第二期第17回(通算第72回) 東京読書会開催報告
「サーバントリーダーシップ」(ロバート・K・グリーンリーフ著、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第二期東京読書会は、前回から第5章「教育におけるサーバント・リーダーシップ」の会読に入りました。
この章は彼の4つの小論が掲載されており、今回は、2番目のものを取り上げています。この小論の内容は、いろいろな大学の理事に特定の大学の理事役になってもらい、グリーンリーフが新しい教育プログラム(講座)設立の寄付を行うという想定で、模擬討議を行うというものです。大学の理事にこれからの大学教育の在り方を「自分事」として考えてもらうためのものですが、グリーンリーフの巧みなリードもあって真剣なやり取りが展開されています。(今回の会読箇所:p.288 からp.300の4行目まで)
【事例を考慮する理事たち】
この章の第2の小論は、グリーンリーフがいくつかの大学の理事25人と模擬討論を行ない、その議事録からの抜粋です。集まった理事たちはチェスウィック大学の理事という役割を担い、ここにグリーンリーフが「かなり厳しい異例の条件」を付した1,000万ドルの寄付を申し出て、そのことで理事と議論するという状況設定を行っています。
[理事への事例問題]
・グリーンリーフは、チェスウィック大学の理事(の役割を演じる多くの大学の理事)に、この1,000万ドルの寄付に関する「条件」をつけます。
1.基金への投資の禁止(1,000万ドルを貯め込まずにすべて使うこと)
2.現在実行中の教育プログラムへの追加投入の禁止
3.200万ドルを「現代社会に奉仕し、また奉仕を受け、与えられた機会を使って成長できるよう学生を訓練する」プログラム作成の調査費として使う(すなわち、社会と学生の両方が満足を得られる教育プログラムを作成する)
4.上記3.のプログラムの有効性が認めれば、残り800万ドルを支払う。
5.上記3.のプログラム開発においてチェスウィック大学の現在の学長、教職員、学生に助言を求める場合、この資金から報酬をだしてはいけない(理事が責任をもって作成し、チェスウィック大学に仕事を任せることはしない)
6.決定はすべて理事が行う。関係者や第三者への丸投げを禁止し、理事の責任において行う。
7.資金提供から実行までの期限は5年、その間の行動がないときは寄付金を没収する。
・以上の条件がついた 1,000万ドルの寄付金について、寄付者を装ったグリーンリーフと寄付を受けるチェスウィック大学の理事を演じる多数の大学の理事が議論を始めます。
[討論]
・寄付者を演じるグリーンリーフは、チェスウィック大学理事を演じる大学理事から、チェスウィック大学は、すでに現代の社会のために尽くし役立つ人材を輩出し、大学としての成果を上げていると自負する。あなた(グリーンリーフ)が探しているのは、その点で自らの役割や実績を理解してないような、怠惰な理事会ではないのか、という質問を受けました。
・これに対し、寄付者を演じるグリーンリーフは、現在は一流の大学においてもリーダーシップ教育が欠如していると指摘し、実力のあるチェスウィック大学を起点に、リーダーシップ教育に積極的に取り組むことを求めて、この寄付を行うと宣言しています。
・次に、提供される寄付金について、理事への報酬として使うことを認めるが、教職員や学校経営者への給与および学生への奨学金としては使えない理由を問われ、グリーンリーフ(寄付者)は、この問題を理事に自分も問題として受け止めることを求めているためである、と説明しました。
・理事からこの寄付で大学を自分(グリーンリーフ)の意のままにしようとしているのではないか、とこの寄付金の意味と意義を尋ねられたグリーンリーフは、一つは社会への奉仕と社会からの恩恵を両立させ、「与えられた機会を利かして成長するための心構えを学生に持たせる」ために必要な資金であること。二つ目に、この資金の有効、有意義な活用を理事たちにみつけてもらいたい、という願望があることを回答しています。
