今回の読書会は、「第5章 教育におけるサーバントリーダーシップ」の中の大学における一般教養(Liberal Arts)教育に関する提言の前半を読みました。
(p.300、5行目 - p.309、6行目)
グリーンリーフは1974年春にペンシルバニア州ディキンソン・カレッジで「一般教養と、社会に出ること」と題する講演を行っています。多くの学生が職業やキャリアの見通しに不安を抱いていることから質問を受け、これに対する回答としての講演です。
1974年の段階で米国では大学あるいはこれに準じる高等教育への進学率は50%に及び、一方で前年、1973年のオイルショックに端を発した世界経済の停滞は、米国の学生の進路にも深刻な影響を与えていたものと思われます。
現在のわが国を取り巻く環境やその中にいる大学生の状況にも似通っています。
参加者からグリーンリーフの提言は、現在のわが国の学生や若手、あるいは大学に対するメッセージとも読める、との発言をきっかけに、活発な意見交換が行われました。
・宇宙工学のような高度な科学を学んだ人でもメンタルな問題で知的能力に合った職業に就けないケースがある。社会との接点や人間関係を学習する機会が無かったことが原因。
大学での学習内容の再考が必要である。
・「すぐに役立つものはすぐに役立たなくなる」、大学時代の就職目的の学習はその類のもの。一方で芸術、文化、歴史などの一般教養科目の学習で得た知識は会社勤務で使う
ことは無かったが、それ以前に自分の視野を広げることに役立った。
・ここを読みながら吉田松陰の松下村塾のことを考えた。同塾の存在は短時間であったが、そこから幕末の人材が多数輩出されたのは、即効薬の知識を与えるのではなく視野を広げる気づきの場を与えたからだろう。
・周囲が今の若い人たちに即答を求めすぎている。そのために若い人たちも熟考を捨て、手っ取り早い回答を志向している。仕事の基礎的スキルすら身につけない段階で、「この仕事は天職ではない」と離職したり、極度に失敗を恐れたり、表面的な「仲の良さ」を求めるなど。社会もそうした雰囲気を作り、教養、つまり基礎力を体得しないままの小手先技術教育がもてはやされている。
グリーンリーフは、この講演で大学における一般教養の教育について、「社会に奉仕し、奉仕を受ける心構えを学生にさせよう(to prepare to serve, and be served by, the present society)」と目標を述べています。
・グリーンリーフが述べていることは、じっくり考えると難解で奥深い。
・自分の人生に意味を見出すには内省が重要。内省している人は、社会に対する自分の価値や立ち位置を自覚でき、失敗や挫折も糧(かて)にできる。その意味では今の時代は競争に勝つことに価値があるため、耐性が養えない。社会構造の側も敗者復活の仕組みが不十分。
・学生や若い人が自分は社会に対して白黒をはっきりさせようとしたがるし、社会もその風潮を後押ししている。ブラック企業という言葉が流行っているが、将来の勤め先である会社には、ほとんどの場合白も黒もあるグレーであることを知るべき。グレーを受け入れられるということは、いわば人間の深みでもある。
・内省する姿勢や多様性の受容などを体得する力を養う教育が必要。
議論は尽きず、話題は先般テレビ放映が終わった「半沢直樹」にも及びました。
そして会読と議論の最後に、参加者のみなさんに現在の大学と学生へのメッセージという形で、この日の議論をまとめてもらいました。
・大学における一般教養の学習は人間関係の勉強、他人との真剣な議論を行える貴重な機会でもある。
・人は社会に奉仕することを義務とする一方で、奉仕(助け)を受けることができる。
孤立せずに社会との接点をしっかり持ってほしい。
・大学生となったならば、「自立」した人間であるとの自覚を持つべき。
・学生時代の経験は重要。ボランティアで他者と助け合うことの重要性を学ぶ、異文化に触れる、こうした経験で得られることは多い。また、その経験を後輩に伝えていくことも重要である。
・「事情があっての中退者にも在学経験の価値を認める」「敗者復活のためのサポートがある」「歴史に類を見ない高齢化、財政悪化という現代社会において世界をリードする人材を育成する」「学生が自分で考えて内省できる教育」、大学はこうした価値観を持ち機能を備えてほしい。
混沌とした社会の中で、若者への激励とサーバント・リーダー養成機関の一翼を担うことを大学に期待する参加者の声は、40年前の米国でのグリーンリーフと同じ「思い」を共有している証と思われます。
次回は 10月29日(火) 19:00~21:00 レアリゼアカデミーで開催予定です。