【会読内容】
・「“魂(スピリット)”などという言葉を持ち出して、いったい何の話を始めるのか、と思われるかもしれない」とグリーンリーフはこの小論においても、読み手を一気に引き付ける一言で始めています。その魂の意味について、生命の息吹ということばから始まる大辞典の長い記述に、自分の満足のいく意味を見出せなかったグリーンリーフは、「結論を言えば、“魂”を簡潔に定義することはできず、老後を迎えたのちに最終的な判断を下すことになる(だろう)」と述べました。
・グリーンリーフ自身は魂の存在を感じることができるとしつつ、それを彼が考える奉仕の概念と結びつけて、「(魂の働きかけによって)奉仕を受ける人たちが、人として成長し(中略)自らもサーバントになる可能性が高まっているか」と問いかけ、さらに人を超えて社会に良い影響を与えているかと問いかけました。
・「社会の質は、そこに生きる最も恵まれない人々が何を得るかによって判断される」というグリーンリーフは、「魂は、奉仕する同期の原動力になる可能性がある」と言います。そして魂についての老後の、すなわち人生の総決算に当たっての評価は、現役時代を振り返って自分なりの奉仕画を実施したという自覚があること、および老後になってもなお自分なりの奉仕を続けているかという点にあると述べています。後者を語るグリーンリーフの脳裏には、静かに網を編むアメリカの北東の端、メイン州に暮らす95歳の漁師の老人の姿が映し出されていました。
・老いに対するグリーンリーフの考え方は、彼が少年時代から見続けてきた彼の父親の姿がその土台となっています。グリーンリーフは、彼の父親について、目立った学歴こそないものの市議会議員として深夜まで真剣な議論を続ける姿や、教会からの寄付金増額の要請や詩の有力者の買収に対して、毅然として自分の考えを通した姿などが若いグリーンリーフに強い影響を与えたと述べています。グリーンリーフは、彼の父親が老齢になり聖書を読み通そうとして理解力が不足したためにこれを断念したり、教会を必ずしも自分の価値観の中で優先しないことがあったにもかかわらず、「(父は)敬虔な人だった」と評価しています。そして後年、ニューヨークを生活と仕事の拠点としてニューヨークに住み続けながらも、生まれ故郷のインディアナ州テレホートでの父親や祖父との暮らした約20年を彼の人格形成期の重要な日々であり、今も自分とともにあると述べました。
・グリーンリーフは老いがどんなものかは自分が老いて初めて理解できると、78歳で「八十路から眺めれば」を書いたマルカム・カウリー(注)の意見に賛成し、老年に入るとみなそれぞれが自分の経験の総括に入り、自分を作り上げてきたルーツを調べて理解するのかもしれないと述べています。
(注)マルカム・カウリー(1898年8月28日‐1989年3月27日)米国の詩人、評論家。
・「年を取るとはどういうものか」という質問にグリーンリーフは向き合いました。老境に入ったグリーンリーフは彼の思索活動、そして彼と彼の妻の生活を語ります。
・まず、彼はロバート・ブラウニングの詩「ラビ・ベン・エズラ」の冒頭、老いゆけよ、我と共に!/最善はこれからだ。/人生の最後、そのために最初も造られたのだ。」(手島郁郎著「老いゆけよ、我と共に」キリスト聖書塾、1981年より引用)の意味を考え続けていると言います。彼の瞑想は彼独自の方法によるもので、いろいろは宗教の公式の瞑想よりも自分に合っていると言います。
(注)ロバート・ブラウニング(1812年5月7日-1889年12月12日)、英国の詩人。
・グリーンリーフはと彼の妻は、老境に入ってからお互いに多くの言葉を交わす機会は減り、ただ一緒にいるのを静かに楽しむようになってきました。彼が73歳のとき(注、1977年ごろ)、夫婦はサービス付き高齢者向け住宅に入居しました。グリーンリーフは、高齢者住宅のような若い人がいないコミュニティに疑問を提示しつつも、親身になって世話をしてくれるクエーカー教徒や同居者の中で若く、まだ仕事をしているメンバーから多くの刺激を受けていることに感謝の意を表しています。
・75歳で講演を、80歳で会議に出ることをやめたグリーンリーフは、読書も続けてはいるものの過去に読んだ本の再読であり、そこから新しい意味を見出していると述べています。
