2024年11月9日(土)13:00~、賀川豊彦記念 松沢資料館 見学ツアー勉強会を開催いたしました。
サーバントリーダーシップは経営活動における“リーダーシップ哲学”であると共に、すべての人が目指すことのできる「生き方」そのものであり、その人の人格や価値観に深く根ざしている。
そしてサーバントリーダーとは、自分の使命を見出し、進んで人と社会に仕え、その「生き方」を通して、人々に“良い感化”を与えている人のことである。
賀川豊彦は日本の近代史において大変重要な働きをし、「20世紀のグランドデザイナー」とも呼ばれている。
賀川は1888年神戸に生まれ、4歳の時に両親を失い、父の実家の徳島で孤独な幼少時代を過ごした。
徳島中学に入学し二人のアメリカ人宣教師との出会いにより、豊彦は息子のように可愛がられ、彼らを通してイエスを見ることができたと告白し、15歳で洗礼を受ける。
その後明治学院高等学部神学予科と神戸神学校で学び、肺結核で医者から余命2~3年と告げられるも、残された人生をすべて神と貧しい隣人のために捧げようと決心し、1909年12月24日に神戸新川のスラムに入った。
スラムの現状は想像を超えた悲惨さと無秩序な社会であり、救貧活動(救済・施し・慈善)の限界を感じる。
そして、防貧(貧しい人を生み出さない社会システムのあり方)のヒントを掴むために渡米し、プリンストン神学校・プリンストン大学で学ぶ。
ここで「相互扶助」の精神を中核とする「防貧思想」を確立する。
帰国後は「愛と協同」を唱える協同組合運動をはじめとする社会運動に身を捧げて行くことになる。
1935年ルーズベルト大統領は、アメリカの経済恐慌は協同組合運動なくしては立ち直れないと考え、その指導者として賀川を招聘し全米各州で500回にわたって講演会を開催した。
この講演の中で「あなた方の誰かがアメリカ人を良き国民にしたいなら、支配的な指導者になろうという野心を捨て、召使いになりなさい(Be a servant)というメッセージを語った。
(※これは「サーバントリーダーシップ」の本質を突く表現であり、賀川が唱えた「下座奉仕」に繋がる。)
この時の講演内容が後に『ブラザーフッド・エコノミクス(友愛の政治経済学)』として17言語に翻訳され、世界25ヶ国で出版され、欧米各国の人々に大きな影響を与えた。
その内容は経済理論であると同時に、世界平和の理論でもあり、EEC(ヨーロッパ経済共同体)の設立にも大きな影響を与えることになった。
また賀川は世界連邦運動にも名を連ね、ノーベル賞に5回(文学賞2回、平和賞3回)もノミネートされ、日本よりむしろ海外で名を知られた日本人であった。
また、参加者の方からも、
「賀川は戦前戦後の社会を築いた優れた日本人である。今の社会を生きる私たちは本来知らなければいけない人物に思われる。リーダーシップを学び続ける上で、賀川の人間としての在り方、生き方は非常に参考になった。」
というコメントをいただいた。