過去の活動報告

第46回 読書会 開催報告

開催日時:
2014年12月12日(金)19:00~21:00
場:
レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会では、今年の7月から11月にかけて第8章「サーバント・リーダー」を会読してきました。
グリーンリーフが強い信頼を寄せたユダヤ教学者であり教育者のヨシュア・ヘシェルと、グリーンリーフがカールトン大学の学生として、そして長じてからも強い影響を受けた、同大学の学長ドナルド・ジョン・カウリングの評伝です。
今回の読書会は、多くの示唆を得た第8章について、全体を通しての意見交換を実施しました。

907年にユダヤ教の学者の家系に生まれたヘシェルは、自身も敬虔なユダヤ教徒であり、また若くしてベルリン大学の優秀な学者、作家、教育者として名を上げました。
しかしながらヘシェルが活動の拠点としたドイツは、彼の活躍と軌を一にして台頭してきたナチスによりユダヤ人弾圧の場となります。
へシェルはワルシャワへの追放を経て、1939年、第二次世界大戦が始まる直前にロンドンを経てアメリカに渡りました。
アメリカでのヘシェルは、研究に打ち込むだけではなく、社会運動にも積極的に関わりました。
マルチン・ルーサー・キングJr.とともに公民権運動のデモ行進に参加し、病身を押して彼の正義感に沿った政治犯の釈放を出迎えに行くなど、精神と肉体は常に動いていました。
同世代のグリーンリーフ(1904年生まれ)とへシェルはかなり高齢になってから出会っていますが、すぐにお互いに認め合い、最高度の信頼と尊敬によって結ばれた関係になりました。
へシェルが死の直前にテレビのインタビューに応えて若者に向けたメッセージは次のようなものでした。
「不条理を超えたところに意味がある、ということを覚えていてほしい。どんな些細な行いも大事です。どんな言葉にも力があります。すべての不条理を、すべての不満を、すべての失望をなくすために、社会を変革する役割がわれわれにはあるのです。これだけは心に留めておいてほしい。人生の意味とは、芸術作品のような人生を築くことだ、と」

ロナルド・ジョン・カウリングは1880年にイギリスで貧しいながらも敬虔なクエーカー教徒の家庭に生まれ、幼い頃に一家で米国に渡り、苦学の末に、その類まれなる才能を開花させます。
彼は高い能力を認められ、30歳を前にして、カールトン大学の学長に任じられました。
財政状態が苦しい大学の運営に腐心しつつも、この大学を学生にとっても教師にとっても最高の教育の場とすべく、多くの困難に立ち向かいました。
孤高の姿勢を保つカウリングは周囲から敬遠されることもあったようですが、グリーンリーフは学生時代からいろいろな活動に携わったこともあり、24歳年長のカウリングとの接点を持つことができました。
そして卒業後、カウリングと再会したグリーンリーフはカウリングの偉大さに気がつきます。
グリーンリーフはカウリングとの多くの対話と討議、そして周囲の人たちからカウリングの事績や振る舞いから、彼に誠実で強い信念を見出していきました。
グリーンリーフがサーバントリーダーシップの概念を作り上げることにおいて、とても大きな影響があったものと思われます。
グリーンリーフはカウリングの評伝を次のように終えています。
「…自分の名誉を署名した、生き生きとした空気を彼は残したのだ。天職であるカールトン大学の創設にすべてを捧げた彼の献身、自由への情熱、精神解放への情熱、そして彼の魅力的な人間性は、偉大さの証であり、私はその偉大さの前に畏敬の念に打たれてひれ伏してしまう。こうした人材の育成がいつの日かカールトン大学のため、そして社会のために彼が残した財産となることを祈っている。」

第8章の会読を行った第41回(2014年7月25日)から第45回(2014年11月28日)の読書会開催報告をもとに第8章の概要を確認して、参加者による討議が始まりました。
(日本サーバント・リーダーシップ協会のサイトに掲載されている上記の開催報告をご参照下さい)