・グリーンリーフは、この資金を寄付する理由について、現代に合った大学におけるリーダーシップ育成教育の在り方を理事が自ら考えること、財政を理由にその思考を止めないこと、という趣旨の説明を行います。あくまで想定によるやりとりですが、現役の大学理事からは消極的な、ときには猜疑心に満ちた質問が重ねられます。
・すでに実績のある大学の教育プログラムについて「すべてを投げ出せ」ということか、と問われたグリーンリーフは、理事たちの判断で、残すものは残しても良い、と答えます。その上で、学生と社会が相互に貢献(奉仕)し、互いに高め合うプログラムが形作られれば、それが既存のプログラムに取って代わるだろうと予言します。グリーンリーフは、自分(たち)は、高等教育の現状を心得ていて、「今の状況自体も新しい方法で検討されるべき課題として認識している」と指摘して、「教員たちの行動の怠慢さや、経営者のリーダーシップ不足」を批判しています。
・グリーンリーフのこの発言に、現在の教員は不要なのかという反論を受け、彼は、そうではなく、理事たちはその提案の感想のみ教員に尋ねることを許容していて、最終的な決定とその責任は理事にあることを再度強調しました。さらに態度の煮え切らない理事に奮起を促しつつ、このことを通して、「貴重なことをふたつ、成し遂げる」と説いています。一つは「後任者の注意の喚起」であり、二つめは教職員らとのコミュニケーションを通じて、「理事の決断に役立つ情報の入手」の可能性が高まることです。
・グリーンリーフは、この対話当時の米国の大学の問題点として、以下の3つを挙げています。
– 現在の大学のプログラムが社会に尽くし、
社会から恩恵を受けることで成長できるという実感を学生に抱かせていない。
– 大学の管理機能が教育プログラムの迅速で効果的な修正機能をもっていない。
– 理事の強いリーダーシップがなければ、大学は安定した軌道に乗らない。
さらにその課題の原因として、組織の中で学部が強すぎ、教職員が自分の専門分野の研究や社会的名声や内部の人間関係に注を払い、大学や学生に注意を向けていないことや大学の経営者が学部をリードできないことを挙げています。
・そして、グリーンリーフは、理事との対話のやりとり、その前提としての資金提供を「優秀な大学(優秀な教職員がいるという意味)の理事に、社会からの信頼を大学に築くための新しいリーダーシップを確立する方法を与えること」であるとして、理事による大学教育の改革を目指すように、と彼の思いを強く述べています。
【会読参加者による討議】
・グリーンリーフと大学理事のやりとりからなるこの提言を通読して、本書の第3章で詳述されたトラスティについて、きちんと把握しておく必要があると認識している。本書日本語版のp.169からp.174にトラスティの定義があるが(注)、そこをもう一度読み直している。
(注)2016年8月26日第2期第11回読書会(東京)において同範囲を会読した。
・「ルーティンは創造性を駆逐する」、ハーバード・サイモンによる「計画のグレシャムの法則」がそのまま当てはまりそうなやり取りだ。200万ドルの予算がつく調査局面で、他国での事例を調べるといったアイデアも出なかったのかと残念に思う。会社経営でも日常に埋没すると、新規開発に手が付けられなくなることが散見される。
・やりとりの中で、教職員に意見を聞くという部分がある(日本語版p.299-300)。ここで大学の組織の有体(ありてい)が示される。理事が教職員と異なる視点を打ち出せるか、というところだろう。
・グリーンリーフは、理事の強いリーダーシップがなければ、大学は安定した軌道に乗らない、と述べている。これは、グリーンリーフが提唱する理事の考えに基づく教育プログラムを企画、開発する段階のみならず、実際に実行に移したあとも同じだろう。理事の理念を明確にして、運営に当たらせることが必要。そのあたりのビジョンがあるかどうかが問われている。
・理念をしっかりと確立した上で、環境変化に応じて実行の内容を変えるべき、という考えからすると、このやり取りの中では、理事の対応が澱(よど)んでいる、という印象がぬぐえない。理事の内発的動機による発言や行動が見えてこない。
・名目だけの理事による教職員の教育現場の追認では、何も変わらない。
・企業でも、現場を守りたい、自分たちを守りたいという感情が先走り、組織が変革の役割を担わないことがあるが、大学の理事にはそれを超える役割が期待されているはずだ。
