第二期第20回(通算第75回) 東京読書会開催報告
「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、今回、第6章「財団におけるサーバント・リーダーシップ」を会読しました。
この章で取り上げる財団は原著ではfoundationと書かれています。これは、わが国の財団法人とは性格が異なる組織です。米国では20世紀に入り、アンドリュー・カーネギーやジョン・D・ロックフェラーを皮切りに多数の企業経営者が利益を社会還元することを目的に、法人形態の基金である財団を設立しました。米国の財団は、社会福祉的な側面を有することから税制面でも優遇されたのですが、時代が下る中で、企業の隠れた蓄財装置としての役割を持つようになり、やがて米国内で批判の声が高まります。
財団と企業側の政治工作なども散見される中、法令や規制が徐々に整備され1969年の米国税制改革に至り、ようやく財団の形、役割、行動規範が整いました。この章を構成する二つの小論が慈善団体発行の雑誌「ファウンデーション・ニュース」誌に投稿された1973年と1974年は、米国内には財団に対する厳しい意見や見方が残っており、財団自身が信頼を取り戻すために具体的な活動が求められた時代でもありました。(今回の会読箇所:p.329~p.350、16行目。この章の最後まで)
【会読範囲の紹介】
[序論]
・グリーンリーフは、本章の序論で次のように述べます。「奉仕するにあたって一番難しいのは、金銭を与えることだろう(中略)たまに、金星を受け取った人が文句を言ってくる場合があり、金銭を与えた人が気分を害してしまうことが多い」「苦情の裏にある問題の本質が明かされ」ない。
・「財団が道を誤るのは、自らを、特権を与えられた存在ではなく、正義の味方とみなしているから」というグリーンリーフは、「真に奉仕する組織は、特権を与えられた存在であると自らみなしている」と財団に自覚を求めます。そして「この複合的な社会で、財団が十二分に奉仕できる可能性を私は強く信じる」というグリーンリーフの思想を反映した二つの小論がこの序論に続きます。
[財団のトラスティ]
・グリーンリーフは、財団の法務、財務、運営といったよく知られた部分ではない、未調査分野、すなわち財団の人々や組織に対する影響力や財団が尊厳ある組織に変わる機会、について関心がある、と小論の冒頭で述べ、その背景にこの当時(1973年)の米国で影響力を強めてきたボランティア組織への関心の高まりがあると説明しています。それは「アメリカ社会全体の質を上げるには、現在、各組織のトラスティや管理者が持っている権限を活用するしか方法がない」という考えに基づくものです。
・グリーンリーフは、さまざまな規模の財団の貢献を認めつつ、財団は一層社会に貢献できるのではないか、と投げかけます。この時代の米国では、財団組織は存続しうるか、と問われていました。
・「財団の権力は補助金交付の決定にほとんどが集約されており、それは理事だけに与えられる特権である」としつつ、財団が企業は大学、医療現場のように厳しい競争や社会的評価にさらされる組織でないこと、古い慣習に囚われない立場であること、また一般社会から距離があることから批判にさらされることが少ないという特徴を危険な要素として挙げています。「どんな組織は人も、幅広い批判から学んで初めて成功する」からです。
・財団は多くの補助金の申請を受けますが、これに携わる理事や職員は、「自分を全知全能の神と錯覚する」危険性を孕(はら)んでおり、グリーンリーフはこれを発病率の高い職業病とすら呼んでいます。このことについて、グリーンリーフはダンフォース財団前会長のメリモン・カニンガム博士の「民間資金と公的サービス」から引用しています。「提供という行為の危険性は(中略)その仕事が美徳だと思い込むことにあり、これには不道徳な考え方もいくつか付随する(中略)提供という行為はモラルに反する危険性がともなうことを、財団は自覚しなければならないのだ。」
・こうした事情を困難な課題を持つ財団は、組織の性質上、そのトラスティ(注)に最も過酷な責務を押し付けているということを踏まえて、グリーンリーフは財団が本当の意味で奉仕するための提案を行います。すなわち、財団のトラスティが役員や職員の監視役となって直接的、個人的に組織の信頼性を育て、守る人間になること、そのために監視役に徹すること、です。
