前回から始まったロバート・K・グリーンリーフ著「サーバントリーダシップ」(日本語版、金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の第三期第2回の読書会は、第1章「リーダーとしてのサーバント」の冒頭部分を会読しました。
この章はグリーンリーフによるサーバントリーダーシップについての最初の著作「Servant as a Leader」がそのまま収録されています。原著は1969年に小冊子として発行されました。小冊子として現在でも米国で流通し、わが国でもネット書店などで手に入れることができます。グリーンリーフの著作は、専門誌への投稿論文などが中心で、書籍となっているものも最初は小冊子として出版されたものばかりです。後年になって、それらを整理再編した本が刊行され、その代表作が本書です。この本は、グリーンリーフのサーバントリーダーシップに関する集大成ともいえるもので、その本の第1章に掲げられていることからも、この最初の小冊子、つまり本章がグリーンリーフがサーバントリーダーシップを唱えた嚆矢(こうし)であるだけではなく、彼のサーバントリーダー理論の根幹をなすものです。
【会読内容】
・冒頭で、「サーバントとリーダー - このふたつの役割を、実在するひとりの人間が併せもつことができるだろうか。その人間がどんな地位にあっても、また、どんな職種に就いていてもそれはかのうか。もし、できるとしたら、その人は現実の世界で、実り多い人生を送れるだろうか」と問いかけたグリーンリーフは、「今のところ、私の直感はどちらの問いに対してもそれはあり得ると答えている」と言明しました。グリーンリーフはこの章でその理由を述べると書いていますが、彼のサーバントリーダーシップ論とは、すべてにわたってこの問いに対する思索であり回答ともいえるものです。
・リーダーとしてのサーバント、すなわちサーバントリーダーシップの発想について、グリーンリーフはヘルマン・ヘッセの「東方巡礼」を読んで得たものだ、と述べています。
・1932年に書かれたヘッセのこの作品は、彼の複雑な内的思考が描かれ、その意図について多数の見解がありますが、グリーンリーフは、この小説から「優れたリーダーは、まずサーバントと見なされる」というインスピレーションを得ました。そのインスピレーションを10年余り自分の中に温めていたグリーンリーフは、1960年代後半、米国が「リーダーシップの危機」を迎えていた時期に、彼の考えを小冊子として世に問いました。これが本書にこの章として掲載されています。
・グリーンリーフは、本書を出版した時代(1960年代後半)について、「現代は緊張状態が続き、抗争に満ちているが、私は今の時代に期待している」と述べつつ、「(フォロワーである)彼らが自らの意志で応ずるのは、サーバントであると証明され、信頼されていることを根拠に選ばれた人に対してだけ」であるとして、リーダー自身がフォロワーから選ばれる時代が到来したと説いています。
・「伝統から離れて自立しようという英断を下し、不正や偽善に対して断固とした態度をとる人の大半が、より良い社会を積極的に築く人間になることは難しいと感じている」というグリーンリーフは、「社会が崩壊に瀕しているから、社会の中心を避け、“システム”との関わりを最小限に抑えるような、牧歌的な存在」とか「組織を完全に壊し、完璧な組織が新しく育つようにしよう」という考えとサーバントリーダーの概念は対照的な存在にあるとしています。
・良き社会のビルダー(創設者)が求められる中、グリーンリーフは、世の中の事象に対して過度に分析的であることや、すぐに成果が出ることばかり取り組むようになった20世紀後半の社会の潮流に対しても批判的な意見を述べています。こうした姿勢が社会や組織に対する批判ばかりを呼び起こし、「自分に何ができるか」ということをあまり考えなくなるというのが彼の懸念となっています。「分析者の意見ばかり聞いて、芸術家の話に耳をかがむけないのは危険なことだ」と述べるグリーンリーフは、アルベール・カミュ(注)の「危険なほど創造力働かせよ」という講義録に読者の注意を向けます。