・へシェルの人生は「昇華」ということばに集約されるように思う。
優秀な学者でありながら書物とともに研究室に籠るのではなく、政治的な活動にも関わっている。
孟子の言葉で吉田松陰がさかんに唱えた「至誠而不動者未之有也=
至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり(注)」ということばを思い出した。
まさに「誠」の人であり、芸術的な人生だと思う。
(注)「しせいにしてうごかざるものは、まだこれあらざるなり」
誠意を尽くしてことに当たれば、どのようなものでも必ず動かすことができる、といった意味。
・へシェルも松陰も誠をもって行動することで、世の中を変えられるとの確信がある。
それぞれの本人の活動の中で具体的な成果が出てこずとも、誠をもって行動することで、志が受け継がれ、やがて実現するという確信を持っている。
混沌とした世の中を変えられるのは「誠」なのだと痛感する。
・カウリングについては、評伝の最初の方を読んだ時は、「本当にこの人はリーダーにふさわしいのだろうか」という感想を抱いていた。
最後まで読み終えたところで、彼がリーダーであることをよく理解した。
・カウリングは学生を主体として、教育においてリベラルアーツを重要視するという学校を作り、経営の基礎を築いたが、これは大変な苦行である。
長い年月を見据えた活動であり、崇高な規範が存在することを感じさせる。
カウリングの成果は彼の代ではなく次の代において実現している。
理念が次に引き継いでいることがすばらしい。
ここにカウリングが真の起業家であり企業家であることを感じる。
真の経営者は公人として、自己実現を超えた自己超越が必要と思っているが、ここにその姿を見た。
・グリーンリーフはヘシェルの評伝に「華麗な人生を築く」、カウリングの評伝に「偉人の生き方」という副題を付している。読み終えて、改めてこの副題の意味の深さに感嘆する。
へシェルもカウリングもさまざまな苦労の中で、つつましい生活を送ってきたが、その人間的な内面、精神の姿は華麗であり偉大であること、それが信念の崇高さと強さによって現わされていることに気がつく。

・サーバントリーダーについて、最初は「優しい人、自分を優しく包んでくれる人」
というイメージを抱いていた。
読書会などに参加する中で、目的を達成するための意志を持ち、本当に必要なことに向かって、苦しくとも正しい決断をできる人が真のリーダーと思うようになった。
・職場においてリーダーであることが求められているが、本当に周囲を納得させて自分の活動に参加させているのかどうか自信が持てない。
単に職場での地位を利用して自分の考えを当てはめようとしているだけではないか。
しかし組織として成果を出さないと、単なる仲良しクラブになってしまう。
この点に悩んでいる。
・リーダーとは信念を持った意思決定者と定義している。
その信念に多くの人を巻き込むことで、大きな力を作り出せる。
フォロワーとの間で価値観の共有を行うことになる。
価値観には価値基準、価値判断、公共性、公益性といった「大義」が必要である。
リーダーの言動が一致することは自明かつ当然の条件である。
・衆議院選挙を明後日(2014年12月14日)に控えて、この国のリーダーについて思いを寄せている。
本当のリーダーが存在しているのか、日本と日本人の美学を実現するための、塾(人の素質、素養)と学(知識)の両面での研鑚を積んだリーダーが望まれる。
・ここ100年は経済的な利益、つまり数字をもって成果とする時代だった。
これからは仁や義、本当の幸福度といった視点でリードしていくことが望まれる。
リーダーの信念とその信念の実現に向けて寄り添うフォロワーが重要になってきた。
・最近、ゴスペルを聴く機会があった。
本当の信仰、信念を持つ人が実に穏やかに自分の経験や信仰を語ることに目を見開かされた。
大義を抱いていたヘシェルとカウリングの二人にも共通するように思う。
・自分なりに、サーバントリーダーシップを ①ビジョンを描くこと
②相手の心からの納得を得ること ③尊敬と奉仕の精神に基づく人間関係、と整理している。本当のリーダーシップを体得する入り口を見つけたい。
・二人の評伝を読みながら、大義に尽くすことがリーダーのミッションであると感じた。
大義の実現に向けて地道な活動をコツコツと続けることの重要性、そして行動する
勇気が必要であることを痛感した。
・第8章の序文でグリーンリーフがヘシェルとカウリングの二人を
「ふたりとも心のおもむくままに行動した。(日本語訳書 p.400 最終行)」と書いている。
9月22日の第43回読書会で「?儻不覊(てきとうふき)(注)」ということばについて、語り合ったが、グリーンリーフ自身がそのことを語っていたことに、驚くとともに、本書をさらに深く読まないといけないと痛感した。
(注)徳川時代に使われた個人の気質を表す言葉。?(てき)は
「すぐれていて、 拘束されないさま」
儻(とう)は「志が大きくてぬきんでていること」、
羈(き)は「馬を 制御する手綱」、不羈(ふき)は「拘束されない」こと。
・読書会に参加してみなさんの意見を聞いて、とても参考になった。
2015年はさらに視野を広げて、みなさんから多くのことを学んでいきたい。

読書会は次回から第9章に入ります。
次回は2015年1月23日(金) 19:00~21:00、麻布十番に開設する新レアリゼアカデミーで開催予定です。