・大学が掲げる理念が学生まで下りていないこともありそうだ。自分が卒業した大阪市立大学は、創立者である関一元大阪市長(注)により実業に奉仕する人間に高等教育をという理念をもつが、在学中にそれを感じられる機会は限られていた。
(注)関一(せきはじめ)、1873-1935年。大蔵省、東京高等商業学校(現、一橋大学)
教授などを経て、1923年より大阪市長を務める。大学設置の他、道路・公園整備、
地下鉄建設、大阪城天守閣再建など多方面の活動は都市計画の模範ともいわれた。
・支援者、応援者からの資金集めについては、その組織が信頼されれば、無理なく資金が集まるだろうと思う。企業活動でも同様だ。
・教育プログラム(講座)の資金となると、実態は寄付。その講座の内容や意義を関係者に理解してもらうことが重要。その役割を担ってこその理事だろうと思う。
・何よりも大学の存在意義を再定義し、理事の役割を討議していくことが肝心ではないだろうか。大学の経営を担う理事には、率先して大学本来の意義を考えていってもらいたい。
・この提言は、架空の仮説ではあるが、リーダーシップのための新しい教育プログラム(講座)のために、1,000万ドル、現在の為替で11億円の資金を提供するという話になっている。小論当時の水準だったら今の50億円以上と思われる。現代であれば、この資金を使って、どういうリーダーシップ研究の講座が設置されるだろうか。
・大学の講座ではないが、優秀な大学に直結する付属校の設置を一案と考える。青少年時代を含むある程度の期間、一貫した理念に基づいて教育を受けることに効果があると思う。その昔、大学の付属高校の生徒だった自分は、担任の教師から「小中学校の教員は教え諭すと書く教諭。大学の教員は教えを授けると書く教授。高校では教師と呼ぶが、その意味で自分は生徒の師たらんとしている」といわれて感銘を受けた。その教師の下で大学受験に惑わされずに過ごせたことは貴重な経験だった。
・大学受験には知識の丸暗記で臨んだ記憶が強い。そのことに後悔はない。大学では暗記以外の学習のプロセスがある。トータルとして学習における暗記と思索のバランスをうまくとることができるかが大切なのだろう。
・暗記というか知識の量は、その人の能力の一面でしかない。社会に貢献できる人材を育成、その社会貢献のスキルを体得すること。スキルというと表面的な作業能力のイメージが強いが、たとえば海外で自国のことを正確に説明できることなども含まれる。
・自分の子供が通学している高校は、生徒に知識を暗記することを強制せずに、強化の中の学習対象に興味をもたせるような指導をしている。自分の子供は、その分野の本を自ら購入するなど、高校までとは異なった、自主的な学習の姿勢を見せている。
・社会の構造は、上位2割が意欲的な牽引者、中間6割は単についていくだけ、下2割が落ちこぼれ、という2-6-2の法則があると言われるが、下の2割が意欲的になるような働きかけ方を考慮してみると良いと思う。
・バーチャルな街づくりを題材とした「シムシティ」というゲームがある(注)。大学などの高等教育とこのゲームの共通性を感じていた。まず大きな構想、ビジョンをもって、その上で地道に構築を続けていかないといけない。いうまでもなく実際の教育現場はゲームよりもはるかに難しい。
(注)マクシス社(現、エレクトロニック・アーツ)社)による
都市経営シミュレーションゲーム。米国で1989年、日本では1990年に発売された。
・わが国では、企業による研修が社会人教育の重要な役割を担ってきた。その中で、2020年問題と呼ばれる事態、つまり1971年から1974年前後に生まれた団塊ジュニア世代が40歳台後半から50歳となる中で、それに見合う十分なポジションや管理職としての仕事がないという状況に直面しつつある。さらに、そのころには、1,000におよぶ地方自治体が破たんするとの予測もある。そんな状況を迎える中で、若い人たちの社会参加、社会貢献とその成果、この小論の中でいう「社会に奉仕し、社会から奉仕される」、つまり社会に貢献し、その社会の恩恵を受ける世界をどのように実現していくのか。現代の日本においても真剣に討議されるべきテーマが示されたやり取り、論文であったと思う。