ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントであれ 奉仕して導く、リーダーの生き方」(野津智子訳、英治出版、2016年)の東京読書会は、その2回目として、第1章「サーバント」の中間のあたりを会読しました。グリーンリーフは現代社会における組織の役割の重要性に着目して、そこにサーバントの性質を持つリーダーシップが必要であることを再三指摘しています。組織が個人の集まりでありながら、個人とはまた異なる論理にとらわれてしまうこと、グリーンリーフはこれを「偏狭なものの見方(mind-sets)」と呼び、そこを抜けるために「解放のビジョン(vision)」を示すことの必要性を強く指摘しました。その主張がかかれた箇所の会読です。(今回の会読範囲 p.51、9行目~p.78、8行目まで)
【会読内容】
私たちは何を知っているかーそれとも知りたくないのか?
・「(1)大人になってもサーバントになろうという気持ちを持ち続ける若者の割合を、どうやれば増やせるか。(中略)。(2)組織をどのように変えれば、もっとしっかり人々に奉仕し、人々の心を動かせるか」の二つの課題への回答を私たちは知っているはずだとグリーンリーフは言います。
・18世紀、国全体が貧しさに苦しんでいたデンマークの人々は、若者の志を高めるためには学校を作るべきだということを知りつつも行動できずにいました。このような状況の中で、グルントヴィがビジョンを示すことで、現代のデンマークにつながる変革が始まりました。グリーンリーフは前述の課題の解決にもビジョンを示すことが必要であるという思いから、現代の代表的な組織から4つの例を挙げています(注)
(注)4つの例の内、①企業と②大学に関する箇所は2018年7月27日の第1回読書会においても会読し、今回は再読となっている。
・例示の①、企業に関してグリーンリーフは次のような事例を挙げました。ある人がある業界トップの会社の経営者に、動きの激しいその業界内で安定的な経営が成り立っている会社(X社)について、X社から何を学んでいるか、という質問を受け付けることなく拒絶した。グリーンリーフは、X社にあるのは、常識にとわれない考え方であり夢である、と述べて、ここに学ぶべきだと言外で訴えています。
・例示の②は、「大学」です。そこでは、若者である学生の持つリーダーシップの潜在能力を高めるための大学の尽力も、資金次第で変わってしまうのが実情である、と述べています。
・例示の③では、この小論が書かれた1970年代のアメリカの医療団体の問題点を指摘しています。医療が人間の健康を維持、増進することを目的としながら、米国の医療団体が栄養学について関心を寄せず、医学の教育課程においても軽視されていることを指摘し、医学が栄養学に対してあらかじめ型にはまった「偏狭なものの見方」をしていることを指摘しました。
・この節の4つの例示で、最も長い記述となっているのは、④教会指導者についてです。19世紀の教会指導者が社会の変化をとらえて人々を導いていたならば、カール・マルクスの思想が20世紀の世界でここまで広がることはなかったであろう、とマルクス主義、共産主義を敵視することが多い米国社会やキリスト教会に対する皮肉を込めた記述で始まります。
・グリーンリーフは、教会指導者たちの対話を聞きながら、彼らが人々への働きかけを意味する動詞として、ラテン語の手(manus)を語源として、支配、管理のニュアンスの強いmanage と ラテン語の奉仕する(administrare)が語源で、大切にするというニュアンスを含み統轄することを意味する administer、前に出て道を示すの意味を表す lead が区別なく使われていることに気づいて、次のような指摘を行いました。
・すなわち、manage(管理) と administer(統轄)は、現在の仕事が「滞りなく行われる(maintenance)」ことを支え、現在の仕事が滞りなく行われることは組織にとって重要であるが、それだけは、「刻々と変わる社会に奉仕するという対応が確実にできるようになるわけではない。そうした対応は、“leading(導く)”-創造的に冒険することーによってはじめて確実になるのだ」というものです。そして、教会指導者が互いに語っている人々への働きかけは、leading(導く)ではなく maintenance (滞りなく行われる)ことの意味合いでしかないというものです。