・グリーンリーフは財団の未来は組織の高潔さやその高潔さの影響力を維持できるかどうかにかかる、として、モラルや高潔さを「対処すべき状況を予期し、行動の自由がある内に行動するという先見の明を指す」と説きます。この高潔さをトラスティが発揮することを求め、「内部に高潔さを築く責務」があるとしています。多くの組織では、官僚的な惰性が蔓延したり、「与える者の奢り病」が発症した時に、管理者の交代、刷新を行いますが、グリーンリーフはこのように、組織を普段は放置しておいて、問題が発生したらトップを交代させることで済ませるような手法を評価しません。
・「トラスティが信託に応える人物として十分に機能し、トラスティという特権的な立場でこそ可能な社会を築く」、グリーンリーフは財団の理事にトラスティとなること、そしてトラスティの役割を全うすることを求めます。この小論当時(1973年)の財団の主たる出資先である大学が無批判に補助金を受け入れることで主体性を失い、資金提供者が大学教育プログラムの決定に介入する事態に懸念を表明しています。
・「財団は公共のものでも民間のものでもない。トラスト(信託)が、財団を言い表すのに一番ふさわしい(中略)理事達が自分たちの役割を民間のものと考えるのを止めてすべてをトラストという言葉に置き換え」ることで組織の質が変化すると述べ、その組織の質が「どれだけ社会に奉仕したか」で評価される時代を予見しています。グリーンリーフは、「財団の大半が一流かつ誠実で、献身的で、人間性を兼ね備えた組織のモデルとして、他の組織の上に君臨」すること、それにより財団のトラスティの新たな役割が定義されることに言及してこの講演を終えました。
[慎重さと創造性 - トラスティの責務]
・小論の冒頭、グリーンリーフは、財団と他の組織の3つの差異を指摘し、この特徴の故に財団のトラスティの機能と運営方法が他の組織と異なると指摘しています。
- 財団は識者が「撤廃すべき」と断じた唯一の組織カテゴリーである。
- 財団に所属していない人、つまり外野が「自分の方がうまく財団を運営できる」
という批判を寄せてくる。
- 市場によるテストや利害者との調整を要しない責任者による
自由裁量の幅が大きい組織である。
・財団が長く社会に奉仕する役割を担うためには、「慎重さ」と「創造性」の二面が備わっていることを確認(テスト)する必要があると述べます。
・グリーンリーフは「慎重さ」のテストとは、「隠れた問題やリスクを察知し、それらを油断なく回避できるか否か」であるとしています。財団には市場がないために、他の組織が市場での評価という警告がなく、思慮を欠く行動が財団を政治的にあるいは社会的に糾弾し、長くその汚点を残すことがあるとしています。財団の財産が社会的不正蓄積と見なされる中で、各種の改革案が財団の資金提供により政治的に闇に葬られた、と多くの米国民に思われたことがその一例です(注)
(注)本書でも言及されている通り、1969年の米国税制改革により
米国の財団の財産管理については抜本的に改訂された。
・そして「創造性」については、「社会的に役立つアイデアや仕組みをもたらせるか(中略)失敗も顧みずにリスクを冒し、試行し、ねばり強く行動」することを挙げています。そして、アジアでの緑の革命を成功に導いた財団を引き合いに、市場評価が急激な他の組織以上に財団には創造性を働かせる機会が豊かとしつつも、その実績は低調と批判しています。
・これらを踏まえてグリーンリーフは、「有用な組織として財団が生き残れるかどうかは、影響力を持つ一般市民の大多数から、慎重さと創造性を兼ね備えているとみなされているかどうかにかかっている」と断言します。この「慎重さ」と「創造性」という二律背反しがちなテーマに挟まれながら、財団の運営をバランスよくするために、グリーンリーフは財団のトラスティたる財団理事長は、財団を運営する職員と職員から独立した第三者の顧問の意見を聴取することを勧めます。多くの慈善団体が手練手管で助成金を求めてくることで、財団職員は多大なプレッシャーを受けます。その中で冷静で慎重さと創造性のバランスを保つ判断を下し、それを続けるための方法として、たとえコストがかかろうとも財団のトラスティ(理事)に直接進言する外部顧問を起用することを勧めているのです。
・グリーンリーフはこの小論の締めくくりに、次のように述べます。本論冒頭に上げた財団の3つの特性が財団の奉仕の機会を縮小させていること。財団がもっと創造的であれば、第三の特徴にある市場のテストがない組織として、財産は社会に多大な利益を与えることができる。しかしながら財団が十分に創造的ではない故に、社会の批判が絶えず、財団のトラスティが社会の信頼を失ったり、トラスティ自身の人生を貧しいものにしかねない。このような強い警告で本論を終えています。
