第二期第30回(通算第85回) 読書会開催報告
ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会は、今回から、いよいよ最終の第11章「心の旅」の会読に入ります。この章で、グリーンリーフは米国の詩人、ロバート・フロスト(注)の「指示」(原題、Directive)という詩を引用して、グリーンリーフが考えるサーバントリーダーシップの本質に迫ろうとしています。この詩は、1874年に生まれ1963年に没したフロストが1946年、70歳を過ぎて完成させた作品です。グリーンリーフは晩年のフロストと知り合う機会を得て、彼から多くの示唆を受けました。この詩はフロストの他の作品同様、米北部ニューイングランドの自然に培われつつ、自らの魂の昇華のあり方を顧みる詩です。(今回の会読範囲 p.493~p.519、この章の最後まで。なお、次回の読書会では同範囲を再度、会読する予定です)
(注)ロバート・リー・フロスト(1874.3.26~1963.1.29)は、米国の詩人。作品はニューイングランド地方の農村風物を背景としながら、内容的には哲学的なものや社会問題に言及したものが多い。1916年刊行の詩集「山の間(Mountain Interval)」に収められた「選ばれざる道(The road not taken)」は、アメリカンドリームの象徴として、米国の多くの小中学校の教材として利用されている。
【会読内容】
・指示 (原題 Directive) (注)
もはや耐え難いものになった現状のすべてを離れて、/細部が忘れ去られ 単純化した時を遡ってゆくと、/日焼けしたり分解したり、風雨に晒された/墓地の大理石彫刻のように 崩壊した/もう家ではない家が そこにある、/もう町とは言えない町のなかの/もう農場とは言えなくなった農場に。/内心道に迷わしてやろうとしか 思っていないようなある案内人に/指示させるなら、そこを通る路は かつて/
石切り場ででも あったかのように思えようが-/そこの路は、昔の町が覆い隠すようなふりなど とっくに/無くしてしまった 巨大な一枚岩の膝の部分なんだ。/そうしてある書物には その話が載っているが、/鉄の車輪が磨り減らしたあとだけではなく、/岩棚は巨大な氷河という鑿<さく>の造作で/南東から北西に走る栓を露わにして、/それが北極に向かって 足を踏ん張っているんだ。/パンサー山のこちらの斜面に今なお漂うと/いわれるある種の冷気なんぞ 気にしてはならない。/また君は 四十もの小桶から覗く目玉のような/四十もの地下室の中から凝視される/連続的試練をも気に掛けることはない。/ざわざわと葉ずれの音を立てさせる/君に対する森の苛立ちには,/成り上がりものの青臭さのせいだとしておくのだ。/わずか二十年も前には そんな木々はみな何処にあっただろうか。/それはキツツキに悩まされたリンゴの老木を/日陰にしてやったと、大げさに思いすぎている。/この路もかつては誰かの仕事から帰る家路だったわけで、/その男は 君のすぐ前のあたりを歩いていたとか、馬車一杯の穀物を積んで きしむ音を立てながら/通っていくという、威勢のいい唄でも作ったらいい。/この冒険の極まるところは、かつて二村の文化が/混じりあった土地の高まるところだ。/それらの文化はいずれも今は消滅した。/今までに 君が迷ったあげく やっと自分の路を見つけたなら、/自分の後ろに梯子路を引っ張り込んで/私以外には、すべての人に「通行止め」の札を出すことだ。/そうやればもう安心だ、残った一枚の畑など/鞍ずれの傷ほどの大きさもない。/まず ままごと遊びのこどもの家があるんだ。/マツの根元に割れた皿が散らばるが、/それは こどもたちのあそび家のあそび道具。/なんとちっぽけな物が彼らを喜ばせたか、見て涙したまえ。/それからもう家ではなく、そばにライラックの生えた/地下の穴蔵、こね粉のへっこみ穴がしんなり閉じていくようなものにもだ。/こちらはあそび家ではなく 本当の家だったのだ。/君の到達点で、君の運命であるものは/この家の飲み水の小川なんだ。/まだ水源にも近く、泉のような冷たさ。/激流するには ここは高過ぎて、根源的過ぎる。/(私たちは知っているが、谷川も一たび激流すれば/刺や茨にぼろ屑がひっかかる。)/水べのシーダーの老木の アーチ状の根元の陰に、/私は欠けたゴブレットを 聖杯<グレイル>みたいに隠しておいた。/聖マルコが禁じたとおり、それに相応しくない者が/見つけて救われたりしないように、と呪文をかけて。/(ゴブレットはこどもたちのあそび家から/私がひそかに頂いてきたのだ。)/ここにあるのは君の飲み水で、君の水汲み場、/飲んで混迷を超えて 健全になりたまえ。
