まず新渡戸に影響を与えた人物として札幌農学校初代教頭のウィリアム・クラーク博士が挙げられます。
わずか8ヶ月の滞在期間に聖書に基づく道徳教育・幅広いリベラルアーツ教育・日常生活を通して、クラーク博士が学生達に与えた感化は直接指導にあたった第一期生のみにとどまらず、新渡戸ら二期生にも計り知れない程大きな影響を与えました。
入学早々に第一期生から「イエスを信ずる者の誓約」に署名を求められ、翌年には洗礼を受けた新渡戸でしたが、その後煩悶の日々を送る中で、イギリスの思想家トーマス・カーライルの著書『衣服哲学』に出会い、心の安らぎを得ることができました。
この『衣服哲学』は彼の生涯に亘る愛読書となりましたが、この本の中でカーライルは、クエーカー(キリスト教の一派)の創始者ジョージ・フォックスを心から賞賛しています。
フォックスは、全ての人の心に「内なる光(神の種)」が宿っているという信仰に立っていますが、このフォックスとの出会いは新渡戸にとって決定的なものになりました。
1884年にアメリカに留学した新渡戸は、翌々年に日本人クエーカーの第一号となりました。
また影響力を与え合った二期生の親友に内村鑑三がいます。
彼も新渡戸と同時期に(クラーク博士が卒業した)アマースト大学で学びました。
1906年に旧制第一高等学校の校長に就任した新渡戸は倫理講義を行い、科外講義では「衣服哲学」や「リンカーン伝」などの講義を行い一高生は新渡戸に心酔していくようになりました。
また別途に「読書会」も開かれるようになり、メンバーたちはキリスト教にも関心を示すようになりました。
新渡戸は一高ではキリスト教の講義はせず、その代わり読書会のメンバーを、聖書の研究に専念していた内村鑑三のところを紹介しました。
内村の門を叩いた20数名の一高生は内村から計り知れない程の大きな感化を受け、後の日本の教育界に大きな影響を及ぼす人材を輩出することになりました。
その中に、戦後初の東大総長である南原繁、南原に続いて東大総長を務めた矢内原忠雄がいました。
南原は新渡戸先生から「Not to do, but to be」⇒「何をなす」の前に、「何であらねばならぬか」を考える、まずは今日の一番近い義務を果たすことの大切さ、を学んだと言いました。
また矢内原は新渡戸に「先生の信仰と内村先生の信仰とではどこが違うのでしょうか」と尋ねた時、新渡戸は「内村君の信仰は正門から入った信仰だ(オーソドックスな福音主義の信仰)。私の信仰は横の門から入った信仰だ。横の門というのは悲しみ(悲しむ者と共に悲しむ)ということだ」と答えました。
また矢内原は「内村先生から“神”を学び、新渡戸先生から“人”を学んだ」と言いました。
その他に、新渡戸が敬愛していたアブラハム・リンカーン、東京医療生活協同組合中野総合病院設立のために協働した賀川豊彦、元台湾総督で「武士道解題」の著者でもある李登輝を紹介しました。
そして新渡戸から影響を受けた最後の人物として、元資生堂社長の池田守男氏を紹介しました。
池田氏は資生堂入社後「生涯一秘書」として「サービス・アンド・サクリファイス」(奉仕と献身)を信条として歴代の社長に仕えてきました。
2001年に当時の会長と社長から「次の社長を君に任せたい」と指名を受けた時、「少し考えさせていただきたい」と答え、その場を外しました。
しばらくして「Be just and fear not」(正しくあれ、恐れるな)の新渡戸稲造の言葉が頭をよぎり、「これは天命なのだ。よし、引き受けようじゃないか」と腹が固まったと言います。
そう決心すると、社長という役割がこれまでとは違うイメージで捉えられるようになりました。
そして店頭基点の「逆ピラミッド型組織」の発想で一番下から社員たちを支えるサーバントとしての役割に徹しました。
参考図書として、クエーカー教徒であったロバート・K・グリーンリーフの著書「サーバント リーダーシップ」から「道徳的権限(Moral Authority)」についても学びました。
道徳的権限又は良心とはサーバントリーダーシップの別名でもあり、その本質は「犠牲」で、それは「自分自身や自分のエゴを犠牲にしてまでも、より高い目的や大義・原理を目指すこと」であることも理解できました。
この研究会を通して見えてきたのは、新渡戸は「サーバントリーダーの10の特徴」の一つである深い「共感」ができる人であり、悲しみを共に負い、泣くものと共に泣くことが出来る人であるということでした。
そして影響力・感化力はどこから生まれるのか、他者に対して喜んで犠牲を払える源泉は何なのか、についても話し合いの時が持たれ「犠牲を伴った愛に触れる体験」から来るのではないかという推察に及びました。
次回は8月3日を予定しています。