グリーンリーフはフロスト本人に詩の意味を問いかけたところ、フロストから「何度でも繰り返し読んでみてください。
詩の方から訴えかけてきますよ」との答を得るとともに、フロスト自身によって詩を読んでくれたそうです。
グリーンリーフにとって、それは「(前略)とても印象に残る読み方で、何が重要なことなのか、彼がどんなことを感じているのかがよくわかった」瞬間でした。
グリーンリーフは次のように語ります。
「この詩を繰り返し読んで、どんなことを思い浮かべるかは人それぞれだ。自分が準備段階にある何かや、受け入れ態勢が整っている何かを思い浮かべたりするのだろう。」
「気づきは、何か重要で心をかき乱されるようなものが自分とその象徴との間で発達するままに任せ、求めることによってではなく、じっと待つことによって現れてくる。」
「象徴の力は、意義深い新たな意味の流れをいかに継続できるかによって測られる」
そして、
「人はみな障害にぶつかりながら成長していく。新しく開かれた道は、仲間の探訪者が残してくれた記述の中に見つかるかもしれない。こうした共有の精神から、「指示」を読んで私が考えたことを述べてみたい」とグリーンリーフはフロストの詩に込められた意味を読み解いていきました。
最初に読書会の参加者一同でこの章を通読したときは、参加者に疑問やとまどいの表情がありました。
詩も解説も難解なものですが、この険しい道に挑戦しつつ、解読後の意見交換に入ります。
・難解な詩である。何かを探すプロセスを描いたように思えるが、「指示」というタイトルをつけた意図がまだわからない。何等かの象徴であろうか。
・今、解読した結果で感じたことと、後日、読み返したところで異なる感想になりそうだ。
だからこそ、詩に「指示」という表題がついているのかもしれない。
リーダーが持つ「つらさ」の一面なのか。
・グリーンリーフの主張も全体的にちょっと理解できない点がある。
サーバントリーダーという役割、あるいは広くリーダーシップというのは
集団の中での営みであり機能だと思うが、この論文では個人がその個人の中に入っていく精神活動を勧めている。
どういうことだろうか。
・米国の神話学者であるジョセフ・キャンベル(注)は、多くの神話の中で、英雄は非日常の世界に旅立ち、その世界でのイニシエーション
(成員として認められること)を経て、元の世界に戻るという構造を示しているが、この詩はそれと同じ型をもつようにも思われる。
(注)1904-1987年。著書に「千の顔を持つ英雄」(訳書、人文書院)、「神の仮面」(訳書、青土社)など。
フロストの「指示」という詩は、読み手を荒涼とした世界に誘い込むように始まります。
もはや耐え難いものになった現状のすべてを離れて、
細部が忘れ去られ
単純化した時を遡ってゆくと、
日焼けしたり分解したり、風雨に晒された
墓地の大理石彫刻のように 崩壊した
もう家ではない家が そこにある、(後略)
(飯田正志訳)
・詩の冒頭の「耐え難い現場」に、現実の世の中の本質が劣化していること、われわれが現在はフィクションの世界の上に立っていることを示しているように思われる。
「内心迷わしてやろうと思っている案内人」が登場するのは、自分の中にあるダークな部分を明らかにしたということではないだろうか。
・「気づき(アウェアネス)」と「象徴」が合わせ鏡のように重要なことばとなっている。
ラスコー壁画は、それを描いた先人が宇宙と結びつくという感覚に気づき、絵は原始的な宗教心の象徴としている。これらの意味は重そうだ。
・宇宙に結びつくということについて、単に、人と宇宙が接触するような合わせ方を意味していないだろう。
接触面を合わせるという結合の概念を超えたところでの両者のリンクを意味していると思う。
中村天風(注1)が「心身の統一」を提唱し、前述のジョセフ・キャンベルは生きづらい環境の中での変化が人を高みに到達させる道であると説いた。
宮大工として有名な西岡常一(つねかず)氏(注2)の千年は保つといわれた奈良の寺院再建に注いだ超人的な技術の体得もそうした経験から得られたものであろう。
それらの偉大な先人には、あるがままを受け入れる「達観」がある。
(注1)思想家、日本初のヨガ行者。1876-1968年。著書に「運命を拓く」(講談社文庫)、「君に成功を贈る」(日本経営合理化協会出版局)など。
(注2)宮大工。法隆寺の修復や薬師寺金堂の再建を手がける。著書に「木に学べ」(新潮文庫)など。
フロストの「指示」は何者かを象徴するように続きます。
(前略)内心道に迷わしてやろうとしか 思っていないようなある案内人に
指示させるなら、そこを通る路は かつて
石切り場でも あったように思えようが――
そこの路、昔の街が覆い隠すようなふりなど とっくに/なくしてしまった
巨大な一枚岩の膝の部分なんだ。(中略)
今までに 君が迷った挙句 やっと自分の路を見つけたなら、
自分の後ろに梯子路を引っ張り込んで
私以外には、全ての人に「通行止め」の札を出すことだ。(後略)
・詩の中盤から後半にかけてであるが、家を儚い(はかない)ものの象徴として、一方で、永遠の象徴として水や小川を対比させている。
小川には崇高なイメージがあり、一方で振り返るとくだらないものがあるが、その中に真実が隠されている。
・フロストの詩とこれを解説するグリーンリーフは、ともに周囲に安易に影響されない強い自立を求めている。
4月に入り、会社には新卒を含む新人が多数入社した。
会社は入社式の訓示で彼ら彼女らにそれぞれの自立を求めながら、職場では
「空気を読め」という二重規範を押しつけている。
自分等もそうだったかもしれない。
彼らはこれからどうやって折り合いをつけていくのだろうか。
・巷には多くのビジネス書が氾濫している。
かつてそこに書かれた多くのことを試してみたが、全然うまくいかなかった。
安易な他人の物まねではだめだと理解した。
今は古典に真髄を見出すように心がけている。
・多くのビジネス書ではリーダーシップについて人間関係のあり方に限定している。
特に他人を承認すること、自分がいかに承認されることが説かれていることが多い。
グリーンリーフにおけるリーダーシップは単にそこにとどまらず、「真実」の追求という意味が込められている。
真のリーダーは、安易に周囲の承認を求めない、あるいは承認されることを目的としないということを説いているように思う。
・他人が通った道は自分の道ではない。
個人の経験をすべての他人に当てはめようとすることも間違い。
過去の多くの偉大な経営者のように、肝の据わった自分自身の人生観、死生観を持ちたいと思う。
自分は、西行の「願わくは花の下にて春死なむ、その如月(きさらぎ)の望月のころ(注)」という歌に込められた彼の死生観にひかれている。
(注)西行の家集(王朝和歌における個人の歌集)である「山家集」に収録。西行の死の10年ほど前の作品と言われている。
ロバート・フロストの「指示」という詩と、グリーンリーフがその詩から受けたインスピレーションとメッセージに迫ろうと参加者はそれぞれが何度も読み返し、自問した結果を参加者同士の議論に委ねていきました。
次回の読書会は、再度、第11章「心の旅」の会読を行います。
新しい参加者の意見とともに、今回参加した方から深化した意見を頂けるように期待しています。
5月22日(金) 19:00~21:00 レアリゼアカデミーでの開催を予定しています。