングをグリーンリーフは、「教育者であり、ビルダーであったが、教育のあり方を革新的に変えたわけではない」と評して言います。キリスト教の影響の強い環境に優秀な教員と理想的な設備を配することで、教育に必要なものは全てあふれ出て来ると考えたカウリングは、カールトン大学に礼拝堂を建設することに注力します。毎日の礼拝と日曜の晩課礼拝への出席が義務付けられていたことについて、グリーンリーフは、自らを敬虔なクリスチャンではなく、今日では推奨しないことだとしながらも、「四十年前の学生にとってはいいものだった(注)」と回想しています。
(注)カウリングは1926年度にカールトン大学を卒業している。
・このようにカウリングの中で、キリスト教に対する敬虔な姿勢は、彼の重要な骨格でした。1909年のカールトン大学への学長就任においてもそのことを強調し、学長就任から40年後のニューヨークでは、労働問題や国際関係といった問題に対して、「本質的なキリスト教の教えに従うことで解決されるでしょう。理由は簡単です。世界はそのように造られたのですから」と訴えています。そうしたカウリングの姿勢に、グリーンリーフは、カウリングの思想が自分の信念に基づく徳と正義による社会変革を若者に説くニコス・カザンザキス(注)のそれと通じるだろうと評価し、さらに、カウリングにとって重要なのは「自分の信念に基づく」という点にあることを訴えています。
(注)1883-1957、ギリシャの詩人、小説家であり政治家でもあった。
主要作品に「最後の誘惑」など。
・キリスト教精神に根ざすカウリングの信念の強さは、周囲との安易な妥協を許さぬ頑固なものでしたが、彼は周囲を怒ったり、妨害することはなかったとグリーンリーフは述べます。純粋なキリスト教の教えが社会に浸透することを願うカウリングは、複雑に組織化された現代社会で人の心を動かすのは、強い信念に基づく行動であると心得ていました。彼の教育理念は:-
- 従来のリベラルアートを基礎とするカリキュラム設定。
- キリスト教の雰囲気の中での教育の実施。
- 教員は前2項に従事し、さらに自身が心に抱く真実を支持し、知識を最大限生かす自由を
有す。
- 魅力ある環境において教員と学生が相互に切磋琢磨する。
というものです。カールトン大学は、カウリングを継いだ、ローレンス・M・グールド博士、ネイソン博士がこれを継承し、同大学は今日の隆盛につながる変革を遂げました。
・カウリングの思想は伝統を重んじるという点での保守的なものであり、その中での国際情勢への関心は、決して進歩的なものではありませんでした。しかし、責任者として会合の進行を取り仕切った1926年のシカゴでの平和執行連盟の集まりでは、カウリングを筆頭に戦争の非合法性を唱え、大学での軍事教育への反対や、米国の国際司法裁判所や国際連盟加盟への要請が宣言されました。さらにカウリングは、第二次世界大戦後、国際連合の最善の役割に関心を寄せて、国際連合がもたらすものについて、「“議論を交わす社会”以上のはるかに良い成果を期待している。」と述べています。
・カウリングにとっては、「それぞれの個性や特徴に満ちた個人」が現実であり、そこに思いやりと強い関心を寄せていました。その意識は、ニューディール政策を進める政府の権力拡大とそこから発生する社会風潮に対して、カウリングの中に警戒心を呼び起こします。特に年齢を重ねて以後は、カウリングの保守的な傾向は理想主義的になり、現実の問題に対処しきれなくなっていました。カウリングの理想主義は、本人自身をして上院議員への立候補を考えるに至らせましたが、彼の妻は、「政治家としては理想主義的すぎる」と立候補を断念させています。
・カウリングのこうした姿勢と立場は、「理想として掲げた世界に存在する限界を明らかにする」ことには役立ったものの、彼自身は、その名声と実績にもかかわらず、その晩年にアメリカの教育問題の主流を指導できる立場にはなれませんでした。グリーンリーフは、そのようなカウリングを「学長は革新者ではなかった。伝統的な制度を受け継ぐタイプのビルダーだった」と評していますが、その一方で、カウリングが多くの大学の経営者から広く助言を求められていたことにも言及しています。彼はカールトン大学を名のある組織とするために、建設的な保守主義者となり、その一方で彼のもとで学ぶ学生ら生身の個人の問題には、情熱的に自由を主張する立場をとったのです。
