過去の活動報告

第24回 東京読書会 開催報告

開催日時:
2017年9月22日(金)19:00~21:00
場:
レアリゼアカデミー

第二期第24回(通算第79回) 東京読書会開催報告

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、前回から第8章「サーバント・リーダー」に入っています。前回は、グリーンリーフが壮年期に出会い、その知識と行動とそれを裏付ける人間性に強く魅かれた同世代のユダヤ教神学者、アブラハム・ヨシュア・ヘシェルの評伝を会読しました。今回から、若いグリーンリーフが通ったカールトン大学の学長ドナルド・ジョン・カウリングの評伝を会読します。20世紀の前半、37年の長きにわたって学長としてカールトン大学の発展を支えたカウリングに、グリーンリーフは在学中のみならず卒業後も関係を保ち、多くの影響を受けています。学長の座にある間、自らが理想とする大学を目指して注力し続けたカウリングの人となり、そしてその前半生と学内でのエピソードをグリーンリーフは鮮やかに描いていきます(今回の会読範囲、p.409 10行目からp.421、9行目まで)

【会読範囲の紹介】
[ドナルド・ジョン・カウリング - 偉人の生き方](第1回)
・グリーンリーフはこの評伝を、若い彼が偉大な生涯を送りたいと望んでいた時に出会い心を揺さぶられたダニエル・バーナムの次の格言で始めました。「小さな計画など立ててはならない。そんな計画に人の血を騒がすような魔力はなく、その計画自体おそらく実現しない」。そのグリーンリーフがカールトン大学で出会ったのが大学の学長でその人生の全盛期にあったドナルド・ジョン・カウリングでした。グリーンリーフは1926年度のカールトン大学卒業生ですから、カウリングとの最初の出会いは1920年代の前半と思われます。
・グリーンリーフのカウリングの印象は、「自分の個性にふさわしい生き方をしっかり選択(中略)直面している状況を打破できる強烈な個性を、存分に発揮(中略)彼はその生き方を維持したまま、驚くほど建設的な長い人生を歩んだ。」というものでした。
・カウリングは、1909年から1945年にかけて、ミネソタ州ノースフィールドのカールトン大学学長の座にありました。36年の学長の任期の間、カウリングは1866年に設立された同大学の立て直しに腐心し、そして21世紀の現在、同大学は米国アイビー・リーグ校に匹敵するスコアを記録する上位校としてその名を世界にとどろかせています。
・本書では少し戻った個所の記述ですが、カウリングは、あまり人好きの性格ではなかったのか、周囲の評判は必ずしも高くはなかったようです。グリーンリーフは、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの「(前略)想像力をたくましくし、直接的な経験と関連付けなければ、言葉の意味は理解できない」という格言を引用しつつ、グリーンリーフが見たカウリング像を伝える、とわざわざ断りを入れています。
・カウリングの表面的な印象は、前述の通り「お高く留まった無口な男で、愛想も悪く、とはいえ節度はあったが、ファースト・ネームで呼び合える友人は少なかった」というものです。グリーンリーフは、学内のいろいろなことに関与することで、カウリングとの関係が深まり、その中で、周囲に知られていない彼の本質である「深い洞察力を備えた、話の分かる優しい人で、開花すべき人間の精神の自由について確固とした信念を持っていた」ことに気がつきます。グリーンリーフは、表面的な付き合いでは彼のことはわからず、それどころか「人は善と悪の両方を備えて生きてこそ、人生を心から楽しみ、その意味を理解できる。そのことを私はカールトン大学で学長(注、カウリング)から学んだ」とまで述べています。
・学生時代からカウリングと交友のあったグリーンリーフですが、その関係は、彼の卒業後に深まります。お互いの議論は時に白熱し、グリーンリーフは、自らの若気の至りの発言で、カウリングとの関係が壊れたと覚悟したことや、逆に保守的なカウリングに愛想をつかしかけたことなどもあるなど、遠慮なく本音を戦わせる関係がグリーンリーフにカウリングをサーバントリーダーと認識させる根拠となったと思われます。
・「カウリングは保守的な人だったが、どんなに考えが合わない相手であっても、人の才能は高く評価した」。人間の性質がしばしば「合理的に可能だと判断できるとき、どの分野の大人たちも非常に独断的になる(p.412-p.413)」と考えるグリーンリーフが、カウリングを高く評価する根拠となっています。カールトン大学でも多くの教授が社会の風潮や表面的な評価といったことを乗り越えて、カウリングによって採用されました。
・ミネソタ州のキリスト教の大学のひとつに過ぎなかったカールトン大学は、カウリングの36年におよぶ尽力により、リベラルアーツの牙城としての地位を築いていきます。グリーンリーフは、カウリングをビルダー(組織の創設者)と認め、「今日ほど教育の質が問題視されていない時代に、彼は良質な組織を築こうとしていた。当時の基準に合わせて教育の質を追求しただけでなく(彼は「西のダートマス大学」を作りたいと言っていた)、その基準をはるかに超えるものを作ろうとしていたのだ」「カウリングは責任感の強い人物の典型だった。最善を尽くさねばならないという義務感を持っていた」と高く評価しています。
・カウリングは1880年8月21日、英国のコーンウォール州トレヴァルガに靴職人の父、ジョン・P・カウリングと裕福な農家の生まれの母メアリー・K・(スティーブン)・カウリングの間に生まれました。夫婦の身分差などが原因の一つとなって、一家は1882年ごろに米国ペンシルヴァニアに移住、カナダへの移転などを経験して、同地に落ちつきました。
・使徒伝道者でもあった父の影響でカウリングは敬虔な信仰心を持っていました。また自由への情熱と不屈の精神も父親から受け継ぎ、貧しい家庭の中で自ら働いて学費を稼ぎつつ、猛烈に勉強しました。学業の傍らでコネティカット州の教会の祭司を務めるなど、その生活ぶりをグリーンリーフは過酷と評しています。しかしながらカウリングはその境遇にあってもユーモアのセンスを持ち続けたそうです。
・幼いころからキリスト教の教えに親しんだカウリングにとって、宗教は彼の人格の中核を形成しています。それだけではなくイェール大学で神学を学んだ経験から、彼は宗教に対して教条主義的ではないリベラルな姿勢を持っていました。グリーンリーフは、「人間は敬虔から学ぶ生き物だ - 必ずしも、経験のしもべになる必要もなければ、経験に拘束される必要もない。終始一貫した生き方が形作られるとき、ドナルド・カウリングがそうであったように、あらゆる貴重な経験が、その生き方に組みこまれる」と述べています。
・1906年にカンザス州のベーカー大学の哲学と聖書学の助教授として招聘されたカウリングは、イェール大学時代の学友でありカールトン大学の卒業生であるマリオン・リロイ・バートン博士の提案で、カールトン大学に学長として招かれ、1909年にその座に就きます。若くして学長となったカウリングは、緊張の中で、自分がカールトン大学のすべての責任者であると自覚し、その心構えで仕事に臨みました。校舎は設備の建設と整備、教職員の雇用と人事、学生の問題など。その几帳面な性格は学内の農場の搾乳小屋のデザインを設計士とやり取りする中で、搾乳小屋の特徴を綿密に調べ尽くすといった行動に現れました。グリーンリーフもカールトン大学の礼拝堂の美しいステンドグラスや床のイタリア製のタイルがカウリングの配慮と愛情の成果であることに、改めて感銘し、学生たちに、これらを注意深く見てほしいと訴えています。
・グリーンリーフは、カウリングが「徹底的なまでに‘責任感をもって’自分の仕事にのぞむ姿勢」について、二つのエピソードを挙げています。一つは、学内で作業員が理事の指示で植木を切ろうとしていたところに遭遇したカウリングが、今後は植木の伐採に至るまで自分の意思に基づくように学内に命じたこと。もう一つは植物学の教員が作る展示用ケースの寸法を自ら測り、その良否を確認したことでした。

