ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会は、第8章「サーバント・リーダー」の中のドナルド・ジョン・カウリングの評伝を会読中です。
今回、カウリングの評伝会読の第3回目は、p.434の5行目からp.447の9行目までを読みました。
カウリングはグリーンリーフが学んだカールトン大学の学長であり、グリーンリーフは在学中と卒業後の長きにわたる交流で強い影響を受けています。
カウリングの学長としての仕事は多忙を極め、特に大恐慌時代の状況は深刻でしたが、彼にとって大学経営はむしろ心安らぐもので、大学のあるミネソタ州ノースフィールドでは礼拝には欠かさず参加し、親睦団体の活動にも積極的に関わってきました。
大学経営においても斬新な手腕を発揮して、別法人を作って新たに大学寮を建て、これを収益事業とするよう先駆的な行動により大恐慌を乗り切りました。
カウリングはその手腕を見込まれて米国やカナダのさまざまな機関の理事に推挙されましたが、彼の教育に対する取り組みは、きわめて原則的であり、教育の在り方を革新的に変えたわけではありません。
グリーンリーフはカウリングについて、「教育に必要なものは、優秀で献身的な学者は教師を教員陣に配置し、理想的な設備を揃えれば、すべてキリスト教環境の中からあふれ出してくると本気で考えていた」と評価し、カウリングの教育に対する信念を次のようにまとめています。
●従来のリベラル・アーツを基礎とするカリキュラム。
●キリスト教的な雰囲気で施される教育。
●優秀な学者でもある教員陣はこのふたつの理念に従事すること。
彼らには、自身が心に抱く真実を支持する自由、自身の知識を最大限に生かして教育する自由が与えられる。
●魅力ある施設・環境の中で、教員と学生の両者が互いに切磋琢磨すること。
カウリングの教育への取組みに向けたグリーンリーフの評価を踏まえて、参加者の意見交換が始まりました。
・今回の読書範囲の前半では、信念、正義、徳といった言葉が盛んに出てくることが目についた。
・前回の読書会で?儻不覊(てきとうふき)(注)」という言葉とその気質を持った吉田松陰が話題になったが、松蔭の松下村塾も学問の自由、その意志があれば誰でも参加できるということに大いなる意義があった。
学問に対する自由を尊重する姿勢は福沢諭吉の「学問のすすめ」の思想と共通する。
(注)徳川時代に使われた個人の気質を表す言葉。?(てき)は「すぐれていて、拘束されないさま」 儻(とう)は「志が大きくてぬきんでていること」、羈(き)は「馬を制御する手綱」、不羈(ふき)は「拘束されない」こと。
・キリスト教への畏敬と敬虔な姿勢も印象的だ。教会の理念を大切にしつつも、さまざまな教義に関する信仰に排他的にならず自由も認めている。
・リベラル・アーツ、概して一般教養科目のことだが、これを重要視するという点に注目している。
さらにキリスト教的な雰囲気で施されるべき、としているところに、現代の課題が凝縮されているようにも思う。
・ここではキリスト教と定められているが、当時のアメリカの標準的な宗教だったが故のことではないか。
真っ当な宗教の持つ尊厳を尊重することを求めることで、真理の追究に謙虚であることを求めているように感じる。
・社会人入学した青山学院大学大学院の入学式で、「あなた方の学問は神様に守られている。なにも心配せずに研究に励むように」という訓示があった。
社会人として大学院での学ぶ不安と不安からくる迷いを持っている中で、自分が神に守られているという言葉に勇気を与えられた。
自分はクリスチャンではないが、宗教的雰囲気の中で学問に臨むことについての意味を体感した瞬間だった。
カウリングはさまざまな場で国際問題や政治問題にも言及しました。
キリスト教に基づく教育者であり大学学長という経営者でもあったカウリングの思想は保守的なものでしたが、決して教条的ではなく、たとえば、1928年にロシアの教育制度を視察したときには、同国(この当時はソ連)の教育にかける意欲を高く評価しています。
また、国際的な平和を希求するとともに政府などの権力による個人の自由への干渉を嫌っていました。
