第二期第22回(通算第77回) 東京読書会開催報告
「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、第7章「教会におけるサーバント・リーダーシップ」の2回目でこの章の最後の会読を行いました。
今回の範囲は、グリーンリーフがカトリック修道院で行った講演の記録が中心となります。1974年の講演の12年前に始まった第二バチカン公会議の意義を踏まえて、グリーンリーフは教会に、リーダーとして、そしてリーダー養成機関としての役割を期待し、強い激励を行いました。そして、もう一つ、この章のまとめとして、グリーンリーフが考える教会の現代的意義とについて、書下ろしの小論が付されています。ここにも彼の現代の教会への強い期待が読み取れます。(今回の会読箇所:p.373~p.398、4行目。この章の最後まで)
【奉仕のための組織編成】
・この小論は1974年8月12日にウィスコンシン州ミルウォーキーのアルヴェルノ大学にある聖フランシス教育修道女会での講演の記録です。13世紀の聖人アッシジのフランシスコの流れをくむ女子修道会の経営する大学は100年以上の歴史を持っています(注)。
(注)13世紀イタリアの聖人であるアシジの聖フランチェスコ(フランシスコ)を祖とする
修道会。アルヴェルノは聖フランチェスコが祈りのために籠った山の名称であり学校
名として利用している。アルヴェルノ大学は価値観教育などの取り組みにも注力して
いる。
・「みなさんがこの修道会の過去を振り返り、その将来の計画を立てるとき、切迫感が修道院中に広がりそうな気がします」と、グリーンリーフは冒頭から問題の核心に触れていきます。組織というものに対する不信感、伝統的な価値観の転換とそれに基づく奉仕への疑問。こうした不確実な時代にいることを聴衆、その中心は聖フランシス教育修道女会の修道女(シスター)ですが、彼女らと共有して議論を展開していきます。
・グリーンリーフは聴衆が所属するカトリック教会のトップから「(自分の場の修道会と管区(注)はうまくいっているが、米国のカトリックの)教会はどこもかしこも混乱している」と聞き出します。この言葉に、グリーンリーフは、「困難は非常に重要な要素であり、組織を活気づけるもの」と、むしろチャンスであると述べます。有能なリーダーは、組織が直面する混乱が新しい息吹を吹き込み、混乱からの回復を図る力が組織の存続に欠かせないと訴えます。
(注)宗教団体が運営や信仰の浸透のために地域を区切る、その地域範囲。カトリック教会
では司教が管理する司教区の下に主任司祭が管理する教区、さらに小教区と階層構造
となっている。
・単に組織に利用されているだけで自分の才能を伸ばすことに組織が何も貢献していない、と気づいた同時代の多くの人の反発に、グリーンリーフが「誰よりもこの問題に関わっている」と評価したのは、1958年から1962年までのわずかな在位期間に、第二バチカン公会議(注)を招集し、カトリック教会を他の宗派、宗教との対話に導いたローマ教皇ヨハネス23世(注)です。
(注)ローマカトリック教会による最高会議。過去1600年間20回の公会議はカトリックの教
義に関する検討と定義が主目的であったが、本会議では、カトリックの現代化やプロ
テスタントや他宗教との融和などが協議された。教皇ヨハネス(ヨハネ)23世と後を
継いだパウロ6世によって1962年から1965年に開催。
(注)本名アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカッリ(1881~1963) 1958年10月にピウス12世
の後を継いで、当時歴代最高齢の76歳で第261代ローマ教皇(法王)に就任。1959年
1月第二バチカン公会議を招集。
・グリーンリーフは、「彼(ヨハネス23世)のおかげで西欧での教養ある人々の多くが精神の高揚を感じて、さらに奥の深い人間となり、寄り集まって力をつけ、彼らを苦しめる勢力に対抗することになった(後略)」とその功績に最大級の評価を与えています。