・教会指導者たちから自分たちが人を導くために何ができるのか、という質問を受けがグリーンリーフは、この小論の冒頭に述べた、より良き社会のためにサーバント主導で人々が次のサーバントを生み出し、多くの組織がサーバントとして行動することであるという趣旨の考えを述べました。そして影響力のある教会指導者が現代版の「組織の神学」を生み出し、組織としての奉仕力を高めるようにともアドバイスしました。会合の席上では教会指導者からの反応がなかったため、グリーンリーフは後日、「“組織の神学”の必要性」と題する覚書を二度にわたって作成して送ったものの、指摘に対するめぼしい反応はありませんでした。
・この10年間の思索で、グリーンリーフは「ビジョン」の必要性と重要性をさらに深く認識しつつも、「解放のビジョン」がなかなか生み出せない稀有な存在となっていることに思いを巡らせます。
解放のビジョンはなぜ稀なものになってしまっているのか
・偏狭なものの見方にも役立つ点がある、とグリーンリーフはこの節の冒頭で言います。人はほとんどの場合、素早い行動のためにあらゆる対応をあらかじめ考えて行動する。それらは、偏狭なものの見方ではあるものの知恵や習慣として人々の間に受け継がれてきたものである。
・その意味で、解放のビジョンが稀なのは、社会が過去を受け継ぐものであるからだが、一方で社会は進化する。この二つの融合が「人間らしい苦悩の重要な側面」だとグリーンリーフは述べています。
・安定した社会では、人々は秩序と行動の慎重さを求め、改革者はますます「解放のビジョン」が打ち出しづらくなります。「秩序は文明社会の最初の状態であるため、最もありがちな“偏狭なものの見方”の一つ」であり、ビジネス、教育、医療、教会の各分野でこうした秩序と安定を志向する偏狭なものの見方によって、解放のビジョンが与えられてきませんでした。
ビジョンを呼び起こし、はっきり述べる
・解放のビジョンが稀なものとなっているもう一つの理由について、グリーンリーフは「ビジョンを具体的な形にする才能とそのビジョンをはっきり述べる力のある人のほとんどが、試してみる衝動も勇気も意志も持っていないから」と厳しいことばを、投げかけます。そして、現代(1970年代)のアメリカが成長の時代と抑制の時代の間で解放のビジョンが受け入れられず、明確なビジョンをもったビジョナリーのやる気がそがれる危険性がある、とも指摘しました。
・ビジョナリーのやる気がそがれかねない時代に思いやりのある奉仕し合う社会が築かれる必要条件として、グリーンリーフは、ビジョナリーのための場があることと彼らが解放のビジョンを生み出してくれる期待であると述べています。グリーンリーフは1970年に彼が書いた「リーダーとしてのサーバント」(注)において、次のように書いています。「きわめて明確、かつ、どの時代の洞察にも負けない質の高い洞察を持っている人―は常に、人々を説得できるくらい力強く話をする」、「(ビジョンが生まれるのは)関心、探究の度合いや、「ヒーラー(注)」の敏感さによる」「予言者は、そのメッセージに人々が反応すればするほど成長する(中略)そうした予言者を生み出すのは、求道者たちである(注)」
・グリーンリーフはこの考えを彼自身が信徒であった、キリスト友会(クエーカー)の歴史をひも解いてまとめていきました。17世紀イギリスでキリスト友会(クエーカー)を設立したジョージ・フォックス(注)の事績とその後、アメリカに波及したキリスト友会が南北戦争の100年前に奴隷制度を批判し自分たちが奴隷を解放したこと、その後は、秩序を求めて停滞し新しいビジョンを生み出さなくなった歴史です。