しなしながら父親の影響を受けて理想主義の気質を持っていた彼の主張は年齢とともに伝統主義的、理想主義の色が濃くなり、周囲に受け入れられないこともあったようです。
グリーンリーフはその辺りのことも冷静に評価しています。
・今回の読書範囲の後半には、個人、個性などの言葉が多く見られる。
グリーンリーフがカウリングの内面に切り込んでいる。
・カウリングは信念が強いのみならず、説得力に富んだ才能を持っているように思う。
語感のイメージにすぎないが、説得というよりも愚直なまでに続ける行動で、自分の思いを示して周囲の納得を得るという印象がある。
この箇所を読みながら「信念」と「頑固」の差異について考えていた。
・「信念」と「頑固」の差は「先見力」があるかどうかが鍵になると思う。
さらにその先見力のための「傾聴」が必要なのだろう。
・カウリングが大恐慌後のニューディール政策を快く思っていなかったのは、その政策の背景にある社会主義的要素が個人の自由を制限することを警戒したのだろうか。
その一方でカウリングがロシアを視察した1928年はボルシェビキ革命でソヴィエト連邦が誕生して10年ほど経ってのこと。
この時代の米国で共産主義ソ連の制度を高く評価したことも驚きだが、彼の観察眼が先入観に左右されないこと、つまり本当の意味で自由を尊重するという信念の強さに驚嘆する。
グリーンリーフはカウリングの生きざまから「…生き方の選択がうまくいけば、どんな人であれ、個人の能力をうまく活かす事が可能になる。
このように生き方の選択が意義深い生涯を送れるか否かを左右する…」と影響を受けたと述べています。
カウリングはその職務に懸命に取り組んだ学長の座を、まだ健康を維持していながらも後進に譲るべき、と潔く退き、かつ退職後は大学とのつながりを見事なまでに断ち切りました。
引退後もその体力と知力に見合った仕事に従事し、メニンガー研究所の小児科病棟の資金調達やミネソタ州立大学の薬学部の経営支援などを行いました。
彼の尽力によりミネソタ州立大学薬学部の設備、人材、教育課程の質は格段に向上したとのことです。
・カウリングの引き際は実に見事。数十年にわたって心血を注いで尽力した大学学長の座を自ら限界を決めて引退し、以後はそこに未練を見せずに、次のミッションに向かっていった。普通はとてもできない。
・看板や肩書きが外れても、自分の居場所と自分が必要とされる世界を持っている。
カウリングという生身の人間、個人がブランドになっている。
・大きな任務を終えても次の任務が見えている。年を取っても前に前にと進む姿勢が素晴らしい。
・組織に拘泥しないという点で、ソニーの元社長の大賀典雄さん(故人)を思い出した。
音楽家の一面を持っていた大賀氏はソニーを世界的企業としたことに大きな功績があったが、公私を区別し、一線を退いてからはソニーの経営に直接口をはさむことをしなかった。
・カウリングがカールトン大学の学長になった経緯とその後の努力、そして引退後の潔さに、金井壽宏先生の「キャリアドリフト理論」やスタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授の「計画された偶発性」を思い出す。
自分に起きたことを素直に受け入れつつ、そのことから始まる仕事に真剣に取り組み、任務が終われば静かに去る。
思い通りにならないといって、失望して手を抜いたりしない。
・自分に起きたことを受け入れて、天命として取り組む。
その点は新渡戸稲造にも共通するものがある。
・今回の読書範囲から自分自身の軸や尺度を持ち、なんらかの形で社会貢献する必要性と継続することの重要性を感じた。
・信託業の分野で「フィデューシャリー」という言葉がある。
信認を意味する法律用語だが、契約という二者間の合意を超えて、信託を受けた財産を正しく管理し長い期間で価値あるものとしていく社会的義務、欧米では神から与えられた義務を意味する法理である。
天与の職務に全力を傾注し、そしてこれ以上ない鮮やかな引き際を見せたカウリングにフィデューシャリーの精神の何たるかを垣間見た。
グリーンリーフによるカウリングの評伝から参加者も多くの示唆を得ました。
カウリングの評伝の会読も次回が最後の予定です。
次回の読書会は11月28日(金) 19:00?21:00 レアリゼアカデミーで開催予定です。