・グリーンリーフは、アメリカでのカトリック教会に対して、「(米国ではカトリックは少数派ながら)永久的に最大の力を持つ可能性がある社会的勢力」と見ていると述べます。避妊、中絶、安楽死、離婚、共産主義といったカトリック教会の伝統的な協議に反する行為への反対表明を、社会に安易に迎合しない行為として評価しつつも、何も生み出さない否定ではなく、望ましい方向への肯定的な姿勢と言動を求めます。「特定の目的をしっかり狙い、肯定的な行動をとる以外に、組織や社会全体を導いていくのは不可能」であり、その観点で、「私は非カトリック信者として、ヨハネス23世の統治に気分が高揚するのを感じました。なぜなら、リーダーシップを築くという肯定的な気運が巻き起こり、新たな希望が世界にもたらされたからです」と米国カトリック教会を激励します。
・グリーンリーフは、人々の思想や行動を、肯定することよりも否定することが広がりやすいという世間一般の性質が、リーダー不在で組織への不信に満ちた社会を作りがちであると指摘します。そのような中でも組織が持つ可能性をもっと広げ、多くの若者が望む「個人的な充実感」を満たすことを実現する新しい組織は、「社会の建設的な勢力となる」と述べています。そして聴衆である修道者(主に修道女=シスターと思われます)に、「個人的な自己実現を達成するのに最適な場」としての「傑出した存在として現れる、修道会と教会の両組織を作ること」を求めました。教会と学校は「(すべての人の)個人的な自己実現を達成するのに最適な場を見つけられる、特別な組織」であり、その中で「質の高い人生」を送ることができることようにと期待を寄せています。
・そうした期待を込めて、グリーンリーフは「モデルとなる組織を築くため」に、以下の4つの提言をおこないます。
– 「並はずれた奉仕をする組織には目的とコンセプトが必要不可欠」であり、
そこには「‘すべての’人々」が参画し、失敗からも学ぶ。
– リーダーシップとフォロワーシップを理解する。生来のサーバントの素質を持つ人々が、
一層努力することで組織の型が作られる。
– 組織構造のあり方を考えること。ピラミッド構造の頂点の一人ではなく、
「対等なメンバーの中の第一人者」として奉仕する真のサーバントがリーダーとなり
メンバー全員が平等であること(本書第2章参照)
– トラスティ(受託者)による組織の監視と指導の必要性。最高の信託を担う人で、
実際の経営に関わらず、内部の人よりも衡平で客観的であること(本書第3章参照)
・組織自体が信頼を失っている現代(1974年)において、グリーンリーフは「真実と、血の通う人間性を心から求めることによって、考え抜いた組織再編」を求めます。そして聴衆である聖フランシス教育修道女会のシスターに「導くことがふさわしいときは導いでください、従うことがふさわしいときは従うのです」と述べます。そして「‘リーダーシップ’とは、ひとりの人として現在やるべき以上のことを想定して、リスクを冒して‘今すぐこれをやりましょう’と言えること」「‘フォロワーシップ’もリーダーシップ同様、責任のある役割です」と説き、「組織を良き存在とするのは、実際に信念を実行すること」と訴えました。
・「何千年もかけて、どういう人間がサーバントとして優秀な人物になるかを学んできた」私たちは、「長い間、個人で達成していたことを複数の人間が協力して達成すること」について学びを深める必要がある、というのがグリーンリーフの主張で、彼は、「二十世紀後半に堂々とサーバントとして君臨する存在に築き上げ(中略)みなさんの教会、ひいては世界をも動かすようにさせる」ことを聴衆である、修道会の女性修道者に働きかけました。
・この講演の最後で、かれは20世紀のクエーカーのリーダーであった、ルーファス・ジョーンズ(注)の次の言葉、「現在、私たちは危機に瀕しています。ですが、私たちは松明の担い手にもなれますし、小さな炎を大切に守り、少しでも長く持たせることもできるのです」を引用して、グリーンリーフからの「松明」を受け取ってほしい、という希望をこめて、講演を終えました。
(注)1933年~1993年。20世紀クエーカー教の卓越した指導者。
本書第5章、日本語版p.283-p.284参照。
【育成の最前線にいる教会】
・この論文には、出典が記されていませんが、内容から第6章にまとめられたクエーカー向けの2つの記事とカトリック修道会向けの講演録を踏まえて、本書がまとめられるときに書き下ろされたものと思われます。
