第二期第25回(通算第80回) 東京読書会開催報告
「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、現在、第8章「サーバント・リーダー」を会読中です。前回より、この章に収められたグリーンリーフの師であるカールトン大学の学長ドナルド・ジョン・カウリングの評伝を読み始めました。20世紀の前半の37年間、今日に至る大学の発展の礎を築いた学長の経営者としての姿勢を表した前回の範囲に続き、今回は、彼の学問に対する姿勢を浮き彫りにしながら、カウリングという人物を分析していきます。そして、カウリングの激務を支え、心のよりどころとなった妻と4人の娘のことが、微笑ましいエピソードを含めて鮮やかに書き上げられています(今回の会読範囲、p.421 10行目からp.434、4行目まで)
【会読範囲の紹介】
・カウリングは大学学長として教職員に対して、敬意をもって接していました。リベラルな思想(注)を持つ神学者のアルバート・パーカー・フィッチに対するバプテスト派(注)のキリスト教原理主義者の聖職者による大学からの排外運動に対して、カウリングは忍耐強く対処しつつも、排外の要求は退けています。
(注)宗教、特にキリスト教プロテスタントにおいては、歴史的、伝統的な教義解釈から
離れて、個人の自由な知的思索に基づいて教えを再構築する思想を意味する。
(注)17世紀英国で始まったプロテスタントの一つの宗派を源流とする。
バプテスト(Baptism)は洗礼の意味。米国キリスト教の大きな勢力となっている。
聖書の記述に忠実に従うことを特徴としている。
・フィッチ博士は後年、ニューヨークのパーク・アベニュー・プレビステリアン教会(注)の牧師になる決意をしたときに、カウリングへの手紙に次のように書いています。「(前略)とてもつらい状況にあったときも、私があくまで自由に講義ができるようにと、あなたは十分に配慮してくださいました。この数年間、決して横道にそれることのない中世と心のこもった支援をあなたは注いでくださったのです。」
(注)プレスビテリアン(Presbyterian)とは長老の意味で、カルヴァンの宗教改革の流れを
受けて、スコットランドで生成、発展したプロテスタントの流派(長老派)。
経験豊かな信徒が長老指導する。
・1928年10月26日、カールトン大学の教授会は、カウリングが守ろうとした学問の自由を擁護する決議案を掲げ承認されました。決議案では、「(前略)われわれは、人間が目的に向かって邁進する基本的な姿勢として、自由の国に生きる国民の権利として、キリスト教プロテスタントのあり方の基礎となり定義となる信条として、大学の自由という信念をここに掲げる(後略)」と宣言されています。さらに、科学における仮説や宗教における教義について、異なる見解が衝突することが、それらを発展させる動機となり、カールトン大学教授会がそれを尊重するという意思が表明されました。
・1920年代、宗教リベラリズムの論争が激しさを増す中、カウリングは宗教原理主義への批判を公表しました。この時代、米国のキリスト教では、カトリックもプロテスタントも自らを正統と名乗る原理主義の力が強く、リベラルな考えはしばしば無条件に排除されました。キリスト教の大学の学長の座にありながら、カウリングは勇気をもって宗教哲学におけるリベラルな考え方を排除しようとする動きを批判し、カウリングの姿勢を支持した教授陣により、決議案が作り上げられたのです。
・「(カウリング)学長は教授会を一つの法人として重視し、教授会の進行を後押し」するのみならず、自ら行動も起こしています。大学における権限のあり方を見直すために、大学の根幹である、いわば憲法ともいえる大学憲章の見直しを二度にわたって理事会に諮りました。最高決定機関としての理事会を尊重しつつ、特定の問題については専門の教員との頻繁な連絡を前提に、学長をはじめとする大学現場の権限の拡大すること。また、教員がその専門分野において、自身の権利で教育に対する責任を負う中で教員の自由を確保すること、が改訂の骨子です。高い理想を掲げた改訂案でしたが、大学理事会はこれを採択せずに、カウリングの時代を通じて現状維持が継続されました。
