2023年7月20日(木)19:00~、サーバントリーダーシップ第1章を読む会を開催いたしました。
今回の範囲は、ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井由美子訳。2008年、英治出版)の
・55ページ8行目「すべては個人のイニシアティブから始まる」
・84ページ10行目「すばらしい話である。」
でした。
■55ページ8行目、すべては個人のイニシアティブから始まる
ここでは、リーダーの責任の重要さを強調しているのだろう。インスピレーション(洞察力)を得られるほんの一握りの人によって世の中は変わっていく。残りの人は彼らに教えてもらうという考え方に驚いた。そこまですごい洞察力を持ってリードできる人は、どれだけいるのだろうか。どちらかというと、自信がなくてみんなの意見を聞きながらリーダーシップを取っていくというスタイルが日本的な気がする。
■56ページ5行目、リーダーにはインスピレーション以上のものが要求される
ある人がこの部分に「ちょっとホッとした」と言った。というのも、サーバントというと何か奉仕しないといけない、後ろに下がって支援しないといけないと感じていたが、やはりリーダーはこういう風に強くないといけないのだと思うと腑に落ちたらしい。この本の中で何度も洞察力という言葉が出てくるが、ただ「売り上げを伸ばしましょう」「利益を上げましょう」という目標を掲げるだけではない。私たちは何を目指さないといけないのか、簡単には見つからないが、それを探求しないといけないというメッセージだと受け取った。
サーバントリーダーシップとサーバントハートは同じではない。サーバントハートは、サーバントリーダーシップの根幹をなす、大きな要素の一つではあるが、サーバントハート自体はリーダーシップではない。サーバントリーダーはサーバントハートのリーダーシップである。リーダーシップは目的・パーパスを示して、それに共感してくれる人にサーバントハートで接して支援していく。サーバントリーダーは目的と、その実現のためにともに歩んでくれる人の二つに奉仕する。
■56ページ6行目、「私は行く。一緒に来たまえ!」
この部分は人を支援するサーバントリーダーのイメージとのギャップを感じた。自らが先頭に立って引っ張っていき、時にはリスクを引き受ける姿に、リーダーは人の人生を背負うような相当な覚悟が必要な立場なのだと改めて認識した。
■58ページ1行目、夢がなければ、大きなことは起こらない。
サーバントリーダーは夢がないといけない。夢を描くことで、人々がそれに賛同し、ついてきてくれる。強いリーダーシップとサーバントは共存するものだと思うのだが、現場でサーバントリーダーシップを浸透させようとするとき、サーバントの方に重きを置きすぎて、夢を持つことが大切だと理解してもらうのが難しい。
■58ページ5行目、非常に能力のあるリーダーが・・・
情報過多の現代に通じる話であり、現代への提言のように感じた。
■59ページ15行目、「私は本当に耳を傾けているのか・・・
地域の老人の話を聞く機会があったが、自分が本当に耳を傾けることができているか、心配になったことを思い出した。とても労力のいることだと思う。
■64ページ1行目、サーバント・リーダーはいつでも人に共感し、常に受け入れる。
これは、グリーンリーフがサーバントリーダーの方向性を指し示したのではないかと感じた。これを完璧にできる人はいないだろうが、この方向性を忘れてはいけないよ、と示したのだと思う。
カウンセリングでは、受容と共感と自己一致が重要な三要素だとカール・ロジャースが言っている。受容と共感をした上で、自分の経験をもとに解釈してしまうとその人からずれてしまう。その人のことをすべて理解できるかというと、決してそうではない。理解できないことを理解できないと言ってもいいというのが、自己一致だとされている。「私には想像もできませんが、大変な苦労をなさったのですよね」と言ってもよいと、ある先生から言われた。
コーチングでは、共感と同感は異なると言われている。「あなたはそう感じているのですよね」というのは共感であり、「私もそう感じます」と同じように感じる必要はない。
共感とは、その人がそう感じていることを理解して認めてあげたり、尊重してあげること。コーチングでいうところの存在承認のようなものだろう。意見は様々であっても、あなたがあなたのままでそこにいること自体は価値があるし、意味がありますよ、と認めてあげて伝えることが大切なのだと思う。
■64ページ8行目、ロバート・フロストは「雇い人の死」という詩の中で・・・
聖書にある「放蕩息子の帰還」の話を思い出した。とんでもないことをした息子が帰ってきたときに、父親が手放しで喜んだ。存在していること自体がすばらしいことだというメッセージだが、その話に似ていると感じた。
■65ページ9行目、自分のリーダーシップに従う人に共感し、無制限に受け入れる度量がある。
部下を壊してしまうクラッシャー上司のタイプの経営者がいた。社員がみんな辞めて逃げていく。人が財産の中小企業であるにもかかわらず、その経営者は好き嫌いで社員を判断してしまう。成果よりも、自分に媚を売る人をかわいがってしまうような人だった。人間に完全を求めてはいけない。不完全な人であっても、それを受け入れる努力をしないといいリーダーにはなれないのだろう。
■72ページ4行目、創造的なステップを踏んでいくにあたって・・・
マインドフルネス瞑想やメディテーション等に相通じる話ではないか。いつも情報を集めて分析的に考えているのだが、結局完全な情報は手に入らないので、どこかで飛躍して直感で決断しないといけないときに、分析的思考を一度休め、瞑想等をすると、脳の別の箇所が活性化するらしい。人間が気付かない無意識のうちに情報を整理してくれていると聞いたことがある。グリーンリーフの言う「一歩下がって」というのは、そういったことを指しているのではないか。
グリーンリーフは晩年、仏教や禅に傾倒していったと聞いているので、バックボーンに禅のような考え方があったのかもしれない。
周りにコンサルタントと称する人がいるが、例えば何かアドバイスをするときに、「では、いつまでにこれをやりますか」「これ、どうするのですか」などと決断を迫られることがある。しかし、自分はじっくり考える時間が欲しい。一度寝かして、消化してから出てくるものを待ちたい。
■75ページ2行目、気づきの扉が開くと・・・
気づきを得れば普通は安心しそうなものだが、逆に人を混乱に陥れるというのは、混乱して複雑な現実を見られるようになるということなのではないか。平静さがあるから混乱している状態を受け入れられるのではないか。
サーバントリーダーシップについて、悩みながら学んでいるが、もしすべて分かっていたら悩まない。問いを立てている状態は混乱しながらも覚醒している状態なのではないか。
カウンセリングの事例で、子供の不満ばかりを言う母親に対してカウンセラーが「ではその子は生まれない方がよかったですね」と言うと、母親は「いいえ、そんなことはありません。私にとって命より大切な子どもです」と言った。これは気づきであり、気づきの扉が開くと、目の前の困りごとは混乱したままだが、自分の中の価値がはっきりとして、不確かさはあっても平静になっていくのではないか。
などのご意見・ご感想がありました。
次回は、8月24日(木)開催予定です。
みなさま奮ってご参加ください。