「第4章 企業におけるサーバント・リーダーシップ」の228ページから234ページ3行目まで話し合いを行いました。
筆者は、「これから数年のうちにサーバント・リーダーシップが社会で多大な影響力を及ぼすのは、まずビジネスの現場ではないか」と語っています。そして「企業は優れた製品やサービスを提供するだけでなく、組織として、より優れた社会的資産となることを求められている」のだと。
ここで、メンバーから「企業は何のために存在するのか?社会の役に立たなければ存在価値はないのではないか」との意見が挙がりました。また「ビジネスの世界には、高潔さというオーラに包まれた弱肉強食の掟がもたらされた」という文章の意味をめぐって議論が交わされました。
「高潔さ」とは、英語でいうインテグリティであり、このインティグリティという言葉をさらに詳しく述べると「誰も見ていなくても正しいことをする」。つまり「お天道様は見ているよ」という姿勢のことなのだと。
そして次に出てくる「弱肉強食」について、勝ち残りの尺度は何なのか?企業やサービスが役に立つかどうかを判断する材料は当時と今とでは異なる。その中でより自分のニーズを満たせる時間が限られている。だから競争自体はわるいことではないのではないか、といった意見も出ました。
また「良心を律しようとする個人の意欲を減少させないため、どんな行動も法律によって制限されるべきではない」「自発的な倫理観と、法的な規制は両立しない」と太字で強調した一節については、法律さえ守っていればそれでいいという考えを批判したものだと思いますが、最近注目されている内発的動機づけに重なる考えだとの意見もありました。
さらに「人こそが組織なのだ!」との一文から「良い会社」とはどんな会社なのか、という話題になり、「そこで働いている人たちがよい人たちだったら、その会社はよい会社ではないだろうか」との某氏の意見に多くのメンバ―が納得。
最後に文章に出てくる「操る」という言葉は、「サーバント」とは対称的な感じがして違和感を覚えましたが、筆者はきっとこういうことを言いたかったのではと語ったメンバーの意見は下記の通りです。
・「操る」とは教育的な面でいえば、「適材適所」。人の適性、能力を見定めるという点から「操る」という言葉を使ったのではないか?
・目的を自覚している人に対しては、リードできるが、自覚できていない人には「操る」という語を使っているのではないか?なぜならリーダーは「違い」をわかってリードできる人だから。
といった意見が交わされました。
今回も数ページ読んでは振り返り、深い議論をしながらの読書会でした。
次回は2013年1月上旬~中旬を予定しております。
日程が決まり次第、お知らせいたします。