ロバート・K・グリーンリーフの「サーバントリーダーシップ」(金井壽宏監訳、金井真弓訳、英治出版、2008年)の読書会は、今回から第8章「サーバント・リーダー」の会読に入ります。
グリーンリーフのサーバント・リーダーシップの思想形成に大きな影響を与えたアブラハム・ヨシュア・へシェルとドナルド・カウリングについての思い出であり、グリーンリーフの手になる評伝です。
グリーンリーフは二人をサーバント・リーダーの模範とみなしています。
今回はヘシェルについての評伝を会読しました。
グリーンリーフはヘシェルが若者に向けたメッセージで記述を始めています。
放送局のインタビュー番組で「若者たちに伝えたいことは?」との問いかけに対するヘシェルのことばです。
「不条理を超えたところに意味がある、ということを覚えていてほしい。どんな些細な行いも大事です。どんな言葉にも力があります。すべての不条理を、すべての不満を、すべての失望をなくすために、社会を変革する役割がわれわれにはあるのです。これだけは心に留めておいてほしい。人生の意味とは、芸術作品のような人生を築くことだ、と」
へシェルは1907年にワルシャワで、ユダヤ敬虔主義派の指導者の家系に生まれ、幼少のときから聖書とユダヤ教の教義に触れ、ベルリン大学に学びました。
若くして博士号を取得し、ユダヤ教の学者、指導者、そして作家としての名声を得ています。
しなしながら彼の青年期から壮年期はナチス・ドイツによるユダヤ迫害の時代で、へシェルはまずドイツからワルシャワに追放され、ドイツによるポーランド侵攻の直前に米国シンシナティのヘブライ・ユニオン・カレッジに招聘されて、ロンドンを経由して米国に渡っています。
・「不条理を超えたところに意味がある」という主張は、ナチスによるユダヤ人の迫害を見てきたへシェルのことばと考えると壮絶なものがある。
当時(40年ほど前)の米国でも今の日本でも若い人は到底受け入れられないだろう。
・若い人たちは、どうしても行動の意味とか目的を考えて、納得感や合理性を求めてしまうことを絶対化しがちである。
自然界では「納得できないこと」も多くあり、合理性だけが価値ではない。
・本題と趣の異なる話であるが、東京藝術大学の八谷和彦准教授が宮崎駿の映画「風の谷のナウシカ」に出てくるメーヴェという乗り物(注)を実際に作るプロジェクトに共感している。
計算高い合理性ではなく感じるもの、インスピレーションから作っていく取り組みを応援している。
(注)映画の主人公ナウシカが乗る大きな鳥の背に乗ったような形をした飛行機械。
シンシナティからニューヨークに移ったヘシェルは思索や教育のみならず、公民権運動でマーティン・ルーサー・キング・ジュニアとともにデモ行進に加わり、ベトナム戦争の反戦運動にも関与するなど、「活動家」としての一面も強く見せました。
また深化が進む彼の思索はユダヤ教の教条主義的な解釈ではなく、神と人の関係を特定の宗教の枠を超えて考え抜いたものと言われています。
そのようなヘシェルをグリーンリーフは最大級の敬意を込めて、「へシェルの著作は魂のこもった力作(後略)」と讃えて、「生涯を通じてのヘシェルの信条を簡単に表現すれば『ただ存在することが祈りであり、ただ生きることが神聖である』と言えるだろう」と書いています。
グリーンリーフは、彼の関心領域がヘシェルと異なるとしながらも「われわれは固い絆で結ばれていた」、「人の良い穏やかなこのラビを前にして、そうした感覚に包まれながら胸を熱くしていたとき、私は人を分かつすべての垣根を乗り越えていた」と述べています。
・グリーンリーフはクエーカー(キリスト教の一派)、へシェルはユダヤ教、と二人は宗教も異なれば、活動の焦点も違う。
この二人が共感したのはなぜなのだろう。
前の章「教会におけるサーバント・リーダーシップ」で、グリーンリーフは教会こそ最前線に立つ必要がある、と主張しているが、宗派を超えた活動という点で共感しあったのだろうか。
・新進気鋭の経営者を前にしたヘシェルの講演に感動した聴衆が「預言者アモスの再来」と感嘆している(本書p.403 – p.404)。
預言者アモスはおそらくはみすぼらしい羊飼いであろうが、旧約聖書の中で神を忘れたイスラエルの王に神の言葉を伝えている。
聖書にはアモスの言葉は力強かった、とある。
へシェルの講演もおそらく大きな声を出したものではなかっただろう。
そんな彼の言葉に聴衆はしばらく席を立てなかったと言わせているが、何がそうしたのだろう。
彼の経歴や背景、思想そのもののかたり、視線…へシェルが語ることで、何かが伝わっている。
・へシェルは神とのワンネス(一体感)を重要視している。
自分も信州の上高地で、人智を超えた自然との一体感を感じたことがある。
サーバント・リーダーシップを学習していて、このワンネスはサーバント・リーダーシップ10の原則(本書 p.572-573)の(6)の概念化と(7)の先見力、予見力と結びつくと思うようになった。
・自然との一体感経験はないが、ある場所にいるときに「その昔、ここで起きたできごと」を思い出して、高揚感を感じることがある。
時間との一体感なのか。
過去を見て未来につなげる力が湧き出てくる。
・一体感は「次につなげる」という願いから生まれるのだろう。
日本の国土の森林率は諸外国より高い比率があるが、これは多くの森林職人が「三代先の子孫の水田を守るために」と植林した結果であり、そう思う職人には自然や時間との一体感があったのではないだろうか。
生涯最後まで積極的な活動を続けていたヘシェルは、雪混じりの雨の中で反戦運動家の出所を迎えて体調を悪化させ、安息日(ユダヤ教では土曜日)の未明に息を引き取りました。
グリーンリーフはヘシェルの評伝を次のフレーズで終えています。
「生前のへシェルがよく口にしていた言葉を思い返すことが、友人たちの慰めとなった。‘敬虔な人に、死の恩恵を’」
一足先に神のもとへ旅立った友人へのグリーンリーフの惜別のことばです。
・今回、読んだ評伝のタイトルは「アブラハム・ヨシュア・へシェル -華麗な人生を築く」である。
若いときはナチスの迫害を受け、壮年期以降、弱者やマイノリティの側に立ったヘシェルの人生の何が華麗なのか。
やはり行動することであろう。
行動が示す誠実さが周囲を巻き込み、大きな行動の原動力となったのだと思う。
・フランスの哲学者でユダヤ人のエマニュエル・レヴィナスは、ナチスのホロコーストの下で多くのユダヤ人が「自分は神に見捨てられた」と思い信仰を放棄する者も多数いる中で、「ユダヤ人であればこそ苦難の道をいくように神に選ばれた」という意味のことを説いた。
へシェルの華麗なる人生とは、へシェルの神に見放されたごとき苦難の人生こそがが、まさに神に選ばれし華麗なるものを意味しているのだと思う。
・グリーンリーフはそのような人生を送ったヘシェルを真のリーダーとして認めている。リーダーが負うものの重さを痛感する。
へシェルの評伝の会読を終え、次は、若きグリーンリーフに多大な影響を与え、生涯の師であり友であったドナルド・ジョン・カウリングの評伝に入ります。
次回は、8月22日(金) 19:00?21:00 レアリゼアカデミーで開催予定です。