・グリーンリーフはカウリングが28歳の若さで学長をまかされたことから、誰に対しても攻撃的に接するという姿勢を選び、その姿勢の継続に活路を見出したと分析する一方で、それがカウリングの自然な姿であり、そのことを「決然としたビルダー」として評価しています。カウリングは学長就任演説で、次のように高らかに宣言しました。「わが国のどの組織も、未来への確信を持っているわけではありません・・・・。(中略)時代の要求にうまく対応できない組織の全てを、歴史は無慈悲になぎ倒していきます。(中略)この大学が、出資者や健全な経営判断をともに行う人々の心に常に訴えかけられるならば、将来は大学の存在理由と、確固とした社会的立場を提示できるに違いありません。(中略)カールトン大学の見据えるものは教育力です。人生の備えとなる訓練を大学が引き受け、アメリカの他の組織には真似できない教育を施すのです。これこそがカールトン大学の夢であり、展望であります。」
・カウリングは宣言の通り大学の運営を進め、彼の語る理想を実現していったが、ただ一つ「カールトン大学区は、現状の収益を少なくとも倍にする必要があります。収益の拡大は近い将来の課題です」と述べた大学経営の財政問題は、この宣言通り進まず、影としてカウリングの生涯につきまとった。
・この問題について、グリーンリーフは、友人から聞いたミネソタ大学学長就任祝賀会で、金集めに奔走するカウリングをからかったできごとへの、カウリングの冷静かつ皮肉にとんだ反論のスピーチを紹介しています。
・このことをきっかけに、グリーンリーフはカウリングのスピーチ能力に話題を振り(注)、カウリングが「その場にぴったりの話を紹介する能力に、実に長けていた。あるときは深刻な状況を軽いタッチの話に変え、ある時は自分に向けられた視線をさらりとかわす」と評価します。そして、1966年1月のメリル・E・ジャーコウ司祭による演説を引用し、カウリングの人となりを鮮やかに描きました。「カウリング博士は、人にやる気を起こさせる人でした。カールトン大学をどのような大学にするか、彼が抱く夢はどこまでも膨らんでいきました。夢のように思える話でも、彼は実現するのです。カウリング博士の目には、どんな雲も銀色に輝いて見えました。彼の徹底した楽観主義は学長としての自分の励みとなり、同僚たちの気分もこうようさせる(後略)」
(注)グリーンリーフはカウリングを「寄付金の希望ばかりしている」とからかった
ミネソタ州知事の演説に、ある笑い話を用いて見事に反撃したエピソード
(日本語版、p.428-p.430)などに触れている
・グリーンリーフは、カウリングの日常生活と家族について言及します。仕事一筋の彼は毎朝早く仕事を始め午後10時ごろに終えます。その後、夫人の話に暫く耳を傾けてから床に就くというのがかれのリズムでした。グリーンリーフは、彼の健康が毎日8時間の快適な睡眠の他、食べ過ぎない、水をたくさん飲む、午睡を取る、毎日の3~4マイル(5~6キロメートル)の散歩の他、仕事の合間を見ての散歩を中心とした適度な運動によってもたらされたと述べています。
・カウリングは文字通り仕事人間でした。クリスマスイブの午後に重要な仕事がはいるなど、ときに家族から責められることもあったようだが、家族もカウリングの仕事への真摯な姿勢には理解を示していました。そのようなカウリングのことをグリーンリーフは、「多くの人が退屈な重労働だと感じる運営業務を心から楽しんでいた。肉体的にも精神的にも健康に恵まれた彼の本質は、こうした生き方にあったのだろう」と書いています。
・建設的で優しく愛すべき性格の妻(注)は、カウリングの励みとなりました。彼女は仕事一筋のカウリングを支えつつ、4人の娘を育てました。4人の娘はいずれもカールトン大学を卒業し、この評伝が書かれた当時も存命です。ただ、彼女たちは多忙な父に普通の父親像を思い描く音ができませんでした。グリーンリーフは、ある日、自宅にいる父を見た娘の一人が「どうしてパパがいるの」と尋ねたり、二番目の娘は小学校2年生のときに、「お父さんの職業は何ですか」という質問に答えられず、隣の席の女の子に尋ねて、「カールトン大学の校長先生でしょ」と教えられたというエピソードを紹介しています。