・グリーンリーフが彼の活動から多くのものを生み出したのは60歳から75歳のころでした。それは遅咲きということではなく、40歳から60歳にかけて第二のキャリアに向けて準備を重ねてきた結果です。そしてその土台は彼が38年にわたり大企業(注)で、規律正しい組織型社員として勤めてきた経験によります。彼は企業での長期にわたる規律正しい生活を彼の第二のキャリア、すなわちリーダーシップの研究と思索にとって苦楽両面での貴重な経験であったと述懐しています。
(注)当時の米国ならびに世界最台の企業であるAT&T(American Telegram & Telephone)に勤務していた。同社は1984年以降、数度にわたり分割されている。
・この小論執筆時に83歳になっていたグリーンリーフは、家族による数年前の彼の80歳の誕生パーティを自分が人生のカウントダウンへの意識付けの機会であったと述べ、ゆっくりと世俗的なことから距離を置き、なおかつ若い時代を懐かしく思い出すこともないと綴っています。積極的な活動で世の中に貢献することができなくなったグリーンリーフにとっての世の中へ最高の奉仕は「ただそこにいること」であると受け入れています。
・自分が現役であると自覚していた少し前と83歳の現状の意識の違いについて、グリーンリーフは未来の有無が大きな要素だと分析しました。未来への希望と展望があった時と比べて、83歳の現状は「未来もないし、実を言えば過去もない。あるのはただ、他人の過去と言ってもいいような経歴だけだ。”今“しかないのである」と述べ、これがロバート・ブラウニングの言う最良かもしれないと思いつつ、34年前に死んだグリーンリーフの父親の晩年の境地を受け入れられるようになったとつぶやいています。
・高齢期になって自分の街の政治に関わり、偉大な人がいないことを嘆いたグリーンリーフの父、そして現代は、「自分が影響をもたらす組織がどんなことについての―ビジョンに対応しようする人が、あまりいないと思われる」というグリーンリーフ。グリーンリーフは、「多くの人が、今よりははるかに奉仕し合う社会を築いたり導いたりする能力や気力を持っている」とそのことを通じて充実した人生を送れると述べます。彼は高齢者が高齢者であるが故に世の中の役に立つことができることをエルマー・ディビスを参照しながら訴えかけ「人の役に立てる素晴らしい機会と考えて楽しみにし、その準備をすべきだ」と述べました。
・とはいえ、グリーンリーフはその準備を綿密な計画で立ててきたわけではありません。若いうちから人生の計画を立てることに関心の薄いグリーンリーフは、ある意味、成り行きに任せて人生を積み重ねていったと述べています。しかしながら「視野を広げ自己理解を深めてくれるさまざまなこと」に取り組んできたことで、彼が60歳になったときに「自分を役立てる準備はしっかり整えられて」いました。
・50歳でAT&Tのマネジメント研究センター長に任命され、「大会社のマネジメントに関して、どうすればトップの構造がうまく機能するか」を経営者に提言する役割を担ったグリーンリーフは、この人事を変人の自分に上司が戸惑ったからではないか、と冗談めかしつつも、この最後の10年間の職務が「老いに対する備えをするのに意義深いものとなった」と述べました。この組織での仕事では、官僚的な部下や周囲の理解を得られず苦労しましたが、それさえもグリーンリーフ自身が曖昧さを受け入れるための良い準備であったと思いだしています。
・グリーンリーフは、自らの人生を振り返ることについて「(前略)私が願っているのは、ほかの人たちが老いへの備えを、不確かなものに向き合う準備を、自分なりにしていこうと思うようになってくれることだ」と言います。そして、「そうした準備は、賢く行えば、有意義な老後を過ごすのに役立つだけではなく、私がそうだったように、準備している長い日々を豊かで楽しいものにしてくれるだろう」と付け加えました。
・グリーンリーフは準備を怠ってきた同僚が「手遅れだ」と嘆くのを見て、また彼が教えたビジネススクールの学生がグリーンリーフの真似人と研究の仕事に自分も就きたいということばに、体系化されたいないこのような仕事の遂行には周囲の深い信頼を得ることが必要であり、そうした信頼を得るには時間がかかることを自覚するようにと教えました。
