過去の活動報告

第23回 東京読書会 開催報告

開催日時:
2017年8月25日(金)19:00~21:00
場:
レアリゼアカデミー

第二期第23回(通算第78回) 東京読書会開催報告

「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、今回から、第8章「サーバント・リーダー」に入りました。グリーンリーフが自身の人生を通じて出会った二人のサーバントリーダーの評伝で構成される章です。今回は、この章の序論とグリーンリーフと同世代のユダヤ教神学者、アブラハム・ヨシュア・ヘシェルの評伝を会読しました。この章で取り上げられるヘシェルとドナルド・ジョン・カウリング(次回以降会読)の二人は無論のこと、グリーンリーフ自身も宗教に対する敬虔な姿勢をもっています。科学万能の思想の下、人間の認知と判断を至高とする現代の思想に対し、グリーンリーフは彼のリーダーシップ論において、そうした視点を転換することを説きました。前章「教会におけるサーバント・リーダーシップ」に続き、参加者は、普段、あまり接点のない宗教の視点での世界観に接しつつ、熱心な討議と意見交換が行われました。
(今回の会読箇所:p.399~p.409、9行目。ヘシェルの評伝の最後「敬虔な人に、死の恩恵を」まで)

【会読範囲の紹介】
[序論]
・この章は、グリーンリーフが親しい関係を築き、かつ「サーバント・リーダーの模範のような人々」と認めた人々の中で、「私の思うところを書いた」二人の人物の評伝です。「ひとりは、ドナルド・ジョン・カウリング。私の父と同世代で、私の母校の学長を務めた人だ。政治や経済についての考え方がきわめて保守的な人だった。もう一人は、ラビのアブラハム・ヨシュア・へシェル。私の同世代で、リベラルな活動家だ」と紹介されています。カウリングは若いグリーンリーフに強い影響を与え、へシェルとはお互いに60歳前後に知り合ったようですが、その人物像に強い印象を与えたようです。
・グリーンリーフは、「この二人は全く異なるタイプの人物だが、顔を合わせていればお互いに親近感を覚えただろうと思う」と二人の共通点として、「偉大な誠実さと神秘主義的な思想(注)。二人とも心のおもむくままに行動した」という点を挙げています。
(注)神などの絶対者をその絶対性を維持しつつ人間がその内面で直接に体験しようとする宗教
上の思想、哲学。キリスト教をはじめとする西洋のみならず、世界各地の宗教に反映され
ている。
・グリーンリーフはカウリング学長の評伝で彼を独裁者的に表現した。そのことへの友人からの批判に対して、グリーンリーフは、多くの人が満足し、その良さを満喫しているカールトン大学の組織環境が1909年に学長に就任したカウリングの精力的な献身によって、不振を極めた状況から現在(注)の良い組織に作り上げられてきたと、認識することを求めています。
(注)サーバントリーダーシップの初版は1977年に米国で出版された。そのころの評価と思
われる。
・この序論で、グリーンリーフは20世紀の偉大なユダヤ教神学者(注)の一人と称されるヘシェルと同世代人として、「近年非常に親しくさせてもらっている」と書いていますが、彼がサーバントリーダーシップの概念を固める中で、サーバントリーダーと認識した人物に出会ったことになります。
(注)ヘシェルの他、ヘシェルの評伝にも登場する「対話の哲学」のマルティン・ブーバー
(1878年~1965年)や宗教の倫理学的側面の深い研究者であるエマニュエル・レヴィ
ナス(1906年~1995年)等が著名である。
・グリーンリーフはこの二人から多くを学び、そして「今でもそばにいるかのように、良く響く彼らの声がはっきりと聞こえてくる」、とこの解説に続く評伝への読者の期待感を高めます。