(注)1907年6月にエリザベス・L・ステーマンと結婚した(日本語版、p.419)
・そうしたエピソードの中で、グリーンリーフが自分自身の思い出とともに書いているのが、暖炉を背に立ったカウリングの前に、上の3人の娘たちが横一列に並んで立ち、講義を受けるように宇宙の真理を語る父の話を聞いているというものです。グリーンリーフは、大学でカウリング学長が暖炉を背にしてグリーンリーフらの学生に講義を行った思い出と重ね合わせて、このエピソードを微笑ましく記憶したようです。
【会読参加者による討議】
・今回の会読範囲は、カウリングが大学学長として学問の自由を守るためにどのように行動したかという点、大学経営者としての仕事を苦としない性格、そして家庭人として人物像といったことが描かれている。最初の学問の自由を守る、という点だが、相手が原理主義とはいえキリスト教の主流派というのは、キリスト教の宗派を母体としている団体としては大変に厳しい状況である。
・学問の自由を訴えたカールトン大学のカール・シュミット教授原案の教授会決議に「真実への疑問を解決する理性にこそ根源的な正統性があるという信念をここに掲げる(日本語版、p.423)」とある。この決議はキリスト教プロテスタントのリベラル派に対して、原理派が自らの正統を主張したことに端を発しており、そこに対する厳しい批判にもなっている。
・宗教論争に限らず、自らが正統と名乗る組織や人は、議論を受け付けないことが多い。ほとんどの場合、思考停止に陥って、自分を客観視できない状態にあると思って間違いない。カウリングはダムをつくるという表現をしているが、思考というものは、水の流れのように周囲からは一見同じようにみえてもその内側で変化があるべきもの。それをせきとめることは、流れを止めることであり、思考を止めることになる。外観が同じでも意味が全く異なる。
・すでに読み終えた章からの指摘になるが、第5章の教育におけるサーバント・リーダーシップに掲載されたディキシンソン・カレッジでの講演「一般教養と、社会に出ること」の中で「(前略)基本的なライフスタイルは、不確かで曖昧な世の中に足を踏み出し、答えの出ない問いとともに未知の世界に飛び込むことです(日本語版、p.315)」という箇所と、第7章 教会におけるサーバント・リーダーシップの「二十世紀後半に、求道者となることについて」の中の「キリスト教は、人間の共同体が持つ理想を、社会的なプログラムに組みこむ手だてを持つ必要がある(日本語版、p.357。アメリカの社会哲学者リチャード・B・グレッグにより1920-30年代に書かれたもの)」という箇所を再度確認したい。宗教者としての今日的役割を明確に述べている。その中での守旧的な原理主義のかたくなさは残念である。
・伝統に価値を見出す保守の真髄は寛容であることにある。原理を唱える人や組織が排他的なのは、それこそ原理に違反する。
・原理派のかたくなな姿に、自分の勤務先でのベテラン社員とのあつれきを思い出す。これまでにかなりの実績を誇る人で、そのために自分のやり方に絶対的自信があって、こちらの意見を聞き入れようとしない。自分などからの他の意見や提案と彼のやり方のどちらが良いか、他の意見が通らず実証できないこともあって、周囲もそれを暗黙に認めてしまっている。いろいろな提案や討議の方法を試みるが、なかなかうまくいかない。経験という事実を前に、観念と事実が対立している構図になっている。
・議論の仕方ということであれば、自分は仲間と方向性を決めるための討議で、ブレーンストーミング(注)の手法を採用して、良い結果を得られた。
(注)集団でアイデアを出し合うことによって、発想の誘発を期待する技法。
自由な発想を行うことと他人の意見を否定しないことが重要なルール。
・ブレーンストーミング自体は、アイデア出しの段階で有効であり、二者択一のような場では最適とはいいがたい。ただし、ブレーンストーミングの約束事である「他人の意見を否定しない」という点は、心構えとして、どんな討議にも必要な原則だと思う。