・グリーンリーフは、この章に掲載した3つの論文、講演録と本書第2章「サーバントとしての組織」で述べた教会への言及(日本語訳 p.150~p.154)を基に、現代における「新たな預言の兆候」を教会が受け止めることへの期待を高めます。新たな預言とは、「これまでは語られていても誰にも聞こえなかった預言が、人の耳に届き始める」ものというのがグリーンリーフの説明です。
・グリーンリーフは、個人が自己啓発に過度に注力することを現代の問題として、挙げています。「自分に欠けたものを埋め合わせることだけに携わっている人々は、その欠落感を埋められないだろう。自分のためだけに探究しても、満足感を味わえることはめったにない」と語り、「こうした新しい気づきを得た求道者」が自らを癒すことに夢中になることから脱却し、教会にも「新しい教師を庇護し、新しい教えを活
用する組織」として「育成の最前線」という役割を期待しています。
・凡庸さとは「与えられた人材や物的資源で、合理的に見て可能なレベルに到達できないこと」と定義するグリーンリーフは、西洋社会の多くが凡庸さに甘んじる欠点を「伝統的な道徳律の本質部分に欠陥があるせいだと思う」と大胆に述べています。西洋社会の道徳律の基礎となるモーゼが神の啓示による十戒を「経験と英知を合理的に成文化したものとして、個人の行いの道標となる実際的な規則をまとめたものとして、そして良き社会の根本原理となるものとして与えてくれたなら、人類にとってどれほどよかったことだろう」と述べています。そうであればこの道徳律が単なる禁止事項にとどまらず、現代に至るまで発展し、合理的に正当化されていくことで社会の中心となっただろうという見解です。
・「‘サーバント’とは、各個人や各組織の持つ、奉仕する能力に合ったものを義務とする高度の道徳律をクリアする人間だ」というグリーンリーフの仮説のもとで、彼はサーバントの資質がなかった人がサーバントになることへの喜ぶ以上に、生来のサーバントの資質を持った人が「奉仕する組織」を築いていくことを強く望んでいます。「ビルダー(組織の創設者)となるだけの能力をもつサーバントにとって、この世の一番の喜びとは何かを築くことである」というグリーンリーフは、将来のサーバントリーダーや組織のビルダーを養成する組織としての教会への強い期待を表明して、本論を終えています。
【参加者による討議】
・会読範囲には、「リーダーは奉仕に努めよ」というグリーンリーフの意見が明確に出ているが、通読して「それがなぜ教会や修道会、学校なのか」という疑問がある。「個人的な自己実現を達成するのに最適な場を見つけられる、特別な組織になっていかねばなりません(本書(日本語版)p.382)」という点は、企業でも同様ではないだろうか。
・教会や学校と企業を比較すると、前者には社会における公共性があり、後者の企業には営利追求という看過できない目的がある。一方で学校や教会がもつ公共性は、それが原因となって停滞を生みがちな面は否定できない。グリーンリーフは、現代の教会や学校に時代に即した変化を求めている。もちろん変化することそれ自体が目的ではない。意義ある変化に向けて重要なことは組織に注意を払うということだと考えている。
・この講演が行われた1974年当時、企業の社会的責任の概念や社会的存在を意識することは、まだあまり高くはなかっただろう。現代は従業員をはじめ企業の利害関係者の巻き込みも多くなっている。
・この講演(1974年8月14日)のわずか前に、米国ではウォーターゲート事件で当時のニクソン大統領が辞任した。米国民の自国に対する不安とリーダーへの不信がピークになった時期だが、教会への強い言葉の背景に、こうした社会の混乱もあったのではいか。
・企業と学校、教会を比べると、その組織の構成員に差異がある。教会はその地域に根ざして、人の誕生からの一生涯の付き合いとなる。米国勤務で暮らした経験では、教会はその地域の源泉だということを実感した。また、外部から来た自分などにも開放的で、信徒ではないにもかかわらず、集まりに呼ばれて歓待されたことがある。
・教会が地域の身近なコミュニティであり、学校としての教育の機能も持っていたことは理解できる。