(注)1913年11月17日‐1960年1月4日。フランスの小説家、哲学者。主要作品に「異邦人」や 「ペスト」など。1957年ノーベル文学賞受賞。
・「人は置かれた状況を苦しみも喜びもひっくるめて受け入れ、大胆で創造的な活動の中で人格の礎を築きながら、自らの不完全さに取り組むことを求められている」「創造的な潜在能力を備えた人間にとって、全人格を形成するにはその能力を使うほかない」というグリーンリーフは、サーバントとリーダーが相互に矛盾する概念であるが故に、サーバントリーダーを危険な創造物であると主張しました。
・リーダーとしてのサーバントの考え方がグリーンリーフの直感によるものであること、サーバントとリーダーのような矛盾した状況が社会にも多く見受けられる中で、サーバントとリーダーの両立の可能性と実現について述べていくと強い決意が示されました。
・グリーンリーフは、そのサーバントとリーダーの両立が可能であること証しするための論点それぞれに、小見出しをつけて著述を続けていきます。
[サーバント・リーダーとは誰か]
・グリーンリーフは「サーバント・リーダーとはそもそもサーバントである」として、「そうした人物は、そもそもリーダーである人、並々ならぬ権力への執着があり、物欲を満足させる必要がある人とはまったく異なっている」と述べています。
・彼の説くサーバントリーダーシップが、組織の中で管理者やマネジメント職として選ばれた人は部下に対してどのように振る舞えば良いか、といった表層的な人間関係論や処世術の類ではないことがわかります。
[すべては個人のイニシアティブから始まる]
・グリーンリーフは「リーダーにはインスピレーション以上のものが要求される。(中略)先頭に立ってアイデアや構想を示し、成功するチャンスだけでなく、失敗するリスクを引き受ける」とリーダー自身の強い自立と自主性を求めています。
[あなたは何をしようとしているのか]
・「リーダーは目標を把握し(中略)人に対して説明できる(中略)自分では目標達成が困難と思われている人たちにも確信を与える」ことができるとリーダーの性質を説き起こしつつ、「目標を示す人は信頼を得なければならない(中略)というのも、従う側も、リーダーとともにリスクを負わねばならないからだ」とその責任の重さに言及しています。
・また、「夢がなければ、大きなことは起こらない。(中略)偉大な成功の背後には、偉大な夢を見ている人が必ず存在する」とも述べています。計算が先に立つことが多い現代の組織運営に耳の痛い話です。
[耳をすまし、理解すること]
・グリーンリーフは「生まれながらの真のサーバントだけが、まず耳を傾けることによって問題に対処すると、私は考えている。ある人がリーダーであるとき、こうした性質があれば、その人はそもそもサーバントだと見なされる」と大規模組織で3か月間、テレビやラジオなどのが外部情報を遮断し、組織の内部のコミュニケーションに専念したリーダーの逸話を引用しながら述べています。
・彼は、真のサーバントの性質を持つ人の傾聴力に言及し、これを持つリーダーはサーバントである、と定義しています。そして他者に仕えるサーバントを最も価値ある人としています。サーバントとしての振る舞いが、単に処世術ではないことを強く訴えています。
[言語と想像力]
・一転して、「リーダー(教師、コーチ、経営者も含めて)には、聞き手が想像力を働かせ、言語上の概念と聞き手自身の経験を結びつけられるようにする能力が必要だ」と、リーダーのスキルを説いています。
・そして、カルト集団とは自分たちだけの言語世界にとどまってしまう組織であると警告した上で、「誰から見ても有能なリーダーが、こうした閉ざされた言語の世界に囚われ、導く能力を失ってしまうのは大きな悲劇である」と述べました。これがアンチ・リーダーシップ時代が映し出すもう一つの姿です。
[一歩下がる – 自分に最適な条件を見つけること]
・「リーダーシップを取りたいと思う人(サーバントか、非サーバントかは別にして)」について、「プレッシャーを好むタイプ(中略)緊張する場面で最高の結果を出す」人と、これを嫌い「プレッシャーがあるとうまくやれないが、リーダーシップをとりたいので、その機会を得るためならプレッシャーにも堪えようとする人」がいると若干の皮肉を込めつつ、「一歩下がる」ことの重要性を説いています。