【会読参加者による討議】
・この評伝の中で、グリーンリーフは19世紀の米国の哲学者、ラルフ・ウォルド・エマソンの「一つの制度(an institution)は一人の人間の長く伸びた影だ」という言葉を引用しつつ、グリーンリーフが卒業したカールトン大学をカウリング学長の影と表現している(日本語版、p.411) 直接的にはエマソンの言葉だが、制度を人の影と定義していることに興味を覚えた。ここで人というのは、リーダーに位置にある人と思うが。
・影という限りは、会社などの組織のさまざまな現象のどこを取り上げるか、どの方向から見るか、といったことが影自体と同じく重要だろう。この点があいまいだと複数の制度、過度に複雑化した制度など目的を見失ったものが作られがちである。
・言葉の定義となるが、制度(institution)の意味は、仕組みやシステムといったものから事業と広くとらえることができる。人間の影という定義に沿えば、iPhoneはスティーブ・ジョブズの影ともいえる。影自体は現象であり、実態があるのは光の方かもしれない。
・はたして制度というものが社会における前提条件なのかを考えたい。制度がなくとも人間社会は形成できるのではないか。言い換えれば、制度ありきで人間社会が形成されるのか。人々のつながりの中で、さまざまな必要が生じて合意を形成した結果が制度なのではないか。その視点に立つと、人々のつながりや関係性の方がより重要であり、制度は結果に過ぎないように感じる。
・前の章の「教会におけるサーバント・リーダーシップ」にあるクエーカー教徒向けの雑誌投稿「二十世紀後半に求道者となること」の中に興味深い記述がある。一つは米国社会哲学者リチャード・B・グレッグの投引用で、「キリスト教は人間の共同体が持つ理想を、社会的なプログラムに組みこむ手だてを持つ必要がある」というもの(日本語版、p.357)、もう一つはこの投稿の最後に記された芭蕉の「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」だ(日本語版、p.359)。社会を変えるには理念や理想を語るだけではなく、それを制度という形にしなければならない。またその制度に依拠する人たちも制度の表面的なことをなぞるだけではなく、その制度が求めている理念を認識して、自身の行動と対照して確認していく必要があると考える。
・リーダーの思い、つまり思い描くビジョンとそこへ導こうというミッション。それが具現化したということだろう。
・制度はとかく硬直化しやすい。現場が自主性を持つことができる緩さが必要だ。制度によって組織を外部から守るとともに、中の自主性や一定の自由を維持することで、その組織の中に力を与えることができる。
・制度の典型が文章化された規定とかルールだが、これが他社との比較の結果、追随する形で変わったり、あるルールが上役の交代で全部やり直しとなったり、と理念なき制度が横行することも多い。
・福岡県春日市の教育委員会は、10年以上前に、当時すでにブラック化していた教員の勤労実態の改善を図った。春日市の教育係長となった工藤一徳氏は、教育委員会の形式的な業務や些末なことまで上位の決裁を要する仕事をスリム化し、権限移譲を促進させて、教員が教育に集中できる時間を増やすように努力した。工藤氏の働きかけは制度として定着し、彼が定年で退職した後も10年以上にわたって成果が維持されている。無意味な権威主義を振りかざした何人もの校長の意識を変革したことが大きい。工藤氏が現場を去ってもその精神、文化が制度として残っていると言える。
・昨今の企業社会でESG投資が注目されている。環境(environment)、社会(social)に配慮し、統治(governance)がしっかりしている企業を評価するという考え方であり、指標である。ESG投資の指標では経営者とステークホルダーである投資家との対話がどのようになされているかが重要視される。ESGの視点から企業を見ると、制度と理念の関係には多種あることに気づかされる。理念の裏付けなく制度が制定されているケース、あるいはあるワンマン経営者の企業では、制度の整備が企業規模に見合わないレベルにありながら、経営者の理念は会社の末端まで浸透しているといったケースもあり興味深い。