・このような一見矛盾するカウリングの理想主義について、グリーンリーフは、父親の影響が原因であると述べています。1939年に行った演説で、カウリングは「“この国”によって生み出されたもの、つまりその根底にある考えや原則や理想・・・」を個人の問題に当てはめてきたと述べていますが、それを踏まえてグリーンリーフはカウリングが個人の問題に関わるときは、人道的な意味で「状況主義者(situationist)」であり、社会や大学の教育理念においては「伝統主義者(traditionalist)」であったと整理しています。
・カウリングのこの対極的な姿勢については、カウリング自身も興味と責任感を持ち、1936年に行った演説では、自分自身は社会主義者ではなく、その対極の思想を持ち、個人が特権や利得を持つことを認める、としつつも、それが正当化されるのはその利得が社会的信用と公益に貢献する機会と責任を生み出すものと考えられる場合にのみ正当化される、と述べています。グリーンリーフは、個人のあり方が社会と調和すること、そこに一貫性があり生きる目的が与えられることの重要性を感じ、カウリングとの交流の中で「生き方の選択がうまくいけば、どんな人であれ、個人の能力を生かすことが可能となる。このように生き方の選択が、意義深い生涯を送れるか否かを左右する」ことを実感したと述べています。
・カウリングはカールトン大学学長の引き際も見事でした。36年の学長の座を後任に譲ると、大学とのつながりを断ち、ミネアポリスに移住して、以後4年間、強い要請により名誉学位を受け取りにくるまで、大学に足を踏み入れませんでした。
・学長を引いた後のカウリングは、カンザス州トピカのメニンガー研究所の資金調達、とくに小児科病院の経営支援に注力しました。またミネソタ州の教育機関の果たす役割に確固たる信念のあったカウリングは、同州での私立大学の開拓に注力する一方で、当時州立大学にしか学部のなかった薬学について、ミネソタ大学にメイヨー記念校舎の建設に注力しました。この活動の結果、ミネソタ大学薬学部の設備、人材、教育課程の質は格段に向上ました。この功績にミネソタ大学はカウリングに「ビルダー・オブ・ザ・ネーム・アワード」や名誉学位、評議員賞の授与でその功績を称えたのです。

【会読参加者による討議】
・今回の読書範囲で、一番、印象に残ったのは、カウリングの1936年の演説での「個人の利得が、公益に貢献する機会と責任を生み出すものと考えられる場合にのみ正当化されるものです(日本語訳、p.445)」だった。グリーンリーフは、カウリングがなによりも個人の自由を尊重していることに、たびたび言及している。その中で、個人の財産権に干渉しかねない発言を受けて、少し混乱しているというのが正直なところだ。
・同じ演説で、カウリングは「持つ者が持たざる者と利得を共有する必要性が、これから先求められ続けるのでしょう(日本語訳、p.445)」とも述べている。キリスト教的世界観に基づくものだと感じている。
・カウリング自身は、この演説で自分は社会主義者ではないと言っているが(日本語訳、p.444)、主張全体から、私有財産を制限し富の再分配を行う社会主義的な印象を受ける部分もあるのではないか。
・カウリングの演説した1936年当時は、全体主義的や社会主義が台頭した時代であり、戦後の東西冷戦自体とは性質の異なる警戒心が米国社会全体にあったのは事実だ。だが、ここで書かれていることは、個人のあり方が社会と調和する必要性と重要性だと思っている。むしろ、個人主義と貴族主義な要素を感じた。貴族主義というのは、日常は社会的にも経済的にも上位の環境で生活しつつも、有事の際は、人々の先頭で犠牲となることを厭わない、ヨーロッパ貴族の社会的な権利と義務の表現である。結果の平等ではなく機会の均等が必要という意味につながっている。
・グリーンリーフは、「生き方の選択がうまくいけば、どんな人であれ、個人の能力をうまく生かすことが可能になる(日本語訳、p.445)」 と述べている。能力といっても個人のスキルから、それを生かす環境の選択、周囲との関係など、さまざまな局面がある。この広義の才能の社会にとっての正しい生かし方、個人の貢献が社会の向上になることに一致することが重要。機会の平等は、そのための前提条件だ。