(注)フロストのこの詩は「サーバントリーダーシップ」の日本語版 p.497~499に掲載されている。サーバントリーダー日本語版での詩は、ロバート・フロスト著、飯田正志編訳「フロストの仮面劇」(近代文芸社、2002年)に基づく。なお、上記の転用の中で、/マークは、サーバントリーダー日本語版およびフロストの仮面劇での詩の改行箇所。< >で囲った箇所はふりながとなっている。
原文は、https://genius.com/Robert-frost-directive-annotated で読むことができる。
・グリーンリーフがフロスト本人に「指示」という詩のもつ意味を問いかけたところ、フロストから「何度でも繰り返し読んでみてください。詩の方から訴えかけてきますよ」との答えを得るとともに、フロスト自身によってこの詩を朗読してくれました。グリーンリーフは、その時の経験を「(前略)とても印象に残る読み方で、何が重要なことなのか、彼がどんなことを感じているのかがよくわかった」と感動的に思い出しています。
・さらに、グリーンリーフは次のように述べます。
– この詩を繰り返し読んで、どんなことを思い浮かべるかは人それぞれだ。自分が準備段階にある何かや、受け入れ態勢が整っている何かを思い浮かべたりするのだろう。
– 気づきは、何か重要で心をかき乱されるようなものが自分とその象徴との間で発達するままに任せ、求めることによってではなく、じっと待つことによって現れてくる。
– 象徴の力は、意義深い新たな意味の流れをいかに継続できるかによって測られる。
・そして、「人はみな障害にぶつかりながら成長していく。新しく開かれた道は、仲間の探訪者が残してくれた記述の中に見つかるかもしれない。こうした共有の精神から、「指示」を読んで私が考えたことを述べてみたい」とグリーンリーフはフロストの詩に込められた意味を読み解いていきました。
【参加者による討議】
・第11章のクラフトの詩とグリーンリーフの解説の通読を終えて、討議に入る前に、会読参加者にとって詩とは何か、詩をどのようにとらえているか、過去に詩をめぐる体験などがあれば、それを共有したい。
・いろいろな詩にその詩独自の鼓動を感じる。詩は本来的に文字で読むものではなく、口にして語るものであり音韻も重要な要素だ。ことばがイメージとなって人の心に直接入り込んでくる。
・字数や音韻などいろいろな制約の中で語られ、つづられる詩もあるが、それらを含めて詩が織りなす世界には、常にある意図があると感じている。自分は友人とバンドを組んで音楽活動を実施していて自分たちの曲をつくることもある。友人が作った曲に詩をつけることが多いが、曲が先にある制約の中での作詞では、ことばのパズルを解くような漢学を覚えることもある。
・詩を通して多くのものが自分に降りかかってくる。過去においてきたものへの後悔や過ぎ去ったものへの思いなど。同じ詩がそれぞれの人に語りかけてくることで、異なる多くの意味を持つ。
・学生時代に武者小路実篤の詩に入れあげた経験がある。彼の躍動感のあることばづかいに、ネガティブになりがちな自分の心に力を与えてもらっていた。ことばに力づけられていた。
・自分たちが生きている世界が四次元の世界だとすれば、詩の世界は五次元、インスピレーションの世界であり、時空を超えている。200年前のゲーテの詩、さらには2500年近く昔のプラトンやアリストテレスの言説が21世紀の自分たちに直接的に響いてくる。人間の理性の究極でもあるように思う。
・詩というものに型があるように思いがちだが、散文の型をもつもののある。先日亡くなった石牟礼道子の「苦海浄土」を読んだ。水俣病、公害の怖さと被害者の苦悩を世に伝えたノンフィクションのルポルタージュのように言われがちだが、これを読むと水俣の地、海に生きる人たちのいのちのことば、ときに叫び、ときに静かに語ることばが紡がれた詩であると感じる。
・詩はその表現が抽象化され、ことばの内に、さまざまの意味や意図、思いが込められることが多い。ことばを字義解釈して頭で理解するのではなく、体で受け止めることが詩と対峙する姿勢として求められる。
・正岡子規の活動を高く評価している。万葉集、古今和歌集と日本人としての心象を形成してきた日本独自の詩の世界に、俳句という新しい形で、過去を継承しつつ新しい世界を築こうとした点。「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は子規代表的な句であるが、これは「」と対をなす。こうした世界の面白さもある。