・議論のルールと進め方に不慣れだと、他の人に反対意見を言うことが人格否定の如く理解されてしまうことが多い。組織の中では、まず相手の話を聞くという議論、討議のリテラシーを所属するすべての構成員が高めるように促し、指導することが必要だ。
・衝突があればこそ、議論は次の段階でより高次の方法や解決案を見出すことができる。この実現に向けて肝心なことは、自分の意見や立場を主張する前に、相手の意見や立場を理解すること。自分の意見が絶対に正しいという思い込みを排除すること。これらの前提がなければ、より良い答えはみつけられない。
・議論に入る前に、そもそも議題にこめられたミッションが一致していないことや、ゴールを共有していないことも多い。雑談での話だが、先日、友人と自衛隊について話をしたときに、防衛や安全保障の必要性の問題と自衛隊の合憲性の話がごちゃごちゃになって議論が壊れたことがある。重要な決定の議論においては、会議、討議の土台を固めることは絶対条件。
・議論や討議の場と環境を整え、建設劇な議論を促すのがリーダーシップだと思う。
・今回の会読部分の後半、カウリングの家族の話は、古き良きアメリカを思い起こさせる。時代は少し違うが、大草原の小さな家の話のような感覚を受けた。
・「どうしてパパがいるの(日本語版、p.433)」という言葉は、昔、自分も子供に言われたことがあったことを思い出した。今回の会読範囲の最後に、カウリングが暖炉の前で、子供たちに宇宙について語るという情景描写があるが(日本語版、p.433~p.434)、カウリングにとって、家庭が安心安全の場であることが良くわかる。こうした場があることから、外で議論の衝突も厭わないパワフルな仕事ができるのだろうし、その衝突が事故にならないのだろ。
・この範囲では、グリーンリーフが軽やかに流れるように記述している。カウリングが家族に対して、「大学に来てからやたらに働くようになった。しかたないんだよ(日本語版、p.432)」と釈明している場所があるが、彼は28歳で学長に就任している。職位や仕事の姓ではなくて、結局はカウリングの生来の性格なのだろう、と半畳を入れたくなる。
・そういえば、先年亡くなった渡辺和子さん(注)も30代で岡山のノートルダム清心女子大学(注)の学長になっている。事績や宗教者であるという点で、カウリングと似ている部分が多い。
(注)渡辺和子(1927-2016)。カトリック修道女。
1963年、36歳でノートルダム清心女子大学の学長となり1990年までその職にあった。
著書に「置かれた場所で咲きなさい」(2012年、幻冬舎)など。
・経営者とは、24時間365日をそこに捧げるという自らに課せられた重い任務とそこから発生する仕事を楽しめるということが良くわかる。本人の性格に加えて自分が必要とされ、活躍できる場が明確だからだろうか。
・実際の経営には部下への権限移譲と責任の分担が必要。この任せるということが案外難しい。責任も最終的には自分が背負う覚悟がいる。
・個々の職場では、中間管理職は部下への指示が多い方が上長から仕事熱心という評価を受けることが多い。組織のヒエラルキーの中でかなりの部分がそうではないだろうか。
・アンジェラ・ダックワースの「グリット」という本(注)では、物事を達成する外部からの支援、指示、命令と併せて内的モチベーションの創出が重要とある。経営者は、部下が自分で自分をモチベートすることを可能と思わせる環境や雰囲気づくりが大切だ、とある。
(注)やり抜く力GRIT(グリット)―人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける
(神崎朗子訳、2016年、ダイヤモンド社)
・今回の範囲で感じたが、相手と話が噛み合わないときにカウリングはなぜ強く出るのか、という点をいろいろと考えた。カウリング自身が軸を持って本質に向いていたということかと思う。自分の軸を持つことの重要性を改めて痛感させられた。
・この範囲では、重い内容の事案もある意味軽妙に対処するカウリングの話を読んで、ユーモアが他者にやる気を起こさせる、やはり笑顔が重要だ、と痛感した。