・サーバントリーダーはビジョンを受け入れたと思っている求道者にとってビジョナリーではなく、支援者であること、そして組織の maintenance(滞りなく行われること)機能に必要なのは求道者かもしれない、とグリーンリーフは述べて、複雑な組織のどこから解放のビジョンが生まれるのかに考えを進めます。
解放のビジョンを促進する組織構造
・グリーンリーフは解放のビジョンを促進する構造を考える中で、私たちの社会を構成する組織が三層ピラミッド構造となっているとの思いに至りました。その三階層について次のように説明しています。
・その最下層は活動組織と呼ばれるものであり、政府、企業、病院、学校などがこれに当たります。
・二番目の層には、大学や教会が含まれます。これら組織は価値観や文化の連続性に関心を持ち、サーバントとしての性質を個人としての組織としても高めることができます。
・三番目の層は教会のために人材を育てているセミナリー(神学、非神学とも)と大学のために同様の働きをし得る財団によって構成されます。この両組織はその運営のために社会全体の動きに過度に気を配る必要はなく、組織の変革や手掛ける活動の自由度が大きく、ビジョンを示そうとする人を励ます独特の機会がある、と述べています。セミナリーと財団は育成機関として、人々に奉仕する組織の育成を手掛けることができます。
・グリーンリーフは組織同士がピラミッド構造を作ることは、ある組織がその上位組織を指標をすることができるメリットがあるとしつつ、ピラミッドの最上位にあるセミナリーや財団には「理事会による深く質の高い思いやりが必要になる」と述べています。
・こうした理事会には未来の社会に建設的な奉仕をする絶好の機会があるとしながらも、グリーンリーフは、現代の最上位にいるこれらの組織が特定の行動パターンに制約されてしまい、レベル三の組織としての役割を引き受けようとしない傾向があることを指摘しています。
セミナリー
・グリーンリーフによれば、セミナリーはその発展の課程において価値観やものの見方が大学のそれと同じものになる傾向がありますが、彼の提案をすべて引き受ける場合は、大学とは似ても似つかない組織になります。それは、予言的な発言をしてビジョンや希望を与える人を大切にして育てることと教会を持続的に支援していくことである、というものです。
・グリーンリーフは次のように述べています。「理事会が、最高の奉仕をする組織を目指して本気でセミナリーを導き始めると、各組織の“進化するための神学”―セミナリーおよび教会の目的とプログラムについて、批判的かつ現代的な見解を与える神学―にセミナリーが貢献することに関心向く。この関心がゆるぎないものであれば、セミナリーの目標が明確になる。また、セミナリーは教会を支援するようにもなる―教会が、個人に対しても、影響を及ぼしうるあらゆる”活動“組織に対しても、奉仕できるように。目的は、そうした組織が、関わり合いを持つあらゆる個人にもっと奉仕できるようになることである」
・そして、グリーンリーフはこの節を以下のように結びました。「人々を敬虔(religious)な人として最高の状態に(religionの根源的な意味、すなわち”結ぶ“という意味において)なれる状態をもたらしたいと願っているのは、どのセミナリーも同様だ。この共通の目的を達成するために、新たなビジョンが必要なのである」
財団
・「財団は、法的に認められた目的のために与えるべき資金を持つ組織として、比較的最近になって、数多くある組織の仲間入りをした」とグリーンリーフは述べています。財団はその機能の明確化、自由裁量権の制限といった議論やさらに財団不要論もある組織ですが、グリーンリーフは、財団が法に従うことで存続することができ、市場や顧客などの直接的な外部の評価におもねる必要がないことをその特徴として挙げています。
・グリーンリーフは、この特徴に目をつけて、教会に対するセミナリーと同様に大学を支援する役割を財団が果たすことを考えました。そして、大学が大きく複雑な組織であることや財団に適切な人材が不足していることから、そのことの難しさについても冷静に分析しています。そして、最大の課題がセミナリー同様に理事会にあり、「その重要な目的のために資源を使う財団の理事会には、きわめて思いやりが深く献身的であることと、長期にわたり辛抱強く取り組むことが必要になる」と指摘しています。
