グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」は、グリーンリーフの諸作、専門雑誌などへの寄稿や講演録をその内容に沿って10の章に分け、1977年に出版されました。
その後、サーバントリーダーシップの概念を知る人が増え、これこそ現代において求められるリーダーシップ像である、という声が高まりました。
これを踏まえて、25周年記念版として2002年に再版されたのが、現在、私たちの手に入る「サーバントリーダーシップ」のグリーンリーフの著書です(日本語訳は2008年)。
再版された2002年はグリーンリーフがこの世を去ってから12年後であり、まさに時代がグリーンリーフに追いついてきたといえます。
本書の再刊に際して、コヴィーとセンゲがそれぞれまえがきとあとがきを寄稿しました。
コヴィーは、21世紀に入ったばかりの時代について、「市場とテクノロジーの劇的なグローバル化」と「時を超えた普遍の原理の力」がこの時代の象徴する「影響力」であり、サーバントリーダーシップこそ、その普遍の原理の姿である、と喝破しています。
そして、社会・経済のグローバル化や急速な変化に組織が遅れを取らないために、その成員に権限を与えて能力を高める(エンパワーメント)ことが必要であり、それを実現しうる人材がサーバントリーダーであると述べています。
コヴィーは、トップダウン・マネジメントが時代遅れとなり、これに代わって、「ストレンジ・アトラクター」、すなわちビジョンに引き寄せられて人々が一致団結し、共通目標に駆り立てられるようになると主張しています。
その中で、「ただ機能するリーダーシップ」と「持続するリーダーシップ」を区別し、後者には心の中の道徳律すなわち良心が宿り、サーバントリーダーシップこそが良心の体現であると力説しました。
コヴィーの話は道徳的権限に発展していきます。
これは生まれつき持っている力と選択の自由を、節度を持って使うことで湧出する普遍の原理であり、そうした普遍の原理に呼応した生き方をする人が人々の信頼を得ることができるとしています。
そして、
「道徳的権限とはサーバントリーダーシップの別名と言って良い、というのも道徳的権限とはリーダーとフォロワー(リーダーに従って動く人)が相互に行う選択のあらわれだからだ。
(中略、リーダーもフォロワーも)真実に従って(フォローして)いるからだ。
(中略、リーダーもフォロワーも普遍的な良心が支配する統一された価値体系の領域で)互いの信頼を次第に深めていく。
道徳的権限とは相互に高め合い、分かち合うものなのだ」
とコヴィーは寄稿の中で熱く語ります。
コヴィーの寄稿の前半を会読して、参加者の発言が始まりました。
・コヴィーが「信頼関係の薄い社風は、管理が極端に厳しくて建前だけに頼る上に、守りの姿勢に入っており、冷笑的で、内部競争が激しいことが特徴だ」と危機を訴えていることが印象に残った。
さらに「それでは人に権限を与えて能力を高めている<組織>に比べて、スピードや質、イノベーションのどれをとってもかなうまい」と続けている。
信頼関係の薄さが建前だけに頼る人物を生み出す。
建前に頼るとは、突き詰めると各自の主体性の欠如ということだ。
組織内の信頼関係の構築や強化のためには組織内に主体性を持った人材を作ることが重要と考えている。
・勤務先の工場でちょっとした機械の整備不良があった。
関係する複数の部署が自部署で整備費用を全部負担させられることを嫌ってか、相互に牽制しあって不具合を放置したために、整備費の10倍を超える損害を出してしまった。
多くの人が自分の任務の責任逃れを図り、最前線で頑張る人達の立場に立っていなかった。
・「冷笑する」というコヴィーのことばが痛みを伴って心に刺さった。
会社の中で他人の失敗に無意識の冷笑を浴びせかけることを散見する。
一人一人の態度を変えていかないと、信頼関係の構築もその先の組織改革も実現しない。
・一人一人の改善のためには、たとえば相手の目を見て挨拶をするといった
簡単なことを徹底させる。
そんな簡単なことがなかなかできない人もいたが、地道に続けていった。
そうした活動の継続があるとき一人一人に確実に作用して、意識変革が
できたことを経験している。
・所属の組織で「館長ゼミ」と称する責任者による集まりが長く続いている。
あるテーマで話をするのだが、メンバーの中には「またか」という雰囲気が出てくることがあるが、長く続けていくことで聞き手の意識が徐々に変化していく。
・カリスマ経営者が指揮する会社で小売店のオープンに関わったことがある。
極めて高い目標を掲げて優秀なスーパーバイザから厳しいトレーニングを課された。
トレーニング中に脱落する人も続出したが、残った人たちのきずなとチームワークを発揮しての集中力は素晴らしいものがあった。
「異なる世界」に到達する道筋がどういうものであるかを経験した。
・従業員の離職率はその会社にとって重要な指標だと思う。
表面的に厳しいかどうかということとは別に、本質的に従業員を大切にする構造があるかどうか、が問われている。
・担当職員からの報告を組織内で公開している。
facebookなどSNSの「いいね!」をまねて、良いと思った報告に周囲が
good pointを与える仕組みを作った。
周囲からのポジティブな評価を明示することで、担当者が自分から積極的に発信するようになってきた。
報告を受ける側も変化してきている。
・企業活動の最前線から一歩引いたところに身を置く人が傍観者となり冷笑的な態度をとることが多い。
担当者から上司への「報連相=ほうれんそう(報告、連絡、相談)を徹底することが重要」としばしばいわれているが、その裏に上司が部下を信頼しないという事実が隠れている。
報連相を部下に強制するのではなく、部下が自然に喜んで報連相する、「報連相される上司」となることが大切だと思う。
・官と民の両方の職場経験がある。民では少数の管理者が多数の部下を率いていた。
一人ずつの報告を待っていては情報の共有もままならない、管理者が部下全員に報告するという姿勢でコミュニケーションしていた。
一方で官はまさに報連相に基づく行動が規定されていて、個々人の仕事自体に対するモチベーションは全くといって良いほど不要な世界だったことを覚えている。
・マネジメントとリーダーシップの違い、人になぞらえればマネージャーと
リーダーの役割の違いを再度認識していく。
リーダーは「変革を起こす人」であり、ものごとの本質に迫っていかないといけない。
本質を見極める能力が必要になる。
・組織のトップに立つ人、マネージャーは自分がリーダーとして本質を見極める
任務、能力があると思いがちである。
過去にも紹介した日産自動車の場合、カルロス・ゴーンは正しい方向を見つける力は現場の衆知の中にあるという考えで、これを引き出す仕組み作りと維持に注力した。
己の能力を過信せず、サーバントとして尽くしてきたと言える。
・企業などの組織では、トップの交代に際して、その経営や運営の方法のみならず、その方法に込められた理念や精神が引き継がれるかどうかが重要なポイントになると感じた。
次回もスティーブン・R・コヴィーの「前書きに代えて」の後半を会読します。
9月25日(金)の 19:00~21:00に レアリゼアカデミーで開催します。