【参加者による討論】
・本書とは別の研究論文によれば、米国の財団は、現在に至るまで1969年の米国税制改革で形作られたものが続いているという。1970年代のグリーンリーフの2つの小論は、ともに財団が市場の評価を受けないことが組織のもつ弱点だと書いている。
・市場は多数の参加者による売買の場で、売り手や買い手が多数いることが納得のいく価格を形成する条件になる。売り手と買い手は価格の評価者でもある。多数の第三者の視点での評価が多くの場合、正しい方向を示している。
・「与える者の奢り病(本書、p.338)」とは手厳しい言葉だ。自分は良いことをしているという思いの裏返しなのだろう。
・日本企業で外部助成金の基金を管理している人に話を聞いた。助成案件の選択には社外の判断を入れて公正を保つようにしているが、助成申請が大量の上、申請書がきちんと書けていないことが多く多大な時間を申請の支援に当てているという。申請者が申請書作成能力にも事欠く状態だから助成を希望するともいえるのだが、長時間勤務の中で、受付側の支援が指導的態度に変わっていくこともあるのではないかと想像する。
・奢りを防ぐために、自分自身のミッション(使命)を定義して、それと実態に差がないかを監査的に確認することが必要だ。財団のような組織では、監査によってガバナンスが機能しているかどうかをチェックすることが必須である。
・財団が自らの存在意義を認識し、組織目的を浸透させて存立と運営の哲学をもつことは重要。一方で、財団や助成基金の事務方が自分を見失うほど多忙であることは深刻な問題だ。
・組織の中で何らかの役割を担う人に、組織全体が過重に依存してしまうことがある。さまざまな原因があるが、いずれにしても組織の仕組みに改善すべきところがある。
・助成金のことであるが、支援を与えすぎると与えられた側が行動しなくなるという欠点がある。何に、どのように助成の資金を使っていくのか。
・資金を授与する助成事業はたしかに批判されやすい。その割に財団などの支援組織の中にいる人たちが自らのそうした性質を自覚していないことがある。与える側が自己満足に陥り、自分たちを客観的に評価する視線を失いがちだ。「一般市民の大多数から、慎重さと創造性を兼ね備えているとみなされているかどうか(本書、p.345)」という視点で客観的な評価を受けることが大切だ。
・今、言及された「一般市民の大多数から、慎重さと創造性を兼ね備えているとみなされているかどうか(本書、p.345)」というこころで、判断する人を市民と定義、記述している点に注目している。財団の助成のみならず行政サービスなども同じように評価していくことが求められる。透明性が必要という点は共通している。
・財団の資金の使途は、財団に資金を積んだ人、有体(ありてい)に言えば金主の意向による。その資金がどのように使われていったか、その調査と是正も財団の任務だろう。
・1960年代に世界の食料を大幅に増産させた「緑の革命(注)」は、資金を受けた側に自由があり、それが農業生産でイノベーションを引き起こしたことが成功要因の一つである。本書にも「状況を打開したのは新しい発明だった(p.344)」とある通りだ。資金の使途を既知の範囲で判断して制限すると、イノベーションを阻害することになりかねない。
(注)ロックフェラー財団が1940年代から60年代にかけて、
国際トウモロコシ・小麦改良センター、国際稲改良センターに資金供給して、
東南アジアを中心に食糧増産に成功したプロジェクト。
・指摘の点はあると思うが、財団の意識、知識を上げていくことで対応して、資金提供は財団の価値意識と認識の範囲でもいいのではないかと思う。
・財団の本当の姿が周囲に見えずに、評価されないことが多いことが問題ではある。
・単なる広報活動ではなく、まず組織のミッショョン(使命)が仕事につなげる、そこで仕事をする人たちを鼓舞する施策が肝要だ。
・高潔、純粋、見返を期待しないといった高い倫理観に基づいて信念を貫けるかどうか、自らを高潔に保ち信念と貫くことが財団のような倫理的に脆弱になりがちな組織を維持する源泉となる。高潔さという役割を担うトラスティの行動が問われる。
・サーバントが高い理想のビジョンを持つことの必要性と重要性、言うは易く行うは難い課題だ。自分をどれだけ律することができるか。大変に重要な課題である。