・マックス・ウエーバーは、彼の著書「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」(注)で、人が死後に神から救済されるかどうかは、すでに定まっていて、現世ではそれがわからない。しかしながら、救済される人は神の意向に沿った行動を行う、すなわちその人の全ての能力を使って倹約と信仰、労働に集中するはずだ、と述べた。カルバン派のキリスト教プロテスタントの精神である。この精神が近世以降の経済発展や産業革命の原動力となったと言われている。
(注)マックス・ウエーバー(1864年~1920年)、ドイツの政治、社会、経済学者。
同書は1904年刊行。近代資本主義精神の代表作ともいう名声を得ているが、
現在は、その主張を巡り多数の議論が行われている。
・カウリングがカールトン大学の学長に就任してから40年後に、「今日、社会をひどく悩ませている問題 ―- 経営と労働の問題、人種問題、社会的地位と特権も問題、愛国主義と国際関係の問題 ―― こうした問題は、他の諸問題も含め、本質的なキリストの教えに従うことで解決されるでしょう。理由は簡単です。世界はそのように作られたのですから(日本語版、p.437)」とニューヨークの教会で説教している。学長就任が1909年なので、1950年頃の話だろうか。教会での説教ということで信仰を同じくする人々の間での話とはいえ、自信に満ちた強烈な話だ。
・カウリングが挙げた社会問題の数々は、社会正義や利得の正当性ということにまとめられるかと思う。グリーンリーフによるこの本(注、サーバントリーダーシップ)には、スティーブン・コヴィーが前書きに代えてという序文を寄せているが、その中で、コヴィーはサーバントリーダーシップの「道徳的権限(良心)の四つの特徴」という説明で、カンジーのことばを引用して、これらのことに言及している(日本語訳、p.22~p.29. ガンジーのことばは、p.26に書かれている)
・クエーカー(キリスト友会)が設立したカールトン大学の学長で、クエーカーの牧師でもあるカウリングがキリスト教に根差した考えを披露することは当然としても、グリーンリーフのサーバントリーダーシップの考え方には、宗教に対する畏敬と敬虔さが根底に強くある。自分にはキリスト教をはじめとする特定の宗教の教義や哲学についての知識はほとんどないのだが、このことで思い出すのは、ある評論家が日本のサッカーと南米のサッカーを比較して、南米の選手は神の恩恵に信頼を寄せてプレーすることで、自らが信じるプレーを通して創造的なサッカーを作り出すことができると語った話だ。
・自分も家族もキリスト教徒ではなかったのだが、縁があって娘をカトリックのミッション系中学、高校に進ませた。家庭はもちろん、学校でもことさら宗教教育を受けたわけではないのだが、シスター(カトリック修道女)の先生方の影響なのか、いつしか娘が「神様の恵み」ということばを自然に口にするようになった。
・まっとうな宗教に対する敬虔な姿勢は、世の中のすべてを受け入れるという姿勢につながるのだろう。不正義を看過するという意味ではなく、自分の尊大さを排すという意味である。
・グリーンリーフは、サーバントの真性をもつ別格の人をさがし、能力が発揮できるように育成することを彼のリーダーシップ論の中核に据えている。だが、リーダーだけが活動する社会を前提とはしてはいない。前述のマックス・ウェーバーの「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」では、神の最後の審判の結果はわからないが、わからない故に神の恩恵を受ける人たるべく努力する義務がある、と説いている。
・自分は、リーダーシップとは人がお互いに支え合って進む関係性と定義している。「サーバントリーダーシップ入門」(金井壽宏、池田守男著、かんき出版、2007年)で、資生堂の元社長である故・池田守男さんが示した逆三角形の組織図から、組織のそれぞれの立ち位置の人に、それぞれのリーダーシップがあると感じている。

・それぞれの立場の人に、それぞれ期待されるリーダーシップがあるということには同意する。その中で、自己の利益に走るか、サーバントたるか、これは、カウリングの言う生き方の選択でもあろう。自分の能力に従うことが重要であり、その個々の能力自体に価値の上下はないと思う。
