この章は、グリーンリーフが米国の詩人であるロバート・フロストの「指示」という詩に基づいて、サーバントリーダーシップの概念を語るという内容です。
この詩は、1874年に生まれ1963年に没したフロストが1946年に完成させた作品であり、彼の他の作品同様、米北部ニューイングランドの自然に培われつつ、自らの魂の昇華のあり方を顧みる詩です。
グリーンリーフがフロスト本人に詩の意味を問いかけたところ、フロストから「何度でも繰り返し読んでみてください。
詩の方から訴えかけてきますよ」との答を得るとともに、フロスト自身が詩を朗読してくれたそうです。
グリーンリーフにとって、それは「(前略)とても印象に残る読み方で、何が重要なことなのか、彼がどんなことを感じているのかがよくわかった」瞬間でした。
ヘルマン・ヘッセの「東方巡礼」(注)からサーバントリーダーシップのヒントを得たグリーンリーフにとって、この詩からも、リーダーシップの本質に関する多くの示唆を得たものと思われます。
(注)グリーンリーフはヘルマン・ヘッセの「東方巡礼」(高橋健二訳。日本ヘルマン・ヘッセ友の会研究会訳では「東方巡礼」(臨川書房))に触発されて、サーバントリーダーシップの概念を打ち立てた。本書第1章参照。
グリーンリーフはフロストの詩に込められた意味を読み解き、そしてリーダーシップの本質である硬質で純粋な世界を説いていきます。
フロストの詩、「指示」はつぎのように始まります。
もはや耐え難いものになった現状のすべてを離れて、
細部が忘れ去られ 単純化した時を遡ってゆくと、
日焼けしたり分解したり、風雨に晒された
墓地の大理石彫刻のように 崩壊した
もう家ではない家が そこにある、(後略)(飯田正志訳)
参加者による討議が手さぐりのように始まりました。
・多くの英雄の物語は旅に出て、自分が過去から保っていたものを失う一方で、新しいものを得るという構成になっている。
その道は自らが発見して切り開いたものである。
現代は、何かを得る How to ばかりが語られるが、他人の道は自分の道ではない。
水の清らかさは、そこに行った人にしか得られない。
・旅ということばには、一度、日常の世界や価値観から離れるという意味を
象徴しているように思う。
離れる、失うことを経て新しいものを得られる。
・つい先日の実体験の話である。
ある自分の友人は、昔は自分の感情をコントロールできなかった。
その後、いろいろな経験を経て、今は大変厳しい状況にも冷静に対処して、その状況にある自分を客観視できていた。
いろいろな経験の中で、何かを手放し、何かを得たのだろう。
当時は想像もつかないことだったが、いろいろな経験を経ることで人は
変われるということを実感した。
フロストの「指示」は、続きます。
(前略)内心道に迷わしてやろうとしか 思っていないようなある案内人に
指示させるなら、そこを通る路は かつて
石切り場でも あったように思えようが――
そこの路、昔の街が覆い隠すようなふりなど とっくに
なくしてしまった 巨大な一枚岩の膝の部分なんだ。(後略)
・「内心道に迷わせてやろうとしか思っていないようなある案内人」について、グリーンリーフがイエス・キリストをその代表例に挙げている。
キリスト教批判のようにすら読める。
この記述を欧米でもキリスト教批判と解釈する人がいるのではないだろうか。
・イエス・キリストの人々の話が、内側にいる人にはよくわかる話で、
外側の人にはたとえ話として聞こえた、という説明に空海の密教にも
通じるものを感じる。
悟りは仏と自分が一致することで得られるが、密教では
「身(しん)、口(く)、意(い)」と表される三密の修行によって得られるとされている。
密教に対峙する概念である顕教では、言語を通じた理解を求める。
いわばティーチングである。
身口意は、相手、すなわち修行者から引き出す、いわばコーチングである。
・キャリア・カウンセリングでは、相談者から「思い」を引き出さないといけない。
宗教も同様の役割を持っていると思う。
・日本では古来、剱岳の修験者などが多くいたが、言語を媒介にしない悟り
というものが当然であった。
経典なども部分的にサンスクリット語の音をそのまま当てはめて受け入れている。
言葉による理解を超えた理解が得られる世界である。
・「宇宙との一体化」という考え方も「宇宙が自分と一体化する」のと
「自分が宇宙と一体化する」のでは、ずいぶんと意味が異なるように思う。
宇宙を主語として自分を空(くう)に、すなわち客体化して一致できるか
どうか、だ。
・宮大工の西岡常一が作った寺社は、1000年保つといわれている。
彼自身は、1000年の間、土と一緒にあったものは、切り離しても1000年保つと説いている。
これは彼自身が1000年前のことを、無意識の内に知覚することができるからだろう。
フロストの詩は、読み手ひとりひとりに、自立と確信の重要性を訴えかけてきます。
今までに 君が迷った挙句 やっと自分の路を見つけたなら、
自分の後ろに梯子路を引っ張り込んで
私以外には、全ての人に「通行止め」の札を出すことだ。(後略)
・禅は型に厳しいが、それは形を模倣することが目的ではなく、それぞれの所作を
見つけることに本当の目的がある。
ほんものの所作にはその人の確信が込められている。
フロストの詩はこのことに通じるものがある。
・日本の企業社会は、ビジネスの名を借りて、働く人を自分の都合の良いように
洗脳している面がある。
一人一人が思想に確信を持ち自信を持って行動することとは真逆のものに
なっている。
・現代は自分の利益確保に熱心で、ときに名声すらも「買う」ことで得よう
とする動きがある。利益も自分の尺度で測っていない。
・宗教の本質は捨てることにあり、この行動がリーダーシップの源泉であると思う。
サーバントは目前の利益を自分に向けることはない。
より高次のレイヤーで人を導くことを考えている。
・サーバントリーダーシップは広い意味でのライフラインを守ることを誇りとするリーダーシップであるように思う。
・レジリエンスという言葉が一般化してきたが、変化できることの強さもリーダーシップの重要な要素である。
その背後に確信があって、ここは不変であることが前提になる。
ロバート・フロストの「指示」という詩と、グリーンリーフがその詩から受けたインスピレーションとメッセージに迫ろうと参加者はそれぞれが何度も読み返し、自問した結果を参加者同士の議論に委ねていきました。
次回の読書会は、6月26日(金) 19:00~21:00 レアリゼアカデミーでの開催を予定しています。
グリーンリーフによる「追記」と「学習する組織」などの著書で知られるピーター・M・センゲが本書に寄稿した「終わりに」の前半を会読します。
センゲが読み解くグリーンリーフからいろいろな示唆を得られることを期待しています。