[アブラハム・ヨシュア・へシェル - 華麗な人生を築く]
・グリーンリーフは、ヘシェルの評伝を彼の言葉から始めます。「不条理を超えたところに意味がある、ということを覚えておいて欲しい。どんな些細な行いも大事です。どんな言葉にも力があります。すべての不条理を、すべての不満を、すべての失望をなくすために、社会を変革する役割がわれわれにはあるのです。これだけは心にとめておいてほしい。人生の意味とは、芸術作品のような人生を築くことだ、と」 この発言は、1972年12月23日に逝去したヘシェルがその死の直前に出演したテレビ番組で、司会者から若者へのメッセージを依頼されてのものです(注)
(注)日本語版では1972年12月23日が放映日と認識する記述となっているが、12月23日はヘ
シェルの逝去日であり、その少し前(Shortly before)に放映されたものと想像する。
・ヘシェルの人柄について、グリーンリーフは、彼がユダヤ教神学院で倫理学と神秘学を担当するのに最適な高い倫理観と深遠な宗教感覚を持つ人と評します。
・あるときグリーンリーフは、若手管理職向けに実施した研修でヘシェルに講演を依頼しました。夜の部で2時間におよぶヘシェルの講演は、若く頭脳明晰な管理職たちにも深い感動を与え、参加者の一人が翌朝、グリーンリーフに「あのあと五分ほど、みんな押し黙って席を立てずにいたんですよ」と、旧約聖書に登場する預言者アモス(注)の再来だと話し合ったエピソードを紹介しています。
(注)紀元前750年ごろの牧者であり預言者。イスラエルはソロモン王の栄華のあと、堕落して
北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂したが、その時代にあってアモスは王国の滅亡
を警告し、また神の呼びかけに答えるように王と人々に述べ伝えた。
・グリーンリーフは、ヘシェルや彼の家族との他愛ないできごとにも、彼への深い思いを語りつつ、ヘシェルの経歴を語ります。ユダヤ教敬虔主義派(ハシディーム)(注)指導者の流れをくむ彼は1907年にワルシャワに生まれました。敬虔なユダヤ教に満ち溢れた環境の中、彼は幼い時から抜きんでた才能を発揮します。そして “すべての事象に人智を超えたものが暗示されていると確信する。つまり神の存在を日々経験し、生命の浄化を日々の業とする”人々との生活の積み重ねが彼の思想と宗教的精神を培っていきます。
(注)18世紀ポーランドでバアル・シェム・トブにより始められたユダヤ教の正統を目指す
運動。敬虔な信仰と活動を重視する。ヘシェルの祖先はこの創始者と親しい間柄で
あった。
・グリーンリーフは20歳のときにドイツ最高峰のベルリン大学に入学、1936年までに博士号取得、新進のユダヤ学者、作家として世に売れ、ユダヤ教学者のはるか先輩で、世界的名声を博していたマルティン・ブーバーから彼の自由ユダヤ学園の後継者に任命されます。
・順風満帆な彼の人生をナチスドイツの台頭が阻みました。1938年にナチスによりポーランドに追放され、その後、家族とともにアメリカに移ることを企図して(注)、1939年に一旦英国に渡り、その間にユダヤ研究所を設立しました。1940年に米国、シンシナティのヘブライ・ユニオン・カレッジの教員となり、その後、ニューヨークに移り住んでいます(注)。
(注)ヘシェルは、自宅に踏み込んできたゲシュタポにより身の回りのものと原稿を詰めた
カバン2つのみ保持して国境線に放置される形で追放され、奇跡的に生還した。
(注)故郷のポーランドに残ったヘシェルの母親と3人の姉は、ヘシェルの米国移住前にナチス
により強制収容所で虐殺された。
・グリーンリーフは、ヘシェルが4か国語で研究書を記述し、他にも2か国語を操ることができることに感嘆し、そして彼の代表的著作「イスラエル預言者(注)」に関するヘシェルの発言を引用しています。ヘシェルは今日(1970年ごろ)の教育について「(前略)このままでいい、気持ちにゆとりを持とう、などと・・・・そんなはずはありません!問題に立ち向かうこと、何台と向き合うことが大事なのです」と語っています。
・ヘシェルは、「イスラエル預言者」を出版した50歳代の後半から、机に向かっての研究活動のみならず、社会問題へのさまざまな活動への積極的関与が目立つようになります。アラバマ州セルマでの公民権運動のデモではマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)とともにその先頭に立ち、ベトナム反戦運動にも関わりました。その一方でのユダヤ神学の研究はさらに磨きがかかり、また非ユダヤ教徒との交流にも時間を割いています。グリーンリーフは、ヘシェルのそのような時期に知り合い、その知識と人柄に強い魅力を感じたことを率直に述べています。
・ヘシェルが第二バチカン公会議におけるカトリックとユダヤ教の融和に大きな足跡を残したことであり、それは教皇パウロ6世も高く評価した(注)ことをグリーンリーフは、ヘシェルの晩年の功績の一つと高く評価します。
(注)第262代ローマ教皇(法王)。本名、ジョバンニ・バティスタ・モンティーニ
(1897年~年、在位1963年~1978年。前教皇ヨハネ23世が開始した第二バチカ
ン公会議を引き継ぎ、これを全うした。
・ヘシェルの宗教観が独特であり、また強い吸引力を持っていることを取り上げたグリーンリーフは、ヘシェルの信条を「ただ存在することが祈りであり、ただ生きることが神聖である」と述べて、その敬虔でありまた強い信念を持つ姿に強い敬意を表しています。そして自分とヘシェルの絆の源泉が「究極の宗教体験というものは、神秘に満ちた一体感を意識すること」という信念が共通していたことだ、と分析します。
それは、二人のそれぞれの考え方や言葉、習慣やヘシェルが政治活動に、グリーンリーフが組織論にとそれぞれの関心領域といったものではない高次のものでした。また当時の宗教をめぐる社会の状況は、二人が尊重する神秘主義的な感覚を世の中が支持していないことへの問題意識の共有も二人の一体感を強めました。
・ナチス政権の弾圧を生き抜いてきたヘシェルは、その後も続く社会問題の闇の深さに苦しみ、解決を望んでいました。ヘシェルはグリーンリーフに尋ねます。「神秘性の中に起源を持つこれほど多くの宗教が、なぜ、社会奉仕の媒体として機能しないのだろうか。宗教的な生活を送る人々は、なぜ、形式にばかりこだわって、中味よりも外見に心を奪われるのか」。グリーンリーフは「(前略)そんな状況に対峙した場合、人はただ生き方を改めて出直すだけだ。われわれは預言者の声に耳を傾けよと求められる(後略)」と預言者の言葉に従えばよい、と答え、ヘシェルが「今を乗り切るための新たな預言の声」を聴いてくれたと確信しています。
・ヘシェルは、生涯最後の著作「真理への情熱」の原稿を出版社に渡した足で、雨まじりの雪が舞うコネチカット州ダンベリーで友人を迎え、すぐに老躯に鞭打って引き返すという無理を重ねた。1972年12月23日、ユダヤ教の安息日の未明、ヘシェルは眠るように逝きました。この親友の死に、グリーンリーフはヘシェルの生前の口癖を思い出し、そして贈る言葉としています。「敬虔な人に、死の恩恵を」