・カウリングについて「理想的に過ぎる」とも評価している。おそらく世間でのカウリングに対する一般的評価をグリーンリーフが受け止めて、そこから彼の持論に展開する修辞なのだろう。グリーンリーフが説いたのは、カウリングは単に理想を夢見たのではなく、本質に突き進んでいたのだ。言い換えれば、彼が奉仕したものは本質そのものだ、ということではないか。本質は、正しいものと言い換えてもよいと思う。あることが正しいかどうかという認識は、多くの歴史的事例が示すように、後世において正反対に変わることがある。本質というのは、その中での普遍的な正しさのことだ。

・今回の読書範囲で、もう一つ目についたのは、カウリングの引き際の潔さ、見事さの箇所だ。カールトン大学の学長の座を退いた後、住いの場所も移し、4年間大学に行くことはなかった。
・今回の読書範囲を読む限り、カウリングはカールトン大学学長を引退後も多方面で活躍している。前職に連綿としている時間もなかったというのが正直なところではないか。
・ただ、カールトン大学の学長の座を退いた後のカウリングについては、いろいろな評価、おそらく毀誉褒貶(きよほうへん)といえるような、様々な意見があったようだ。かつての安定していた地位に懐かしさを覚えたり、自分の自信回復のために、古巣である大学に顔を出したいところだろうが、そこをわきまえて踏みとどまっている。
・人の評価に当たっては、その人が何の分野で特別な人だったのかが肝心だと思う。カウリングは、本書にあるような、新たな薬学部を作るような(日本語版p.445~p.446)具体的な分野での企画や運営の実務には強いが、教育の在り方など抽象的、評論の分野では苦手と見受けた。
・カールトン大学学長としてのカウリングのミッションは、直接的な組織運営から、徐々に大学を任せられる次のサーバントを見つけられるかということに変化してきたと思われる。その点で、十分な資質を持った人を得ることができた(注)。さらに後任に任せた後は、4年間大学に足を踏み入れず、5年目の来訪も大学から学位を授与するためという理由だ。後任の仕事に干渉しないというのは立派な姿勢だろう。
(注)後任のローレンス・M・グールド博士は、カウリングが掲げた教育理念を次々と
実現していった(日本語版、p.438~p.439)
・リーダーたる者は、その役割を自覚し、任務に集中することが求められる。凡人は、自分の任務ではなく能力に集中し、ときに有能さに自己陶酔して、肝心の任務を忘れてしまう。

・生き方の選択という話に戻るが、自分自身の持ち味を生かした生き方が肝心だと思う。
・持ち味を生かす、といえば、京セラでは技術者を東大などの国立大系と私大系に分けるのだそうだ。新商品の検証をさせると、国立大系は、細かくチェックして欠点、欠陥を見つけてくる。私大系は目標の実現へのアイデアを出す。両者を往復させることでよい商品が作れる。本田宗一郎の「得手に帆をあげて」(注)という考え方も同じだろう。
(注)「得手に帆上げて」は本田宗一郎の著作名にもなっている。
本田宗一郎著、三笠書房、2010年。
・リーダーは、それぞれの人が持つ特性を合わせていくことが責務、部分で任せること。それに対して支配型リーダーは、とかく全てを自分のものとしたがる。
・サーバント型と支配型の行動の一番大きい際は、他社の話を聴くことにある。コーチングの世界でも聴くことの究極の目的は、相手が自分でも気が付かなかったことを引き出すところにある。

・今回の読書範囲では、キリスト教精神を共有する人々のつながりの中に、望ましいリーダーシップが生まれることを感じた。具体的な宗教名を挙げると、とかくその教義や哲学の内容が重要と思って、かえって避けてしまいがちだ。そのような細かい教えのことではなく、自分自身の謙虚な心の持ちようを共有するという意味だ。
・組織ヒエラルキーの頂点にいるリーダー、その組織のあちらこちらの、いわば部分のリーダー。それぞれに任務と役割があり、存在価値がある。どうしてもリーダーは引っ張る人という意識があるが、組織を下から支え、後ろから押すところもあるのだろう。
・リーダーは全人格的に聖人君主であるべしとの思いがあったが、いろいろな役割においてリーダーたりうると思うようになった。人がサーバントの心がけを持つことで、その置かれた場所でリーダーとなれるのだと感じている。