・この時代(1970年代)の米国の一部大学での入学者数減少による財政逼迫について、大学が固定的な概念にとらわれて未来へのビジョンとそのビジョンに基づくアイデアを持たなかったこと、挙げています。優れた大企業が自らを賢く導き発展させる役割を担う人材を確保したことと米国の鉄道会社が日常業務に時間をとられてそうした動きがどれ図に衰退していったことを対比させています。
・財政難に苦しみそこから脱出できない大学は、優秀な人材に率いられ、他の組織への十分な支援を行えるだけの人的、物的資源のある財団などの「他の組織によるコンセプチュアル・リーダーシップ」を歓迎して受け入れる謙虚な姿勢を持つべきである、とグリーンリーフは述べます。「謙虚さは真のサーバントの顕著な特徴の一つだ。彼らは相手から奉仕を受けるときも、相手に奉仕するときと同じくらい、前向きな、しかし慎ましい姿勢を持っているのである」というグリーンリーフの指摘は、すべての組織に当てはまることです。
【参加者による討議】
・本書で「偏狭なものの見方」とあるのは、原書では「mind-sets」と書かれていることばをその意図も含めて翻訳したことばである。グリーンリーフはこの偏狭なものの見方が組織の改革を阻止する要因とのべている。ただし、それらは日常の習慣や社会的慣習の中での当然の思考として、個人の中でもあるいは組織の思考としても現れることがある。三木清(注)の「人生論ノート(新潮文庫(改版)、1978年ほか)」という論集に「習慣について」という題のついた小論があるが、この中で三木は、習慣が定める行動様式は、文化の一つの形であるという趣旨のことを述べている。偏狭なものの見方、すなわちある保守的な思考パターンへの評価は、常にマイナスではない。言い換えれば、ものの見方の表裏ということだ。ということになると、組織の改革を妨げる動きの中にも意味がありうるということ。だからこそ改革は簡単ではないのだろう。
(注)三木清(1897年1月5日 – 1945年9月26日)は、京都帝国大学で西田幾太郎に学んだ京都学派の哲学者としてマルクス主義の哲学的再構築などの研究を行った。1945年に治安維持法違反の疑いで拘束され、終戦後1ヵ月を経た段階で獄死。人生論ノートは1941年刊行。
・自社製品の完成品検査の段階で法令違反が指摘されたある製造業で、その原因と対策を探るべく、その会社内部で多数の職員に聞き取り調査が行われた。このときの調査では、現場の担当者がいろいろな仕事の手順や上司の判断が変だと思ってもその指摘ができないままに時が経ち、やがて所定外の手順での仕事や重要な判断の見逃しが当然のこととなり、やがて従業員全員の中で、不自然とか当然とかといった形の意識にすら上らなくなったという声が多数あったそうだ。
・米国MITのダニエル・キム教授の成功循環モデルあるいは成功循環の輪と呼ばれる概念がある。これは、「関係性の質」が「思考の質」に影響し、さらに「行動の質」へ影響、それが「結果の質」に影響して
次なる「関係性の質」を作るという循環であり、「関係性」がとても重要となる。PDCAサイクル(注)の循環と対比されることが多いが、PDCAには「関係性」を問うプロセスがない。
(注)Plan – Do – See – Actionの頭文字。計画 – 実行 – 評価 – 改善と訳される。第二次世界大戦後、品質管理の標準的手法を確立したウォルター・シューハートやエドワーズ・デミングが提唱した。
・人間は他者と対立するときにとる行動が fight or flight、つまり戦うか、逃避するかである。このどちらの行動も他者との関係性を損なうことになる。上司の無理強いをやがて当然のことと思うようになる行動は逃避であり、意識に上らなくなったのは、関係性が喪失されたということだろう。これは成功循環の輪がこわれたということでもある。
・製造業では、企業の成長につれて、本社や事務所では大学卒の社員が増えて主流になる一方で、製造現場は高校卒の社員ばかりといった構図が増えてきた。本社と製造現場とのコミュニケーションが喪失している、より正確に言えば、最初からないような状態になってしまうこともある。