【参加者による討議】
・グリーンリーフがヘシェルとの絆について、「神秘に満ちた一体感を意識する(日本語版 p.408)」という認識が共通していたことを挙げている。フランクフルトのユダヤ神学院でのヘシェルの前任者であり、ともに20世紀を代表するユダヤ神秘主義神学者のマルティン・ブーバーの代表的著作に「我と汝(われとなんじ)(注)」がある。ブーバーは自分と相手の関係性、つまり人間としての関係が壊れたときは、その関係は「我と汝」から「我とそれ(=モノ)」に変換してしまうと説く。現代は人と人との関係が、一種軽くなっていて、当初からモノとの対峙となっている。他者を軽視し、軽視の延長で差別すること、そこから生じる対立と憎悪は一体感と対極にある。
(注)1923年刊行。邦訳は植田重雄訳、岩波新書(1979年)、その他
・勤め先の会社の組織のことを考えた。部署単位ではある種の一体感があるが、部署同士ではいろいろな利害がある。自部署の都合が優先して、他部署の内部のことには関心を抱かず、会社全体での一体感が作れないことが多い。
・ある程度の規模の組織であれば、共通の目的、ゴールがあることで一体感や達成感の醍醐味を味わえるが、外部との関係では温度差がある。コミュニケーションを外に広げることを考えて、熱意を伝える方法を工夫していかないといけない。
・自分は一体感というものは、ある種の「生もの」と思っている。時間が経つことで、一体感のもとになる考え方や組織、制度にしがみつく人が出てきて組織が守旧的になり、一体感それ自体が変質するということを経験したことがあった。それが行きつくと組織が崩壊する。ただし、元となる考え方に普遍性があって、それが世の中で有効なものであれば、壊れた組織も何等かのきっかけで復活することがある。