・グリーンリーフは、彼が実施してきた準備について、それはあくまで彼に適応したものであり、人はそれぞれ「自分の進路は自分で決めなければならない」と訴えます。グリーンリーフの準備で重要なことは、じっくりと時間をかけて考えることと、多くの組織や人との出会いだと述べています。組織としては精神医学のメニンガー財団やアメリカ空軍、キリスト教会全国協議会、いくつもの大企業とその経営者。またAT&Tのキャリアの終わりごろから企業倫理規範への関心を高めたグリーンリーフは、宗教に強い関心を持ち、カトリック、ユダヤ、プロテスタントの神学者との交流から強い影響を受けました。わけても20世紀ユダヤ教の代表的神学者であるアブラハム・ヨシュア・ヘシェルとは個人的にも厚い友情による親交がありました。
(注)A.J.ヘシェル(1907年1月11日-1972年12月23日)、「サーバントリーダーシップ」(邦訳2008年)の第8章にグリーンリーフによるヘシェルの評伝が掲載されている。
・グリーンリーフは読書自体にはあまり重きを置かなかった(注)としながらも、その例外としてAT&Tの歴史を深く研究したことを挙げています。社の経営者にこの会社の持つ豊かな歴史に関心をもってもらい、どうすれば1984年の分割に始まる会社の衰退を防げたかと知ってもらいたいという思いからです。またもう一つの例外として宗教についての関心を高めたグリーンリーフは彼が生まれた時から所属していたキリスト友会(クエーカー)(注)の歴史についても多くの書物を読んだと述べています。
(注)実際のグリーンリーフはかなりの読書家であった。彼の著作、講演録を見ると聖書や古典を含めて、小説、詩、評論と多数の引用がなされている。
(注)キリスト友会は17世紀英国でジョージ・フォックスにより作られたプロテスタントの一派。初期の信徒が神秘体験により体を震わせていたので、クエーカー(震える人)とも呼ばれる。清廉を旨としている。
・グリーンリーフは彼が行った準備がそのままほかの人に役立つわけではないとしつつ、それぞれの人がそれぞれの準備を怠らないようにとアドバイスしています。自らの才能のみを恃(たの)み、人生の最後まで才能を活かすことにのみ注力することの危険性にも言及しています。成熟した人の準備とは、人生のはかなさを受け入れ、自らに訪れた状態を引き受け、その上で常に周囲の状況に注意を入らいつつ迅速に対処することだと述べています。そのことで周囲の変化と危険にさらされつつも心の安定が得られ、老いの中でも充実した人生を送ることができます。このことについて、グリーンリーフはパウル・ティリッヒの「生きる勇気」ということばで表しました。
(注)パウル・ティリッヒ(1986年8月20日-1965年10月22日)、20世紀を代表するドイツのプロテスタント神学者
・「人生のどの時期においても、サインは常にたくさんある」、「(それは)人生を豊かにする考えに、築かせてくれるサインである」とグリーンリーフは言います。そのサインは常に注意を払わないと気がつかないものであり、彼はこれに気がつくために瞑想が良いと述べて心の雑音を排除するようにアドバイスしていました。
・グリーンリーフは、43歳のときにエルマー・ディビスかから「今から老後に備えよ」というサインを聞き取り「彼こそ本物のサーバントだと思ってアドバイスに従った」と述べています。それから43年の人生経験を積んだグリーンリーフはそのサインの正しさを再認識し、また彼の父親や多くのサーバントから与えられたアドバイスを「魂という贈り物」として深く感謝しています。
(注)エルマー・ディビス(1890年1月13日-1958年5月18日)、米国のジャーナリスト、小説家
・そしてこの章の終盤を彼が少年時代にボーイスカウトで教わった「備えよ常に」という標語への感謝でつづっています。最後にはE.B.ホワイトの「これまでに見てきた美しいものの記憶があれば十分だ」ということばに感謝しつつ過去の記憶は常に自分とともにあり、新たな記憶を積み重ねる必要はないと静かに終えました。
(注)エルウィン・ブルックス・ホワイト(1899年7月11日-1985年10月1日)米国の作家
【参加者による討議】
・グリーンリーフはなぜ準備に着手することができたのか、そしてどのように準備をしてきたのだろうか?このあたりを議論したい。