・本書(日本語版) p.375に名門校の校長が「優れた学校なんてありえませんよ」と発言したという話がでている。どんな組織にも制約が多く存在し、その制約が組織の成長を阻害することがある。教会や学校のように、そこに集う人のための組織にも制約があって組織が成長する限界があることがわかる。
・視点を変えてみると、シスターが集まる女子修道会がグリーンリーフを招いて講演してもらうのに、何を期待していたのだろうか、という点に興味がある。グリーンリーフもカトリック教会の実際の運営を担う司祭(男性)やブラザーと呼ばれる男子修道者ではない、シスター、つまり女子修道者に、あたかも組織の中核者のように熱く語りかけていることに着目している。
・宗教団体は、基本的に縦型組織であり、ことにカトリック教会はローマ教皇を頂点とする数億人規模の全世界で一枚岩の組織だ。その巨大組織をもって2000年間、自らの教義を精緻化することに努め他宗派、他宗教を否定してきた。そのカトリック教会がヨハネ23世教皇のリーダーシップで第二バチカン公会議を開催し、他宗派、他宗教との対話、融和を主眼とする方向に、数億人の組織の舵を大きく切っている。グリーンリーフはカトリック信徒ではなく、神学理論にも関心は低いようだが、巨大組織の中で組織の方向を変えた偉業に、極めて熱い思いを抱いているように思う。
・グリーンリーフは、教会、大学、企業を念頭に置いて巨大組織のサーバントリーダーシップを説いている。本書第2章などでそれを明確に述べている(注)。現代社会は、巨大組織の下で動く構造になっているが、そのことを受け入れた上で、巨大組織こそが社会の変革のイネーブラーであるとして、サーバントであることを求めている。
(注)日本語版、p.108-109
・講演の導入部分で、グリーンリーフがカトリック教会の長老に教会の運営状況を聞いたところ、その長老が、自分が管轄する教会や教区はうまくいっているが、カトリック教会全体は厳しいと回答した。その答えにギクリとしたという話がある。これを踏まえて、組織に一定の危機があることはむしろチャンスだと話していることが興味深い。視点を変えることで見えてくるものもある。
・組織の構成員がある程度の危機感を持つことはむしろ望ましい。組織の中で意識的にそのような状況を作ることも十分にあり得る。
・自分の勤務先では、経営者が頻繁に危機感をあおってくることに、少し疲弊している(笑)
・グリーンリーフは、否定的な姿勢では組織や社会を導けない、特定の目的に向けて肯定的な行動をとることで組織や社会を導ける、と主張している(本書(日本語版)p.379)ことに強い印象を抱いた。
・講演の最後の方でも「戒律のほとんどは‘~しないこと’という形式(中略)禁止事項に従うだけで徳のある人とされる」(本書(日本語版)p.397)とある。キリスト教に限らず、多くの宗教が教義の精緻化と徹底のために、その言説がとかく拒絶型、否定型となる。これは教会以外の組織でもよくあること。そこを踏まえてグリーンリーフが否定ではなく肯定を、と訴えていると感じる。
・この講演の最後にグリーンリーフはビルダー(組織の創設者)の重要性を説いているが、そこを読んでビルダーこそがリーダーであるというグリーンリーフの意図と感じた。ビルドという行動は、物事を肯定する姿勢でないとできない。リーダーの思考と行動の原理なのだと思う。
・職場に中途採用の人が着任してきた。即戦力ということで仕事をしてもらっているが、そのやり方が職場で続けてきたものと微妙に異なるために、自分がどうしても否定的な物言いになってしまうことを反省している。
・肯定の重要性はその通りと理解する。ただし、これは相手にむやみに同意することを勧めているのではない。相手の思考と行動を問答無用に停止させる否定ではなく、より良いものを生み出すための議論のきっかけとなるように、異なる意見を出すことも重要だ。ただ、日常の中で、公平で公正な議論ができない人や状況が多いことも事実。
・意見を言いやすい場、安心、安全の場があるかどうかが重要。上に立つ人はそうした環境づくりに腐心していく必要があるだろう。
・場があることに加えて、最後は自分がすべてを引き受けるという覚悟がないと、異なる意見は出しづらい。場を与えられたフォロワーの役割と行動も重要。ものごとを前に進めるにはリーダーとフォロワーの調和と協力が不可欠だ。