2023年3月10日(金)19:00~、サーバントリーダーシップ読書会(オンライン)を開催いたしました。
今回の範囲は、ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井由美子訳。2008年、英治出版)の
①93ページ「11.心の旅 (第1回目)」から、519ページ11行目(ページの最後)「私は自分の人生をこの仮説に賭けてみたい。」まで
②521ページ「追記」から、523ページ13行目(ページの最後)「ただ立って待つものも、また神に仕える – ジョン・ミルトン」まで
でした。
今回の読書会には、初めての方がお一人参加してくださいました。
参加者全員で回読した後、ブレイクアウトルームに分かれて意見交換しました。
「普通の書籍であれば、最後の章に答えがあるが、この書籍では最後の章で再び迷いが出る。」
「ふつうはネガティブにとらえられる「喪失」という言葉が、積極的な意味で取り上げられていた。」
「答えが定まらない、迷いのある状態が正しいように受け取れる。サーバントリーダーとは、そういうものだと受け止めた。いいものを目指して迷い続けることが大切なのだと理解した。」
「少し前に、日本ハムの新庄監督が松岡修造のインタビューを受けていた。松岡氏が「今、何がほしいですか?」と質問すると、新庄氏は「逆境ですね。常に人生に逆境がほしいです。」と答えた。これは、今回の章で書かれていることと同じなのではないかと感じた。苦難の道を行く、敢えてそういう場に身を置くことが、円の内側にたどり着くための何かなのかもしれないと思った。喪失感を得なければ、そこにたどり着かないような気がした。」
「現実の複雑さという話題が出た。現実とは「こうである」と簡単には決めつけられない複雑で常に変化していくものだが、そういうものにきちんと向き合うためには自分が学んで「分かった」と思ったことを一回捨てないといけないのではないかと考えた。それを喪失しないと、新たな気づきに至らないのではないか。迷うことや喪失することを恐れないことを「信念」と言っているのではないかと考えた。」
「いかに子どものように無垢で素直でいられるかによって、いい土地に行け、イエスの考えを受け入れる人になれるのではないかと感じた。そうすることによって、喪失や様々なことを真摯に受け止めて超えていくことができるのだと思う。その究極として慈愛というものがあり、喪失や迷いや困難があっても、518ページの「信念」というものを絶対に見失わずにいるのだろう。「指示」という詩は、自分の人生の道しるべとして自分の内面性を高める鍵としてあるのかなと感じた。」
「519ページに「さあ、あなたの旅を始めよう。」とあるが、「これから自分たちで考えなさい」ということなのだと理解した。」
「サーバントリーダーをめぐるこの旅はどこまで続くのだろうか。」
「安易に答えを求めてしまいがちだが、そうではなくて、道とか歩みとか心の旅というのが大切なのだと思った。まだまだ学び続けないといけないと感じた。」
「私はサーバントリーダーになりたいが、本来は、サーバントリーダーになりたい、マスターする、スキルを身につける、「これとこれができれば、あなたはサーバントリーダー」という世界ではないと改めて感じた。結果的に後から「あの人はサーバントリーダーだ」と言われる存在になれるのかもしれないが、サーバントリーダーシップは自分の中に宿していくもので、この詩にあるようなことを身につけていかないといけないのだと感じた。世の中一般のリーダーシップのビジネス本のように「〇〇リーダーはこうあるべきだから、これをしなさい」というものとは一線を画すものだと実感した。わかった気にならず、学びを継続していかないといけないのだと理解した。」
「会社でサーバントマネジメント研修をやっているが、最近、少し変化があり、職場で「サーバント的じゃない?」という会話があるらしい。「サーバント的」が何を指しているかわからないが、おそらく傾聴することのようだが、この章に書かれているように、目的や道を示すといったことも大切。」
「日本のサーバントリーダー中村哲さんのドキュメンタリー映画を見て、心を打たれた。彼は自分の周りのリーダーを育てて、その人がまたリーダーを育てていた。とてつもない距離の水路を作り、砂漠が森になった。まさにサーバントリーダーとして、人々に仕えていた。上からではなく、下から支えていた。」
「この書籍はキリスト教理解に基づいた説明ではなくて、キリスト教徒にならなくてもサーバントリーダーについて理解できるように説明していると感じていたが、第11章の最後で、キリスト教の理解がある方がサーバントリーダーシップを本質的に理解できると伝えているように感じた。」
「リーダーとは、Doingではなくて、Beingが大切なのではないか。」
「そのBeingとDoingについて、ある宗教者にBeingを磨くにはどうしたらよいかを聞いたことがある。自分が身につけてきた見識や見栄、プライドなど身にまとっているものを人の前ではなく、自分一人で剥がして、生身の自分が何を考え、何を感じる人間なのかを踏まえたうえで、偉大なものに委ねていく。キリスト教であれば神であったり、日本であれば仏や天に対して、キリスト教でいえば祈ることを繰り返していけばいいのではないか、と言われた。自分が身にまとっているものを剥ぎ取るというのは、喪失感につながるのではないか。」
などのご意見・ご感想がありました。
次回は、4月14日(金)開催予定です。
当協会の読書会は、途中回からのご参加も大歓迎です!
みなさま奮ってご参加ください。