・グリーンリーフは常にサインに対して耳を澄ませていたが、それは自分自身がこのままではだめになると感じていたからではないか。そして、サインを聞き取り、それが準備開始の動機となって、それまでの「成り行きに任せる」ところから働き方を変えていった。そのサインは、意識しているからこそ出会えた、誰もが得られるものではない、特別なものだったはず。だからこそ、40~60歳の間に意識的に研究を行い、60歳から次の仕事に入ることができたのではないか。
・グリーンリーフは40歳以後、AT&Tの中で、組織の機能が企業成長にどう貢献できるかを研究している。自社の歴史分析を集中してできる機会を活かし、マネジメントとリーダーシップの研究を行い、その研究成果を普遍的なものにしていったことが重要なのではないか。その意味で、50歳でマネジメント研究センター長になったことは大変大きなことだったと思う。
・グリーンリーフの死生観のようなものが準備に繋がっているのではないか。人生の最後に死に直面した時に、それを受け入れるための準備をどのようにしていくか、ということではないかと思う。グリーンリーフは、いずれ自分の肉体が自分の精神で制御できなくなる時が来ることを意識し、人生の儚さ(はかなさ)を受容する、いわば無常観のような思考を持っていたのではないだろうか。
・厚い信頼を得るためには長い年月がかかる、だからこそ準備が必要だと感じる。職人の世界におけるマニュアルがない中での技能伝承にも同様の側面があるように思う。
・グリーンリーフ自身が神から与えられた自分の使命に気が付いたのがまさにこの40歳の時ではないか。グリーンリーフは40歳で社会への奉仕が自分の使命だと気づき、60歳まで準備をして奉仕するリーダーを育成するための組織を立ち上げたということだと思う。自分がその使命を果たすために出来ることは人それぞれなのだろう。映画「ブルースブラザーズ」に、「自分たちが育った孤児院を救う」という使命に気づいた主人公は、自分たちがどうすればその使命を果たせるかを考えた結果、音楽しかないとの帰結に至るシーンがあるが、そのシーンを思い出した。
・グリーンリーフの説くところによれば「(老後は)魂を試される究極の場」ということだが、その理由あるいは、意味するところは何なのだろう。
・老後とは長い人生の最後に成果を出すべき時なのだと思う。実は人生の本番は60歳からであり、それまでの生き様が問われる時となる。このような「生きざまの答え合わせ」の時期だからこそ究極の場ということではないか。
・老後になって初めて魂を試されるということではなく、それまでずっと試され続けた後にある老後こそ究極の場ということではないかと考える。今は若い人にも、いずれ死が自分自身の目前に迫ってくる、気づくのが遅いと困るのは自分自身ということになる。その意味でこの言葉は若い人への警告とも読み取れるのではないか。
・人生のペースは人それぞれであり、また欧米で仕事をすると年齢をさほど意識しないのも事実である。自分としては40歳、60歳と紋切り型に年齢をあてはめることにはやや懐疑的だ。
・40歳はグリーンリーフが体験した年齢であり、一般論としてとらえる必要はないのではないと思う。重要なことは、老後はどんな人にでも来るということであり、それに向かってどうするのか、ということだと考える。
・サラリーマンとして生きていると、上司に言われたことに従って、自分のことすら考えない日々を過ごすことが多くなり、どうしても無計画で受け身、成り行き任せの状態になりがちだ。実際、グリーンリーフも40歳まではそうだったと言っている。この成り行き任せの人生から意識した人生への転換をしてきたかどうかを試されるのが老後だと考える。
・グリーンリーフは解脱(げだつ=煩悩からの脱出)ができている、自分もそういう人生を目指したい。
グリーンリーフが最後に“備えよ常に”という言葉を挙げているが、先ず自分が備えてこそのサーバントリーダーシップとあらためて感じた。
ロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントであれ 奉仕して導くリーダーのあり方」(英治出版)の第7回東京読書会は、2019年2月22日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミー(麹町)で開催予定です。