・行動の優先順位をつけるため、そして「自分の才能を有効に使うため」に自身を客観視することを推奨しつている。だが、ここでグリーンリーフが説くのは、「サーバント・リーダーは常に自問すべきである。「どうしたら、最良の奉仕ができるだろうか」というものである。サーバントリーダーが自分を客観視するのは他者に奉仕する自分を見極めるためのものです。
[受容と共感]
・「サーバントはどんなときでも受け入れ、共感し、決して拒絶しない」と、サーバントリーダーの条件が説明されます。グリーンリーフは、この性質を「リーダーの持っている、フォロワーへの興味や愛情 – それを純粋に持っていることこそ、本当の意味で偉大だというしるしだが – は、明らかにフォロワーには‘見合う値打ちがない’何かである。(中略)人を受け入れるためには、その欠点を寛容に受け入れなければならない。相手が完全な人間なら、誰にでも導ける(中略)しかし完璧な人間などいない」と親友である詩人のロバート・フロスト(注)の詩「雇人の死」の一部を引用しながら、かれの主張を展開しています。
(注)1874年3月26日~1963年1月29日。20世紀前半の米国を代表する詩人。
・そればかりか「能力がある人は、欠点だらけの人間たちとともに働くことも、彼らを使うこともできないため、リーダーの資格がないと言えるのだ」と有能な人がリーダーとなるのだ、という私たちの常識をばっさり切っています。「人間は、自分を導く人が共感してくれ、あるがままに受け入れてくれると一回り大きくなる。たとえ、能力の点からはやり方を批判されても。この考えに基づいて、自分と歩むものを全面的に受け入れるリーダーは必ず信頼されるだろう。」とグリーンリーフはサーバントリーダーシップ論を展開していきます。
【参加者による討議】
・今回の会読部分を整理してみた。自分なりに疑問なのは、本質的なサーバントリーダーの資質は先天的なものなのか、あるいは組織の中でサーバントリーダーの素養が必要と思ったときに、自己トレーニングで習得可能なのかという点である。
・ある人を周囲がサーバントリーダーかどうかと判定するのは、その人の行動様式に基づいて評価した結果であり、内面の真実までたどり着けないことがほとんどだ。本質的なサーバントリーダーかどうかということが、そもそもというか本質的に認識できないことなのかもしれない。
・サーバントリーダーの資質には先天的なものと後天的なものの両方があると思う。サーバントリーダーということば自体が、サーバントとリーダーという普通の感覚では、相反する、もっと言えば両サイドの立場のものを並べたものである。
・サーバントとリーダーという意味が相反する単語が並んでひとつのことばになっていることを無批判に受け入れるのではなく、サーバントとは何か、リーダーとは何か、という点を突き詰めていくことが大切だろう。
・仏教、特に空海の真言密教では、人はその仏性を磨くことでやがて仏(ほとけ)になれると説いている
物性を磨くことの一つの方向は仏を信じるかどうかという点で、これは自分の中に深く掘り込まれる世界である。一方で、本当のリーダーシップは、社会の各方面に関わるとことであり、自分の外に向かって大きく広がる世界である。サーバントリーダーは自分の内側と外側の両面に結びつきを持つことになる。容易に定義づけや理解ができない世界でもある。
・グリーンリーフは「サーバント志望の、サーバンドではない人間でも、聞くことを学ぶという過酷な訓練、あらゆる問題への対応は、まず聞くことだという態度ができるまで訓練を積めば、生まれながらのサーバントと同道になれるかもしれない(本書59ページ)」とも書いている。自然にサーバントとして振舞える人だけがサーバントになるという考え方に逃げ込まないことが肝要だ。