・今日の会読範囲の最後の方で、学長のカウリングが礼拝堂の床のタイルにこだわったり、用務員に自分の許可なく学内の木を切らないように命じたエピソードが書かれている(日本語版、p.420-421)。細部に注意を払うことの重要性は理解しつつも、大学のトップがここまで介入するべきかという疑問がある。
・自分の話になるが、勤務先の中国進出の先頭を務めることになった。事務所の設営では内装、什器、備品、すべてを手掛けなければならなかった。自分たちがやらねばならないことを理解し、部下として成果を出してくれる人がまだいなかったからである。自分が思い描く形をつくるために、すべてを引き受けなければならない段階というものがあることは否定できない。
・礼拝堂のタイルや学内の木の話は、大学経営のいわば外堀。カウリングは大学の教員や職員がその本来の目的にできるように外堀の仕事を自ら引き受けたとも考えられる。外堀がしっかりすることで、中の人たちは、安心して任務に邁進(まいしん)することができ、その中で広がりをもつことができる。
・カウリングは礼拝堂のステンドグラスに細心の思いを注いだカウリングを回顧しつつ、学生たちにそのことに気づいてほしい、と言っている(日本語版、p.420)ことが印象深い。
・本田宗一郎は、製造現場の整理整頓に厳しく、作業員に汚れが目立つ白い作業服を支給した。ゲバが汚れていなければ、作業服は汚れないという考え方によるものだ。さらに現場に頻繁に足を運び、整理整頓を注意し続けた。ただし、一方的な性格ではなく、部下の進言にもきちんと耳を傾けたという。ビジョンにこだわるが故に細部にこだわりつつも、その姿勢は柔軟という典型だ。
・組織に貢献するということはサーバントとしての行動である。サーバントというと、とかく人、つまり他者に対する貢献という軸で評価されがちな、サーバントリーダーシップの要素なのだろう。
・外資系の企業に勤務中である。消費者に近い業界で、ビジネスモデルへの批判を耳にすることもあるが、日本法人の社員はほぼ全員が設立者の‘You can do it.’の精神、理念に共感して勤務している。そのため、外資系ながら平均勤続年数も長い。
・武士道は忠義、忠誠のために命を捨てることをいとわないが、それは無意味に自己犠牲を求めるのではなく理念に共感し、これに殉じる(じゅんじる)ことが求められているのだと理解している。
・日本語版の解説で金井壽宏先生が「喜んでついてくるフォロワーがいなければ、その場にリーダーシップは存在しない(日本語版、p.563)と述べている。リーダーが周囲を強制的に従わせるのではなく、組織への忠誠を示すことで周囲がそれに共感することが必要。先刻討議した「制度」という仕組みも、部下の無批判と盲信を求める強制力がその本質というものでは、不具合である。その制度を利用する人がきちんと考えて理念や内容の良否を判断できることが大切だ。

・定年になって、それまでの営業や品質保証の仕事から、教育やカウンセリングに携わっている。カウンセリングの経験から、多くの人がもっと自分の価値観を表明してよいように思っている。カールトン大学が誇るリベラルアーツは、そのような個々人の価値観を明確にするものであり、この学長の思想や生涯に興味がかきたてられる。
・カウリングの37年間の長い学長生活を考えると、どうしたら情熱を維持できるかという思いに至る。生涯終始一貫して信念に沿った行動を行う、というのは実に厳しいことである。引き続きしっかり学んでいきたい。