過去の活動報告

【開催報告】第8回 近代の優れたリーダーに学ぶSL研究会

開催日時:
2015年9月8日(火)19:00~21:15
場:
レアリゼアカデミー
ファシリテーター:広崎 仁一:
NPO法人 日本サーバント・リーダーシップ協会 理事

西岡は幼少の頃から植物に興味を持ち、1952年に大阪府立大学農学部に入学しました。
そこで彼の人生に決定的な影響を与えた中尾佐助氏に出会います。
1958年、中尾は日本人として初めてブータンに入国した折り、当時のドルジ首相から農業技術専門家の派遣依頼を受けます。
その中尾の目に留まった人物が「西北ネパール学術探検隊」のメンバーとして大活躍をした西岡でした。
ブータンで農業技術指導に当たるためには、まずブータンの生活にとけ込んで「あの人のいうことなら間違いない」と信頼される人でなければ務まりません。
西岡は性格が穏やかで思いやりがあり、謙虚で、誠実で、しかも努力家でした。
こうして1964年、西岡は(現JICA)コロンボプランの農業専門家として妻里子と一緒にブータンに派遣されることになりました。

ブータンでの一年目は農場試験場として、水はけの悪い60坪の土地しか与えられませんでした。
しかしそこでブータン人がこれまで見たことのない大きなダイコンを育て実績を残しました。
二年目は試験場を水はけの良い高台に移してもらい、面積も3倍になりました。
野菜の出来も順調でこれが大評判になり、農場には国会議員や知事を含め多くの見学者が訪れるようになりました。
その後当初の二年間の任期が大幅に延長され、国王(雷龍王3世)から一年目に提供された土地の約400倍となる広大な試験場用地を与えられました。
西岡は「ブータンに来て、これほど嬉しかったことはなかった」と語っています。
そしてこの時作られた「パロ農場」はブータン近代農場の聖地となります。

「パロ農場」で特に力を入れたのは、日本式の「並木植え」と呼ばれる稲作でした。
(ブータンではこれまで苗を乱雑に植えていましたが)このやり方ですと、風通しが良い上に、手押しの除草機が使えます。
しかしいくら日本のやり方を勧めても、耳を傾ける農民はいませんでした。
そのうちに日本式の田植えをしたいという農民が現われました。
西岡は祈るような気持ちで稲が成長するのを待ちました。
そしてその結果は40%の増収でした。
その後稲作のほとんどが並木植えに変わりました。

1972年7月、雷龍王3世は療養中のケニアで心臓発作のため45歳で崩御しました。
替わって皇太子のジグミ・シンゲ・ワンチュク殿下が16歳で第4代の国王に即位されました。
秋になり雷龍王4世は西岡を中央政府に呼び「西岡の農業技術で(極貧地域である)シェムガンの人々を救って欲しい」と懇願しました。
シェムガンは山と谷ばかりで平地がほとんどなく、昔ながらの焼き畑農業を行っていました。
収穫量が下がると人々は新しい土地に移住して、また森を焼き、畑を作りながら、何とか飢えをしのぐ生活を送っていました。

西岡は、焼き畑農業から棚田を作り稲作農業に切り替える計画を立てました。
しかしこの提案はあまりにも唐突すぎて人々の同意を得ることができませんでした。
西岡の粘り強い説得が続き、800回にも及ぶ話し合いを積み重ね、ようやく納得していただくことができました。
西岡は「身の丈に合った開発」を信念とし、パイプや竹を利用した水路や、ワイヤーロープ製の吊り橋、新しい道路等を作り開発にあたりました。
その結果わずか4年余りで、シェムガンには18万坪の水田が出来上がりました。
5万人を超える人々の生活も安定し、診療所や学校も出来ました。
西岡が村を離れる日、人々は涙を流してお礼を言いました。
「村はすっかり変わりました。西岡さんが初めに言った通りになりました」と。
このシェムガンでの成果は、日本の国際協力開発事業の最も成功した事例として伝説になっています。

1980年、西岡は長年の多大なるブータン農業への貢献が評価され、国王から「ダショー」の称号を授与されました。
外国人でこの爵位を受けたのは西岡が初めてでした。
1992年、ブータンでの滞在が28年を経過しようとしていました。
この間、60%であった食糧自給率は86%を超えるようになっていました。
将来のブータン農業を継ぐ人材も成長し、西岡は自分の役割が終わりつつあるのを感じ、還暦を前に日本に帰国する予定でいました。
ところが3月21日、突然「敗血症」のため、59歳で帰らぬ人になりました。
日本で訃報の連絡を受けた里子夫人は西岡の気持ちを図り、ブータンで葬式をすることにしました。
3月26日、葬儀は農業大臣が葬儀委員長を務める国葬となりました。
西岡を慕う人々が各地から弔問に訪れ、その数は5000人にも及びました。
ブータンを心から愛し、ブータンのために生きた「ダショー西岡」の最期に相応しい盛大で立派な葬儀となりました。

葬儀の後、里子夫人はパロ農場の西岡の事務所に行きました。
デスクのファイルに目をやると一通の電報がはさんでありました。
1月23日にシェムガンから打たれたものでした。
それには「私達はあなたが再び村を訪れてくれることを、心からお待ちしております。あなたが始めた開発の仕事は今実を結んでいます。ダショー西岡、私達は一生あなたを忘れません。あなたの献身的な働きがあったからこそ、今の私達があるのです」と書かれていました。

研究会に参加された方々の発表やアンケート結果からは以下のような意見が挙がってきました。
・西岡京冶の生き方には、サーバントリーダーシップの「5つのバリュー」と「10の特徴」の全てが含まれている。
・人間の可能性について改めて素晴らしいと感じた。一人の人間が多くの
人々に影響を与え、社会を変えることができるということに静かに感動した。
・自分も行動しサーバントリーダーシップという哲学を行動で示して行きたいと感じた。
・無私の心を持ち社会の役に立つことに全力で取り組まれた西岡さんの姿から学ぶことが多かった。
・大義や正しいビジョンに向かってサーバントリーダーシップを発揮したい。
・西岡京冶の功績は、国と国の外交問題、安全保障にも及ぶことを理解できた。
・「人道的大義」が粘り強さを生むということ、そしてフォロワーが現われてくることが分かった。
・サーバントリーダーが増えれば、世の中に良い感化を与え、社会が良くなり、社会的な問題も解決していくのではないかと思う。
・「自分の夢がみんなの夢になる」と言うのがサーバントリーダーシップの特徴だと思う。そしてそれが自分の経験の中で実現していたことを確認した。

次回は2016年3月を予定しています。