過去の活動報告

第42回 読書会 開催報告

開催日時:
2014年8月22日(金)19:00~21:00
場:
レアリゼアカデミー

ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、
英治出版、2008年)の読書会は、前回から第8章「サーバント・リーダー」の会読に入りました。
前回はグリーンリーフと同時代人で敬虔なユダヤ教の有力な思想家、教師である一方、公民権運動やベトナム反戦運動にも情熱を燃やしたアブラハム・ヨシュア・へシェルの評伝を会読しました。
今回は、若きグリーンリーフが学んだカールトン大学の学長を長く務めたドナルド・ジョン・カウリングについての思い出の会読に入ります。
大変に長い評伝であり、何回かに分けて会読を進める予定です。
今回は、本評伝の冒頭であるp.409の10行目からp.421の9行目までを読みました。

 

大きな志と計画をもって「偉大なる人生」を送りたいと思っていた若きグリーンリーフはカウリングが学長を務めるカールトン大学に学びました。
グリーンリーフは1926年度の卒業生です。
ちなみに日本では大正から昭和に切り替わったのが1926年です。
カウリングは1909年に28歳という年齢でカールトン大学の学長に就任していますから、グリーンリーフがカールトン大学に学んだのは、カウリングが学長として10数年を経た、40歳過ぎの頃となります。
カウリングについて、グリーンリーフは「お高く止まった無口な男で、愛想も悪く、とはいえ節度はあったが、ファースト・ネームで呼び合える友人は少なかった」という印象を語りつつ、別の一面として「深い洞察力を備えた、話の分かる易しい人で、開花すべき人間の精神の自由について確固とした信念を持っていた」人物と評しています。
「内に秘めた一貫性」は、彼を保守的にしていましたが、カールトン大学の復興、そして何よりも「大学の自由」を求めて、長年にわたって忍耐強く取り組んだ人物でした。

・一読した印象ではカウリングはかなり取っ付きにくい人物のようだ。
グリーンリーフがカウリングのどこに惹かれたのか興味がある。
・冒頭でグリーンリーフは「大きな目標」に向かうことの重要性を指摘してからカウリングの評伝に入っている。
カウリングは一代で大きな目標を達成した人。
通常こうした人は他人の話を聞かないことが多いけれども、カウリングは全く別の面をもっている。
・カウリングの印象を「お高く止まった」「無口」「愛想が悪い」「気の置けない友人が少ない」と酷評しつつ、一方で、「深い洞察力」「話が分かる」「優しい人」「確固とした信念」と絶賛している。
ビルダーとして「初めて取り組むこと」も多く、不安を抱えていた面もあっただろう。
そうしたことがあって安易に他人に心を開かず、心を許せる友人も少なかったのだろう。
簡単に理解できる人ではなさそうだ。
・グリーンリーフは自分のことを「揉め事に首を突っ込み、たびたび学長室で事情を説明する羽目になる学生」と説明している。
それがまだ学生のグリーンリーフが学長のカウリングとは深い仲になるきっかけだが、グリーンリーフにそうした積極的な姿勢があってこその成果と思う。
その点で最近の学生の姿勢はかなり変わってきて、消極的なことが多い。
年長者との接点を持つと、いろいろとで学ぶことが多いのに、残念なことである。
・企業組織では「社長以上には大きくならい」といわれている。
その中でグリーンリーフは目的やビジョンや信念を曲げなかった。
リーダーの孤独というものを考えさせられる。

ドナルド・ジョン・カウリングは1880年8月21日に英国コーンウォール州トレヴァルガで生まれています。
父は靴職人で母は裕福な農家の生まれで、一家は1982年にアメリカ・ペンシルヴァニアに移りました。
貧しい生活でしたが、カウリングは気性が激しいが敬虔な父から宗教への信念と強い不屈の精神を受け継いだと言われています。
自ら学費を稼がねばならない環境下でもカウリングは貧しい中でも学問に集中し1906年にはカンザス州のベーカー大学で哲学と聖書学の教授となり、翌年に教授、そして1909年、29歳になる直前に推されてカールトン大学の学長となりました。
異例の若さで学長になったカウリングは、すべて自分の責任という強い自覚のもとで、徹底的な責任感をもって学校の運営に努めたのです。

・カウリングの若い頃の貧しさは尋常ではない、まさに過酷な学生時代だったろう。
苦学の中で高い学績を修めたことがわかる。
・組織のオーナーであれば、かなり自由に、ある意味で独善的に運営ができる。
カウリングは若くして学長に推薦されて就任している。
理事会との関係も微妙であったろうが、説得力もあったのだと思う。
・大学の校舎や構内のデザインにこだわっていることに興味をもった。
理事会との関係を考えれば妥協しても良さそうであるが、信念を貫いたことに彼の美学がある。
その信念で細かいことにも注意を払っているのは、まさに「神は細部に宿る」ということなのだろう。それが理事会の理解を得た要因だと思う。
・グリーンリーフはカウリングを「どんなに考えが合わない相手であっても、人の才能は高く評価」していて、政治的に追いつめられた人も才能があれば採用した、とある。
大学について教育機関としての機能を最重要視することを信念として貫いていたことがわかる。
・カウリングは1909年から1945年までの長きにわたって、カールトン大学の学長の座にあって信念を貫いて経営を行ってきた。
これ自体が大変なことだが、彼の去ったあとの大学では、関係者の大学への忠誠心が薄れ、教員の間では学生教育が最優先事項ではなくなった、という話を読んで、改めてカウリングの信念の強さに驚嘆すると同時にカウリングをもってしても、組織が自動的に信念を引き継いで持続できないことにも気づかされる。
・グリーンリーフはカウリングをサーバント・リーダーと見ていたのだろうか。
ラリー・スピアーズがまとめた「サーバント・リーダーの10の属性」と照らし合わせると、ここに書かれているカウリングに当てはまらない属性も多そうだ。
ひょっとしたらリーダーという点では反面的な部分を見ていたのではないか。
この評伝の続きに興味をかき立てられる。

グリーンリーフの目を通したドナルド・ジョン・カウリングはかなり複雑で奥が深いものをもった人であることが分かります。
グリーンリーフの人物と思考の形成に強い影響を与えたカウリングとはいかなる人物か、グリーンリーフはカウリングのどこから、どのような影響を受けたのか、こうしたことを探るべく、この評伝の会読を続けていきます。

次回は、9月26日(金) 19:00~21:00 レアリゼアカデミーで開催予定です。