・日本のIT業界は若い人の参入が多く、世代交代が進む一方で、過去の成功体験に基づく昔からのやり方に固執するロックインと呼ばれる状態が多く残っている。昨今の日本のIT業の隆盛の中での停滞は、成功に復讐されているように映る。未来に向けて正しく変われるかが問われることになるだろう。
・変革の原点には、現状に満足しないことがある。しかしながら、これは単に不満、不満足だということでもない。不満が先に立つ改革は物事を壊すだけで、そこに「積み重ね」による成長がない。
・変革を重ねるだけの「変革の一本槍」ではいけないのだろう。本流の中から亜流が生まれる中で、次の本流が誕生する。その中で新たな気づきを知覚できるかどうか。新たな気づきを得られないと成果がでてこない。
・ネットワーク機器で世界を席巻しているシスコシステムズは、ふた昔前は弱小企業の一つに過ぎなかった。いろいろな人に助けを求めながら、「何かを得ては、何かを捨て」を繰り返して大きくなってきた。その中で、本流を見極めることに徹したことが成功の要因だろう。
・正しく変わり続けるという行為に、日本の武道や芸事における師弟関係を表す守破離(しゅ・は・り)という考え方がある。まず師匠の型を学んで模倣し、それを体得したところで師匠の型から離れて自分の型を作り、さらにそこからも離れて自在になるというものだ。変革の仕組みが組織の中に存在するか。日産自動車でのゴーン革命と呼ばれるものは、この変革の仕組みを企業内にビルトインし、かつ定着させることだったと考えている。
・一方でホンダの本田宗一郎は「得手に帆挙げて」という言い方で、いろいろな人の得意分野を組み合わせることの重要性を訴え、それを経営者の責務と心得ていた。
・堀江貴文氏が「多動力」という著書(注)で、これまでのように特定の専門能力に特化するのではなく、個人の中で多くの能力をもち、これらを掛け算することによって、大きな変革を生み出すと述べている。またリンダ・グラットンは著書「ライフ・シフト」(注)の中で、人生100年時代において人間関係、パートナーシップの重要性が増してくると主張している。それぞれ、今、目前にそうした時代が到来していると訴えているが、正しい決断を行うという意味では、この人的ネットワークによる才能の掛け合わせがキーになるように思う
(注)堀江貴文著 「多動力」(幻冬舎、2017年)
(注)リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著、池村 千秋訳
「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)-100年時代の人生戦略」(東洋経済新報社、2016年)
・宮大工の宮本常一は、南向きに生えている木は建物の南面に、北向き生えている木は北面に適していると述べている。陰陽の組み合わせの妙が、宮本の他に真似できない絶妙な建築を生み出した。適材適所ということを深く考えされられるはどこにでもあることだと考える材料となる。

・適材適所という点で、組織の上の役割と下の役割が噛み合っていないことが多い。どちらかの責任というよりもそれぞれの立場に役割があり、それを支える仕組みが必要だ。上役はある時点で権限をきっぱりと手放すことが必要だが、こうしたことを組織の仕組みに組みこむ。個人の善意や活動にばかり依存するとうまくいかないことが多い。
・職場の中で、管理職の地位にありながら、いろいろな場面で決断ができない、ものごとを先送りしてしまう人がいる。部下はフォロワーとして支える覚悟と意識があるのだが。フォロワーをうまく使えない人は良いリーダーになれないと痛感している。
・フォロワーが情報や意見を発信して、組織を動かしていく意気込みを持つことも重要。それができる信頼関係が築かれていることが必要条件だ。

・正しく変わる、という点は、リーダーの最も重要な責務を表していると考える。組織に変革をもたらすのはリーダーの決断に基づくが、その際に正しい方向を見極めることについて、盤石の法則などないことは論を俟たない。コモンズ投信の代表の渋澤健さんが、彼の先祖であり日本資本主義の父である渋澤栄一の思想を語る中で、「経営者の責務は決断であり、決断とは未来を現在につなげること」と語っていた。グリーンリーフは、人間、ひいては自分が宇宙の中心で究極の存在であることを前提とする近現代の思考の中での正しい決断を導く方法に疑問を呈し、正しい決断の責務を負うリーダーの在り方を考え抜いた。その果てしない思考の中で、世界の究極を探求し、正義を希求し続けたヘシェルと心の中で強くつながっていたのだろう。