・自分の職場に昔ながらの親分肌の人がリーダーになっている組織がある。部下に対する態度は、今の時代だとハラスメントといわれかねないと思うのだが、不思議と組織はまとまってうまく運営されている。こうした昔気質のリーダーとサーバント型リーダーの比較を丹念に行っていると、人当たりが柔らかいから良いといった単純な問題ではないことがわかる。
・「耳をすまし、理解すること」の箇所を読みながら思い出したこと。自分には4歳と2歳になる娘がいる。二人ともまだ幼く大人のレベルの会話ができないのは当然だが、それぞれに主張がある。ことに2歳の子は、まだ語彙が不足しているので、口をついて出ることばと本人の意図がまったく異なることがある。しっかり向き合って丹念に聞き出していくことが大切だと毎日自分に言い聞かせている。
・今の話に通じるところがあるが、最近、ケアについて単に弱者保護といった視点以外の見方が出ている。幼児もそうだが病人、老人などの弱者との関係のあり方について、単なる保護ではなく、そこに対等の関係と敬意があるかどうか。ケアということばには、もともとそうした要素がある。
・自分は資格を取得してコーチングを行っている。コーチングの目的は、クライアントが自分自身の中にありながら、まだ自分で気が付いていない潜在的な可能性をクライアント自身が引き出せるようにすることにある。コーチとクライアントの信頼関係がなければできないことで、傾聴を起点にそれを築いていく。
・今回の会読を通じて自分の頭の中を巡ったことであるが、最近、組織の課長職にストレングスファインダーを実践してもらっている。コーチングの方法論を用いて自分や自組織の強みを発見する手法である。これによって潜在的な重要課題などに気づき、戦略性が高い組織方針の設定や組織運営の自走ができるようになってきた。
・すべては相手に興味を持つことが重要。管理職が相談に来るメンバーの人間性や価値観に興味を持ち、その視点にそって仕事の相談にも乗る。こうすることで相手にもそのことが自然に伝わる。
・現実の問題として一人のリーダーが周囲にどこまで奉仕できるのかという課題認識がある。自分の所属組織では部長は直下の部下である課長としか話をしない。組織目標は上から与えられるだけだ。部下のことを理解して話を聞いてくれる上司、こんな人が現実にいるのだろうかという思いをいつも抱いている。一人一人の仕事量も多く、部員が自主的に勉強、自己啓発によって能力を伸長したいという希望もかなえられず、やがて意欲も喪失していく。
・会社の経営の一翼を担いつつ、地元の青年会議所(JC)で活動を行っている。青年会議所は参加者がヨコの関係で対等である。組織運営にはどうしても指示を出す人が必要となるが、ヨコ関係のこの組織では、所属が長い人がその役割を担うことが多い。ただし、各自が仕事以外の時間を使っていることもあって疲弊感、組織としての先細りも感じることがある。その中で考えるのは、人が横並びの組織でのリーダーをどうするかということ。会社組織では人を横並びにしてというのは現実的に無理。タテのヒエラルキー構造にならざるを得ない。
・こうやっていろいろ議論していく中で、周囲にサーバントということを感じさえないリーダーこそサーバントリーダーの素養があるのではないかと思った。これから自分をどのように作っていくのかが課題だとおもっている。
・大学で経営組織論を勉強している。サーバントリーダーシップという考え方は、従業員が一つの組織に固執しない米国の企業には有効だろうが、長期雇用を前提として従業員が会社を運命共同体と認識している日本企業にはどうなのだろうか。会社勤めの実践経験がないので、推察なのだが。
・日本企業の特徴といわれる終身雇用や年功賃金も昭和前期の戦争に負けたあとの復興に向けて採られた企業運営の姿であり、当時としての生産性向上策であり、普遍的なものかどうかはわからない。それよりも組織を最も良い方向に導くのに、どのようなリーダーシップが良いのかを組織の特性を超えて考えていくことが大切だろう。少数の優秀者が必死に考えて方針を決めるのか、広く意見を募っていくのか、物理や化学の実験のようには検証できない、腰を据えてしっかり考えていくことが重要になってくる。
第三期第3回(通算第99回)の読書会は、5月24日(金) 19:00~21:00、レアリゼアカデミーで開催予定です。