過去の活動報告

【開催報告】賀川豊彦記念 松沢資料館 見学ツアー勉強会を開催いたしました(2025年3月8日)

開催日時:
2025年3月8日(土)13:00~16:00
場:
第一部:賀川豊彦記念 松沢資料館
第二部:近隣の喫茶店
ガイド・ファシリテーター:
NPO法人 日本サーバント・リーダーシップ協会 理事 広崎仁一

2025年3月8日(土)13:00~、賀川豊彦記念 松沢資料館 見学ツアー勉強会を開催いたしました。

賀川豊彦記念松沢資料館 賀川豊彦記念松沢資料館

賀川豊彦は「妾の子」として1888年に神戸で生まれた。4歳で両親を失い、父の実家の徳島に引き取られ、義母からは酷いいじめを受け孤独な幼少時代を過ごした。
徳島中学時代に二人のアメリカ人宣教師との出会があり、彼らから我が子のように愛され、英語とキリスト教を学び、後の賀川の将来を方向付ける影響を受けた。

その後明治学院高等学部神学予科と神戸神学校で学び、肺結核で医者から余命2~3年と告げられるが、残された人生のすべてを貧しい人々のために捧げようと決心し、1909年12月24日に神戸新川のスラムに入った。

 

スラムは56町に2畳敷き3畳敷きの長屋が密集し、1万余の人々の生活は悲惨であった。
ノミやシラミが媒介する伝染病が流行り病人が多く、またヤクザや博徒、飲んだくれによる金品のゆすり・たかりが横行し、ケンカや殺人が絶えない無秩序な社会であった。
しばらくして賀川は救貧活動(救済・施し・慈善)の限界を感じ、防貧(貧しい人を生み出さない社会システムのあり方)のヒントを掴むために渡米し、プリンストン神学校・プリンストン大学で学ぶ。
ここで「相互扶助」の精神を中核とする「防貧思想」を確立する。
帰国後は「愛と協同」を唱える協同組合運動をはじめとする社会運動に身を捧げて行くことになる。

 

またこの間に自伝的小説『死線を越えて』が改造社から出版(1921年)されるやいなや、100万部を売り切り、賀川は日本人初のミリオンセラー作家になった(当時の印税が10万円、現在の価値は10億円を超える)。
このお金が後の社会運動の軍資金になる。また23ヶ国語に翻訳され、後に中巻・下巻・別巻の4部作となり、総販売部数は400万部を超えた。

 

賀川は20世紀の三大聖人(賀川・ガンジー・シュヴァイツァー)の一人であると共に、アメリカのワシントンカテドラルには(マルチン・ルーサー・キング牧師の彫像の横に)賀川豊彦の彫像があり、世界で知られている日本人の一人である。

 

賀川豊彦彫像

参加者の方からは、
「賀川豊彦は不遇の経験をしているからこそ、弱者に寄り添うことができたと思います。(スラムの)現場に入っていく勇気と、その悲惨な現状を変えたいという使命感、そしてその実現に至った知恵と、人を巻き込むことの大切さを改めて感じることができました。」
「このような日本人のサーバント・リーダーがいたことを、日本人自身がもっと知るべきだと思いますし(彼の存在を)広めたいと思いました。賀川の「下座奉仕」という犠牲をいとわない精神が、その後世代を超えて途轍もない大きな実を結んだことを知ることができました。」
というコメントをいただきました。

賀川豊彦記念松沢資料館