・自動車産業ではホンダは、文系の大学卒、いわゆる事務屋と言われる職員もホンダ社内でキャリアを積む中で製造現場に配属されて、製造ラインの従業員と一体感ができるまで現場でもまれるという会社の方針、それを支える風土がある。
・企業をはじめとする社会の運営にITが欠かせなくなった現代では、情報システムの開発プロジェクトが大小取り混ぜ多数のものが着手されるようになった。失敗とされる事例も多く、それを回避するためのノウハウがいろいろと喧伝されているが、基本はプロジェクトマネージャーを中核とする開発要員とのコミュニケーション、発注元のユーザー組織との合意形成を前提としたコミュニケーションのよしあしが成功、失敗の要因である。つまり関係者同士の関係性の質ということだ。
・関係性の質を決めるコア要素は、respect each other に尽きると考える。組織上の肩書や指揮命令系統といった上下関係がある中でも相互の理解と尊重は絶対必要な要素だ。
・関係性の質が重要であることについては、完全に同意するが、実際の現場では思うようにいかないことが多い。ほとんどの組織では、組織のあちこちで関係性が傷ついたり、喪失したりしているのが実態ではないか。
・討議の冒頭で、mind-sets に偏狭なものの見方と、訳者がことばのもつ意図を含めた訳語を当てたとの説明があったが、もうひとつ vision ということばに「解放のビジョン」という訳語を当てている。子の意図について、議論してみたい。
・ビジョンということはば、テレビの正式な英語の televisionといった単語からなじみが出てきて、昨今は日本でも企業その他の組織で普通に使われている。ただし語感としては、あまりシリアスではなく、経営計画や予算を立てるときの、近未来のマーケットや顧客の状況の想像といったたぐいかと思う。
・英語のvision もともとはラテン語の「見る」からきたことばだが、単に目に映るということではなく、神が示す「ものごとの本質」という意味がある。同じグリーンリーフの「サーバントリーダーシップ(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)」や本書では、visionの訳語として予言が用いられ、未来を予想することの意図が強く出ている。そうした箇所も多数あるが、本質、真実という意図で預言という訳語を与える方がふさわしいと感じることもある。
・そのように示される本質を見抜く能力こそが、旧来からの mind-sets、すなわち「偏狭なものの見方」を打破する原動力であり、翻訳者は「解放のビジョン」という訳語を当てたのだろう。本質や真実を見抜く力は、本当のリーダーに必要な資質であり、そうしたリーダーがサーバントの気質と振る舞いをもって人々に接しているのだと思っている。
・先ほども言及した三木清は、第二次世界大戦という世界の多くの国が争った時代に対立から統合への道を進むことを提唱していた。現代は、われわれの周囲に戦争こそないが、複雑化した社会の中で、目に見えない対立があり本当の意味の統合は難しいと感じている。
・多くの仕事が特定分野の専門性を必要として、その中で仕事をしてきた人が、自分の職位があがると自身の知識や経験外のことも判断しなければならなくなる。この段階でどのような姿勢で仕事に取り組むかは重要な問題だ。
・自分の友人は、ある業界のトップかつ日本を代表する企業の管理職を務めている。その友人と話をしているとどの分野のことにもすぐに明確に回答を出してくるので、いつも驚いている。
・その友人の方がもともと優秀であったのだろうが、勤務先のカルチャ^-が思考のパターンを決めて、その型の中で、早期に結論を出すようにしていることも見逃せない。うまくいっている時はよいが、そうでないと「偏狭な物の見方」に陥るおそれがある。
・ワイガヤという自由な議論は、ときに単なるガス抜きとしての目的で利用されるが、そこに真実が潜んでいる可能性が高い。サーバントリーダーはそこにきちんと目を向けているのだろう。