・では、クラフトの詩 「指示」とそれに対するグリーンリーフによる解説で構成されている第11章「心の旅」についての討議に入ることにしたい。
・「充分に道に迷わなければ、自分自身をみつけることはできない。確認のためにこんな言い方もできるだろう。自分自身を見つけられない人は、充分といえるほど迷っていない(日本語版、p.508)は、クラフトの詩の「今までに 君が迷ったあげく やっと自分の道をみつかたなら、/自分の後ろに梯子路を引っ張り込んで/私以外には、すべての人に“通行止め”の札を出すことだ。/そうやればもう安心だ。(日本語版、p.497。再引用と解説はp.508)」という箇所の解説であるが、日々さまざまなことに迷っていて、自分自身を見失っていると自覚する身には、強い訴えかけだ。自分自身の道を見つけるのに、とても長い道のりを歩んできていると思っているが、その道に到達したときの風景、心象の風景がどんなものなのかと思う。
・他人がやってきたことを単になぞるのではなく、各自が自分で何かを生み出し、各自の道を歩いていく。正解が見えない世界での真理の探究者であることを求めているように思う。
・クラフトの詩を読みながら、自分も同じところに心を引かれた。詩の中の「通行止めの札を出す」とい句があるが、自分の後ろをついてくる人がいると無条件に安心し、緊張感を喪失してしまうために、そのような安逸な心と決別せよと訴えているのだろう。
・群れから離れて、孤独を受け入れよということだろうか。
・さまざまな評価軸や判断の基準を自分の外に設けてしまうと、他人の評価に振り回されることになる。そうではなく、自分自身の内側に基準を設けていくことが肝要だ。
・そうした自分の到達点について、クラフトは、「君の到達点で、君の運命であるものは/この家の飲み水の小川なんだ。/まだ水源にも近く、泉のような冷たさ。(日本語版、p.498、再引用と解説は、p.510~p.511)」と詠んでいる。到達点が水源で泉のような冷たさ、という表現に純粋さ、混じり気のなさが現れている。
・自分自身の到達点でもあり、出発点でもあるように思う。
・グリーンリーフは、この詩を取り上げることで、彼のどのようなリーダーシップ観を読者に伝えようとしたのだろうか。
・本書の第8章「サーバントリーダー」にグリーンリーフの師であるドナルド・ジョン・カウリングの評伝が掲載されている(日本語版、p.409~458)。ここで描かれているカウリングは、敬虔なクリスチャンとして、周囲の話に丁寧に耳を傾ける特質を備えつつ、他人におもねることなく、自らが信じた道を進んでいる。自分の心に降りてきた神が指示する道を行くというイメージが強い。
・本物のリーダーは、いついかなる状況においてもリーダーである。私たちの生活でも春は入学、卒業、就職、異動そして転職など周囲の環境が大きく変化することが多い。その中で新しい世界に入ってもリーダーシップを発揮する。旅の途上、行く先々で周囲を導くイメージだ。
・「今までに 君が迷ったあげく やっと自分の路を見つけたなら、/自分の後ろに梯子路を引っ張り込んで/私以外には、すべての人に「通行止め」の札を出すことだ。」という箇所で、詩の主張内容が変化したように感じる。この部分より前で描かれた、残してきたといえるものごとが、このフレーズによって、虚構であると描かれている。
・梯子路を引っ込めて、通行止めの札を出す、のフレーズを境に、詩の雰囲気が変わる。ある瞬間に曇りが去って視界が一気に開ける感覚だ。
・その意味では、この梯子路のフレーズ以前の詩の前半は、過去を捨てる苦しさを表現しているように感じられる。・その少し前に「それはキツツキに悩まされたリンゴの老木を」という箇所がある。リンゴの老木というのは、古くなった過去の権威を示すのかもしれない。
・梯子路のあと、詩の最後の方になるが、水が湧き出て激流となるという表現があるが、これが時間の流れ、歴史を象徴しているように感じた。
・「自分の後ろに梯子路を引っ張り込んで」と表現される梯子路には、退路を断つ、過去を振り返る行為をやめることを象徴しているように感じる。
・詩の前半部分からは、突き放されたような虚無的な感じを受けていたが、「通行止め」のフレーズの後を読んでいくと、全編を通じて人生の応援のような印象を受ける。リーダーとして挑戦する人の孤独に寄り添おうという感じを受ける。
・今回、他の方と一緒に詩を読み、討議することで、この詩に関する視界が徐々に開けてきた。フロストの神髄に近づくためには、フロスト自身が言っていたように、何度も繰り返し読んでみる必要がある。そうすることによって、グリーンリーフが受けた啓示を読み取れるように思う。